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2000年の独り言


2000.12.27

昨日2001年元旦号の日経ビジネスが届きました。株安と景気の不安定から縁起のよい記事もない寂しい新年号でしたが、私を驚かしたのは倒産会社の社長による怨みの談話【無念の倒産、強引なゴーン改革に憤り】でありました。
この無念の倒産会社横山工業は日産自動車の子会社であり且下請会社である東京一部上場愛知機械工業の2次下請のプレス加工業者で愛知機械と日産協力メーカー向けの仕事が殆どであり“日産”の生産の増減が即、自社の売上に影響する典型的な下請業者でありましたが、1998年から始まった予告のない“日産”の減産をモロに受けて、四苦八苦していた矢先、昨年日産の圧力を受けた愛知機械工業からの惨いコスト削減計画(3年間で25%)を通告され、皮肉にもゴーンさんが胸を張って過去10年間で最大の営業利益1360億円を見込んだ中間決算見通しを発表した2日後に僅か25億円の負債と共に倒産し50年の歴史を閉じました。
多少の経営自己責任はありましょうが、半世紀もの間元請けである日産や愛知機械を運命共同体と信じ込み、それこそ花も嵐も踏み越えて尽くしてきたのに裏切られたこの会社社長の無念さは私にはありありと実感できます。
この前いつかWEBでぼやきましたが、ゴーンさんの部品購入コスト1420億円の削減で達成された営業利益は本当に利益と言えるのでしょうか。下請を泣かせその血を絞ったものではありませんか。私は思わず50年前学校で習ったシェークスピアの“ベニスの商人シャイロック”を連想してしまいました。
然し、横山社長の話ではゴーンさんの計画はまだまだ序の口なのだそうです。元請のコスト低減の“協力”依頼は3年間で25%であり、初年度は7%2年目が9%3年目が9%だそうです。下請業者の中には1年目はこれまでに培った体力で持ちこたえられても2年目3年目と第二第三の横山工業が出てくることは目に見えています。
日本では下請は我が子のようなものの筈なのですが、ゴーンさんには“敵”に見えるのでしょうか、そしてその下請が倒産しても何の痛みも感じないのでしょうか。
以前、言うことを聞かないからと食事を与えないで我が子を餓死させた鬼のような母親など我が子を殺めた事件が幾つかありましたよネ、これらの母親はそれぞれ“法”に裁かれる報いを受けることとなりましたが、ゴーンさんのしていることはこれらの母親と余り変らないように思えてなりません。
法に触れなければそれでよいと言う発想や理念は儒教を心の糧としている我が国には全く馴染みません。自分の周囲に対しては、自己を犠牲にすることすら厭わない心と強い倫理観を持って接するのが日本人なのです。
日本人は富士山が頂上だけで山ではないことをよく知っていますよネ。裾野も富士山の立派な一部です。いいえ裾野があってこその富士山ではないでしょうか。
会社も同じことが言えるのではありませんか。
ゴーンさん裾野を切り取って我が身を肥やしてどうしますか。将来的には必ず自分の首を絞める結果となりましょうが、そのときはゴーンさんもう凱旋将軍で日本に居ないのでしょうね。約束した自分の経営責任だけ果たせばそれで良いのですか。
日露戦争の乃木希典将軍は戦(いくさ)の勝利にも関わらず、多くの兵士を戦いで失った責任をとって明治天皇崩御時に奥様共自害されたのを皆様ご存知でしょうね。
ゴーンさん、これから“日産”の裾野に累々と残される屍は一体誰が葬るのですか。


2000.12.17

この前のWEBでJRを話題にしたついでに昔のあることを思い出しました。一寸聞いて頂きたいと思います。
20年位前のことですが、仕事で時々信州への出張がありました。朝の8時頃名古屋駅で新幹線と中央線“特急信濃”が5分位で接続(?)しているため始終利用していたのですが、5分の連絡時間は皆様ご存知の通り階段を降りて、連絡改札で切符を渡して中央線の階段を上がるだけですから大人の足では駅弁とお茶を買って(古いなあ!)ゆっくり間に合う距離ではありましたが、何故か予めその辺の“みどりの窓口”で買おうとすると時刻表を念入りに調べた上で新幹線からの乗り継ぎの特急券を売ってくれません。
何故なら5分の乗り継ぎでは規則でダメだと駅員が言うのです。国鉄は当時からも規則々々と何ごとにも五月蠅く、実際には健常者なら幼児を抱いてでも容易に中央線の“信濃”に辿り着ける距離なのですが、恐らく国鉄の内部規則が東京駅や姫路駅など比較的乗換え距離が在来線から遠距離なものを基準にしてのものであったために、そんな風になったのでしょうか。連絡する列車の特急券を同時に購入すれば後の特急料金が半額になることは誰もが周知していることです。別々に買えば乗車はできますが、半額割引が受けられないとなると予算がメチャ狂います。
処が、不可思議なことにこれが早朝新大阪駅で長蛇の列となる窓口の場合には問題なく容易に買えるのに何時か気付きました。駅員さん達は並んだ客を手早く捌くのに必死であり、連絡時間のことなど調べている余裕がないので、機械的な作業で切符を売って貰えます。勿論“信濃”の特急料金は半額になります。
新大阪駅の駅員さんが“杉原千畝”を気取っていたとは思えませんので、お客とやりあっていては後ろのお客さんに迷惑が掛かり予定の電車に乗れなくなってはもっと大変なので、気付かぬ振りをしていたのでしょうね。
このWEBをリリースするにあたり、現在はどうなっているか少し気に掛かったので、今朝今はJRに変って新設された“お客様相談室”に電話を入れたら時間にして1時間、30回を超す“話し中”をクリアする労力を要しましたが、漸く努力が実り、可愛い女性の声で、丁重に『連絡時間が何分でもお客様のご希望通りにお売りすることになっています』との“様変わりよう”でありました。
話は変りますが、リトアニアにおけるユダヤ人出国に際する“ビザ”の無制限発給について外交官“杉原千畝”の個人的な英断として美談化され、銅像まで建てられることとなったあの事件はその実、仕掛人はナチスの人種差別政策に密かに反対する日本外交当局であったと西尾幹二氏の“国民の歴史”に記述されています。
いつかの人気テレビ番組“スパイ大作戦” 『君達が捕えられ殺されても当局は一切関知しないから… 』の類(たぐい)であったのでしょうか。それが何より証拠に“杉原千畝”は帰国後監獄に入れられなかったですよね。
現JR、元国鉄の石頭役人達がよもや逆立ちしても外交官“杉原千畝”や当時の日本外交当局の真似ができたと思えませんから、その辺を察した駅員さん達の快く心地よい“チョンボ”だったのでしょう。


2000.12.4

JR東日本のとばっちりを受けて、JR西日本の料金表までが20%(ほんまか?)も間違っていたとニュースで報道されました。例によって内部告発があったのでしょう“知らなかった”としていたJR西日本の南谷社長が実は3年前の経営会議で【乗客からの誤表示の指摘を受けた】という報告を受けていたことが判明し、会議の席上で居眠りしていたなんて口が裂けても言えませんから、『重要性の認識を欠けておりました』などと格好のつかない言い訳ともつかぬお詫び発言となり、『料金表の書き換えが手作業だとは全く知らなかった』と謝罪していましたが、この社長さん一体何を寝呆けたことをいっているのでしょうか、単純反復作業を専問とするコンピュータが、各駅全部料金が違う表を作成できる道理がないではありませんか。
ロボットを使用すれば或いは可能かも知れませんが、描かれた本線や支線の絵柄も設置場所の壁のスペースに合わせて広かったり狭かったりとまちまちでありどう見ても殆ど不可能に近く、万一実現できたとすれば手作業の数百倍費用が掛かることは我々素人が考えても分ります。
料金データは、各駅毎にコンピュータで打ち出されているでしょうが、JRにしてのこのミスは “現場を知ろうとしない経営陣”振りを露呈しました。
東大法学部出の旧国鉄あがりのエリート組が未だ社長の座にしがみついていることから起った問題であり、“雪印”を初めとする“いつもの現場軽視”を世間様に暴露する羽目となりました。
下請けの看板屋の作業員は働いて“ナンボで”あり、金額を誤魔化そうなんて発想などある訳がありませんし、駅の壁のスペースに併せてJRの作成した料金記載済の原図写真ネガを拡大してアクリル板に張る作業だったでしょうから、料金の表示ミスを看板屋のミスにすることはできません。明らかな料金担当部署の“ちょんぼ”です。
それが証拠にテレビのニュースで訂正料金に紙を貼ってあるのが写されていましたが、もし看板屋のミスならこんなことで済まず深夜の突貫工事で全面やり直しをさせられたことでしょう。あの社長さんのことですから新幹線トンネルのコンクリート片落下の時みたいに “JRの損を弁償しろ!”と喚いている筈ですものネ。
原因として大いに考えられることは、料金体系が東京名古屋大阪の都心部ではメチャメチャ複雑であり、東京大阪の電車区間はそれぞれ別料金であり、更に私鉄との競合する線ではこれ又料金が違うなど様々な料金が設定されており、キロ数も運賃計算には通常、営業キロが使用されますが擬制キロや換算キロ、更には運賃計算キロなんて紛らわしいのまであり、中には加算料金などもあったりで複雑多岐に渉っています。
“それらを処理するのがコンピュータの仕事じゃないか”と言わないで下さい。入力するのは人間なのですから指の一路のズレで答えが違ってきます。心変わりした恋人の気持ちをどうしたら取り戻せるだろうか、今度の休みは何処へ釣りに行こうか、など考えながら作業していて“間違うな”と言う方が無理です。コンピュータからアウトプットされた原稿の単純な見間違いであったか、或いは作業終了後の読み合わせ不充分だったと考える人が多いようですが、私はそうは思いません。料金データは既に写植済だった筈なのです。ですから作業は手作業か知れませんが既に“コピー&ペースト”の世界に入っており、コンピュータの料金データ自身がコンピュータ入力過程で誤っているのが原因だと断定します。
これは明らかにコンピュータへの過信が原因であり、データの入力作業ミスでしょう。
これを避けるには数カ所で同じ計算を試みさせて、合致を確認すべきでなかったでしょうか。
40年位前のこと、高校の同級生だった大和銀行へ勤めているS君に職種を聞いたら、『儂の仕事は各支店を廻って朝から晩まで貸付利息の検算をさせられてるねん。
掛算してあるのを割算し、足算は引算して間違いをチェックする仕事や、算盤2段を見込まれたかして因果な仕事や』とぼやいていたのを思い出しましたが、昔も今も基本は同じ筈であり、算盤がコンピュータに変ったからといって省略されるものはない筈です。
数字の誤りを許されぬ我々の社会では俗にこれを縦横合わせと呼びますが、縦横合わせさえ行っていれば今回の悲劇は防げたのではないでしょうか。この料金表データの稟議書には社長以下数人否十数人がしっかりと決済印を押捺していると思われますが、上司は部下の稟議に対し盲判を押すだけが給与を貰う資格ではありません。一度でも縦横の検算でもしたらどうですか、そうすれば自分の押した判子の重みが分るのではないのですか。社長の減給1/10が聞いて呆れます。
社長さん、あなたは判子を押した責任と大事な会議に居眠りをしていた過ちを悔いて、次回の料金改訂時に料金データ作業マニュアル係を勤めて下さい。そして今日のWEB末尾に述べている料金の凸凹不条理をJR東日本さんJR東海さん達とよく話し合って国民の納得のゆく料金にして下さい。あなたなら東日本さん東海さんの社長とも同じ釜の飯を喰った仲でしょうからできるのではありませんか。
話は元に戻りますが、私はJRの料金表示ミスは40%あったと考えています。今回判明したのは高く表示されたものばかりですが、実は低く表示された料金は過去に乗客からの苦情で既に訂正されているのです。何故なら単純な作業ミスでは大小の確率は50%であり、全体の内約半分は高く表示され、残りは低かったことは自明の理です。
低い方はとっくの昔に訂正が済んでいるのです。 “え?なんで?”
料金表に従って低く表示された乗車券を買った客は目的地の駅の自動改札機で”ガシャン“と閉められ、咎める駅員と怒り狂ってやり合った挙げ句、発駅への連絡で”ゴメンナサイ“されているからなのです。
因みにJRの料金体系を時刻表で調べてみると、これが又複雑怪奇極まりなく、論理的でなく理解に苦しみます。例えて例を挙げれば、皆様は東京都と大阪で3キロまでの料金が何故か東京が10円高いのをご存じでしょうか。大阪では初乗り3キロまで120円ですが、東京では130円なのです。何れも電車特定区間と言うそうですが、それが6キロになると逆転して東京150円に対して大阪160円、10キロまで東京160円に対して大阪170円になるのです。東京が廉いのなら乗車率の加減かしらと納得ですが、そうでなく高低が凸凹なのが不思議です。又大阪へは垂水から780円ですが途中神戸で一度降りて切符を買うと180円も安くなります。初めから600円にしておけば何の問題も生じないのに、この二重運賃の謎はどうしてですか。誰かご存知の方は理由を教えて頂けませんか。
因みに田舎の人は3キロまで140円支払わされていますが、田舎の電車は乗車率が少ないせいかと思うとそうではなく我々も遠くへ旅するときは神戸からでも3キロ140円ペ-スの切符を買わされていますからこれも可笑しいですよね。
JRさん我々健常者には時刻表などで表示誤りの抗議もできますが、目の不自由な方は点字ブロックからの判断でしかありませんからそれすらできないのですよ。民間会社の癖して幹部候補生に未だ国家公務員一種試験の上位合格者しか採用しないJRさんしっかりして下さいヨ。上にエリートが居てまず昇進の希望がないから一般採用の若い有能な人に仕事に熱が入らずミスを犯すのではないんですか?


2000.11.23

3日前の夕刊の片隅に面白い記事が載っていました。なんでも英国では一部の州でオービス(自動速度違反取締装置)によるスピード違反の罰金の約1/3を試験的に所轄警察の収入にするようにしたところ、南部ノーサンプトン州では死亡事故や重傷事故が急に半分以上減り、他の七つの州でも効果抜群だったようで、急遽イギリス政府は全国的にこの制度を導入する計画だそうです。
何気なく読んでいましたがよくよく考えて見ると、この死亡事故の半減等の記事の背後には重大な“サイン”が隠されていることに気付きました。
警察は営利企業などではなく国民の税金で賄われている官庁ですから、交通違反の罰金も何れは周り廻って予算として配分されるものであり、別に警察が企業努力を必要としない筈のものですが、どうしてこんなことになったのか、その答えは何処の国も同じであり、普段貰っている予算が現実の支出と乖離したものであったからに違いありません。
我が国でも一時、警察だけでなくあちこちで架空領収書を使った組織ぐるみの裏金作りが発覚して大騒ぎしたことがありましたが、これらは一部を除き何れも役人達が私腹を肥やすために貯めた訳ではなく、予算の凸凹を現実の支出と合わすための歪み(ひずみ)だったのを皆様よくご存知ですね。
予算が各支出科目について必要最低限しっかり確保されていれば何も起らなかったものが、予算を決定する役人が“現場”から要求された予算を値切ることしか考えない“現場”の全く分らない東大出のエリートであり、世の中の様変わりが読めず、何も考えずに前年対比だけで数字合わせしてきたことから起った悲劇だったのです。
記事の最後を読むとノーサンプトン州では交通違反切符の発行が昨年の4000枚から今年は10万枚に増える見通しだと書いてありました。何度も悪い目で確かめましたが1万枚ではありませんでした。
皆様はこの数字をどう判断されますか?『警察はよう頑張ったなあ』いいえ、そうではありません『これまで警察は本気で働いとったんかいな?』そうですよね?
単純に計算しても25倍ですから、罰金の1/3を所轄警察に渡しても、政府はボロ儲けでしょうが、この数字を見てこれまで警察は毎日何をしていたのかとの疑問が当然に湧いてきます、月に1日しか働かず後の日は遊んでいたのかと疑われても仕方がありません。
25倍の原因は“ノルマ”の増加ではなく“ノルマ”の廃止なのでしょう。生命保険や損保のの外務員と同じで、一度好成績を挙げてしまうと翌年から課せられる“ノルマ”がしんどくてならないので、いつも程々にしていたのが“ノルマ”の解禁と署の自由になる予算の獲得できっと易々と達成できた25倍だったと思われます。はっきり言って“程々”は役人の慣い性であり普段はサボっているのです。
死亡事故等の交通事故の激減は、実は警察官がオービスを懸命に操作したためにドライバーが違反の摘発を恐れ注意深くなった副産物に過ぎないと考えます、つまり警察は他の役所同様仕事の手抜きをしているのです。
イギリスだけではありません。我が国でも同じことです、性急な私は最近20年間に数回オービスの“生け贄”(ピカッと凄い光で写されるのですぐ分ります)となりましたが実際に県警の交通機動隊から呼び出されたのは一回だけであり後は空フイルムだったのか、又は警官のフイルム事後処理の“サボリ”だったのでしょう。これには後に述べるように理由があるようです。
呼び出された一回も、10年以上も前のことで今では時効ですから白状しますが、年に一度甲子園球場で開かれる交通機動隊の音楽祭に一度私のバイクを貸してやったことを想い出し『儂の“ハーレーダビッドソン”を貸してやったやないか、行政処分くらい堪えて呉れてもええやないか!』と“ダメもと”でそのときの写真を持っていったら、『それとこれとは別や!』と言いながらも本当に私があのハーレーの所有者かどうかの調査(ハーレーの借用を頼みにきたバイク屋さんから機動隊の照会を知らされました)の上、行政処分だけは助けてくれました。裁判所で赤切符の罰金2万円は取られましたが、警察は罰金だけ取ればそれでよく、きっと行政処分の点数は警察庁だけの成績であり各警察には無関係みたいですヨ。それどころか行政処分6点での免停臨時講習や免許書換時の違反者講習など今でさえ手一杯なのに、これ以上各警察の仕事が増えては敵わないでしょうから、そこら辺が“程々”と手抜きの理由なのでしょう。無力な市井人の私ですらこうですから、何処かの代議士の秘書さんからの違反の揉み消しなど容易だったことでしょうネ。
罰金の一部を警察の予算に廻すなど、思考に柔軟性がなく硬直した日本の役人には到底考え及ばぬことではあるでしょうが、我が国だけはどんなことがあっても警察を歩合制にして欲しくないと考えます。飲酒運転などにはもっと厳しくても良いと思いますが、制限速度の2キロオーバーでオービスの“生け贄”なんてことになると、日本中渋滞だらけで阪神大震災当時の国道2号線(1キロに30分)同様になり、物流を始めとする経済活動が麻痺し大変なことになるでしょう。
作業が遅くても確実に時間通りに目的地に着くJR貨物が赤字から脱却し、車が売れなくなってゴーンさんが日産をクビになってよかったりして…。
日産と言えば半期に下請部品メーカーを1420億円も泣かせ、販売店のマージンを300億円も削り、1360億円利益を出したと威張っている“カルロスゴーンさん”早くフランスへ帰って下さい。
『2000年度に黒字が出せなければ日産を去る!』と大きな啖呵を切りましたが、もし下請部品メーカーや販売店を連結決算したら360億円も赤字じゃないですか。
刃向かえない下請業者らを虐めて何が利益ですか、はっきり言ってこう云うやり方は日本人には馴染みません。下請業者の多くの社員がリストラされ孫請の部品メーカーがどれだけ潰れていったのかご存知ですか。自分だけ良ければ周囲はどうなっても良いなど“加藤さん”だけで充分です。
いつもの悪い癖で話が脇道にそれました。パソコンのモニターがゆらゆら揺れています。血圧が200を超えてきたのでしょう。脳卒中はご免なので今日はこの辺でペン(キーボード叩き)を置き、降圧剤を飲んで寝むことにしましょうか。


2000.11.21

加藤さん、『国民のために、日本を変えたい』と熱意を籠め繰り返し話されたあの空々しい言葉やホームページは一体何だったのですか。
あれだけ大見得を切って我々に淡い希望と期待を持たせておきながら肝腎の投票時に怖じ気づき、我が身可愛さに多くの部下を見捨てての敵前逃亡は幾ら何でもひど過ぎるのではありませんか。あなたはこの国民への大きな裏切りをどうして償うつもりですか。
加藤さん、あなたの仰有っている“国民や日本”は、その実我々の聞き違いであり、あなたは“自民党”と言うところを故意に“国民や日本”と言い間違われたのではないでしょうね?
そもそも自民党という“温室”の中に入れて貰っていながら、“温室”の主(あるじ)に『お前辞めろ』はないのではないですか、一番筋が通ってないのはあなた自身ではなかったのですか、森政権を悪し様に罵倒したあの言葉は“国家反逆罪”に値するのではありませんか、名指された森側も『失政はなかったのに…』と力無く呟くだけで一言も反論できずに、野党との数合わせの都合で反乱軍を除名処分もできないなど不甲斐なさに涙が零れますが、加藤さんあなたには本当に戦う気があったのですか?
もし本当にあったのなら、あなたはつまらぬ策など弄さずに自民党を離党し“野に下り”素手で戦いを挑むべきだったのではありませんか。そして戦いに利なくば玉砕すべきが日本男児の本懐ではないでしょうか。戦(いくさ)というものは勝ち負けを決するためにするものであり、負けそうだからと途中から逃げるくらいなら初めから仕掛けるものではありません。
加藤さん、あなたは既に61歳、戦争を知らない世代ではありませんよネ。
大日本帝国軍人は戦時に誰も敵前逃亡が銃殺刑なのは知っていましたが、それが“死に勝る恥”だと言うことだけはよく覚えていましたよ。
ですから兵士は誰もそんな汚名を潔しとせず、自らを鼓舞し、故郷の父母に先立つ不幸を心で詫びながら、“大君”のために銃弾の飛び交う中を敵陣に切り込んで行き靖国神社の尊い英霊となられたのです。
加藤さん、あなたは恥ずかしくて靖国神社にお参りに行けませんよね。行けなくてよかったですね。


