独り言」カテゴリーアーカイブ

忘れられた家族の団欒

愈々1月も最終週に入った。お陰様で愚息も少しは仕事に携わることができるようになったし、週明けからうちの事務所も確定申告本番に向かってさあ全員スタートだ!(と言っても僅か4人だけど…)。

 

木っ端役人にも傲慢な奴が居るもんだね。小田原市の生活支援課歴代職員64人が服のゼッケンに「保護なめんなよ」と自費作成したジャンバーを着用していたことが判明したそうだ。並みの神経の持ち主なら恥ずかしくてとても着て居られないと思うが、保護家庭訪問の際着用していたとか…、胸には「悪」「HOGO.NAMENNAYO」のロゴ付きだって…(><)、背中には「私達は正義、不正を見付けたら追及する」「不正受給する奴はクズ」などの英文印刷まであったそうだ(><)。彼等は人格も教養も品性も持ち合わせない最低の連中だね。福祉健康部長ら7人が厳重注意されたそうだが、ジャンバーが自腹だったからとの理由で64人にはお咎めなしだ。まるで貧しい人達を甚振(いたぶ)るサディストだが、お役人の「上から目線」って劣等感の裏返しだと謂われるがそうだよね、公僕って言葉は最早死語になって居る。ネット上では弱い人達を貶める言葉が溢れ返っているが、例えば「自業自得の人工透析患者には全額自己負担させろ!無理だと泣くならその儘殺せ!」とブログに書いて番組を降ろされたフリーのアナウンサーが居たが、国家負担の財政を減らすと謂う「正義」はどうなんだろうか。甘い物を食べなくてもお酒を飲まなくても生まれつき糖尿病になる体質の人って幾らでも居る。人の命は何よりも尊いと教えられた我々戦中派の人間はバブル期に育った傲慢な彼等には戸惑うばかりだ。

話は変わるが、お正月に尾木直樹先生のエッセイを読んでいたら20代結婚願望の男は3年前の67%から今では39%に低下し、女の方も82%から59%に減少と昨年6月に発表されたと書いてあった。恋人が居る20代男性は5人に一人で若者が恋愛に消極的な理由は「めんどくさい」んだそうだ。別の調査では20代の約20%が「結婚しても子供は欲しくない」とか…。どうしてそんな味気ない世の中になったのか熟々考えてみると、どうやら今の若者の親世代の姿勢が原因ではないかと思う。バブル期以降子供時代に友達との遊びや家族での団欒など人間的な触れ合いが少なくなり、独り食事をしてゲームで時間を消費する生活基調が人との触れ合いを煩わしく思う人間に育てたのではないかしら?学校生活も陰湿な虐めが多くて逃れるには自分の殻に閉じ籠もるしかないし、籠もった性格では恋愛も他人事(ひとごと)となるのかなあ、それが現代の浮き世であるなら今の若者達は心底可哀想だと思う。新解さん第五版「恋愛」の語釈は81才の私が今読んでも心躍るが、今の若い人達が読んでも全く意味が分からないかも知れないね?青春期に異性に恋をする感情は新解さん第五版の語釈そのものであり、あの切なく遣る瀬なく譬えようのない甘美な気持ちを味わったことがない人生なんて私には想像もできず、あの青春のときめきの余韻で今まで私は生きてきたと思うから、恋人を抱きしめ乍ら味わう心の高揚と喩えようもない心の充溢と仕合わせ感を知らない今の若者達はメチャメチャ可哀想だと思う。

尾木先生の「転び方を知らない子ども達」にもビックリした。今の子供は木登りや鬼ごっこや寒いときのどんま(馬跳び)など外遊びをしないから、背筋は弱くて転け方も知らず転けたとき手を付かないで顔から落ちて前歯を折ったり鼻骨が折れたりするそうだから驚いてしまう。だから膝なんか擦り剥けることを知らない。片足立ちが全くできないで、雑巾掛けをさせると脱臼する子までいるそうだからロボット以下だね、幾らスマホのラインが早く送れても運動能力がない子がどんどん増えてきているんだ。結婚しても腹筋がなくてはセックスだってやる気になれないのではないかしら?

子ども達の遊びと家族の団欒が失われた結果について尾木先生は嘆いて居られるが、10数年前にノーベル化学賞を受賞された野依良治さんが記者会見で『今の子ども達の学力低下についてどんな対策を取れば良いでしょうか』の質問に対し、『遠回りのようですが、家族が揃って食事を摂ることです。食卓を囲んで家族全員が今日のことを楽しく語らいながら感謝の気持ちでご飯を美味しく頂くことです』と答えられたが、含蓄のあるとても素晴らしい言葉であり心に響きました。日本中の子供が高校生になっても今こんな団欒家庭が何割いや何%あるんだろう?そうだ!学力って生活環境から生まれるんだ!家族の団欒は学力だけでなく、友人関係、対人関係などあらゆる外部との関係の原点に違いないから其れを忘れたのが今の若者なのかも知れない。子供の非行、引き籠もり、家庭内暴力は全て団欒家庭の構築への努力を怠った親達の責任なんだと思う。団欒の字から私に小津安二郎や向田邦子を想い出す。あの頃が懐かしいよ。団欒なんてなくなった証拠にこの頃は誰も団欒って漢字が書けないよね;;。

三省堂国語辞典 しかと(する) 無視すること、花札の鹿の絵から…

新解さんには「しかと」はありません

新潮国語辞典「しかと」はありません

明鏡国語辞典  しかと(する)  相手を無視すること、花札の10月に書かれて居る鹿が横を向いて居ることから…

調べて見ると1980年代に不良どもが使った俗語が生き残った言葉だそうだが、10月の鹿だから「シカト」とは単純明快だがセンスが全く感じられぬからハイソサイエティーから生まれた言葉でないことが即座に分かる。新潮さんと新解さんがこの言葉をシカトしたのは言葉に対するプライドだろう。三国は中学生が相手の辞典だから利用者を慮って已むを得ず入れたんだろうと思う。明鏡さんの型破りは何時ものことだ。

先週の読めそうで読めない漢字  首相の施政方針を論(あげつら)う

今週の読めそうで読めない漢字  (人間)到る処青山あり、「にんげん」と読まないでね

 

 

補助金と天下りの輪廻

確定申告期が其処まで迫ってきましたね。その前に今月末までに年末調整の合計表と支払調書を作って税務署へ電子申告をせねばなりません。それに各市町村にお得意先従業員の給与支払報告書を送付し、更に本年度分償却資産税の申告の提出まであり寒い毎日ですが81才の老躯に鞭打って励んでおります。これだけ国や市町村の徴税に協力しているのにお金を頂けるのはお得意先からだけですから少し矛盾ですよね。

