この間まで暑い暑いと言っていたら早や9月も後3日を残すのみとなりました。先週突如として現れた5連休の間特に急ぐ仕事もなく、畑仕事の合間にネットの囲碁対局と夜は音楽鑑賞に費やしましたが、何と言っても9月なので例年聴く曲は飽きもせずに気怠いスローバラードが秋の風情を掻き立てるクルトワイルの名作“セプテンバーソング”で始まり“セプテンバーソング”で終わります。ウイリー ネルソンからマント ヴアーニーまで歌手や演奏者は変わっても毎年この時期50数年前の郷愁に浸るのが倣わしなのです(^^)。昔は9月になると此の曲が其所此所でよく聴かれたものでしたが最近は殆ど聴かれなくなりましたね(;;)。
♪Oh it’s a long long while…♪で始まる此の曲は必ず学生時代に見た映画“旅愁(September affair)”を想い出させてくれます。若い方はご存じないかと思いますが、此の映画は“第三の男”でお馴染みのジョセフ コットンとヒッチコックの“レベッカ”で初出演したジョン フォーンティーンが競演した悲しい恋の物語であり、セプテンバーソングは劇中に挿入された主題歌でしたね。ジョン フォーンティーンはその後4度も結婚離婚を繰り返した女優とは思えず、可憐な楚々とした美人でした(^^)。
“旅愁”とか“追憶”や“慕情”や“哀愁”などの二字熟語が当時恋に焦がれる純情な若者向きに外国映画に付けられた流行りの邦題でありましたが、ときは巡り何時とはなく愛よりお金の時代に変わって(;;)純情な青年や乙女は何処にも居なくなり、子女の紅涙を誘った悲恋物なんて今の若い人達にはまるで見向きもされなくなったのはとても寂しい限りです(;;)。
男女7歳にして席を同じゅうせずの時代に育った私は、悲恋物語に共感し実生活でも叶わぬ恋の片思いで充分満足して居ましたから、“バツ一” “バツ二”が当り前になっている現在の若者の衝動的な行動が理解できないのも無理ありませんよね(;;)。
昔から“鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす”と謂う俗諺があります。この諺の意味は奥が深くて、“身を焦がす”は蛍が光る処に懸かって居ますが、気軽に携帯でプロポーズし、携帯で別れを告げる現代の若者は“鳴く蝉”であり、言葉には出せずに長文の手紙で心に綴る思いの丈(たけ)を託した我々戦前派は“鳴かぬ蛍が身を焦がす”だったのでしょう(;;)。
旧聞に属しますが、先月兵庫県小野市(全国唯一算盤の産地)で高校生算盤日本一の大会が行われました。出場選手は全国59校から僅かに294名であり、嘗て2万人参加した栄光ある55年の歴史を持つ大会でありましたが無念にも今年限りで廃止が決まったそうです(;;)。江戸時代以前から古来唯一の計算機器として重宝されてきた算盤でありましたが、電卓の普及に加えてパソコンなどの計算機能が容易に操作できるため少し宛算盤の人気が廃れて来たのは寂しい限りであり今では民芸品のようになってしまいました(;;)。小学校でも此までの惰性で数時間算数の時間に繰り込まれているようですが、数時間で算盤が理解できる道理もなく、“昔こんな道具で数の計算をしていましたよ”と子供達に伝えるだけですから算数の時間を用いるのは誤りで歴史(社会)の時間の方が相応しいでしょうか(;;)。そんなこんなで子供達の中には算盤の名前は知っていても使い方を知らない者が殆どになっているとか…(;;)
昔私達が税理士試験を受験するためには最低商工会議所珠算2級の力がないと試験時間内に回答が不可能であり、良い歳をした小父さんが会社帰りに算盤塾へ通われて居り、ああこの人も税理士志望なのかと思ったのは50年前の懐かしい思い出でした(^^)が、電卓が発明されてから何時とはなく算盤が衰頽し、其所此所にあった算盤塾も次々と潰れて行ったのも時代の趨勢でありましょう。高校生の時桁数の大きな掛け算をするのに算盤を二つ並べて計算した記憶がありますが、その後できた電卓も12桁が普通でしたから負け惜しみではありませんが、算盤には到底敵わなかったのでした。見取り暗算なども算盤を習熟した者でないと先ずできませんよね。現在の税理士試験では誰もが電卓使用ですが、殆ど左手を用い右手は筆記となりますから、計算も筆記も右手を使った算盤の方が計算能力は早かったように思います。“割り算の九九”なんてありましたね“二一天作の五”“二進の一十(にっちんのいんじゅう)”なんて懐かしいですね(^^)。5年生の孫に話したらキョトンとして居ましたよ(;;)。
【割算九九】
“五七五七七”は我が国伝統の短歌ですが、ずっと昔自己流で少し学んだことがあったせいで、時折新聞の文芸欄などに目を通して居ますが、先日M新聞の毎日歌壇を見ていると『ささやかなれどプライドは有るパートにも、だから私も名前を呼んで』と少し字余りの川柳のようなのが特選に選ばれて居り、私は奇異な感に打たれ愕きました。スーパーの店員さんでしょうか、自分がパートと呼ばれたことに抵抗を憶えての歌のようです。評には“パートタイムで働く自分も同じ従業者として尊重して欲しいとの願いが胸に刺さる”とありました。誰から呼ばれたのか読み取れませんが、上司ならパートの名前を呼ぶのが常識ですから、特定の者に対して“パート”などと呼ぶ非常識な上司が若し居たなら此は明らかにパワハラものであり、“名前で呼んで下さい”とはっきり言い返し、店長にでも進言して上司を譴責させるべきでしょう。よくこんな詰まらない短歌が特選になったものだと呆れて隣の短歌に目を遣ると、これは又『愛の名の下、許されていることを実行、すごくごく事務的に』と女性からの投稿でありましたが、己が夫への復讐かと思えるもので、極(ごく)の形容詞に籠められた敵意が夫婦間の心の亀裂を禍々(まがまが)しく描写しており、どうしてこんな短歌が入選したのかと情けなく思いました(;;)。こんな詰まらない歌を考える暇があれば離婚訴訟でも始められた方が良いのではと思ってしまいます。短歌の分類として植物詠、自然詠以外に生活詠、家族詠等がありますが、始めの歌は職場詠ですが、此の歌は家族詠に入るとも思えず、強いて創れば愚痴詠とでも謂うのでしょうか(;;)。こんな入選作もありましたよ。『一日も欠かすことなく生きてきたこれってなかなか凄いことだなあ』、此が川柳でなく短歌とは嗤ってしまいますね。ひょっとして仲畑流万能川柳の採用率5%とは違い、短歌は投稿が少ないので誰でも採用されるのではないかと思った位です。万葉集並みとまでは行かなくても、もう少しマシな歌が創れぬものでしょうか。最近の投稿短歌は品がなくなり質が低下しましたね(;;)。時事川柳、サラリーマン川柳、健康川柳など読む人が膝を叩いて共感する川柳とは違って、短歌の世界そのものが時代の流れに逆らって別世界のオタク人間として生きているせいなのでしょうか(;;)。
女子プロゴルフツアー宮城TV杯橫峯さくら選手は先週の優勝疲れからか無念にも3位がやっとでした(;;)。
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三人の女傑
盆も済んで愈々8月も終盤を迎えました。衆議院選挙も後1週間となり世論調査の結果は現在の処民主党は当選者数が300名を超す勢いであり、100名がやっとの自民党は最早惨敗が決定的になったようです(;;)。此の大きな差は各党の支持者の数によるものでなく、全てゼニとコネに無縁な無党派層の存在によるものでありますから恐ろしく、世の中も随分と変わったものですね。“驕る平家は久しからず”でありましたが、然らば民主党が源氏かと謂えば短命を暗示してようであり、再び歴史は繰り返されることでしょう(;;)。
何事にも綺麗ごとで済まないのが政治の世界であり、線の細い牛若丸鳩山由起夫に果たして海千山千ド狸の官僚達を禦して行く胆力と粘り強さが備わっているとは到底思えず、何時かの細川護熙さんのようにしぶとい官僚が嫌になって“ヤーメタ”などと政権を投げ出されるのではないかと内心憂いて居ます(;;)。
熱戦が続いた高校野球も愈々明日は優勝校が決まりますが、惜しくも決勝進出は逃がしましたが準決勝まで勝ち進んだ学校の中に公立高校は県岐阜商業一校でありました。金に飽かして全国から有望な少年を掻き集めたPL学園、帝京高校の優勝候補を連破しての準決勝進出ですから素晴らしかったですね。もう一息頑張って真紅(辛苦か?)の優勝旗を手に入れて頂きたかったのに無念でした(;;)。
高校野球は県対抗戦ですから、高野連も出場チームの参加資格に地元出身の選手を80%程度条件付けるべきではないでしょうか。モンゴルだらけのあの大相撲でも各部屋外人一人と決めているではありませんか!