2000.11.4

奥羽大学という聞き慣れない名前の学校【同大学のHPによれば昭和47年東北歯科大学として開設され、昭和63年に今の名前に変えていますが、その理由は文学部の併設により歯科大学の名前を外さねばならぬ羽目に陥り、それでは天下の“東北大学”になってしまうので仕方なく、東北の向こうを張って奥羽大学としたものと思われます】が全国区として一躍有名になったのは、この大学の口腔衛生学の先生が歯科医師国家試験の試験委員をしていながら、国家試験の内容を外部に漏らしているとの疑惑から内部告発された今春の事件でしたね、皆様もご記憶でしょう。
一時は国家試験の問題を差し替えるなどマスコミでも大騒ぎになりましたが、人の噂も75日とか、刑事事件になった様子もなく疑惑教授の退職でいつの間にやら有耶無耶にされてしまっていました。
ところが今日のA新聞夕刊記事を見てビックリ仰天したのは私だけではなかったことでしょう。
ナント!1年前の歯科医師試験の口腔衛生学についての正解率は全国29校の中で奥羽大学出身者がダントツのトップだったのだそうです。
ところが今春は直前になって漏洩疑惑から急遽試験問題が差し替えられたために信じられないことではありますが一挙に正解率が最下位にまで転落してしまったそうです。なんでそんなことになったのでしょうか。
同大学の学費情報によれば、寄附金などは何処にも書かれていませんでしたが、入学金と初年度授業料だけで950万円と明記されていましたから、この学校が歯科医師を目指す一般家庭の子女が到底“上がれる土俵”でないことは一目瞭然です。
その代り、国公立には逆立ちしても希望の持てない開業歯科医の2代目や3代目のために“学力”を“財力”に置き換えて入学できる学校かと思われますが、口腔衛生学全24問についてだけでは、かの東京医科歯科大学出身者ですら60点がやっとであり、平均正解率35%のところを遙かに超える91%の正解率は誰が見ても異常としか思えません。
ところが口腔衛生学でこれだけ高い正解率の下駄”を履かせて貰ってもこの学校の合格順位がトップテンに入ったなど聞いたことがありませんから、全科目を通じての国家試験の合格数では下位グループだったらしく余計に91%の正解率が嘘っぽくてなりません。
今回厚生省と警視庁薬物対策課(なんでこんな課が調べるのか?畑が違う?)の調査では昨年度の同大学卒業試験の問題と国家試験の一部が酷似していたことが発端とされていますが、長く続く不況と同業者の乱立で歯医者さんも昔ほど儲からなくなり入学希望者が減少したため、国家試験の合格率で高い授業料のハードルを越えようとした学校側からの要望に試験委員の先生が屈したものと考えられます。
そうでなければ試験問題が差し替えられただけで何故トップから急にビリになるのですか。私が何も言わなくても、皆様もうお分かりでしょうネ。
それにしても1年前の異常な正解率は今春の漏洩疑惑のときに厚生省はしっかり把握していた筈ですが、今頃になって蒸し返されているのは誰かが『なんで去年のトップが今年のビリやねん!』とイチャモンを付けてきたので、“臭いものに蓋”をしていた厚生省も仕方なく渋々立ち上がったのではないでしょうか。


2000.10.26

♪優しかった兄さんが田舎の話を聞きたいと、桜の下でさぞかし待つだろ おっ母さん あれが あれが九段坂 逢ったら泣くでしょ 兄さんも♪
歳のいった方なら誰もが知っている哀愁を籠め切々と歌われたこの歌は、そうです島倉千代子の“東京だヨおっ母さん”の歌詞の二番です。
歌詞をWEBに載せることが原則禁止なのは知っていますが“文意”を知って頂くためであり、他意はありません、お赦し下さい。
『この歌がどうした?』と言わないで下さいね。皆様はこの二番が今ではNHKで歌ってはいけない歌詞になっているのをご存知でしょうか。
『え?なんで?』と思われるでしょうが、島倉さんご自身が話していられるから本当でしょう。一番の次は三番を歌うそうです。
そうですよネ、九段坂とは靖国神社のことですよネ、お兄さんは戦争で英霊となられ、ここに祀られているのです。我々が大東亜戦争で散っていった肉親を想い、靖国神社へお参りし、涙するこの歌詞を誰かが面白くないと考えたのです。
それは中国で“害無大人”とか評判されているとか河野外務大臣 を初めとする腰抜け政治家共が韓国や北朝鮮そして中国達に気兼ねして靖国神社に公式参拝をせず、この問題に触れたくなく逃回っているのを知って、何もせずに無駄飯を喰っている多数のNHKへの天下り役人がせめてもの恩返しにと、この卑怯な連中に義理立てし “東京だヨおっ母さん” の二番を飛ばすことに決め、番組局長らに命じたのではないでしょうか。それとも後に述べるような恐ろしい不気味な力が働いているのでしょうか。
日本の政治家達がアメリカを訪れると、決まってアーリントン墓地への参拝が公式日程に入っています。そして彼らは我々同胞を殺略した者達を祀った墓に平気で献花しているではありませんか。我が国では諸外国の要人が訪れた際、一度でも靖国神社の参拝を公式日程に入れたことがあるのでしょうか。
我々の犠牲となって散っていった自国の若者の祀られている靖国神社に参拝もせずに、かって敵であった者が祀られているアーリントン墓地を参拝するなど国民を感情を逆撫でするものであり、到底正常な神経の持ち主であるとは考えられません。どうして誰も何も言わないのですか。
これがもし日米逆ならクリントン大統領やあの怖い魔法使いのおばあさん風のオルブライト国務長官は、民意を受けた下院上院の突き上げで即時辞表の提出を迫られたことでしょう。
歌のことを知ったのはある雑誌の評論を見てのことでしたが、NHKのこの愚かな政治家達への阿り(おもねり)振りは【あなたのとなりに公共放送】が聞いて呆れるばかり、公共の見本たるべきNHKが受信料を取っていてのこの偏向振りは何ごとですか。“公共電波の私物化”ではないのですか。
私はこれまでNHKを常に“朝日新聞”と共に日本の良識と信じ込んでいましたが、朝日新聞が怪しくなり、今度はNHKまでがこうなのでは『ブルータスお前もか!』と言いたくなります。
こんな怪しい事実が明らかになれば我々も真剣に考え直さねばなりません。高い受信料を取った上に、7千億円もの巨大な予算をどのように使っているのかについても是非詳細を知りたいものです。
それにしても最近のNHKは何だか変です。従軍慰安婦問題でも【日本軍が強制連行した事実は全くなく、従軍慰安婦なる者の実体は、朝鮮人の業者が募集し、驚く程高い報酬を得ていた朝鮮人の公娼だったことは誰もが知っている事実です】無神経にこの言葉を平気で報道しているのを聴くとNHKの内部に朝鮮や中国に洗脳された者が蠢いているとしか思えません。石原都知事の“三国人発言事件”でも都知事を擁護せず批判しましたよネ。
皆様もこれからNHKの偏向報道に注意して下さい。そして我々も知らず知らずに洗脳されないように日本人としての矜持を決して忘れず、我々の父母や祖父母そして祖先への誇りを永遠に持ち続けようではありませんか。


2000.10.22

日曜日の今日仕事の傍らNHK“日曜散歩道”を聞いている途中で流れてきた午前11時のニュースで普段聞き慣れない男性アナウンサーが読んだ『…娘は(きょこん)の帰りを待ち続けた』に一瞬考え込んでしまいました。【きょこん?何だろう?“教養のNHK”がまさか?】傍から指摘されたのでしょう、暫くしてアナが許婚(いいなずけ)と言い直しやっと意味が分かりましたが、それにしてもNHKともあろうものが何たるお粗末でしょうか。
誰もが知っている言葉なのでニュースの原稿作りの裏方もルビを振らなかったのでしょうが、この程度の言葉にルビではアナに『馬鹿にするな!わしは小学生か!』と怒鳴られる筈ですからルビを付ける訳がありません。実はこのアナはこの中学生程度の“かなづけ”もできない学力の持ち主だったのでしょう。
如何に日本語の読解力の低下が叫ばれているとは言え天下のNHKのアナウンサーがこれではどうしようもありません教養以前の話ではありませんか、情けなくて涙が零れました。
二、三ヶ月前にも重複(ちょうふく)を“じゅうふく”と読んだNHK女子アナを話題にした矢先のことですが、この程度の日本語が読めないのでは呆れ果ててものも言えません。先日お笑いの材料にしたアナを目指す女子大生の“河豚”を “河童”と間違えた方が遙かにマシです。“いいなずけ”が“きょこん”では“かわぶた”と少しも変わらないではありませんか、NHKは公社であり縁故採用は有り得ませんから、このアナもちゃんとした試験を受けて入社したのでしょうが、行き着くところNHK試験委員の目が節穴であり、つまるところ試験委員が“阿呆”だったのでしょう。
日本中の視聴者を虚仮(こけ)にしたこのアナウンサーは、今頃投書やメールが殺到していることでしょう、きっと倉庫係にでも配置転換されることになると思いますが、倉庫係に高い給与を払うことはありません。こんなアナは合格点を付けた阿呆な試験委員と一緒にNHKの品位を貶めた罪で即刻懲戒解雇して下さい。
昔国語の先生から正しい日本語はNHKのアナウンサーの言葉を見習えと教えられましたがこんな有様では我々は正しい日本語について何を拠り所にすればよいのでしょうか。
亡き金田一京助先生もあの世で泣いていられることでしょう。


2000.10.22

主役は後方昨日うちの優秀な女子職員の一人が結婚しました。新神戸オリエンタルで行われた結婚式はとても幸せそうで私も点滴続きの毎日を押しての出席でしたがお陰で楽しい一刻を過ごすことができました。
何の因果かご主人は私がいつも“WEB”で叩いている警察官であり、お仲人から来賓まで全て警察官のオンパレード一色、花嫁側の男性は私一人であり多勢に無勢ではありましたが、主賓のスピーチだけは『警察に負けるか!』と踵で踏ん張り圧勝した(そう思っているのは自分だけか?)みたいです。
ステキな花嫁ご覧の『今月の花』である“花嫁さん”は婚約成立以来少し“幸せ太り”気味ですがとても可愛いお嫁さんになれそうです。
1枚目の傍に立って写っているのは“今月の枯葉”です。【今月の花】に登載予定でしたが“枯葉”では花のイメージが悪いという下馬評なので【所長のひとりごと】の方に回しました。

花嫁側の友人の中に“梅沢由香里さん”そっくりの美人が居られたので、そのことを申し上げたら誰もご存じなく驚きました。“アエラ”のカバーガールにまでなった日本棋院四段の棋士であり、囲碁のプロ棋士の初段になるには東大の医学部に合格するより遙かに難しいと申し上げても、皆キョトンとされていましたから人気漫画【ヒカルの碁】もまだまだマイナー世界のことなのでしょうネ。
皆様も『え?わしも知らんゾ!』と仰有るのでしょうか。


2000.10.14

1ケ月前に区役所との委任状を巡るトラブルを皆様にお伝えしましたがご記憶でしょ うか。あれだけ苦労して入手した評価証明書をYさんの奥さん宅へ届けてから、数日 して訪ねると奥さんに『あの評価証明書の持主の中で知らん人が書いてある』と言わ れるではありませんか。 それは不動産の共有者(一つの不動産を一人で全部所有しているのではなく複数の人 が所有し合っている場合の筆頭者以外の人)の記載についてのことでありましたが 『え?そんな!評価証明書の不動産所有者は各法務局の所有者がその儘登載されてい るから間違ってる筈がありませんよ』と言っても『この名前の○○男は○○夫になっ ているし、住所も聞いたことがない場所になっている』と頑張られました。『名前は ワープロのミスだと思いますが住所が違うことはないから、昔越境入学か何かで住民 登録を移されたことがありませんか?』と問うても『全く変えたことがない』の一点 張りです。奥さんも歳をとられたので何かの記憶違いだろうとは思いましたが、一応 確かめておく方が良いだろうと今度は本家本元の法務局を訪ね登記簿謄本をとったと ころ、ナント!奥さんの言われる通りであり評価証明書に記載されている人は全く縁 もゆかりもない人だと分かりました。奥さんの記憶違いと思いこんだ不明を心の中で 詫び、再度区役所へ出掛けこの前委任者の続柄で揉めた固定資産税係へ行き登記簿謄 本を見せて『何故か?』と問うと前回と違う係員でしたが、この係員は何処からか昔 懐かしい横長の本になっている土地台帳を持ってきて捲ってみてモニターと内容と照 らし合わして『うちのミスです』言うではありませんか。 『ミスですと言われても、どうして見ず知らずの人が所有者の一人になっているよう なことが起るのか?』と余りにも事務的な返答に疑問を呈すると、係員は困ってしま いましたが、私が引き下がらないものですから“実は”と話してくれたことによる と、台帳を電算化するについて、内部の人員だけでは入力事務が多すぎるため、一部 を外部の業者に委託したそうです。その際地元の所有者が圧倒的に多いため入力事務 を省力化するため、住民登録名簿のデータも一緒に渡し、氏名を検索した上、住所氏 名をコピー&ペーストすることから発生したミスだろうとのことでした。“語るに落 ちる”とはこのことであり、何も外部委託と言わなくても入力時のミスだと言ってお けば良いものを、市の吏員なら起さないミスだと言いたいばっかりについ言ってはな らない本当のことを言ってしまったようです。 我々市民には、プライバシーの侵害だとか言って家族の続柄の情報さえ与えずに、内 部がこんなに無防備では、裏口のドアを開けっ放しておいて玄関からの訪問者のみに 目を光らせているに等しく、頭隠して尻隠さずとはこんなことを言うのではないで しょうか。 然しよく考えてみると市民の所有している土地家屋や住民登録のデータがそっくり第 三者の営利事業者の手に渡ると云うことはとても恐ろしいことです。派遣社員式の役 所内での作業はスペースの上からも無理でしょうから、恐らく外部にデータが持ち出 されて作業が行われたものと推察できます。データというものは幾らでもコピーでき ますから、如何に守秘義務の誓約書をとっていても、その会社にその意思がなくても 社員一人でもその気になれば容易に手に入ります。 お金にしようと思えば、年齢や所在地毎に容易に検索できる住民登録のデータは通販 業者、介護事業者、教育産業等、私有財産の開示とも言える固定資産の所有者と所有 資産のデータは不動産業者、マンション業者、金融業者その他あらゆる事業者の垂涎 の的でしょう。 談合が行われることで有名な公共工事の入札金額が漏洩するなど日常茶飯事であり、 内部だから漏れないというものではありませんが、外部業者への委託の事実は内部の 犯行時の隠れ蓑にもなり兼ねず、外部業者が“無実の罪”を被ることも考えられるの ではないでしょうか。 恐らく私が知った今回のできごとは氷山の一角であり、調べれば幾らでもでてくるも のと思われます。時々どうして来たのか出所の分からないDMが時折届きますから、 我々の知らない処で我々の個人的な様々なデータが売り買いされているのでしょう。 皆様ご存知ですか。一番大切なデータは警察庁が持っています。年に1回位近くの交 番署のお巡りさんが訪ねてきますネ。新しい家に住むと直ぐに来ますよネ。『家族構 成とご主人の勤め先は?』など聞いて行きますネ、あれは全部警察庁のコンピュータ に入力されていますヨ。本来の目的は公安ですが、流出すれば大変なことになりま す。 話は変わりますが、つい最近まで森総理の古傷が話題となっていましたが、あの犯歴 紹介はデキレースであり、犯歴資料は警視庁ではなく、警察庁の情報管理科がチャン と持っているのを知っていて裁判所も無いところへ照会し、情報公開しない約束で警 視庁を悪役に仕立てたものだそうですヨ。 話を戻しましょう。私はDMの出所を明らかにするために、卒業名簿や税理士会の名簿 には住所の表示を郵便局が間違えない程度に少し宛変えています。ですから『このDM は大学の名簿からか』と分かります。それでも出所の分からないものもありますか ら、何処かからの漏洩もあるのでしょうネ。 『漏洩なんて大したことやないやないか』と言わないで下さい。あなたのの預貯金の 暗証番号が銀行や郵便局から外部に漏洩したらどうされますか。


2000.10.13

先日自宅で妻の見ているテレビを何気なく眺めていましたら、有名大学の女子学生でアナウンサーを志望する者を被写体にした民放番組でしたが、早口言葉からスタートするいつものパターンであり、“東京特許許可局”が満足に言えないのはまあ良いとしても、日本語の読めない者が余りにも多いのに驚きました。
二つ目のトライは“山口県下関市で河豚(ふぐ)の初セリが行われた…”とニュースの原稿を読まされるものでしたが、初っぱなの学生が原稿を見るなり“河豚”を『これどう読むんですかあ…』と聞いています。
二番目の学生は“河童”(かっぱ)と呼んで大笑いされましたが、これなどまだ芥川作品を知っているからかも知れず許せますが、“かわぶた”と読む学生が現れたときは、肝を潰しました。スタッフの皆に笑われて恥ずかしげな学生の表情から到底いつもの“やらせ番組”とは思えませんでしたが、でき得れば“やらせ”であって欲しいと心底願いました。
でなければ今の有名大学の女子学生にこの程度の言葉が読めないなんて情けなくて涙がでます。
それにしても、女子学生に限らず今の若者達は漫画は読んでもそれ以外の本の読書の習慣が段々薄れていって居るようです。
本を読まないから単語だけでなく、構文も覚えられず、従って必然的に物事を論理的に考える力が身に付かず、自分の意思を正しく他者に表現することができません。
今は手紙など書かなくても携帯ですべてこと足りる世の中になってしまっていますが、これからはネットの世界ですから、いつまでも携帯では済まされず、何れ文章で相手に自分の意を表現せねばならなくなります。
最近飛んでくるEメールを読んでいていつも思うのですが、肯定文か否定文かも判然とせず、何を言いたいのかも不明瞭なものが多くて困ります、自分に敬語を付けて相手には付けないなどザラです。我々日本人は正しい日本語を覚えないと益々諸外国から言葉尻を捉えて馬鹿にされ、疎まれパッシングの材料にされるばかりです。
教育とは「国家百年の計」と謂いますが、政府は一体今の若者の惨憺たる現状についてどう考えているのでしょうか、2002年から小学校に国語の時間を週3時間も減らして英語の勉強を始める計画になっているそうですが、英語の勉強を小学校からなど全く必要ありません、これこそ砂上の楼閣と言うのです。小学校のうちに正しい日本語をしっかりと教え理解させることが謂わば基礎体力作りであり、外国語を覚える土壌としては絶対に必要なのです。所謂“ゆとり教育”の実体は“ゆとりのない手抜き教育現場”ではありませんか。
このままでは数年後には我が国の言葉は“字”に書けないような日本語に変わってしまい、美しい日本語は知らぬ間に失われて行くのでしょうか。
あの格調高く美しい日本語で綴られた“三好達治”や“室生犀星”の詩集などが一顧だにされなくなり、誰にも理解されなくなるときがくるなど私には到底耐えられません。


2000.10.4

今日のA紙に面白い記事が掲載されていましたので、この前起った公立中学出席停止事件の真相と併せ皆様にご紹介し、やる気のない先生ばかりを横行させる今の歪んだ教育制度に警鐘を乱打したいと思います。
A紙の記事は3面トップ記事であり、大阪府和歌山県で中学、高校を経営しているサッカーやラクビーで有名な初芝学園が、先生を採用するにあたって理事長の経営する「うどん屋」の社員として雇用し、学校に出向させる形式をとっており、できの悪い先生は「うどん屋」に戻す制度が評判になっています。
教職員組合は『我々はうどん屋の店員を志したわけではない』と反発していますが、そもそもこの学校は前理事長が経営に失敗したため、地元の要請を受けて全国520店を持つ「うどん屋」などの外食チェーン“グルメ杵屋”のオーナーが就任し再建したものであり、オーナーは『やる気のない者に安住の地を与える訳には行かぬ』と組合の意向に耳を貸さず、1年間の試用期間をクリアできた先生もその後5年毎に評価を見直すシステムとなっているそうです。 つまり5年間に何も進歩のなかった先生には再び、三度「うどん屋」修行が待っているのです。(馘になるよりマシか)私はこの記事を読み思わず“快哉”を叫びました。今の先生は異色のこの学校など極く一部を除き、先生は教員試験を通り先生にさえなってしまえばその人の能力に関わりなく教育委員会にだけ“おべっか”を遣うことの努力で、一生年金付きの安逸な生活が約束されている特殊社会であり、不祥事が起れば組合が騒ぎ出して事件を潰してしまう所謂“護送船団方式”となっているため、“いじめ”や“学内暴力”などに目を瞑り、いつも『知らなかった』『見なかった』を繰り返し、問い詰められれば『あらゆる努力を尽くしたが及ばなかった』でお終いとなるシナリオが用意されています。
これは職務上の怠慢というより、職務からの逃避であり教師としてより人間としての資質を問われる問題でしょう。
その最たるものは先日広島県の公立中学で起った前代未聞の20名出席停止事件です。余りの数の多さにマスコミでも問題になりニュースにもなりました。校長以下教員は問題解決のため懸命になって奔走したと語っていましたが、一般生徒は一様に『先生は見て見ぬ振りをしていた』と覚めた証言をし、【正論】11月号には、疑問を抱いた記者が直接現地入りして生徒に取材した【出席停止警告は広島県教職員組合の敗北宣言である】に次のような会話が掲載されています。
記者が学校前で待機し、偶々下校しようとしていたこの学校の生徒の3人組に声を掛けると『何も話したらいけないと言われている』と答えられ、それならイエスかノーで首を振って呉れないかと言うと頷いたので『先生は問題に生徒達にちゃんと注意したの?』3人の首は横に振られ『先生は見て見ぬ振りをしていたの?』全員首を縦に振りました『問題の生徒に先生は一生懸命関わっていた?』には横で『じゃあ先生は諦めていた?』には縦でした。
上記の“会話?”でお分かりのように何の努力も尽くさないで出席停止の措置は、試験の答案を採点もしないで零点を付けたに等しいのではありませんか。
こんな学校は初芝学園に頼んでお金と学舎を付けて引き取って貰ったらいいのです。
きっと先生は「うどん屋」に戻りたくないので真剣に生徒と関わり合おうとするでしょうし、そうすれば問題生徒にも必ず先生の“思い”が通ずる筈です。

この記事掲載についてA紙より意見を求められた関西の文化人京大の森毅先生はいつもの口調で含蓄のある次のようなことを語って居られます。
『どこの先生にも毎年1月くらいうどん屋さんやって貰ったらええんとちゃう?けど先生がダメなら“うどん屋”というのは感心せんなあ、先生の方がうどん屋より偉いように聞こえるなあ、先生がダメやったらうどん屋はもっと難しいやろ』


