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野坂昭如と「四畳半襖の下張」裁判

ベコニア

今年も後4日となりました。一年の経過の早さには目が廻りそうだ。庭の花も枯れてしまって残っているのはカタバミ以外には露地植えのベゴニアだけとなっている。此奴は葉が肉厚で少々雨が降らなくても枯れないから根っからの不精者には最適の優れ物だ^^。私は赤より白い方がずっと好きです。今年もとうとう最後のブログ更新を迎えることとなったが、恙なく(でもなかったけれど…)一年を終えることができたことを神様に感謝したいと思う。

作家で歌手更に参議院議員として政治家でもあった正義の使徒野坂昭如が今月9日85歳で波乱万丈の人生を終えられた。
今から43年も以前のことだが、戯作家として戦前一世を風靡した永井荷風の著作であるあの文語体の名著「四畳半襖の下張」を彼が月刊誌の編集長として掲載したことが当局の目に触れ、此の作品が既に昭和23年最高裁で猥褻だと罰せられていること、過去のD.H.ロレンス著伊藤整訳の「チャタレー夫人の恋人」事件(1957年上告棄却)、マルキ・ド・サド著渋澤龍彦訳の「悪徳の栄え」事件(1969年上告棄却)を踏まえて裁判所が野坂昭如に有罪判決を出したことに対し、高裁での控訴審で文学作品の論評には欠かせないその道の専門家である五木寛之、石川淳、井上ひさし、有吉佐和子、吉行淳之介、開高健を始め国文学者の吉田精一、批評家の中村光夫など綺羅星の如き多くの著名人が証人として出廷し、「昭和50年代ともなれば時代の推移とともに猥褻の定義も変わるのだ、此の作品は優れた文学作品である」と様々な証言がなされ、野坂昭如の無罪を縷々と訴えられた事件があったことをお歳を召した方ならご記憶だろう。
女性の裸もとっくに解禁になった昭和50年代後半に文学にまるで門外漢である検事や判事達が、文壇の権威者達の意見にどうして従わないのか不思議でならず、此の名作が有罪になったのか当時訝しく思って居たのだが、此の事件の特別弁護人となった丸谷才一のエッセイ集「コロンブスの卵」から「四畳半襖の下張裁判」の弁論要旨を読ませて頂いた、そして私はその要旨から此の裁判に野坂昭如が何故敗訴したかの原因を理解したので皆様にお聞き頂きたいと思う。
この裁判で野坂昭如を擁護する何れの控訴人の証人も著名人であり語り口は理路整然として明快であり、中でも開高健の2時間半に亘る証言は絶賛もので裁判官が時間を過ぎても閉廷を言い渡すのを忘れた程だったそうだ。出廷しているどの検察官や判事から見ても証人は自分達より遠くて高い教養の持主であるため抗弁することができず忌々しくも同感せざるを得ず歯軋りして己が無知を悲しんだことと思う。然し控訴人の致命的な失敗であったのは、巷の声を判事達に聞かせたい一心であったろうが、唯一人市井人で家庭の主婦であった水沢和子証人を出廷させ証言させたことだったと私は考えた。
証人水沢和子の弁論は「此の作品に一般的な善悪はありません、私の子供が大きくなってから読んでも一向に差し支えありません。寧ろ、うちの子供が斯くも難しい文章を読める学力があれば嬉しいと思います」と胸を張ってのものだった^^。此を聞いて職業柄酒席でも猥談一つできない堅苦しい判事達は自分達の世俗への無知を思い知らされ屈辱の怒りで瘧(おこり)のように身体が震えたに違いない。著名人から語られるのなら許容できても一介の主婦の発言では到底聞く耳を持てなかったろう。斯くして「四畳半襖の下張」は最高裁に於いても上告棄却、野坂昭如は罰金10万円が確定したが、一寸の虫にも五分の魂というから、全ては判事達のプライドをズタズタにしたのは主婦の証言であったろうね。此の主婦さえ出廷しなければ判事達は証人の社会的な地位と高邁な思想に尻尾を巻き野坂昭如は無罪が勝ち取れて居たに違いないと思う。そう言えば古来「お前にだけは言われたくない」なんて言葉があったよな^^。水沢証人は性に淡泊な質(たち)であって文語体の流麗な文章の巧みさに魅せられ芸術作品としか考えなかったんだろう。だから書かれた内容については少しも拘る処がなかったのではないかと思った。そうでなければ「うちの子ども云々…」など到底母親として言葉に出せる訳がなく、是認すれば検事や裁判官が芸術作品に対し態と卑猥な解釈をして居るようになってしまうからどうしても無罪にできなかったのだろう。そして水沢証人が我が子を引き合いに出さなければあのとき野坂昭如は勝訴できたと思う。然うしたら彼は勲章の一つも貰えて居たのではないだろうか。証人丸谷才一は文化勲章を貰っているもんね。合掌

