オリンピックの喧噪も漸く去ろうとし、高校野球が取って代わり愈々お盆が到来した。朝夕懸命に鳴き交わして居たキリギリス達も、無事伴侶に巡り会えることができたらしく温和しくなっている^^。きっと露草の根元では沢山の卵が産み付けられて居ることだろう。
今月になって早朝からクマゼミの鳴き声が喧しく最近頓に増加する傾向に見られるが、その代わり昼下がりに五月蠅く午睡を妨げて居た油蝉の声が昨今少なく、ニーニー蝉の甲高い「チー」の声も聞かれなくなった(;;)。そして最近では深山幽谷が住処だったミンミン蝉が都会に進出してきたとか聞くから蝉の生態にも変化が出てきたようだが、都会となるとミンミン蝉も神社仏閣、皇居宮殿などを選んで産卵しないと7年後出て来られなくなるのではないか、処で東北大震災の津波で長く塩水を被った地域の蝉の幼虫達は果たして無事だったのだろうか:-)。

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6月17日号のブログの巻頭で満開の写真をご紹介したからご記憶だろうか。お盆だと謂うのにうちの玄関先では何故か未だに紫陽花がしぶとく一枝咲き残っている、咲いてから3週間以上経つのに少しも色褪せず瑞々しいのが不思議でならないが、毎夕しっかりと撒水して遣っている私への感謝の気持ちだと思うことにしよう^^。
ミンミン蝉と謂えば戦時中私が姫路の山奥へ疎開して居た頃のことだが、住居の近くにあった西国二十七番札所増井山随巌寺(姫路市白国)の参道の途中に名前は知らぬが柳に似た木で朝だけ必ずミンミン蝉の鳴いている木があり、虫取り網などなかった時代だったので、早朝4時頃に一人で山に登りそっと木の下に蹲(うずくま)り、蚊に刺されるのも我慢してミンミン蝉が恐らく産卵目的だろう少し宛降りてくるのを1時間以上も待ち続け、目の前まで降りてきたとき木の枝を擬した片手を振り下ろして捉まえる快感は得も言われぬものだった(^^)。此の蝉は羽根が白く背中に青い模様が入って居て今思えば翡翠のような輝きを持ち、それはそれは美しい蝉だった。友人の居ない私には昆虫達はキリギリスに限らず親しい友であり、65年以上も昔のことだが未だ忘れられぬ懐かしい想い出だ(^^)。
後3日で終戦記念日だ、終戦の頃私は国民学校4年生、あの日から今年で67回を迎えることになるから私も年老いたな。終戦と聞くと決まって想い出されるのは、帰りの燃料の代わりに弾薬を積んで南に飛び立ち散華(さんげ)した多くの知覧少年特攻隊員だ。出撃の前夜、言葉に尽くせぬ世話をして貰った軍の指定食堂の小母さん鳥浜トメさんに「明日此の時刻にホタルになって帰ってくるから戸を閉めないでね、部屋に入ってくるから追っ払ったらだめだよ」翌夜本当にホタルが入ってきて皆を愕かせたのは映画にもなったから有名だが、ホタルの話は兎も角として高倉健さんには悪いが此の映画には嘘が多い:-)。真実を知りたい人は鳥浜トメさんの娘である赤羽礼子さんの書かれた「ホタル帰る」を読まれるべきだろう。
皆さんには「ホタル帰る」の次の一節を是非お伝えしたいと思います。
『少年飛行兵達の指導を担当した教官藤井一中尉は幼気(いたいけ)な少年兵達が次々と戦死する悲報を聞くにつれ、子供達だけを死なす訳には行かぬと決意し自らも特攻隊員を志願した。若くもなく家族のある将校などは特攻に採用されない決まりであったが、却下されても却下されても彼の意思は変わらず、最後には血書して願書を提出した。反対して居た中尉の妻も夫の決意が揺るがないことを知り、後顧の憂いを断つため、近くを流れる荒川に幼い二人の子供の手を引いて入水(じゅすい)し、「自分達が生きていては心残りでしょうから、お先に逝って待って居ます」と遺書が残されていたそうだ:-)。』血書の願書に加えて妻子の自死は流石に軍上層部も決断せざるを得なくなり、藤井中尉の特攻志願は受理され、昭和20年5月28日彼は知覧を飛び立ち還らぬ人となったが、私は此を読んで、中尉がきっと黄泉の国で愛する妻と幼い二人の子供、そして大勢の少年飛行兵達の笑顔に迎えられての再会が果たされたに違いないな、と思った。「夫婦は二世(注1)」と謂われ、夫婦の縁(えにし)はこの世ばかりでなく来世も続くと謂われて居るが、本当にそうであって欲しいなと私は神に祈った。
