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常用漢字の怪

今年も例年の如く事後承諾のような状態で「梅雨入り」をしましたが、これだけ気象学が進歩しても梅雨と謂うのは何時まで経っても得体の知れぬものです。梅雨の庭ではいろんな花が咲いていますが、やはり梅雨の時期に似合う花は紫陽花がナンバーワンです。うちの紫陽花は小さいけどとても清潔感に溢れた花を咲かせて居ます^^。

 

今日は久し振りに漢字の話を聞いてくださいね。良く似た2つの漢字「渉」と「捗」についての当用漢字や常用漢字の変遷を絡めたお話です。前者の訓読みで「渉る(わたる)」音読みで「渉(しょう)」は終戦後設けられた当用漢字で「交渉」などに用いられます。此の字は昭和22年までの旧字体時代には一画少なくて「少」の字の右の点がなかったのに終戦後当用漢字(現在の常用漢字)制定の際に何故か点が付けられて「渉る」に変えられたものです🤬。次に「渉」に良く似た字の「捗」です。ずっと長く準一級の配当漢字でしたが、平成22年に晴れて常用漢字に昇格しました^^。訓読みは「捗る(はかどる)」で音読みは「捗(ちょく)」なんですが、何か怪しい字ですね。「、」がなかったりあったりと現在ではこの二つの漢字が漢字検定2級の受験生達を大いに悩ませて居ます。漢検の2級資格取得は有名文系私立大学が推薦入学の基準にしていることもあって価値がメチャ高く「、」の有る無しの判断はとても重大で「渉」と「捗」では似ていても「、」の有無は月とスッポンくらい違いますが、どうしてこんな紛らわしいことになったのかその理由が今日のお話です。

訓読み「渉る(わたる)」、音読み「渉(ちょく)」の漢字は終戦後当用漢字(現在の常用漢字)制定時に当時の文部省により当用漢字として採用されましたが、それまで「あるく」の「步」と言う字が実は当用漢字に用いられる際に「歩」と右肩の点が付せられることになったため「涉」の字にも同じように「渉」と点が付されたことが原因でした。処が訓読み「捗る(はかどる)」音読み「捗(ちょく)」の方は戦後当用漢字に選ばれず準一級配当漢字として残されたため「、」を付されることがなく、平成22年漸く常用漢字に降格しましたが、戦後75年も経て居り字体が変えられることもなく旧字体の此の字をその儘用いることとなっての「捗」でありました。国語委員会の委員達が昭和22年当時は旧字体の画数の多さに辟易して多くの字が由緒ある画数をバッサリ切っての無惨な文字となったのですが(;;)、省略漢字の代表は警視庁の「庁」(4画)の元が「廳」(25画)であることは余りにも有名であり、国語委員会の杜撰な遣り口が心ある漢字学者から非難されましたが、何せマッカーサーの指揮下にあるGHQの当初の意向が「日本語を全部ローマ字にせよ!」とか「漢字は全部無くせ!」と無法なものでありましたから国民は誰も漢字が残されたことだけに感謝して居たのでした(^0^)/。

閑話休題、捗る(はかどる)の「捗」は上述の第三次改正で漸く常用漢字と成ることが叶いましたが終戦当時とは時代も異なりもうGHQの顔色など窺う必要もない時代でもあって少の右肩の「丶」は旧字体時代からずっと付いて居ない儘の状態で常用漢字になったことが、「渉」との差において漢字検定受験生各位の大いなる混乱を招いたのでした(;;)。私は此の漢字達の絶大な矛盾に対して国語委員会が完全にスルーしていることをとても腹立たしく思っています🤬。

写真はYou tubeに出されている漢字熟語の読み問題の一部でしたが出題の漢字が誤っており、横の「捗」が正しいのに此の字の旁(つくり)は上部が「止」で同じでも下部が「歩」になって居ました。歩の字は戦後作られた当用漢字であり、「歩」の旧字体が「步」で一画少ないのですが、「捗」がずっと常用漢字にされない「準一級の配当漢字」であったためこんなミスが絶えず起こり左の渉が正しいと思い込んで居られる方は居ると思います。You tubeの記載には兎角字の誤りが多く、一言書かせて頂きました。

