昨年度の確定申告書の作成並びに電子申告も漸く滞りなく終了し、気分を新たに日常業務へ戻ることになりましたが、先週の全般急に寒さがぶり返したのと張り詰めていた気が緩んだのと両方で体調不良となりしょぼくれて居ます(;;)。未だ1月決算が待ち構えているし2月に百歳で亡くなられた方の準確定申告などあるので早く元気になりたいと願って居りますが、年々体力の回復力が遅くなるのは歳のせいでありましょう(;;)。
年初からの確定申告業務の繁忙から漢字の手習いをサボっていた報いですっかり漢字も忘れて居り、来週の連休をスタート時点として朝夕の余暇を利用して暫時漢字の勉強を再開し、6月の漢字検定に備えたいと考えて居りますが果たして思惑どおり行くことやら…(;;)
愈々この4月から各家庭に子ども手当の支給が始まりますが、来年度から満額支給になり年に4兆5千億円と現在の消費税収年間10兆円の半分近くもの財源が必要となります。
然し民主党政権が子ども手当についてはどうして保護者の所得制限をしないのか不思議でなりません。国民の半数以上が所得制限はすべきだと主張しているのに、独り菅副総理は各家庭の所得を把握するための費用の方が高く付くため所得制限は行わないと主張し、結局大金持ちの子弟まで恩恵に預かることになりましたが、私の触覚は何処かこの論理にまやかしがあることを嗅ぎつけました。我々税金を生業としている者は住民税の課税台帳で各世帯の所得が容易に把握できることを知っていますから、菅副総理の言う“費用が高く付く”理由が全く理解できません。きっと所得制限する場合の金額が党内で紛議を招いたため費用のせいだと摩り替えたものでしょうが、私は子ども手当が貧困とまで行かなくても生活が苦しく子どもを産む自信のない家庭に対して子どもの生活費教育費の補助として使用されるのが目的で作られたものあり、必然的に所得を300万円500万円1000万円の3段階に区切って子ども手当の金額に差を付け、1000万円以上には支給しない方法が望ましいと考えて居ます。
子ども手当の発想は所得控除や税額控除では税金を払わないで済む貧困者に恩恵が行き渡らないためにできたものですが、私は先ず一定所得以下の者に対して年末調整や確定申告を利用して税額控除で子ども手当を救済し、子ども手当が税額控除に達しない人達に限って手当金を給付する方法が合理的且つ実務的にも省エネであり容易に採用できる方法ではないかと考えますが、何れにせよ税源の涸渇している昨今金持ちも貰える総花的な散蒔き作戦は、国の借金を増やす役割しか果たさず何れは民主党政権の命取りに成り兼ねないでしょう(;;)。
先週確定申告の仕上げに電子送信できない外国税額控除など特殊な添付書類を提出に須磨税務署に参りましたが、駐車場が僅か5台で全く期待できぬため、昔は山陽電車の月見山駅より15分掛けて歩いて行くか、或いは須磨から何時来るか分からぬバスを待って税務署に行っていましたが、2年前よりJRに須磨海浜公園駅ができたため徒歩2分とラクチンとなりました(^^)。処がこの駅は後から無理矢理作られた駅であるため電車の通る線路の真上に駅舎があり誰も一度は駅舎を通ってプラットフォームに降りるため階段が数えると64段もあり、年寄りの脚には登りがとても堪(こた)えます(;;)。そこで行きは手摺りを磨きながら階段を降りましたが、帰りはエレベーターにしようと思い丁度昇降機が降りてきて数人の方が乗り込んでいるので64段の階段を斜辺とする底辺の永い通路を駆け足で急いだら、先に乗った人達は私が駈けてくるのを知っていて態と見ない振りをし、間一髪で無情にもドアが閉まり置いてけ堀となりました(;;)。