我々の周囲の哲学は終戦を境に何時とはなく観念論から唯物論の世界となって久しいが、私はこんな「あの世」って本当にあったらいいなと思った。そして無垢の少年達を騙(だま)してろくに飛べもしない欠陥機に乗せ敵地に送り込んだ軍部の連中の末路は「あの世」で地獄の業火に焼かれたに違いないと思うことにした:-)。
さすれば私なんかはどうなんだろうかと振り返って見ると、此までの所業よりどう考えても地獄の業火に苛(さいな)まれることになるとしか思えなかったが、此も自業自得と諦めねばなるまいな(;;)。
戦前は男女の距離が遠く、婚礼の日初めて相手の顔を知るような環境が多かった中を、お互いが己を弁えて不平も唱えず夫婦となって琴瑟(きんしつ)相和する者が多く、妻は夫の教えに対し誠心誠意敬い慎んで仕えるのが務めであった。夫婦は傍目にはお互い距離を置いているように見えても、実際には目に見えない強い絆で結ばれて居り、夫婦は二世、一心同体と堅く心に信じて居れたから、藤井中尉の夫妻のような決断ができたに違いない。戦後は「好きだ好きだ」と親に逆らってまで一緒になった二人がちょっとした諍(いさか)いで別れ、半年も待たずに違う男に身を任す身勝手な連中ばかり出てきた此の不条理は一体何処から来たものだろうか。我が国の高度成長以後我々は餓える貧しさから逃れることができた代わりに忍耐とか我慢と謂う言葉が忘れられてきたのでなかろうか:-)。
「ホタル帰る」を読んで私は我々自身の持つ倫理観を「唯念仏して、阿弥陀仏に助け参らすべし」と、親鸞の時代にまで遡って考えねばならぬと思ったものだ。
卓球女子は初の銀メダルに輝いたが、女子の卓球選手は中国を含め20カ国が中国出身の帰化選手だそうだ:-)、石川選手など全5試合の相手全てが中国人だった。彼女が準決勝で負けたシンガポールの相手も中国人やないか、石川選手にせめて一回位他所の国の選手と戦わせてやれなかったものか!
男子サッカーは宿敵韓国が勝利し、我が日本は敗れた(;;)、何と言っても勝利への執念は「メダルで兵役免除」だったろうな、我が国にも兵役があれば負けなかったものを…:-)。
韓国と謂えば人気の凋落した李大統領が威信回復に一昨日島根県の竹島に上陸して殉職者の献花などをしたと大騒ぎになり、政府は慌てて駐韓大使を帰国させたりしているが、昭和29年から韓国の警備隊が常駐し、韓国住民が生活して居るのだから、今になって「うちのもんや」と騒いでもダメだろう。領土であると主張するなら当初から竹島に海保を配置し、周辺海域での日本漁民の漁獲活動を援助せねばならぬ処を現実は韓国の漁場とされ、島に韓国人が棲んでいるのでは政府は何をしていたのかと指弾されても仕方がない。従軍慰安婦問題で政府の腰が引けているせいだろうが此は別の話ではないか、竹島の領有権を巡っては韓国側が何かする度に一応抗議らしきものをしているが、抗議のみで何もしないことを相手に読まれており、世間では此を「痩せ犬の遠吠え」と謂う:-)。北方領土についても同じことが言えよう。消費税を上げることばかりに憂き身を窶して情けない政府だな!
先週の常用漢字表外読みの答え
殊更に(論う)な (あげつらう)でした
今週の常用漢字表外読みの問題
指先が(潤びる)
(注1)
「二世(にせ)」とは現世と来世、この世とあの世のことであり、古来「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世(さんぜ)」と謂われる。