10月に入ってから雨が多く、季節外れの台風が来たりして毎日が湿っぽくて洗濯物も乾かずに手持ち下着の少ない私など困ります。キリギリスの鳴声も愈々蚊細くなりました。喜んでいるのは叢の蛙達だけでしょうか。彼等も夜の気温が低下して来ましたからそろそろ冬眠場所の探索に余念がないことでしょう。
先週金曜日の午後は外出予定でしたので前の夜から天気予報に注意していましたがNHK民放各社共に台風が来ているとか雨予想であり、雨天での出張を覚悟していたらナント!金曜の午後は晴れているではありませんか。気象予報士も同じことばかり言っていたのでは何のための資格やら誰か一人位“午後は晴れるかも知れません”の言葉が出ないものでしょうか。しょっちゅう誤報ばかりしているのですから一度下駄を放るなどして天気を予想して当たらなくても誰も気にしないでしょうし、万一当たったらその局は天気予報の視聴率抜群になると思いますが…(^^)
儂は下駄を持ってないですって? ええ加減にさらせ!
JR宝殿駅から徒歩25分もある田圃の真ん中の高砂球場が突如ハンカチ王子様の到来で歓楽街と化しました。早実の試合には徹夜組数千人を含めて二日間で14700名も観客が押し寄せましたから、近くの方々や田圃の蛙や蟋蟀達も挙ってぶっ魂消たでしょうね。よくぞ観客席が朝霧歩道橋の二の舞にならなかったことです、地元警察の雑踏警備が明石の事件を教訓として入念に組まれていたものと思います。
兵庫国体硬式野球の部準々決勝以降でありましたが、殆どの観客が早実斉藤投手(ニックネームハンカチ王子様)見たさに駆けつけたものであり、準々決勝など早実戦が終わると殆どの観客が帰ってしまい、後の試合の出場校地元東洋大姫路も大観衆の前で…と意気込んでいた処、ガラガラになった観客席を見てさぞがっくりしたでしょうね。(;;)
決勝戦の試合の方はハンカチ王子様のためにお膳立てができていたようで、早実斉藤投手が宿敵駒苫を返り討ちの完封をし、殊勲の打点はハンカチ王子様から出たヒットとあっては、まるでTVのスポ根ドラマでしたね。彼は早稲田大学に進むそうですが、近年頓に人気の凋落した東京六大学野球も彼の参加で再び過去の栄光を取り戻して欲しいと願って止みません。
先週火曜日仕事の都合で正午前にJR普通車で移動中緊急電話が入ったので、夢中で話していると不幸にして最後尾だったせいか車掌室から可愛い女性の車掌さんが出てきて、私の処へつかつかと歩み寄り“優先座席なので携帯電話はご遠慮願います”と切り口上で言ったなり車掌室へ帰ってしまいました。もう少し追い打ちが掛かるかと思っていたので、拍子抜けして厚かましくその儘通話を続けました。然し紛いもなく私の座っているシートは優先座席でありましたが、私自身高齢者で優先座席の権利者でもあるし、正午前とあって優先座席には前も横も誰も居ず、後尾車輌全体で乗客4-5人でありましたから新米の車掌さんは何も杓子定規に教えられたマニュアル通りにしなくてもと腹立たしい思いがしましたが、確か高齢者にはペースメーカーの使用者が多くて携帯の電波が心臓に悪影響を及ぼすそうですね、然し優先座席には私だけなので誰に迷惑を掛けている訳でもなく、ペースメーカーの使用者には若年者だって居ますから、言うのなら“電車内では携帯をご遠慮下さい”と言うべきではなかったでしょうか。JRも昔のマニュアルは“車内では…”であったと思いますが、幾ら車掌の車内放送も蛙の面に小便(尾籠な表現ご免なさい)であり、余りに傍若無人に誰もが携帯を掛けまくるので根負けして優先座席に後退さりさせたものでしょう。然し優先座席に特定するのもおかしく、真の意図は優先座席の近くにいる方は座っている健常者も含めて携帯を使わないようにとのことであったように思われます。それを車掌さん勘違いして只一人座っている高齢者の私に注意しに来たに相違ありません。それとも車掌さんには私が“お兄ちゃん”に見えたのかな?(^^)
JRの車掌さんへの教育は正しくて、優先座席権利者の高齢者や身障者には座らせてやる代わりに携帯は使うな!と言うことでしょうか。それって明らかに差別ですよね。(;;)JR西日本の社長さん天下り先のことばかり考えていないで少しは優先座席の意味と差別について考えたことがありますか?国土交通大臣聞いているのか!