時折お庭の花をブログでご紹介させて頂いている芦屋のNさんは、64年も前のこと第二次世界大戦の大阪大空襲に際し国が学校に作らせた防空壕が欠陥壕であって焼夷弾一つ防げなかったために身体中火傷を負い、おまけに講堂の消火が優先され生徒が放置された憤りは今も忘れることができないそうです。先日行われた大阪大空襲訴訟の第一次訴訟で足を失った原告達の過酷な半生(全生か!)を法廷で傍聴されて熟慮の結果、民間人の被災者に対し背を向ける国を相手取って来月予定されている第二次提訴に加わられることになられたそうであり、神戸新聞に写真入りで大きく報道されました。“今から楽しみにしています”と、頂戴したお手紙に書かれて居ましたから、原告団もこのNさんが味方に加わるとなるときっと心強いと思います。何せこの方は私が税理士をしている生涯で存じ上げている中で先ず三本の指に這入る女傑で火の玉のような方なのです(^^)。表面は兎も角人間なるものは、さてとなると女が男より度胸が良く男は口ばかりで行動力に欠けると謂われますが、このNさんはその典型的な方であり、嫁に来られた家が代々貸地業を営んで居られましたが、阪神大震災で自宅は全壊、貸地は全て全焼と丸裸になりながら、“人生苦がありゃ楽もある”と自らから好んで茨の道を選ばれ、震災特例法だとか何とか言って土地は借家人のものになるなど流言飛語を用いて被災者を惑わす共産党の介入にもめげずに粘り強く貸地人、借家人と交渉を重ね更には平成9年平成17年と2回に亘る区画整理事業を芦屋市と闘われ、今では総資産10億円を超える資産家となられました(^^)。元々Nさんは普通の家庭の主婦だったのですが、家庭には幸運?にも天敵のような姑が居られ、日柄鬼嫁のように近所中言い振らされた数十年の間に何時の間にか打たれ強くなられたことが今日Nさんのエネルギーの原動力ではなかったかと思います。又、一方ではベンチャー株で数千万円損をしたかと思うと片方では金相場で数千万円の儲けと此が男なら到底手が出せない相場に大金を張られますから魂消てしまいます。小心者の私など爪の垢を頂戴したいと思いますが、本質的に女と男の性(さが)の違いでしょうね(;;)。
ついでながら後のお二人の女傑をご紹介しますともう一人は10年前に亡くなられましたが、大正7年生まれ小学校4年卒業で小豆島から女中奉公に神戸に来られ、その利発さを認められて女中先の鉄工所の嫁となられましたが、主人が夭折されたため社長にさせられ何も分からぬ儘に厳しい舅と姑の許で口答えすら赦されず“烏は白い”と言わされて、女手一つで義父母と子供3人と従業員20名を養って行かれることとなりました。縁あって私は昭和37年に会社組織にされる直前から仕事上のお付き合いをさせて頂くこととなりましたが、当時は未だ高度成長の萌芽期前でありました。この社長は小学4年までしか教育を受けられなかったにも関わらず、肝っ玉が大きく天性の勝負師であって時代の趨勢を先読みされ、舅と姑を看取られた後、此からの時代は良い仕事をするためには良い機械を使うことだと独力で覚悟を決められ、当時は大企業しか所有することがない一台が数千万円と年間売上高にも匹敵する高価な“倣い旋盤(今ではコンピュータで自動制御する旋盤の趨り)”を導入することを決意され、私が制止するのも振り切って大隈鉄工所の工作機械を購入されたのでした。今思えば清水の舞台から飛び降りたつもりであったかと思いますが、家屋敷の全てを抵当に入れたとは謂えお金を貸してくれた114銀行の支店長も偉かったと思います(^^)。此の大きな賭けはその直後にじわじわと到来した高度成長期に飛翔して見事女社長の勝利となり借金は僅か5年で完済され、その後は新しい旋盤が何台も稼働するようになり、丁度お向かいに在ってそれまで規模は同じ位だったU鉄工所を抜き去り売上高にして10倍を超えることになりましたから勝負には瞬時の決断が必要なことを思い知らされました。此の社長は時代の先端を行く工作機械に思いを馳せる一面、義父母から徹底的に教え込まれた職人の処遇を江戸時代宛ら頑なに護って居られ、世に丁稚奉公などと謂いますが、実際にその存在を確認したのはこの社長と巡り会ったときでありました。私はそれまで本でこそ読んでいましたが、自分の住む現実の社会に“年季”とか“丁稚奉公”なんてものが未だに存在することに気付かず、この社長から“誰それはこの3月で年季が明けるので給金を幾らにすればよいか”など質問されて愕いたことからです。何でも丁稚奉公は中学校(戦前は小学校)を上がってから住み込みで5年間無償で働く約束事であり、その間は食事と睡む処だけは与えられますが無給であり、休みはお盆と正月だけが決まりであったそうです。
そうそう私が此の会社の顧問として採用して頂く際、そのときはまだ健在であったお姑さんが唯お一人で直接私を面接されましたが、絽の着物をきりっと召され、その眼光と質問は私から一つの嘘も見逃さない鋭いものであり、思わず背筋が震えたものでありました(;;)。“此の姑にして此の嫁あり”であったでしょうか。
女傑の最後は明治の生まれ現在100歳老人ホームで悠々自適で過ごして居られますが、30年程前、株式の売買で一株300円を1万株買い500円に上がったら売らずに更に1万株買い増しされたのがお得意先であったA社の社長でした。これとて言うは易く行うは難しであり、勇気だけでできるものでなく、実(げ)に女性は強いものだと感じ入った次第です(^^)。
男ってダメですね(;;)
嫁と姑の確執については太古の昔からの倣いでありますが、近年経済事情の変化と共に家庭が核家族化して姑と嫁が対峙する場が多く失われたことは実に悲しむべきことであり、姑の嫁いびりは実はしっかりした嫁を育てるために不可欠なものであって、嫁を鍛えるためにはいびりが最も効果が高いことを経験則として代々世襲されてきたものでしょう。上記の女傑は何れも長期間姑と対峙された修羅場を超えてこられたからこそ、実社会での難関をも凌ぎ切る底力や知恵が備わったものであって、姑のいびりは感謝されこそすれ決して謗(そし)られる筋合いのものではないと思います。近年嫁のできが特に悪くなったのは姑の薫陶を受ける機会を失った不仕合わせに起因していると考えるべきではないでしょうか。
神奈川県大箱根で行われた女子プロツアーCATレディースは橫峯さくら選手復調もイマイチであり、8アンダー5位タイとは無念でした(;;)
83歳で東大院生に…
今日はお盆の真っ直中です。先週の9日夜突然兵庫県佐用町を襲った颱風9号が齎した豪雨は収穫期の名産黒大豆等に致命的な被害を与え、おまけに颱風による避難途中に多数の方が濁流に呑み込まれ亡くなるなど、避難をせずに自宅に留まっていれば可惜(あたら)命を落とすこともなかったものを…と避難経路にまで心が配られなかったことは、役所の防災対策に大きな見落としがあったに違いないと無念遣る方なき思いが致しました(;;)。
それに加えて大規模な東海地方の地震の勃発で一部が無惨にも崩壊した東名高速道路のお陰で車での帰省予定客もその多くが電車や飛行機に振替えられることになりましたが、今回の地震による道路の崩壊はETC高速料金1000円のお陰で倒産寸前のフェリー会社の怨念が神に通じての大自然の為せる業ではなかったでしょうか(;;)。
毎年夏の風物詩であるキリギリスを購入しては鳴き声を楽しんでは幼い頃を回顧して居ますが、今年買ったキリギリスの内に雌も2匹居たために雌雄同じアクリルケースに入れて産卵させる予定だったのですが、庭の雑草が見事に繁り三角バッタの幼児が多数飛び交っているのを見て、キリギリスを自然に帰すことに決めケースから出して庭に放して遣りました。“やはり野に置け蓮華草”とは播磨の俳人瓢水の作であり、そのものに相応しい環境が望ましいとの意味ですが、全く手入れのされていない草茫々の庭は昆虫にとっては天国であり、キリギリスも庭に馴染んでから一段と鳴き声も大きく澄んで参りました(^^)。然し最近よく飛来している燕に捕まらないかと気掛かりですが、キリギリスにしてみれば草原?を自在に移動し三角バッタを好きなとき好きなだけ食べられる環境は悪くなく、燕に捕まっても死の恐怖を知らないため籠の鳥?で玉葱だけ与えられて居るよりずっと幸せでしょうね(^^)。
久し振りの庭の写真ですが、庭と言うより丸切り叢(くさむら)というか草原です(;;)から愕かないで下さい。ビオトープなど何処に隠れているのかまるで見えなくなりました(;;)然しカエルやトカゲ達の住環境には最適だと思いますよ(^^)ところどころで咲いているピンクのヒルガオが可愛いですね(^^)。10年前此の庭に根伏せしたのが少し宛縄張りを広げ、現在では庭全体に根を降ろして居ますが秋風が吹くと間もなくピンクのカタバミと入れ替わり休眠します。
自民党の向こうを張って、民主党がマニフェストで示した中学卒業まで子供一人当たり2万6千円の手当は定額給付金に輪を掛けた椀飯振舞ですが、全く以て狂気の沙汰である処は財源として所帯主の課税所得を算定する際の配偶者控除や扶養控除を全廃するとの暴論でありました(;;)。配偶者控除の廃止は幾ら歳を取っても専業主婦は許さんぞ!と働かない配偶者を否定する愚かな法案であり、5年前老年者控除を廃止され年金控除まで減額されてこの上の扶養控除等の全廃は老齢の両親を扶養し介護している年金生活者の退路を断つものです。日経の社説では“此の思い切った子育て手当を出せば我が国でも出生率向上が期待できよう”と結んでいますが、笑止千万と謂う他なく、子供が欲しい者は助成金の有無に関わらず産む努力を続けるでしょうし、そうでない者は、嬰児一人産んで1日1000円足らずで何ができるのか!とソッポを向くに相違ありません。要するに少子化の解決を金銭で済まそうとする処に根本的な誤りがあって、大切なことは心の問題であり、お金の問題など些末なことに過ぎず、真っ先に望まれることは虚栄か或いは生活苦から働き蜂と化した女性に対し遅蒔きながら母性本能の回帰を促す初等教育の徹底にあるのではないでしょうか。
少子化を憂える余りに高齢者へ増税の追い打ちを掛け早く死ねと謂わんばかりのマニフェストなど誰が考えたものかと訝しく思いますが、例え実現できても26000円の累積と高齢者の恨み辛みは何れこの子供達が将来背負わなければならぬ1000兆円にも膨れ上がっているであろう借金の一部になるだけかと思われます。民主党も自民党も一体から何を考えているのか。“儂等の死んだ先のことは知らん”とでも思ってのことか!
