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1999年の独り言


1999.12.26

先日電車の中で週刊新潮を読んでいたら面白い記事にでくわしました。
K君は今年念願の東大に合格し、ピッチャーとして野球部に入部し、本郷の東大球場で練習に参加していますが何故か未だに正式な部員になれず従って試合にも出られません。どうして正式部員になれないのかその理由は、東京六大学野球連盟がK君の部員登録を拒否しているからなのです。
何故連盟が登録を拒否しているかそのわけが又振るっています。それはナント!引き抜き防止規定みたいなものが東京六大学野球連盟に存在し、K君はそれに引っ掛かっているのです。
K君は一度早稲田に合格し短期間野球部に在籍していましたが、東大進学の夢を捨て切れずに中途退学し、改めて受験し見事に合格したものでしたが、『各加盟他大学の野球部選手として登録されていた者の部員登録は認めない』という東京六大学が黄金時代を迎えていた頃、引き抜き防止のために作られた規約が未だ生きていたのです。
つまり連盟の見解では早稲田の野球部の部員であったK君を東大が実力を見込んで退学させて引き抜いたということになるらしいのです。
これには東大野球部の関係者も開いた口が塞がらないのではないでしょうか。
当のK君はベンチ入りが認められず一人で練習を続けていましたが、『自分の実力以外の点で入部が認められないのは悔しい』と涙しています。
連盟も六大学野球に秋風が吹いている昨今、そんな時代遅れなことを言っている場合ではないと思います。早くそんな化石のような規約を改正してK君が神宮球場のマウンドに立てるチャンスを与えてやって下さい。フアンには法政や立教が優勝することより東大が1勝することの方が価値があるのです。いっそ東大が『そんならうちは六大学やーめた』といってやったらどうでしょうか。連盟は慌てて規定を改正することでしょうね、それとも“丁度いい機会だった”と東大を切り捨てるでしょうか?
問題にするなら東京大学以外の各大学が行っている【スポーツ特待生】の方であり、彼らをを部員登録させない方がずっと理に叶っていると皆様は思われませんか?


1999.12.26

たまには本職の税金に関わる話をお送りしましょう。
今年も年末調整の書入れどきとなりました。皆様には沢山税金が還りましたか?
毎年いくつかあるのですが、本年度の改正でも合点が行かぬことが少しあります。それ年少扶養親族控除なるものの創設です。これまでは高校生から大学生までの年齢層である15歳から22歳までの扶養親族に対して学費などで大変だろうと特定扶養親族控除と云うものがあり通常の扶養控除より若干多く控除されていましたが、本年からは15歳未満の扶養親族に対しても控除されることになり、特定扶養親族にも控除額が増やされました。
巷で問題になっている少子化対策の一環でしょうから文句はないのですが、一方でお年寄りの控除額が少しも増やされず放ったかされていることが気に掛かります。子供は0歳であれ22歳であれ自分の生んだ子ですから面倒を見るのは義務であり当然(そうでない人も多くなっていますが)ですが、自分の親や祖父母の面倒を見ることは大変なことです。現在の扶養控除額15歳~22歳までの者に対する63万円に対し、お年寄り38万円(70歳以上は同居58万円別居48万円)と子供達より控除額が少ないのはどう考えても腑に落ちません。
兄弟が親の扶養の押し付け合いをしているテレビドラマをよく見かけますが、ドラマになるくらいですから両親や祖父母の扶養については世間では結構関心の高い問題なのだと思いますが、現実には子が親の面倒を見るのは当り前という時代は戦後の民主主義の到来と共に彼方に去り、我々が戦前国民学校時代に“修身”で習った【親に孝】と謂う言葉はとっくになくなってしまいました。
話は急に変わりますが、できたばかりの年少扶養親族控除を廃止して、公明党の発案で来年からは児童手当一人当り月額5,000円乃至10,000円を支給する目玉予算案になるそうです。何でも創価学会の支持者には税金を払っていない低所得者層が多いので所得控除ではメリットが少ないのだそうです。これについて明治大学の高木教授は『10,000円貰えるなら子供生んじゃおう』なんて考える女性がいるとは到底思えない、少子化対策に金を遣うなら保育所や託児所を増やすか育児休業制度を確立して仕事と育児の両立が可能な環境を作るべきだ、と至言を吐いておられます。全くその通りであり、税金控除や手当金で子供を増やそうなどと単細胞な発想は一体誰が何処で考えだしたものでしょうか?
公明党さんには悪いのですが、この際いい機会ですから児童手当なんか廃止して、その予算を年長者手当に変更してはどうかと考えます。そうすれば年末調整で肩身の狭い思いをしているお年寄りも少しは家庭での居心地がマシになるのではないでしょうか。
私は親の押付け合いは道義の問題ばかりでなく、経済的な負担の方に比重が多いと思うのですが・・・。


1999.12.25

先日の新聞で大阪府警の警視が、出勤途中で女子大生に痴漢行為を働き論旨免職処分になっていたことが1ヶ月以上もして分かったことが報道されていました。『隠そうとした訳ではない、被害者側のプライバシーなどを考慮したためだ』と歯切れの悪い近畿管区警察局の弁解はいつかの神奈川県警の答弁をそっくり物真似したものでしたが、例によって内部告発でマスコミにバレたため仕方なくの発表だったのでしょう。警察局が必死に隠す筈であり、驚いたことにこの警視(警視正の次に高い地位なのです)は今年の三月に警察学校の教務課長になり、警察官の【職業倫理】を講義している教官なのでした。一般のお役人ならよくあることで誰も不思議に思いませんが、警察官に人の倫“みち”を説く先生が痴漢になるとはこの世も終わりです。警察官も人の子ですから痴漢になる者もいるでしょうし、後輩達に残虐な苛めをした神奈川県警の警官の方がもっと悪いかもしれませんが、問題はその人の品性や人格を考慮せずに、只、年功序列や職務上の功績だけで職種が決められる処にあるのではないでしょうか。人事が適材適所かどうかは、事業会社なら会社存亡の根幹に関わる問題ですから、充分過ぎる程上司などの考課を経て決定されますが、お役所での役席や職種は昇り階段の途中以外の何ものでもないのでしょう。警察学校教官の威信を失墜させた責任をとって処分されるべきは、当人だけでなく、何も考えずにこの警視を警察学校の教官に任命した上司達ではないでしょうか。
然し、世間は広いもので、もっと悪い奴がいました。
それはクレスベール証券から例のプリンストン債を買わして会社に一千億円を超える損害を与えたヤクルトの副社長(当時)です。会社に損害を与えることはこれもよくあることで、世界の銅相場で逆張りして会社に一千億円位損をさせた住友金属の社員(可哀相に今は獄中とか)もいましたが、この元副社長の遣り口はメチャ、タチが悪く、会社に一千億円もの損をさせておいて自分はリベートという名目で5億3千万円の裏金を証券会社からチャッカリ貰っていました。しかも疚しいその裏金をタックスヘイブン(租税回避地)であるカリブ海のケイマン諸島とかにペーパー会社数社を作り、当局の目を逃れるため15にものぼる海外口座で資金操作をしてマネーロンダリングを行い、それらの会社を経由してこっそり日本に持ち帰っていたのです。クレスベール証券の債券販売が詐欺ではないかと言われだして検察庁が動き出し発覚したものですが、検察が動かなければ全ては藪の中だったことでしょう。逮捕の名目は所得税法違反による脱税つまりリベートの5億3千万円を申告していなかったことによるものですが、私はこのお金は会社が貰うべきリベートであり業務上横領罪ではないかと思っています。
この元副社長がより悪質だった『えっ!まだあるの?』のは彼が銀行屋や株屋上がりだと思っていたのが、実は大蔵省から国税庁入りしてたキャリア官僚の天下りであったことです。
税には生涯襟を正さなければならぬ元税メンが在職中に知り尽くした脱税の手口を悪用するなど言語同断です。しかも裏金は6千万円もの運用益を出し、併せ10億円もの豪邸の新築資金の借金返済に当てられていたそうで若し、目黒税務署から資金の出所を尋ねられたら、『このお方を何方と心得る!控えおろう!』の国税庁という雲の上からの一言で1件落着という“読み”だったのでしょう。
豪邸も今は銀行に差し押さえられ、ここにきて子会社の資金7億円の業務上横領の疑いが浮上し、更に社内や監査法人からの警告を無視して投機を続け損失を膨らませたことが判明、商法違反(会社を危うくする罪)の疑いまで出る始末、四面楚歌、八方塞がりの様相を挺してきましたが、老子曰く“天網恢恢疎にして漏らさず”とは蓋し名言ではありませんか。それにしても世の中には悪い奴がいるものですネ。