2000.9.29

私共の優秀な女子職員が来年の二月に出産退職することになり、後任の職員が必要となりました。バブル以前は私共零細企業にとって求人は仕事以上に大変な作業であり、職安へ日参しても相手にして貰えない時期が永く続き、職員が充足できないために関与先を減らそうかと真剣に考えたことすらありました。ですから愚娘が平成元年に学校を終えてうちで働いてくれることになったときは、涙がでるほど嬉しく思ったことをよく覚えております。
然しバブルの崩壊と阪神大震災でこの10年近く不況が続いているため、仕事もめっきり減りましたが人的資源だけは高度成長期と大きく変わり、優秀な人材が低いコストで入手できるようになっています。ハローワークでは失業者が溢れ、学校の新卒者も求人が少なくて学校の就職担当者も頭を抱えているとかの情報がテレビや新聞などで見聞きされるようになり、それならば私らにもチャンスがあるのかもと、先日仕事の合間を縫って母校でを訪ねて見ました。
50年前と現在では大違いで学舎も他所へ移転し、私たちの時代と逆に女子が半分以上を占める学校になっていました。茶髪の女子学生達が屯する中を戸惑いながらも、職員室の場所を探していたら事務員らしい女性が通りかかったので、「求人のことでお伺いしたのですが」と恐る恐る切り出したら、こちらへどうぞと部屋に通されたまでは良かったのですが、その事務員の人が暫くして入ってきて「お名刺を頂けますか」と言うのです。
とっさに「名刺と云うものは対面で交わすものの筈だが?」と違和感と不協和音が神経をさすりましたが、そこは年の功で何も言わずに素直に渡したところ、数分して職業指導部長の名刺を持った先生が現れました。用件を伝えると『うちは今日はもう皆就職試験に行ってます、8月半ばで応募は締切っています』と言って私の顔を見るではありませんか、一体こいつは誰だ、何も知らぬ奴やなあと顔に書いてあるのです。
名刺の件もパチンコ屋の親父が景品交換の女子でも探しに来たと思われたのでしょう。士(さむらい)仕事でなければ居留守を使われるところでした。折角来たのに「そうですか、分かりました」と帰ってしまうのも大人げないので一応『就職難と聞いているので、女子学生で経理のプロを目指す人材でも居ないかと思って…』と言うと少しは態度が変わりましたが、『うちの就職率は毎年100%です、まあ就職できなかったら進学する者も入れてですが…大体うちは進学校です6割以上が進学します、第三学区で進学率難易度の高さは長田、星陵の次は北須磨でも友が丘でもありません、うちです。今春は神戸商大に4名神戸大学に7名へ入っています、北須磨や友が丘では神戸学院がやっとですが…』と胸を張られてしまいました。
就職部長に進学校の自慢をされてしまうのも可笑しな話ですが、進学の相談に来た訳でもなく、女子一名の求人に何でこんな話を聞かされることになるのでしょうか。
私の母校でもあるし現在ではここしか求人していないと言ったら、再度態度が変わり、未だ決まってない生徒もいないでもないという話になって、一度考えてみましょうと言われ、帰り際にやっと【学校案内】の冊子を別室から持ってきて呉れましたが、志望校に進学できそうもなく就職に切替えた出来の悪い生徒にでも心当たりがあったのでしょうか。会計事務所からの求人は私が初めてだそうです。
然し皆様何処か可笑しいと思われませんか、零細企業の経営者など初めから相手にする気がなく見下げられているのが流石に鈍い私にもよく分かりました。然し就職するのは生徒であって先生ではありません。どこを選ぶかは生徒自身が判断すべき問題であり、判断されるべき情報の開示を先生の意思や偏見で決めるべきではないでしょう。求人の相談には相手が誰であれ、まず自分の方から礼を尽くし、最初に学校を説明し、【学校案内】を見せるべきではないでしょうか。
そもそも先生のこのでかい態度は、昔“青田刈り”と謂われた高度成長の頃やバブルの時代に学校の就職担当の先生が就職依頼の会社からの頻繁な付け届けや、会社案内とかの名目で酒席に誘われ、『何人回しましょうか』など品物でも渡すように約束してきた時代の名残りが今も直らずに残っているのでしょう。時代錯誤もいいとこです。
特にこれからの社会は会社が大きければ良いという時代ではありません“寄らば大樹の陰”の格言は今や死語となりつつあります。自分自身の力で他者(ひと)の持たない技能を身につけなければ、学歴や勤める会社の大きさだけでは生き残ることのできない社会になっていることを学校の先生も知るべきですが、先生自身が世情に疎い社会での“無風地帯である親方日の丸、大樹の陰人間”の見本のような存在ですから無理もないとは思いますが、学校の力を借りずに縁故でもなければこんな小ちゃくても特殊な職種が選べないのでは子供達も不幸です。
今日のWEBはこれが終わりではありません、これからが本番です。
見下げられたことで、少しは落ち込んで居ましたが気を取り直して3日程後に時間を作り、高校の先生から“うちは4名も合格している”と胸を張られた神戸商大へ“ダメもと”で行ってきました。この学校も実は私の母校なのです。歩いて自宅から通った学舎は今はなく、遠く学園都市に移転していましたが、3日前とはえらい違いで、学生課の課長さんが親切に応対してくれて【学校案内】を頂戴した上説明を受け、その場で就職担当の課長補佐を紹介され一緒に話を聞いて頂きました。全学生1000人の内女子が2名しか居なかった私らの時代と様変わりが激しく、女子学生の数が男子の数と拮抗しているそうで、課長補佐さんの話では『税理士志望の女子が幾人かいるので紹介しましょう。女子は大体3年間で単位を取得してしまうので、あとは卒論だけであり2~3月が繁忙期ならアルバイト期間にされて仕事を教えられたらどうですか』など3日前の高校とは月とスッポン程も違う話なのです。
高校の先生は就職が決まっても4月1日までは規則だから会うことも許されないと言っていましたので、4月1日に来てくれても全然仕事ができない子だったらどうしようと考えたことも諦めた理由の一つでしたが、高校で相手にされずに、その高校からごく一部の優秀な男子学生しか進学できない筈の商大で歓迎されるこの落差は一体何なのでしょうか。
学生達には4歳の年齢差はありますがどちらももう大人です、就職先は学生達の判断に任せ門戸を広くすべきだと思います。
私にとって今回の予想外の出来事は、大学の場合は就職担当は専門の職員であり、高校では先生が就職担当を兼任していることが大きな原因ではないでしょうか。
大きくて有名な会社へ沢山生徒を送り込むことだけが就職担当の手柄になる高校と、学生の希望を尊重してアドバイスに徹する就職担当の職員とではこうも違うのでしょう。
早速昨日一人の女子学生が職場見学に訪ねて来てくれました。
中々難しいとは思いますが、ひょっとしたら来春は商大卒のフレッシュガールが我らの仲間になってくれるかも知れません。(^^)

話は全然変わりますが、日本人に快哉を叫ばせてくれたマラソン金メタルの高橋尚子さんがレース後に“タンポポに吹かれて42キロの楽しい旅…”とか句を詠んでましたね。字余りで42キロになったのかと思いましたが、よく考えるとそうではなく、実は残りの0.195キロはルーマニアのシモンに追い上げられてアップアップの苦しい旅だったからでしょうネ。
いつものひねくれ者の“ひとこと”でした。


2000.9.26

今月の初めA紙の“声”欄の投書【犬死にさせて何が英霊か】は、大きな反響を呼びました。私らからは20歳位若く我々と価値観も世界観も全く違う団塊の世代の次の世代になる方からの投書でしたから大変興味深く読ませて頂きました。
大東亜戦争の末期に食糧も弾薬もないままに8万人を超す兵を送り込み、殆どの兵を戦うことなく飢えと病(やまい)で“犬死”させたインパール作戦を「土壌」に、靖国神社への公式参拝を批判してのものでありましたが、通常の意見と違う処は投書の主が戦死者を「英霊」として祀られることによって、国と彼らを戦場に送り出した人々の免罪符となることが我慢ならぬと言って居られることでした。消耗品扱いされて“犬死”した戦争犠牲者が本当に「英霊」であることを望んでいるのか、実は草葉の陰で我々は“犬死”であったと叫んでいるのではないかと言って居られます。そして“犬死”の惨い事実を認め、受け止めることが本当の供養ではないかと結んでいられます。
私一人ではなく多くの方が関心を持たれたと思います。A紙には相当数の反応があったことでしょう。今朝の“声”欄に投書を肯定する『遺骨は石ころ、泣き叫び神棚を壊し仏壇を閉じた母』と、反対する『犬死では悲しすぎる、あなたは英霊ですよ』の両極の投書が掲載されましたが、賛成派、反対派は人それぞれであり、その人の生き様や肉親との関わりようによって変わってくるものです。私は事実から顔を背けてはならないと思いますが、“犬死” が「英霊」になってはいけない理由は断じてないと考えます。
そもそも“犬死”かどうかは主観の問題であり、現実として敵に襲われて弾薬もなく、逃げ延びるにも飢餓で走れない状況で死んで行った戦士が自らを“犬死”かどうかの自問自答する余裕などある訳がなく、只“大君”を思い家族を思い続け無念の思いだけを残して死んでいったのです。それを後世の傍観者である者が勝手に“犬死”だなどと言っているのですが、お国のために命を捧げて行った戦士達に“犬死”も“名誉の戦死“もありません。
皆様はあの片道切符で祖国に命を捧げた少年飛行特攻隊のことをご記憶でしょう。敵艦を目指した人間爆弾でしたが、敵機に撃ち落とされたり燃料切れや機器のトラブルで目的地に到達できなかったりで確率は大変低かったと謂われています。
これら使命を果たせないまま神に召されて行った彼らが“犬死”とは到底考えたくありません。日露戦争で軍神となられた広瀬中佐など一部の軍人だけが「英霊」ではあってはなりません。むしろ祀られるべき真の「英霊」はこれらの所謂“お国のために”の目的が果たせなかった戦士達を言うのではないでしょうか。
投書の主は、糾弾すべき標的を誤っっています。糾弾されるべきは”は当時の国や軍部でありますが、彼らを責めても最早死者は帰らないのです。戦死者の死の質的な部分を問うことなく、戦没者全員を靖国神社の「英霊」として我々日本人は永遠(とわ)に祀る気持を持ち続けたいと思います。
因みに、政治家の靖国神社参拝は公式非公式とか言う前に、私は参拝は政治家の義務だと考えます。諸外国への気兼ねや阿り(おもねり)などを捨て、8月15日に限らず毎日でも参拝すべきです。彼らの現在の安逸が偏に「英霊」であるべき戦没者によって培われたものであることを知るべきです。

それにしても“犬死”とは不思議な言葉です。広辞苑では「むだじに、無益に死ぬこと」などと書いてありますが、犬も迷惑しているのではないでしょうか。
銅像にまでなった忠犬ハチ公の話や、視覚障害者にとってなくてはならない盲導犬など、犬が人間にとって有益な動物であるにも関わらず、何故か犬畜生、犬侍等悪し様に言われるのは不思議でなりませんが、誰か無学な私に “犬死”などの語源を教えて頂けませんか。


2000.9.13

今日本業である税理士の仕事で区役所へ行きました。目的は関与先の事業主Yさんのの死亡に伴う相続税申告を兼ねた遺産相続のための固定資産評価証明書の交付を受けることであり、亡くなられたYさんの奥様からの委任状を持参してのものでありましたが、評価証明書を頂く段になってから窓口係の若い女性の方から、YさんとYさんの奥様とが相続人の間柄であることを証明するものがないと交付できないと言われてしまいました。
なる程、委任状には被相続人妻誰々とは書かれていますが、この“誰々さん”がYさんの妻かどうかの証拠を見せろと言われると困ります。然しこれまでの40年間に何十回となく相続のための評価証明書の交付を受けてきましたが一度としてそんなことを言われたことがなく、いつも亡くなられた方の配偶者か子供さんの委任状で評価証明書を頂戴してきましたし、同じ区役所内ですから続柄などは内部的に充分確認できることだと思っていたので、それなら同じ区役所の戸籍係や住民登録係があるからそちらで確認して下さいとやんわり反論したのですが、どうしても書類で確認できないと駄目ですと言われ、戸籍謄本を取りたくても委任状がないと逃げると、住民票なら委任状が不要だから取ってきて下さいと頑張られてしまい遂に根負けして“妻誰々さん”が本当の妻であったかどうかの証拠となる住民票を貰いに3階の固定資産税から2階の住民登録へ降りる羽目になりました。
さて2階で住民票の申請をし、待たされた挙げ句に漸く係員が住民票を持って出てきてくれましたが、手数料を払おうとすると彼が『何故この住民票が必要なんですか、申請書に書かれた住民票の使用目的(相続人であることの続柄の確認のため)には全く使えないし、こんなものが要る筈がありませんよ』と言うではありませんか、どうしてかと尋ねると彼が見せてくれた住民票には死亡のため全欄×印のついたYさんと“妻誰々さん”の奥さんもちゃんと記載されているのですが、どちらも世帯主となっておりYさんと妻であるべき奥さんとの続柄がどこにも書いてありません。
考えればそれもその通りであり、夫が死んだとたんに妻は妻でなくなっている道理ですからコンピュータのプログラムで世帯主である夫の死亡がイコール配偶者の世帯主への移動と自動的に組まれているのでしょう。然し幾らなんでもこの間までの夫婦が書類上同じ姓の同居人だと言われても仕方がない書類に様変わりするのはあんまりではありませんか。昔の書いたり消したり金釘流の手書き書類が懐かしく思われましたが、そんな感傷に浸っている場合ではなく、結局住民登録の係員が一緒に3階へ上がって話を付けてくれることになりましたが、結果は2階の負けでやはり続柄確認が必要であり、この住民票では駄目だという結論になりました。そしたら今度は住民登録の係員が“見え消し”の住民票なら相続人であることが分かると言いだすではありませんか。
齢(よわい)六十を経て生来の気短かも少しは癒えた筈ではありましたが“雀百まで”の諺は正しく、血圧も大分上がっているのが自分でもよく分かりました、然し役人相手に喧嘩してどうなるものでもなく、挙げ句が脳卒中で家族に迷惑を掛けたくもないのでじっとこらえて“見え消し”とは一体何ですか、何故それを先に言ってくれないのですかと問うと、“見え消し”の住民票には委任状がいるとほざくのです。
“見え消し”とはコンピュータの操作で死亡前の続柄が記載されその記載が=で見えるように消されている様(さま)を言うのでありプライバシーの侵害で他人には続柄の開示はできないのだそうです。
『それでは一体どうすればよいのですか、見ているとあなた方は毎日“家内です”“子供です”と言うだけで身分確認も何もしないで戸籍謄本でも評価証明でも平気で渡しているじゃないですか、私自身もこの前家内の評価証明書をとりにきましたが身分確認など何も言われませんでした。委任状の委任者の身分確認など市民への嫌がらせもいいとこであり、まるで姑の嫁いびりじゃないんですか』と開き直ると固定資産税も住民登録も返事に困って黙ってしまいました。
結局紆余曲折を経て最後はなんだかんだ言いながら委任状なしで、妻の字が二重線で消されている“見え消し”の住民票が貰えることになりましたが、300円が馬鹿らしいし、何れ相続登記に住民票が必要でもあり固定資産税に相続人の確認ができたのなら住民票を返してくれと言ったらコピーして原本を返してくれました。これぞ税金のムダ遣いそのものです。
因みに苦労して貰った住民票をよく見て見ると、“見え消し”の奥さん以外の家族には、続柄欄に“子” とか“子の子”となっているではありませんか、お分かりでしょう“子の子”とは孫のことです。一体長男とか次男とか孫とか書いては何か差し支えがあるのでしょうか。何処がプライバシーの侵害なのですか。
息子に嫁が来なくて悩んでいるどこかの母親から『区役所が長男と書いたさかい倅に嫁が来んやんか!』と怒鳴り込まれたりしたせいでしょう。まさか!これはきつい冗談でした。
然しこの住民票の記載云々は決して私の脚色ではありません。嘘だと思う人は一度住民票をご覧になって下さい。
高齢化社会の昨今です。曾孫が同居している家族もあると思います。きっと“子の子の子”と書いてあるのでしょう。玄孫ならどうでしょうか。
閑話休題、私など職業柄よく通い、役所のことは幾らか分かっているつもりでありながらこのようにウロウロさせられる有様ですから、一般市民の方が役所の中をたらい回しされ半日掛かりで最後に辿り着いたのは一番最初に訪れた窓口だったという話は笑い話でも何でもなく本当に毎日起こっていることなのでしょう。
お陰で5分位で済む予定がナント1時間と40分も掛かってしまい、インコのQちゃんに『直ぐ帰ってくるからね』と約束して出掛けていたので、待ち焦がれていたQちゃんのご機嫌が悪く宥めるのに苦労しました。
固定資産税係で待っている間、近くから大きな話声が聞こえてくるので、そちらを見ると隣の部屋でマジックがあと幾つとか声高にプロ野球談義に花が咲いていました。
通路に立っている私と目線が合うと慌てて座り直し仕事をする振りをする白々しさ、部屋の看板が【まちづくり推進課】とあり十人近い職員がいましたが一体この課は何をしているのでしょうか。オンブズマンの皆さん一度調べて頂けませんか。


2000.9.10

エコロジーで自然環境を回復しよう
北欧にスウェーデンという国があるのを皆様ご存知でしょう。この国は日本とよく似ていて、やはり石油資源の輸入国なのですが、我が国と大きく異なっていることは第一次オイルショックのときに日本政府は狼狽えるだけで何もできず、トイレットペーパー隠しなど姑息な金儲けのみが横行し、政府が何の対策も講ぜず無策に終始したお陰で我々国民だけが莫大な被害を蒙ったのでしたが、それに引き替えスウェーデンはこのオイルショックを国を挙げて真摯に受け止め、このままでは経済面でも環境面に於いてもダメになってしまうのではないかと真剣に考えたことでした。偶然にもこの国は森林面積も森林の蓄積量も日本とよく似ていてほぼ同じ位なのですが、日本と違ったところは、木材資源以外に何もないことからこの木材資源を最大限に利用して国益に資することを考えました。
そのためにまず林業に国を挙げて総力を注ぎ、四半世紀を経た現在では林業が国を支えている輸出産業となっており、日本にも建築材料やパルプとして膨大な量が輸入されています。一方日本はその間何をしていたかと言うと、何もしなかった方がマシだというような愚かなことをしていました。
昔から我が国では林業が盛んであり、本来の目的は薪炭の生産であったのですが、林野庁は化石燃料の登場と共に急に気が変わって薪炭の製造を止めてしまい、もの凄い借金をして建築材である杉や檜の植林を始めました。
農民達はそれでも自分たちの自給用にと薪炭を作りに山へ通い、山の自然環境も維持されていたのですが、いつの頃かプロパンガスという名の“外面菩薩内面夜叉”が田舎にも侵入し、遂に薪炭もそのつくり手を失い環境破壊の前奏曲となりました。
政府が生産者米価(実は高値維持)を護るための減反政策を強行したことにより里山周囲の田圃も省みられなくなった今、里山には人が入らなくなり、植林地帯に雑木の下刈りなどがされずに放置されたままであり、収穫期を迎えた現在これらが全く売れない状態です。
何故売れないのかその理由は、木材は伐採の段階でどうしても35%から40%の林地残材が残ります、そして製材所での木材への加工段階で更に25%から30%の鋸屑となり、建築現場でも若干鉋屑が発生しますから都合70%以上が捨てられていることになりこれではどんな商売でも儲かる道理がありません。林野庁が借金を返済するどころか利子も払えない状況が続いているのはこのような訳なのです。
やがては我々の税金でこの赤字を埋めさせられることになるのでしょうが、おまけとして春先から初夏に至るまで杉花粉と檜花粉が我々を悩まし、医者の売上増加に寄与する副作用までもたらしています。
豊富な森林資源を有しながら、借金ばかり増やして建築材やパルプの殆どをカナダやスウェーデンなどからの輸入に頼っているとはどう考えても可笑しな話だとは思われませんか。
このように愚かな我が国の行政に対し、スウェーデンは林業を活性化させるだけでなく、試行錯誤を何度も繰り返しながら遂に捨てられる森林資源を環境に優しい木質燃料によるエネルギー資源とすることに成功しました、それは火力発電事業です。
木材の燃焼による二酸化炭素は伐採量がその木材の年間成長量以下であれば木々がそれらを100%吸収してくれる処からの発想であり、石油の方が廉く原価が割高になる不採算部分については化石燃料に対し炭素税という環境税を課すことで解決しました。バイオマス(生物体をエネルギー源として利用すること)燃料の使用量は現在20%弱ですが、2020年にはこれを30%まで広げる計画で着々と目標に向かって邁進中です。
ストックホルム空港の維持がこれらのバイオマス燃料によって賄われているのは有名な事実です。
このように日本と殆ど同じ環境にあるスウェーデンが、自国の唯一の資源をかくも有効に利用し、木材輸出でドルを稼ぐと共にそのお釣りである捨て材を木質燃料としてエネルギー源とすることで環境保全を達成しようとするなど我が国が見習うべきことが“山”とあるに関わらず、これらの事実を知りながら敢えて日本の政府の誰もが動こうとしないのは、中には心ある人も居るでしょうが(もし居ないなら悲しすぎるので)、自分たちを取り巻く環境が、ゼネコンを初め各種団体の利権と政治献金とを結ぶ関係で成り立っているため、どうにも動きようがないのでしょう。
例えば東京電力や関西電力の電気は高すぎる(実際日本の電気代は諸外国に比べて高すぎます)から捨て材を燃やして火力発電して廉く国民に電気を供給しようなんて会社が出てくると一番困るのは東京電力や関西電力ではなくて、政府自身なのは皆様もよくお分かりでしょうネ。
明治維新、殺されてまで大所高所に立って日本の将来を考えた吉田松陰や、私情を断ち切って武士の身分を廃止して廃藩置県を断行し、新しい日本を創り上げようと努力された大久保利通は今の政治家達を見て“これが後世の日本人か我々のしてきたことは何だったのか”とあの世で慨嘆しておられることでしょう。
先日の夜、仕事の傍らNHKの夏のラヂオセミナー【里山を考える】を聞いていて、エコロジー(生態学)という学問があるのを知りました。京大の田端英雄先生の講演【変わり行く身の回りの自然】からの収録でしたが 、エコロジーとは例えば“オールリシジミ”と云う蝶が棲息するには “クララ”と云う豆科の植物が必要であり、“クララ”が生えなくなったのでこのの蝶が絶滅しかけており、それは人間が家畜を飼わなくなったため“クララ”の生育に好ましい草地がなくなったせいだとか云うような気の遠くなりそうなことを研究する学問であり、初めは余り興味の持てそうな話ではなかったのですが、メダカやゲンゴロウがでてくるところから、先週棚田をテーマのWEBをリリースした後でもあり、話に引き込まれて行きました。
先生の話の中ではあっ!と驚くようなことが随所にあり、一見国の施策と無縁と思えるエコロジーが実は、地球や日本の国の運命を左右する重大なサインを持つものであることを教えられました。
その一つがスウェーデンの国を挙げての変身であり、前述のバイオマス燃料の話であったのです。我々も漸く身近な自然の価値に気付き始めました。
先生が蝶から里山、里山から森林と自然環境の回復(最早保護ではありません)と“パンドラの箱”であった化石燃料からの脱却を呼びかけられている姿勢には全く頭が下がります。 “畑違い”と謂う言葉がありますが、世の中もう自分の畑は自分では見えなくなっているなのかも知れません。
今度この田端先生が来年四月に開校する岐阜県の専修学校の教師になられます。担当授業はズバリ【里山】です。
田端先生の【里山は放置していては護れない、木を燃やして発電しその電力を地域に供給することで林業を再生したい】との燃ゆる思いと【森と人との共生】を開学目標に掲げる岐阜県の方針がドッキングした異色講座が開かれることになりました。
この専修学校で是非第二第三の田端先生を育てて頂きたいと私は心から願っております。