最後に「」を御覧ください。涙って、目から零れるものですから「淚」と「、」を付けてしまいそうですがつけると誤りになります(;;)、実は皆様の直感の方が正しくて昔は「、」の付いた「淚」が正しい字でしたが終戦後の当用漢字改定の際何故か「、」が省かれて「嘘泣きの涙」とされました(;;)。どうして?可怪しいですね🤬真の「なみだ」は現在一級配当漢字の「泪」です!「泪」を用いれば小学生低学年でも容易に理解できるのに国語委員会って全員アホやな!🤬。

「涉と捗」は5月に掲載したものを誤って再び登載してしまったことに気付きました。年は取りたくないもの!ごめんm(_ _)m

先週の読めそうで読めない字     手弱女(たおやめ)。                                           意味=ほっそりとした気品のある若い女性

今週の読めそうで読めない字      疑うこと(毌れ)

士工農商?

風薫る五月も早くも後半を迎え歳月の過ぎゆく速さに圧倒される毎日です。五月と謂っても昨今では過ごし良い時候は極く短くて、間もなくあの灼熱の夏が近づいて来るのかと思うと憂鬱です。全てはCO2の仕業なんでしょうが、基はと言えば我々が吐き出したものですからしっかりと受け止めねばなりません(;;)。自宅前の小さいプランターでは清楚なコオニタビラコが咲き終わったあと紫カタバミが何処かからやってきて咲き始めました^^とても可憐な花で私の好きな野草の一つです。何処から来たんやろ?

 

 

今日も少し漢字の話をさせて下さい。又か!と言わないで下さいねm(_ _)m。

何時も触れていますが字体の画数を無差別に減らして常用漢字が生まれたのは第二次世界大戦の後、国語審議委員会の委員たちの悪巧みでした。此れまで何百年も伝統を積み重ねた由緒ある我が国の漢字の画数を無残にも無作為に減らしたり別の字にしたりと…💢、良識を疑われる行為を経てその多くを常用漢字という名前を付して国民に押し付けたのでしたが、それまでは漢字には新聞、小説ともに全てルビが付されて居ましたから昭和22年までは我々小学生でも難しい漢字が読めました。読めれば憶えますから我々世代以前の方はどんな字でも書けなくても読めたのです。

処が戦争終了後、エセ学者たちが「漢字は易しいに限る…」と、勝手に我々世代までの者が漸く憶えた旧字体(旧のホントの字は「舊」です、全然似てないね)の多くを廃止して漢字の一部を簡略化して画数を減らしたり字体を替えたり…と、その大部分を常用漢字と準一級一部の配当漢字に作り変えたため、それまでの旧字体に馴染んできた人達がルーツを持たぬ変な漢字の創設に大いに悩まされたことはこれ迄に何度も皆様にお伝えしました。字体の変えられた漢字が一部の漢字に限定されたため、学校卒業後も漢字を極めたい人達は昔の漢字の儘の字と、変えられた漢字との乖離に大いに悩まされ、漢字検定試験を目指す若者も2級までは順調に通過できてもその上を目指そうとするとそれまで憶えた杜撰に作られた常用漢字の記憶が妨げとなって所謂旧字体が書けないためハードルが高くなり、容易に合格できない実情に気付かざるを得なくなりました。

喩えを申し上げると羽の旧字体は中の書体が「ン」と「ノ」が二つであった字を含めた「翡翠(ひすい)」の二文字からご理解頂けると思います。左の字の翡の下部にあるハライと右の字の上にあるハネの相違でお分かりでしょうね、左は昔からあるハネで右は戦後変えられたハネです。でも右の字は国語委員会が戦後勝手に変えた字である理由は「翠」は準一級の配当漢字なのです、常用漢字とともに「ン」に変えられましたが「翡」の方は一級の配当漢字であったため放置されこんな無様は熟語構成となり心ある国語を愛する人たちを深い悲しみに陥れたのでした(;;)。