天下り斡旋疑惑を受けて前川文科省事務次官が遡って減俸された上引責辞任した(;;)、事務方トップの辞任は前例がなく他省庁に大きな波紋を起こしそうだね。平成8年に設置され多額の税金を投じて設立した官民人材交流センターを利用した文科省役人は一人も居ない!最近の5年間退職2ヶ月未満で学校法人に再就職した役人は局長を含めて42人も居り、退職翌日に天下った者14名には開いた口が塞がらぬ。此れを在職中の就職活動と言わずしてなんと言うか!監視委員会は他の省庁を含めてざっくり抉らないと国民の疑惑は晴れまいぞ。早稲田に天下った元文科省高等局長の吉田教授は流石に堪り兼ねて辞表を提出し受理された。早稲田にしてみれば文科省の意に添って居れば年に100億円補助金が貰えるので無理難題には逆らえる道理がないから其処を突かれた訳だろうが、今回のこの天下りの発覚は氷山の一角だ.「秘書だ、専用車だ、個室だ、交際費枠は年千万円だ」と条件付きで押し込まれる天下り先も堪ったものではないが、補助金の魅力には到底叶わないから悪弊が蔓延るんだね。国から出るお金には必ず柵(しがらみ)が纏わっている。全ては国民が払っている税金が原資だから我々はもっと声を大にせねばならぬが、それだって痩せ犬の遠吠えだよな(;;)。早稲田を辞めた吉田元局長もほとぼりが冷めた頃更に何処かの学校に押し込まれるだろうから週刊文春さんよく追跡してね、続報を待っています^^。

これらの事件は全て定年前に職員の肩叩きをしなければならぬ役所の構造による歪みが齎した弊害です。60才まで置いてやれば斯様な不祥事を生じさせることがありません。「定年前だけど辞めて貰えませんか」と言うから「何処に行ったら良いの?」となって人事課が仲人役を買う羽目になります。10年位前までも各国税局では昭和30年代までに採用した中卒高卒組がコンピュータの導入で人員削減されたため高年者がだぶつき困った挙げ句58才で肩叩きし定年までの残る2年間を民間企業に顧問料月額5万円から10万円で一人20社位顧問税理士として押し込み塡め込んで居ました。企業には迷惑千番な行為でありましたが国税局の慫慂に逆らうと後が怖いので大抵は受け入れ10人くらい犇めいて居る会社もありました。民間企業には我々民間税理士が関与していたため仕事は我々がして、彼等はお金を貰うだけで会社に出社することはなく会社は経費になる税金で国税局に睨まれないための交際費なら安いものだと考えて居たのだ。ノンキャリから北海道国税局長まで上り詰めた浜田常吉が退官時に税理士となり国税局から貰った餞別の会社からの顧問料を4年間に七億円を脱税し東京地検特捜部に逮捕され世間を騒がせたのは15年前の平成14年だったから憶えて居られる方も多いと思う。40年間税金の世界に身を置いた者が巨額脱税など考えられないことだが、税務署は元の部下も同様だから目を瞑ってくれると安易に考えたものであり、地検特捜の登場まで想定しなかったのが愚かだった。脱税も2割位にしておけば局も目を瞑ってくれたに相違ないが8割は法外だった。「過ぎたるは及ばざるが如し」蓋し名言だ。

うちではある会社の社長が国税局から税理士の派遣を打診されたが、硬骨な社長で「うちには税理士が居るから余分は要らん!」と断ったら1週間して局から大勢やってきて特別調査を掛けられたから私は国税局から嫌がらせの報復手段だと思って居る。天下り問題は国会でも取り上げられたが。国会尋問で国税局の担当職員が堂々と「民間企業への斡旋を辞めるつもりがない」と証言し世間をアット驚かせたことがあったことを覚えていられる方も居るだろう。終戦後初期の大量採用は復員軍人の受け皿だったのだが、彼等は署長にするとの約束で入署したのに全員課長にもなれず上席調査官で定年を迎えたから可哀想だった。私など若い頃税務調査後のお酒の席で彼等の恨み節の聞き役をさせられた。昔は規律の厳しい今とは大違いで税務調査の後キャバレー接待が付きものだったのだ(;;)。

稀勢の里初優勝お目出度う(^^)2年間に日本人3人目だ。トランプ氏大統領就任、日本丸はどうなるか?明日の東証寄り付きが注目されるね。日経平均は暴落するのか?

三省堂国語辞典の「お持たせ」

相手の持ってきたお土産の食べ物に対する尊敬語、(相手にすぐ出すときに言う)お持たせで恐縮ですがどうぞ…

新解さんのお持たせ

客が持ってきてくれたみやげものをすぐお茶菓子にしてその客に出す言葉、…で失礼ですが

新潮国語辞典の御持たせ

(おもたせものの略)ひとが持ってきた手土産の敬称。多く、直ぐにその場で開いて客に出すときに言う。

明鏡国語辞典の「お持たせ」

貰った土産物を言う尊敬語、貰ったひとがそれを持参した人に供してすすめるときなどに使う、自分が持って行く土産物の意で使うのは誤り、「×おもたせやギフトにピッタリの菓子」

広辞苑の御持たせ

ひとが手ずから持ってきた贈り物お土産、多く持参のものをその場で客に出す場合を言う。

各辞典の語釈は見事に揃っているが、明鏡さんは特に親切に用例誤りまで掲載している。新潮さんと広辞苑は「多く」が付いているから少し違和感があります。残念ながら若い方の知らない言葉ですが蘊蓄のあるとても良い言葉で、今ではこの優雅な言葉も知る人も少なく殆ど使われることがないのが少し悲しい。

先週の読めそうで読めない漢字

ブスからコクられて後込み(しりごみ)する

今週の読めそうで読めない漢字

首相の施政方針を(論う)

配偶者控除の功罪

 

温かいお正月でしたね、松の内も今日までです。此れから来月に掛けて少し宛寒風が吹き付ける真冬が到来すると思われますが、温暖化の昨今だから何れは体感できなくなるであろう凍える冬を過ごすのも悪くないでしょう。昨夜本年の初雪で今朝玄関先の酢漿草(かたばみ)が薄化粧しているのには感動しました。

愈々28年度確定申告の準備態勢に入ります。此の度から本人と扶養親族等のマイナンバーが申告に記入が必要で例年より大変です、おまけに扶養親族の名前のカナ付けまで要るので今風の名前では当てる字が分からずわざわざ電話をして確かめるのが煩わしくて困ります。昔の名前は一郎、正男などカナに悩むことは先ずなかったのに…、絶対に教えないと言う頑な人も中に居て困って居ます。それにマイナンバーは12桁もあるから誤って伝えられることがあり、その場合入力するとエラーがでてしまう、数字については総務省もランダムでなくいろいろ苦心して考えて居るみたいです。

