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伊集院静の生涯~I

寒くて冷たかった先週月曜日の朝起きると、事務所玄関横に据えたメダカを育てるためのバケツ型の大水槽に張った氷の上で赤ちゃんヤモリが凍えて横たわって居るではありませんか(゜o゜;。冷たくなって動かないので何とか蘇生させようとストーブの傍らに置いてお湯を張った茶碗を添えて懸命に介抱して遣りましたが、午後になっても蘇生せず死んでしまったようなので、哀れに思い畑の一隅にお墓を造って祀ってやりました(;;)。ヤモリさん、来世きっとはトカゲに生まれ変わって下さいね(^0^)/。そうすれば仲間も沢山居るし昼間堂々と庭を闊歩して虫を沢山食べて長生きできますよ。

 

我々の平均寿命は私の幼い頃は50歳位であったのが何時しか日本経済の進歩により衣食住に困らぬ豊かな生活がずっと続いたため、現在では平均寿命は男性が81歳(女性87歳)と長くなって、私自身が男性平均年齢を8歳も越えて生きて居ることは大いに喜ぶべきでありますが、近年ふと考えるに少し生き過ぎたような感触が出て参りました。それと謂うのは垂水駅への往還に車の通行が少ないからか、近道なのか、うちの家の前の4m道路を選んで通っている話はあまりしないけど顔を覚えていた小学校中学校の同級生達が、以前はかれこれ十数名以上朝夕に見かけて居ました。見かけたからとて話し掛けたりする間柄でもないので何となく会釈めいたものをお互いが交わしていたのですが、近年通る方が少し宛減って、今では誰一人見掛けなくなりました(;_;)。考えて見るに近くに新しい近道ができた訳でもなくきっと家で寝たきりになられたか或いは冥府へ旅立たれたものと思い、私の方が長く生き過ぎたのではないかと後ろめたい思いに駆られて居る今日この頃です(;;)。

閑話休題、本日の表題に登場した「伊集院静」と言えば文学好きの方なら誰もがご存知かと思いますが、一昨年11月に74歳で皆に惜しまれ早逝されましたね(;;)。彼は亡くなる直前まで長く「週刊文春」にて「身の上相談」の解答者をされており、彼の辛口を好むファンが結構多くてとても好評であり私も長く愛読させて頂いて居りました^0^/。

彼が亡くなられてから「伊集院静」は一体からどう謂う人なのか?と好奇心から何気にネットで彼の出自を調べてみると意外なことが判明したのでした(゜o゜;/。
それは先ず伊集院静さんの両親が共に韓国人であって(゜o゜;、彼は1950年山口県防府市出身の在日韓国人2世で彼の誕生名は「趙 忠來」(チョ・チュンレ、ハングル表記では「조충래」)と言ったのでした(゜o゜;。日本に帰化する際に西山 忠来(にしやま ただき)に更えられたそうです。両親が結構裕福だったのでしょう、山口県立防府高等学校から立教大学に進み文学部日本文学科を卒業されました。当初は立教ではなく美術大学に進学するつもりで居られたようですが、当時読売ジャイアンツに所属し1963年日本シリーズ胴上げ投手だった義兄(実姉の夫)高橋明の影響で高校の夏休みを利用して東京に行った際、偶然にもお逢いしたミスター・ジャイアンツこと長島茂雄本人から「野球をするのならセントポール(立教)に行きなさい」と言われ、その鶴の一声で立教大学への進学を決められたそうです(゜o゜;/。入学時に野球部の寮に世界文学全集を持ち込んで入寮したため、変わった新入部員として注目の的になったとか…。処が野球部の練習で肘を壊してしまって已む無く野球部は途中で退部し、昭和47年に立教大学文学部を卒業されました。

卒業後は広告代理店シマ・クリエイティブハウスにディレクターとしての勤務を経てCMディレクターになって平凡な一般女性と結婚し、二児を儲けましたが何故か理由は不明ですが1980年に離婚されて居ます(;;)。離婚に当たっては当然に養育費の支払いが発生したと思いますがその辺りについては明らかではありません。その後CMディレクター仕事上で松田聖子 薬師丸ひろ子 和田アキ子等のCMほかファッションショーなども手掛けられて居ました。またロック・バンドのレイジーのプロデュースも任され、レイジーはそれまでのアイドル路線を捨ててハードロック路線に転換するきっかけ作ったのは彼だったそうです。(来週に続く)

 

日産自動車は今期の最終損益が「稼げる車がない」ために業績悪化が続きリストラ費用が見通せないなどとして「未定」と下方修正しました。然し北米事業の不振をメキシコで埋めてきた処をトランプ氏のメキシコからの関税引き上げの一言を受けて後がなくなり経産省に泣き付き、経産省の依頼で渋々とホンダが日産を救うべく経営統合(ただし子会社化)を呼び掛けましたが内田社長はガンとしてこれに反対したのです/。私の察するに日産の内田社長ほか役員たちは、ゴーン当時から私利私欲のための社長給与以下役員給与の高さでは他社に勝り、内田社長の23年度給与は6億5千7百万円とホンダ社長の給与4億円を圧倒的に上回っている処から恐らく責任を取らされて退職金も削られるのを嫌ったものと思われます。会社の成績より我が給与を優先することしか念頭にない社長だからこんな非道い成績になるのだろうと私は確信したのでした。来春には5800億円にも上る巨額社債の償還期が到来しますが、社長は一体からどうするつもりなのでしょうか!会社を食い物にして恥じない社長はとっとと去れ/!