先日伊吹文部科学相が大津市内の講演で“衆議院選挙では借金の後始末をする政党と借金の後始末などせずに後は野となれ山となれと言っている政党の選択になる”と発言しましたが、一体からその借金は何処の政党が作って何に使ったのかその辺をはっきりと言って欲しかったですね(;;)。
東京大学の北岡伸一教授が日経新聞の“明日への話題”で次のような愕くべきことを述べて居られました。東大では学士入学と謂う制度があり、卒業生のための編入試験があるそうですが、此を利用して引退後に学ぶ勇者が最近は増えてきているそうです。簡単には受からない難関ですが数年前に学士入学されたY氏は海軍兵学校卒、旧制第二高等学校(現東北大学)卒、新制東京大学経済学部卒の1926年生まれ(現在83歳)の高齢でありながら、優秀な成績で法学部を卒業され、その後何度目かの挑戦で見事大学院入試を突破され今年は晴れて修士課程の1年生になられたそうです(^^)。北岡先生の言によれば海兵隊でのドイツ語教育旧制高校での英語教育は実にしっかりしたものだったそうであり、並みの学生は此処で挫折するする処を見事に突破されたことは、Y氏が企業戦士として現役を退かれるまで学生時代に培った語学に関わる仕事をきっちりとされてきた方に違いないと私は思いましたが、現在の学生など傍へも寄れぬ確固たる基礎学力を身に付けて居られ、当時の学生の学力が如何に秀でた(今の学生がダメ?)ものであったかを知って北岡伸一教授はほとほと感心されたそうです。
小生などこの歳を迎えて体力は疎か、知力に於いても最早限界かと観念して居ましたが此の先達に啓蒙され人間としての資質が月と鼈(スッポン)程違うにせよ未だ若輩73歳!と自らに檄を飛ばし、10年年長(としおさ)の先達が努力された爪の垢でも煎じて呑み、大学4年間碁を打ち続けて就職試験にも学内推薦されなかった劣等生ではありますが、勉強はダメでもコケの一念で後10年せめてネット囲碁(会員数7万人)の世界ランキング100位以内(現在65位)を維持して行きたいと決心したのでありました。将に幕末の儒学者佐藤一斎の名言“老いて学べば死して朽ちず”であります。
幸福実現党とか名前からして胡散臭い宗教団体ですが、総裁の大川隆法、奥さんである副総裁の大川きょう子共に東京大学出身とか…、特に奥さんの方は先月の初め頃よりあちこちの街角でポスターが張られ43歳の若さと美貌?を売り物に300の総選挙区と11の比例区に大挙して全員立候補者を立て衆議院選挙に雪崩れ込もうとしましたが、何故か12日急に方向転換して全面撤退を発表し、更に13日その撤回を撤回し迷走して居りましたが昨日15日漸くその方針が確定し東北比例代表一位と東京比例代表一位に予定されていた大川党首夫妻は何れも立候補を取り止めました。何があったのか良く分かりませんが、原因は山梨県以外での立候補者が意外にも全員信者さんでなかったそうで、恐らく全国100万人とか謂われる信者から総括されたものではないでしょうか。或いは自民党に票を渡して今後の貸しを作ったのかも…(^^)。
此の政党のマニュフェストは贈与税、相続税、消費税の全廃とか…(^^)幸福実現党と名前だけあって言うだけ只とは謂え美味しそうなことを言ってくれますねえ。地方区は全員泡沫候補ですが出馬が実現していれば日本人は珍しいもの好きですから比例区第一位の威力とあのポスターの力を借りて大川きょう子がひょっとして当選したかも知れません(;;)。此の党は選挙の準備費用で多額の資金を費消されたと思いますが、“幸福の科学”と謂う新興宗教の名前の売り込み代とすれば意外に安いものだったでしょうね。
お盆恒例の女子プロツアーNEC軽井沢72は先週同様橫峯さくら選手極度の不調から脱しきれず予選通過がやっとであり、終わって2オーバーは情けなく(;;)、愈々賞金女王の足許に火が付きました。今月はもう休んでのんびりし、春先の好調時のショットを思い出して頂きたいですね(;;)。
小海線には夢がある
ノーモア広島長崎、恒例の原爆忌も終り愈々お盆が近づきました。仕事の方も一段落したので13日から事務所をお盆休みにすることに決めましたが、お墓参り以外特にすることもなく、四字熟語の勉強でもしましょうか。
先日のブログで“赤とんぼ”に触れたとき、名句『蜻蛉釣り今日は何処まで行ったやら』が加賀の千代女の作品であると書きながらも“別人との説もある”と記しましたが、実は私の書棚にある『加賀の千代女500句』なる書物には何処を捜しても蜻蛉釣りの句が見当たらず、お節介にも選者の方に発行所経由の手紙で問い合わせた処先週返事を頂戴し、蜻蛉釣り云々は別人の句であると書かれたミニレターと限定300冊である非売品の書物『松任の千代女と私』を頂戴致しました(^^)。
興味津々早速読んでみると千代女の代表作とされている『起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな』すら別人の句であり、千代女が誕生しない前に出版された“其便(そのたより)”と謂う俳諧集に投句されているそうです。ま、昔のことだから彼女の人気や美貌に肖ったものと思われますが、夫の死の翌年愛児を亡くされたことすら、彼女に子供が居たと謂う確証がなく『破る子のなくて障子の寒さかな』や上記の蜻蛉釣りなど彼女の代表作とされる多くが、他から持ち込まれた可能性が高く、千代女の人気に便乗する連中が沢山居たことはそれだけ彼女の人気の高さを現していると思われます。
早速著者の山根先生(千代女の育った石川県の松任で千代女の研究の第一人者であって昭和20年生まれの高校の先生)にお礼状を差し上げました(^^)
“小海線には夢がある”今を去る55年も前大昔のことですが、このタイトルの旅行の小冊子を本屋さんで見付けて、一度は乗ってみたいと憧れていた中央線の支線(最近では八ケ岳高原線の愛称が付けられて居るとか…)でありましたが、誕生が私と同じ1935年であることも奇しき因縁であったでしょうか、中央東線に乗って上諏訪から東京へ向かうとき何時も小淵沢駅で八ケ岳の山麓を喘ぎながらスイッチバックを繰り返しながら急勾配を登って行く列車を仰ぎ見乍ら小海線への思いを馳せて居たのでしたが、やっと汽車賃など調達の念願が叶って乗車が実現できたのは大学3年生の夏休みでした(^^)。小海線は山梨県と長野県の県境である甲斐の小淵沢から終着駅佐久の小諸まで僅か80kmの短い路線ですが、西にお母さんの懐を想わせるなだらかな八ケ岳、南には対照的に峻険たる甲斐駒ケ岳を仰ぎ、遙か眼下を流れる千曲川の清流を7回横断しながら標高1000mを超える高所を走る様は夢のようであり、途中野辺山駅は海抜1345mと日本で一番高い駅であると標されて居り、停車時間に汽車を降りると真夏なのにとてもひんやりして居た記憶が残って居ります(^^)。長閑な佐久盆地の田園風景を眺め、こんな自然の中で生活できたら楽しいだろうな、それとも3日で飽きるのかな?などと考えている内に列車は終着駅である信越本線の小諸に到着し、僅か2時間足らずの車窓とお別れせねばなりませんでしたが、兼ねての思いが叶いとても充実した一刻(ひととき)でした。小諸には小諸城址の懐古園があり島崎藤村の”千曲川旅情の歌“の石碑が歌詞と共に私の来園を待ち受けて居て呉れたことも大いなる感激でありました。何しろ当時から現在に至るまで私が宙(そら)で歌える歌は藤村の”初恋”に”千曲川旅情の歌“そして”戦友“位でありましたから…(^^)
懐古園に心打たれて街に戻ると小諸銀座なんて商店街があり、心に抱いていた小諸のイメージが破れとても幻滅したこともよく憶えておりますよ(;;)
どうして急に小海線がこのブログに漂着したのか、その理由は小海線の途中である信濃川上駅の周辺にある川上村の村長を22年(村役場での執務期間を入れると47年間)務めて居られる藤原忠彦さんが先日の日経新聞“人間発見”に登場されて語られた数々のエピソードを読ませて頂き感激したことに由来します。
長野県南佐久郡川上村と謂っても誰もご存じないと思いますが、この村は標高1300mに位置し、古来寒冷地のため米作に適さず、粟や稗を作り農閑期の8ケ月間、男は諏訪の寒天工場へ、女は岡谷の製糸工場へ出稼ぎに行く貧農部落であり、藤村の“千曲川のスケッチ”には“信州の中でも最も不便な…貧しい、荒れた山奥の一つ”と書かれた寒村だったのですが、標高が高く水が冷たい地質である自然条件が高温では直ぐに薹立ちするレタス栽培に適していることが分かり、我が国の各家庭の生活様式が洋式化してきたことからレタス生産を拡大され現在では台湾にまで輸出されるようになり、村にはレタス御殿と謂われる豪邸が建ち並び、農協の販売額は加盟農家数1戸あたり08年度で2500万円にも達するそうです。更には15年も前に若者達のために文化センター(500人収容のコンサートホールに150吋のハイビジョンシアターや24時間使用できる図書館や大浴場など)が創設され趣味やサークル活動の拠点となり、労使の争いから小海線のダイヤと路線バスのダイヤが接続せぬため赤字続きで廃止が決まった民間路線バスを買い取って村営化してスクールバスにも併用して黒字化に成功され、又地上波TVの難視聴地域のため86年にCATVを村の全戸に導入し、村役場内にTVスタジオを設けて村内の催しや野菜市場の市況データから村内3ケ所に設置した気象観測ロボットより蒐集した気象データを分析してニュースで村民に提供しているそうですから都会よりずっと進歩した生活環境ですよね。満天の星が綺麗な夏には首都圏より多くの若者が訪れ地元の青年達との交流が盛んになり、そして女性が夢を抱いて楽しく安心して暮らせる施設(ヘルシー施設かわかみ)まで整っているため一人当たり医療費の少ないことで有名な長野県でも川上村は格別に少なく、おまけに此村にお嫁に来る女性に高学歴者が多いのも特徴だとか…(^^)何でもアルバイトや八ケ岳に訪れた都会の女子学生が川上村に魅せられてその儘嫁入りしてしまうことが少なくないそうで村長自身招待される結婚式は年に20回以上あり、近隣市町村の首長から羨まれて居るそうです。
お嫁さんと生活の心配さえなければ都会で学業を終えた村の青年達も勇んで帰村しますよね(^^)。30~40代の農業従事者は全国平均の11%を遙かに超える37%にも達して後継者に不足せず出生率も1.88と全国平均(1.34)を遙かに上回っていて高く、子供が5人以上もいる世帯もあるそうです(^^)から到底農村とは思えませんね。
此の村長さん土性骨の太い処はバブル最盛期に農業とリゾート産業とは体質が合わぬと、県からの要請があったリゾート法の指定地を断固拒否されたことであり、若し其の儘県の言いなりになってリゾートホテルなどに手を染めていたら、現在では死屍累々の惨状となり、今も川上村は藤村の書いた“信州の中でも最も不便な…貧しい、荒れた山奥の一つ”でしかなかったのではないでしょうか(;;)。
名監督の下の弱卒なしと謂われますがこんなに貧しい農村でも、勝れた指導力を有する人材を長(おさ)に選べば、都会から嫁が来てくれるまでになるのですから素晴らしいですね。
この村長さんの生涯の夢は農業は人類にとって最後に残る生活産業であり“世の中にはお金で買えない大切なものが沢山あり、他人への思い遣りや社会的弱者への労りの心が欠けているので、自然の力で人間にゆとりを持たせて心を癒す自然環境が整った農村の存在を孫の世代に残したい”と謂うことだそうです(^^)
ガンバレ川上村の村長さん!
