連休明けに庭の手入れをして居たら、何か小さいものがピョンピョン飛んでいる。追いかけるると狽えて私の服の袖に止まったところをスマホでパチリ、キリギリスの誕生でしだ^^。未だ1cm足らずですから動いてくれないと分かりません。誕生してひと月くらい経ったものでしょうか。3月末にシルバーセンターに頼んで草刈りをして貰ったため庭には未だ充分に雑草が生え揃っていないので幼虫の生育が心配ですが、雑草が生い茂るまで燕に見付けられないことを神に祈るばかりです。袖の幅からキリギリスの小さいことがお分かりでしょうか^^。

今日も漢字の話ですが、先週松本清張さんの漢字の精通振りに誰も愕きましたよね。小学校しか出ていないであれだけ書けるのですから我々現代人の懶惰が露わになり恥ずかしい限りです。

難しい漢字と謂えども易しくなければ…と誰かが言って終戦後当用漢字ができる際多くの漢字の画数が減らされたことは皆さまご存じでしょう。壓が圧、𦾔が旧、辭が辞、廳が庁、醫が医など字画が随分減ってとても書き易くなったものもありますが、元の字体が失われていますから此れは減らし過ぎとの意見も多くあり、幾らか旧字体の面影を残すべきだったでしょう。中にはどうして変られたのか意味が分からない字も少なくありません。例えば「隣」と言う字の旧字体は「鄰」と扁と旁(つくり)が左右に移動し「群」は[羣]と扁が上に付いていました^^。字は変えれば良いというものではなく、変えねばならぬ字数にノルマでもあったのでしょうか。逆に変えられて良かった見本が「亀」です、この旧字体は「龜」であり16画もある難解字です、皆様も一度書かれたら愕かれることでしょう。良く似た字に「鼈(すっぽん)」がありますが、此の方が25画もあるのに亀よりずっと書き易い字です。亀も鼈もよく似た両棲類なのに漢字の構成が微妙に異なるのが不思議ですね。尚、鼈は何故か旧字体の儘で放置されて居ます。この辺の国語審議会の動向は興味津々ですね、何処かで何か特別の力が動いたものと思われます。尚、旧字体については来週も触れたいと思います。

先月の初めにご紹介した大岡信の歌会初めで「マドンナの幸ちゃん」をご紹介しましたね、あの歌の中にあった「Eメイル来る」に違和感があったと思われた方が居ました。私もそう思いました。普通「メール」って言いますよね、書きますよね。でも調べて見たら正しい日本語で書けば「メイル」でした。天下の碩学大岡信が「メイル」と書いたのは正しかったのです。

その理由は何時ものように昭和61年内閣告示を見れば分かります。エ列の長音はエ列の仮名に「え」を添える、とあり、随って「メール」は「メエル」と書きます。ア行なら「おかあさん」の類いです。英語だから「メール」で良いんじゃないの?いいえ、英和辞典Mailの発音記号にもちゃんと[meil]と書いてありますよ^^。

「いれる」

入れる 淹れる 容れる 煎れる 納れる  炒れる と沢山ありますが私達は正しく使っているでしょうか?

三省堂国語辞典

煎れる 炒れる 炒(い)ってできあがる

入れる 中へ移す 息子を大学に入れる 中の方まで動かす 詫びを入れる お茶を入れる新解さん 入れる

湯を注いだり湯で煮立てたりして飲めるようにすることを「淹れる」とも言う

他人の主張を聞いてその意見に理のあることを認めることを「容れる」とも言う

明鏡国語辞典 入れる 容れる 納れる 淹れる

外にあるものを一定の枠の中に移す、この辞書には20個も細かく用例が示されて居るが特に特定の漢字を指定していないから読むものは「入れる 容れる 納れる 淹れる」のどれを用いるか判断を委ねられるから少し辛い。

新潮国語辞典 入れる 容れる 外から中へ移す 物陰に引っ込ます、収容する、(淹れる)とも書いて飲めるようにして差し出す、

岩波国語辞典 いれる 入れる 容れる 外部から特定の範囲に移す お茶を入れる「淹れる」とも書く

同じ「いれる」でも解釈がいろいろあって目紛るしいですね、淹れる 煎れる 炒れる が常用漢字でないから余計覚える機会に恵まれません。処で「お茶をいれる」と言う場合、どの漢字が適切かご存じですか?①お茶の葉を急須にいれる②お茶っ葉の入った急須に湯をいれる③お茶を湯呑みにいれる。①は入れる②は淹れる③は入れるであり、水で浸す(掩う)のは②だけであり、器にものを入れる場合は「淹れる」は使えない。世の作家どもは誰もが③に「淹れる」を多用して気取っているが間違いです。でも「淹れる」の字は着物姿の女性が左の袂(たもと)を押さえて急須のお茶を注ぐ風情が日本語の侘び寂びを偲ばせますから是非常用漢字に昇格して欲しいと思います。尚、「煎れる」は御濃茶(抹茶)を点てる際に用いる言葉ではないでしょうか。私は大学1年のとき囲碁に資するため精神修養で一時裏千家のお点前を習っていましたが、「女の中の豆拾い」と揶揄され恥ずかしい想いをしました。当時はお花の未生流と並んでお茶の稽古は縫い物と共にお嫁入り前女性の欠かせない素養の一つでしたが、今ではどうなったのでしょう、高度成長期に入る昭和40年位までは事務所の女性が昨夜手習ったお花を事務所の花瓶に飾ってくれるのが恒例でしたが、何時とはなくお花やお茶の先生の看板を見掛けなくなりましたね。お得意先のA社が作業用のミシン掛け要員をハローワークに依頼しても殆ど反応なく、あっても高齢者に限られるそうです。今では花嫁道具からミシンが外されたのかしら。

先週の読めそうで読めない字 花の苗を芸(う)える

今週の読めそうで読めない字 ♪絵のように(貴)やかな♬