1999.12.5

先日何気なくテレビを見ていて驚きました。
それは或る薬品メーカーのコマーシャルで、お祖母さんのテントウ虫と孫のテントウ虫が草花の葉っぱの上で地球環境について話し合っているもので、『みつばちハッチ』風のイラストであり幼い子供達にも分かり易く好ましいものしたが、好ましくなかったのはお祖母さんと孫が異なるテントウ虫だったことです。
どう見てもお祖母さんの方は背中の星が沢山あり、一見十二星テントウ虫【背に星が12個ついています】めいていて、孫は二星テントウ虫【背に星が2つついています】のようだったのです。
別にテントウ虫の種類が違っていてもいいじゃないかそんな些細なことに目くじらたてなくても・・・と思われる方が多いと思いますが、十二星テントウ虫は害虫の見本のような虫であり、茄子の葉っぱが食害され網の目のようになって枯れてしまうのは決まってこの虫のお陰です。一方、二星や七星テントウ虫は葉っぱなどは食べずに、野菜や花の芽に群生して食害するあぶらむしを全部食べてくれる益虫ですから同一視はできません。ましてこれからいろんな知識を吸収して育って行こうとしている幼い子供達へのメッセージなら尚更です。
恐らくお祖母さんの皺を連想しての星の数だったのかもしれませんが、七星を超えるテントウ虫は全て害虫です。子供達に害虫と益虫の区別を教えなければならない大人達がこんなイラストでは困ります。せめてお祖母さんの星の数を7つにして欲しいと思っているのは私独りでしょうか。


1999.11.22

19日の早朝NHKのラジオから面白いニュースが流れてきたので皆様にお知らせしたいと思います。
ニュースの内容はアメリカの或る州の出来事でしたが20数年間結婚生活を送っていた夫婦が突然妻の申し出で離婚した話でした。歯ブラシまで共有するほど仲の良いことで有名だったので近所の誰もが不思議に思ったのですが、その原因が離婚の数日後判明しました。
それは奥さんの買った宝くじが当たり、それも130万ドルと巨額であったため、妻は夫には内緒にしてくじに当たった11日後に性格の不一致とかを理由にして離婚したのです。
“何故だ!”と一番不可解な思いの夫は愛する妻の突然の背信の理由を離婚の数日後くじ会社から誤って届いた妻宛ての手紙により知ることになり、愛情の儚さを改めて思い知らされることになりましたが、この州では夫婦の財産は全て共有だと法律で定められており、妻は半分が夫のものになるのが厭で宝くじに当たったことを内緒にして離婚したのでした。
夫は妻の裏切りにすっかり憤り、半分は自分のものだと裁判所に訴えましたが、裁判所の判決はナント!元妻の採った行為は極めて悪質なので半分でなく全額夫に渡せという素晴らしく粋なものだったそうです。金銭欲のために夫の愛情を裏切った元妻はこの判決により全てを失ってしまったのでした。
たまたまこの事件は女性が主人公でしたが、もし夫が当たっていたらどうなっていたでしょうか、こんな悲しい結末を迎えなかったと思いたいのですが.....。
昔から『雪と欲は積もるほどに道を失う』という諺がありますが、何処の国でも同じなのでしょうネ。
あなたは配偶者に1億3千万円が当たったとしても『うちの家庭は大丈夫だ!』と断言できますか?


1999.10.25

先週21日金曜日の夜、週末を東京で過ごすために上京した筈の愚息から突然連絡が入り、『今救急車の中だ!新幹線で自転車が落ちてきた。出血が激しいので病院へ行く』とのこと。すぐに携帯が切れてしまい、始めは誰から掛かってきたかも分からず妻もオロオロするばかりで駆けつけた娘が新幹線の各駅に電話しても、乗車した電車が何処の電車(つまりJR西日本とか東日本とか)なのか聞かれ解からないと答えるとそれっきりで話が進展せず埒があかずじまいで状況が分からず、全員パニック状態でしたが、やがて救急先の東京医科歯科大学附属病院から『動脈が切れて出血がひどかったけど止血が上手くいったので何針か縫った。あまり動いたらいけないので今夜は近くの友人の家に泊まり明日検査をする』と携帯が入り、無事だったことを神に感謝しつつも、状況確認の電話を入れた名古屋駅の断言した《絶対に自転車は新幹線に乗せません》は何だったのか、何故こんなことが起こったのかと狐につままれたような思いで一夜を過ごしましたが、翌日検査を終えた愚息との電話でやっと次ぎのような事情が判明しました。
〝のぞみ〟に乗車していた愚息の頭上に落ちてきた網棚の荷物はナント自転車で、驚いたことにはこの自転車はJR東日本が開発したもので、電車に乗せられるとの謳い文句で売り出したものらしいのです。スポーツバッグに入っていたと言いますから折り畳みだったのでしょうが、速度優先で特に揺れの激しい〝のぞみ〟では不安定な金属製のしかも突起物の多いものは落下の危険と落下時の惨状は容易に予知できる筈ですから、電車に乗せられるとしても何故【網棚禁止】か【固定条件】にしなかったのでしょうか。アメリカなら間違いなく数十億ドルの賠償ものでしょう。
もっと不可解だったことは、乗車した〝のぞみ〟がJR東海のものだったのでしたが、駆けつけた車掌の態度でした。JR東海では載せてはいけない筈の自転車がJR東日本の関わるものと知ると急によそよそしくなり、乗客同士のトラブルとして全然構って貰えなかったのでした。
たまたま同乗のお医者さまに応急処置して頂くことができて一命を取り留めましたが、車掌が傍観者となったため、本来ならプラットフオームで救急隊員と担架が待っている筈が、何も居なくて、同乗者達に助けられて事務室まで運ばれそこでやっと救急車を呼んで貰えたのでした。救急車の中で救急隊員の一人が、『JR東海はいつものことです、東海に乗られたのが不運でしたネ、JR東日本ならきっちりした処置をして貰えたのに...』と言ったそうです。
JRの縄張り争いは結構ですが乗客まで巻き添えにしてほしくありません。
JR東海がダントツに儲けている背後にはこんなこともあるのでしょうか、といって新幹線に乗るたびに『お宅は何処のJRでしょうか』なんて聞いてもいられませんしね。
今日の午後に、某県庁のお役人と名乗る自転車の持主からお詫び電話があったので、『自転車搭載の件では貴方も被害者だと思うので、JR相手の訴訟なら何だったら協力しますが』と言ったら、『私は公務員なので、JR相手に訴訟を起こすと勝ち負けは別にして役所を退めなければならなくなるからできません』とはっきり言われました。
そうです。JRは株式会社となりましたが実態は今も巨大な官庁なのです。、闘う相手としては法廷の中だけでなく夜道を歩くにも用心が必要な相手なのだと云うことをはっきりと思い知らされました。
〝コンクリート〟が落ちても電車を止めると言わない《何かあれば国が始末してくれるやろ》JRですから、自転車が落ちたくらいでは、蚊が止まった程にも感じないのでしょうネ。
【泣く子と地頭に勝てぬ】とはこんなことを言うのでしょうか。


