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1998年の独り言


1998.11.29

日本長期信用銀行がついに破綻しました、30代の東大出の元長銀マンは次のように述べています。
『長銀の破綻は起こるべくして起こったものです。他の会社へ移って初めて気付いたのですが、
あの銀行は平和すぎて誰も営利企業だという意識を持ってなかったようです。
かって高利回り商品『利付金融債ワイド』を売り出したとき、支店の周りに何重も客が並びましたが、
品切れでもないのに終業前にシャッターを下ろして客を追い出したことがありました。
大企業や大口顧客だけを相手にして店頭の一般客は虫けら扱いでした。
「楽で高給」と言う大学OBの先輩行員の勧誘で就職人気は高く、
確かにその言葉は嘘ではありませんでしたが、
先輩行員は『仕事は融資を断ることだ』と言ってはばかりません。
集金など面倒な仕事はなく、都銀マンが汗を流しながら自転車をこいでいるのを横目に
ハイヤーにふんぞり返っていればよかったのです。』

我々はこの元長銀マンの言葉から多くを学ぶことができました。
この銀行はトップが余りにも無能であり、過去のしきたりを唯護るだけの経営に甘んじ、
戸外にハリケーンが近づいているにも関らず、
戸締まりの必要を認めなかったことが今回の悲劇を生みました。
トップを東大法学部で固め、「平家にあらざるは人にあらず」と下の者の意見に耳を貸さず、
唯々前例前例と周囲の環境の変化を無視し、
改革を忘れ破滅した国鉄を長銀のトップはどう考えていたのでしょうか。
トップだけでなく誰もが自らの地位の安逸を貪って企業努力を怠ったことに尽きると思えますが、
トップには顧客、債権者、株主、そして従業員とその家族を護る責任があります。
高い報酬を獲って大きな部屋で葉巻を咥えてパターの練習をするのが仕事ではありません。
海難に際し船長は船とその運命を共にすると言われていますが、そのトップが危険を察知すると、
10億円近い退職金と共に会社を見捨てるとは言語道断です。

一年ちょっと前に日本債券信用銀行が危ないと謂れ株価も暴落したことがありました。
併しこの銀行のトップは自分達の過ちに気付くとすぐさまその対応策を模索し、
大胆にも海外拠点をすべて撤退したのです。これだけなら当たり前のことですが、
この銀行の豪いところは、撤退のノーハウを事業の一部として、
撤退しようとしている他行に売り出したことです。
国情の異なる外国では日本と違って、店を閉めるためにはいろんな難所をクリアせねばならず、
例えば店を閉めようとすると莫大な違約金を取られるような仕組になっているので、
自ら新たなテナントを用意してから大家さんに挨拶せねばならぬようです。
日債銀は撤退に際し恐らく血の滲むようなさまざまな経験を幾度も重ねたことでしょうが、
併しそのすざまじい経験を事業として利用するなんて凄いと思います。
まだまだ業績が充分回復したとはいえませんが、一時は政府から潰されかかった
この小さい小さい銀行が誰の力も借りずに立ち上がろうとしていることに拍手を送りたいと思います。
因みに『撤退のノーハウ』は今や日債銀のヒット商品となっています。

日本経済はどんどん変革していっています。
私達は自分の置かれた環境に満足しないで常に現状に疑問を抱き改革を志さなければなりません。
人間は誰も完全ではありませんから、自己自身の判断に頼らず、他の人の意見に耳を傾けるべきです。
特に経営者たる者は擦り寄ってくるイエスマンを完全に排除し、
諫言を疎まないことが道を誤らない最善の方法です。
過去に正しいと考えられていたことで現在はそうではなかったということは多くあります。
土地神話は今やその栄光を失い、負の資産となろうとしています。
『奢る平家は久しからず』の喩えもあり、
現状の平穏に甘んずることなく、新たなる変革への挑戦が我々のこれからの使命ではないでしょうか。


1998.11.3

今月は台風による側溝の工事でお送りするお花がありません。
折角楽しみにしていたのにと苦情が幾つかEメールに届いています。
そこで思い付いたのが、今月は特別に花よりもっと美しい乙女達をご紹介することにしました。