配偶者の所得制限が平成30年から103万円を150万円に拡大すると29年度与党税制改正大綱にて報じられた。何で…何で…?昨年夏まで配偶者控除を全廃する方向で議論が進んでいた筈だったのに…、何処でどうなったのか我々庶民には全く合点が行かぬが野党は烏合の衆で約に立たぬし、どうやら此の儘すんなりと可決されそうだ。少子高齢化が進む我が国では労働力として女性の働き手は急務だから女性の就業意欲をより掻き立てる環境は何にも増して望まれる処です。だから政府は本当に女性に男並みに働いて欲しいなら配偶者控除の全廃が究極のあるべき姿だったからその辺に与党の右顧左眄の及び腰がなんとも訝しい。然もこの改正大綱は気付かれないとても大きな矛盾を孕んでいます。

配偶者控除の対象者として夫の給与収入が多い配偶者には多少制限があるが、そんなに高給取りの亭主なら奥様もパートに憂き身を窶すこともあるまいから良いとして、この法案は財務省が他の省庁への摺り合わせをすることなく独自で決めたことであり、何時ものことだが日本のお役所には横の繋がりが全くないので厚労省は知らぬ顔の権兵衛さんだ。従って税制大綱が法制化した処で年金加入者の限度額130万円の壁は厳然として聳え立っている。だから150万円貰っても、アレヨアレヨと言う間にご亭主の第三号扶養者(掛け金なしで国民年金の加入者)を自動解除され、自らの国民年金と国民健康保険に強制加入させられて、増えた給与の殆どを年金や保険料に巻き上げられ愕然とするのは翌年の6月だから「知らなかった」と嘆いてももう遅い。大企業の場合年収106万円超で社会保険加入の壁ってものまであるから怖いよね。皆様知って居ますか?

若し財務省が厚労省に130万円の壁の引き上げを掛け合っても将来の年金支給額が減るからダメだとけんもほろろに言われれるに違いないだろう。我が国の省庁間の垣根は皇居の堀より大きく険しく、役所の縦割りは彼等の定年後の命綱として絶対に必要だからどんなことがあっても協調しないんだね。全く国民不在の税制改革と言われても仕方が無い(T_T)。

処で世の奥様方が103万円に拘る全ての元凶は法律ではなく、零細企業を除く各企業が設けて居る手当だと言ったら驚かれるかも知れないね、実は所得税法上配偶者や扶養者対象とされた家族について各企業が支給する一人6千円乃至2万円程度の扶養手当なんだ、給与が103万円を千円でも超すとこの扶養手当が吹っ飛ぶ仕組みだから誰も其れを警戒して超さないように12月の繁忙期にパートを休み、働き先の会社を困らせているが、うちの事務所では予めお得意先に11月末時点でパートさんの103万円までの余裕額をお知らせして注意を喚起することにしている。言わないと後で超えたから減らして欲しいと言ってくる横着者が必ず居て、うちが帳面の遣り繰りに右往左往しないための予防策なのだ。

配偶者控除が撤廃されたら専業主婦もキャリアウーマンも夫の扶養手当が受け取れる処に今回の税制改正大綱の盲点が隠されているが、扶養家族が多いと生活費が嵩むのは当然だとしても其れはあくまで個人的な問題であって企業が支払う労働の対価は従業員のスキルが全てであり、扶養家族の数で給与が増加することは人間味に溢れて居るが決して企業のプラスとは言えない。アメリカや諸外国って扶養手当なんかないよね?

三省堂国語辞典 仕付け

縫い目を正しくするため仕付け糸で縫ってかりに押さえておくこと。

三省堂国語辞典 躾(しつけ)

しつけること、用例→親のしつけが悪い

新明解国語辞典の仕付け 躾

礼儀作法を仕込むこと縫い目を正しくするために仮に糸で縫い押さえしておくこと。

三国は仕付けと躾をちゃんと区別しているが新解さんはどちらも同じ意味にしている。

因みに新潮国語辞典も新解さんと同意見だ。本来はきちんとすることを仕付けるというのだろうが国字に「躾(しつけ)」と言う字があるため、「躾ける」と送って使われるようになったが、「躾」が1級の配当漢字で新聞等に使用し難くいため「仕付ける」に吸収されたようだ。三国さんの見解は編者見坊豪紀の言葉への拘りだろうね^^

先週の読めそうで読めない漢字

キョロキョロすることを左見右見(とみこうみ)と言う

今週の読めそうで読めない漢字

ブスからコクられて(後込み)する

箱根駅伝

 

 

一昨日6日御用始めで新年度が稼働することになりましたが、皆様お正月は如何でしたか?恒例の箱根駅伝も三連覇の青学中心に盛り上がりましたね。でもあれって仕事で箱根東京間の国道1号線を走らねばならぬドライバーには迷惑千万ですよね。お正月であってもサービス業など普段と変わらぬ仕事は決して少なくないと思います、迂回路があると思うけど渋滞は避けられないし高速料金は高いし、そうなるとアンチ駅伝ファンも案外少なくないことでしょう。

今年の箱根駅伝では二つの問題が提供されました。一つは復路10区で神奈川大の選手が日比谷交差点を通過しようとした際、左から横断する車列が途切れず、選手とワゴン車が衝突しそうになり直前に気付いた神奈川大学の選手が蹈鞴(たたら)を踏んで速度を緩めたのでことなきを得ましたがもう数十センチで大惨事でした。完全に警視庁交通規制の失態ですが若し接触事故が起こっていたら駅伝自体が成立しなかったと思われるし、今後箱根駅伝が存続するかどうか危ぶまれたに違いないでしょう。きっと警視総監の進退問題にまで発展したと思います。詳しくは歩道から撮影されて朝日新聞に投稿された動画をご覧下さい。走者に車に気付く余裕があったのが幸いであり、車も警官も選手が時速20キロ超スピードでの疾走なのを見落としたのでしょう。激突寸前の距離まで迫っており緊迫感溢れた写真ですね。

もう一つの問題は同じく10区で関東学生連合の照井明人(東京国際大)が1時間10分58秒の快走で二番目に早かった順天堂大の作田直也1時間11分0秒を2秒上回りましたが、関東学生連合はオープン参加のため記録は残して貰えず区間賞は順天堂大学のものになったから納得できません。関東学生連合は寄せ集めだと言っても個人の記録は他校と同じ条件で走っているのだから絶対に尊重されるべきだと思居ます。平成14年まで正式記録として採用されて居たのが15年から個人記録が廃止されて只のお飾りになったそうだ、理由は分からぬがおかしいよね。誰も文句を言わないのか?