2000.9.1

とうとう先月の神戸は雨らしい雨が降らず、各河川は干上がり、琵琶湖や一庫ダムの貯水量が危機に瀕していると聞きますが、一昔前とは違って下水道が整備されたことにより、水の需要が圧倒的に増加したことが一因かと考えられます。
然し、水不足の原因は雨のせいばかりにされていますが、根本的な原因は別にあると思われます。昔は湖やダムに注ぐ河川や、湖やダムから流れる河川の両岸の山裾に数多くの棚田や畦そしてメダカやミズスマシが泳ぎヤゴが羽化していた水路達が介在しており、森や山の木々の貯水力と共に山から川に注ぐ水の隠れた貯蔵庫としての役割を果していました。河に水さえあれば湖やダムからの放水が防げる訳ですから、少々の干魃でも水の供給源に困ることはなかったのでしたが、今では山はゴルフ場だらけで森や木々を失い、田は休耕田となりやがては宅地開発で失われて行きました。その結果河川の周囲の土地の保水性が著しく悪化し、少しの雨で河川は鉄砲水で溢れる始末となり、貴重な淡水が森や木々を経由して空に帰ることなく、海に流れ込んで行ってしまったのです。これを千載一遇のチャンスとし、住民を水害から護るという大義名分で自然の生態系を無視した河川の改修工事が行われ、何十兆もの血税が悪徳政治家やゼネコンのふところに入っていったことは皆様よくご存知の通りです。
哀れなのは、宅地開発に伴う棚田の水路の消滅で不本意ながら河川に引越してきたメダカ達です。そして彼らの最後の居住区を奪っていったのは自然の営みを無視した河川の改修工事なのです。
話が横道にそれました、本題に戻しましょう。
人の生活の優先を旗印に神の摂理に刃向かい自然を犠牲にしてきた行政と昭和40年代以降日本経済の高度成長のお陰で私達の生活は、環境面を除いて少しは豊かになったかも知れませんが、豊かになった反面精神面が疎かになり“もの”を大切にする、節約すると言う気持ちが段々失われてきました。その結果“ゴミ”などの環境問題について近い将来その“付け”が我々の次代に廻ってくることは目に見えているのですが、自分達だけがよければ良いのでしょう、誰もこの問題に顔を背け敢えて触れようとしません。
水資源に関しても同様のことが言えると思います。自然の恵みを当然のように頼りすぎているのではないでしょうか。アフリカの砂漠に雨がほとんど降らないのは、少雨のため砂漠になったのではなく、木々や森がないため雨が降らないからなのです。
雨の降らないことを『今年は異常気象だ』と言う前に、水が天に帰れない環境に少しづつなっていることに我々は気付くべきです。
お盆頃のことですが、NHKのニュースで8月になって雨が降らない地域の幾つかに神戸市垂水区と明石市が選ばれていました。垂水や隣町の明石は過去30年に渉り、明舞団地、名谷団地の建設、学園都市、西神ニュータウンの新設、明石大橋の開通と巨大な工事が矢継ぎ早に行なわれ、緑と自然を犠牲にしてきたことの是否を神に問われようとしているのではないでしょうか。
我々は一度経験した甘美な生活は容易に変えられません。今更下水を廃止もできないでしょう。そこで提案します。日常生活で使用する風呂や厨房の生活用水を捨てることなく、水洗トイレに再利用できるタンクを創設し、工事費に対し行政が補助金を出し、更に水道料金を割引すればよいと考えます。現在ソーラーシステムに通産省が全額補助金が交付する制度になっていますが、熱源より水の方が人間の健康や生存に必須です。
又、些細なことだと思われるかも知れませんが、最近になって普及しているレバー式の水道の蛇口も水の無駄遣い犯人の一味です。昔の蛇口は左右に捻ることで開け閉めだけでなく、使用水量の調節が容易でしたが、現在のレバー式は調節が難しく、必要な量だけ容器に満たすにも小さい容器では不可能であり無駄な水が溢れ余程注意深くしないと肝心の容器には少しも溜らないことは皆様既に経験済でしょう。塵も積もれば山となるの諺通り、これらの無駄が膨大な量になっているのではないでしょうか。
又、レバーによっては押下げ式と押上げ式があるのも困りものです。私共の関与先に芦屋に居住され神戸の兵庫区で診療所をされている内科の先生が居られますが、そこの奥様がこぼされるのに『芦屋へ帰ったら押下げ式で診療所では押上げ式なので、しょっちゅう間違って困るのヨ。』
阪神大震災で落ちてきたものの重みで水道が出しぱなしになったことから、それまでの押下げ式から急遽押上げ式に変わったそうですが、通産省はJIS 規格やJAS規格とかメーカーには普段五月蠅いことばかり言いながら、震災が起こらなければ水道の蛇口の開閉にすら配慮がなされないなどお粗末ですね。


2000.8.23

23日の午前中どのようにして選ばれたのかよく分かりませんが、小学生が大勢霞ヶ関のお役所見学に訪れた風景がNHKのお昼のニュースで報道されていました。
キャリアエリートのいつも恒例のリップサービスでしょうが、大島理森文部大臣が大臣室で子供達に『君たちも小学生の内に早くパソコンの勉強をしましょうね』と話していたのを聞いて驚きました。何がパソコンの勉強なのですか、大臣自身がパソコンをできなくて悔しい思いをしているからかも知れませんが、教育者の長(おさ)たるべき人の言葉とは到底思えません。公私混同も甚だしいと考えます。日本の文部大臣が『小学生は小学校の内に正しい日本語の勉強をしっかりして下さい』とどうして言わないのですか。
再来年から各週土曜日が休みになる上に国語の時間が大幅に減らされるというのに、どうしてパソコンなど勉強する余地があるのですか。
それともまさか休みとなる土曜日にパソコンの勉強をせよというのではないでしょうね。
大臣は知らないでしょうが、再来年からの土曜日は親子でいろんな体験をする【全国子供プラン】なるものが、「ゆとりの教育」の一環として既に作られているのです。嘘だと思う人は【文部省子どもホームページ】を開いてご覧なさい。
日本語ができなくては英語どころではなく、数学を初めあらゆる学問が諸外国に置いて行かれている現状を文部大臣は一体どう考えているのでしょうか。
小学生から作文を読むような質問と大臣からの無難な模範回答が交されていましたが、どっこい国会の質疑の答弁と同じで、小学生の質問も大臣の回答も予め省のお役人が作ったものだったのでしょう。
誰か一人でも『どうして再来年から国語の授業時間が減らされるのですか、僕たちの授業時間が30%も減らされる【新指導要領】の実施中止を何故やらないのですか、どうして文部省の予算は国家予算の7%しかないのですか』などと質問したら大臣はどう答えたでしょうネ。
どうせ大臣なら何でも良かったのでしょうから、不勉強で【新指導要領】も何も分からない大臣は目を白黒させて答えられず、冷や汗タラタラの文部省のエリートお役人は急遽NHKの担当上司を呼びつけてVTRをカットさせ、記者達には箝口令が敷かれたことでしょう。
おまけにその小学生の学校校長とその学校を選んだ教育委員会の責任者は左遷降格されることになったでしょう。
大島文部大臣も大臣就任前後から周囲とも公私超多忙となったらしく、科学技術庁長官も兼務のことでもあり、教育者の長(おさ)たるべき勉強をする寸暇もないのでしょう。因みに大島理森のホームページを覗いてみると、ナント!本年6月3日以来更新されて居らず、文部大臣就任の晴がましい記事すらなく、現役職は衆議院議員運営委員長となったままではありませんか。本人が直接URLを更新する筈もありませんから、誰かが大臣に『あんたのホームページには文部大臣就任のことも書いてないヨ』と言ってやったら、びっくりするでしょうネ。担当の秘書さんか事務員さんが馘首になったりして…。


2000.8.17

今日の夕刊を見ていたら、川西市の猪名川河川敷で地元の人達が育てていた“コスモス”が開花を間近に、除草作業のため市の業者によって刈り取られてしまった小さな記事が目に止まりました。
市民から抗議を受けて川西市は『市民の善意を踏み躙る結果となり申し訳ない』と謝罪したそうですが、何でも4列400メートル千本にも及ぶコスモスだったそうですから、清掃植栽の専門家である委託業者にはこれらが雑草かどうかくらいの区別が付かぬ筈がありませんし、市の役人がどんなにボンクラでも植えられたものがコスモスかどうかは兎も角、何かが人の手で植えられていたことは分かっていたでしょう。
それが、どうしてこんなことになってしまったのか少し考えてみました。
そうです川西市は分かっていて刈り取ったのです。河川敷や河原の土手で近くのお年寄り達が草花を植えて楽しんでいる様(さま)はそこいら中でよく見られる心和む風景です。
然し行政はこれらの行為がいつか耕作権など住民に権利を生じさせはしないかと常に快く思っていないのです。
ホームレスの人達にガードの下や橋の下から出て行けと言うのと同じ理屈なのです。
ですから何かの機会に理由を付けてばっさりと刈り取ってしまい文句を言いに行っても、『誰に断って植えたのか!お上に楯突く不届き者め!』と居丈高に居直られるのが目に見えているため皆泣き寝入りをしていたのです。
今回も今月26日の花火大会開催がその理由であり、市はこれを千載一遇のチャンスにしようとしたのでしたが、ある事情から市は伝家の宝刀が抜けずに苦境に陥ったのでした。
お役所の【縦割行政の欠陥】とよく言われますが、コスモスの花を育てている人達の中にはナント!市立川西中学校の生徒10名が社会体験活動の一環として参加していたのでした。
学校教育の一部でもあり、川西中学の校長先生に『生徒は秋に花が咲くのを楽しみにしていました。ショックは大きいでしょう』とまで言われてしまっては市も申し開きの余地がありません。『ご免なさい』と言わざるを得なかったのは当然でしょう。まして市立中学となれば、謂わば同じ会社ではありませんか、営業二課が営業一課の仕事を潰してどうしますか。
川西市は業者に責任を擦り付ける訳に行かぬので、業者に作業範囲の的確な指示をしていなかったというのが、苦しい言い訳の弁ですが、先に書いたように業者は植栽のプロです。命令がなければ刈る訳がありません。下見をした段階で市にお伺いを立てている筈です。然し業者は『市がコスモスを刈ってしまえと言った』とは口が裂けても言わないでしょう。
何故なら業者は次の仕事を貰はねばならぬ弱みがあるし、何より逆に市に貸しを作ったことになり、これから当分市の清掃植栽は特命で受注でき左団扇と考えるのはいつもの私の性根の悪いとこでしょうネ。


2000.8.3

1ヶ月程前の夕方、事務所の前で花達に水を遣っていると、『道路が隆起してますヨ』と通り掛かりの人が教えてくれました。
隻眼なので言われるまで気が付きませんでしたが、よく見てみると確かに舗装部分が1メートル四方くらい5-6センチも膨れて水が滲んできているのです。アスファルトを数センチも持ち上げるエネルギーは只者ではなく、慌ててすぐ近くの消防署へ電話したら、それは市の【土木】へ言えと言われて気が付きました。
そうです。忘れもしない5年前の阪神大震災のとき、家の傍らのガス管が壊れてガスがシューシュー噴出してたのでビックリして100メートル先の消防署へ駈けつけたら、署員にそれは大阪ガスに言えと言われたときのことです。あのときは『爆発したり火事になったらどうするのか』と詰め寄ったら渋々2人来てくれましたが、噴出すガスを見ても如何して良いのか途方に暮れ、『粘土でも捜してきて詰められんのか』と訴えてもオロオロするばかりで大阪ガスに連絡するからと言って逃げるように帰ってしまいました。一体この連中は火事が起こらないことにはなすすべを何一つ知らぬのかと呆れたことを一瞬思い出しました。
閑話休題(それはさておき)、【土木】へ電話したら暑さでアスファルトが隆起したのだろうから心配はないと言われ、『水が出てますヨ』と言うと、それは水道局の縄張りだからと水道局の電話番号を告げられ、水道局へ電話したら5時までに言ってくれんと、とかぶつぶつ言いながらもヤット来てくれました。背が低くてよく肥えたのと背が高くて細いのと対照的な二人で、役人なのが横柄な態度ですぐに分かりましたが、何やらイアフォンをして棒のようなセンサーを近くの幾つかの水道栓に当てていましたが、漏水の音がしないから下水に間違いない、水道なら物凄い水圧だからこんなもので済まないとか言って下水局に連絡すると帰ってしまいました。夜遅く来た下水局は腰の低い人達なので名刺を貰ったらお役人ではなく水道業者でしたが、言葉の使い方から応答までそつがなく、役人と業者はこうも違うものかと変なとこで感心しましたが、下水なら汚水管から溢れる筈だから水道の漏水に違いない、明日の朝両者立会いで掘削すると言ってこれまた帰ってしまいました。
さてどちらが“ごめんなさい”と言うか次の日の朝が“みもの”で楽しみにしていましたが、翌朝結局来たのは下水局の下請業者だけで、下水管を開けてみて何ともないから結局水道の漏水ですと結論を出し、水道局に連絡しますと又々帰ってしまいました。
下水局を犯人に仕立て上げた水道局の凸凹コンビがどんな顔をして何時やってきたのか、私は仕事で居なかったため分からず残念でしたが、2、3日してから業者が数人やってきて、表の道路をガリガリと重機で掘りだしました。(1m四方位ですから人の手の方が遥かに簡単で早いと思いますが、重機を使わないとお金にならないのでしょう)半日近く工事音と振動に悩まされ仕事にならず、昼前に済んでヤレヤレと思っていたら、又2、3日してガリガリと音が聞こえるのです。早速文句を言いに出て行ったら、前と顔の違う業者が私達が受けたオーダーは、この道路に間違いないと図面を見せて言い張るのです。よく見るとその水道工事は道の向う側半分で2-3日前のは道路のこちら半分でした。この業者はこちら半分の工事のことも知らず『オーダーさえあれば、そちらも遣りますヨ』と言う始末、狭くやっと車が換わるだけの道なのに、工事は道路半分ずつ、下請けか孫請けか分かりませんが業者も別々、生活道路の1㎡の小さい工事なのにガードマンまで置き、一体市は何を考えているのでしょうか。ガードマンが法的に必要なら、暇を持て余している市の役人を監督を兼ねて立たせて置けばよいのではありませんか。市は工事の立会いをする義務がないのでしょうか(立会したことになっている?)
後でお役人が現場を見にきた形跡もなく業者からの報告と多額な請求書を貰うことで1件落着となっているのでしょう。
どれだけ費用が掛かったか元請業者がどれだけピンを刎ねたか、我々は知るよしもありませんが、民間なら予算を立てたり見積りを取ったり費用も期間も経済的で合理的な方法を模索する筈ですが、業者へ支払うお金が自分達が預かっている市民の税金だという感覚の欠如しているお役人の仕事となるといつもこうなってしまいます。
たとえ市民オンブズマンの力で市の経理が公開されることとなったとしても、費用の質的な内容までは賄賂でも発覚しないことには永久に解明されないことでしょうネ。


2000.7.29

18歳の少年が排水検査を装って家に入りこみ、母親である本村弥生さんを持参したガムテープで手足を縛り、絞殺した後強姦し、泣き叫ぶ生後11ケ月の赤ん坊を床に叩きつけ、それでもハイハイして必死に母親に縋って行ったため、予め用意していた紐で絞殺し, 財布を奪って死体を押し入れに隠し、そのままゲームセンターへ遊びに行き、盗った金で買い物を済ませ、おまけにいつものように友人宅で談笑したという信じられないような事件を皆様はご記憶でしょうか。山口県光市の新日鉄社宅で昨年起きた傷ましい事件です。
この事件の判決公判が今年3月に行われマスコミの注目の的になりましたが、当然すぎる死刑の求刑にも関わらず、山口地裁の渡辺了造裁判長は“大方の予想通り”無期懲役を言い渡しました。何が“大方の予想通り”なのか私には長く分かりませんでした。今回遅まきながら、WEBに取上げることになったのは、文芸春秋8月号に掲載された日垣隆氏の評論を読ませて頂き、私の疑問の幾つかが解き明かされたからです。
その当時の私のWEBメモ帖には被害者の人権は何処へ?、判事は何を恐れたのか?“大方の予想通り”とは何故か?と記されています。
日垣隆氏の評論によれば、この鬼畜の如き残忍非道な少年の犯行に最愛の妻と子供を一瞬にして失うこととなった夫の本村洋さんが証人尋問の際『判決が死刑でなければ私が殺します』と裁判官に明言したそうですが、これが悪かったのでしょうか、裁判官は本村さんの顔も見ないで無期懲役を言い渡しました。
『お上のなさることに間違いがあろう筈がありません、是非被告に極刑を…』などの証人の意見を期待していた処が、上記の過激発言で、鼻にぶら下げたプライドを傷つけられ頭にきた判事は判決を言い渡すに際し、本村さんが抱いていた家族の遺影を被告の人権を楯にとり、被害者の名前も顔も忘れてしまっている被告に写真の顔が見える可能性があるからとか本村さんを怒鳴りつけ横暴にも二人の遺影に布を被せることを命じたのでした。最後にはあてつけがましく『今回のことを充分に反省して罪の償いをしなさい。よろしいですね』と裁判長は優しく被告に声を掛け、被害者の遺族には一瞥だにせず退廷したと謂われています。
一市井人として義憤から公害訴訟のデモに一度参加したというだけの理由で判事への任官を拒否された事件が最近ありましたね。判事には“公平らしさ”が必要だというのが罷免について最高裁の最終判断でしたが、職業上あってはならない偏見を人前に晒し、被告の人権々々と何んでこんな単細胞な裁判長が居るんですか、被害者の人権はないのですか、あるなら一体何処へ行ったのですか。この渡辺了造判事は“公平らしさ”の欠片もない、偏見のかたまりではありませんか。最高裁は志望を叶えるため最高裁まで訪ねたあの可哀相な判事志望の青年を採用し、こんな判事をクビにして下さい。
然し、日垣氏の調査によれば、判例をコピーして判決を決める我が国では、この愚かな判事がもしプライドを傷つけられてなくても、判決は無期懲役だったそうです。本村さんはそれを察しての発言だったのでしょうが、日本では未成年者(肉体は立派な大人でも)は永山事件の判決以来4人殺さないと死刑になってないのだそうです。未成年なら4人、成人なら2人が死刑か無期かの分水嶺の相場となっているのです。
判例と異なった判決を出した判事は、次の高裁で逆転判決されると一生窓際族とされ、最高裁からの差し戻しにでもなれば高裁判事は何処か僻地に飛ばされるそうです。日垣氏は保身と出世しか念頭にない殆どの判事には遺族達は全く期待できないと述べておられます。不幸にして渡辺了造裁判長はこの保身と出世組だったことが本村さんには不運でした。
然し人間は“モノ”ではありません。数合せで死刑が無期になったのでは堪りません。一体法務省は殺害手段の質的な面を考慮に入れているのでしょうか。人間の尊厳にはその“死に様”も含まれると思います。生後一年も経たぬ赤ちゃんを床に投げつけるなど、抵抗する術“すべ”を知らない者に対するこの残虐な行為だけでも、人間性の一端が残っていると謂う裁判長の言葉が空々しく聞こえますが皆様はどう考えられますか。
最近火あぶりにされて死亡した少年の事件がありましたが、八百屋お七で有名な火あぶりは江戸時代にあった死刑の中でも極刑だった筈です。この犯人の量刑に、焼かれて殺された少年の苦しみが加重されるのでしょうか。私はこの犯人を刑法十一条を改正して“火あぶり”にすべきだと考えます。そして強盗殺人、強姦殺人は理由の如何を問わず全て死刑にすべきです。
余りにも昂奮してペンが滑りました。これでは血圧に良くないので話を本論に戻しましょう。私は常々量刑について疑問に思っていましたが、今回始めて“刑法”なるものを読みました。六法全書は仕事柄よく接していますが刑法は始めてであり、読んでいると次のような条文がありました。未だ明治時代の文語体であり、読み辛いものですが皆様ご存知でしょうか。

【懲 役】 第12条 《 懲役ハ無期及ヒ有期トシ有期懲役ハ一月以上十五年以下トス》
【仮出獄の要件】 第28条 《 懲役又ハ禁固ニ処セラレタル者改悛ノ状アルトキハ有期刑ニ付テハ其刑期三分ノ一無期刑ニ付テハ十年ヲ経過シタル後行政官庁ノ処分ヲ以テ仮ニ出獄ヲ許スコトヲ得》

ナント!有期刑の最高がタッタ15年なのには驚きですが、法務省は無期懲役とか上手いこと言って我々を騙しておきながら、その実、無期懲役は懲役30年であることが私達だけでなく“分数のできない大学生”にも簡単に分かります。
実務的には世論の批判などに遠慮して15年位で仮出獄にしているようですが、最近仮出獄後逆怨みで前の事件の被害者女性が刺殺された事件がありましたが、二度も不幸な目に遭われたこの女性は『私だけが何故!この世には神も仏もないのか!』と無念の内に瞼を閉じられたことでしょう。然しこれは明らかに人災です。《改悛ノ状アルトキハ…仮ニ出獄ヲ許スコトヲ得》この条文ををよく読んで見てください。文意は明らかに模範囚などに例外的に許された定めではありませんか。受刑者の心も読めないで、年数さえ経過すれば余程のことさえなければ、ところてん式に仮釈放する今の司法の在りかたが問われるべきではないでしょうか。死刑を告げることは判事とって勇気と決断のいることではありましょうが、幾ら何でも死刑か若しくは懲役15年はないでしょう。アメリカのように罪が加重され懲役360年なんてのもどうかと思いますが、刑期はしっかりと務めて貰はないとお礼参りが怖くて被害者の方が枕を高くして眠れません。
無期懲役となった死刑寸前の悪い奴が何んで15年で娑婆に出て來れるのですか。
調べてみるとこれまでの死刑囚の多くは仮釈中の再犯によるものです。本村さん母子を惨殺したこの鬼畜のような男も30歳と幾つかで、塀の中でたっぷりと学習し失敗を繰り返さない知識を身に付けて出てくるのですよ。そして再び同様の事件を引起し今度はやっと死刑になるでしょうが、第二の被害者のお墓に、もう定年になったいるでしょうが渡辺元裁判長はどう詫びるのでしょうね。きっと『昔のことは忘れた!』ととぼけ謝罪はしないでしょう。 森内閣は早急に刑法を改正して、刑法28条と25条の執行猶予を削除して下さい。
法の言葉というものは重いものであるべきです。判決で刑が確定した者はどんなことがあっても其の刑期は必ず務めさせて下さい。それが法律というものです。


2000.7.19

丹精こめた“お庭”を猫にめちゃめちゃにされた話はよく聞きます。他人事と思っていたらうちでも例外ではなく新しい事務所に念願のお花畑ができたまでは良かったのですが、隣に飼われている悪猫2匹が近所の野良猫と一緒に代わる代わるやってきていろんな悪さをしてゆきます。
悪猫の自宅が小さい建売住宅で生活環境が余り良くなく、居心地が悪いため、うちの花畑を運動場と昼寝の寝床とトイレ代りに毎日昼夜を問わずフェンスを越えて入って来るのですが、腹が立つことにトイレの場所が決まって花の苗を植えたばかりの個所であり、朝起きてみると苗がひっくり返って干からび、糞が代りに植わっている状景なのです。苗を植えてすぐの土が柔らかいので排便後の土掛けに心地が良いのでしょうが、最近の猫は生活環境がコンクリートやアスファルトばかりのせいか糞に土を掛ける習性を忘れてしまっているくせに、柔らかい土のことだけは覚えているらしく、高い苗を絶えずパーにされている私は堪ったものではありません。隣の人に文句を言いたいのですが、糞をしている猫が隣の猫かどうか夜中に現場を見ていた訳でもないし、こんなことで隣と喧嘩したくもないので結局泣き寝入りで私の血圧上昇だけが副産物として残っています。
先月の初め畑に念願の西瓜を植えることになったので自衛策として、ない智恵を振り絞った揚句、苗の周囲を割り箸や蘭の添え木などを幾重にも挿して垣根を作り、更に画鋲を撒くなどして猫が入り難くし、おまけに犬猫が嫌がるとの謳い文句の超音波によるセンサー付きの機器まで設置して苗を育てました。

苦労の甲斐があって雌花の受粉も上手くゆきやがて実がつき、毎日1センチ位宛大きくなっていくのを見ながら収穫を楽しみにしていたのですが先日の朝、直径25センチくらいに成長した西瓜の様子がおかしいのでよく見ると、西瓜に異状はありませんが、周囲の葉っぱや蔓が千切られてしまっているではありませんか。悪猫達が深夜西瓜の蔓や葉の上で悪ふざけをしたことによるものであることはあたりに散乱した猫の毛で分かりましたが、大切な蔓がだめになれば葉も育たず、葉が育たなければ西瓜も育たないことは明白ですから、もうこの西瓜の成長は期待できなくなり、1月半の労苦が水泡と帰しました。後は大きくならなくても、赤く熟してくれるかどうかだけなのですが、西瓜の成熟には積算1000度《一日の平均温度が25度なら40日間、30度なら33日間余》が必要なのであと10日位足りません。何とか千切れた蔓と葉っぱの最後のエネルギーで実らせてほしいと祈っています。
ところで今日皆様に聞いて頂きたいことは、西瓜の成熟のことなんかではなく、猫除けの薬や機器のことです。
これまでも園芸店等で、あらゆる薬などを買って試みましたが、かって一度でも効いた試しがなく、今回も高価なセンサー付機器も役立たず、これだけ科学の進歩した時代になんで?と不思議でなりませんでしたが、先週末、自宅を新築された顧問先の方と猫の話をしていて驚きました。その方も猫の糞の被害者であり、思い余って庭園の外構をして頂いた植木屋さんに相談したら、庭師として永年犬猫で苦労されてこられたその方の言われるのは、ナント!園芸店で売られている犬猫用の忌避剤などは殆ど効き目がなく、何故ならこれらの薬等は全て“動物愛護協会”の検閲を通過した殆ど無害のものしか発売できない仕組みとなっているそうです。
石見銀山“毒だんご”など作ろうと思えば簡単に作れて効果も抜群なのですが検閲がパスしないから作れないそうです。
私は全く知りませんでした。然し効かない薬を即効くようなラベルを貼って売るなど、これではまるで詐欺ではありませんか。
効き目のない薬を製造する業者も業者ですが、なんで“動物愛護協会”の検閲なんでしょうか。
察するに恐らく双方馴れ合いでのことであり、業者の売上の一部が寄附とかの名目で協会に還元されているのでしょう。
馬鹿を見ているのは、効かない薬をせっせと買っては協会を喜ばせている我々なのでしょうネ。
効かないと言えば“ナメクジ”退治の薬も同様効いた試しがなく、この“ナメクジ”も実は“動物愛護協会”の会員なのでしょうか?