清純派のアイドルだった“ノリピー”こと酒井法子が覚醒剤事件で逮捕され、世間をアッと言わせました。最高裁のコマーシャルにまで出ていましたから身辺非の打ち処がない清潔感溢れるタレントかと誰もが思って居ましたよね。聞けばお父さんは暴力団の親分で弟も同類とか…(;;)亡くなった美空ひばりと山口組三代目の関係など知らぬ人もなく、どうやら芸能界と謂う処は同和と暴力団絡みでないと生きて行けない処らしく、あの藤原紀香も加古川の同和出身者だと何かに書いてありましたから芸能界は表と裏ではまるで違う怖い処で堅気の者には向かぬ世界なのでしょう。
最高裁は事件の発覚に慌て、広報用映画の主役に酒井法子を抜擢して製作した映画“審理”の使用を配信停止し、更に広報用ポスターなども撤去することにしましたが、卑しくも最高裁ともあろう者が主演裁判員を演ずる俳優の身元調べすらできぬなど巫山戯(ふざけ)た話であり、その内裁判員に暴力団員が選ばれるのではないでしょうか(^^)
トップアイドルまで駆け上がった酒井法子ですが、留置場では一般の犯罪者として全裸にされ隠したものの有無を調べられますから、彼女は果たしてその屈辱に耐えられるでしょうか?
3週間振りの女子プロゴルフツアーアクサレディースは北海道苫小牧で行われ橫峯さくら選手は全英オープンを蹴ってまで賞金女王を目標に国内ツアーに拘り二日目トップで折り返しましたが、最終日優勝を意識してスコアを崩し惨敗でした。(;;)勝利の女神は常に無欲の者に微笑みかけることをきっと思い知ったことでしょう。
盲目の保母さん
梅雨とは名ばかりで空梅雨だと言っていたら、先々週から北九州に山口県と豪雨による崖崩れなどで痛ましい多くの犠牲者が出ています。こんなに大きな災害が起きながら自民党政府は林防災相を災害現地に派遣して“ハイお仕舞い…”とはハテ?解せぬ話です。災害を利用するのは正攻法ではありませんが、事故直後自民党幹部達が挙って被害者の収容されている体育館などに作業服姿で駆け付け、お年寄りを励まし元気付けている処をメディアを通じて報道させ明日は我が身と案じて居る国民にアピールする知恵位浮かばなかったとは読みが浅いですね。麻生総理など福岡県は地元ではありませんか!解散で窮地に追い込まれている自民党にすれば此の災害を奇貨として来月末選挙の人気回復に資する千載一遇のチャンスだったでしょうに…アホやなあ(;;)
それにしても九州自動車道では道路公団の災害予知による道路封鎖の業務連絡が実行されるまでに1時間以上も掛かりその間に車が土砂崩れに遭って二人の尊い犠牲者が出て居ます。内一人は熱気球の日本チャンピオンだとか…時間当たり雨量や連続雨量が道路封鎖の条件になるそうですが、その一定雨量になるまで豪雨の中を漫然と手を拱(こまぬ)いていて、条件が満足したからと、やおら“どっこいしょ”と高速警備隊に連絡するなど人の命を何と思っているのでしょうか!全く以てお役所仕事にも困ったものです(;;)が、遺族の補償は全額国がしてくれるからとこんな弛(たる)みきった仕事をされては国民が堪りません。犠牲者の補償は道路公団の関係者全員が自腹を切れ!
蝉の声がすれば夏本番と謂われますが、将に夏本番が到来しました。最近ぐっと数が少なくなりましたが寒蝉(つくつくぼうし)の声が早く聞かれるのが待ち遠しいですね(^^)然し、秋が来たなら来たで、此の分では今年も悪い年であり、又大きい颱風が来て我等日本列島に甚大な被害を齎しそうな不吉な予感がしますがハテ?どうなることやら…(;;)
福知山線脱線事故から早いもので4年が経過致しました。JR側は29名の減俸などで事件の決着を付けようとして居ますが、遺族側は在宅起訴されたのが当時の社長山崎正夫だけであり、JR西日本最高責任者である井手正敬達3名が何の罪に問われないことを憤り検察審査会に異議を申し立てることになりましたが、事故当時相談役として此の会社を君臨して居た井手正敬は元社長で会長の南谷昌二郎(現在相談役)後任社長垣内剛(現在顧問)と親分子分の関係にあり一つ穴の狢である旧国鉄時代からのキャリア組であって、此まで数十年間大きな部屋に大きな椅子に踏ん反り返り、会議で居眠りすることと判子を付く位で篦棒な高給を貪ってきた悪い奴等です。電車の仕組みなど何一つ知らぬ文官ですからATS(自動列車停止装置)なるものも見たこともなく、口から出る言葉は経費を節減してJR東海やJR東日本に追いつけ追い越せであり、そのためには競合する阪急に負けるな!の掛け声であったことが4年前の大惨事の原因でありました。山崎社長は社長など名前だけであって何の権限もなく会長を通じて相談役の言うが儘であって、“黒い烏は白い鷺”と言わされて罪だけ押し付けられたのでは堪りませんが、組織と謂うものは誰かが犠牲にならぬと治まらぬものであり、相談役が院政を引いていた本当に悪い奴であることは誰もが知りながら検察も検察審査会も法律の限界でどうにもならないのはもどかしいでしょうね。法を破りながら何故か法に触れないこんな悪い奴等にはこんな時にこそ必殺仕事人なんてのが居れば遺族達も恨みが晴らせると思うのですが…(;;)
最近は我々が学生時代教えられもしなければ、考えもしなかった英語の発音について世間が喧(かまびす)しくなって参りました。先々月に利府高校のゼッケンのローマ字“RIFU”が発音上おかしいとお伝えした処ですが、今回日経新聞のコラムで国際海洋裁判所の判事柳井俊二さんが“ビオフェルミンで英語の発音が治る”と面白いことを書いて居られました。日本人はRの発音が苦手で外人が聞くとRight(右)もLight(光)もどちらも“Light”に聞こえるそうです。発音のポイントはRが舌を丸めて浮かせて口を尖らせて発音するとでき、Lは舌を上顎に付けて発音すれば良いそうですから、日本人ならLは自然体で話せますが、Rは口で言うほど中々上手くできず、つい舌が上顎にくっ付きます。そこでこの判事さんはRight(右)と言うときは舌の上にビオフェルミンを乗せて発音すると舌が上顎につき難くなるため外人にRだと分かって貰えると書いて居られました。まさか外人と喋るときに慌ててビオフェルミンを舌に乗せたりする訳にも行きませんから普段から舌にビオフェルミンを乗せて舌が上顎に付かぬようにRの発音練習をされたら如何でしょうか。我々のような高齢者には最早どうにもなりませんが、小学生や幼稚園児など用語の発音が辿々しい内に英語の熟語などではなくアルファベットの正しい発音方法として口の開き方や舌の使い方をしっかり教え込んだら容易にアルファベットの発音が咀嚼できるようになり、英語を履修した成人の暁には立派に英会話に資するものと思いますが如何でしょうか。何故ビオフェルミンなのか良く分かりませんが、私が毎日服用している数ある錠剤の中でビオフェルミンが一番大きく(直径約1cm)且つ溶けるのに時間が結構掛かるせいではないかと思って居ます(^^)。
今月初旬の毎日新聞にて現在私立保育園で8年間の豊かな実務経験を有する全盲女性が国家資格の保育士(最近では保母さんを斯う呼ぶようになりました)の資格があるにも関わらず大阪市の保育士の受験を断られ、更に市長宛の嘆願書(平松市長にまで届いて居ないのでは?)も叶わず、大阪市は今後も保育士採用試験での点字受験の採用は全く考えていないとつれない回答を受けたとの記事を読みましたが、全盲者は鍼灸施術でもして居れば…と言わぬばかりの大阪市の態度は明らかに障害者を侮蔑し差別したものであって私は憤激の言葉がありません。保育士は国家試験による資格であり、資格そのものには点字による受験を認めていながら受け皿の地方自治体がこのように立て掛けた梯子を登らせて於いて外すような対応では何のための国家資格かと訝しく思います。8年間も民間の保育所で充分な経験を積んで居るのであれば面接試験だけで充分ではありませんか!全盲の保育士の幼児指導に問題があるなら文科省は国家資格に点字試験を採用しなかったに違いありませんから点字試験の採用=自治体の採用受験資格と考えて当然であり、それを行政が否定するのは全く以て憲法違反でありましょう。行政は幼児に事故でもあれば自らに責任転嫁されることを懼れて障碍者の採用に腰が引けてのものに違いありませんが、此こそ事勿れ主義の役人根性の見本と謂うべきであり、障碍を有する者に育てられた園児達が将来障碍者に対してどれ程まで偏見を持たない立派な人間に成長して行くであろうことを予知しないのは愚かと云う他なく、幼児教育の根幹を忘れたものと言わねばなりません。大阪市の保育士採用試験担当者は筆記試験などの規則に拘ることなく、この全盲保育士がどのように保育所の幼児達と接して居られるか現在勤務中の民間保育所で実地検分されとくと観察されれば、此の女性が他の保育士の何倍も努力して幼児達を識別して懸命に努力され、どの保育士より幼児達に慕われていることに気付かれることでしょう。願わくば平松市長の英断にて此の女性のみでなく障碍のある保育士を積極的に採用され保育児童の潜在意識に障碍者に対する親しみと労りの心を植え付けて頂くことを祈って已みません。
この保母さんの事件は先々週のブログに搭載予定でありましたが、緊急のニュースが幾つも発生したためボツになっていました。処が先週木曜日の朝刊にて此の新聞の報道を見た全国61団体が所属する障碍者団体『DPI障害者インターナショナル日本会議』などが障碍者の権利と雇用についての見解を問う質問書を大阪市に提出し、市が再検討の結果今秋の採用試験で此の女性の受験を認める方針を固めたそうです(^^)。
然し天下の大阪市も障害者一個人の慟哭の叫びや、我々痩せ犬の遠吠えには一切聞く耳を持たず嘆願書すら握り潰して置いて、少し権威のある団体の抗議には簡単に迎合して尻尾を振るとはハテ解せぬ話です。ひょっとしたら“同和紛いの五月蝿い団体やから試験だけ受けされ後で落とせばええんと違うか?”と役所内で密謀が凝らして居るのではないでしょうか(;;)
お前ら赦せんぞ!
今週も女子プロゴルフは夏休みです。その代わり男子ゴルフではやってくれましたね。17歳石川遼選手が豪州のBジョーンズを18番のバーディーで突き放して本年度2勝目は立派でした(^0^)/
何時も何時も外人にばかり負けて居られるか!