1999.10.23

先日某新聞の『窓』欄に掲載された記事を読んで余りの腹立ちから私の血圧が230にも上昇しました。このままでは脳溢血で倒れてしまいそうなのでその前に皆様にご紹介することでストレスを発散し血圧を下げたいと思います。
自然環境の破壊で問題になっている岐阜県の長良川について、建設省は【鮎は順調に遡上し、サツキマスやシジミの漁獲量も著しい減少は見られない】と言ったそうです。
長良川に河口堰を設けてから四年余りしての唐突とも思えるこの発言は、地元と建設省がせめぎあっている徳島県吉野川の河口堰を意識してのことに違いありませんが、日本自然保護学会の調査では、以前は川幅600メートルの河口を遡上できたのに、河口堰ができてからは川の両端に僅か10メートルに魚道しかなくなったため、当然に鮎の遡上が極めて減り、放流鮎と天然鮎の漁獲量が逆転し、以前は放流鮎の数倍もあった漁獲量が最近は放流鮎の数にも届かぬ漁獲量になってしまったそうです。
遡上できなかった鮎はどうなってしまったのでしょうか、哀れでなりませんが、自然の営みを破壊しておいて【順調に遡上し】とは国民を欺く言葉として到底許せません。
おまけにサツキマスやシジミの漁獲量についても建設省の『ウソ』が余りにも明白であり、サツキマスについては、今年の漁獲量がたった278匹《278,000匹ではありません!》とか、種の保存が危ぶまれ絶滅寸前にまで追い込まれています。シジミは長良川では完全に死滅してしまいました。建設省は地元漁協の漁獲高が減っていないと詭弁を弄しますがそれは近くの揖斐川でとれたシジミをカウントしたものであり、真実を隠し、国民を騙す建設省のこれらの行為は、薬剤エイズで厚生省が、不良債権の対応で大蔵省がこれまでしてきたことと全く同じことだと『窓』欄は喝破しています。
牽強付会 厚顔無恥と謂う言葉がありますが、建設省ののたまう【著しい減少は見られない】は、こんなことを言うのでしょう。
世界中が挙って自然の再生に努力しているのに、一人日本だけが逆行しているのは何処に原因があるのでしょうか?日本の官僚達が前例と面子を重んずるあまりに、新しいものに対する対応への柔軟性に欠けるところにあるのではないでしょうか。一度でも市民グループの反対運動が『ごまめの歯軋り』に終わらず、勝つことがあれ ば、事態は変わってくると思われますが、環境破壊の最たるもの『神戸空港反対』の署名があれだけ集まっても、何も変わらなかった日本です。ムリなのでしょうネ


1999.10.2

芦屋の奥池と謂えば阪神間の人なら一度は住んでみたい場所の一つです。六甲山の山あいにあり真夏でも毛布がないと眠れない位涼しく別荘地としても有名です。その奥池の地価がどんどん値下がりしているそうです。景気の後退や全国的な地価の低迷も原因でしょうが、理由の一つに道路の通行料金を挙げる人がいます。
奥池は芦屋市に属していますが、ここの住民達は誰も芦有開発という会社の所有する有料道路を通らなければ外部に出られません。芦屋側へは往復400円有馬側へは同じく1,200円が必要です。我々は有料道路というものは、急行又は特急料金と考えています。急がないなら一般道路を使えばよいというのが我々の常識です。
ところが奥池には、狸や猪のでるけもの徑はあっても車が通れる一般道路がないのです。
阪神間から有馬温泉や六甲山周辺のゴルフ場へ行く人は芦有道路を使うか時間は掛かるが無料の有馬街道を走るかを選択できますが、奥池の住民はその選択が許されないのです。
奥池の住宅の道路は全て公道であり、街路樹や側溝も芦屋市が管理していますから、この人達は当然に芦屋市民として認知されており、市民税も固定資産税もチャンと払っているのに、道路の通行だけ差別されているのは何故でしょうか?居住権を認めたのなら市は住民達の外部への出入りについて配慮すべきではありませんか。まして建築申請の許可条件に車庫の所有を義務づけている芦屋市だし、坂の勾配がきつく車の使用が不可欠の奥池です。路線バスがあるからとか屁理屈はひっこめて、芦屋市は奥池の住民について申請を条件に無料ステッカーを交付すべきです。そして芦有開発〔半官半民で芦屋市も株主ではないかと思います〕には市が料金を支払えばよいでしょう。それが厭なら一般道路を建設して下さい。市民は法の許に平等であるべきです。法律学者に尋ねれば芦屋市は憲法違反だ!と言われるのではありませんか?
アメリカには高速道路はあっても有料道路はないそうです。日本は高速道路でもないのに有料道路が沢山あるのは何故でしょうか、会社が有料道路を作るというのも珍しいケースですが、有料道路の建設が目的でなく開発地の分譲が主目的だったのでしょうから、こんな道路は早急に行政が買い戻すべきだったと思います。
皮肉なことに、この道路は深夜になるとゲートの料金所が無人になるため、午前様の車はただとなりますが、ただをよいことに山道のスリルを求める暴走族の格好の標的となり、付近の住民の安眠を妨害しています。夏場の週末だけパトカーが朝までゲートに張り付いて常駐していますが、いたちごっこで効果はイマイチのようです。
有料がよかったり悪かったり不思議な道路ですネ。


