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結婚しない若者

 

本年も愈々残るはあと10日足らずになってしまいましたね。皆様の此の一年は如何だったでしょうか?
本年は昨年に負けずに夏の暑さが格別であり、差し迫った地球温暖化が眼の前に迫り、人類滅亡の危機が近づいていることを我々は確(しっか)りと直視し認識すべきときに至って居ます。

もう一つの原因は、近年何故か若い男女が草食化して彼等の結婚願望が失われ、結婚者数が毎年減少していることは若者の人口が減少して居る割合をも超えたものであって、昨年の我が国の合計特殊出生率が1.2%であることは以前触れましたが恐らく本年のそれも1.2%を上回ることは絶対なく下がることになるは必定であろうと思って居ますが、此れは「向こう三軒両隣」と謂った昔の良き仕来りが何時しか失われて…(;;)「隣人は知らぬ他人」が当たり前の味気ない世の中となった結果、若者の人生観も少し宛近隣との関係が疎遠になって「隣は何をする人ぞ」となり、無関心時代を迎えていることが大きな要因ではないかと考えます。
昔は結婚願望などなくても「行かず後家」などと言い合う近所の人達の横目視線に耐えられず、親の言うが儘、意に染まぬ結婚をする女性が多かったのだと思いました。それはそれで何とか破れ鍋に綴じ蓋だったのですが、今や我々の若い頃と随分と時代が変わりましたね🤬。

 

太平洋戦争の終戦となった国民学校の4年生になる10歳までの幼少時に「修身」(現在の道徳)にて叩き込まれた私たちは、生きて行く上での処世訓を持っていました。だから私の人生観は幼少時より、如何に貧しくても必ず異性と巡り合って結婚をし、子どもを多く授かって育て上げることがお国への恩返しであると信じて疑わない人生を送って参りました。
現在では何故か危機的な少子化時代の到来だと謂うのに、結婚そして子の誕生に子育てが少しもお国のためだと言われなくなって久しくなりました🤬。私が若い頃女性は25歳までに結婚しなければ向こう三軒両隣ばかりかその周辺に住まいする人達からも白い目で見られ、「行かず後家」とか囁かれて居辛くなリ、意に染まぬ結婚をせねばならなかった女性が多く居ました。又、当時は縁結びを生計の糧とする女性も少なくなくて、お見合いをさせた上で双方が合意したら縁結びの女性に決められた謝礼(5万円~10万円)を払って結婚というケースが少なくなく私の周囲にも未だ見合い結婚した方が沢山居られますし、寧ろ恋愛結婚派の方が少数派ではなかったでしょうか?

不思議に思うことは離婚する夫婦には恋愛組が圧倒的に多いと言うことです。何故なら見合組はお互いをよく知らないので結婚は新鮮味があり、こんなものか?と妥協できるのに恋愛組はお互いを実物より良く見せ合っていたため結婚後にボロが出て相手を幻滅させ離婚と謂うケースが多いように思いました。かつては成田離婚なんて良く謂われ、あれはセックスの不一致に問題あったようです。うちのお得意先だった歯科医のお嬢さんは熱烈な恋愛をされて、ご主人と共有でマンションをローンで買われ結婚されましたが、何が気に入らなかったのか僅か3日で離婚されました(;;)。恋愛中は隠していたボロが結婚し一緒に住んでみて初めて発覚したものかと思いましたがプライバシーのことでもあり、真相は此の二人以外は全く不明でした。いずれかの鼾(いびき)が大きい?とか…種々思ったものです。
奥さんが別れたご主人のマンション持分を譲り受けその代わり共有持分のローンを負担すると謂う不思議な交換登記でしたが、贈与税課税を疑われる税務署の問題があるので税理士として私が名義変更や銀行のローンの名義書換などに関わったものでした。共有持分って別れると厄介なことになるから皆様も気を付けましょうね。

 

時は流れて現在では、子供を育てるにも家族を養う収入がありませんし、結婚しないことに罪悪感を持つことのない若者達ばかりとなり、セックスも一夜限りだったりするのが現在の社会の有り姿でないでしょうか?