かくなる経緯により国語委員会に無断勝手に漢字を捏造されたことから前途有為な多くの若者達が漢字の世界に興味を失って去ってしまいました(::)。漢字の歴史を軽視した国語委員会の連中こそ由緒ある漢字を冒涜した亡国の徒でありました💢。因みに「羽」の旧字体は中が「ン」ではなく「ノ」の反ってない字が二つだったのです(::)。

 

 

矢作(やはぎ)川と言えば、長野県に端を発し岐阜県と愛知県を流れる著名な1級河川ですが、先週その矢作川を堰き止めて、農工業に利用するために造った人工の川を「明治用水」と呼び、そこから取水施設を「頭首工」と言っていましたが十日程前に何故か陥没事故が起こって水が地下に逃げてしまったため「明治用水」が機能しなくなりトヨタを初め周辺企業が就業不能となる重大事故が引き起こりました。行政は必死で修復作業に乗り出し仮設の水取りはやっと可能となりましたが、農業用水の方は水取りが全く放置されて居ます。運悪く丁度各農家では丁度田植えの時期を迎えているため適期に田植作業を終えないと苗が徒長して稲が実らなくなるのですが、行政は税金を沢山払ってくれる企業の工業用水ばかりの復旧に身に入れてお百姓を放ったらかしの状態が現在も続いて居ます。「士農工商」の四字熟語は今や「士工農商」となってしまいました(::)。自治体に税金を払っているのは桁外れに企業が多いから百姓を助けず企業を救った県の選択肢も止むを得ないと思いますが、大切な米を作るお百姓が無視されるなんて日本人に大切な何かが何処か間違っていると思われてなりません💢。

 

先週の夕刊の記事に「学舎(まなびや)」であるべき熟語を写真のように「学びや」と書いてあって、初めは何のことかわからず、軈ておかしな熟語もあるものだと驚きました(;;)すぐに国語辞典を見ると(学び舎) (学舎)と二つありましたが(学びや)はどの辞書にもなく記者と校閲者のチョンボと判明しました。文字に忠実であるべき新聞も質が落ちたものですね。早速新聞社に投稿フォームより「校正が杜撰ですね?」…とメールしましたが当然にスルーされましたよ(::)。

 

先週の読めそうで読めない字     五月雨(さみだれ)が降る

今週の読めそうで読めない字    (現し身)

五年掛けて這い上がった!

台風でもない低気圧が去った後、各地には土石流や洪水などによる大きな傷跡が残されましたが、これから毎年梅雨時に大雨災害への注意喚起が怠れない時代となったようです。全てはCO2による地球温度の上昇に起因しますから2050年を待たずに我々はCO2撲滅に多大の努力を尽くさねばならぬと思います。

暑い夏が到来して蝉の姦しい毎日ですが奥庭の片隅では今年も風蘭が花を付けて居ます。昨秋まで事務所玄関の片隅でこっそりと咲いていた4号鉢から日陰の露地に下したもので、そのせいか心持ち花の数が多くなったようです^^。

 

まん延防止等重点措置」この言葉は昨年来新聞紙上やTVで幾度出てきたことか?恐らく使用頻度がベストスリーを下がらない熟語と思います。「まん延」と平仮名表記されたのは恐らく「蔓延(はびこ)る」意の「蔓」が常用漢字に入ってないため平仮名表記にされたのでしょうがマスメディアもこの好機を捉えて漢字にルビを振って「蔓延」の熟語を国民に周知させるべきだったと私は思いました。安倍総理への「忖度」の「忖」は常用漢字ではありませんが、画数が少なかったためかマスメディアで用いられ、誰もが知り、且つ書けるようになったのは目新しい処ですが、6画が書けて14画が書けない筈もなく、覚えるのはその熟語の画数の多少ではなくその字の露出度に比例すると私は思います。それが証拠に機会の「機」は16画あり、「鑑賞」の鑑は23画もありながら、常用漢字のためちゃんと用いられて居ますから、常用漢字でないことを理由に平仮名表記する悪弊は早く排除されねばならないと考えます。何時も呟いていて居ることですが、戦後GHQに媚びたエセ国語学者達によって国語審議委員会が作られ、それまでの素晴らしい日本語が無惨にもズタズタにされたことを皆様は良くご存知だと思います。廳が「庁」に體が「体」に竝が「並」にされるなど旧字体の本来の意がごっそりと失われたことは真に嘆かわしいことです。戦後新聞の活字が常用漢字に統一されましたが、戦前の新聞には漢字表記で全てルビが振ってありましから子供の私でも難解な字でも読むことができて、8歳で祖父宅の蔵書から菊池寛の名作「受難華」など意味もわからぬ恋愛小説でしたが漢字を覚えたい一心で一所懸命読んで居ました^^。