同じく昇降機に乗ろうと私より少し先に駈けていられた年配の女性も被害者でしたので去って行くエレベーターを眺めながら顔を見合わせ“自分達だけ良ければええあの人等は碌な死に方はせんやろな”と悪態を吐いて溜飲を下げましたが、僅かの時間を惜しんで他人の不幸を喜ぶ心の狭い日本人が居ることをとても恥ずかしく思ったものです。巷間“道義地に落ちたり”と謂えば少し大仰ですが、最近自分中心で周囲を思い遣る余裕ある心を持つ人達が少なくなったことは事実であり、借金地獄に陥った日本経済の崩潰や身近な問題として雇用の不安など関わりがあるのかも知れませんね(;;)。
税務署へ行ったついでに丁度途中にある須磨社会保険事務所にうちの職員達の給与の書類を提出しました。昨年までと異なり今年は書類の提出先が三宮御幸通りの日本年金機構兵庫事務センター宛に変わっていましたがセンターが何処にあるかも分からず毎年のことだし、電算機読み取りのため折り曲げ不可の大封筒では120円も切手代が掛かるので何時も須磨税務署へ行くついでに持参することにして居り、今回も前例に倣ったのですが、案の定窓口で“持参場所が違います”とイチャモンが付きました(;;)。私は予てこの事態を予測しており、“支店に出す書類を出張所に出してどこが悪いか!大体から返信用切手を貼らない役所はお前とこだけで税務署だって必要な書類は返信封筒が入っているじゃないか、お前とこは郵便局の回し者か!”と問い詰めると何も言わなくなり、“120円切手を出すなら投函するがどうや“と追い打ちを駆けると渋々仏頂面で受理してくれました。次回は暮れの賞与となりますが、税務署へ年末調整の用紙受領のついでに寄って来ようと思って居り、きっと今回と同じシーンが見られるものと期待して居ます(^^)が、普段は温和しい?私が彼等に楯突くのは国民の一人として社会保険庁の数々の不祥事に対して不信感が拭えぬためのストレス解消策の一つなのでしょう(^^)。
憶えた漢字は翌日には忘れるなど頭の老化に将来の限界を覚えていた私は、先日の新聞記事を読んで大いに勇気付けられたのでした(^^)。其れは尋常小学校しか行けなかった一人の女性が19歳で結婚するも夫を支那事変で亡くし戦後長田の靴工場で働いて再婚し子女に恵まれましたが、阪神淡路大震災で全てを失って失意の中を米寿を迎えることになった07年に路傍に定時制中学校のポスターが貼ってあるのが目に止まり“勉強がしたい”の一心から夜学の中学校に通うことにされたとか…(泪)分数に理科に歴史と未知の世界との邂逅でありましたが、同級生の在日コリアンの方や出稼ぎのベトナムの青年達に辿々しい日本語で励まされて“夜間中学が私の青春だ、失ったものを取り戻そう”と頑張られ先週の10日晴れて同級生13人と共に卒業式に出席され壇上で卒業証書を受け取られたそうです(^^)。“学生生活は3年間と短かったけど楽しかった、此からも学び続けたい”此れが91歳の彼女の願いだそうです。昭和初期の大不況を潜り抜け、旧民法下の厳しい家父長制、がちがちの男性優位社会の中を第二次世界大戦の暴風雨にも耐え忍んで生き延びられた方々って、根性があって強いなあと思いました。
数えて見れば私より一回り半も年配の方ですから私などヒヨッコのようなものであり、此からは“歳やさかい”なんて自分を貶めないで、米寿で中学生となり無事卒業された彼女に負けないで何時までも学ぶ心を忘れずに生きて行きたいと思います。
ヨコハマタイヤレディースは南国土佐で行われ我等が橫峯さくら選手は2日目68と好スコアで2位に付けましたが、最終日好天の中をスコアが伸ばせず、第今度は台湾ブタが優勝を攫い、5位タイとは不甲斐なかったなあ(;;)。