私がもう一つ気に入らないことは箱根駅伝を関東に限定していることだ。関西も九州も東北も排除して自分達だけの利権を抱え込み、全国津々浦々の長距離走の高校生を関東に自然誘導して居ます。箱根駅伝って、学生をパンダにした陸連とか何処か魑魅魍魎の利益集団の大きな金蔓なんだろうと思って居る。

昨日の朝刊の記事ですが、千葉で自由業の男性宅に窓硝子を割って空き巣が入り現金2億5千万円に金の延べ棒6本、貴金属3千6百万円と米ドルが約1千万円盗まれたそうな、お金は机の下にあり紙袋に入って居たそうだ。泥棒は見付かっても盗まれたお金が戻るかどうか定かでないだろう。そんなことよりこの記事を見て早速国税局の資料調査課(ミニマルサ)が盗まれた財産の出所を辿るべく内定に入るに違いないから、此処ののご主人こっちの方が遙かに大変なんじゃないかしら?現金は25キロ以上だし金は6キロだし泥棒さんも持って逃げるとき大変だったよね^^。処でこの大金持ちだったご主人は火事を怖くはなかったんだろうか?私だったら火事のほうは断然怖いよ。

将棋A級名人戦は羽生さんの宿敵である森内俊之が深浦康市に敗れ5敗目を喫した。オイオイどうした!

辞書の比較について先週の続きです。

三省堂国語辞典の「温かい」

温度が冷たくなくて気持ちが良い、「温かい料理』、愛情が通い合って感じが良い、「温かい家庭」、心が優しく情け深い、「温かい気持ち」←→冷たい。

「温かい」は8級の配当漢字で「暖かい」は5級だから3年生と6年生で教えられる言葉ですが先生は果たして子ども達に正しく教えているのでしょうか。因みに漢検辞典の「温かい」の語釈は「物の温度がほどよい高さである」、「温かいお湯」だし、「暖かい」は「気候や気温がほどよく快い」、「日増しに暖かくなる」などと記されています。

そこで「あたたかい」について皆様に書き取り問題です。

一、「あたたかい」地方で育った。

二、「あたたかい」スープを飲んだ

三、ご飯を「あたためる」

四、室内を「あたためる」

五、あの人は「あたたかい」心の持ち主だ

六、「あたたかい」家庭に突然不幸が襲った

我が国では戦前と戦後と昭和48年次以降と学校の国語教育が異なっていたため、全問正解出来た人は昭和48年次以降に小学校高学年に達して居た方でしょう。それ以前の方は正解に至らなかったかも知れません。実を言うと戦後のドサクサに紛れてアホな学者によって定められた当用漢字が昭和48年にチョッピリ改められて名前も常用漢字と変えられたため、温の訓読み(あたたかい)がそれまでは表外の読みであって学校では教えられて居なかったのでした。だから「暖かい」と書かれた方が多いと思います。48年の常用漢字からやっと「あたたかい」が「温」の訓読みに加えられて使われるようになったのでした。だから50歳以上の方で全問正解だった方は当用漢字以前の正しい日本語をしっかり学ばれた方ですから深い教養の持ち主だと思います。

答 一、四、五は「暖かい」が正解で、二、三、六は 「温かい」でした。皆様は如何でしたか?

先週の読めそうで読めない漢字

お話は予予(かねがね)うかがって居りました

今週の読めそうで読めない漢字

キョロキョロすることを(左見右見)と言う

那覇西高校

皆様明けましてお目出度う。

今年もブログが続けることが出来ようとは考えて居なかったので感無量です。どうか今年も宜敷お願いしますm(_ _)m。

慌ただしい年末の激務に疲れた躰をお正月はゆっくり休むことに専念しようと思って居ます。休みの日の午後囲碁ネット対局が唯一の楽しみでしたが、手術後は体力低下が著しく一局打つと50mを全力疾走したくらい疲れるので対局が難しくなりました。力入れないでテキトーに打ったら良いのではないの?と人に言われますが、私の性格として其れは先ず出来ず、又テキトーに打てばあっという間に潰されます。そうすれば自分が惨めになるし、負けるのは嫌だ、私がプライドを鼻にぶら下げて居ると人に言われる所以でしょうね(^_^;)。もう生涯碁が打てないのではないかなあ?

京都都大路の高校駅伝は「高校生の箱根」とか「駅伝の甲子園」とか囃されて年末恒例のイベントであり私も毎年TV観戦を楽しみにして居ます。出場校も外人留学生を抱えて入賞を狙う多くの強豪校から、片や部員が足らずバドミントン部サッカー部バレーボール部から選手を誘致してまで奔走して都大路への切符を手に入れた女子沖縄県代表那覇西高校など男女94チームの戦いでした。他の運動部員を参加させてまで部員不足を補った那覇西高校最下位は仕方がなかったけど1分差は立派だったよ、彼女達が無事完走できて京極競技場での万雷の拍手は嬉しかっただろうと思う^^。放映は全国版だしね。きっとビデオに撮って結婚式に使えるよね(^^)。

わたし的には男女ともに西脇工業に勝って欲しかったが、西脇女子2区の選手の足が伸びずに薫英の留学生ムセンビに1分以上置いて行かれたのが致命的だったな。彼女が自分の持ちタイムで走れていたら計算上は余裕の優勝だったから悔しいね。「たら」「れば」は禁句だが、あの小さいムセンビはメチャ早かった、薫英の留学生を使っての優勝はずっこいぞ:-)。純血主義の西脇工業に見習え!

個人情報秘匿の昨今なので出場選手の氏名欄を見るのは何より楽しみだ^^。今風の名前が圧倒する中を男子で西脇工業の加井虎造、女子で東京順天高校の森山友子がレトロ調で異彩を放って居たね^^。虎造なんて素敵な名だね。

名前と言えば私の中学三年のクラスに「松原ツ子」という女の子が居ました、当時はこの年齢で男女が会話する環境になかったし、ずっと名前の読み方を不思議に思っていましたが後年「子」が甲子(きのえね)の(ね)と読むことに気づき、アッと思った。あの当時は良くある名だったんだ。一度本人に漢字混じり名前への感想を聞いて見たかったなあ^^。

昔のことだがお得意先の横山さんに西廼(にしの)と言う姓の家に嫁がれたお嬢さんが居られ、本人曰く「姓を問われ説明しても分かって貰えずに本当に苦労します」「野ではなくて延繞(えんにょう)に(西)と書くの」と(廼)の説明は苦労極まりない^^。「だい」「ない」が音読みで「すなわち」や「の」が訓読みですが常用漢字でないため知る方が少なく書いても「はあ?」と言われるとか。いやはや、日本人の姓名は難しい。でも今はやりの無茶苦茶な当て字の名前振り仮名より昔は其れなりにちゃんと読めたから良かったね。