思えば今を去る5年前女子ゴルフ全日本オープン最終日の18番で眼の前の17歳のアマチュア畑岡奈紗に4mのバーディーパットを決められて初優勝を逸した20歳の堀琴音がプロの矜持から溢れる涙を指でそっと拭ったシーンをTVカメラに捉えられたのが今も私の記憶に鮮明です。それは私が彼女のファンになった瞬間でした。その彼女がその後調子を崩してシード権まで落としてTVからも遠くなって3年目、先週の北海道で冷たい雨が降る中を6600ヤードとツアー最長の桂ゴルフ場で行われたニッポンハム・レディスクラシックにて最終日トップに追い付きプレーオフを制してプロ入り8年目にして初優勝し思わず溢れ出る涙を拭いました^^。5年前の悔しさを吹っ飛ばす涙でした。彼女は未だ25歳であり、怪力無双の大女が闊歩する女子プロゴルフ界の中で数少ない屈指のキュートな美形ですから、きっと多くのファンが戻ってくることでしょう。良かった、良かった^^。

 

北海道に続いて福島県もオリンピック会場を無観客にすると発表しました。何れも地元住民が観客たちによって会場周辺で起こるであろう「三密」を防ぐためと思います。然し私は入場者に大会関係者数に制限の決まりがないことに疑惑を覚えます。大会関係者は入出場時にバッチか身分証かを提示することになると思いますが、どんな関係なのかTVの聴衆には全く分かりません。私は大会関係者の身分証にはスポンサーの招待客に割当てられる「別枠入場」の仕組みに注目しています。スポンサーのVIP取引先の方に身分証が与えられて彼らが大会関係者として観戦するに違いないでしょう。篦棒な値段で横流しがあると思います💢。因みにトヨタは五輪の契約金額を一部では2000億円とも報じられていますから実に年間200億円です。きっと大会関係者身分証も数千枚以上与えられると思います。トヨタは優良顧客に身分証を贈呈し、顧客はそれを知人に高額で転売することだってあるのではないでしょうか。

 

バカ殿は志村けんではなくて西村経済再生相でしたね。酒類店の銀行貸し剥がし案を国税庁に持ち込んだことは天下の大バカ殿麻生財務相までも甚く驚かせたが、平井IT大臣といい総理がバカだと下々も全部バカになるんだね!

 

菅総理は国民に理由なき楽観論を説いて、東京都コロナ感染者激増の中を遂に今週オリンピック開催を強行します、尾身会長の孤軍奮闘の努力も叶わずに蹴散らされたことを受けて遂に総理の支持率は29.3%に低下しました。国民の命を第一に考えるのが総理と言うもんじゃないの?こんな頭空っぽの総理を持って日本人は悲しいね💢。

 

先週の読めそうで読めない字      山間(やまあい)の街

今週の読めそうで読めない字      彼女は(倹しい)生活をしている

迫ってきた漢字検定

 

 

先週久しぶりに良い雨が振りましたね。30度の酷暑も一気に24度まで下がり夜などカーディガンが必要なくらいでしたが旱天の慈雨とはこのことでしょう。今日は一筋向こうの公道に面したの月極駐車場で車の前輪に挟まれて可愛い母子草が咲いているのを発見し、しゃがんで写しました。アスファルトの割れ目から発芽したものですが、雨の降らなかった昨今よく育ったものだと感心しました。まるでド根性大根です^^。中央に咲いていなかったら車庫入れ時に潰されていたろうし幸運な母子草でした.多幸を祈っていますm(_ _)m

