ノーモア広島長崎、恒例の原爆忌も終り愈々お盆が近づきました。仕事の方も一段落したので13日から事務所をお盆休みにすることに決めましたが、お墓参り以外特にすることもなく、四字熟語の勉強でもしましょうか。
先日のブログで“赤とんぼ”に触れたとき、名句『蜻蛉釣り今日は何処まで行ったやら』が加賀の千代女の作品であると書きながらも“別人との説もある”と記しましたが、実は私の書棚にある『加賀の千代女500句』なる書物には何処を捜しても蜻蛉釣りの句が見当たらず、お節介にも選者の方に発行所経由の手紙で問い合わせた処先週返事を頂戴し、蜻蛉釣り云々は別人の句であると書かれたミニレターと限定300冊である非売品の書物『松任の千代女と私』を頂戴致しました(^^)。

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興味津々早速読んでみると千代女の代表作とされている『起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな』すら別人の句であり、千代女が誕生しない前に出版された“其便(そのたより)”と謂う俳諧集に投句されているそうです。ま、昔のことだから彼女の人気や美貌に肖ったものと思われますが、夫の死の翌年愛児を亡くされたことすら、彼女に子供が居たと謂う確証がなく『破る子のなくて障子の寒さかな』や上記の蜻蛉釣りなど彼女の代表作とされる多くが、他から持ち込まれた可能性が高く、千代女の人気に便乗する連中が沢山居たことはそれだけ彼女の人気の高さを現していると思われます。
早速著者の山根先生(千代女の育った石川県の松任で千代女の研究の第一人者であって昭和20年生まれの高校の先生)にお礼状を差し上げました(^^)
“小海線には夢がある”今を去る55年も前大昔のことですが、このタイトルの旅行の小冊子を本屋さんで見付けて、一度は乗ってみたいと憧れていた中央線の支線(最近では八ケ岳高原線の愛称が付けられて居るとか…)でありましたが、誕生が私と同じ1935年であることも奇しき因縁であったでしょうか、中央東線に乗って上諏訪から東京へ向かうとき何時も小淵沢駅で八ケ岳の山麓を喘ぎながらスイッチバックを繰り返しながら急勾配を登って行く列車を仰ぎ見乍ら小海線への思いを馳せて居たのでしたが、やっと汽車賃など調達の念願が叶って乗車が実現できたのは大学3年生の夏休みでした(^^)。小海線は山梨県と長野県の県境である甲斐の小淵沢から終着駅佐久の小諸まで僅か80kmの短い路線ですが、西にお母さんの懐を想わせるなだらかな八ケ岳、南には対照的に峻険たる甲斐駒ケ岳を仰ぎ、遙か眼下を流れる千曲川の清流を7回横断しながら標高1000mを超える高所を走る様は夢のようであり、途中野辺山駅は海抜1345mと日本で一番高い駅であると標されて居り、停車時間に汽車を降りると真夏なのにとてもひんやりして居た記憶が残って居ります(^^)。長閑な佐久盆地の田園風景を眺め、こんな自然の中で生活できたら楽しいだろうな、それとも3日で飽きるのかな?などと考えている内に列車は終着駅である信越本線の小諸に到着し、僅か2時間足らずの車窓とお別れせねばなりませんでしたが、兼ねての思いが叶いとても充実した一刻(ひととき)でした。小諸には小諸城址の懐古園があり島崎藤村の”千曲川旅情の歌“の石碑が歌詞と共に私の来園を待ち受けて居て呉れたことも大いなる感激でありました。何しろ当時から現在に至るまで私が宙(そら)で歌える歌は藤村の”初恋”に”千曲川旅情の歌“そして”戦友“位でありましたから…(^^)
懐古園に心打たれて街に戻ると小諸銀座なんて商店街があり、心に抱いていた小諸のイメージが破れとても幻滅したこともよく憶えておりますよ(;;)
どうして急に小海線がこのブログに漂着したのか、その理由は小海線の途中である信濃川上駅の周辺にある川上村の村長を22年(村役場での執務期間を入れると47年間)務めて居られる藤原忠彦さんが先日の日経新聞“人間発見”に登場されて語られた数々のエピソードを読ませて頂き感激したことに由来します。