1999.10.1

先日の朝、台風18号で渋滞している市内行きの車の中でいつものようにラジオをONにしていたらNHKである東京大学の先生が話していられることを聞き驚きました。とても面白い話なのでWEBで紹介したいと思います。
何でもある所の電車の線路に置石が頻繁にあり、子供か酔っ払いの仕業かと警察が張り込みまでして調べたけれど犯人は分からずじまい、人間でなければ動物かもといろんな専門家に意見を求めると犯人は烏だという答えが返ってきたそうです。人間でなければ烏が犯人だと云うことは想像できないでもありませんが、何故烏が線路に石を置くのかが理解できません。調査団の結論は原因は近くの川を泳いでいる鯉に近所の人達がパンなどの餌を与えるからだということであり、誰も『ウソー』と半信半疑でしたが、実際に鯉にパンを与えるのを止めてもらったらパッタリ置石がなくなったそうです。昔『風が吹いたら桶屋が儲かる』という諺がありましたが、鯉にパンをやらなくなると烏が置石をしなくなるなんてまるでこの諺まがいで分かりません。
先生の解説では、川に投げたパンの欠片が道に零れ、それを烏と鳩が食べていたのですが沢山あるため、賢い烏は食べきれないパンを近くの線路まで咥えて行き線路の石の下に隠し上から別の石で蓋をし、他の烏に見つからないようにしていたのでした。
それでは線路の上にあった石の答えになりませんが、秘密は隠したパンを烏が後で食べに行ったときにあったのです。蓋の石を除けた烏は、置きやすいため丁度顔の辺にある線路に石を置き、パンを食べますが、食べ終わるともう蓋の必要がないため、そのまま飛んでいってしまい線路の上に石だけ残されるという筋書きだったのです。
隠しやすい処なら烏は何処でもよかったのですが、たまたま近くに石ころの多い線路があったのが烏にとってパンが貰えなくなる不運を招いたのでした。
肉を咥えた自分の姿が写った鏡を見て、欲しくなりカーと鳴いて咥えた肉を落としてしまった話がイソップ童話かにありましたが、烏は何かと話題の多い鳥ですネ。
岸田今日子さんの話では、屋上にくる烏に餌をやっていたら、いつかお土産をもってくるようになったとか、それも翡翠の原石とかだったそうです。うちへもきて欲しいなあ。


1999.9.20

メダカ(最近ではそっくりの『蚊絶やし』の方が多くなっていますが素人目には淡水魚類図鑑でも見ないと殆ど区別がつきません)が絶滅の恐れがあると環境庁が発表して国民に大きな衝撃を与えたのは、何時だったでしょうか、そんなに昔のことではなく昨年暮れか本年の年初だったと思います。
原因の一つには水質の汚染が挙げられていますが、この魚が少々の汚染にもめげずに生き続けていける魚であることは私は永年の川釣りの経験上知っています。鯉や鮒がいれば必ず生息し、鮒釣りをしていると餌のうどんにつけるさなぎ粉の零れた水の匂いに惹かれて釣り座の足元に何処からか無数にやってきて手で掬えるくらいでした。ところが最近になって近くの川で河川改修工事が進むにつれ、鮒や鯉の姿は見かけますがメダカの姿が見られません。ちっちゃいせいで見えないのかと十数カ所でさなぎ粉を撒いて様子を見ましたがオイカワの稚魚は時折やってきますが、メダカの反応は全くありません。
よく考えてみると以前は水は汚くてもあちこちに水草が生えており、瀬やワンドも不規則にあり、メダカのお家も縄張りもチャンとあり、増水の時には避難場所がしっかりできていましたが、河川改修工事でこれらが全て放逐されてしまい、水流が均一化されて早くなり、鮒やオイカワと違って体力や敏捷さのないメダカは水に逆らうことができず、少しばかりの雨で縄張りも住む家も避難場所も失って哀れにも海へ流され死に絶えてしまったのではないかと思います。
被害者は当面メダカということになっていますが、水草やワンドがなければトンボも近づけないし、水棲昆虫や蛙も住めないのです。この虫や蛙達も滅亡から身を護るために人間を告発する原告団です。
メダカも昆虫や蛙達も人間と同じく神によって創造されたものです。行政は水害から人間を救うための<緊急避難>だからやむ終えないと詭弁を使うでしょうが、共生している動植物の生活環境や生命を配慮した工事は神戸空港(環境破壊の観点から是非一度反論せねばなりませんが)予算の数万分の一を割くだけで充分可能なのですが、何故か切り捨てられているのです。
自分達だけが生き残るために神のご意思を拒絶し、否定することは到底赦されることではありません。
昔、川の緑の岸辺を散策し、色んなトンボの名前を子供達に教えてやり、水鳥の魚捕りの巧みさに歓声を挙げ、裸足で浅瀬に入り川底の石をめくって鯰の赤ちゃんを見つけたときの子供達の目の輝きは私には未だに忘れられない光景です。このような自然と子供達との関わりは、将来の日本の再構築のために子供達の脳裏に刻みこませておかねばならないことなのですが、現実は上記のような悲惨な状況です。
今の子供達がフアミコン遊びなどに熱中し、昆虫や自然との交わりに興味を持たなくなった原因の一つに行政の行う【自然と環境への配慮を欠いた河川改修(改悪?)工事】があると謂えば言い過ぎになるでしょうか。
♪メダカの学校は川の中♪と歌う童謡は間違っていることになり、“ふるさとの小川”という言葉はまもなく死語となるのでしょうか。芥川竜之介の「蜘蛛の糸」に著されているように、他を蹴おとして自分だけ助かろうとした人間は近い将来神の裁きにより、地球の滅亡と言う地獄に堕ちることになるでしょう。