彼女達は私共事務所の関与先である今春完成した
世界一長い明石海峡大橋を管理するために設立された
【明石大橋総合サービス株式会社】の全員有能な女性社員です。
何故有能かというと、彼女達はフェリー会社の離職者対策での
星の数ほどの離職者の中から選ばれた数少ない一握りの合格者なのです。
ところが百選練磨のキャリアウーマンですから、
パソコン操作での裏技の使い方など鋭い質問で私が試され、
年中冷や汗タラタラの思いをしています。
古いバカチョンデジカメでの写真で、画像が粗く写りが良くないため、
彼女達から抗議されそうですが、決して報復手段ではありません。
写真写りが悪いということは、実物の方が良いという事ですから赦して貰えそうです。
この中でひとり私が大好きなサンドラ・ブロック(スピードやザ.インターネットの主演女優)
のイメージを持った女性がいます。皆様お分かりでしょうか?
これから時々仕事で知り合った花の乙女達をご紹介したいと思いますのでお楽しみに


1998.10.25

最近私の親しい友人であり敬愛すべき先輩でもあるO氏が急死しました。
胃カメラ撮影中の出来事で、或いは医療事故ではないかと思っていますが。
亡くなった人が帰ってくるわけではないしと、残された奥様は諦めの心境です。
私は『お別れ時間』を持たないまま逝ってしまった彼が可哀そうでなりません。
さぞ無念であったろうと思います。人はこの世から旅立つ前に、
気付かれるか気付かれないかは別にして、
必ず何かの形で周囲の人達に別れの信号を送ると謂われており、
これを一般に『お別れ時間』と呼んでいます。
彼はその信号を送る間もなく、
至福に充たされた花園で待つご両親の許へと迎えられることとなりましたが、
奥様や親族の方に伝えたかったことが沢山あり心残りだったに違いありません。
然し、私は彼のことを考えながら、自己の臨死体験を許に死に逝く者に永く関ってこられた
聖心の教授である鈴木秀子さんの著書“死にゆく者からの言葉”に書かれていた、
小児癌に冒され最後の残り少ない時間を両親の希望で自宅で迎えることとなった
8歳の幼児貢くんの『お別れの時間』のことをふと想い出し、
皆様にも是非お伝えしたく記憶のままに記して見ました。
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自宅でのご両親や放課後遊びに寄ってくれる学校の友達との楽しい生活が続いて二週間程たったある夜、
両親は貢くんがそっと起きだしたのに気付きました。でも二人とも眠った振りをしていました。
貢くんはまず一番小さい弟のところへ行きました。
そしている睡っている弟の頭にそっと両手を置きました。そのままじっとしているのです。
しばらくたつと、貢くんは静かに妹のところに移りました。
そして今度は妹の右手を自分の手で包み、ゆっくりと妹の手をさすり始めました。
それから彼は母親の傍に座りました。
そしてそっと母親の胸に右手を差入れ母の乳房の上に手を置いて小さい声で『お母さん』と呼びました。
貢くんのお母さんは涙が出そうになるのを必死で堪え、じっと身体を動かさずにいるのがやっとでした。
最後に貢くんはお父さんの傍へよりました。父と並んで横になり、
父の頬に自分の頬を寄せて、頬擦りをしました。
そして思わず大きい声で『お父さんの髭、痛い』と言ったのです。
お父さんもお母さんも胸が一杯でした。
そして、貢くんはその朝8時に皆に見守られられながら安らかに神の御許に旅立って行きました。
彼なりのお別れをきちんとすました貢くんでした。
___________________________________________

8歳の幼児に自分の死を予知する能力があるとは到底想像できないことですが、
これを神の摂理というのでしょう、
私共が大宇宙を支配する栄光の神に生かされている何よりの証拠ではないでしょうか。
『お別れ時間』を持つことが相応しいと神がお認めになった者のみに、
神の啓示によりこの霊的な能力が授けられるのでしょう。
ですから、O氏が『お別れ時間』を持たないまま、旅立って行ったのも、
彼が両親の長命と自身が癌でないことから絶対に80歳までは生きられるとの思い込みがあり、
周囲の多くの意見に全く耳を貸さなかったことを、哀れに思われた神の慈愛であったのでしょうか、
我々が彼の死について何も述べる権利はありません。全ては神のご意思なのでしょう。