政府は中国と韓国の言うことは聞くのに此の惨状に対し何ら手を打つことなく、傍観しているのは許せないと思います。結婚させ出産を経て子どもが十歳二十歳にでもなればその都度国から無税の祝い金100万円を渡す制度でも作ったらどうかな?と思ったりします。そうでなければもう50年を待たずに間違いなく日本は外人だらけになりアイヌのような存在と化した日本人は肩身がメチャ狭いと思いますよ🤬。

 

今や飛ぶ鳥を落とす勢いの国民民主党を敵に回して少数与党である自民党の宮沢洋一税調が無理矢理まとめた減税案には、魂消ましたね、給与所得控除と基礎控除各10万円では議会を通れる道理がありません。自民党は10万円しか控除の増加を受けられない私を含めた自営業者の存在に気付いて居ないのではありませんか…?🤬/ 宮沢洋一は、さすが、増税メガネと呼ばれた岸田前首相の従兄弟ですね。

 

先週の読めそうで読めない字      船が傾(かし)ぐ

今週の読めそうで読めない字    (札片)を数える

87歳の呟き

確定申告期限まであと十日となりました。全員頑張ったお陰様でどうやら無事期限内完了の目処が立ちヤレヤレです。事務所の前の坂の上にある大きなお家の庭の紅梅が満開です^^。部屋の盆栽を露地に下ろしたうちの梅とはまるで違って結構樹齢が長い木なのでご覧のように花も沢山付けています^^。

 

先々月に麻生自民党副総裁が「少子化の一番大きな理由は出産するときの女性の年齢が高齢化しているからだ」と発言し、女性の初婚年齢が「今は30歳で普通だ」とし、複数の子どもを出産するには体力的な問題があるかもしれないなどと話し物議を醸しました。
一方で明石市の泉市長は「晩婚化が無関係とは思わないが、最大の原因とも思わない」と反論した上で「国民に責任を転嫁せず、政治家の責任(子育て支援策の充実化など)を果たすことを切に願う」と意見を綴りました。泉市長のツイートに、コメント欄は「私も切に願っています」「晩婚化の要因の一つは間違いなく賃金」「若いうちは給料も安く、さらに増税&物価高でとても結婚して子育てという感じではなく、教育費も上がる一方お金がないなら子どもを産むな!という風潮だから晩婚化した根本的な原因から目を背けているように思います」「子育て支援以前の給与が安すぎる」様々な此等の意見を読んで私は思いました。皆さんの仰ることは全部ご尤もです❣でも皆さんよく考えて下さい、今の75歳以下の若い?方は少し贅沢で自分勝手ではありませんか?第二次世界大戦が終わるまでは誰もが親や周囲の意思に従って顔を見たこともない相手と結婚し、姑にいびられようとも子供を生んで貧しくても懸命に育てて居ました。私の母は結婚式で初めて父の顔を見たと言いましたから結婚は親の意思であり子は親に従っただけだったのです。どんな辛いことがあっても姑にイビられようとも離婚など毛頭考えもしない時代であり、よしや実家に逃げ帰っても戸を閉ざして入れて貰えないのが世間の仕来りでありました。生活面では私の年少時を思うとあの頃は誰もが今よりメチャクチャ貧しかったのです。私が朝から晩まで考えていることは減っているお腹の解消法ばかり…。何時も一口に20回以上噛まないと咀嚼できない麦80%に五分搗きのご飯を少ししか与えられないため、食後もずっと空腹で身体はガリガリでした。だからその辺に咲いているタンポポやスカンポなども探してはこっそり食べて居ました(;;)。母親は戦前一家四人の食事のおかずを週に50銭で遣り繰りするよう父に命じられていたそうです(;;)。それでも私がよく見る一番幸せな夢は一家四人(父母と姉と私)が丸いちゃぶ台を囲んでご飯を食べる場面でした。零した飯粒を食べないと盲になると父に殴られるので周辺は隈なく這って探しました、そうそう、よく母に一升瓶に玄米を少し入れて棒で突かされました、一時間も突くと白米は無理ですが五分搗きの米になるからです。玄米より早く炊けて焚き物の節約にもなるのでした^^。暖房具のない当時の冬は今より遥かに寒く靴下などない時代だったし、子供は今よりずっと寒い真冬でも半ズボンで裸足の膝や足指が草鞋に擦れて霜焼けで皮が剥がれて赤剥けになり、何に触れても痛くて大泣きしたけどそれでも滅げずに生きることに懸命の毎日でした。そんな悲しい筈の昔が思い出されて何故か懐かしいのはどうしたことでしょうか?女性の結婚も「25歳までに行かないと貰い手がなくなる」と近所の人から後ろ指を挿されるので未婚女性は仕方なく皆20歳ちょっとでお嫁に行きました。相手の顔など見ないうちに親が決めた相手に何も言わずに嫁ぎました。嫁ぎ遅れによる所謂「行かず後家」と近所から噂される世間体の恐怖がそうさせたのです。そして周囲から浴びせられる「出戻り」の陰口が嫌で姑小姑にイビられながらも結婚生活に耐え次第に少し宛家庭内に自分の地位を得て行ったのでした。それは今の若人の婚姻への道程と比べて余りにも大きな隔たりがありますが、食べてゆくことを何より優先されたあの当時はそれが当たり前で見知らぬ相手と娶(めあわ)されて相手が気に入らなくても実家には居場所がない身の上から誰も離婚など毛頭考えず不平不満をじっと我慢し生活して居たのはどうしてだろう?と考えると、きっと現在の日本人が贅沢すぎるせいだと思いました。バブル崩壊前後から熱烈に恋愛して結婚、3日で離婚するカップルを多く見てきましたが、覚悟が足りないのか或いは自分本意の生活をしていたために相手への思い遣りや協調性や人間として相手への包容力に欠けているのだと思いました。一緒に暮らして見て価値感が違うなど気付くのはそれまでお互いが相手の外面しか見て居なかったからであり自業自得ではないでしょうか。

