早いもので今年もあっという間に年の瀬を迎え今日はもうクリスマスです。
恥ずかしながら、私はこの歳になっても事務所員の話題に乗り遅れないようTV話題作や連ドラのめぼしいものは見ることにして居ます。最近の連ドラではガッキーの「逃げ恥」が視聴率の王者「ドクターX」米倉涼子に少し宛迫り、20日最終回には或いは逆転したように思えますが15分延長して人気を煽った割には平凡な結末は意外性を視聴者の期待を完全に裏切りましたね。私は50年前だとしても他人行儀な大女のガッキーより小さくて儚くて純情な石田ゆり子のほうに女性として圧倒的に魅力を感じますが皆様はどうでしょうか?
片や石原さとみの「校閲ガール」が現実離れした脚本の余りに雑で見るに堪えず、打ち切りまで噂されて居ましたが、脚本の杜撰さを石原さとみ一人の人気でカバーしての視聴率10%台死守は流石に私の好きな石原さとみでした。私はジミ仕事の見本のような「校閲」と石原さとみの衣装の奇抜さの乖離に唯々呆れました。あれでは三日分の衣装代でひと月分の給与を超えるに違いないでしょう。余りにも現実離れしたシナリオですがウソも通り越せば本物になるとでも言うことでしょうか。
校閲とは書類や原稿などの誤りや不備な点を調べて加筆訂正すること(新解さん第7版)とあり、著者の原稿の誤りをチェックする出版社での縁の下の力持ち的存在ですが、ドラマは校閲を出版社の総務や営業など一つの部所としか見ていませんが、実際の校閲の担当者には相当な国語力や識字力や文法力について大学修士課程を終了した程度の能力が要求される筈であり、少なくとも入社早々の新参者に出来る道理がないのが実状であり、また石原さとみのようなキャラで地味な校閲はまるでパロディーです。
彼女が校閲していて「莞爾として笑う」の「莞爾」の意味が分からなくて同僚に聞く場面がありましたが、あれしきの熟語(にっこり笑うの意)は高校生の半数が熟知して居る言葉ですから実際にはあり得ないことなので笑ってしまいました^^。ま、それはそれでドラマだから許せるとして、最近は何故か何処の出版社も校閲がだらしなくて著者の無知を無防備にモロに曝け出している処が無数にあります。
先週読んだ文庫本の中にも可笑しな個所があり校閲がチェック出来ていなかった。敢えて実名を挙げると発行所は新潮社で乃南アサ著の「禁漁区」98Pにあり、「布団の上で死ねるだけでもありがたいと思わなきゃ…」このフレーズはうっかり見逃してしまいそうだが、この言葉は三省堂国語辞典の神様見坊豪紀の用例集140万個にも入って居ないと思われ、何気に見過ごしそうな言葉でも明らかに誤った用例です。因みに「布団の上で死ぬ」をネットで検索すると「畳の上で死ぬ」の誤りと出ているが、「畳の上で死ぬ…」の意味は不慮の死を遂げない無事平穏な死の意味であってベッドでも布団でもありません。こう言うのって重箱の隅を穿るとでも言うか、私の因果な性分には困ったものです(-_-)。
因みにランダムハウス英和大辞典のBedの用例には「die in one’s bed]は「畳の上で死ぬ」と書いてあります、ベッドでも蒲団でもないことが皆様もお分かりですよね。マニアックな言葉に終始しましたが、せめて此のトシになっても正しい日本語を学びたい私の身の程知らずをお嗤い下さい。
先週木曜日新潟県糸魚川で火事があり、風が強くて10時間も燃え続け多くの住宅が焼失したが、此れから年末に掛けて被災者の方々には同情を禁じ得ません、消防本部は近隣363世帯744人に避難勧告を出したと発表しましたね、1世帯当たり家族数を計算したら2.05人です、世帯には夫婦ばかりでなく親だって子だって居る筈だし、この数字から想像するに老人の一人暮らしが如何に多いんだろうかと切なかった。侘しいね。悲しいな。
今週が今年最後のブログとなります。わたし的にはいろんな事があった波乱の一年でしたが、命と謂うものについて深く考えさせられました。7時間余りの手術から醒めて人って己の力で生きているのではなく自然の神様に生かされて居るのだと言うことを知りました。実のところ麻酔から醒めるつもりはなく躰は滅んで心は童に返って泉下に待つ父母の膝元に縋れるものとばかり思い込んで居たのでした。
今週水曜日の28日が事務所の御用納めです。年末年始は仕事で疲れたこの躰を少し労って遣りたいと思って居ます。皆様どうぞ良いお年を…m(_ _)m。
三省堂国語辞典の「悪女」
男を弄ぶ悪い女、邪で自分勝手な女
新解さんの「悪女」
男を色香で迷わしかねない女、親しみやすい女性をさす
「悪女」を悪役に仕立てた三国に対して、新解さんは「悪女」を良い人だと思って居るね、
先週の読めそうで読めない漢字
仕事の果(はか)が行く
今週の読めそうで読めない漢字
此の辞書を(拠)とする