台風10号のせいで畑の溝を修復することとなり、花の殆どがユンボの犠牲となりました。
暫くの間今月の花はお休みさせて頂きます。


1998.9.27

我々が日常何気なく使っている言葉も、
その語源のルーツを探ると意外なことが判明することがあります。
我が家の雑草だらけの庭に早春になると
“ハハコグサ(母子草)”と呼ばれる可憐な花があちこち咲きます。
“ごぎょう”という異称で春の七草に数えられていますから、
こちらの方が有名かも知れませんが、
この花は葉にくるまった花が母親に抱かれた幼な子を想像させるような、
所謂母子草らしい雰囲気がどこから見ても全くありません。
不思議でならず、好奇心から図書館通いをしたところ、
ナントこの名前の源は母子ではなく、
この花の茎と葉に白い綿毛が密生していますが、
古語でこのさまを“ははける”と謂うところから付けられた名だそうです。
広辞苑にも載ってない言葉ですから、私が知らないのも当然です。
父子草という花もありますが、こちらは葉面に綿毛がないだけで
他は母子草によく似たところから名づけられたようですから、
ははこぐさがいつか母子草に変身したのでしょうか。
それにしても毛がない方が父子草とは昔の人は上手いこといったものですネ。
因みにこの母子草は越年性で夏場も咲き続けます。
9月初旬に撮影したものを季節外れではありますが今月の花に登載しました。
言葉の不思議ついでに最近梅原猛の書物だったと思いますが、
『甦る』という言葉は、死の世界からこの世に帰ることを言った言葉で
記紀に書かれてある“黄泉返る”からできたものだと書いてありました。
どんな言葉にも深い含蓄があるものだと感心し、
今度生まれ変ることができたら税金や財産に無縁な
日本語の語源を研究する言語学者になれたらいいなと思います。


1998.8.28

歳をとったせいでしょうか。
『今の若い者は...』なんて言いたくないのですが、
若い母親と幼い子供を見ていて目に余る思いが今月の一言となりました。
それは最近(と言っても数十年にもなるでしょうか)の母親の
幼い子供への躾がまるでできてないことと、
その事実を母親自身がまるで自覚していないことです。
まず電車の中など子供がふざけたり、窓側を向いて坐っても靴を脱がさず、
その靴が隣の人の服を汚そうが無頓着で
周囲の不愉快な態度に気付くと
『車掌さんに言いつけますヨ』とか『お巡りさんに来てもらうヨ』とか
自分の責任を他の人に転嫁して子供を叱らない事です。
叱られないから子供は自分のしていることの善悪がいつまでも理解できず、
又、親が恐いものだという認識が有りません。
それどころか子供にとって親はどんな無理でも聞いてくれる打出の小槌であり、
ファミコンやゲームソフトなど友達が持っているという理由だけで買って貰えるので、
年頃になって要求を聞いて貰えないことが出てくると子供は、
『何故だ!』と錯乱し、親に裏切られた思いしか残らず、家庭内暴力となり
親は子供の顔色を見ながらオドオドと暮らす地獄の毎日となりますが、
これらは全て親自身の責任であり、幼い頃からの躾に由来しています。
これらを考察してみると、現代の家庭が核家族となり
年長の肉親からのアドバイスが失われたことや、
女性上位時代の影響で父親が父性を失い母親に役割分担をさせていることに
起因しているのでしょうか。
京都大学の河合隼雄先生の書物に最近の家庭では父性が父親から
母親に移りつつあると書かれてあったことを思い出しましたが
所詮母親は母親であり父性と母性を使い分けることは至難の業であり、
唯怒れば父性だというものではないでしょう。
仕事仕事と忙しく家庭を顧みる余裕のない父親にも責任があるのでしょうが、
与えられた父性を母親が行使できないのではどうしようもありません。
ともあれ人間形成は3歳までと謂われていますが、このままでは我が国は
自分のしていることの善悪判断のできない人間ばかりになり
ダイオキシンのせいばかりでなく滅んでいくことでしょう。
何とかもう一度、強い父親から愛の鞭を受け、
優しい母性をもった母親から道理を聞かされて人の倫を教わった
立派な日本人が復活する時代が到来することを願って今月の一言(ボヤキ?)とします。