 

閑話休題、私の子供時代を回想すると戦前戦中戦後あの当時はずっと生きるために食べるのではなく食べるために生きており人生は唯々忍耐の一字でした。お腹が空かない生活が一番の願いだった私達の幼い頃でしたが、今思えば本当に小さな望みだったと思います、でも素朴でとても純粋でした。そしてそれはそれで現在87歳の私が抱く本当に懐かしい想い出なのです。暖衣飽食となった昨今もう一度あの頃に帰りたいなあ!ともうひとりの自分が囁きかけますが、どうしてなんだろうな?

おしまいには痛快な写真をお楽しみ下さい。22年前講道館で小学校4年生の少女に投げ飛ばされたプーチンです。彼女は現在東日本の女子柔道部コーチを務めています。ゼレンスキーさんに見せれば少しはストレス解消になるのでは…^^。

 

今週の読めそうで読めない字          神事の後の(直会)

先週の読めそうで読めない字          就中(なかんづく)

「金輪際」を英語で言え!

川口真

先月日経夕刊「こころの玉手箱」は作曲家川口真の登場だった。私と近い世代の方であり、由紀さおりの「手紙」や山口百恵の「いい日旅立ち」弘田三枝子の「人形の家」などこの方の歌は何処か他の人と違うなと感じていたが学歴を見て魂消た。彼はピアニストで東京芸術大学現役入学で楽理科に学ばれた超エリートだったのだ。本来クラシック畑に身を置くべき方なのになにゆえ?と思ったら、何気にアルバイトで弾いたのが、越路吹雪さんのバックバンドであり、多忙で来られないピアニストのご主人の代わりに弾いたピアノが「愛の讃歌」、場所も新宿コマ劇場だったとか、越路吹雪さんの人柄に魅せられ、又売れっ子作曲家いずみたくさんの事務所でアルバイトをしたことなどがきっかけで辿らねばならぬ道を間違えて?しまったのだそうだ。芸大で和声法や対位法をみっちり勉強して居た基礎が大きな力となり、他の作曲家と一味違う作品になったのだろうがクラシックの道に歩まれたらプライドは保てても食ってゆくには大変だと思ったから、歌謡曲への転進は実利主義で正解だったと私は思う。大衆の中に溶け込んで愛されるのが「歌謡曲」であり、クラシックは一部の人の教養を満足させるためのものだと言ったら言い過ぎなのかな?

日経夕刊「明日への話題」で三井住友FG会長奥正之氏が70歳になって初めての運転免許高齢者講習を受講された感想を述べられた。土日も祭日もガードマンと運転手付き黒のベンツ600後部座席が決まりだと思っていたから、こんな偉い人でも自分で車を運転するんやと正直驚いた。感想の中で会長は講習のテストは全て上手くいったが次の関門は5年後の免許更新だと書かれていた。そんなことないよね、ゴールド免許でも70歳以上は3年更新が決まりだよね、私もずっとゴールドだが過去3回3年更新であり、未だ高齢者講習のない68歳の時でも4年更新になり驚いたことを覚えている。3年更新は我々貧乏人だけで偉いお人は5年更新の特別待遇が得られるんだろうか?と僻んだがそんなことないよね。
処で、警察庁や警視庁の偉い人だった人のOBなど6000円も払って高齢者講習を受けているか疑わしいと思う。ひょっとしたら警察関係者は全員免許センターすら行かなくても自動的に免許を更新できているのではないかと思ってしまう(>_<)。今度事件があって警察が防犯カメラを見に来たら聞いてみよう。でも「その通りです」なんて絶対に言わぬだろうから聞くだけ無駄だろうな(;;)。