2000.7.10

今日の夕刊を見て二度驚きました。両親と弟が瀬戸内海で海に呑まれ、8歳の少女が見よう見真似でクルーザーを独りで操縦して3歳の弟と共に無事帰港した事件がその一つでしたが、もっと驚いたのは小さなベタ記事ではありましたが、製薬メーカーの大手《三共》の役員が、脅迫容疑で送検されたという個所でした。
偶々、先週末の日経ビジネスの【ケーススタデイー】で製薬メーカー《三共》が“ヒトも新薬も育たず”と槍玉に上げられて84歳の経営者の老害振りと親馬鹿が暴露され、義憤に駆られていた矢先のことでした。
糖尿病の新薬が副作用で発売中止になり、変わるべき新薬も見当たらず、業績株価共に下降線を辿り山之内製薬にも追い抜かれたこの会社は、同族会社でもないのに60歳で就任した河村喜典社長が25年もの永い間、社長を辞めずに会社を君臨するという異例な長期政権が続きました。おまけに6年前第一勧銀を51歳で退職(銀行によくある退職干渉の肩叩きでしょうが)した長男を《三共》に入社させ周囲の批判も何のその、翌年取締役に就任させると同時に経営の中枢である企画部長に着任させるというワンマン振りなのです。子供の可愛くない親はいませんから、気持ちは分からぬではありませんが、これこそ公私混同もいいとこであり、真の経営者のなすべきこととは到底思えません。
今回5月に突然会長職に退いたものの“最高責任者は会長だ”と言うを憚らず、実権は引き続きしっかりと握り、一廻り以上も下(と言っても70歳ですが)の新社長は『これからも河村社長のご指導を頂きたい』と“ドン”の専制政治を代行するロボットに過ぎないのです。
その上今回、自身の会長就任人事にも策略があり、この人事に便乗して“若返り人事”とか上手いこと言って、将来の《三共》を担い次代を嘱望されている優秀な専務常務達をクビにしてしまいました。
創業者でも大株主でもないのにこの異常な人事には、長男の役員就任以来,その日に備えて警戒を強めて アンチ社長派や労組等から“社員有志より”とした怪文書等が社長達の“会社の私物化”を非難するあまり飛び交っていましたが、さては会長の作戦はやはり世襲であり、次期社長に長男を据える布石として邪魔な役員を辞めさせているのではという噂が社内に広まり、怪文書が再び活発化していたことを読んだとたんの今日の夕刊の記事でした。
私はてっきり、脅迫罪で捕まったのは、会社の将来を愁いた勇気ある正義の使徒であり、脅迫されたのは悪い社長親子だと思い込み、『そうか!義憤の余りの勇み足だったのか』と早合点し、こういう人こそ大切に育てていかねばならぬ人材ではなかったのか、《三共》は有能な人を一人失ったのが残念だ!と落胆の内に記事を追って行くと目が点になりました。
ナント!ナント!捕まったのは正義の使徒などではなく、社員全員の敵である社長の長男その人だったのです。警察の調べに対し、何でも元副社長(現顧問)が怪文書の黒幕だと思い込んでやったと白状し、容疑を認めているそうです。
その脅迫たるや、半年間に無言電話を数百回も掛け、顧問の顔に×印をつけ、首にニ重の横線を書きこんだ写真のコピーを顧問の自宅に送りつけるなどしたそうですが、ジメジメと陰惨なこの行為は性格異常者としか思えず、まるでその辺のストーカーそのものではありませんか。
こんな男が一流会社の社長になったのでは《三共》7,000人の社員が余りにも哀れです。この馬鹿息子は30年間第一勧銀で何を学んでいたのでしょうか。
こんな事件を起こしてしまっては、如何に厚顔無恥な河村親子も最早会社に居れないでしょう。
《三共》もこれで救われました。この会社は日本では同族会社の多い製薬メーカーの中では数少ない例外の会社なのです。
仕事ができても出世できない同族会社が嫌だから入ったという社員が少なからず居ますから、愚かな長男によくやってくれたと拍手を送りたい気分です。
何れは近々週刊誌のネタになって電車の吊り広告等を賑わすと思いますから、皆様楽しみにしていて下さい。


2000.7.6

雪印乳業大阪工場で発生したブドウ球菌による食中毒事故は非常に不幸にして不運な出来事でした。
私達はこの事件から二つのことを学びました。その一つは事故に対する役所の対応が余りにもスローモーであったということです。
先ず乳製品による食中毒事故の発生は先月26日に和歌山で幼児3名が下痢おう吐の症状で入院し、15名の幼稚園児がアイスクリームを食べて下痢などの症状を訴えています。更に27日に大阪や西宮で同様の症状の患者がでましたが、役所がこの工場に対し、最終的に行政処分である営業停止を命じたのは6日後の7月2日でした。その間に8府県一万人を超す被害(まだ増えるでしょう)がでてしまったのです。
こうなってはもう社長の辞任くらいでは済まされず、何れは司直の手を煩わし、厚生省の天下りでも受け入れなければ会社は潰され兼ねないでしょうが、消費者の健康や命に関わる食品を扱いながら、お粗末な衛生管理と次々と前言を翻す発言など、会社の内部管理の杜撰さを露呈した会社も会社ですが、厚生省や各市町村はこの間一体何をしていたのですか。
大阪市は立ち入り検査でしぶしぶ工場へ行ったものの、何をすべきかも分からずに、会社に原因を調べるように言ったり、販売の自粛や自主回収を指示したに過ぎません。
『有毒物を混入した製品を売り場に置くぞ』と脅かされただけで売上高が雪印の1/5しかないのに全国の薬局などから商品を撤去した勇気ある参天製薬と違って、本社から『理由も分からんのに回収はできぬ』と突っぱねられ、それ以上踏み込めないのでは何が行政指導ですか。
大体地域の保健所ごときに、大企業の製造システムが分かる訳がありませんし、製造ラインの工程図すら読めるとは思えません。食品衛生行政は食品メーカーや調理業者が正しい方法で食品の安全確保を行っていることを前提にしていますから、本来は馴れ合いなのです。不運にして食中毒が見付かっても、何故か3日間(何処から決まったのか?)の営業停止と相場が決まり、被害者が多くなると停止日数が増加する仕組みになっていますが、その間行政は何もしないのです。3日で何が変わるのですか?
業者は反省と被害者への補償を3日で終えればよいのでしょう。
話しは元に戻りますが今回の事件が大きくなった遠因は、企業側の“食品衛生行政の無知と無責任”に対する不信感にあったと考えます。
つい先日埼玉県の川越保健所が県内の二つのハムソーセージ工場に対し、大腸菌O157が検出されたとして回収命令をだし、後で検査ミスだったことが分かり、埼玉県がメーカーに陳謝するという事件があったのを皆様ご存知でしょうか、川越といえば雪印乳業の技術研究所のあるところであり、同製品の中毒の原因を大阪市に命じられて調べている場所なのも皮肉な廻り合せですが、中元商戦を控えてのこの誤報はハムソーセージメーカー二社に対し甚大な損害を与えたことは計り知れず、何れ民事訴訟を提起され、埼玉県は県民からの貴重な税金を費消することになるでしょうが、この情報は当然雪印乳業の上層部にも届いていたでしょうから、行政の縦割りによる情報不足で、社外に犯人が居るかも知れぬと考えこの事故に回収を決断するのは一種の“賭け”であったかもしれません。然し不幸にして賭けに敗れ、この会社は再起不能に陥ることになりましたが、この会社には“賭け”に敗れるべくして敗れた原因があり、それは雪印の企業内の組織に官庁同様現場の声が上に届かぬ、所謂キャリアとノンキャリの大きな溝が存在していたのではないかということです。
雪印の経営陣に対する記者団の質問で気付いて呆れ果てたのは、会社の社長以下役員達の誰もが工場のシステムに対し全く無知であり、何も分かっていないということでした。
そしてそのことが工場側と本社間との確執に繋がり、それが例の社長の記者会見中にも関わらず記者団の後部から異例の工場長の“激白”となったのでしょう。
工場長の言葉に『それは本当か!』と絶句した社長の姿は忘れられません。
現場を知ることは、どのような事業の経営者にも欠かせぬものでありますが、この会社ではその鉄則が何故か無視され、知らないが故の無理な生産要求をされ、工場側の不満が蓄積されて起こったものではないでしょうか。工程も知らずして、『もっと作れんのか』の効率優先では機器の洗浄など製品造りに後ろ向きの作業は手抜きされて当り前でしょう。
今回の事件は現場を知らずして生産性向上、ノルマ達成を謳った経営者が犯した悲劇であり、起こるべくして起こった事件だと断じて差し支えないと考えます。
経営者がなすべき第一はMBA資格を得たり、イメージガールなど起用して売上を上げることではなく、立派な製品を作るための作業環境を創造することです。そのためには工場で機器の洗浄作業など基礎作業に携わり、現場の全てに習熟した者から選抜して経営者の半数以上を選ぶべきが至当だと私は考えますが皆様はどう思われるでしょうか。
各食品メーカーは、今回の事件を他山の石とし第二の雪印にならぬよう、現場の声が上にスムースに通じるように工場との密接なパイプと信頼関係を築くため、役員は自発的に各半年単位で工場の機器洗浄とトイレの掃除係を住込みで勤めるべきではないでしょうか。


2000.7.1

年初に経営破綻した”そごう”に対し、金融再生委員会と預金保険機構は6月30日旧長銀”新生銀行”の有する”そごう”への債権約2,000億円を買い戻し、内約半分の1,000億円を”債権放棄要請に応ずるという異例な事態収拾となりました。
経済界のことは経済界内で処理さるべきが不文律であり、行政は民事不介入が鉄則の筈が何故特定の企業に利益供与せねばならぬことになったのでしょうか。
預金保険機構は公的資金の導入について、会社更生法適用や破産などに比べて債権放棄のほうが国民負担が少ないからだと言い訳していますが、多い少ないの問題ではないでしょう。
まず『国民負担がありき』が一体何処からでてきたのですか、社会的な影響と国民負担とはまるで違う次元の話です。日本の役人も年中アメリカの高官達の詭弁に惑わされている内にいつかこんな悪知恵を身に付けたのでしょう。巷で”究極のモラルハザード”(倫理の喪失)だと批判が高まっていますが当然です。
何処から天下ったのかHPにも載っていませんでしたが預金保険機構の理事長松田昇は、記者団の会見に際し、『そごうの再建は確実だ』と言っておきながら、会見終了直前、隣に座っている”黒衣”の囁きを受けて、『確実だといったのは誤りで確実性が高いということだ』と愚かにも慌てて訂正するなど再建計画がどこまで本気なのか疑わしい限りです。
再建〔恐らくダメだと思いますが〕が失敗しても、あの時はあの方法が最善であり事態が予想外に変化したせいだとかのコメントでお終いになることでしょうが、政府が充分に調査もしないで牽強付会の結論を急いだのは裏があり”そごう”は実はダミーで、政府は”そごう”などどうでもよいのではないでしょうか。
ずばり言わせて頂くと、政府の真の目的であり本命は、頼みの竹下元総理に逝かれ、縋る寄る辺を失い倒産を待つしかない同じく旧長銀等から巨額な融資を受けている”ゼネコン”達を救うための布石であり”前例”作りではないかと考えます。
アメリカからの”内需拡大”の無理強い要請に便乗して10兆円単位の無駄な公共事業で大盤振舞いした揚句が、バブル時のゴルフ場建設やリゾート地の開発など自然破壊の悪の限りを尽しておきながら、巨額な保証債務を抱え込んだ”ゼネコン”救済となると如何におとなしい日本人でも怒るでしょうから、そこでまず”そごう”で公的資金導入の実績作りと考えるのが至当ではないでしょうか。
それにしても自分達政治家の金蔓である”ゼネコン”を救うために助からない”そごう”に延命のためのムダ金を投入するなどもっての外です。
“そごう”の破綻は、興銀から天下り、周囲の役員達にも独断でバブル路線を撤退せずに突っ走った水島広雄元社長前会長の独裁政治と、バブル崩壊後も水島広雄のカリスマ性に洗脳されて善悪判断を失い、”どうぞどうぞ”と湯水の如く貸し続けた興銀や長銀の幹部らが齎した結果ではなかったのですか。
大義名分としてそごうの取引先は1万社、従業員は1万人とか社会的な影響が大きいなど宣っていますが、大きければ金をだせばよいのですか、阪神大震災で倒壊し、跡形もなくなったマンションのローンを乏しい給与から払い続けている多くの人々が居られますが、このような弱者を助けられなくて放漫経営のデパートを助け何が政(まつりごと)ですか。
預金保険機構による”そごう”への死に金は、被災された方々の住宅ローンの債権放棄に充てられるなら、生きた金になり国民も納得するでしょうが、”そごう”の救済だけは納得できません。
然し、社会的な影響とかの”言葉”には、波瀾を好まない我々日本人は弱いので、100歩譲って”そごう”に金を出すとしても、その前に為すべきことがあるのではありませんか。
それは水島広雄前会長を初め、彼の暴走を止めもできずに高い給与を獲って安逸を貪っていた過去の旧役員を含め役員達全員と、オームの信者同様水島広雄を”麻原彰晃”と思い込んで意の侭になり、國の公的資金導入の基を作った興銀や長銀の幹部をも刑事告発して塀の中へ送りこみ、株主代表訴訟の民事訴追では彼等の在任中の全給与、賞与、退職金(恐らく全財産より多くなる筈です)の全額を返還をさせてからが順序というものです。
一方同じ流通業界のスーパー”長崎屋”は今年初頭第一勧銀に債権放棄を求めたが、断られ3,000億円の負債と共に倒産し、3,000人の従業員が路頭に迷う運命を辿っています。
身の不運を嘆いた”長崎屋”の元従業員達は”そごう”延命を伝え聞き、どんな想いで受け止めたことでしょう。”寄らば大樹の陰”という言葉がありますが、”長崎屋”の社長が第一勧銀から来ていたら事態は変わっていたことでしょうか。
数ヶ月前600兆と謂われていた我々の借金は、何時の間にか現在630兆円に膨れあがっているそうですが、幾ら多くなってもアメリカが助けてくれないことを皆様ご存知でしょうネ。
といってもアメリカが敵だと言っている訳ではありません。誰も他人の子より自分の子が可愛いのと同様に、何処も自分の国が可愛いのです。
我々の真の敵は、植民地でもないのに自分の国よりアメリカの顔色ばかり見て、強いられる侭に『黒い烏を白い鷺』と言い続け、自国民を思い遣らない日本政府であることを知るべきです。


2000.6.8

朝日新聞の“窓”欄は論説委員室によるものであり、いつも【吉野川可動堰】や【長良川河口堰】等住民側に立っての鋭い論評でその切れ味には定評がありますが、先日の“窓”はこれまでと少し違っていました。
記事の内容は、新しく選任され就任した国家公安委員会の委員に関するものであり、国家公安委員と言えば新潟県警の少女誘拐事件の不始末や特別監察にきた関東管区警察局長らの賭けマージャンの不祥事でその存在と彼等の法外な高給が明るみに晒され、一刻世間を騒がしていましたが、人の噂も75日でほとぼりも冷めたつい先月24日、前任者の任期切れで新しい委員が選任され就任されたそうですが、 この人事が“窓”欄のまな板に上げられた理由は、新しく就任した委員が商売敵である読売新聞の前論説委員長だったからのようです。
“窓”欄はこの人事ばかりは首を傾げたくなると評しています。何故なら3月21日の読売新聞の社説では『委員は首相の任命だが、実際には警察が人選している。総じて既に一線を退いた人が多く,名誉職的な色彩が濃い。清新で活力に富んだ実力者を起用することを考えたい』と国家公安委員会のあり方について、警察刷新会議に思い切った外科手術を施すよう求める内容だったにも関わらず前論説委員長が委員就任とはいささか戸惑うと朝日はやんわりと批判していますが、その実は『言ってることと、してることが違うじゃないか』と言外に噛みついているのです。
改革の対象にして抜本的な見直しを求めた組織に加わるのは何故か、しかも警察が人選しているという問題点はどうなったのかと不満を露にし疑問を投げかけています。
読売の主張は建前としては正論だと思いますし、朝日の疑問もそれなりに納得できます。
新委員の荻野直紀氏は只の論説委員長ではなく、東大出の常務取締役だった人ですから、そのもろもろの影響力を考えてマスコミを味方につけようとする警察の意図だと思いますが、何故朝日がそんなに目くじらを立てたのかよく考えてみると、朝日の本音は“日本の良識、天下の朝日”の矜持の手前、朝日を差し置いてこの名誉職を読売ごときに奪われたことが我慢ならなかったのではないかと私は推察します。
然し、新聞は売上部数が全てであり、相手が成り上がり者であろうが、記事の質的内容などニの次ぎであり“勝てば官軍”なのです。
乱世の平成は戦国時代だということを忘れてはなりません。“世界の元三井銀行”が野武士の住友に蹂躙されようとしていることを皆様ご承知の通りです。
伊藤忠の子会社の資産総額が親会社のそれを超えるなど、世が世なら到底考えられないような下剋上が、当り前の時代となりました。
朝日は過去の栄光とブランドにこだわり、他紙の公安委員就任などをやつかんでいるようでは発行部数第一位回復はおぼつきません。それ処か大株主との確執が根強いと聞きますから、三井銀行の身売りは対岸の火事ではなくなるかも知れませんヨ。
若し、朝日新聞のお偉方が公安委員に選任されていたら読売新聞はどうしたでしょうか、何も書かずに無視したでしょうネ。


2000.6.6

今朝もいつもの慣わしで皆が出勤してくるまでの一刻、仕事をしながら8時のNHKニュースを聞いていて耳を疑いました。若い女性アナウンサーが選挙の比例代表のことだったかと思いますが、重複を“じゅうふく”と読み、傍らから小さい声で“ちょうふく” “ちょうふく”と囁かれ、慌てて言い直すではありませんか。
一般的な会話ならよくあることで、、重複など相殺(そうさい)を(そうさつ)と言う人達と変わらぬくらい結構いますから、殊更咎めたりはせず聞き流しますが、今回はなにせニュースアナウンサーの言葉ですから、アレ?チャンネルを間違えていたかとラジカセのモニターを見ると間違いなく“AM666”と表示してあり、紛いもなくNHKなのです。
他人事(ひとごと)を(たにんごと)と平気で読んだり、悪役(あくやく)を(わるやく)と言って誤りに気付かない民放なんかと違って、日本語には特別厳しい筈のNHKの、しかも超一流大学出のエリートである花形のニュースアナがこの程度の日本語が正しく読めないとはNHKも地に落ちたりの感がし、情けなくて涙がでました。
聞いたのは私だけではありませんから、恐らく全国から『そんなアナウンサーは“馘首”にしてしまえ!』と抗議の電話などが殺到したのではないかと思いますが、どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。天下のNHKがこれでは日本の将来が案じられます。
“たかが漢字の読み方じゃないか”と言わないで下さい。日本人の国語力の低下が最近問題になり、最近言葉の乱れや正しい日本語が喋れなくなった(本当はこれも“ら”抜き言葉で正しくありませんが、)若者が多くなったと巷で言われ、先々月のWEBでも英語ができないのは英語の勉強の足りなかったせいではなく、それ以前の日本語の基礎ができていないせいだと警告される大学の先生の投書をご紹介しましたが、“雄弁は金なり”の国際社会に生き残るためには、論理的な理論の組立てが必須ですが、その底流には正しい日本語の理解が絶対必要です。
外人には日本人は母国語も満足に話せないと馬鹿にされ、対話をすれば相手の詭弁に惑わされて反論もできずに黙ってしまう日本の政治家や経営者を見ていると、“苛められっ子”の方にも責任があると思うようになりました。
詭弁と言えば、リストラで毎年15%の首切ををすることについて問われた“GE”のウェルチ会長は次のように語っています。皆様は聞かれてどう思われますか。『私は親切をしている。何故かと言うと、将来性のない事業に人を張りつけておくほどむごいことはないからだ、私はその人達の可能性を縛りたくない』厚顔にもぬけぬけとしたこの談話は一見正論だと錯覚しませんか。然し、一体誰が将来性のない事業を経営しているのですか?いつも日本はこの手で諸外国に言いくるめられているのです。この言葉から到底日本人とは役者が違う、敵わない相手だとシャッポを脱がれるでしょうが、国際社会で対等に自国の権利を主張するためにはこれくらいの牽強付会で参っていてはなりません。
閑話休題、日本語のプロ中のプロであるNHKアナにしてのこの誤りは、日本人の若者達の国語力の低下を象徴したものであり、裾野がどうなっているか想像するだけでも恐ろしいと考えるのは私独りではないと思います。
“国民会議NAEE2002”にも述べられているように、小中学校の授業数が益々減少してゆく中これからの子供達に国際社会から落ち零れ滅んで行く日本を救うべく正しい日本語を身につけ諸外国の詭弁を逆手に取り相手を打ちのめす術“すべ”を身につけさせるために、我々は何をすべきかを決断し、立ち上がるときが到来しているのではないでしょうか。