一体全体諸外国にはない優先座席が日本にだけあると謂うこと自体とても恥ずかしいことです。他国(よそ)では全ての席が優先座席だから書いてないのではありませんか。最近公共交通の中で“全席優先座席”と謂う表示が多くなりましたが、こんな言葉自体が日本人の公徳心のなさを他国(よそ)の人にアピールしているようなものであり私は情けない(;;)
公徳心の欠如と謂えば最近(と謂っても随分前からですが)女学生も含め電車内でお化粧をする女性が増えましたよね。アイシャドウの手入れなど百面相を見ているのも面白いものですが、先日毎日新聞への投書によれば欧州では電車内でお化粧するのは売春婦に限られて居り、お化粧をすること自体が営業時間中であることを表現していることになるそうですから、電車内でのお化粧が如何に恥ずかしく自分自身を貶める行為だと我が国の女性達は誰も気付いていないのでしょう、情けないですよね。そんなこととは露知らぬ外人から“how much ?”と問い掛けられ怪訝な顔をする女性が多いそうですよ。(^^)
口紅の値段かと勘違いし”Ten Dollars“と答えたりして…(;;)
昨年9月に“いじめ”を苦に首を吊って自殺した6年生の女児の遺書を両親より見せられた北海道滝川市の教育委員会教育長は“そんなもの見たくない!”と切って捨てたことは、児童のことより自分の地位に影響が及ぶことを怖れた先生の身内意識がさせた技であったでしょう。
確かに昨今少しのことに父兄が騒ぎ立てる風潮にあることは事実ですし、そのために先生も児童を叱ることもできずに困惑するケースが多くなっています。然し子供一人が“いじめ”を苦に自殺まで悩んでいるのに気付かぬ先生は、教師として資格がありません。“いじめ”と謂っても昔も今も子供は狡猾ですから授業中にボロを出す奴など居ず、授業時間外が大切であり、先生は休み時間に職員室で美乳タレントの話に花を咲かす暇があれば、校庭の片隅から自分の担任の生徒達がどうしているかを観察しただけで“ポンヤ”になっている児童が容易に分かりますから原因の究明の糸口が掴めますが、それすらしないで外見に異常がないからいじめがないなど単細胞もいいとこです。
子供同士ですから些細なことから殴り合いになり怪我をすることだってありますが、それは苛めではなく一過性のもので、喧嘩の後以前より仲が良くなるケースも多多あります。“いじめ”の最たるものは体罰ではなく心の罰であり、シカトされることであることを先生もよく知っているでしょうが、担任児童に対する愛情が足りぬ(無いのか!)ばかりに少女が出している必死のサインに気付かなかったものでしょう。
従って私はこの少女をシカトして自殺に追い込んだクラスの児童達より、心の眼で児童達を見ようとしなかった担任に大半の責任があると思います。校長や教育長は少女の顔すら知らなかったでしょうから、只々保身故自分達に火の粉が降りかからないようにと“遺書など見たくない”の言葉になったものでしょう。
一年も経過した今頃になって事件が社会問題化し、これまで以上に自分達の足許に火が付いたことを知って、先週の5日慌てて校長や教育長が遺族の家に弔問に駆けつけ涙声で“ご免なさい”と詫びたそうですが、メディアに騒がれ不承不承の弔問であることがミエミエです。本当に心から悪かったと思ったのなら自らの辞表を祭壇に手向けるべきでしょう。この日の臨時教育委員会で“遺書の内容を踏まえ苛めであると判断する”と此までの態度を豹変させた結果がこの弔問に繋がったものですが、“首鼠両端”に“阿附迎合”はこんなことを言うのでしょうね(^^)男子たるもの“夷険一節”が守れぬのか!
今週の女子ゴルフは横峯選手欠場のせいで大山選手の猛追も及ばず、昨日の貯金が利いて弱冠20歳諸見里選手の初優勝に終わりました。産みの苦しみへの重圧は余りにも大きくバックナイン崩れて42を叩きながらの優勝は幸運以外の何物でもありませんでした。(^^)