1998.7.31

人は肉体的な特徴や体質が先祖代々遺伝することはよく知られています、
私は昔からずっと考えていたことですが、心や考えも子孫に伝わるのではないかと云うことです。
それはキリスト教を例にとるとよく分かります。
キリスト教はとても素晴らしい宗教であり、そしてそれを万人が承知しているにも関わらず、
日本人の中でキリスト教の信者が、どんなに普及活動を続けても
いつまで経っても100万人を超えることがありません。
戦後発足した創価学会と比較するとその落差の大きさが
普及活動の大小によるものでないことがお分かりでしょう。
神が実在するかどうかの議論は別にして
その原因がキリスト教の教義を否定する処から来るものでなく、
実に神仏に対する認識を日本人が先祖から知らず知らずに受け継ぎ、
固有に有しているものと異質なものだからだと思われます。
つまり日本人にとって神とは自分を救ってくれるものではなく、
背くと祟りを受ける恐ろしいものだとの信念を有しているからだと思います。
神仏という言葉がありますが日本人にとって神仏は、全く別なもので、
神は義であり、仏は赦です。義は人間の理想でありますが、
時に人は過ちを犯し神の祟りを恐れ仏に赦しを乞います。
儒教と仏教のはざまで育ってきた日本人が歎異抄に謂う親鸞の
『善人なおもて往生す、いわんや悪人をや』
の言葉に縋りついたのは全く共感できます。
キリスト教では赦しを乞うことができません。
イスラムの教えにもある『インシュラー』という言葉、
神の思し召しをという自らを全て神に委ねるという思想が
日本人には養われなかったのではないかと考えます。
この心の問題については、改めて触れてみたいと思っています。
どなたもご意見をお聞かせ下さい。


1998.7.6

3日ほど前の早朝のことです。
最近見かけない素晴らしい感動的なシーンでした。
それは朝の出勤での光景でした。
JR朝霧駅前にある私の事務所の3階の窓からバスと乗用車が到着を競い合う
いつもの駅前の出勤風景を何気なくを眺めていましたら、
マイカーから若い男女が降りました。
男性はサラリーマン風のスーツ姿で鞄を持ち女性は短パンでしたから、
奥さんがご亭主を送ってきたものと思って見ておりましたら、
ナント短パンの女性が膝上に手を添えて男性に深々と一礼するではありませんか。
遠くて聞こえませんでしたが行ってらっしゃいませとでも言ったのでしょう。
一瞬夫婦と思ったのは私の勘違いで上司と部下だったのかと思い
それにしても部下が短パンとはおかしいなと疑問符が頭の中を巡っていましたら、
その後の、男性が見えなくなるまでお互い手を振り合う行動で
二人の夫婦であることが確認されました。
昔はよく見かけた光景でしたが、最近は殆ど見ることもなく、
壷坂霊験記に言う『妻は夫を慕いつつ夫は妻を労りつ』の世界を垣間見た思いで
その日一日心豊かに過ごすことができました。


1998.6.29

中小企業も徐々に自計化の時代を迎えようとしています。
これからの会計事務所は全てのサービスをパソコンを通じて行えなければ、
顧客の充分な満足を得られなくなるでしょう。
私共の事務所は財務に関するあらゆるパッケージソフトに対応できる体勢にあり、
会計資料についてもインターネットによる情報の受渡しが可能なため、
多忙な顧客との接触に時間の擦りあわせの必要が殆どありません。
又、パソコンが不得手な顧客の経理担当者に対してパソコン指導にも力を入れ、
商品管理、売掛金管理等パソコン化による事務能率の向上、
インターネットによる業界情報の獲得等顧客に喜ばれております。
パソコンは利用目的がなくては覚えられるものではありません。
経営者の方々は忙しくてパソコンを覚える時間などないと言われますが、
趣味を通じてパソコン入門されれば、容易にこの世界に入ることができましょう。
私は囲碁が好きで仕事が手隙のときインターネットで世界中の方と対局していますが、
碁が打ちたいためにすぐにインターネットに慣れることができました。
因みに私は1935年生まれです。

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