懲役刑

野坂昭如さんの裁判が巷の良識者から批判を受けるようになって、漸く法曹界も此れではいけないと古から踏襲して貪っていた眠りから目覚めたのか、その後最近になって殺人事件の時効廃止や刑罰の長短に刑法が変更されるなど劃期的な判断が行われているが先日の新聞で劃期的な判決が載せられていた
裁判は二つあり、新聞左には前方注視が困難な状態になる程酔って、車を運転し乍らスマホに夢中になり、道を歩いて居た通行人4名を跳ねて3名を死亡させ1名には重症を負わその場から逃走した悪辣な若者に対する判決であり、右には女子中学生を連れ出したと男が「猥褻目的略取」と謂う罪に問われた事件の判決であった。
判決結果は左が懲役22年で右が懲役16年だった。一瞬だが左は軽くて右は重いと感じたのだが、どうしてなんだろう?酩酊運転で3人もひき逃げして死亡させれば無期懲役が最低刑だと誰もが思うし、女の子を連れ出しただけで何も悪さをしていないのだったらせいぜい懲役5年辺りが精一杯ではないかと思うが時代が変わってきたんだ。
30年も前だったらきっと左の事件は殺意がないとして恐らく懲役7年位だったろうし、右の事件は精々懲役3年で執行猶予が付いたと思う。世間の目が段々命の尊さや、被害者の少女の心の傷の深さに思い至るようになったからだと思われる、頭の固い裁判官も法律の条文への拘り(未成年を猥褻目的での誘拐略取は刑法で7年以下と定められて居る)を捨てて被害者やその家族の心情を思い遣る時代になったようだ。
5両盗んで打ち首獄門になった江戸時代から比べて、終戦後は法律が軟化し犯罪人の罪が驚くばかりに軽くなって居たが、ここに来て法より重い刑が増えていることはとても喜ばしいことだと思う。裁判員裁判で死刑も出されたしね…^^。

従軍慰安婦の噓

50年前にキッパリと決着した筈の従軍慰安婦問題が又もや再燃し韓国が我が国から更に賠償金をふんだくろうと居ている(>_<)。何処まで汚い連中だ!
写真は戦時中我が国公務員の月給が45円であったとき月給300円で公募された広告だ。我々も我もと応募したが器量の悪い者は全て落とされたそうだから、戦後其奴等の僻みを朝日新聞が記事にしたのが発端だ。悪いのは朝日新聞とそれに便乗した韓国だ。何が強制連行や!朝日新聞は恥を知れ!それにしても韓国は底意地の悪い国だね。