年末恒例の紅白歌合戦は未だに若いアイドルファンが多く圧倒的だ。私は此の数十年間年末年始の番組は騒がしいばかりで敬遠し、夜は専ら読書と静かなラジオで過ごすことにしている。紅白昔は兎も角現在では多彩なダンスや衣装などTV向きでラジオファンを全く考慮しないのは訝しい。今年の紅白には郷ひろみや五木ひろしが出たと聞く、この二人は旧アイドルVS演歌でファン層が全く違うから紅白の視聴者の幅広さが分かる反面ファンにはお年寄りも多いんだろうね。我が国は高齢者社会だったんだ.一方出演者よりも昨年の話題の人が審査員ゲストに出るから興味深く、紅白の視聴率には審査員の占める割合も看過出来ないね。「逃げ恥」のガッキーに日本ハム二刀流の大谷選手、レスリング栄誉賞の伊調選手など歌手よりファンが多いんじゃないかしら。

大晦日毎日新聞恒例のいろは歌留多は(な)「涙がヒラリー」(お)「大谷二兎追う流」の二つが出色だった^^。得票数では上回りながら何故か負けたヒラリーさん涙も堪えきれないよね。大谷選手には絶対に日本人の花嫁さんを貰うことを切に願います。紅白の記事まで大竹しのぶが歌手だったことを私は知らなかった。

お正月今朝の新聞は広告を併せて何時もの4倍もあった、新聞配達さんご苦労さんm(_ _)m。

三省堂国語辞典の「暖かい」

気温が寒くなくて気持ちが良い、懐が暖かい(お金を沢山持って居る)、暖かい色。

新明解国語辞典の「暖かい」

適度の温度があって寒さ、冷たさなどによる不快感を受けることがない様子だ。「~天気」「~ご飯」、「暖かい目で見守る」、「温かい」とも書く。

懇切丁寧な新解さんに比べて三省堂の語釈が一見少し物足りなく感じます。明鏡も広辞苑も新潮さんも新解さんと殆ど変わりません。

処が、辞典を繙くと国語辞典は三国さんを除いて何処も「暖かい」と「温かい」の区別ができて居ません、どの出版社ももどっちでも良いと考えて居ます。然し三国さんは毅然として「温かいと暖かいは違いますよ」と主張しています。なぜなら三国は常用漢字に忠実に書かれて居るが、他の辞書はそれらの点が曖昧で全く頓着していないのです。実は深いワケがあります。行数が尽きました、続きは次週をお楽しみに…^^。

 

先週の読めそうで読めない漢字

此の辞書を拠(よりどころ)とする

今週の読めそうで読めない漢字

お話は(予予)うかがって居りました

 

校閲は何をするのか

早いもので今年もあっという間に年の瀬を迎え今日はもうクリスマスです。

恥ずかしながら、私はこの歳になっても事務所員の話題に乗り遅れないようTV話題作や連ドラのめぼしいものは見ることにして居ます。最近の連ドラではガッキーの「逃げ恥」が視聴率の王者「ドクターX」米倉涼子に少し宛迫り、20日最終回には或いは逆転したように思えますが15分延長して人気を煽った割には平凡な結末は意外性を視聴者の期待を完全に裏切りましたね。私は50年前だとしても他人行儀な大女のガッキーより小さくて儚くて純情な石田ゆり子のほうに女性として圧倒的に魅力を感じますが皆様はどうでしょうか?

片や石原さとみの「校閲ガール」が現実離れした脚本の余りに雑で見るに堪えず、打ち切りまで噂されて居ましたが、脚本の杜撰さを石原さとみ一人の人気でカバーしての視聴率10%台死守は流石に私の好きな石原さとみでした。私はジミ仕事の見本のような「校閲」と石原さとみの衣装の奇抜さの乖離に唯々呆れました。あれでは三日分の衣装代でひと月分の給与を超えるに違いないでしょう。余りにも現実離れしたシナリオですがウソも通り越せば本物になるとでも言うことでしょうか。

校閲とは書類や原稿などの誤りや不備な点を調べて加筆訂正すること(新解さん第7版)とあり、著者の原稿の誤りをチェックする出版社での縁の下の力持ち的存在ですが、ドラマは校閲を出版社の総務や営業など一つの部所としか見ていませんが、実際の校閲の担当者には相当な国語力や識字力や文法力について大学修士課程を終了した程度の能力が要求される筈であり、少なくとも入社早々の新参者に出来る道理がないのが実状であり、また石原さとみのようなキャラで地味な校閲はまるでパロディーです。

彼女が校閲していて「莞爾として笑う」の「莞爾」の意味が分からなくて同僚に聞く場面がありましたが、あれしきの熟語(にっこり笑うの意)は高校生の半数が熟知して居る言葉ですから実際にはあり得ないことなので笑ってしまいました^^。ま、それはそれでドラマだから許せるとして、最近は何故か何処の出版社も校閲がだらしなくて著者の無知を無防備にモロに曝け出している処が無数にあります。

先週読んだ文庫本の中にも可笑しな個所があり校閲がチェック出来ていなかった。敢えて実名を挙げると発行所は新潮社で乃南アサ著の「禁漁区」98Pにあり、「布団の上で死ねるだけでもありがたいと思わなきゃ…」このフレーズはうっかり見逃してしまいそうだが、この言葉は三省堂国語辞典の神様見坊豪紀の用例集140万個にも入って居ないと思われ、何気に見過ごしそうな言葉でも明らかに誤った用例です。因みに「布団の上で死ぬ」をネットで検索すると「畳の上で死ぬ」の誤りと出ているが、「畳の上で死ぬ…」の意味は不慮の死を遂げない無事平穏な死の意味であってベッドでも布団でもありません。こう言うのって重箱の隅を穿るとでも言うか、私の因果な性分には困ったものです(-_-)。

因みにランダムハウス英和大辞典のBedの用例には「die in one’s bed]は「畳の上で死ぬ」と書いてあります、ベッドでも蒲団でもないことが皆様もお分かりですよね。マニアックな言葉に終始しましたが、せめて此のトシになっても正しい日本語を学びたい私の身の程知らずをお嗤い下さい。

先週木曜日新潟県糸魚川で火事があり、風が強くて10時間も燃え続け多くの住宅が焼失したが、此れから年末に掛けて被災者の方々には同情を禁じ得ません、消防本部は近隣363世帯744人に避難勧告を出したと発表しましたね、1世帯当たり家族数を計算したら2.05人です、世帯には夫婦ばかりでなく親だって子だって居る筈だし、この数字から想像するに老人の一人暮らしが如何に多いんだろうかと切なかった。侘しいね。悲しいな。