1999.8.28

東京杉並で起こった幼児隼三ちゃんの痛ましい事故は、まだ皆様の記憶に新しいことでしょう。
転んだときに食べていた綿菓子の割り箸が不運にも喉に刺さった侭、亡くなるという出来事であり、救急車で運ばれた先の杏林大学病院の医師は、割り箸が刺さっっている傷口を見て薬をつけただけ瞳孔の検査もしないで数分で帰し、隼三ちゃんは翌朝僅か四歳で帰らぬ人となったのです。
病院側は隼三ちゃんが亡くなったことを知ると、遺族や報道陣に対し隼三ちゃんが先天的な脳の奇形であるとか、くも膜下出血ではないかとか言ったそうです。その後解剖の結果割り箸が小脳に刺さっていたことが死因であると分かっても診断ミスを頑強に否定し、あげくは捜査中なのでノーコメントと逃げの一手です。遺族には、若し助かっていても植物人間だったとか、自分の子供でもあの治療だった、診断ミスはない。と言う説明に一回来たきりとか、担当医師はとうとうお線香すらあげに来ずじまいだったそうです。
過ちを咎めているのではありません。医師も人間ですから過ちも犯すだろうし、診断を誤ることもあるでしょう。割り箸が喉に刺さった侭小脳まで達していたとは誰も想像できないことだったかも知れませんが、病院側は素直に『気がつかなくて申し訳ありませんでした』とどうして一言いえないのでしょうか。大学病院の面子はそんなに大切なものでしょうか。私には人命に勝るものがこの世に存在するとは思えません、
“植物人間になっていただろう”などとは論外です。これが医師の口からでる言葉でしょうか。植物人間でも立派な生きた人間です。動けずものも言えなくなった人を心の支えにして生きていられる多くの方を知っています。隼三ちゃんのご両親も例え隼三ちゃんが植物人間になってしまったとしてももう一度あの笑顔が戻る日を確信し、生きていて欲しかったに違いありません。それが赤い血の流れている人の考えることです。この病院の医師達は命の尊さをなんと考えているのでしょう。因みに杏林大学病院のホームページ
http://www.kyorin-u.ac.jp/hospital/profile.html
を開いてみるとこの病院は東京三多摩地区唯一の大学病院で、一次二次三次救急医療を有機的にカバーする救命救急センターは厚生省より高度救命救急センターの認可を受けており、新宿以西最大の医療センターと謳ってあり、初年度880万円2年度から480万円というベラボウな授業料等が必要な医学部の紹介には、21世紀を目指した人間愛豊かな良医の育成を目標として掲げてあります。その良医については、豊かな医学的知識、技術を身につけ、それを患者さんのために人間愛を持って使うことができ、又患者さんから信頼され、慕われる中で常に謙虚な気持ちで患者さんから学び、全ての患者さんを一人に人間として見ると同時に最新の知識、技術を取り入れることで自らを磨いていくことを忘れない医師、と定義されてありました。
この病院の医師達は誰もこのホームページを恥ずかしくて見れないでしょうネ。笑止千万です。


1999.7.17

前号で治水のための堰の是非について触れましたが、某新聞の『窓』欄に載っていた ものですが、今回は川が溢れる訳でもないのに堰が設けられ自然が破壊されようとし ている長良川の河口堰について考えてみたいと思います。
この堰は塩害防止とか東海地方の工業用水の調達【堰に溜まった水は大半が使い道が ないそうですが】の謳い文句で市民の反対を押しきって造られましたが、自然に対し どんな弊害を齎しているか、河口堰が閉じられてから四年を経て、最近岐阜大学の調 査結果が発表され川底は魚が住める状態ではなく黒っぽい臭いヘドロが堆積していた そうです。堰で流れが妨げられ川底が酸素不足となり生物が死滅して有機物が積って できるのです。
一方堰のない隣りの揖斐川では、川底の土を採取するときれいな砂で中にしじみが一 杯いたそうです。しじみ漁では揖斐川を凌いでいた長良川はもうなくなってしまった のです。
何故こんな悲惨な状況になったのか、生態学会は堰の建設前の環境評価が不充分だっ たと指摘しているそうですが、バカも休み休み言って下さい。堰を造ればヘドロが堆 積し魚が住めなくなる位、その辺の小学生でも川釣りの好きな者なら誰でも知ってい ることです。
何故なら、堰の内側は水量が多くトロ場で一見釣り易い場所に見えますから、誰でも 一度は竿を垂れますが、かって誰も何も釣ったことをがないことをを経験則で知って います。何も釣れないということは魚が居ないということだし、魚が居ないのは魚が 住める水質環境ではないということです。
堰の建設に市民団体は必死になって反対しましたが、この堰の建設には、政治がらみ の利権と謂う強い力が加わわっていたと想像されます、金の力で屈服させられ或いは 暴力で黙らされたのではないでしょうか。
併し、河口堰が完成し、建設工事で利益を得た人達にはもう堰は何の関心もなくなり ましたが、しじみの住める元の長良川に戻すために自然の復権を願って、今から堰を 取壊すことにしたらどうでしょうか、元々予算の無駄遣いと工事の利権のために行わ れたものですから、誰も反対せず、反ってかっての河口堰賛成派のこわもての方々も 取壊し予算を狙って関心を示し、きっと味方になってくれることでしょう。


1999.7.15

四歳になった孫が最近釣りに興味を示したので、昔自転車で近くの川へ小鮒を釣りに 行ったのを思い出し、休日に釣り場の状況を見に行ったら、何と護岸工事で河原がな くなり、水面はリールでも投げないと届かない位遥か下で、梯子がなければ降りられ ない味気ない河川と変貌していました。
鮒釣りにリールとは風情がないので釣りは諦めましたが、現在も下流で護岸工事中な ので間もなく川は只の水路になり、我々や子供達とは無縁のものになるのでしょう。 幼い頃、よく手長えびや蟹を獲りに行った川でしたが、とっくに水質悪化で死に絶え てしまい、孫に話しても信用されず『嘘話』にされています。
役所はダムに溜まった水を放流するために、ダム下流の流域をコンクリート堤防にし ようとしてしますが、その内ダムのない河川まで大雨での氾濫を理由にコンクリート 堤防化を進めています。
そのため川の景観が著しく損なはれるだけでなく、淡水魚や昆虫などの生態系までが 破壊されようとしているのです。
最近徳島県の吉野川で建設省が新たに巨大な可動堰を建設しようとして地元の住民の 同意を得られずに難航していることは、皆様よくご承知でしょうが、この工事は数百 年に一度の洪水に備えるためだそうです。
併しよく考えてみると洪水は上流の山々を乱開発することから起こるものであり、木 を切ってゴルフ場を造った荒廃を放置して治水を論ずるのは筋違いというべきです。 可動堰の建設よりも水源地の山々の自然を護ることに建設省は力を注ぐべきではない でしょうか。
森の木々は根っこで水を捕獲して洪水を未然に防いでくれるだけでなく我々の飲料水 の水質を確保し、又生息する動植物に豊かな恵みを与え生活環境を提供してくれてい るのです。
南洋地方では、マングローブのお陰で珊瑚礁や数え切れない魚類が生存していること を知らない人はありません。
人命を守ることが最優先されるべきだと役所は言いますが、自然との共存は何れはそ のことが人命を守ることに繋がりましょう。鮎が遡上できないような川で自然が護れ る訳もありません。現在の治水が環境面から限界にきていることを建設省や役所は自 覚すべきです。
江戸時代までは、あふれる水に逆らわずに堤防際に竹を植えて樹林帯を設けたり、沿 岸の農地に水を貯めて勢いを弱める治水方法を採用していたそうですが、これこそ自 然との共存です。
動植物を犠牲にして人間が生き残ろうとすることは、自然界の破壊であり、人間の奢 りではないでしょうか。天に唾するという言葉がありますが、今の行政のしているこ とは正にこの言葉通りの行為だと思います。
西洋人は自然を征服し、東洋人は自然の懐に抱かれるとよく言われますが、日本の役 人は西洋かぶれして自然を征服しようとしています。自然は神によって創られたもの です。神に背けばどんな報いを受けることになるのか過去の歴史を振り返れば自明で しょう。