先週の書けないけど読みたい漢字
風船が窄(つぼ)む

今週の書きたいけど読めない漢字
開いた花が(窄)む

皆様どうぞ良いお年を…

「親鸞」が読めない若者

鯉のぼり

最近は子どもの節句になっても鯉のぼりなど見掛けることが久しく寂しいな…、など思っていたが先週5日の早朝翡翠(かわせみ)の訪れる福田川の川縁(べり)を散策して居たら大町公園付近にあった、あった^^、百個ではきかぬ無数の鯉のぼりに願い事短冊などが川べりの対岸まで10数本の縄を渡して吊してあった。前の日に仕上げられたんだろう^^。洗濯物じゃ無かったんだ^^。風が吹かなかったのが残念だったがそれにしても両岸渡しの工夫には相当な労力が必要だったに違いない。福田川の鯉もビックリしたろうね。
♪屋根より低い鯉のぼり♬ だったな^^。

キリギリス

ジャーン、今年もうちの庭にキリギリスが多数誕生した。叢(くさむら)をピョンピョン跳び刎ねている、50匹以上は居るようだ、悪い目を凝らし乍ら何とか近寄り撮影に成功した^^。もう生まれて半月以上経っている様子、何を食べて居るのかしら?カラス豌豆の近くに沢山居るから豌豆でもたべているのかな?でも此奴は雑食性なので共食いが心配だ(;;)。

長い連休が終わってうちの前は何時ものように何時もの人の通勤路に戻った。この道は土地勘のない人には分かり難いし曲がりくねった路(うちを訪ねてくる人で間違わずにちゃんと来れた人が居ない)だが、対向車が躱(かわ)し難いために車が少ない処を好んで誰もが通勤路に利用されているようだ。几帳面に毎日1分と違わず通られる方が結構多いのは庭先に居ると跫音のリズムで大体その人の見当が付く、7時20分決まってピンヒールで全速力のお嬢さんも居る^^。転けたらどうするんダロ(>_<)、煙草を吸いながらの人は減ったがそれでも早朝6時台の10人に一人は煙草族だ、うちから駅まで7分あるから道端か側溝にポイだろうな、年配者も結構多いから肺癌が怖くても今更止められないんだろう。私は44歳で止めることができたのは好運だった^^。 或る雑誌に五木寛之さんがエッセイを書かれて居た。彼が「親鸞」を新聞連載した折、是非題名に振り仮名を付けて欲しいと頼んで新聞社の編集者に怪訝な顔をされたそうだ。仕方なく新聞連載の「親鸞」には大きな「しんらん」のルビが書き添えられることになったが、五木さんにはご自身で苦い思い出があり、書店で親鸞の「歎異抄」の帯に若いカップルが「これなんて読むの?」「おやどりだろ?」と話すのを聞いていてガッカリしながらも最近の若者の国語力の低さから「親鸞」に仮名付けの必要性を感じられたそうだ(;;)。「親鸞」の「鸞」は鳳凰の一種で神鳥の名だが誰も識らず書けない字で「親鸞」以外に使われて居るのを見たことがない。だから「親鸞」って読めるけど書けない字だと思っていたが、最近の若者の教養が低下しこの言葉も読めなくなったようだ(;;)。「歎異抄」など読まないのかな?「善人なおもて、往生をとぐ、況んや、悪人をや…」など万人が周知している言葉だと思っていたがそうじゃなかったんだね。五木寛之がルビを振りたくなる気持ちがよく分かった。

先月だったか将棋の話題に触れた。私は将棋は指せないし銀が横に行けぬこと位をやっと知って居る程度の超初心者だ。でも勝負の呼吸だけは心得て居るつもりで新聞二紙の将棋の観戦記は全て読んでいる。概して観戦記者はアドバイザーであるプロ棋士の着手への読みをその儘筆にするので棋力のある方には面白くても私のような超初心者にはチンプンカンプンだ。その点プロ棋士自身が観戦記を書かれる場合は、当然乍ら余り着手に拘らずに対局者の心理描写などを主として筆にされ読み物になっているから気持ち良く勝負の場の雰囲気に浸れる。特に島朗9段が観戦記を書かれる場合はプロ跣足(はだし)の筆達者だから、対局場の臨場感にどんどん引き込まれてしまう。私のように将棋を知らなくても観戦記を読んでいる者が居るんだから新聞社も一度将棋を知らない色んなエッセイストに観戦記を書かせたらどうかなと思う。阿川佐和子さんなんかどうだろうか。