今週が今年最後のブログとなります。わたし的にはいろんな事があった波乱の一年でしたが、命と謂うものについて深く考えさせられました。7時間余りの手術から醒めて人って己の力で生きているのではなく自然の神様に生かされて居るのだと言うことを知りました。実のところ麻酔から醒めるつもりはなく躰は滅んで心は童に返って泉下に待つ父母の膝元に縋れるものとばかり思い込んで居たのでした。

今週水曜日の28日が事務所の御用納めです。年末年始は仕事で疲れたこの躰を少し労って遣りたいと思って居ます。皆様どうぞ良いお年を…m(_ _)m。

 

三省堂国語辞典の「悪女」

男を弄ぶ悪い女、邪で自分勝手な女

新解さんの「悪女」

男を色香で迷わしかねない女、親しみやすい女性をさす

「悪女」を悪役に仕立てた三国に対して、新解さんは「悪女」を良い人だと思って居るね、

 

先週の読めそうで読めない漢字

仕事の果(はか)が行く

今週の読めそうで読めない漢字

此の辞書を(拠)とする

 

 

 

 

 

 

 

 

国語辞典は面白い(後編)

早いもので師走も半ばを越えました、今年もあと僅かですね。年末調整最盛期を迎えています、年内は愚息が戦力にならないので残る四人で大変な毎日です。今日のブログは先週の続きとなります。

我が国で発行されている国語辞典は全部で20種を遙かに超えて居ます。国語辞典が一億冊以上発行されて居る超ベストセラーなのを皆様はご存じですか。ウソ!いいえ、入学祝いの贈り物だったり本棚の飾りだったりして辞書は読まれなくても出版社にとってとても美味しい商品なのです^^。皆様も本棚に埃を被っている国語辞典があると思うので一度取り出して読まれたら如何でしょうか、面白い解釈が一杯あると思いますよ。でも先週お知らせした「右」の語釈にどうしてこんなにひち面倒くさい表現が必要なのか不思議に思われたでしょうね?

私も初めはどうしてこんなに面倒でまわり諄(くど)い語釈が要るんだろう、この語釈を知りたい国語力の人なら語釈の中の漢字だって読めないんじゃないか?など不思議に思ったものでしたが、我が国の国語辞典の読者には日本語の教育を受けた日本人ばかりでなく沢山の外国人が居ることと、彼等や彼女達は日本語を憶えるために日本人の何百倍何千倍も国語辞典を繙(ひもと)いていることに思い至りました。日本人は全て基礎的な日本語を一通りマスターしているからこの語釈には奇異な感に駆られますが、「右」に限らず簡単の言葉でも丁寧な語釈が付けられているのは日本人だけでなく外国人にも分かって貰うためだったんだと思います。

「English English」といえば60数年前の学生時代に親しんだ英英辞典ソーンダイク・バーンハートが懐かしい思い出です。私達学生は英語の意味をより正しく理解するために英語の語釈をこの「English English dictionary」に求めて居ましたから、今の外国留学生達が英和辞典の続編として我が国の国語辞典を懸命に学んで日本語の語釈を知ろうと努めていることは当然のことでしょう。その意味で「右」の語釈について三国や新解さんの語釈は日本人には荒唐無稽であっても外国人には的を射たものなんだと思います。

現在我が国には全世界の各国から多くの留学生や在日勤務の方達が滞在され国語辞典の愛好者に彼等が圧倒的に多いことを皆様に知って欲しいと思います。其れも国語辞典の所有者の数ではなく読者が国語辞典を繙いている時間の長さと考えればどうなんでしょうか。外国人にしてみれば国語辞典は日本でのソーンダイク・バーンハートであり「Japanese Japanese」なんでしょうね。

因みに私の孫は東京外国語大学に学んでいますが、「日本語科」では誰が学んでるの?と聞くと「殆どが外国人留学生だよ」と返されて「宜(むべ)なるかな」と思いました。漢字の語釈今日はこれで終わりにします。

先週金曜日私が参りましたお得意先の告別式でとても驚いたことがありました。真言宗導師様の荘厳な読経が終わり参列者全員の焼香も終わって恒例の喪主挨拶になったのですが、挨拶の後で長男である喪主が自ら「哀愁列車」を唱わして頂きます、と言って朗々と三番まで譜面も見ないで歌い終わり厳粛な告別式がカラオケ会場となって終了しました.母親の愛唱歌なら一番で終わりそうですが、三番までは明らかに本人の意思であり、会葬者誰もが唯々唖然としました。一番驚かれたのはお棺に眠り三途の川を渡ろうとされて居たお母様であり、川に落っこちたのではあるまいかと危惧致した位です(;_;)。世の中には変わった人って居るもんですね。

先週毎日新聞に投稿した川柳

「子供部屋 鍵を付けない 法律に」

 

三省堂国語辞典の「姑息」

姑(しばら))く息(や)む

又すぐダメになるが、しばらくは間に合う様子。一時逃れとか卑劣なが二番目の意味

新解さんの「姑息」

姑はちょっとの意、息はやむ、其れで良いの意、根本的な対策は講じないで一時的にその場を切り抜ければ良いとする様子、俗にやり方が卑劣だ、に用いる。

二番目が知られた語釈だが、本来の語釈は余り知られて居ませんね。

因みに新潮国語辞典の「姑息」はしばらくやすむの意から、一時の間に合わせをすること。

 

先週の読めそうで読めない漢字

持ち寄った弁当を交(こもごも)に味わった。

今週の読めそうで読めない漢字

仕事の(果)が行く

 

国語辞典は面白い(前編)

今年も入院前に播種した畑の大根が少し宛大きくなって来ました。毎年秋には紋白蝶がやってきて卵を産み付け、青虫が葉っぱを食害するので虫取りが大変でしたが、今年は何故か蝶々の数も少なく青虫も僅かで私も退院後しゃがむのが億劫で虫取りに感(かま)けて居たのですがその割に葉っぱは綺麗です。大気汚染が蝶々の生存にまで影響したのかと考えましたが、それにしても青虫が少ないので、良く思案してみたら昨年まで大根畑の傍らで豪華に咲き誇っていたランタナを私の入院前にシルバーセンターに頼んで全部伐採して貰ったせいだと思いました。蝶々ってきっと上空から花を見付けてやって来てたのでしょうね^^。

 

今日は新解さんなど国語辞典の言葉の語釈についてお話したいと思います。毎週文末のお飾りに過ぎないのですが、語釈への私の感想が少しばかり長くなるので、A4三枚以内に削ったブログ構成の関係で私の履歴書の最後30年については上梓を辞めることにしました。実は後の15年に悲しいできごとが多すぎたのです。

 