九月の末に作家車谷長吉について触れさせて頂いたが、今日は彼の作品の特異性についてお伝えしようと思う。それは彼、車谷長吉が平成10年文藝春秋に上梓した作品「変」にて自らが芥川賞の受賞を逃した怨みをぶち上げられたことだ。彼の作品である「漂流物」は平成7年度芥川賞筆頭候補になり、第一回目の投票で賛成者が過半数を制したにも拘わらず、偶々その年に阪神大震災やオーム真理教事件が世の中を震撼させたため車谷の作品が殺人事件であったので授賞に相応しくないとの意見が出てきて授賞から落とされ、(車谷氏曰く)毒にも薬にもならない平穏な日常を書いた保坂和志の「この人の閾」が授賞したことだった。
彼の作品「変」には「彼が5寸釘を9本買って白紙を鋏で9枚の人形に切り抜き、人形にそれぞれ日野啓三、河野多恵子、黒井千次、三浦哲郎、大江健三郎、丸谷才一、大庭みな子、古井由吉、田久保英夫と当時の芥川賞銓衡委員9人の実名を書き、金槌と五寸釘を持って深夜旧駒込村の天祖神社へ丑の刻参りに行き銀杏の巨木に人形を突き立て「死ね!」と、人形の心臓に五寸釘を打ち込んだ」と書いてある、この八つ当たりは将に狂気の沙汰だが彼には理不尽な理由で芥川賞が授賞できなかった物凄い鬱屈が溜まっての行為に違いない。心で思うことは誰しもあるが彼のように実名を作品に登場させて糾弾することは誰もしない。其処が彼の異能作家である所以だろうが、誰も思っていても書けないことをズバリと書いた車谷長吉を私のような世の中を斜に見ている者には誠に痛快極まりない。その後平成10年に彼は「赤目四十八滝」で直木賞を受賞したが、授賞式には上記の9人はもとより寄りつかなかったろうし、色んな文壇の集いにも此の9人は出席を車谷の欠席を条件にしたことだろう。五寸釘の呪いが叶ったのか現在9人中6人が死亡しているから怖ろしい。生き残って居る三人(黒井、大江、古井)もきっと戦々恐々とし不機嫌な毎日を過ごして居るのではあるまいか。
車谷さんは芥川賞の選考委員はだれも凡庸で自分より小物だと思って居たと思われる、何せ彼は広辞苑約2000頁を1日1ページ宛7年掛かって読破するなど国語学者顔負けの知恵者であり逆に考えると選考委員達全員、車谷の才能が自分達より秀でていることを知って畏怖し落としたのかも知れない。私は此の9人の選考委員のなかで車谷と教養が同レベルの文学者は丸谷才一だけだと思って居る。
この怨み節を書いた車谷長吉本人は今年5月誤嚥による壮絶な窒息死を遂げた。彼の魂は未だ成仏できずに深淵の怨みはこの世に残されたに違いない。黒井、大江、古井の三人は内緒で懺悔に車谷の墓所へ訪れているのではないか^^。
「変」は彼の短編集「金輪際」に納められているから、興味のある方はどうぞ…、処で「金輪際」を英語でどう言うかご存じの方は居ますか?わからないよね、答は文末にあります。

最近子供を欲しい人達は沢山居るが作らない理由として、昔は主として自分の老後を見て貰うために子供を必要としたが今の子供にはそんなことは全く期待できないし、教育費など経済的な問題が大きく、投資が浪費となる可能性大であるため子作りに消極的になるのが原因だそうだ。
お店を経営して居る人に聞くと、アルバイトに来る連中には偏差値の高い学校の子ほど融通が利かず頭が悪いそうだ、面白いね^^、又人間としての頭が悪い奴が多いそうだ、偏差値と人間性が反比例するなんて怪訝しな話だが、現在の教育制度では良い学校に入るためには良い人間である努力を放棄せねばならぬのではとても恐ろしいことだと思う、
教育の目的は良い人間に育てることに尽きるのだが、其れを正しく理解しないで、良い学校に入ることと勘違いをしている手合いが多いのではないか?
「良い学校に入った人間」と「良い人間」では絶対的に後者が優先するが、前者の連中に限って注意すると「プライドを傷付けられた」と逆ギレするとか…、親が甘やかすばかりで子をチャンと怒らなかったせいもあると思うが、現在の文科省の教育指導が何故か根本的に誤って居る箇所があるとしかと思えてならないね。
「世の中にはあの人達は子供を作ったら拙いだろうと思える人達がボコボコと子供を産んでは子供達の正しい教育を放置して社会のお邪魔虫を排出して居る、子供のことに真剣に考える人達が却って出産に消極的になる傾向が強い。」此は何時だったか作家群ようこさんがエッセイに書かれたものだがズバリ言えてる、全く同感だ、考えさせられるよね。

先週の書けないけど読みたい漢字
履(くつ)を履(は)いて土を履(ふ)む

今週の書けないけど読みたい漢字
風船が(窄)む

「金輪際」を英語では「Never」と謂います。
「座布団一枚!」の一声が^^掛かりそうだね^^。