詰将棋

その阿川佐和子さんだが先日週間文春で羽生名人と対談されたのを読んで居たら二人の息がぴったりで面白くその上阿川さんが私と同じ位初心者なのが分かった^^。羽生さん曰く「相手が長考していたので対戦相手がその間に散髪に行った」など、阿川さんでないととても聴けない面白い話ばかりだった。阿川さんは最後に羽生名人に超初心者向けの詰将棋を2つ出題されて苦心の末やっと解けた。3手詰めと5手詰めだが、阿川さんが解けるならと私も頑張ったら解けた、詰将棋など解いたことがないし解けると思ってなかったから嬉しかったね^^。

来週の17日は大阪市で愈々住民投票だ。公明党が反対で創価学会が中立と良く分からない戦いだが、都構想を愁いて居る連中が決して少なくないことを橋下さんは忘れなさんなよ。都構想と言っても決して大阪都になるわけでなく大阪市内の区が直接大阪府北区や南区になるだけだが、現在の24区が5区に減らされるのは経費削減の行政改革なんだろうがそれなら行政のサービス低下は避けられないし、現在各区が使用中の施設をどうするのか区の減少に伴い廃止されると思うが大阪市民にしてみれば不安でならないと思う。先ず600億円の庁舎の財源を何処から調達するかだが、税金しかないよね?特区にしても西成区を抱えこむ新中央区は迷惑だし、貧乏区と金持区の差が激しく区民の受けるサービスが大きく違って来るから道一つ隔ててゴミの日が減ったりと不満の声が大きくなるのではなかろうか(;;)。将来の構想も曖昧模糊として居り、賢い市民は間違いなく反対票を入れるだろう、その実、橋下さんも将来の構図など何もできていないのと違うのかな?
特区になれば住所の変更に伴う登記不動産の書換や会社の本店所在地の変更登記などが必要になるが申請書を書いたり法務局の手続きが素人には煩わしいので司法書士会だけは大歓迎だろうね。わたし的には橋下さんの都構想は時期尚早であり、経済界の中心が東京主導で動いている以上大阪は百年経っても東京都になれないことを察するべきだと思う。

先月29日米議会での安倍総理の演説を受けて、米のハーバード大学等教授多数が旧日本軍の従軍慰安婦問題に触れ、過去の侵略の過ちの清算を求めて総理に対し4日声明を送付したと報じた、戦後70年に際して日本が世界の祝福を受けるには歴史解釈への謝罪が必要だそうだ、今更何を…?韓国にでも乗せられたか!
日本人は黙して誰も語らないが、終戦後我が国に上陸した低俗なアメリカ兵達が我が国の多くの子女に対して働いた無体な凌辱の数々を彼等が知らないとは言わせないぞ、女性の尊厳を奪い去ったのはお前達の同胞じゃないのか!金を貰って身体を委せたプロとは大違いだ!謝罪すべきは安倍総理ではなく従軍慰安婦を帯同せずに日本に来たお前達アメリカ兵ダロ(>_<)。「戦後日本の歩みは祝福に値する」だと?「祝福を受けるには歴史解釈が障碍になっている」だと?巫山戯るな!要するに日本が戦後GHQの横暴にも屈せず瓦礫の中から這い上がって今日を築き上げたことが妬ましくてならないんだろうな。そんなことより、原爆投下を一度位「ゴメンナサイ」と言ったらどうだ!

先週の書けないけど読みたい漢字
彼は身動(じろ)ぎもしなかった。

今週の書けないけど読みたい漢字
(遽)しい朝のひととき