三省堂国語辞典の「右」

横に広がり並ぶもののうち、一方の側をさす言葉、「一」の時では書き終わりの方、「り」の時では線の長い方。

新明解国語辞典の「右」

アナログ時計の文字盤に向かったときに一時から五時までの表示のある側、明という字の月が書かれて居る側と一致。

お互い解釈に汗を流して苦労しているのが良く分かりますね^^。

他の辞書はどうなのか調べて見ましょう。

明鏡国語辞典の「右」

人体を対照線に分けて沿って二分したとき心臓のある方。

新潮国語辞典(昭和40年発行)の「右」

東に向かって南に当たる方、人体で、普通ペンや箸を持つ手の側。

 

昔の辞典は殆ど其れまでの辞典の「てにおは」を巧妙に変えたコピペやパクリが当たり前だったのが、新解さん(新明解国語辞典)が登場し、もの凄い個性と斬新な発想を打ち出して他社のパクリを赦さない語釈を貫いたのがきっかけとなり、何処の出版社も安易なコピペで巨利を得ることが出来なくなって仕方なく独自の解釈が求められるようになったのは偏に新解さんの語釈の業績だったと思います。

「恋愛」に対する新解さん第五版の語釈を憶えて居られますか?「…出来るなら肉体的な一体感を得たいと願いながら常には叶えられないで遣る瀬ない思いに駆られたり、稀に叶えられて歓喜したりする状態に身を置くこと…」他社はどう足掻いたってパクれないですよね^^。

処で、うちにある広辞苑第五版の「右」 には「南を向いたとき西に当たる方」と書いてあります。 昭和57年発行だからひょっとして新潮国語辞典の語釈を少しだけ弄ってパクったんではないかと思ってしまいますよね。

辞書の神様の如くに敬われる岩波の広辞苑には昔から多くの批判があります。その一つは第一版に20万語も搭載して居ながらそのうち14万語は百科事典からのコピペであり、国語辞典が標榜する一般項目(専門用語でない言葉)の言葉は6万語に過ぎません。あの小さい新解さんが7万7千語を載せているから詐欺みたいですね。

広辞苑の辞書がとても引き難いのは2倍以上ある百科事典を避けて、目的の一般項目の言葉を捜さねばならぬことからだと思います。広辞苑も最近は版を重ねて少しはマシになって来たようですが、未だ未だ三国や新解さん明鏡さんに及びません。「過ぎたるは及ばざるが如く」って言いますよね。続きは来週です。

 

先週の読めそうで読めない漢字

彼は一廉(ひとかど)の人物だ。

 

今週の読めそうで読めない漢字

持ち寄った弁当を(交)に味わった。

私と朝霧囲碁道場

師走を迎えて一段と寒さが増して参りました。庭の石蕗も寒くなると元気に咲き出しています^^。

先週の続きです。今から40年前は私ももう40歳に差し掛かって居ましたが、小さい数字を相手の仕事柄老眼が進み、釣り場でハリスの仕掛け作りが少し宛難しくなってきたので10年続けて居た川釣りをきっぱりと諦め、歳も取ったことだし他に特に新しくしたいこともないので30歳で中断していた囲碁を復活させようかと考えました。仕事人間ばかりでは何か空しさが襲ってくるので何か趣味を継続したいと考えたのです。でも10年間碁石を持つことがなかったので棋力の低下が案じられて不安に駆られ、三宮駅前にある囲碁センターに恐る恐る行って見知らぬ人と対局してみるとナント!ナント!誰と打ってもボロボロに勝つではありませんか(^o^)、知らぬ人から「あなたはプロですか?」なんて言われて照れる有様です(^^;)、え?なんで?なんで?ボクって強くなっているの?と錯覚しましたが、いえいえ決して私が強くなった訳ではなく、日本棋院の営利目的による免状乱発によって段級位が何時の間にか実力を伴わぬものになって居り、一昔前には2段程度の棋力の人が「儂は5段や!」なんて威張って打っていたせいでした(^^;)。本当に強い人はこの頃にはもう囲碁センターなんかに行って碁を打ってなかったんです。なんだ!昔は容易に見付からなかった五段六段がゴロゴロ居る筈だと呆れましたが、結局免状インフレで段位が上がっていたことを知らなかっただけであり、数日間に十数局対局してみて私の棋力は上がっては居ないけど然程下がっても居ないことも分かりヤレヤレし、左脳の働きはスポーツなどと違って決して退化しないものだなと感心し嬉しく思ったものです^^。

高度成長下の頃までは他に大した娯楽など無く、住宅街や商店街の裏手には必ず碁会所があり、ゴミゴミした裸電球の下で年寄りが世話を焼いて居て、初心者から強い者まで犇めいて居り、畳は煙草の焼け焦げだらけの小さな碁会所が、社会全般の富裕化に伴い賢くない人でも努力を重ねること無く容易にできるゲームが沢山開発されて、何時の間にか急速に淘汰されてなくなり、あるのは大きな囲碁センターだけとなり、強い人ばかりか初心者にも行き難い中途半端な場所となったため新しい囲碁ファンが衰退して行ったようです。

私は友達が受験勉強で遊んでくれなくなった高二の折、ひよんななことから板宿駅前にあった仕舞た屋の碁会所で8級のお爺さんから井目(9子)置いて囲碁を教わる機会を得て、直ぐに囲碁の虜にされて毎日勉強少しで碁いっぱい…、高卒時には7級になり、大学1年の夏休みにはとことん頑張って初段(今の五段くらい)になりました(^o^)。あの碁会所のお爺さんと巡り会っていなければ私は今もこの素晴らしいゲームである囲碁を知ることが無かったかと思うと感慨無量です。

折角学校推薦の就職試験を飛ばされるまでして人生を変えて頑張った囲碁だからせめてもの恩返しに此れからは囲碁の普及に努めようとそのとき考え、思案を重ねた挙げ句、お得意先の経営する朝霧の駅前ビルの一室を借りて「朝霧囲碁道場」と名付けてオープンし私自身が図々しくも道場主を名乗り、元アマ名人西村修君を初め曾ての棋友に呼び掛けてを師範代になって貰い、私は土日と平日の夜に有段者の囲碁指導に当たることになりました。初心者の指導にはお得意先を定年退職した碁の好きなお爺さんになって頂きました。初心者の指導には棋力なんて不要なんです。ルールは「当たり」と「劫」が教えられたら其れで全てなんです。