女の“外向き”と男の“内ごもり”
泥縄ではありますがこの1週間、毎夜ネット碁も控えて漢字の勉強に打ち込みましたが、運悪く金曜日から風邪を引いて体調の良くない中を本日遙々学園都市まで『漢検』のテストに行って参りました。往路はバスの到着時間が読めず愚娘に無理を言って垂水警察経由の最短コースで送って貰いましたが、復路反対車線の渋滞振りが半端じゃなく、恐れをなして帰りは急がば回れの諺を噛みしめバスを諦め地下鉄経由で板宿まで出て山陽電鉄で帰りました。所要時間は約1時間でしたが、バスならもっと掛かったのではないかと思いました。
テストの結果は知らない言葉が幾つか出たせいもあり、余り良くなく自己採点で前回の点数とちょぼちょぼと思えますが、生来の悪筆が災いして10点位の減点は覚悟せねばなりませんから180点は所詮無理のようです。次回のテストは10月となりますが以前のように旧市内で垂水より東部の会場にして頂きたいと願って居ります。
今週はブログの愛読者であるEさんから送って頂いた幻の花“笹百合”をご紹介しましょう。此の世のものと思えぬ清楚で美しい百合ですね(^^)上が蕾であり、下が翌日の開花です。名前の通り葉がまるで笹そっくりなのに愕きますね。その幻想的な美しさから数多の愛好者が栽培に挑戦しては挫折を繰り返している自然界の中でしか生きられない貴重な植物であり、レッドデータブック登載の百合科の花ですが、人里離れた林の中でひっそりと咲いている風情は、鄙びた草庵にて隠遁生活を送る妙齢の比丘尼さながらです。六甲山中ではありますが盗掘される恐れがあるために開花の場所をお教えできないことをお赦し下さい。
この花は環境の変化に敏感なため球根での移植は大変難しく、又この花は夜の内に球根を猪に食べられたり、又は心ない人によって盗掘されて減少の一途を辿って居ますが、植え替えて球根が容易に根付かないことで有名であり、まだしも種から生育する方が育て易いそうですが、それでも開花まで育てられる方は園芸のプロに近い方でしょう。世に“ささゆりの会”なんて会があり、広汎性発達障害、学習障害などの子供達を支援されているNPO法人ですが、此の名前からも“笹百合”が如何に気難しく栽培に根気の要る花であるかお分かりだと思います。
下世話な話ですが、若し“タキイ種苗”や“サカタのタネ”から“笹百合”の種が発売されたら、大変な人気となり一粒10万円でも売れることでしょうが、空気の汚れた都会では栽培が難しくおまけに開花まで7年以上掛かるそうであり、花を見ることができる可能性は1%以下と見ました。種苗屋さんは種苗代金以上の弁償はしないのが決まりですが、逆に10万円返金のリスクが種苗屋さんの頸を絞めて発売できないのに相違ありません。弁償は求めないと一筆書いて買って行く人だって居ると思いますがタキイ種苗さんどうですか?
“男は外へ出れば7人の敵が居る”とは昔からよく謂われる言葉です。我が国では古来から女子は“奥様”と云われる如くに家に居付く習慣であってのものでしたが、さすれば女子が外へ出ればどうなんだろうかとの疑問が生じます。先日の日経“プロムナード”にて平成の世になって少し宛男が外に出なくなった興味深い話に逢着しました。それは明治大学の国際日本学部の教授が書かれた子女の海外留学に端を発する評論でありましたが、この先生の感触では一般の常識とは異なって我が国の高校生大学生の大半は海外の情報の蒐集や外国人との接触について積極的なのが女子であって、男性は寧ろ消極的なのだそうです。又海外留学希望者も圧倒的に女子が多く、外交官試験など語学力だけで選ぶなら早晩合格者の殆どが女性によって占められてしまうことになるとか…(;;)
どうして男性が“内ごもり”で女性が“外向き”になるのか、此の先生の体験ではご自分の子女3名に海外留学を薦めた処、上二人の男子は拒否し、末っ子の女子が高校生対象の交換留学生になってチェコに1年間留学しチェコ語がペラペラになって帰国したそうであり、上の二人も社会人になった今留学しなかったことを盛んに後悔して居り、あれだけ薦めたのに何故だ?と問うと“怖かった”との答が返ってきたのに対し、末っ子は“並みの人が体験できない世界を覗いて見たかった”と答えたそうです。
それでは外部への脅えが男子にのみ顕著で女子に稀薄なのは何故か?の素朴な疑問に対して先生は、人類の殆どが古来外婚(女子が部落の外へ出て他の部族に嫁ぐ)と謂う風習(血が濃くならないため)のもとにあったことに由来して居り、女子は本能的に群れから離れるように条件付けられて居て、必要に迫られ他言語の習得能力や他者とのコミュニケーション能力に秀でて居り、外部の文化に対して柔軟に対応できるからだろうと結論されています。然らば如何して此まで女性の進出が少なかったのかの疑問について、我が国では男尊女卑を建前とする社会的な要因によって女子に教育機会を与えず、よって女子の社会への進出が拒まれていたものであり、他言語の習得能力や他者とのコミュニケーション能力に欠けている男性が “内ごもり”が赦されずに江戸時代以前は謂うに及ばず明治大正昭和も仕方なく“外向き”を余儀なくされたのでありましたが、此の背景には女子が一人前の人間として扱われることがなく男子の従属物として存在してきたことに起因していたのではなかったでしょうか。
処が昭和の後期に訪れた高度成長期になって人手不足が原因で、已むなく女子を登用せざるを得なくなり、使って見ると此が意外に重宝であることが判明し、男子を抑えて出世するケースが続出し、建前であった男女同権が本音である男女同権に変革期を迎えたのでありました。此の変革期を捉えて学歴社会に於いても男子が雄の本能である煩悩のせいで勉学に身が入らぬ間に、髪振り乱して学業に没頭する女子が男子を次々と追い抜いて有名校に合格して大企業に就職し、更には一種試験に合格後キャリア官僚の道を選ぶなど女性が男子に後して活躍する時代を迎えたのでした。この度身障者用郵便物事件で逮捕された村木厚子厚生労働省雇用均等.児童家庭局長(長い肩書きやなあ)も高知大学と謂うグレードの低い大学ながらも一種試験に合格後労働省に入省し04年に課長だったのが08年には部長を通り越して局長にまで登りつめましたからゴール直前二の足を使った有能な女性キャリア官僚の草分けとも謂うべき人だったのでしょう。彼女は逮捕後地検の取り調べに対し1週間にもなるのに頑強に容疑を否認し続けてていますから、実(げ)に女は逞しいですね。
平成に入ってからは目に見えて女子の社会進出が目覚ましく社会的な環境も一変して女子が本来の実力を発揮できる土壌が培われ女子が企業の総合職となって日本中を駆け巡り、更には海外へ闊歩するようになりました。然しその反面世相の話題を分析して見ると部族内部に留まることを運命付けられていた男子が、本能に目覚めて本来あるべき姿であった“内ごもり”が常態化してきたように思われます。
話は突然変わりますが先週水曜日に川鉄の西山記念館で行われた21年度改正税法の神戸地区説明会で1000人近い税理士を前にして資産税の改正を担当した国税局の審理官は過去にはなかったうら若い(と謂っても30歳と一寸?)女性であって説明は理路整然として明解であり、その前に所得税の改正を担当した男性審理官が、唯レジメを読むだけに終始したため退屈したせいもあって女性審理官の明晰振りが余計際立ちましたから、男社会の国税局にも二種試験を合格した準キャリア組女性の進出が顕著となったようです。TVドラマでも最近は上司の女性からのセクハラ擬きの場面まであり、マッチョな男子が少なくなってきたことと軟弱化してきたことは疑う余地がありません。ここ10数年来オタク人間と呼ばれる“内ごもり”人種が多くなったことは将にこの辺りを象徴し憂うべきことであって若者の世界が変貌しましが、熟(つらつら)考えてみるに此は愚かにも男子が同じ環境から同じ土俵に上がれば異性が優位であることに気付かず“女子と小人は養い難し”などと女性を小馬鹿にしてきた因果応報と謂うべきであったでしょう(;;)。齢(よわい)を重ね段々と男子の住み難い世になって来たようです。 その内“男三界に家なし”なんて俗諺が変わったりして…(;;)。
ニチレイPGMレディースは茨城県で行われ3日目の今日豪雨のため取り止めとなったラッキーで二日目8アンダーとトップに立った橫峯選手が優勝となり今期3勝目を挙げ、漢検テスト行きのせいでTV観賞できなかった無念が晴れて快哉を叫びました(^0^)/。
素数ゼミの不思議
6月も半ばを迎え、あのインフルエンザ騒ぎは一体何だったのかと訝しげに紫陽花が咲き誇る中を『漢検』のテストが後一週間に迫りました。試験勉強にラストスパートを掛けて追込み体制に入ろうして居ますが、齢(よわい)70歳台にもなれば昨夜憶えたことも翌日には記憶が定かでなく、宛(さなが)ら賽の河原で小石を積み上げては鬼に崩される亡者にでもなった気分ですがそれでもめげずに懸命に頑張って居ります。(;;)
先週水曜日に漸く『漢検』から受験票が届きましたが、今年は昨年6月の山手短大、10月の村野工業でなく学園都市の神戸外大に会場が変更されていました(;;)神戸の街は横には交通網が巡らされている分、縦には充分とは謂えず垂水からは数少ない山陽バスを利用するしかなく学園都市は広くて会場を捜すにも手間が掛かりそうです。今回の会場の変更には曰わくがあり、あの漢検理事長親子の不祥事のため以前の会場から使用を断られたのではないかしらと思ったりして居ます。試験開始時刻は15時半ですが、電車と違ってバスは到着時刻が判然とせず日曜日とあっては相当早く出ないとバスのルートからして明石大橋1000円組の大渋滞に巻き込まれるのではないかと危惧して居ります(;;)。
写真のカエルは何故かこの3匹(他に未だ数匹居ます)が妙に仲が良く、お昼寝用にと池に沈めた陶器の置物のお人形に乗っかってカメラを近づけても微動だにせぬ処は恰も宛然と座禅を組んで悟りを啓こうとする釈尊の風格です。それとも後ろの奴が大きいから太刀持ちと露払いを従えた蛙横綱の土俵入りのつもりでしょうか?