愈々来週日曜日は昨夏まで10年間皆勤だっ漢検テストを昨秋は移植手術のため無念にも行けなかったので間隔が丸一年となる検定になり、昨日今日と一夜漬けの俄勉強をして居ます。1年間のブランクは見事なくらい脳味噌の皺が減ったようで、音読みの熟語は「跳梁跋扈」など何とか書けても連想能力が減退したせいだと思いますが訓読みの「したたる」とか「うやうやしい」とか平易な常用漢字が全く書けなくなっているのに魂消ました(;;)。脳の記憶回路が壊れてしまったのかしら?勿論常用漢字と準一級配当漢字の区別などすっかり忘れて居りテスト結果を想像するのも恐ろしく、例えば5画「母」と言う字は女の字形に両乳を加えたものだと白川静先生が自著「字統」に記して居られますが、この字が常用漢字に用いられる場合「母」を除いて何故か母の乳房を表すチョンチョンが「毎、悔、梅、海、敏、繁、侮、毒」とは縦棒に変えられて居るのですが、準一級以上では「栂、晦、誨、拇、姆」など乳房の附いた正しいチョンチョンの「母」を用いるのが決まりなのです。チョンチョンか縦棒か書き取りには結構神経を使い常用漢字を周知して居ないとかなり難しくて困りますね。縦棒をチョンチョンしてマイナス2点はメチャ悲しいです(;;)。話変わりますが、全然別の意味の4画「毋(ぶ)」と縦棒の字が実は存在します、音読みは「ぶ」で訓は「毋(なか)れ」と否定の意味です。部首は母も毋も何方も「毋」であってややこしくこの「毋(ぶ)」という字が存在しなければ国語審議会のバカ共も母を用いた当用漢字を縦棒にしなかったと思いますが何故こんな字があったのか泉下の白川先生にでも聞かないと分かりません。一年振りに問題集を解いて見た感触では加齢に加えて漢字から離れていた期間が長すぎ、昨年よりかなり書けなくなって居るようでどうやら合格は怪しいようです。でも落ちても構わないから挑戦しようと思っています。

ところで12行上に出てきた「拇」という字をご存知ですか?分からないよと言う方が多いことでしょうね、この字は「おやゆび」と訓読みし、音読みの場合「拇(ぼ)」であり、判子に変えて親指で捺印する拇印(ぼいん)」に用いられます。あれ?「母印」じゃなかったの?「母音」は「拇」が1級の配当漢字のため書き換え字であり、正しくは「拇印」と書きます。そうです、親指の印なんです。親指は指達のお母さんなんです。漢字って面白いですね^^。

「友あり遠方より来る」一昨日中学高校と一緒で親友だった松尾博くん(さんちゃん)が遥々大塩から訪ねて来てくれました^^。一昨年5月中学校同級生の傘寿の会の帰りに二人で傘寿の会をしようと舞子ビラからわざわざ徒歩で訪ねてきてくれて以来2年振りの再会です。お互い久し振りでの久闊を叙することができました。別れの際帰ってゆく彼の後ろ姿を眺めお互いもう81歳、或いはもう会えないかも知れぬと思うと思わず涙が滲みました。

先週の読めそうで読めない字 椿象(かめむし)は臭い

今週の読めそうで読めない字 雉の(距)は立派な武器だ

椿象(かめむし)って誰が付けたんだろう?身分不相応な字だ!