朝霧も今では明舞団地がゴーストタウン化していますが当時はまだまだ活気があり土日など碁盤36面に空きがないくらい賑わったものです。

開業後は道場の評判を上げるためにスポニチの主催する近畿6府県対抗戦の兵庫県代表に加えて貰って幸運にも2勝1敗の成績を挙げることができ更に対局譜がスポニチ紙面を飾ることになり、道場の宣伝にもなり常連客も増えましたが、碁会所の常として料金が入場料200円とメチャ安かったため人件費を賄う利益が出る所まで行かず、私自身もバブル萌芽期でもあって本業がメチャ忙しくなって土日しか行けなくなったりして10数年存続しましたが、バブル崩壊前に遂に採算割れで廃業しました。その10数年間私は8段格として在位し、やってくる道場破りをバッタバッタとなぎ倒していましたが、なに、本当に強い連中は顔が知れているから私が打たなかっただけで、顔を知らない人は皆私より弱かったのです。

うちでは今も「週刊碁」と言う新聞を朝日新聞販売所から毎日曜日届けて貰っていますが、何時だったか販売店に垂水で何人くらい購読者が居るの?と聞いたら「5軒です」と言われ唖然としました。日本棋院からの直接購読者も居ると思うけど囲碁ファンが垂水で5軒とは寂しすぎるよな(--)AI人工知能など騒がれていても囲碁なんてメンタルスポーツは未だ未だニッチな世界にしか棲めないみたいだね。このブログの読者の中で囲碁を嗜む方って恐らく居ないんだろうな(--)。この後は来週に続きます。

 

三省堂国語辞典の「ぽっちゃり」

体つきや顔がまるくふくらんでかわいらしい。

新解さんの「ぽっちゃり」

若い女性が小太りで体全体にまるみがあり、かわいらしく見える様子。

新解さんは女性限定なんだ^^。

 

先週の読めそうで読めない漢字

あれこれと億(おしはか)る 

 

今週の読めそうで読めない漢字

彼は(一廉)の人物だ 

 

私と釣と淡水魚

 

 

何時の間にか師走も間近く寒い冬が近付いて来たが、寒がりの私にはこれからが苦手の季節となる。
今日は私の生活の一部についてお話ししましょう。私の人生は殆どが仕事人間に徹した60年間でしたが、一応趣味もあって60数年前の学生時代から始めた囲碁がその大半を占めて居ますが、碁会所へ出掛けたリ県大会に出たりだったのを50年前に限(きり)を付けて、当時流行ってきたゴルフに転向しましたが、生来非力で運動神経に乏しく、並みの人よりボールが飛ばず、有馬CCの会員として月例杯、新年杯で優勝しHD18になったものの、私の二倍近く飛ばす人を見て基本的な膂力の不足に気づき、人の上に居なければ気が済まぬ狷介な性格のためゴルフを辞め、それからの10年間は一人で楽しめる川釣りへ転向し毎日曜には早朝より始発電車に乗り、気候の良い時期はバイクに乗って加古川の河畔などで雑魚釣りをしていました。釣果は全て川に放して帰るのですが、珍しい淡水魚が好きで「かまつか」や「親にらみ」が釣れたときは必ず持ち帰って自宅の水槽で飼育したものです。
そのせいもあって仕事で須磨税務署へ行くときは必ず水族館に立ち寄ってとても大きな水槽「琵琶湖の魚たちコーナー」で楽しい一時を過ごすのが常でしたが、「バラタナゴ」など熱帯魚が霞んでしまうほど美しいので見惚れてしまい、淡水魚図鑑を耽読している私には「イタセンパラ」「ずながニゴイ」や「鰉(ヒガイ)」「すじ縞どじょう」などもしっかりと判別でき、新しい魚が入って居ないかと水族館に行く度に目を皿にして小一時間も水槽の中を眺めたものでしたよ。「鎌柄(かまつか)」など「似鯉(にごい)」の仲間ですが砂に潜って目だけ出して餌が通りかかるのを待つのが常態ですから水族館でも殆どの人には見付けられません。此奴は頭から砂に潜って口から砂を吞んでは鰓から背中や背鰭に砂を吹き掛ける得意技で、瞬く間に外見が目だけになるのを飼育していて気付きました。砂の中に隠れる魚なんて面白い奴です^^。小魚が通りかかると後ろから踊り出てパクリですから小魚は自らの身に何が起こったのか知らぬ儘にカマツカの大きな口の中で自分の境遇の不運を呪って死んで行くこととなります。
うちの近くの福田川でも30年前に水害対策の護岸工事をする前は河原の土手やワンドなどもあり、夏にはウシガエルも鳴いており、大きくないけど真鮒以外にオイカワにカワムツそれにヨシノボリもドンコ(でっちん)も棲んで居り釣り場所も沢山あり当時は小学生だった子どもと良く釣に一緒に行きました。メダカも無数に群れて戯れ、釣り座のさなぎ粉の匂いに集まってきては手で掬えるほどでした、処が行政の無情な護岸工事で擁壁と共に河川の底が均一化されてワンドがなくなり流れが速くなって魚達は殆どが海に流されて死に絶え、今居るのは大きな鯉と小さな鮒ばかりで全く風情がなく大雨が降っても水は護岸の半分にも達しないから自治体の連中は自然との共存を考えずに災害にばかり過剰に意識して人間中心になって自然保護など少しも考えない朴念仁ばかりかと怨めしく思ったものです。ホームセンターでは一匹150円で売られるなどメダカが絶滅種が叫ばれる今になって急に「福田川をメダカが棲める川に…」など募金キャンペーンなどを張って居るが、メダカを棲めなくしたのはお前達じゃないか!今更何を言うか…(>_<)。と思うのは私一ではないと思うんだけどな。
須磨の水族館は大震災で琵琶湖コーナーもなくなり、後は気持ちの悪い魚ばかりで以後は年間入場券も退めて水族館とは無縁となって居ます。
あの当時月刊誌だった「釣の友」には紀行文がよく掲載されました^^。原稿料は一銭も呉れないし、雑誌の一冊も送ってくれないけど原稿を送ったら記事と写真は「加古川に自然が帰ってきた」などちゃんとタイトルまでつけて必ず載せてくれるのです。余程原稿に困って居たものでしょうか、年賀状もくれない無愛想な出版社でしたが何時か潰れてしまい今では40年前の懐かしい思い出となって残って居ます。

先週に日経平均は暴落すると私は予想していましたが、豈(あに)謀らんやぐんぐん続伸し18500円まで上がり当てが外れましたが、お陰で私の持株の目減りは年初再悪時の2400万円から300万円と大きく戻しました^^。トランプ様々だ、来週はどうかなあ?

三省堂国語辞典の「悪妻」
夫をだいじに思わない悪い妻
新解さんの「悪妻」
第三者から「悪い妻」と目される女性、(当の本人は案外気にしないことが多い)
自分の女房が悪妻だと考えて居る男は殆ど居らず、全て第三者の偏見だと新解さんは言いたいのだろうね?

先週の読めそうで読めない字
彼の言葉に論(あげつら)うな

今週の読めそうで読めない字
あれこれと(億)る