雌雄の別は定かでありませんが待望のオタマジャクシが生まれることを孫娘と共に期待して居りますが果たして私達の夢が叶えられるやら(^^)
辺りに白く見えるのは水草の花で毎年は数日に一回ちらほら咲く程度だったのが今年は何故か爆発的に咲いています。池の水が富裕化したせいでしょうね、棲息している魚達のためにも良くないので一度水替えをしたいところですが、結構な重労働であり誰も手伝ってくれそうもなく(;;)少々困って居ります。
全盲でありながらバン.クライバー国際ピアノコンクールで優勝した辻井伸行さん(20歳)は低迷していた我が国音楽界に措ける久し振りの快挙でしたね(^^)
盲目の辻井さんの優勝で思ったのですが、何時も著名なピアニストの演奏時には必ずピアノ奏者の左側に楽譜捲りの小綺麗な女性アシスタントがドレスアップして直立不動で立ち、曲の進展と共に楽譜のページをさっと捲って居られますが、楽譜を見なければピアノが弾けないのはホンの初心者でしょうから、あれってピアノ界の慣習であって一生ピアニストとして舞台に立てる希望の失われた下手なお弟子さんを舞台に立たせるための唯のジェスチャーに過ぎないのではないでしょうか?
辻井さんにもちゃんと楽譜捲りの女性が付いていたりして…(;;)
死神に取り憑かれたなどとよく謂われますが、先日大西洋で228人を乗せたエールフランス機が墜落して乗員乗客全員が死亡したと思われる大変な事故がありましたが、或るイタリア人女性が運悪く(良く?)同機に乗り遅れ、仕方なく翌日の便でドイツに着き、オーストリア国内を自動車で移動中に運悪くトラックと衝突して病院へ搬送されましたが甲斐なく死亡されたそうです。死神って本当に居るんですね(;;)。
先日の新聞紙上でしたが、北米で“素数ゼミ”が発生する謎解きに静岡大学の研究チーム(我が母校兵庫県立大学(旧神戸商大)もチームに参加しています(^^))が挑戦して見事此を解き明かしコンピュータによるシミュレーションで米科学アカデミー定期刊行物である電子版に発表し大変な評判となったそうです。何でも13や17など素数(1及びその数自身以外に約数を有しない数)の年数毎に大量発生する蝉の謎を追って仮説の証明を行ったもので、2004年に米東部で数十億匹の17年蝉が発生した処から研究が始まり『種の個体数が一定の数を割り込むと一気に絶滅に向かう』と謂う法則である所謂“アリー効果”をシミュレーションに導入した処、17、19、13年周期の順で個体数が多くなり、その他は途中で絶滅し、素数ゼミのみが生き残った過程の再現に成功したそうです。元々数学オンチでもある上私の耄碌した頭では仮説の内容について到底理解できるものではありません。然し蝉は7年に一度生まれ1週間でその命を終える位の知識は私でも持ち合わせて居ます。そして7年そのものも素数であり、自分達の種族を存続させるために素数でない合成数の寿命を有する蝉を淘汰させる知恵を持った蝉の存在など自然界と謂う処はナント不可思議な処であるワイ…と唯々感嘆したのでありました。
尚素数の不思議について興味がある方は数年前ベストセラーになり寺尾聡主演で映画化された小川洋子著“博士が愛した数式”をお読みになられたら如何でしょうか、とても面白いですよ(^^)。
此の記事の掲載された翌日には“ヒヨコに計算能力”なる記事まで掲載されました。(^^)ヒヨコは孵化後2-3日で小さい数字を足したり引いたりする能力を身につけていることをイタリアのトレント大学とパトバ大学の研究チームが突き止めその研究結果をロンドン王立協会の会報に発表したそうです。生後間もない動物に計算能力があるなんて想像もつきませんよね。
偶然ではあると思いますが、将亦(はたまた)その次の日には今度は魚が話題となって新聞に登場しました。自然科学研究機構の東島真一教授帥(ひき)いる研究グループが、人間を始めどんな動物でも外敵から突然攻撃を受けたとき脳が混乱して錯綜し、あらぬ命令を出すことで知られているそうですが魚の場合、脳が混乱しても脳に代わって脊髄が指令を発して魚が冷静な回避行動を取ることが突き止められ、今月アメリカの神経科学会誌に掲載されるそうです。
実(げ)に脳が錯乱しそうな話題の連続ですが、蝉にせよヒヨコにせよ魚にせよ、我々人間から見れば地球上に於いて取るに足らぬ存在である此等が或いは人間の及ばぬ神秘的な超能力を有して居るのではないかと思うと恐ろしくて背筋が冷たくなりますね。ひょっとしたら地球上生きとし生きるものの内一番知能の低いのが人間様なのかも知れません。ヒッチコックの映画“鳥”ではありませんが、又昔いなごの大群に襲われて農作物を全て食べ尽くされ全員が餓死した大規模村落のことなどを思い起こすと、自分達だけのものと信じて驕り高ぶり、したい放題の地球が実は虫や鳥達のためにあったことが判明し、取るに足らぬ存在が実は人間自身であることに気付かされ、何れ人類が滅亡する日が遠くないのではないでしょうか(;;)
遠い昔弘法大師や親鸞聖人は“山川草木悉皆成仏”を唱えられましたが、或いは人類はこの中に入れて貰ってないのかも知れず、さすれば世の衆生は”歎異抄“の第四章『善人なおもて、往生をとぐ、況んや、悪人をや…』のお言葉にお縋りせねば生きて居られないかも知れませんね(;;)
女子プロツアーのサントリーオープンは地元六甲国際で4日間のメジャーとして開催されましたが、橫峯さくら選手は予選を15位で通過したのが響き最終日68の追い上げも及ばず4位に終わりました。然し賞金は此の試合で約6000万円となり依然賞金女王トップを走って居ります(^^)。
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吉村 仁
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古池や蛙飛び込む水の音
先月の終りから今月に入って日中の暑さは孟夏のそれを急に通り越して真夏に近づいたようで、こんなに早く暑さが訪れるのでは先が案じられます。梅雨のせいもあって湿度が高く、暑さの増幅はエアコンの使用頻度が高くなり必然的にCO2の発生が増加し地球温暖化(熱帯化?)が進むことでしょう(;;)
梅雨が訪れてから庭の蛙達も途端に元気になって、雨の中を大合唱して居り、私など幼き頃の虫取り少年時代を思い出して感無量です。溜池も田圃も喪失した過密な住宅街では蛙の鳴き声を聴くなど全く以て希有なことですが、現代の都会の方々には蛙の鳴き声など何の感慨も湧かぬようで、大人に倣って子供達まで無関心なのには呆れ果てます。自然との共生なんて言葉は何処かへ消えてしまって死語になったのではないでしょうか(;;)
昨年は小指の先位に小さく可愛かった雨蛙も冬眠から目覚めて何処かから現れましたが何時の間にか今年はがっしりと大きくなって余り可愛気がなくなりました。(;;)雨蛙は青い葉っぱの蔭に、田蛙は土色の場所を選んで縄張りを作っていますから、きっと鳥を警戒してか保護色の場所を離れないようにしているようです。本能とは謂え生き物は賢いですね。我々が自然から見習わねばならぬことを彼等から多く学ばされます。
何時だったか何か動物の生体誌で読んだのですが、松尾芭蕉の有名な句“古池や蛙(かわず)飛び込む水の音”は想像の産物であって、蛙は水に飛び込むときは余程愕いたとき以外は決して音を立てずに平泳ぎの選手の飛び込みのように静かに入るとのことです。そう言えばうちの田蛙達も注意深く見ていると池に入るときは決して音を立てずに水平にすっと入ります。考えてみれば段差のある処では蛙は岸に上がれない筈であり水面と高低差の少ない処で虫などを食べて居り、危険が近づくと相手に分からぬようそっと水に潜り暫く潜水をしてからあらぬ処からポコッと顔を覗かして居ますが、此も天敵の鳥達を意識しての本能的な保身行動ではないかと思われます。池の傍に居る蛙を見付けると蛙は決して池に入らないで草叢に隠れますから、蛙も芭蕉から水泳の高飛び込みのように言われるのは心外でしょうね。静寂を際だたせた芭蕉の名句が想像の産物などと思いたくありませんが、300年以上も誰もが疑わずに信じていたと謂うことは、此の句の言わんとする処が水の音(Sound)ではなくて静寂(Silence)であったのでしょう。
先週医学博士になるのにお礼さえ用意すれば極く簡単だと申し上げましたが、調べてみるとその数は文学博士の100倍にも上るようであり、同じ博士であっても中身がまるで違うようです。嘗て東京大学、早稲田大学等で教鞭を執った夏目漱石が明治44年当時は国からの勅令であった文学博士を断ったことは余りにも有名な話です。
国からの謂わば命令である勅令を辞するには明治時代でもあり、職を剥奪され獄に繋がれても巳むを得ぬ程の勇気を必要としたと思いますが、彼漱石曰わく『博士制度は学問奨励の具として、政府から見れば有効に違いない。けれども一国の学者を挙げて悉く博士たらんがために学問をするというような気風を養成したり、または左様思われるほどにも極端な傾向を帯びて、学者が行動するのは、国家から見ても弊害が多いのは知れている。余は博士制度を破壊しなければならんとまでは考えない。然し博士でなければ学者でないように、世間を思わせるほど博士に価値を賦与したならば、学問は少数の博士の専有物となって、僅かな学者的貴族が、学権を掌握し尽くすに至ると共に、選に洩れたる他は全く一般から閑却されるのを結果として厭うべき弊害の続出せん事を余は切に憂うるものである』理路整然として将に成る程と頷ける正鵠な理論であり、現代数多の博士号願望者には是非とも聞かせてやりたい言葉です。片や国が授与しようとするに対し信念を貫いて辞退し、片や袖の下を持参して博士号を貰って金の蔓にしようとするなど此の大きな落差は明治の終わりから現在までの100年間に日本人の多くが志を失って俗物人間に堕落したことを意味するのでしょうか。夏目漱石も泉下で憂国の悲哀に涙されて居られることでしょう(;;)。
次期総理の座を狙っているのか鳩山邦夫総務相が一向に進展しない“かんぽの宿”の売却問題(凍結以来“かんぽの宿”の赤字が何十億円増えたことやら…(;;))を蒸し返し西川社長の首を差し出せと強面で迫って居ります。恐らく本音は仲の悪いお兄さんに総理の座を渡したくなくてこの際精一杯目立って置く人気取り作戦に出たものと思われますが、西川社長にも言い分があり民営化以前から決まっていたものを実行しようとして待ったが掛かったもので郵政省からの引き継ぎ事項なのに如何してこうなったのか腑に落ちぬ話やと思って頑強に抵抗の構えです。鳩山総務相もメディア相手に西川社長の再任を許さんなどと吼えてみても仕方ありません。西川氏が再任するなら自分は総務相を辞任するとか一度は言っておきながら翌日になって前言を翻す慌ただしさですが、卑しくも一国の大臣が軽々しく自己の進退について言及すべきではなく誰かに注意されての撤回であったものでしょう。最近村上ファンドの登場以来“物言う株主”が多くなりましたが、鳩山さんも文句があるのであれば株主総会で決着を付ければ済むこと(政府が全株保有)ではありませんか。
一方の西川社長も又住友銀行頭取時代から定評のあるド狸の寝業師であり、身分は総務相より下でも役者は此方が上と見ました。何せ此の社長はさくら銀行と合併後太陽神戸銀行、三井銀行出身者を殆ど関係子会社か僻地に飛ばして住友出身者ばかりが栄達した阿漕が浦は有名な話であり、穏和な神戸銀行や三井銀行が三井住友に変わってから、融資条件がメチャ厳しくなり、融資先の内財務内容に問題がある会社からは取れる処から取れるだけ取って搾る処がなくなれば後は潰してしまうサラキン顔負けのあくどい商法に豹変し、うちの得意先もその毒牙に掛かり彼等の管理下に置かれ乾いた雑巾を絞るが如き酷(むご)い仕打ちを受けている会社が少なくなく全ては西川路線の踏襲が招いた悪弊でありました(;;)。
今回斯うして“罷めろ!”“罷めない”と啀(いが)み合っている二人をよく比べてみると狐と狸の化かし合いでありきっと好勝負となることでしょう。今月の日本郵政株主総会が待たれますが…と謂っても株主はたった1名ですから与謝野財務大臣でも出て来てどんな結果になるのでしょうか?西川社長解任ともなれば後任も必要だし、それも相当の大物でないと務まりませんからそちらの人選もあることだし、どちらにしてもこれからが楽しみですね。
鳩山総務相は文化財として保護しろなど無理難題を持ち出した郵便局の改築問題にまで口を出して日本郵政の収益を減少させる遠因を作っていますが、総務相としては少々越権行為で遣り過ぎであり、かんぽの宿の問題と併せこれらは何れも麻生首相自身の直轄案件ではないのですか?