1999.6.6

加古川のある診療所で人工透析の際のずさんな処置が原因による院内感染で
多くの透析患者の尊い命が失われました。この診療所では普段の診療時でも
止血に繰り返し使用されて茶色になったガーゼが透析用に使われたり、
血液を体内に戻すための食塩水を複数の患者に使い回していたり、
手に付いた血液の洗浄に家庭用の洗剤が使われていたそうです。
事件は起こるべくして起こったと言えるでしょう。
何故こんな無茶なことが平気で行われていたのか我々には不思議でなりませんが、
一体監督官庁は何をしていたのでしょうか。兵庫県は、法律に従って毎年一回
有床診療所や病院の立入り検査をしていると言っていますが、
検査は必ず事前通知をした上のものであり、診療所の職員や患者の中には、
立入検査の実施が事前に通告されていることに疑問を持つ人が少なくありません。
聞けば検査の前には必ず大掃除が行われ、器具についた血液もきれいに拭き取られて
いたそうです。その一方で、検査中も看護婦はゴム手袋もしないで注射をしていたと
証言していますから、検査の場所や手順までもが予め診療所に知らされ、決められた
マニュアルに従って行われるものだったのでしょう。
今年も加古川保健所の職員が一名だけ2月に一日検査に訪れたそうですが、
“異常なし”の検査結果は当然予想されたものであり、“異常あり”では逆に
行政が困ってしまうのではないかと勘ぐりたくなります。
大体こんな形式的なことで、国民の目を晦まそうなんてことは、日本のお役人の
考えそうなことであり、本来は医療行為自体が人命に関るものであるため、
諮問機関などが、病院等の充分なチェックを行政に要求したものだと思いますが、
最終的に造られたものは形式だけ具備した患者不在の検査実施要領だったのです。
とまれ、人の命は全てに優先するものです。政治力や金の力で病院等の検査要領が
骨抜きにされているとは思いたくありませんが、各県の高額所得者の上位には
病院関係者が多く、政治献金も少なくないことと無関係だと誰が言いきれるでしょうか。
本当に患者のことを真剣に考え、病院等が正しい医療行為を行っているかどうか、
調べる『気』があるなら、国税当局のように抜打ち検査をすべきです。
国税当局も納税者とトラブル元である所謂“ガサ入れ”などしたくないのですが、
事前通知などしていたら、売上のごまかし金や裏帳簿などを隠されてしまうことが
必定だからやむを得ず令状も持たずにある日突然金庫や社長の鞄を押えに来て
重加算税のおまけ付きで税金を取りたてて行くのです。
厚生省も国税に倣って“ガサ入れ”を実行しては如何ですか。
併し、そこまでしてしまうと政治献金を貰っている議員の先生方が大変でしょうから
『今度から事前通知はしないヨ』と通達するだけで、病院は毎日大掃除や検査器具の
点検などで絶大な効果があると思います。
知り合いのお役人にそう言ったら、そのお役人はどう言ったと思いますか、
『同じことや、検査日の情報は間違いなく筒抜けになり、裏金が動く分だけ
もっと悪質なデキレースになるやろ。建設工事の入札であんたも解っとるやろ』


1999.5.25

4月からの新しい事務年度になって、何故か神戸市の法人市民税の業務が、
特別徴収や事業所税などの業務と一緒に区役所から市役所へと一本化されました。
業務を何処がするかはお役所の勝手で私達の知ったことではありませんが、
これまで区役所で間に合っていた申告書の提出までが市役所へ直接持ってこい
ということに決まりました。役人は一体納税者をどう考えているのでしょうか。
例えば西区玉津の会社が申告書を提出するのに、これまでなら歩いてでも西区役所へ
行けたものが、これからはバスとJRを乗り継いで一時間掛かりで市役所へ行くか
(往復1,300円強)或いは渋滞覚悟で第二神明道路、阪神高速を走って、往復1,200円
プラス駐車料金の負担となります。申告書の受理など特に専門的知識を要求されず、
出来上がった書類を受け取って控えがあれば受領印を押捺するだけの作業です。
これまでも区役所の担当者が不在でも近くにいる人が受領してくれていて
特に問題が起こったことはありません。
区役所の法人担当者は自己の職務に精通した者など誰も居ず、たまたま役所内の
人事異動や配置転換でそこに座っているだけなので、我々の質問には、申告書記載の
マニュアル位しか答えられないため彼等の手に負えず、難しい事案などはこれまでも
いつだって直接市役所の税制課と協議して解決していましたから、主導権はずっと
本庁が握っており、区役所の仕事は受付業務に毛が生えた程度のものだったのに
相違ありません。
中身が何も変らないのに、提出場所のみ変更するとは何とも不可解な市民不在の
業務変更であり、一ヶ月分の仕事はその気になれば3日でできるとよく謂われて
いますから、或いは区役所の人員のリストラが絡んでのことなのか我々の知るよしも
ありませんが、お役所が自分達の都合だけを考えて納税者の便宜などまるで考慮して
いないことがよく分かります。
本庁と区庁は頻繁にいろんな連絡業務がありますから、申告書の提出をこれまで通り
所轄庁で受理しておいて、溜まった申告書を業務連絡時に適宜本庁に移送することが、
そんなに難しいことでしょうか。
又、オンライン化の時代ですから、重たい申告書の束を運ぶより、申告データのみ
本庁にインプット(既に実施している筈ですが)すればそれでよいのではないでしょうか。
今回の担当部署の変更についてよく考えてみると、法人市民税、特別徴収、事業所税の
何れもの対象が、法人又は事業所相手だということです。
個人の市民税の業務を区役所に残していることで、お役人側にも疾しい気持ちがあることが
はっきり分かります。
法人なら仕方がないと泣き寝入りしてくれても、市民の個人を対象にすると直ちに抗議が
殺到し、市会議員さんも騒ぎ出し収拾がつかなくなることが必定でありそれを恐れて、
苦情の出難い処からターゲットにしているのでしょう。
個人の戸籍謄本や印鑑証明類については、OA機器の導入で区外でも近くの区役所や
出張所で入手できるようになったことは、市民にとって便利になりましたが、
反面こんな逆行も行われていることを知って下さい。
選挙権はありませんが法人も事業所も税金を払っている立派な市民なのです。
因みに、市役所での申告書受理に纏わる税制課の不手際は、本館18階を上がったり
降りたり、別館へ行かされたりで私の血圧を200以上にも上げる効果がありましたが、
思い出すのも厭なので書かないことにします。
市役所の方どなたかこのHPが目に止まりましたら、反論をお聞かせ下さい。


1999.4.20

本表紙秋田県二ツ井町では、明治15年に命名された県立自然公園『きみまち阪』
にちなんで、平成6年に『きみまち恋文全国コンテスト』を開催しました。
すると、全国から7,000通もの応募があり、その中で第1回きみまち恋文大賞に輝いた
「天国のあなたへ」と題する、秋田県の女性柳原タケさん80歳が書かれたものがあります。
下記サイトにて紹介されておりますので是非ご一読下さい。

http://www.shirakami.or.jp/~futatsui/sakuhin.html

この恋文を読み終えて、50年の年輪が培った情感の深さに私の頬は
感動で涙でびしょびしょになりました。
この女性は、50年かけて亡き夫への思いを少しずつ増幅させることを心の糧としながら、
おそらくは女手独りでは厳しかったであろう環境を自身の力で克服されたのでしょうが、
恋文に託された凄まじい女の性と言うべき情念は、
石川さゆりの「天城越え」など遥かに超えるものです。