長野県南佐久郡川上村と謂っても誰もご存じないと思いますが、この村は標高1300mに位置し、古来寒冷地のため米作に適さず、粟や稗を作り農閑期の8ケ月間、男は諏訪の寒天工場へ、女は岡谷の製糸工場へ出稼ぎに行く貧農部落であり、藤村の“千曲川のスケッチ”には“信州の中でも最も不便な…貧しい、荒れた山奥の一つ”と書かれた寒村だったのですが、標高が高く水が冷たい地質である自然条件が高温では直ぐに薹立ちするレタス栽培に適していることが分かり、我が国の各家庭の生活様式が洋式化してきたことからレタス生産を拡大され現在では台湾にまで輸出されるようになり、村にはレタス御殿と謂われる豪邸が建ち並び、農協の販売額は加盟農家数1戸あたり08年度で2500万円にも達するそうです。更には15年も前に若者達のために文化センター(500人収容のコンサートホールに150吋のハイビジョンシアターや24時間使用できる図書館や大浴場など)が創設され趣味やサークル活動の拠点となり、労使の争いから小海線のダイヤと路線バスのダイヤが接続せぬため赤字続きで廃止が決まった民間路線バスを買い取って村営化してスクールバスにも併用して黒字化に成功され、又地上波TVの難視聴地域のため86年にCATVを村の全戸に導入し、村役場内にTVスタジオを設けて村内の催しや野菜市場の市況データから村内3ケ所に設置した気象観測ロボットより蒐集した気象データを分析してニュースで村民に提供しているそうですから都会よりずっと進歩した生活環境ですよね。満天の星が綺麗な夏には首都圏より多くの若者が訪れ地元の青年達との交流が盛んになり、そして女性が夢を抱いて楽しく安心して暮らせる施設(ヘルシー施設かわかみ)まで整っているため一人当たり医療費の少ないことで有名な長野県でも川上村は格別に少なく、おまけに此村にお嫁に来る女性に高学歴者が多いのも特徴だとか…(^^)何でもアルバイトや八ケ岳に訪れた都会の女子学生が川上村に魅せられてその儘嫁入りしてしまうことが少なくないそうで村長自身招待される結婚式は年に20回以上あり、近隣市町村の首長から羨まれて居るそうです。
お嫁さんと生活の心配さえなければ都会で学業を終えた村の青年達も勇んで帰村しますよね(^^)。30~40代の農業従事者は全国平均の11%を遙かに超える37%にも達して後継者に不足せず出生率も1.88と全国平均(1.34)を遙かに上回っていて高く、子供が5人以上もいる世帯もあるそうです(^^)から到底農村とは思えませんね。
此の村長さん土性骨の太い処はバブル最盛期に農業とリゾート産業とは体質が合わぬと、県からの要請があったリゾート法の指定地を断固拒否されたことであり、若し其の儘県の言いなりになってリゾートホテルなどに手を染めていたら、現在では死屍累々の惨状となり、今も川上村は藤村の書いた“信州の中でも最も不便な…貧しい、荒れた山奥の一つ”でしかなかったのではないでしょうか(;;)。
名監督の下の弱卒なしと謂われますがこんなに貧しい農村でも、勝れた指導力を有する人材を長(おさ)に選べば、都会から嫁が来てくれるまでになるのですから素晴らしいですね。
この村長さんの生涯の夢は農業は人類にとって最後に残る生活産業であり“世の中にはお金で買えない大切なものが沢山あり、他人への思い遣りや社会的弱者への労りの心が欠けているので、自然の力で人間にゆとりを持たせて心を癒す自然環境が整った農村の存在を孫の世代に残したい”と謂うことだそうです(^^)
ガンバレ川上村の村長さん!
清純派のアイドルだった“ノリピー”こと酒井法子が覚醒剤事件で逮捕され、世間をアッと言わせました。最高裁のコマーシャルにまで出ていましたから身辺非の打ち処がない清潔感溢れるタレントかと誰もが思って居ましたよね。聞けばお父さんは暴力団の親分で弟も同類とか…(;;)亡くなった美空ひばりと山口組三代目の関係など知らぬ人もなく、どうやら芸能界と謂う処は同和と暴力団絡みでないと生きて行けない処らしく、あの藤原紀香も加古川の同和出身者だと何かに書いてありましたから芸能界は表と裏ではまるで違う怖い処で堅気の者には向かぬ世界なのでしょう。
最高裁は事件の発覚に慌て、広報用映画の主役に酒井法子を抜擢して製作した映画“審理”の使用を配信停止し、更に広報用ポスターなども撤去することにしましたが、卑しくも最高裁ともあろう者が主演裁判員を演ずる俳優の身元調べすらできぬなど巫山戯(ふざけ)た話であり、その内裁判員に暴力団員が選ばれるのではないでしょうか(^^)
トップアイドルまで駆け上がった酒井法子ですが、留置場では一般の犯罪者として全裸にされ隠したものの有無を調べられますから、彼女は果たしてその屈辱に耐えられるでしょうか?
3週間振りの女子プロゴルフツアーアクサレディースは北海道苫小牧で行われ橫峯さくら選手は全英オープンを蹴ってまで賞金女王を目標に国内ツアーに拘り二日目トップで折り返しましたが、最終日優勝を意識してスコアを崩し惨敗でした。(;;)勝利の女神は常に無欲の者に微笑みかけることをきっと思い知ったことでしょう。