豊田正子の「綴方教室」

あじさい

5月半ばなのに新緑なんかとっくに通り越して初夏に近い毎日だ。五月のシンボル躑躅(つつじ)の花などとっくに枯れかかって風情がないね、何時もより一月早く紫陽花が咲き出して居るから今年も随分暑くなるんだろうな(;;)。
先週愚娘から妻に送られた母の日の贈り物は定番のカーネーションでなく紫陽花の鉢植えだった。とても綺麗な色だから花が終わったら露地植えにしたいと妻が言いだしたが妻にその趣味がないから結局私が手入れすることになりそうだ(;;)。

綴方教室

先月15日、日経夕刊の「文学周遊」にて豊田正子著「綴方教室」が紹介されたのを読みメチャ懐かしかった^^。戦争前のいろんなことが思い出され昭和59年の復刻版をアマゾンで購入した。確か小学生の後半に読んだ本だが、あまりに昔なので内容は殆ど記憶に残って居ない、全く新しい本を読む感触だった。豊田さんは私より一回り位上の方で、私が生まれる少し前の昭和の初期から日本中を掩っていた大恐慌が全国に未曾有の失業者を溢れさせた頃小学生であって、貧しさに翻弄されながらも東京下町のブリキ工の父を持つ一家の生活を長女である彼女が幼い頃から丹念に緻密に書き綴り、鈴木三重吉の童話雑誌「赤い鳥」の懸賞に当選し、更に昭和10年代になり全国的にベストセラーになった作文集だ。
此の本の読後感だが、幼い少女なのに今ならプライバシーとされる生活のごく細かい襞(ひだ)まで時系列で細部にわたって克明に記録し、ありの儘を飾らず立体的に筆にされているのに殆(ほとほと)感心した。彼女は貧乏だった境遇にもめげずに空腹にも耐えていじけずに、一所懸命その日その日を生きている様が私の少年時代を思い出させ涙を誘う。恐らく彼女は子どものときから抜群に聡明で抜群に記憶力の強い方だったんだろうと思った。
彼女はブリキ職人である酒好きの父親と勝ち気でしっかり者だが亭主の失業を不満として亭主の友人と不貞を働く母親の間で悩みながらも弟達の世話をし、小学校在学中は放課後夜の9時まで縫製工場で働き、卒業後も女工を継続して家計を助け乍ら寸暇を縫って作文を書かれた苦労は、我々戦中派の人間をもってしても想像を絶するものがある。余程書くことが好きだったか或いは書くことで苦しい生活(なりわい)への鬱憤を晴らして居られたのではないか。彼女は学校卒業後芸者に売られる筈だったが写真を送ったら器量が足りぬと断られ(彼女は健康そうでとても良い顔なのだが当時の美人は竹久夢二描く瓜実顔の不健康派が主流だったのかも知れぬ)ずっと赤貧の生活を送っていたことは女工の給与が一日遅れたためその夜食べる米がなく、蒸したさつまいも1本を姉弟3人で分けて食べ空腹を凌いだことなどが書かれて居るから、貧乏の度合いなんかも私の育った昭和二桁代とは桁外れに違って酷かったんだろう。

豊田正子_

手に入れた「綴方教室」の表紙を捲ると「豊田正子」と署名があったことが今日の話題です。本物かどうか確かめたくてネットなどで本人の原稿をみるとどうやら直筆と思えるのだが、署名の個所がなくてはっきりせず、考えた末出版社である「木鶏社」に電話してサイン本入手の経緯を話したら、「担当者に替わります」と言われ年輩の女性の方が出て来られ彼女から字の特長など教えて頂き筆体など話したら、どうやら直筆らしいので鑑定して頂くため「写メで送ります」などと話してたら、先方から「手許に署名入りの原稿があるのでコピーをお送りしますが…」と言われ喜んで申し出に応じた。先週届いた原稿を見ると紛いもなく同じ字だった^^。私の手に入れた本は彼女が知人に送ったものか或いはサイン会で書かれたものだったんだろう。
豊田さんは4年前に88歳で亡くなられたが、送って頂いた原稿のコピーは30年前に書かれたものだ、その原稿中に木鶏社の編集者伊藤紀子さんが登場する、その編集者が私からの電話を受けられた方であることは同封のお手紙に記されて居る通りだから偶然だ。見知らぬ者からの厚かましい電話でもちゃんと受け答えして頂けたのは豊田さんが亡くなられた今でも彼女が豊田正子の「編集者」をされて居た証(あかし)なんだなと感激した。紀子さんだからひょっとしたら私より5歳年下の昭和15年生まれではあるまいか、(違っていたら伊藤さんゴメンm(_ _)m。)この年は紀元2千6百年で全国的に「紀子ブーム」だったことは私が若い頃ミシンのセールスをしていた折、顧客となりそうな若い女性を捜すために知人に貸して頂いたY高校の昭和33年卒業生名簿が「紀子」だらけだったことでよく憶えている^^。あの住所入りの名簿は訪問販売に絶大な効果を発揮したから、個人情報が秘匿された昨今ベネッセの顧客情報が莫大な額で売買されたことは容易に想像できるね。