【日本一心のこもった恋文】は以後毎年同じ試みが行われて5年になりますが、私の中では
この作品を凌駕するものは未だ見つかりません。
因みに、この女性は大賞の副賞として平成7年に“マデイソン郡の橋”に招待され、
ご家族5人で訪問されたそうです。きっと32歳のご主人もご一緒だったのでしょうネ。


1999.4.9

日本人の家庭が核家族化し、年長の肉親からのアドバイスが受けられなくなった結果、
幼い子供への親の教育や躾がまるでできていないとボヤいたのは確か昨年の8月号でしたが、
今週号の『アエラ』に素敵な記事が目に留まりましたので、ご紹介したいと思います。

イギリスでの初めての試みだそうですが、老人ホームの中に保育園を併設した処、
これが成功して話題になっています。
イギリス東南部ケントの【エミリージャクソンハウス】では55才から99才までの
お年寄り60人が暮らしており、その敷地内に保育園をオープンさせました。
現在2才から5才まで60人の園児が通ってきています。
庭の滑り台の横に車椅子用の道が設けてあるなど、自然に触れ合えるよう工夫が見られます。
老人ホームの責任者の話では、子供たちと一緒のときはお年寄りの目の輝きが違い、
91才の女性がマフラーを編んでいると子供たちが取り囲んで感嘆の声をあげ、
翌日には早速手ほどきをすることとなり、この女性は生き甲斐ができたと
張りきっているそうです。
我が国ばかりでなく、イギリスでも祖父母とあまり触れ合えない核家族が増えているようで、
“子供にとって貴重な機会”と父母の評価も高いのです。
費用はお年寄りは週に500ポンド(約10万円)子供は130ポンド(2万6千円)と
決して廉くありませんが、共に希望者が殺到し、予約待ちの状況です。
このホームをお手本に老人ホームと保育園を合体させた施設の建設が他にも計画されており、
今後ブームになるとの予想もあるそうです。
お年寄りをなるだけ敬遠し、子供達から遠避ける風潮の多い我が国でも、是非参考にして
実践してほしい話であり、こういう機会を通じてお年寄りの永い齢から得られた経験と知識は、
親子間の教育とは違った形で幼い子供達の知恵を育むのではないかと思います。
何より約100年前の文化を次の次の世代へ直接伝えられるなんて、
とても素晴らしいことではないでしょうか。
子供達がお年寄りから多くを学ぶことにより、お年寄りが決して世間のお邪魔虫なんかではなく、
自分達にとって大切な存在だと子供達自身に認識させることができる一方、
生きる目的を失いがちなお年寄りにとっても、自分の持てるものが幼い子供達に役立つ
と知った悦びは何にも代え難いものであり、生きる力を取り戻すことができる最良の方法でしょう。

今は影が薄くなっていますが、我が国古来の教えである儒教の原点は、
父母や祖父母への感謝や尊敬から成り立っていますが、教師の言葉として教えるのではなく、
父母や祖父母への感謝や尊敬が生まれる環境を、子供達に我々が自然に作ってやることが
大切ではないかと考えます。


1999.4.1

『お父さんのコラムは11月号以来、【親父の愚痴】と化している。
もっと和やかな話はないの?』と愚娘から指摘されました。
成程言われればそのとおりであり、所長としても、
もう少しましな話題にしたいと願っているのですが、
昨年末以来体調が全く良くないため、
健康な肉体に健全な精神宿るの格言通り考え方も
後ろ向きになっていました。
元気な内に後世に残せる(大層な!)ウェブページを目指しましょう。
併し先月号の宿題だけは聞いて頂かないと私の真意が
分かって頂けないのでもう一月だけ親父の愚痴に付き合って下さい。

今の若者が自己中心的になってしまったのは
現在の家族のあり方にあるのではという私の考えは、
天野彰という高名な建築家の先生の話を読んで得たものです。
先生の話では、欧米の家庭ではどの部屋もドアが開いていて、
子供部屋はおろか寝室もトイレも開けっぱしであり、
訪問するとその家の子供がドア越しに『ハーイ』と挨拶をしてきます。
ドアは閉めるものではなく開けておくものなのです。
それでは何故ドアが有るのかという疑問に突き当たりますが、
大陸では国と国とが迫っており、侵略や略奪から身を護るためにあり、
いざとなったらしっかりとした分厚いドアを閉め、
内側から閂がかけられる造りとされていますが、
普段は開けっぱしで、着替えや就寝のときだけ閉めるのがドアなのです。
小さい子供たちに自分の部屋を与えると最初はドアを閉めますが、
すぐに開けてしまい二度と閉めようとせず、睡るときも開け放しのままです。
部屋を貰うのは嬉しいが本当は家族と一緒に居たいのでしょう。
大陸から侵略の恐れの少ない我が国では、
開放的なドアのない家の中で大家族の一員として育っていた処、
急激な外面的な西洋化に流されて、建替えの際『部屋のある家』となったとき
ドアは閉めるものだと錯覚したことが悲劇の始まりでした。
子供たちは家族と一緒に居たいのに、
親が勉強や躾のために無理にドアを閉めさせたことが、
子供たちには家族から締め出されたと感じ会話がなくなり、
やがて錠前をつけ家族が部屋へ入ることも嫌うようになりますが
こうなるともう手遅れです。
先月号の若者達はこうして親から作り出されたものではないでしょうか。
貧しい家庭ほど親子の絆が強く、裕福な家庭に問題児が多いのは、
家族の過ごす『部屋と場所』に大きな原因があると結論するのは早計に過ぎるでしょうか。
親子の触れ合いとは共に遊びながら学習することが理想です。
一緒に本を読んだりキャッチボールを楽しむのもよく、
日曜日には親子で魚釣やハイキングに行き自然との関わりにも関心を持たせ
好奇心の強い子供に育てて欲しいと思います。
子供が小さいうちは部屋よりいつも母親が居るキッチンや食卓が
勉強の場になった方が良いでしょう。
ざわざわしていても子供たちは独りポッチよりずっと落ち着くのです。
こうして育った子供たちは、決して自己中心的な人間にはなりません。
何故なら家族と自然との関わりに措いて自己が存在することを
知らず知らずのうちに学習しているからです。
皆様の家庭はどうでしょうか?