この総務相も鳩山家と謂う名門に生まれながらも、妾腹だったばかりに仮面ライダーでタレントをしていたハーフの高見エミリーと結婚するなど名門鳩山家としては凡そ考えられず誰が見ても名家の名を汚したことは事実ですから、この人何処か世を拗ねたアウトローな部分があるようですね。こんな男が総理になろうなんて、クワバラクワバラ(;;)
21年前4歳の女児殺害事件の犯人として無期懲役を科せられた菅家さんの再審請求が実を結んで無罪が確定し、彼は晴れて娑婆の土を踏むことになりましたが、17年半もの永かった入獄を解かれた菅家さんの心境は如何ばかりであったでしょうか。今となっては全てが霧の中となりましたが、当時のDNA鑑定が最新の技術に比べて遙かに劣っていたとは謂え、あの当時は物証として指紋の次に此に勝るものはなく警察当局が鬼の首を取ったと思い込んだことも当然だと思うし、又取り調べに当たった警察官達の直感も正鵠を得たものであったかも知れません、然し時代の推移と共に科学の進歩が著しくよもや当時のDNA鑑定が覆されるとは誰も思わなかったことでしょう。こんな冤罪事件が起こると死刑廃止論者が劣勢を覆して再びのさばって来るのではなかろうかと私は危惧を覚えると共に、菅家さんは果たして本当に冤罪であったのか疑問を感じます。菅家さんの家族が依頼した梅沢弁護士との接見3度目で“やったのかい?”に対し菅家さんは素直に“うん”と頷いたそうです。然し人の心と謂うものは複雑であり、現在進行中のTVドラマ木村拓哉主演のMR.BRAIN(脳みその意)では脳波の読み取りによる頭脳の解析で真犯人の嘘を暴(あば)く場面が出て来ますが、早急に脳波の科学的な解析による嘘真の解明が望まれる処であり、さもなくば現在のDNA鑑定が更に精度を増し、将来数十年後に再び今回の鑑定結果が誤りであったと謂うことが起こる可能性があるのではないかと私は憂えて居ります。(;;)
今週のリゾートトラスト橫峯さくら選手は連戦の上の先週優勝の疲れが出て11位タイと低迷しました。本当は来週のサントリーオープン(メジャー大会)のためお休みしたかったのでしょうが人気者の辛い処でスポンサーのお許しが頂けなかったものと思われます(;;)
人気者は辛いぞな(;;)
“百姓読み”とは誰が言ったのか!
先週から沖縄地方など梅雨入り宣言となりましたが、梅雨に入ったかどうか何が基準で決められて居られるのか、時々梅雨明け宣言など出ずに有耶無耶にされる年がありますが、ひょっとして気象庁の連中が交代で下駄を抛り投げたりして決めているのかも知れませんね(;;)
先日インフルエンザ騒ぎ酣(たけなわ)の頃仕事で三宮に出掛けたのですが、電車も街もガラガラでセンター街の人影少なく、お昼にセンタープラザの地下で昼食を食べたら小さいカレーショップは食事が終わるまで私一人しか客が居ず、客の私と店員さん共に寂しい一刻でありました。(;;)道行く若い人は皆マスクをしているのに年寄りは殆どマスクなしであり、お年寄りは免疫で罹らないとの間違った報道によるものでしょうか、帰りの電車内で前に座っているお母さんが1歳位の嬰児に一所懸命マスクを掛けようとされて居り、マスクが大き過ぎて耳まであり、紐を後頭部を一周りして反対の耳に掛けようと努力されて居ましたが、人間の耳は反対からは引っ掛からない仕組みのため已むなく外れないように手で押さえたりして居られました。赤ちゃん用のマスクなど作られて居ないからでしょうね。(;;)
九州福岡で3年前の8月に起こった福岡市吏員の泥酔による追突3児死亡事件の控訴審が先日福岡高裁であり、一審判決が覆され目出度く被告は危険運転致死傷罪で懲役20年が言い渡されたことは皆様ご存じの通りです。
然し、熟(つらつら)考えるに此の被告が時速100キロで被害者の車に追突するまでブレーキ一つ掛けて居なかったことや、事故後逃走して友人を呼び出し大量の水を呑んで酒気を払おうと試みたことは明らかに自らの酩酊運転を立証するものであり、更に被告は口先だけで謝罪しその実、被害者が急ブレーキを掛けたとか、居眠り運転をしていたなどと被害者に過失があったが如き発言の繰り返しは余りにも見苦しく、此の加害者の人格を疑われる処であり行政の役人とは斯くも非道なものかと憤りを禁じ得ず、公僕であるべき公務員であるが故に罪が更に加重さるべきものと考えました。危険運転致死傷罪とは最近できた法律で我々には耳新しいものですが、酩酊して時速100キロ走行による死亡事故は、謂わば“未必の故意”であり、こんなはっきりしない法律より殺人罪を適用できないものかと思慮し、さすれば3人も亡くなって居れば死刑にだってできたと思いますが、懲役20年は如何にも軽きに過ぎる判決であり、彼は10年余り経てば仮釈で娑婆の土が踏めますから、幼(いとけな)い3児が永遠に帰らぬ被害者大上さん夫妻には耐え難い判決であったであろうと無念に思いました。
加害者に僅かでも他人(ひと)の気持ちを思い遣る心根があれば、3児の霊前で潔く腹を切って自裁し罪を贖うべきが人の倫(みち)ではなかったでしょうか。然るに加害者は被害者の心情も顧みず量刑不服と上告するなど神をも恐れぬ行為です。最高裁の判事達には高裁を上回る量刑判決を期待して已みません。
私は生まれてからこの歳になるまで、兵庫県の中西部にある播磨地方で生まれ育ちましたが何故か播磨地方に限って“播州”と呼ばれて居り、古くは室町時代の節用集(当時の国語辞典)に既に“ばんしゅう”とあったそうですから古来播磨の国は播州と呼ばれることが多かったようです。JRでは同名の地名の駅名が存在する場合新しい駅名には旧国名を付ける不文律が有り、此の近辺でも摂津本山とか播磨高岡などが存在しますが、赤穂も長野県伊那地方に赤穂と謂う駅が既にあったため赤穂線が開通したとき播磨赤穂と付けるべき処、忠臣蔵に肖ってのものか、或いはゴロが悪かったのか例外的に“播州赤穂”と呼ばれるようになったこともあって播磨地方を播州と呼ばれることが多くなったようです。他の地方でも信濃の国の信州や長門の国の長州そして紀伊の紀州など別称の方が有名な処がありますが、何れもJRの駅名では“信濃…”“紀伊…”と決して“州”が付きませんから播州赤穂のみ例外的な扱いであったことが分かります。
皆様は“百姓読み”なる言葉をお聞きになられたことがありますか?私はこの歳になるまでこの言葉を知りませんでした(;;)。此の私が初めて耳にした”百姓読み“の由来でありますが、或る書物に拠れば播州の播の音読みは“ばん”ではなく正しくは播種(はしゅ)や伝播(でんぱ)の“は”であって決して“播(ばん)州”とは読めないと書いてありました。然らば“は”が何故“ばん”と呼ばれるようになったかの疑問に対して碩学者の説明は、昔から無学な者がその字の“旁(つくり)”の部分だけを読んだために“百姓読み”と謂ったとのことです。成る程手偏を除いた“番”の音読みは“ばん”としか読めませんよね。
然し、室町時代から明治時代に至る間無学な百姓は平仮名すら覚束なかったでしょうから漢字の旁が読めたと謂うことは将(はた)面妖な話であり、“百姓読み”は一体から誰が言い出したのか、単に高等教育を受けながら少しも進歩しない無学な者をバカにして付けられた言葉ではなかったでしょうか。私が小学校(正確には国民学校)に上がった頃最初に先生に教えられた言葉は“ご飯の前に私達にご飯を食べさせて下さる天皇陛下とお百姓さんにお礼を申しましょう“でしたから、食事の前には小さい手を合わせて目を瞑(つぶ)り”天皇陛下様お百姓様有難う御座います“と唱えたものです。百姓読みとの対比に於いてあれは一体から何だったのでしょうね?お百姓さんも喜んでよいのか、悲しんで良いのか複雑な心境でしょう。(;;)
“百姓読み”には他にも“垂涎”(すいぜん)や“絢爛”(けんらん)など“すいえん”や“じゅんらん”がその代表とされて居ますが現在では播州の“ばん”を含めて何れも全てが慣用読みとして認められ、漢検辞典には上記3つの“百姓読み”が音読みとして立派に記載されていますから、最早何れの熟語読みも立派に市民権を得たようですが、歴史のある”播州“は兎も角として垂涎や絢爛は明らかに誤りである読みを辞書に採用することを容認するなど言葉の乱れを助長する文科省も愚かです。現在”早急”(さっきゅう)を正しく読むのはNHKのアナウンサーでも半分位であり、国会議員が国会答弁で“さっきゅう”と読んだのを嘗て一度も聴いたことがありません。私は中高生の頃此の熟語の仮名付けで×点を貰ってから、“そうきゅう”と発音したことがありませんが、常用漢字が幅を利かす昨今慣用読みなる勝手な言葉を用いて変な“読み”がゾロゾロ出現しましたから故白川静先生も泉下で言葉の乱れを大いに嘆いて居られるでしょうね(;;)。
“百姓読み”で難解なものには“病い膏肓(こうこう)に入る”が“こうもう”と誤読されて有名ですが。流石に“肓”の字は漢検辞典でも“こう”の読みしかなかったには感心しました。皆様もRとLの発音もロクにできぬ英語などにかまけていないで、漢字の読み、それも漢音読みと呉音読みはしっかりと憶えましょうね。自分の通っている学校を関西学院(かんさいがくいん)と読んで恥を搔いた生徒が居たそうですよ。関西学院はクリスチャンの学校ですから、(かんせい)と読み、坊さん言葉と謂われる呉音の西(さい)とは死んでも読んではいけないのでした。