2000.5.29

現職警部補の覚醒剤使用をもみ消した神奈川県警の組織ぐるみの犯罪は私どもの記憶に新しいところですが、“犯人隠避罪”に問われた渡辺泉郎元本部長ら4名に対し、今日横浜地裁は判決を言い渡しましたが、ナント警察庁キャリアである元本部長が懲役1年6ケ月執行猶予3年、他のノンキャリの幹部が懲役1年執行猶予3年という意外にも極めて軽い(当然か!)ものでありました。
裁判長は被告らに対し判決文で『経過や動機を見る限り悪質極まりなく、情状の余地がない』と厳しく批判し、『国民に抱かせた警察組織に対する不信は計り知れない、回復には相当の日時を要すると想像される』とその社会的な影響をを示唆し、更に『法治国家の基盤を危うくするものであり、被告らの罪責は誠に重大で万死に値するものがある』と糾弾されましたが、若し裁判長のこの言葉が本心からならホンマにおかしな量刑です。“犯人隠避罪”とかいう耳狎れない罪名ですから、きっと刑法でも軽い量刑しか上限を定めてなく、裁判長も法に逆らえず不本意ながらこんなの軽い刑も止むを得なかったのかも知れぬと思いたい処ではありますが、裁判長の言葉である“万死に値する”の万死とは広辞苑では“幾度も死ぬこと”とあります。裁判長が幾度死んでも贖えない罪だと言っときながらどうして執行猶予を付けねばならぬのでしょうか。
“万死に値する”など引退した元総理のノンフイクション小説の題名でもあるまいし、この重い言葉を執行猶予ごときに軽々しく使って欲しくありません。
判決文の最後に裁判長は『被告らがそれぞれ信用や名誉を失い、再就職も控えて謹慎の日々を送り、貰った退職金も返す予定だと述べている…、相当な社会的な制裁を受けることになったから斟酌すべき点がある』と結んでいますが、どう読んでもこれは被告側弁護士からの判事の同情を惹くための最終弁論のセリフのコピーそのものであり、悪いことをした者が信用や名誉を失い社会的な制裁を受けるのは当り前であり、ことさら判決文に引用すべきものではありません。
又、退職金云々は判事ともあろう人の言葉とは到底思えません。退職金を返したならまだ分からぬでもありませんが、返す予定が聞いて呆れます。明日気が変わってもどうにもならならぬではありませんか。言いかえれば退職金を返さなくても、明日から何処かへ天下っても構いませんヨと言っているのと同じことです。日本の刑法は一事不再理ですから、『謹慎してたナーンテお芝居でウソだった!退職金を返すのもヤーメタ!再就職は判決の後まで実は待ってもらっている』と豹変されても執行猶予は取り消せないのです。
“三権分立”などという言葉があります。“癒着”とは言いすぎかも知れませんが、裁く方も裁かれる方も同じ司法です、裁判所も持ちつ持たれつだから警察に“貸し”を作っておくと先々良いことががあるかもなどと言う理由で、判決に手心が加えられたのではあるまいかと考えるのは何時もながら私の根性の悪いところでしょうネ。
これらの幸せな人達に引き替え、愛媛県では何も悪いことをしていないのに警察のチョンボで、1年余も刑務所にぶち込まれて、他府県で犯人が見付かったからと急に無罪になった事件【もし犯人が愛媛県で見付かっていたら、神奈川県警と同様の結果となり、この不運な人は永い刑務所暮らしと、死ぬまで有罪の汚名を背負って生きて行かねばならなかったことでしょう】がつい先日ありましたが、この人は警察のお陰で職を失ってしまい将来の生活がまるでオジャンです。
然し、僅かな国家賠償はあたるかも知れませんが、行政が誤認逮捕による将来の生活補償金を呉れる話など聞いたことがありません。
そこで、森総理に提案します。元本部長の退職金を取上げてこの不運な人に差し上げる法案を閣議に上程し、もし可決されれば神の国などで急速な人気失墜も少しは緩やかになるでしょう、今度の選挙にもきっと役立つでしょうし、愛媛県の不運な男性も少しは救われるでしょうから、一石三鳥ではないでしょうか。


2000.5.24

今日ラジオのニュースを聞いていたら、石油がらみ6億円の脱税や関空社長(当時)への贈賄事件の泉井純一被告が東京高裁で懲役2年の実刑と8000万円の罰金の判決を受け上告していましたが、これを取り下げ刑が確定し、本日収監されたと言ってました。懲役も罰金も罪にしては短くて少ない感触ですが、アメリカのように罪の数によって量刑が加重されず刑の甘いことでは定評のある日本ですから仕方ないナと思って聞いていたら、ナント! もし罰金を支払はなかったら、もう1年の懲役の追加で8000万円チャラだそうです。 何で1年で8000万円なんでしょうネ?1年はどんな根拠からでたのでしょうか?何か罰金に対する量刑の表でもあるのでしょうか?
ある訳ないですよネ。もし1日幾らなら22万円、月なら66万円にもなります。
誰がこんな馬鹿なことを決めたのでしょう。もし担当判事の個人的な判断で決められたとしたらそんな判事は国に損害を与えた罪で“馘首”にすべきです。
常識的に考えて1年の懲役に匹敵する罰金は500万円以下でしょうから、8000万円なら最低16年間は塀の中に居て貰わないとなりません。
或いは、判事さんは、検察側が泉井被告が三井鉱山や三菱石油から24億円を騙し取ったと主張していた(詐欺事件は無罪になった)ので被告にとって8000万円など“子供の小遣い”だからきっと払ってくれると思い込んでのことでしょうか。
それとも古い古い化石のような法律がに生きている刑事訴訟法ですから、『100万円以上は1年の懲役』とか50年も前に決めた“定め”があるのでしょうか。もしそうなら早急に改正すべきだったでしょうが、なにしろ改正に賛成したくても、“明日は我が身”の政治家ばかりですから、誰も法案を審議したがらず今日に至っていると考えるのは、性格の悪い私くらいでしょうか?
始めての懲役というなら兎も角、懲役に行ってしまえば2年も3年も人生80分の1の世界ですから、私ならもしお金があっても、もう1年勤めるでしょう。
皆様も何かの冤罪で100万円の罰金か1年の懲役かの二者択一を迫られたらどうされますか。
貴方自身は罰金を払うつもりでも家族から、“お父さん1年お勤めしてきてネ”と言われて“オレの人生何だったか?”と落ち込んだりして・・・
泉井被告で思い出しましたが、当時話題になった自民党の山崎拓政調会長(当時)への泉井からの3億円近い資金提供の件は一体何処へ行ったのでしょう。政治力でうやむやになるのは、加藤紘一幹事長(当時)のときと同じですネ。ひょっとしたら泉井純一は“ダミー”で誰かの罪を被ってのことなのかもしれませんネ?


2000.5.17

昔から“読み、書き、そろばん”をできることが世の中で社会人の仲間入りができる最低限の条件になっていたことは、皆様もよくご存知でしょう。丁稚奉公に行くにしても、“読み、書き、そろばん”ができなくては、誰にも使って貰えませんでした。
先日“文芸春秋” 6月号を読んでいて驚きました。京都大学の西村和雄教授、慶応大学の戸瀬信之教授等3名の教授による『憂国座談会』と銘うった鼎談であり、話は最近の学生には小学生の算数もできない者が多くなっているというところからスタートしました。
算数のできない大学生が徐々に増えつつあるという話をよく耳にしていましたが、親の虚栄や世間への見栄のためにお金さえ払えば誰にでも行ける、受験料を稼ぐための試験を形式的に行い全員を入学させる大学がそこら中ゴロゴロしていますから、不思議でも何でもないと思って読んでいましたら、ナント!先生は東大、京大、早稲田といった超一流大学にも、小数や分数の分からない学生が少なくないと言っておられます。
昨年学生達の学力低下を憂いた上記の先生方が中心になり、経済学を教える多くの先生の協力を得て、国公立文系と私大文系の学生を対象に小、中学校レベルでの数学のテストが行われ衝撃的な結果が判明しました。
(8/9-1/5-2/3=?) この問題は小学3~4年で習う分数の単純計算です。私なんかにも簡単に解ける問題なのですが、この問題が解けぬ学生が相当数あり、京都大学文学部でも一割強の学生にできなかったそうです。
『そんな阿呆な!』と怒らないで下さい、事実なのです。
原因は文系の大学の受験科目に数学が必須とされていないところが多いせいなのですが、センター試験で数学受験が条件の京都大学でさえこの有様ですからナンデ?と首を傾げたくなります。
一方東大文系ではマイナスの入った四則計算の正答率が80%を割り込んでいるそうです。『まさか、ウソー!』嘘ではありません。何故か東大の後期を受験するにはセンター試験でも二次試験でも数学が不要なのです。
何故こんなことになってしまったのでしょうか、数学はあらゆる学問の基礎として絶対に必要なものです。これから将来、数学も理科もできない学生が、日本を背負って行くキャリアになって行くのかと考えると空恐ろしくなり身震いがします。
数学ができないと理科が分からないばかりか、数学で培われる筈の論理的思考力が失われ数式だけでなく言葉を論理的に説明できなくなる、数学はスポーツで謂えば基礎体力に相当するもので絶対に欠かせないものだと西村教授は警告されていますが、文部省は受験地獄は可哀相だ、“知識詰め込み型学習”から脱け出して“考える力”“生きる力”を身につけさせようとかなんとか言って、授業時間や教科内容をどんどん減らす所謂“ゆとり教育”が数年前から試みられ、先生が楽をするだけで子供達の基礎学力をつける機会を容赦なく奪っただけでなく、大学受験科目から学問の基礎である数学を選択しなくてもよいように改悪した答えがこのテスト結果なのです。おまけに再来年から土曜日が完全に休みになるため“新指導要領”によってまだまだ授業時間が減らされることになり、益々先生は楽になり、子供達はまたまた基礎学力をつけない侭上級の学習へと進んで行くことになるのです。囲碁で謂えば石の死活を学ばないで布石だけを丸暗記して受験に臨むか如きです。砂上の楼閣とはこんなことをいうのでしょうか。
文部省は円周率を3.14(我々が教わった3.1416から何時の間にか二桁減らされています)から小数点一位未満が削られ3にしました。理由は教育審議会の委員の一人から“私はこれまでの人生で小数を使ったことがない”との発言を受けて行われたものですが、文部省も文部省です。どうしてこんな能天気な人を委員に選んだのですか、この委員がどんな人生を送ってきたか私は知りませんが、少なくとも文部省の委員ですから私などより年輩かと思います。或いは文筆業かと想像されますが、文筆業でも買い物位行くでしょう、私の幼いとき“一円”は今の五千円乃至一万円の値打ちがありましたから、この委員が10銭20銭を使わなかったとは到底考えられません。1円20銭は小数ではないのですか。この委員はきっとお金持ちでしょうから、サラ金で高い金利を払うことはないでしょうが、その代わり預貯金やの有価証券の利回りや、多額な所得税が何%掛かっているかに無関心だったとは思えません。小数を使ったことも忘れ、あらゆる学問の基礎である数学のこれまた土台をないがしろにする人に審議会委員などになって欲しくありません。週に一回ケーキを食べて高給を食むどこかの委員さんと同類ではないのですか。
文部省がこの委員の愚かな発言に反論もしないで小躍りして喜び賛成した理由は簡単です。世界一少ない数学の授業時間のため子供達に小数が理解されなくて(教える時間が足りない)困っていたからなのです。然し、こともあろうに円周率は単なる小数ではなくて、3.14や3.1416でなくてはなりません。この小数は後に割り切れない数字が無限に続くことを暗示していることに意味があり、3ではどうにもなりません。又、教育審議会の会長である三浦朱門は【曽野綾子のように『2次方程式がろくにできないが、65歳になる今日まで全然不自由しなかった』というような数学嫌いの委員を半数以上含めて数学の教科内容の厳選を行う必要がある】と発言して、遂に今年の6月から二次方程式の解が中学数学から姿を消すことになりました。
数学の教科内容を決めるのに数学の世界に身を置いた人を半数以上と言うなら分からないではありませんが、なんで数学嫌いの委員を半数以上置かんとあかんのですか。
文部省は何か昔文化庁に“借り”でもあったのでしょうか、国民全員が真剣に考えなければならないこれからの日本を背負う子供達の将来を、夫婦の会話で決められては堪りません。
数学だけではありません。公立中学で週2時間しか授業がない英語だって当然に悲惨な状況になっています。昨年行われたアメリカ留学希望者が受験せねばならぬ『TOEFL』で日本人受験者の平均点は165国中150番であり、アジア諸国では北朝鮮とモンゴル以外全て日本より上位だったそうです。
こんなにまで徹底した文部省の学力水準低下作戦のお陰で、今や小学校から大学まで学力崩壊が進行中です。最早文部省にもう我々は何も期待できないのでしょうか。
西村先生は今後予想されるレベル低下に対応するためには、公立校の倍以上の時間をかけて『英数』を教える中高一貫教育の私立トップ校しかないだろう、公立では駄目だと述べていられます。
然し一部のお金持ちしか行けない私学に頼らなければ、諸外国に匹敵した能力を有する人間に育たないとは情けない話です。
日本には資源が人材以外に何もありません。唯一貴重な石油資源も馬鹿な通産官僚達の愚かな判断(昨日現在NYで原油1バレル30ドルにも値上がりしています)によって失われてしまったのです。
この侭では次代の日本は滅んでいくしかありません。公立の中学高校から世界レベルでの学力のある子供達が巣立つような教育に帰るべく、我々も立ち上ろうではありませんか。
今春、日本の将来を憂いて西村教授以下多くの先生方により『新指導要領の実施中止を求める国民会議NAEE2002』が結成され、この度署名運動が開始されました。皆様もこの趣旨に賛同され文部省の企てている誤った教育政策【新指導要領】の実施に反対し、祖国のため次代の日本人のために署名して下さいませんか。
下記バナーより署名サイトにリンクしております。是非ご一読下さい。


2000.4.17

私はお知り合いの方やお得意様の方々にインターネットの魅力についてお勧めし、関心のある方には『私どものホームページも見てやって下さい』と御願いしていますが、後で話してみると『難しくてよく分からなかった』と言われる若い方が多くおられます。
私どもの“所長のひとりごと”は確かに堅い文章ではありますが、決して難しいものではなく、新聞などと比較してもずっと平易だと自分では思っていますから、さては若い方の好みからほど遠いテーマが題材の“WEB”なので興味がなく読後感を問われたら困るので先回りされているのかと長い間僻んでいましたが、先日朝日新聞の“声”欄で、さる大学教授の投書を読ませて頂く機会に恵まれ、私の僻みが大きな思い違いであり、新聞の文章ですら難しいと感じている若い人が多いことを知りました。
その先生の卓見は“目から鱗”ものであり、今の学生達は受験地獄のせいで決して英語力は低くないのに英文がまともに訳せないが、その理由は驚いたことに基本の日本語が充分にできていないため正しい日本語に訳せないところにあると言っておられます。
日本語ができなくては英語どころではなく、これは日本の若者が本を読まなくなったせいであり、下宿生の殆どが新聞すらとらず、テレビで全てこと足れりと考えているようで、これでは本当に“モノ”を考えることができない、我々は考えるとき今使っている言葉で“モノ”を考えているから、基本的な母国語ができなくなると“モノ”を考えることができなくなると警告されています。『英語を第二の公用語に』という前に今の若者に『徹底した日本語の力をつける教育を』と危機感を露わに投書に踏み切られたこの先生には私も全く同感であり、日本語が分からずして日本の有り姿が理解できる道理がありません。
“21世紀日本の構想”懇談会の最終報告で採り上げた『英語の第二公用語化』が反響を呼び、内閣官房に投書やEメールが後をたたないそうです。投書の内容は『日本語もできずに何が英語か!』というものが圧倒的であり、これには受験英語に多くの時間を費やした割に使える英語が少しも身につかなかった<怨み>がこもっているのでしょうが、国語の時間を削って英語の時間を増やした結果が英語の訳ができなくなったのでは洒落にもなりません。
正しい日本語が理解できなくては、諸外国からの一見正論らしく聞こえる“牽強付会”に反論できる術“すべ”がありません。
理論闘争では“貧ボキャ”の上“謙虚”で“単純”で“素直”な日本人は圧倒的に不 利です。
今でも多くの日本人が第二次世界大戦は日本が仕掛けたと米国のでっち上げを信じてこまされていることでもお分かりでしょう。日本語の乱れについては、ネットの掲示板に飛び交う若者のメールを読んでいても、肯定文なのか否定文なのか、主語が何なのかよく分からないものが多いのに驚きます。言葉での会話なら『?』と聞き返すことで解決できますが、文字による伝達となるとそうも行かず、意思を伝えようとする相手に文意が理解されないのではどうしようもありません。
正しい日本語を書くためにはまず正しい日本語の文を読むことが不可欠です。三ヶ月前に滅びゆく美しい日本語を愁いた“WEB”をリリースしましたが、現実はそれ以上に深刻であり、今の若者の多くに現代の日本語の満足な読み書きができないのでは、“古典文法”や“係り結びの法則”どころではありません。
何故こんなことになってしまったのでしょうか、大学受験での英語への配点が国語に比べ、より高いものにしてきた文部省の愚かしい判断にも責任があるでしょうが、大体学校で教わる授業の大半は根源的には本来の勉強から見て不純な動機とも言うべき受験のためのものであり、自分自身を高めようとするものでないところに問題があるのではないでしょうか。
不純な動機と言うなら私達の時代も同じでしたが、私達は幸いにして遊ぶお金がない代りに、自分の自由になる時間だけは豊富に有していましたから思索、読書、瞑想に費してお釣りがあり、それが自己形成に少しは役立つたのではないかと思っています。それに反し今の若い人達の周囲には、フアミコンを初めとするゲーム機器等、勉学を阻害する余りにも多くの誘惑があり、おまけに私達の時代と違ってお金を手に入れる機会にこと欠かず、若さと云う貴重な少ししかない自分自身の時間を浅はかにも悪魔に売り渡し自分自身を見失っている者が少なくないのではないでしょうか。
現在の日本はバブルの一時期 “奢る平家”であったのも束の間、今や一転して“壇ノ浦の平家”になろうとしています。諸外国のジャパンパッシングは益々露骨になり、愚かな政治家達が莫大な公的資金を投入した銀行を僅かな端た金で外国企業に買い叩かれ、ハイエナのような外国資本は銀行だけでなく倒産したスーパーまで毒牙にかけようとしているではありませんか。
皆様は【ランドセル600兆を背負ってる】という川柳をご存知ですか、先日某誌に掲載された投稿作品ですが、これを読み私は背筋が凍る想いがしました。私の孫も来春は一年生になるので他人事ではなく、幼い子供達が将来の年金も覚束ない上、生涯これまでの政府の作った600兆円の連帯債務者では哀れでなりません。私は今の若者が日本人であることを自覚し日本の危機を察知しなければ、このままではアメリカを初め諸外国の思うが侭となり、やがては日本という名の国が滅亡することは火を見るより明らかでしょう。