1999.3.19

最近といってももう10年以上になりますが、
若い人達の言葉が口を開けないで喋る不明瞭で歯切れの悪い曖昧な言葉になり
聞き取り難くなっているのに気付かれた方が多いと思います。
言葉というものは時代と共に変化していくのかと考えていましたが、
ある大学の先生がその原因について次のようなことを言っておられたのを聞き、
目から鱗が落ちるくらいアッと驚いたのでした。
それは今の若者の口が開かなくなったのは顎が堅いからで、
幼児言葉によくある『ベロ』が前に出る発音しかできない人が増えてきたせいであり、
人間は生まれつきお乳を吸うのは本能でも、
噛む事は学習であり自分自身で覚えていかなければならないものですが、
今の若者にはその学習が充分できていない者が多いそうです。
話も噛む事同様、顎の筋肉や頬の筋肉を動かす訓練が充分にできていないと
正しい母音の発音すらできません。
何故そんなことになってしまったのか、
先生はその原因を私共の食生活の変遷に由来するものではないかと分析しておられます。
我々戦前派の世代は幼い頃から食べ物が少なく年中ひもじい思いをしてきましたから、
食べることが最大の関心事であり、好き嫌いなど言っている余裕など全くなく、
不味いものでも堅いものでも、お腹の足しになるものは、何でも食べてきました。
口が動いていることが何より倖せでしたから『するめ』の足や『丸干し』などは間食の王様だったのです。
先生の話では昔の人は堅いものばかりいつも食べていたので顎が発達し、
自然に角張った顔になったそうです。
今の若者が細い顔をしているのは、ハンバーグやパスタなどの軟らかいものを好むため顎が発達せず、
又、顎をしっかりと使わないために口も開け難くくなり、
その結果、言葉がはっきり言えなくなってしまったと結論されています。
併し、よく考えてみると言葉がはっきり言えなくなった原因は、
顎のせいばかりではなくもっと別の理由によるもののように思えます。
話をするということは相手とのコミニュケーションの一番手近な手段であり
自己の意思が相手に理解して貰えるように正確に伝えようと通常誰しも考えるものですから、
相手に理解され難い言葉しか喋れないと自分が困るので、きっと自分で学習すると思うのですが、
今の若者は自己中心的であり、相手に伝えようという意識がまるでなくて、
伝わらなくてもよい、自分さえよければよいと考えている人達が多くなってきているように思えます。
それ処か反って伝われば相手から反論されて自分自身が傷つくのが怖いので
伝わらない方がよいと考えている人が多いところに原因が潜んでいるのではないでしょうか。
親しい友達同士の他愛無い会話はできても、個人的なことは話題にせず、
できるだけ人間関係を密にすることを避けようとする傾向が窺えます。
これを社会の価値観の多様化だと言う人がありますが、
そうではなく社会の価値観の個人化ではないかと思われます。
文部省でも、遅蒔きながら正しい日本語の話し方を教科に組み入れるように指導していますが、
時間数が定められていないため有名無実化しており、平成14年から年間30時間必須とされるようですが、
上記のような若者の意識が原因ならいくら話し方を教えてもむだではあり、
教えるべきは、自己中心的な思想を覆し、『自己自身は他者との関わりに措いて存在する』と謂う
キエルケゴ-ル哲学ではないでしょうか。
私はこれら人とのコミニュケーションを必要としない自己中心的な若者を創造した元凶は
現在の家族のあり方にあるのではないかと密かに考えていますが、詳細は次回に...


1999.2.16

年末から大風邪を引いて新年号も書けず、正月に予定していた仕事も全部パーになり、
仕事の遣り繰りに追われ、今日まで読者の皆様をほったらかして申し訳ありません。
今月号(何月号じゃ・・・)は関西に住み関西弁を愛する一人として、
心の篭った暖かい関西の言葉と日本のお役人について一言聞いて頂きたいと思います。
吉本興業や関西発のタレントのお陰で今や大阪弁や関西弁がすっかり
誰にも親しまれる全国区の言葉になったと思っていましたが、
最近の報道でそれは我々一般人の中だけのことで、お役人にはまだまだ
「がらの悪い方言」だと認識されていることを知りました。
先週の土曜日の夕方仕事をしながら【大阪発土曜サロン】というNHKのラジオ番組を
聞くともなく聞いていたらとても面白い話が聞こえてきたのです。
それは佐藤アナと某新聞社の記者との会話でしたが
事件は阪神高速道路の料金収受員の方から昨年12月に某新聞への実名での投書が発端です。
その内容は高速道路の通行客にお礼の言葉として『まいど』とか『まいどおおきに』と言っていたら、
公団のお役人から10月14日付で
「まいどというような言葉は使うな!有り難う御座いますと標準語で言え!」
という内容の通達があったが、関西、特に大阪では親しみのあるこの言葉の何処が悪いのだろうか?
大阪に居て大阪の言葉で挨拶できないのは寂しい、というものでした。
某新聞ではその投書に興味を持ち阪神高速道路公団を取材した処、
そこのお役人さんは、通行客らしい名も名乗らない人から
「一度しか通らないのに『まいど』とは何だ!」とか言う洒落のような電話を受けて、
早速料金収受員全員に上のような通達になったものですが、
この記事が新聞のコラム欄に載ったとたん、投書が殺到し、
その殆どが『まいど』の何処が悪い!そんな役人を連れてこい!といった類のものばかりでした。
某新聞では余りの反響の大きさに驚き、
方言で列車内の観光案内をし好評を博している湯布院の例など
各地で方言について調査しようとしていたら、
急に阪神高速のお役人さんからあれは取り消すと言ってきたそうです。
「そんな簡単に取り消すなら始めから言わなければよいのに、
信念を持っての通達ならもう少し頑張って欲しかったですネ。」
と佐藤アナの言葉。
「当事者である担当課長の吉田さんはとうとう心労からか入院されたとか」
は記者の言葉。
NHKさんも役人の実名を挙げて全国版で報道されるとはよほど腹に据え兼ねたのでしょうネ。
お陰でこの課長さん退院しても夜道どころか昼間も後ろ指を差されて
その辺を歩けないのではないでしょうか。
それどころか大蔵省の不祥事以来最近とみに世間体を気にするようになったお役所のことですから
本庁からお声がかかるのではと他人事ながら心配になります。
このような事件が起こった真の原因について考えてみると今回はたまたま方言が問題になりましたが、
基本的には役人の一般人に対する差別と蔑視が根強く潜在的にあるためであり、
『公僕』なんて云う言葉を本音と建前に使い分けて
我々一般人の目を晦まされている事実に気付かねばなりません。
我々には常に自分達が正しくて高圧的であり、頭を下げる相手は上司か賄賂を貰う業者だけ
出世するかどうかは任官する以前の公務員試験の合格順位ですでに決まっており、
あとはレールを踏み外さないように前任者の後を辿っていけば
数千万円の退職金と多額の共済年金が微笑みかけてくれるシナリオの生活を送っている人達が
『公僕』だなんて考えたくありません。
人間に必要なものは出身大学のグレードでも公務員試験の合格順位でもなく
その人の秀でた人格と陶冶された品性そして弱者への思い遣りです。
我が国にも真に公僕と謂える役人を創成する土壌ができる日が待たれますが、
現在の仕組みでは到底無理ですから一度日本が破滅しないと駄目でしょうネ。

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