先週神戸へ仕事で出掛けたときのことですが、お得意先の社長に乗せて頂いてメリケン波止場の南向き信号で止まっていたら、前の国道2号線でピッピーと警笛が鳴って赤い旗が振られ、白いスポーツカーのカップルが哀れ交通取締り鼠取りの犠牲(いけにえ)となりました(;;)税関前からの西行きは直線で見通しも良く時差信号だし一気に神戸まで…と意気込んで前しか見ていなかった処を上手く警察に裏を搔かれたようです。“他人(ひと)の不幸は蜜の味”と昔からよく謂いますが30年前私自身がハーレーで格好良く走っていて、鼠取りに格好悪く捕まっていた頃を思い出し、久し振り他人の不幸に快哉を叫んだものでした。(^^)
中京TVブリジストンレディースで横峯さくら選手は初日から調子が出ず11位タイで惜しくも連続トップテンを逸し8試合のタイ記録に終わったのは無念でした(;;)
池上線に搖られながら…
玄関先では昼咲き月見草が先週一斉に開花し我が世の春とばかりに咲き誇っています。此までこんなに大きい花を咲かせたことはなかったのですが、きっと昨年ピーナッツを植えていた場所の後だったので土壌が肥沃だったものと思われます。昔から“豆の後は何でもよく育つ”と謂いますものね。(^^)
庭の雑草達も負けじと毎日のようにぐんぐん成長し、花カタバミが終わったと思ったら今度は蛇苺が咲き始めました。花は金色で美しいのですが苺の実は不味く何より繁殖力が強くて一週間で1m以上縄張りが広げますから手に負えません。抜いても抜いても翌朝にはちゃんと違う処から顔を出しており鼬ごっこです。今になって少しばかり可愛いからと道端から根っ子を持ち帰って植えたことを後悔して居ますが今更後の祭りでありました。(;;)
先日FMラジオを聴いていてとても懐かしい歌に再会しました。“池上線”と謂う大昔にヒットした曲で当時流行ったフォーク調の演歌なのに何故か私の大好きな歌でありましたが、久し振りに聴いて、私が未だ若く高度成長の真っ直中であったあの頃を懐かしく回顧致しました。何せ仕事だけワンサとあるのに従業員の確保に苦労(給与の廉い零細企業には誰も来ない求人難でありました)を重ねた時代であったことをほろ苦く思い出したものです。(;;)
確か当時流行った“私鉄沿線”などに触発されたものだと思いますが、皆様はこの歌をご存じでしょうか。池上線は五反田から蒲田まで約10kmを走るチッポケな私鉄路線だそうですが、30数年前に西島三重子さんが作曲し彼女自身によって歌われ、恋人との悲しい別れをしっとりと情感溢れる処が若者達の共感を呼んでヒットしました。多感な私など幾度か悲しい別れを経験しましたから、このような歌を聴くと更に若かった日々の想い出が走馬燈のように脳裏を巡り、この歳になっても胸がキュンと締め付けられて塞がった筈の傷口が痛みます。(;;)
当時はこの歌のお陰でこの小さい私鉄路線も一躍全国区となって、地方からこの電車に乗ろうと上京した若者や訳ありカップルが殺到し、日曜日には見知らぬ乗客で満員になったと云う話も今では昔の懐かしい想い出となりました。(^^)此の曲はメロディーもさることながら歌詞も素晴らしく良かったですよね。(^^)
処が、歌詞の中に“♪古い電車のドアの傍…♪や♪話す言葉を捜しながら、隙間風に震えて…♪”と別れ行く恋人同士の微妙な心理状態が池上線の車輌のオンボロなことや状態の悪さに譬えて歌われましたから、今だったら訴訟ものであったでしょうが、当時は未だ大らかな時代で池上線を所有する東急電鉄がそれを必死に否定するコメントを出したり(^^)して居ましたが、実際には戦前の40年以上使用した鉄製の車体が多く使われていたことは事実であり、その後平成元年に新性能のステンレス製の車輌のみの運行になりましたから、この歌の作曲家であり歌手であった西島三重子さんの功績は大きいと謂わねばなりません。その後平成7年に“池上線開通80周年”記念企画の一環として『池上線の名を全国に広めた』ということで特別列車”名曲池上線号“が運転され、この歌を歌った西島三重子さんも乗車されてイベントが行われましたが、幾ら乗客が増加したと謂っても76年当時の一時的なものであり、電車をボロカスに歌われ乍ら東急も懐の深い度量のある処を披露して呉れましたね。(^^)
記念企画開催時にはヒットした頃から30年以上経過しておりこの歌を歌った西島三重子さんは昭和25年生まれですからもう50歳より60歳に近い年齢になられて居り、栄枯盛衰世の倣い、殆どの方から歌手も歌も忘れられようとして居り、参加された方々はご年配の方ばかりであったでしょう。(;;)
【池上線開通80周年記念】
私は行ったことも乗ったこともありませんが、10kmは垂水から西明石位の距離であり、そんな短い路線でも事業として採算が取れるのは如何に東京の人口が多いかを物語っており愕いてしまいます。10年間東京で暮らした愚息に聞いたら朝晩は結構満員だったそうですよ。(^^)皆様も一度この悲しい恋の歌を聴かれ昔の良き時代の郷愁に浸られたら如何ですか?
それにしても“池上線”は其処が東京にあるからヒットするのであって、例えば阪急の宝塚線とか京都線では歌の題名にとして全く相応しくなく、30数年前は未だ日本の何処彼処に東京願望が立ち籠めていたからでしょう。(^^)
恋の歌を聴いて何時も思うのですが、過ぎ去った恋に対し女性は立ち直りが早く、男は何時までも未練を引き摺っているとよく謂われます。
今風に謂うと女性は過去の恋をover writeするが、男はsave as another fileすると何かで読みました。女性は新しい恋や新しい生活で過去の全てを上書きして清算してしまうが、男は保存したファイルを取り出して何時までも未練たらしく過去を振り返っているからでしょうか。
此のことは人類の生活に於いて女性の持てる資質が環境への適応度の圧倒的に高く逞しいことを意味しているのでしょう。(;;)男ってダメですね(;;)
先日の新聞記事ですが中二の少年が大阪市の児童相談所に入所した翌日相談所の指導員から顔や腹を蹴られる暴行を受け指導員は傷害罪で書類送検されたとか…(;;)児童相談所はまるでヤクザか警察ですね(;;)家では親に虐められ助けてくれる筈の相談所がこんなことではこの少年居る場所がありませんが、相談所に連れて来られるのはよくよくのことですから、殆どの児童が親にいびられ捻くれて人との付き合いが苦手で反抗的な子供だと思いましたが、親に折檻されて相談所に来る児童が捻くれているのは当然であり、その辺りを相談所が子供とじっくりと向かい合い、児童が心を開くように時間を掛けて子供の悩みを聞きながら心を解(ほぐ)して補導するのが彼等の本来の仕事であるのに、あろうことか指導員がたった一日でキレてどうしますか!お役所の悪いところは“不適材不適所”とでも言ったら良いのか、人事異動に於いて職員の能力や特性が全く考慮されることなく、場当たり的に配転されることにあります。2年前にも学校からの申し入れ全くを無視して放置し、そのため中三の少年を餓死寸前までに追い込んだ岸和田の児童相談所が社会問題になりましたが、あの時の図体ばかりでかい女性所長がその後懲戒されたなど聞いていませんから、児童相談所そのものが全く役立たずで本来の機能を果たさず、税金のムダ遣いであるように感じられます。体罰が目的なら児童相談所など解体して警察に任せたらどうですか?
兵庫県選出の鴻池祥肇官房副長官が政治家には久し振りである女性問題で職を辞しました。何でも政府がインフルエンザ騒ぎの渦中であるGW期間中に伊豆熱海方面へ女性同伴で旅行をし、然も切符は公務でもないのに国会議員の特権である無料JRパスが用いられたとか…(;;)情報源は週刊新潮ですが、以前にも此の女性を議員宿舎に泊めたことを同誌に暴露されて居ましたから、続けて監視されていたに違いなくそれにも気付かずウカウカ温泉旅行などされるとは鴻池先生も手抜かりでしたね。
此の先生は先年“お天道様は見てござる”なる本を書いて居られますが、ゴーストライターが書いたにせよ題名まで失念されるなんてこれ又皮肉な話でしたよね。(^^)この本が再版されるとは思いませんが、若し第二版を出されるのなら“週刊新潮は見てござる”に改題された方が良いでしょうか。(^^)
カナダで新型インフルに感染した大阪寝屋川高校の生徒が足止め解除で帰阪し、家族から“お帰り”と再会を喜び合った同じ日に神戸高校で渡航歴のない発病者3名のニュースには仰天しました。世の中って皮肉なものですね。此から少し宛伝播蔓延すると考えられますが、免疫力の問題ならもっと年少のものから発症するでしょうから一番頑健であるべき世代の発病が解せません。世界経済に暗雲が立ち籠めた折でもあり、明日からの株式市場が案じられますね(;;)
福岡県で行われたヴァーナルレディースはさくら選手初日68で3位発進と好スタートを切りましたが、最終日雨と風に調子を乱し6位タイとは不本意な成績でした。(;;)
来週は連続トップテンツアー新記録(9試合目)を目指して頑張って下さいね。(^^)