2000.4.17

陸上自衛隊記念式典での石原都知事の発言が、大きな反響を呼んでいます。発言の内容は最近の東京における、過去とは異なり多人数で押し掛け工事用の重機で壁に穴を開け金品を根こそぎ奪い去るが如き、警察の力の及ばない前代未聞の犯罪の多発を憂いて、都民を護るために将来的に自衛隊の出動を期待するというものであり、しごく穏当なものでありましたが『不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している』との発言個所に対し、事件は共同通信の記者が故意か悪意か分かりませんが、『不法入国した』を省略して報道したことで始まりました。
共同通信は、悪い奴等は不法入国者だけでなく以前から日本に居る三国人も共犯?と考えての報道だったのかも知れませんが、マスコミが発言内容を勝手にに変更することは断じて赦されることではありません。三国人が全て凶悪犯罪を犯すと語ったと誤解された都知事から“何故省略したか”と記事の不備を名指しで指摘されて『三国人という差別用語が許せなかった』と慌てて反論し、話を摺り替えようとしていますが、石原都知事の言われるように“三国人”の何処が差別用語なのですか、私どもは戦前から、朝鮮人や中国人への蔑称を多く聞いてきましたし、それらは誰が聞いても喧嘩するとき以外、相手には面と向かって言えない明らかに差別用語でしたが、三国人という言葉は決して差別用語とは思いません。
何故なら私は台湾の方と話をする時、“あなた方三国人は…”などと平気で言えますし、聴いた相手も普通の会話として受け止めています。若し差別用語なら、先方も色をなし顔色も変えて怒るのではありませんか。
『第三国人ということば』という論文を書いたある女子大の教授がこの事件で急拠狩り出され、戦後の混乱期に生活に困窮した日本人が、精力的に活動した朝鮮人や台湾人を僻んで、敵意をこめて“第三国人”と呼び、差別用語になったと紙上で話されていましたが、私はかって“第三国人”という言葉に接したことがないので、全国区の言葉かどうか疑わしいと思います。昔から接頭語に尊称や敬称をつけて揶揄することがよくありますからその類ではないのでしょうか。
然し、石原都知事は“第三国人”などとは一度も言っていないのです。はっきり三国人と言っています。一字違えば大違いであり、似ているだけで差別だと言われるならこれは偏見以外のなにものでもないでしょう。
とあれ、都知事の発言は共同通信記者の不注意から、ことあればと狙っている在日三国人の格好の攻撃材料にされ、終いには関東大震災の朝鮮人虐殺まで登場してくることになりました。そのシナリオの中でいいように踊らされているのが日本のマスコミなのです。
然し、我々は言葉の語彙や語感などに拘泥る前にことの本質を見忘れてはなりません。近頃の東京都内での外国人によるアメリカのギャング映画さながらの凶悪犯罪は目に余るものがあります。警察に言っても何もしてくれず、完全な無政府状態が続いています。最近では地方にも波及し、神戸の元町商店街でも夜間、三国人が大勢でトラックを乗りつけシャッターをハンマーで壊し商品を根こそぎ略奪する事件が続発し、保険会社も盗難保険の契約を渋るようになったとか聞いています、警察も初めから敵わぬ相手と知って来てくれないそうです。
何しろ盗品は全て外国で換金されるため盗品から足がつくことはなく、盗品から犯人を割り出すのが得意でも、いつも犯人に逃げられるため追いかけるのが苦手な日本の警察には警察庁に届け出る検挙率割合を低下させる原因となり、署全体の成績に影響し本部長の“覚え”が悪くなるので関わりたくないのでしょう。
都知事の止む無い災害時の自衛隊への出動要請は、外国人に蹂躙される東京《まさしく災害です》を憂いての発言であり、言葉尻を捉えて差別の問題に摺り替えるマスコミは一体誰の味方ですか、枝葉に拘泥り本末を忘れるとはこのことであり、記者会見で “謝罪したり辞職する考えはないのか”と都知事に問うなど余りに酷い暴言であり所謂“ペンによる暴力”そのものだと考えます。
並の政治家ならたやすく謝罪してマスコミのお手柄となり担当記者は局長賞など貰って“一件落着”となったでしょうが、どっこい石原慎太郎は、他の政治屋とひとあじ違いました。都知事はどう言ったと思いますか?
『何言ってるんだ、誰に謝罪するのか?何で辞任しなくてはけないのか?馬鹿なことを聞くな。謝罪すべきは誤った報道をした者ではないのか!』
他方、外務大臣の河野洋平は、NHKから意見を求められて都知事の擁護もできずに『不適切な表現だ遺憾に思う』と歯切れ悪く朋友を裏切る始末です。
又、大韓民国大阪府地方本部からの【人権を侵害された我々のために太田知事から都知事に対して何らかの行動をとるよう求める】とした筋違いの要望書を手にした太田府知事は『私には都知事に対して何を言う権利もありません』と突っぱねると思ったら、驚いたことに『石原知事の表現は極めて不適切』と彼等に同調する腰抜け振りではありませんか、呆れ返ってものも言えません。
腰抜けは夫君と逢う週末くらいにして下さい。
秩序と安寧に充ちた我らが祖国を土足で踏みにじりながら、掛金もせずに年金を寄こせとか、ことがあると権利々々と主張して要求を通そうとする外国人にはもうウンザリです。
外国人は日本にとって居候ではないのですか、“居候、三杯目にはそっと出し”という有名な川柳がありますが、日本に居る外国人は三杯目どころか四杯目も権利だ!と言っているのです。
日本は我々日本人の国です。人権を侵害されると思うのなら自分の国に帰って下さい。帰るところがないのなら、権利々々と問題を起こさないで下さい。これが我々日本人の真情であり切なる想いなのです。
外国に居住している日本人は全て“郷に入れば郷に従え”を遵守しその地で摩擦を起こさないことが“他所者”の義務だと考え、他郷での掟だからとどんな嫌がらせにも耐え、歯を食い縛って我慢しているではありませんか。余りに腹立たしく血圧が上がったので今日はこれで終りにしますが、皆様、若し今国民投票で我々が内閣総理大臣を選べるとしたら、タカ派の石原慎太郎がダントツで当選すると思いませんか?自分達の保身と諸外国への阿り(おもねり)しか考えない国民不在の政治家に対する私達のストレスがすっかり解消しますヨ。
森喜朗が最下位だったりして…。


2000.3.25

最近の我が国の政治家を初めとする指導者達の言動を見ていると彼等が我が国への愛国心を失ってしまったのか、それとも諸外国の巧妙な罠に嵌まって洗脳され日本人であることの自尊心を失ってしまったのか、諸国との外交上全て“負け犬”としての対応しかできず、歯痒さを通り越してもどかしさがとみに増す昨今です。
例えば、ダンピング問題では欧米から狙い撃ちされても何の抵抗もせず、アメリカではノートパソコンを欠陥商品として訴えるぞと脅かされると裁判もせずに慌てて1000億円もの大金を支払ったり、中国から南京大虐殺についてのでっち上げ記述で総理府ホームページを書き変えられても文句の一つも言わず、北朝鮮の拉致疑惑に対しても、河野外務大臣は当面の問題を直視せずに、【テポドン】で一寸脅かされると、何処へ横流しされるか分からぬ米を送ろうとし、家族を拉致された人達から吊るし上げられても歯切れの悪い言葉しか出てこないで常に國民の期待と信頼を裏切っています。
【テポドン】を発射すれば北朝鮮は全世界を相手にすることを覚悟せねばならず、到底実行できるものではありませんが、万一発射されれば自衛隊空軍部隊は直ちに大日本空挺師団と名前を改め、北朝鮮を攻撃すればよいではありませんか。“目には目を”と言う言葉はこんなときのためにあるのです。
空軍といえば、かって第二次世界大戦で祖国日本を救うために自ら志願し、片道の燃料で、尊い幼い命を散らし“軍神”となられた多くの少年飛行兵のことを皆様はご記憶でしょうか。
この幼き英霊達と生まれ歳が幾つも違わない我が国の指導者達がかようにも愛国心を失った腰抜けでは、あの世へ行ったとき英霊達にどのように申し開きができるのですか。
彼等は若い身空で死への運命(さだめ)を受容し、軍人として女々しいと罪悪感に自らを苛み乍らも一目母の姿を見たいと故郷へ戻り、高い空から野良で働く母の姿に手を合わせ親に先立つ己が不幸を詫び、母の姿を涙溢れる瞼に焼き付けてお国のために永遠の旅へと飛立って行ったというではありませんか。
それに引き換え腰抜け指導者達はその頃学生だとしての身分を利用して兵役を逃れた者が少なくなく、おまけに愚かしくも靖国神社への参拝すら公式とか非公式だとかって日本叩きの諸外国に気兼ねをするなど、自分達と同世代か若しくは少しか違わない者が祖国のために身代わりとなって散っていったと云うのに一体これまで何を学んできたのですか。幾度でも言います。我等の同輩が祖国日本を救うために死んでいったのです。僅かばかりの戦没者弔慰金を遺族に与えて全てが終わっているなどと言わないで下さい。例え全世界の批判の的に晒されようとも日本人は日本人であることに矜持を保ち、我々は少年飛行兵を初め多くの戦没者の栄誉を称え、英霊に玉串を捧げる愛国心を失ってはなりません。政府は子供達に無理やり“君が代”など唱わせ、実直な校長を自殺に追いやったりしていますが、それくらいなら8月15日を戦没者記念日と定めて下さい。そして総理大臣以下閣僚全員が5名の国家公安委員も連れて靖国神社へ参拝に赴き、“君が代”を合唱すればよいではありませんか。
そして自分達の今日は“英霊の人柱”の上にあることを再認識し、自分達の行なってきた、大正の似非文化人同様諸外国に膝を屈し、諂いの姿勢に終始している恥ずべき行為を深く反省し、どんな国に対しも常に毅然とした態度がとれる愛国心を備えた日本人に帰ることを靖国の御霊に誓うべきではないでしょうか。


2000.3.21

今朝、日本経済新聞の論説竹中平蔵先生の『一刀両断』を読み、税に携わる者として大きな共感を憶え、日常疑問を感じている私の考えを皆様に聞いて頂くことにしました。
組合健保の相次ぐ破綻など、社会保険の赤字が伝えられて久しく、高齢化の進んだ昨年度の医療費の総額は30兆円とか、これは一番に病院や医者達の金儲け主義とそれに加担した政府の官僚達に問題がありますが、彼等の社会的倫理観は我が国の医師や官僚の教育方法の根本的な誤りから生まれたものであり如何ようにも救い難いものですからさて置くとして、私は仕事上の経験から異質な二つの保険が共存することと、保険料の算定基礎となるものの把握方法の杜撰さにより保険料に不公平が起り、赤字の一因が生じていると考えます。
健康保険には大きく分けてサラリーマンへの社会保険と自営業者への国民保険があることはご承知の通りですが(その他に政府の補助を受ける会社単位の組合健保や業界単位の国保もあります)市町村の管轄下である国民健康保険が【国民健康保険税】なる名の許に被保険者の全ての所得や家族の数、市町村によっては固定資産の多寡に対しても賦課される、《高額所得者を優遇するため上限が余りにも低すぎ、そのため必然的に零細所得者に酷なものではありますが》どちらかと云えば不公平さの少ない“税”であるに反し、社会保険庁から賦課される社会保険料は給与所得者に対し主たる給与に対してだけの料率《実は従たる給与があればこれも対象になるのですが不幸にしてチェック機関がありません》であり他の所得も家族の数も全く考慮しない単細胞なものです。そしてこの両者はお互いにその縄張りを忠実に護り、不可侵の姿勢を崩しませんから、社会保険の加入者に対しては市町村はその者が如何に多くの所得があろうとも無関心であり、そこに抜け穴が生じこれをくぐろうとする者がでてきます。例えば給与が少しあれば、家賃や配当金が数千万円あっても、社会保険庁の縄張りに入ることができて保険料は月間たった4,000円支払えばおわりです。若し給与がなければ年間48万円~53万円の国民保険料が徴されますからその差は社会保険が会社負担分を併せ倍額になるとしても比較になりません。
又、社会保険の家族についても法律では収入が130万円を超えれば国民保険加入義務者になるとされていますが、実はその収入が年金でなければチェックされる仕組みとはなっていないのです。そのため社会保険の家族であるという隠れ蓑の許に多くの所得を得ていながら1円の保険料も払わず社会保険の赤字作りに貢献している人は数知れません。
高額所得者も僅かな給与さえ得れば、保険料が数分の一になるなど、我が国の保険の仕組みは不可思議極まるものであり理解に苦しみますが、社会保険の方は何故か加入者の聡所得と云う考え方がなく、加入者は全員その会社の給与収入しかないという前提に立ってのものですが均等割りではなく一応給与の額に応じて4,000円から42,000円まで段階的に保険料を決めていますから、加入者の収入が基準とされていることは間違いありません。収入を基準にするならその会社からの給与のみを対象にする現在の法律は完全なザル法であり、前述のような抜け道がまかり通るのです。
恐らく兼業禁止の国家公務員等を当初想定しての立法であったのでしょうが、平成の時代に改正もされずに化石のように生き残っているのは一驚に値します。現代の社会は国民をサラリーマンと自営業者に区分するだけで足りた法律の施行時と大きく異なり多様化しています。自営業者が資産管理会社を作り、その会社から給与を受けることで簡単にサラリーマンに化けて社会保険の加入者になれるのです。又、サラリーマンもサイドビジネスの会社を経営し、そこからの給与に対する保険料を免れている昨今です。もっと酷いケースは自営業者が会社組織に改組し、多額の報酬を得ながら社会保険に加入せずそのまま国民保険に居座るものが少なくないことです。
これは社会保険料が将来の受給が期待できないのに高額な負担を強いられる厚生年金とセットになっていることから起こる現象であり、加入が法で強制されているにも関わらずチェック機関が存在しないからなのです。このように二つの保険を自分に有利なようにどのようにも自在に渡ることができるなど正直者が馬鹿を見ているのが実情 であり、これでは我が国が法治国家だなどとおこがましくて言えないではありませんか。
『すべての国民は法の下に平等であり…』と我が国の憲法第14条に記されていますが、それは絵空事であり、現状はこのような不条理が存在するのです。今こそ社会保険と国民保険の垣根を取り払い保険を一本化すべきが急務と考えます。
そのためには正しい所得に応じた誰にも公平な保険料であるべく、厚生年金等の問題も併せて、国税庁と社会保険庁が協力しあわねばならぬことが必至でありましょう。
竹中平蔵先生はイギリスに倣って、【税方式】に切り替え国税庁と社会保険庁が統合すべきだと説かれています。然し行政改革が叫ばれている昨今ではありますが、悲しいことにわが国の役所の代表たる大蔵省と厚生省の霞ヶ関での露骨な縄張り争いの許では、純粋な政策論の介入する余地など全くなく、現実問題として国税庁と社会保険庁の統合など到底考え得べくもありません。将来的には他国に倣って納税者番号制を採用せねばならぬのでしょうが、そのためには小渕総理のような族議員上がりでなく、星の王子様のような宰相が救世主の如く誕生することが待ち望まれますが、その前にこの愚かしい官僚国家は亡ぶことになるでしょう。


2000.3.12

新潟県の女性監禁事件は余りにも痛ましい事件でした。
キャリアである新潟県警本部長と関東管区警察局長がホテルで酒を飲みながら、賭けマージャンをし行方不明少女発見の報告を受けたにも関わらず少女の傷みや少女の家族の心情を思い遣ることなくこれを無視し世間の非難の嵐を浴び遂には辞職に追い込まれたことはマスコミの報道で誰もが知っていることですが、その後の記事を読んでいて警察庁の上に国家公安委員会が設置されている奇妙な事実に気付きました。
公安委員会なるものが我々一般庶民の知るところとなったのは、一重にこの事件のお蔭ですが、保利公安委員長が国会で野党の質問を受けて、公安委員は特別職の国家公務員で常勤であり、報酬は月額134万円だと歯切れ悪く答弁していましたが、一体誰が何をしているのか国家公安委員会のホームページを覗いて見ると、政府から任命される5名全員が警察とは関わりなく、東京電力の元社長を初めそれぞれの世界で功成り名を遂げた高齢の方々ばかりであり、65歳の自治大臣保利委員長が一番年下でした。
委員会の任務と権限についての個所を読んで見ましたが、警察行政に関する調整の事務について警察庁を管理するとか、警察庁に補佐させながら仕事を行うとか幾度読んでも抽象的でよく分からないことばかりであり、事務局は警察庁がその役割を行うと書かれていましたから、どうやらこの委員会は、警察が自分達がしたことに対する外部の批判から身を護るために有名人達を利用して隠れ蓑として使われているようです。
事務局もなければ独自の調査機能もなく、公安委員会がしていることは週1回程度午前中に少しだけ警察官僚の話をきいてケーキを食べてお開きになるとか、常勤が聞いて呆れます。保利委員長はフランス生まれでもないのにハヒフヘホの発音ができないのでしょうか。
今回の事件では新潟県警本部長の処分について、委員会の開催による決議によることが警察法に規定されているのにも関わらず委員会を開かず持ち回りで決められていました。委員長は野党から責められて『緊急な事案であったからだ』と苦しい弁解をしていましたが、緊急なら持ち回りで良いなどとは法律の何処にも書いてないのです。
何が緊急だったのでしょうか、きっと緊急だったのは数年前厚生省の汚職事件で岡光事務次官の辞表を受理してしまってから、『どうして辞表を受理したか、何故懲戒免職しなかったか』と轟々と非難を浴びた経験から、世論の高まりの前に事件を終了してしまうことだったのでしょう。
後日の定例会議で警察庁長官の釈明に対し、委員長を初めとして誰一人発言しなかったと報じられています。これでは誰が見ても委員会が機能した機関であるとは到底思えません。某紙の報道によれば委員の年収は2600万円であり5年の任期で計1億3千万円、何でも1時間当たり40万円の給与になるそうです。
私は何も公安委員の給与が高過ぎると文句を言っている訳ではありません。仕事さえ立派に果して頂ければそれなりの地位に居られた方々ですから、まさか一回3万円と言う訳にも行かないでしょう。只、何もしない飾り物の委員なら1万円の給与でも高く、税金の無駄遣いではないかと言っているのです。
警察を管理監督できないで何が公安委員ですか、又、警察庁の指名する何も仕事をしない人達【されたら困る?】を任命した政府の責任は大きいと思います。
警察庁と政府はきっと公安委員の椅子を条件に、何処かで何十倍何百倍もの見返りを得ていると考えるのは下司の勘繰りでしょうか?
とあれ、この事件を契機に国家公安委員会はキャリアとノンキャリの問題と共に見直されることになるようですが、《災い転じて福と為す》でありよかったと思っています。
今回の事件について一部で本部長達の退職金返上は行き過ぎではないかとの声が聞かれますが、本人達が自発的に申し出たものではなく、2000通近いEメールを初めとして殺到する国民からの抗議に警察庁が驚き、自分達に降り掛かる火の粉を避けるための緊急避難であり、その“御願い”を彼等が承知したものですからご心配は無用です。
庁は見返りとしてチャンと退職金相当額に倍する天下り先を見付けてくれた上での“話”だったであろうくらいのことは幾ら頭の悪い私でも分かります。そうでなければ小渕総理大臣が『彼等は運が悪かった』などとうっかり口を滑らす筈がありません。役人は全員身に覚えがありますから、本部長達の採った行為は、我々には考えられない非常識極まるものですが、彼等キャリア組にはごく普通の出来事なのでしょう。
第一線で国民の安全を護ろうと日夜努力されている所謂ノンキャリのやる気を殺ぐキャリア組が作った組織と底知れぬ弊害については、又一度ゆっくり考えてみたいと思っています。


2000.3.11

サウジの原油採掘権の更新に際して、アラビア石油の社長に天下った元通産省次官小長啓一はサウジアラビアからの2000億円の鉄道建設の要求を断り原油採掘権は失効しました。命じたのは通産大臣深谷隆司であり、採算の合わない事業に税金を投ずる訳には行かないと言うのがその理由ですが、原油価格が今後下落するだろうという浅はかな観測とマクロ的に日本の将来を予測しない無定見な判断が齎したものでした。
何れ日本の思い通りになると初めは高をくくっていたのでしょうが、政府間交渉が不調に終わって契約の期限切れが迫ったため、慌てて700億円の更新料を提示しましたが、契約更新の当初通産官僚に鉄道建設を仄めかされ期待していたサウジは裏切られた思いだったのでしょう。キッパリと拒絶されてしまい通産官僚達はパニックに陥りました。初めから更新料での交渉を開始していれば成立していたのではないかと思われますが、愚かな通産官僚達がアラブ人との付き合い方を知らぬ上、つまらぬ駆け引きをしたのがサウジの不信感を募らせた原因でしょう。
思えばアラビア石油は『満州太郎』こと山下太郎氏が資源の乏しい日本を憂れいてアラブの王族に食い込み、激烈な欧米諸国との争奪戦の末、カフジ油田を獲得したものですが、その背後には永年培ってきた豊富なアラブ人脈との交流があったのです。1958年に設立され、新日鉄東京電力等日本の基幹産業が変名した『アラビア太郎』こと山下太郎氏に賭けて出資しリスクを承知で発足した民間企業でしたが、初めは横を向いていた通産省もこの会社が潰れる処か採算がとれ事業が軌道に乗ったのを知ると、今から20数年前無理やり社長を押付け以後通産事務次官の天下り指定席となっています。政府が株主でもないのに社長に乗り込んでくるのですから、政府はきっと『民間に石油は馴染まない』とか、何処かで聞いたような台詞を吐きながら、石油公団などを通していろんな嫌がらせを始めたものでしょう。さしずめ社長の椅子は“みかじめ料”でしょうか、“みかじめ料”が原因での先日のテレクラ火炎瓶事件に見られるように暴力団も役所もやってることは余り変わらないのに、やり方を少し変えれば誰も罪に問われないのです。
通産官僚達は今後わが国の原子力、石炭、LNGなどの導入を進め、平成22年度には石油への依存度を48%程度まで下げる計画を持っており、今後新技術と生産性の向上で、石油価格は除々に低下し、世界経済が現在減速している事を考えれば、正常な価格は五ドルになるとの錯覚からサウジの申し出を蹴ったものでしょうが、石油依存度が0%にならぬ限り石油は絶対不可欠の資源であり、僅かでも常に自国の手中にしておかなくてはならぬものだと私は考えます。
山下太郎氏や初代会長の石坂泰三氏が存命なら、きっと鉄道建設を引き受けたのではないでしょうか。何故ならカフジ油田の残存可採埋蔵量は37億バレルと言われています。1バレル10ドルとして370億ドル、円に換算して4兆円に達しますから、2,000億円位5%にしか過ぎません。日本が受注することを条件にすれば、国益にも資することになり一石二鳥ではありませんか。しかも今日現在ニューヨークのの先物取引は1バレル34ドルにも高騰しています。今後よその天体からでも見つけてこない限り埋蔵の原油が増える筈もありませんから、一時的安値になっても何れ高騰するのは目に見えています、長期的に見て原油採掘権は、どんなことがあっても護らねばならぬものではなかったでしょうか。
嘗て1万5千円もしており、1年前も2,000円していた株価は遂に額面を割り昨日現在450円です。最早株主代表訴訟は避けられません。
訴えられて元通産次官小長啓一社長は法廷でどう弁解するのでしょうか。
『私は本庁の命ずるままに行動しただけです。悪いのはこの人です』とミントのJR車内広告ではありませんが深谷隆司通産大臣を指差せるでしょうか。


2000.2.20

東京都知事石原慎太郎のぶち上げた外形標準課税実施の発表は、大手の金融機関に電撃的なに衝撃を与えました。
資金量5兆円以上の大手30行を対象にに業務純益に対し3%の事業税を課するというものですが、これに対し全国銀行協会の会長である一勧の頭取杉田力之は、怒りを露にし、都に対して行政訴訟をも考え検討していると語っています。
杉田力之は大手銀行にとってこの条例が実施されるとコスト負担は一行当たり年間100億円になるが、避けるためにはこのコストを預金者や融資先に添加するか、1000人の首切りが必要だと言っていますが、語るに落ちるとはこのことであり、不覚にも行員一人当たり1,000万円もの給与を払っていることを白状しているのです。それどころか30行の業務純益が計10兆円にも上ることが簡単な掛け算で分かります。
殆どの銀行は原価が殆どゼロの年金生活者達の預金を企業や住宅ローンに高い金利を取って貸付けてはボロ儲けしていますが、その儲け方は尋常でなく、例えば1,000円で仕入れた商品を30,000円以上で客に売っているが如き暴利であり、非合法な覚醒剤並めではありませんか。“卵には鶏が必要だ”とかの変な理屈をつけて株主にはしっかりと配当しているくせにバブル時の自業自得である不良債権が何十兆円もあるのでこの処理のために税金だけは僅かしか払っていないのです。
給与だけ一般企業の倍も獲り、バブルが弾けると公的資金《聞こえはよいが実はこれから我々が背負って行く税金です》で穴埋めするという政府共々我々庶民を舐めたことをしておきながら、自分達だけが特別の税金を払うことはないとする論法からすれば、何故銀行だけが10兆円も業務純益を上げながら公的資金の恩恵に浴さねばならぬのですか、公的資金の導入は98年単年度だけで7兆円にも上るのです。バブルは銀行の“慾ボケ”が国民の預金を流用して惹き起こされたことではありませんか、バブル崩壊のお蔭でどれだけ多くの人々が破綻し、多くの中小企業が倒産したでしょうか、銀行は悪業の限りを尽くし、我が国の経済を崩壊させておきながら何の反省の色もなく、役員は多額の退職金を獲り、多すぎて他を憚られるため未だ役員報酬すら公表できないのです。
銀行新税が実施されれば従業員1,000人の首を切らねばならぬと言う一勧の頭取の言葉は彰かに詭弁であり、給与を世間並(より多いか?)一人500万円に引き下げれば、大手銀行では1万人以上行員がいますから、500億円以上のコストの削減ができるのです。100億円など20%にも満たないのです。
然し、銀行達にも面子がありますし、貸しを作っている政治家が5万といるでしょうから、このままでは引き退がらず、政治献金に物を言わせ政府に新法の封じ込めのための工作にあらゆる手段を尽くすでしょう、吉野川河口堰ではありませんが、これからが本当の闘いです。
反対する政府税調の言い分は『以前から外形課税導入の予定だったが、各府県の足並みが揃わないとと制度の趣旨が損なわれる』と言うものであり、他の道府県も都に同調すれば、政府も認めざるを得なくなるのですが、どっこい、東京都と違って他府県は、地方交付税という名前の補助金を沢山国から頂戴しそれで食べて行ってますから、お上に楯突けばこれを減らされるのが恐ろしく内心は東京都にエールを送っていても表向きは賛成できないのです。政府の“読み”にはこの辺もしっかり入れての発言ですから怖いのです。
果たして石原都知事は政府に最後まで抵抗できるのでしょうか?そして銀行新法は晴れて実施できるのでしょうか?