話はさておき、豊田さんの原稿を読んで居て旧字体と常用漢字が混在しているのに時代の移り変わりを痛感した、昭和二桁の私がそうだから、大正生まれの方は20数年間慣れ親しんだ旧字体から戦後遽しく常用漢字への変更を余儀なくされたことに理不尽な思いが強く容易に常用漢字に馴染まれなかったと思うから編集者の校正も大変だったろうな。
私は幼い頃の郷愁に深く浸るため「粘土のお面」「おゆき」など豊田さんの作品を数冊購入して読んで見た。貴重本の「芽ばえ」も定価の12倍強で手に入れた^^。本は重いけど字が大きいので年寄りにはラクだ^^。「粘土のお面」は豊田さんが成長した10代後半の作品だから「綴方教室」より出色の出来だ。中でも短編の「大晦日」は此の夜一文無しのため年越しの金を借りに除夜の鐘の前に文盲の母親の口述を学校の読方帳を千切って書かされ、仕事先のお宅に行き20円(今の10万円位)借りに行かされる下りは圧巻だ。手紙の出だしが「はいけ、みなさまおかわりありませんか」なんて、何でこの子がこんなことまで…と悲しくて涙がとまらず困った、「はいけ」は勿論「拝啓」のことだが、字を耳から覚えた文盲の母親は勿論当時小学2年生の彼女には書けない字だ、「おとうさんが怪我をして働けなくなった」とウソを吐いて少女にお金を借りさせようと企むお母さんも強(したた)かだったな。だけど2年生の女の子に借金の手紙を書かせて独りで借りに行かすなど、如何に相手の憐憫を誘う手段か知らぬが今なら考えられないことだ、凄い母親だね、イヤイヤ書かされた手紙を持って知らぬ家にお金を借りに訪ねて行く2年生の女の子など今時居ないよな、彼女は生活のためには母親に服従する覚悟を決めて居たんだ(゚ロ゚)。と言うより当時は親の命令に服従することが当たり前で、今の子ども達が過保護に過ぎてあまりにも親の役に立たな過ぎるんだろう、そうだ、思い出した!私の幼い頃は学校から帰ると水汲みやら風呂焚きやら弟を負ぶってのお使いなどあらゆる家の用事をさせられたが、親にご飯を食べさせて貰ってるので当然だと思って居た。勉強したくても戦時中は紙がなかったから、今の子どものように「勉強せー」なんて言われたことがなくて良かったな^^。そのため大学受験でメチャ苦労したけど…(;;)。

苦労して入った大学も入学後は囲碁に没頭して学業に身が入らず、挙げ句当時は何より恐れていた卒業試験の単位が足らずに留年しそうになった悪夢を未だ80歳になっても見て夜中に冷や汗と共に飛び起きることが再々だ。留年が決まれば父に「この穀潰しめ…」と家から叩き出される恐怖心からだ、昔の親は絶対権力者だったがそれは「長幼の序」として当然だったのだ。幸いにも留年せず卒業できたが留年して居たら私の人生は大きく変わって居たに違いないと思う。親は怖かった!
それに引き換え「ご飯全部食べたらゲーム買って上げるからね」などと子どもの我が儘に追従(ついしょう)する情けない親が減らない今の我が国には最早未来はないんだろうな(>_<)。

今夜のニュースは大阪市の住民投票一色だろうな、橋下さんの詭弁に乗せられる大阪人ではないと思うけど…、

先週の書けないけど読みたい漢字
遽(あわただ)しい朝のひととき

今週の書けないけど読みたい漢字
雨が(歇)む