 

先週の読めそうで読めない字      乙張(めりはり)のある文章

今週の読めそうで読めない字      (終の栖)

遅かった税理士法改正

皆様新年明けまして御目出度う御座います
お正月は如何お過ごしだったでしょうか?私はこの正月でついぞ思いもしなかった88歳の米寿を迎えることになりました。戦時中から戦後の食料難時代に耐えて生き残り、更には60年に亘って税理士として学び且つ戦った年月が感慨無量です。このブログの終焉も何れ遠くないと思いますが、日増しに難解となる税金の仕事をするには柔軟な脳が必要であり、脳を柔軟に操るには日頃の好奇心を決して忘れないことだと信じている私は、あらゆる方面にアンテナを張って躰の続く限りこの仕事を続けて行きたいと願っています。

 

お正月にお送りする花は先月ご紹介した裏庭にひっそり咲く十両です。花じゃないからひっそり生っていると書くべきかもしれません。昨秋に一度登場しましたが寒さが増すに連れて随分大きくなり実も沢山付きました^^。この裏庭には普段太陽を好まない動物や植物が多く住みついて居ます。もう寒いのでオケラやトカゲ(カナヘビ」は冬眠とっくに冬眠していますので見かけませんが、一昨日奥庭掃除の折にヤモリを見かけたので此れもご覧頂きましょう。名前通り家の中に住む悪い虫を食べてくれる益虫です^^、目がクリクリ飛び出し、可愛く私の掌で戯れています^^。

我々の業界機関紙である「税理士会」12月号にて令和4年度税制改正大綱に於いて納税環境整備を掲げて税理士制度の画期的な見直しが明記されました。経済界に於けるウイズコロナの対応も含めてICT化への対応について税理士も「納税者の利便向上及びその業務の改善進歩を図るよう務めるものとする」との規定が設けられ、税理士業会でも電子化を推進し、更には税理士試験科目から受験資格を撤廃するとともに税法科目についても一定の専門課程終了要件を外す画期的なもので受験希望者の門戸が大幅に広がっては大学1年生からどんな学部でも受験が可能となります。既に我々業界では日常業務が帳簿処理、申告書作成共に電子ソフトの使用なくして仕事にならないのが実情であり、改正はむしろ遅きに失した感があります。思えば今を去る30年前大学院博士課程を終了した愚息が、学校での這般の事情により止む無く進路変更を余儀なくされましたが、学歴が嵩高くて同期は大手企業の課長に手が届く地位にまでなっており、それでは受入れ側が難色を示すのは当り前で大学院時代に合格した公務員一種試験合格資格も宝の持ち腐れとなり、止む無く母親の強引な命令を受けて故郷に帰るべく税理士試験を受けようとしましたが、理学部で数学とコンピュータで9年間世界を過ごし、経済学や法学と全く無縁であったため摩訶不思議、税理士の受験資格が何処にも見当たらず、暗中模索の結果、遠回りでありましたが公認会計士に合格し、その資格によって税理士資格を得ることを知ったのですが、税理士試験の受験には大学の経済学部法学部商学部での専門科目の受講単位歴が要件とされるに反し、公認会計士は大学教養課程終了のみであって学部等は問われず、考えれば格が上のはずである会計士の受援資格が緩いなんて摩訶不思議な規則でありました。愚息が公認会計士二次試験に合格して私の事務所に入所した28年前には既に税理士業界はIT化の黎明期にあり、もう生涯神戸に帰ることはないと家を送り出した子供の思わぬ帰神によって、瞬時にして事務所員全員のパソコンがネットワークによって連結され利便性の高い事務所構築がなされたことは文系人間の典型である私には望外の喜びであると自らの幸運に驚き、仕事とは無縁であっても子を想う母親の一心から、彼の学業と私の仕事の大きな乖離を何も分からぬ妻が只管(ひたすら)子を思う故に彼の帰郷を主張したことには心底から感謝したのでありました。

 

昨年末大阪北新地での大量放火殺人事件の犯人が、自らも事件によって死亡したため、捜査本部と多くの遺族が事件の真相に接する機会を失って困惑することとなりましたがコロナ禍により殺伐とした世相の中、これからも他人を巻き込んだこの種の自爆事件が多発するのではないかと憂う毎日です。世の中には自分の不幸を自らのせいにせず世間のせいにする世を拗ねた輩が絶えませんが、早く正義が勝つ無事平穏な日々が我々の許に帰還することを願うばかりですm(_ _)m。

 

元日には多くの方から賀状を頂きました^^。本当に有難うございました。でも何故か今年に限って『本年を持って賀状を終わらせたい』(終活年賀状)とのお便りが数通も届きました。老後資金に対する過剰な社会の風潮でしょうか、何れも私より若い方からであって「切り捨てられたんや!」との思いで私は大きな衝撃を受けています(;;)。ペーパーレス化により会社単位で年賀状を出さない会社も多くなってきたようです。
私は昔は親しくても今は日常の往還がない方であってもお互いの安否を賀状のみで確かめあっている方が数十人居られますが、賀状辞退の理由が手間暇や経済的な理由ではなく、違った処に位置するように思われとても不愉快です。出したくなければ止めれば良く翌年から届かなくなると思いますが「もう賀状出しませんよ!」の宣言には「私がなにか悪いことでもしたのか!」と毎年楽しみにしていた遠い昔からの絆を断ち切られたショックがとても大きいです。皆様は如何お考えでしょうか?

 

先週の読めそうで読めない字    陽炎(かげろう)のように儚(はかな)い

 

今週の読めそうで読めない字    (遮莫)