2000.2.16

昨日の朝得意先である神戸市兵庫区の内科の先生宅へ確定申告の仕事に出掛けましたが、最近車を運転できなくなって徒歩のため、昼前に次ぎの行き先である県庁までの交通手段を地下鉄にするか市バスにするか迷った揚句、隻眼には階段が怖いので結局段差の少ない市バスにしたのですが、時刻表より10分遅れできた市バスに湊川公園東から乗り、私が降りる県庁までの間に、幾つかの停留所で20人位の人が降車して行ったのにお金を払ったのは私独りでした。乗客は全員お年寄りで運転手さんにパスを見せては会釈をして降りて行くのです。会釈をするところから判断して、どうやら全員敬老優待パスの所持者のようでしたが、私は震災以後赤字々々で、神戸空港どころでない筈の神戸市が如何して市交通局の赤字に関心を寄せないのか分かりません。
健康保険でも受益者負担の大原則に従って加入者本人の医療費負担が無償から有償になって久しいのです。当初10%でしたが現在では確か20%になっている筈です。
200円の乗車料金に対し、10%か20%の受益者負担が得られれば、市交通局の赤字はなくならないでしょうが少しは減少するに違いありません。
それどころか受益者負担となればその出費を節約しようと、短距離のお出掛けには歩こうとするお年寄りが増えるでしょうから健康面から見て一石二鳥です。
然し、本当にバス代も払えない位貧しい人々にはこんなむごいことは言えないので、一体仕組みがどうなっているのか、仕事の帰路垂水区役所の福祉事務所を訪ね、敬老優待パスの支給条件等について聞いてみました。
先日一度障害のことで訪れ吏員達に嫌な思いをさせているので一寸面映いとこがあったのですが、訪問者には関心がないのでしょうか、福祉の吏員達は全く記憶してなく、例によって一言尋ねる毎に本を引っ繰り返し、終いには席を立っては何処かに相談に行き、20分ものの長談義になってしまったのですが、【“こと”が分かっている人なら1分で済んだ話です】答えはナント!70歳以上のお年寄りでご本人の年課税所得が378万円までの人なら同居の子供さん等の所得や年収に関わりなく無条件に無料パスが手に入れられる仕組みとなっているのでした。
年課税所得と云う言葉は専門的で難しいので、分かり易く翻訳すると夫婦暮らしのお年寄りで、年金なら年収720万円、給与なら同じく700万円もの高額に上ります。【税金の専門家の言うことですから信用して下さい】
開いた口が塞がらぬとはこのことで、720万円もの高額な年金など聞いたこともありませんし、若しあるとすれば、永年勤続の国会議員か大蔵省の次官くらいでしょう。つまり年金生活者なら殆どのお年寄りがこの恩恵に浴せることになるのです。生活保護を受けている人なら兎も角、月間60万円もの収入がある人にどうして無料パスを与えねばならぬのでしょうか。
所得制限をするなら、せいぜい独身で月間10万円夫婦で20万円位のずっと低いハードルに設定すべきであり、同居の親族の所得にも関心を持たねばなりません。こんな馬鹿々々しい条例を造ったのは、福祉を謳い文句に当選した市会議員でしょうが真の福祉を放ったらかしにしておいて、高額所得者を優遇することは許せません。弱者救済など言いながら実は便乗者の方が圧倒的に多いこの制度は、まるで共産党の口車に乗せられて大盤振舞し、東京都の財政を火達磨にした美濃部さんと少しも変わらないではありませんか。
その反面、生活保護を受けている方にはメチャ厳しく、子供に所得があるからダメだとか、孫がテレビを送ってくれたら保護を打ち切られたとか人並みの生活すら認めていませんが、この落差は一体何でしょうか。
これからの高齢化社会にとって、福祉は大切なことではありますが、行政は福祉の質的な面について充分に吟味しきめの細かい配慮が必要でしょう。少なくとも現在のような大雑把なやり方は福祉ではなく税金の無駄遣い以外何物でもありません。
今回は偶々敬老優待パスから涌き出た疑問でありましたが、調べてみるとこんな不公平はまだまだ沢山あるのでしょうネ。
私一人がこんなことを言っても“ごまめの歯軋り”にすぎませんが、市民オンブズマンの皆様どうか誰もが不公平でなく平等な生活ができる神戸になれるよう頑張ってください。


2000.1.24

徳島市の良識ある住民の皆様取り敢えずお目出度う御座いました。
吉野川可動堰反対については、礎(いしずえ)となった長良川の住民の方々もきっと喜んでいることでしょう。諫早湾干拓地の “むつごろう” くん達も草葉の陰で涙していることでしょう。
行政は可動堰計画推進以外の何らの選択肢を示さずに工事計画を進行し、住民からの計画理由の請求に対しは渋々一時凌ぎの回答を出し、反論されると引っ込めるという住民不在で官主導の思えば長い7年間でありましたが、然し本当の闘いはこれから始まるのです。
開票を受けて建設省は“この投票結果により工事計画が変わることはない”と明言しています。
“住民の意見の反映”を盛りこんで2年前に改正された河川法は一体何処へ行ったのでしょうか。“治水というテーマは住民になじまない”というのが建設省の意見ですが、これは裏を返せば『ド素人に何が分かるか、お上(かみ)のなさることに一々口をだすな!黙っとれ!』と云うことなのです。建設省は吉野川可動堰1千億円の事業資金の配分を既に決めている筈です。今更止めるとはいえなくなっているのでしょう。中止すれば面子がなくなるだけでなく背後にいる政治家達共夜道が歩けなくなります。そのために今後計画再開を目指し、あらゆる手段を駆使して徳島市民に対するさまざまな形で陰湿な復讐が始まるでしょう。然しもう徳島だけの問題ではなくなりました。『人民の人民による人民のための政治』というごく当り前のこの言葉は日本では真っ赤な嘘であり、謂わば民主主義の根源とも謂うべき住民の意思が、わが国では国会議員を経由せずには表現できない仕組となっているのです。今回は徳島市市議会の勇気ある決断により住民投票を実施することができましたが、もし市議会が建設省に丸め込まれていたら、反対派は“ごまめの歯軋り”に終わっていたのです。
今こそ我々国民が挙って住民投票を法制化するために立ち上がらねばなりません。鴨川のダム建設や長良川河口堰に反対してこられた哲学者梅原猛氏は『洪水対策という大義名分だが、可動堰の建設によってゼネコンを潤わせ、地元もお零れに預かろうとする意図が明白だ、洪水を防ぐ方法は他にもある筈であり、どんなに配慮しても自然を破壊することは許されない。日本経済の活性化を不急不要の公共工事に頼ることは決してよくないことだ、又投票率が50%未満のときは投票は無効だとか,即座に投票用紙を焼却するなど言語道断だ、何処の国に何%以下は無効など規定した法律があろうか、これこそ民主主義の否定だ。』と述べておられます。
我々は吉野川可動堰を対岸の火事と受け止めてはなりません、1千億円は皆様の血税が使われるのです。


2000.1.22

10数年前からずっと良くなくて、天気の日でも曇って見える左の目が最近になって急に悪くなり、昨年夏の出血後殆ど見えなくなってしまいました。出血止めの注射に毎週通う眼科の先生からは、レーザーも当てられない場所だし、現在の医学では手術もできないからと言われ、残る右の眼に同じ症状が起こると大変だからとこの頃では、右目しか診て頂けなくなりました。
何せ視力検査表の一番上の字のまだ上(え?そんなのあった?)の青や赤の色すら見えません。
右眼は0.8位見えるので日常生活では、左側の柱や箪笥の角によくぶつかる位で何とかやっていけるのですが、右目だけでは遠近感が失われているため段差が読めず、しょっちゅう転ぶので膝に生傷の絶え間がなく、ずっとサポーターをはめている始末です。車の運転も車間距離がはっきりしないし、通行人に接触したりすると大変なので家族からも運転をやめるように言われています。内緒ですが実を言うとこの前の免許証書換えのときも視力表が少ししか見えなかったのですが、試験場の警官が誰にでも同じ個所を問うているのを見て、悪知恵を絞ったあげく一所懸命マル暗記して無事凌いだのでした。

今日のWEBは何も私の眼のことが言いたかったのではありません。
実は昨日障害のことで福祉事務所へ行ってきたのですが、障害者になるには(何もなりたくありませんが)片目が失明していても残りの目の視力が0.6以上あればダメで健常者になるのだそうです。え?なんで?【め○ら】と言う言葉は差別用語であり放送禁止用語らしいので伏字にしますが、今の言葉で身体の一部に障害のある状態の見本のような片【め○ら】になっても障害者とは認めていないのです。
つまり厚生省のお役人は両目でワンセットと考えているのでしょう。只見えればよく質的な視覚には無頓着で、石畳の場所ではすり足でしか歩けず、車も運転できない者が健常者だと宣うのです。机上で規則を作って障害者の何もわかっていないお役人に一度でも片目を瞑って凸凹道を歩いたり、車を運転させてみたらどうでしょうか?
福祉事務所へ行ったついでに、昔関与先の経理担当者だったAさんのことを聞いて見ました。
彼は事故で片腕の上腕部の半分くらいから下部がなく『この腕が全部なかったら2級で障害年金が貰えるのにあるばっかりに3級で何も貰えへん、ぶらぶら邪魔になるだけで何の役にも立たんのに…』と言ってたことが未だに記憶に残っていたからです。
福祉事務所の職員は渋々マニュアルを持ってきて読んでくれましたが、規則では上腕部つまり肘から上の半分以上ある人が3級で半分以下の人が2級だと書いてあると言うのです。半分あれば何か良いことがあるのか、何かできることがあるのかと聞き返すと、『それは厚生省の役人に聞いてくれ』といつもの逃げの一手でした。福祉々々と行政は福祉を売れ筋の謳い文句にしておきながら、1歩踏み入れると中身はこんなにお粗末です。健常者のお役人には障害者のことが見えてなく、これでは折角の福祉予算も正しく遣われているのか疑わしくなります。それ処か和歌山のカレー事件の容疑者は保険会社からは保険金返せと訴えられていますが、行政は障害年金を返せと言ってないではありませんか。会社なら株主代表訴訟などできますが、我々は何一つすることもできないのです。


2000.1.16

いつも日曜日の朝8時からはNHKラジオの『音楽の泉』を楽しみに仕事の傍ら聴いておりますが、今日はいつものフォーレやドビッシーなど甘美なクラシックの調べとはがらりと変わって懐かしい日本の叙情歌や文部省唱歌の特集であり、その美しい歌声の数々から幼かった過ぎし遠い昔を想い、緩んだ涙腺と共に感傷のひとときを過ごしました。
♪兎追いしあの山、小鮒釣りしかの川♪と歌われる“故郷(ふるさと)”などは誰もが知っている(思っているのは私独りか?)、明治時代からの代表的な文部省唱歌であり、我々戦前派の世代には、聴くたびに胸の奥が熱くなります。
然し、何故か最近文部省唱歌は難しいとか古いという理由で段々歌われなくなってきたようです。私が敬愛するエッセイストの山本夏彦氏はその著書の中で、次ぎのように述べておられます。
『♪如何にいます父母、恙なしや友がき、雨に風につけても思いいずる故郷♪この歌ももうすぐ唱われなくなり、“友がき”なんて床しい言葉も永遠になくなるのは悲しいことだ!』
ら抜き言葉や、とかとか弁など恥ずかしくて聞くに耐えない言葉が氾濫する中で、私達が誇りとする美しい日本語が少しづつ失われようとしています。
室生犀星の詩集“小景異情”の第2章に『ふるさとは遠きにありて思うもの、そして悲しくうたうもの、よしや異土のかたいとなるとてもふるさとは帰るところにあるまじや…』と詩われた望郷の念の哀切さはその美しい日本語の旋律と共に、私達が学生時代の永遠の愛唱詩となっていましたが、今の若者は、“異土のかたい”の意味すら知らずこの詩は全く受け入れられないようです。
文字のないアイヌの言葉などは言語学会が必死になって残そうと努力されていますし、それは立派なことだと思いますが、わが国では美しく正しい日本語の読める人が時代の経過と共に段々減少してきています。文部省唱歌などはこれらの最後の砦というべきものであり、その歌詞には美しい言葉や文節がキラ星の如く鏤められています。
然しこれらの美しい日本語を正しく読み理解するには、古典文法の素養が必要です。かって、古典文法はとても面白く勉強できたなどという人は,余程の変わり者か何かで、誰も大学受験のために嫌々覚えたものですから身につく筈もありません。これは一つに教材が我々の生活とかけ離れたものだったせいであり、これでは四書五経を始め、我々の先達の教えが後世に引き継がれて行く希望はありません。
今の文部省がロクに満足に教えもせずに難しいから古いからと、最後である美しい日本語の唱歌を歌わせないなど言語道断です。政府は“君が代”などは強制しておき乍ら次代の日本について一体何を考えているのでしょうか?歌というものは文章と違ってメロデイーという土壌の上の乗っかっていますから、意味を理解することなく、誰にでも容易に記憶できるものです。これからの子供達に是非日本の叙情歌や文部省唱歌を音楽の時間で教え、覚えた歌を数年後古典文法の時間に活用すればよいのではないでしょうか。身近なものや知っているものを教材に使えば勉学に必ず興味が湧くと思います。
卒業式では『いまこそわかれめ、いざさらば』 と“仰げば尊し”が歌われますが、今の学生は果たして“いまこそわかれめ”の意味を理解しているでしょうか、数人に聞いて見るとどうやら分かれ目と勘違いしているようで、これでは文意が通じません。“こそ”が前にあるため、文語の係り結びの法則にしたがって“め”と已然形に変化したものだと答えられる人は何人いるでしょうか。
難解ではありますが“箱根八里”などは読解できればセンター試験漢文合格ラインです。♪箱根の山は天下の険♪と歌いながら学んで、大学合格するのも乙なものではありませんか?


2000.1.16

明日で阪神淡路大震災から5年を迎えようとしています。昨夜NHKの震災特集でJR新長田駅の北側の一角の住民達が区画整理を巡って神戸市と対立しNHKから取材を受けているのを最後の部分だけ少し見ましたが、行政の住民不在にして余りにも身勝手な言い分に憤りを覚え、WEBで皆様に聞いて頂くことにしました。
この地域は活断層が通ったと謂われている大きな被災地の一つです、典型的な零細家内工業地帯であり、ケミカルシューズの製造では全国でもかなり有名です。ここの住民達はずっと昔からゴムの裁断音を子守唄にして育ち、初めての人には耐えられないゴムの匂いを生活の中に共有して大きくなりました。どうして区画整理が進展しないのかその理由を細々と仮設の工場でケミカルシューズを作っている一人の住民が次ぎのように語っています。
我々は震災前にはずっとここで家族全員で力を併せてケミカルシューズを作り、2階で全員が寝起きして暮らしてきましたが、この辺一体が全て全壊してしまいました。今回の区画整理について行政の主張は、快適な生活環境を作るため道路も広くするし公園も作るが住宅の建設しか認めない、つまり工場はだめだというものです。我々は仕事をする場所もなしにどうして生活したらいいのですか、神戸市が新しい工場を建てて呉れるつもりは全くありません。全国的に不況の嵐が吹き荒れている中で、特に悪い関西地方にあって地盤沈下の著しい神戸です。家を建てるお金もないのに工場がどうして建てられますか、行政は私達に死ねと言っているのですか。
「“えらいさん”は机の上で図面だけ見てああやこうや言うてるけど、住んでるもんのことなんかなんも分かってくれてへんし、分かろうとせえへんのや。」
吐き捨てるように呟いた彼のこの神戸言葉が神戸市の姿勢を全てを物語っています。つまり行政は震災を千載一遇のチャンスとして捉え、街を格好いいものに変えようとしているのです。そして街作りには住民の雑音は不必要であり、切り捨てられるべきものなのです。“えらいさん”達にとって儲からないため余り税金も払ってくれない零細ケミカルシューズの工場なんか不要であり、官にとって薄汚い恥部としか写らないのでしょうか、これでは同じ日本人であり乍ら、アメリカへ移民した日本人を貶したあの似非学者や官僚達とまるで同じではありませんか。そうかも知れません、自分達は偉いんだ最高学府まで出ているんだ、お前らとは頭も教養も違うんだと言う声が聞こえてきそうですが空耳でしょうか、それは“教養”ではなく“強要”ではありませんか。“公僕”だなんて言葉がチャンチャラ可笑しいですネ、日本國憲法では人は誰もが生きる権利を有している筈です。誰もが反対している神戸空港の予算の万分の一を減らすことで、ケミカルシューズの住民達が生きていけると思うのですが…。


2000.1.4

昨年の年の瀬29日に如何なる縁(えにし)か分かりませんが、“子供の未来を考える父母の会”という団体から産経新聞社発行西尾幹二著『国民の歴史』なる厚さ5センチ775ページもの大著を〝謹呈〟との挨拶文と共にお送り頂きました。

国民の歴史にはさほど興味はありませんが、“子供(孫?)の未来を考える”には大きな関心があり、幸い仕事も年末休みであったことから早速読み始めました。辛口の堅い文章ではありますが、難しくなく平易であり、私と同年生まれのこの著者が東京大学の文学博士とは到底思えぬ型に填まらない自由奔放な論陣は、日本の将来を担う子供達に正しい史実を伝えるため、20世紀初頭の日露戦争以後の日本が誤った途を歩んできたとアメリカから洗脳され信じ込んだ日本の指導者と呼ばれている愚かな人達をばったばったとなぎ倒すその切り口は、誇張された個所が幾つかありますが痛快そのものであり、返す刀で朝鮮や中国から少し脅されると彼等の嘘に気付きながら反論もできないですぐに謝罪してしまう腰抜け指導者グループや政治家を国民を欺いたとして徹底的に批判し弾劾するものでした。

目から鱗が落ちるとはこんなことを言うのでしょうか、一例を挙げると第24章『アメリカが先に日本を仮想敵国にした』には、アメリカ人を始めとする白人の有色人種への人種差別が私どもが考えている数十倍否数百倍も強く激しいものであり、第二次世界大戦は20世紀初頭から排日移民法が施行される1924年までの僅か四半世紀の間にアメリカ本土へ出稼ぎに行った日本人労働者の存在が引き金になったのではないかと示唆されています。アメリカ人はそれまでの移民と等しく愚かで仕事をサボることしか考えない見下げた人種である筈の日本人移民が勤勉で字も書け節倹精神に富んでいるのを知り驚き、一方で同じ頃あの巨大なロシアのバルチック艦隊がちっぽけな日本海軍に殲滅された事実に恐怖心を抱き、このままではやがて日本に支配される時がくるとの誇大妄想にとり憑かれ、排日運動が始まったとされています。
先代のルーズベルト大統領は『日本人移民が劣っているからではなく優れているからこそ排斥されねばならない』という言葉まで残しています。

然し当時の移民の数は二世を入れてもアメリカ総人口のたった0.1%でしかなかったのです。
これに対し当時の日本知識階級のトップである進歩的文化人と謂われた共に東京大学の教授である新渡戸稲造や吉野作造の見解は、カルフォニアでの日本人移民排斥事件について悪いのは日本人自身であり自己反省することが先決だとか、移民がアメリカのことをよく理解していないので日本国民の教育が誤ったものであり文明の力を養うことで問題は解決さるべきだと言うに終始した能天気で的外れのものでありましたが、当時は彼等に逆らえる者は誰も居ず進歩的文化人に劣等感を持っている官僚達も笑止にも同意見だったのです。
著者は彼等を始め大正デモクラシーの思想家達が概してアメリカの名門大学で学んだエリートであり、自らが人種差別を体験することが少なかったことから起こった不幸であり、移民と自分達を異次元で考えた認識の甘さであると喝破しています。
新渡戸稲造は1911年から12年にかけてアメリカの六つの大学で166回も講演しましたが、移民問題を取り上げたことは一度もなかったのです。そして彼等(大正デモクラシーの思想家達)には、アメリカにまず敵意があり、それが解き難いほどの壁であることが全く見えていないのでした。アメリカ大使館が当時の小村寿太郎外務大臣に提出した報告書の中にアメリカ人の排日論者が汚らしく醜い日本人の姿を誇張して描き出し示したことすら、外務省のエリート官僚や自称リベラリスト達には、驚くべきことにそれが自分達自身に向けられたものと考えず、下層の日本人移民ほど目障りな肩身の狭いものとしか写らなかったのです。
彼等には彼等が送り出した移民達は私達の同朋ではなく別の人種であるか、そうでなければ私達の恥部として隠すべきものだと考えたのです。
著者は彼等のような自国民を自ら野蛮視し、優越文明に対する諂いの姿勢しか見せず、欧米の文化に膝を屈し民衆を見下す姿勢で日本の先導者として振舞っているのは、恥ずべき植民地根性というべきであり、新渡戸稲造などどう考えても紙幣の肖像画に値しない人物だと胸のすくような評決をされています。
これには私も全く同感であり、健常者に障害者の傷みが分からないのと同様にお金持ちに弱者である貧乏人の心が理解できる道理がありません。真の学者なら自らが安全圏にいては真実を見失うことに気付くべきが道理であります。あのマザーテレサをご覧下さい、この偉大なる修道女は自らを底辺で生きる人達と共に苦しみや傷みを共有しながら生活をすることで人類の救いを実践されていたではありませんか。
以上はごくごく一部の紹介に過ぎません、全編ややオーバーではありますが、ワクワクするする史実の暴露に終始し、真の日本人はこれらの似非進歩的文化人を除き、立派な人種であることが記述されています。我々は次代に対し我々日本人が立派な人種であったことを伝える義務があります。決して白人に対し卑屈になることはありません。

私はこの本を読み終えて、10歳位のとき時友人から貸してもらって貪るように読み耽った山中峯太郎や南洋一郎の冒険小説の昂奮を50数年振りで思い起こしました。
昂奮の醒めない内にと、挨拶文に書かれていた世話人の方に大晦日の午後、御礼の電話を差し上げた処、日本の将来を憂いて有識者の方々に無償でお送りしているとのご返事を頂き、私共のちっぽけなホームページで是非紹介させて頂きたいとお願いしたところ快く承諾して頂きました。
皆様も是非この本を一度お読み頂いて、日本人が如何に優れた人種であるか次の世代に伝えて下さいませんか。

 

 

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