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マーフィーの法則


7月の声を聞いて梅雨開けが待たれますが、連日の雨で喜んでいるのは庭のカエル位であり、雨音に負けぬ鳴き声はご近所の顰蹙(ひんしゅく)を買っているようです(;;)。天気の良い日カエル達は何時かの写真のように全員?ビオトープで寛いでいますが、雨が降るときと夜は池から這いだして其所此所で鳴きだしますから、カエルには身体の表面に水分が必要なのではないかと思われます。池のメダカが一向に減る様子がないので食事は夜間庭を散策してカメ虫などを食べているのではないでしょうか(^^)。
今日は兵庫県の知事選ですが、告示前から井戸知事の勝利は決定的であるため県民の関心は全く向けられず投票率は恐らく過去最低となることと思います。共産党が何時ものように支持者の数読みだけの理由で出馬したため、選挙管理委員会が告示から投票そして開票に至る間に費消する金額は莫大なものであり、此等を全て我々の血税で賄うことになりますから愚かしい話です、全く以て人の褌で相撲を取る共産党は税金泥棒と言わねばなりません。泡沫候補の出馬が予想される場合は知事選の供託金を1千万円位に上げて没収し、生活保護家庭の給付金にでも充当したらどうでしょうか?共産党は志位委員長初め歴代委員長は誰も凄くお金持ちですが普段彼等が言っていることとしていることが全く矛盾していますがおかしいですよね?
自民党の大物である古賀誠選挙対策委員長が形振り構わず宮崎県の東国原知事への衆議院選挙立候補の要請に対して、彼が投じた“私を次の自民党総裁候補として衆議院選挙を戦うお覚悟はおありかな?”との爆弾宣言には自民党内だけでなく日本中に大きな波紋を投げかけました。彼には本気で総理になる気などさらさらなく、彼の言っていることは自民党を嘗めた訳でも馬鹿にした訳でもなくて、自民党が選挙に勝つためには党が180度転換し身体中の膿を搾り取り血を入れ替えて選挙に臨まねば絶対に勝てぬと言いたかったと思います。
一昔前曾て大平内閣の時代の出来事ですが、大平総理が急病で入院した際に総理の代理を務め乍ら一度も総理の部屋に入らず官房長官室で仕事をし、閣議の際にもついぞ総理の席に座らなかった改革派の実力者である文字通り正義の人伊東正義が竹下内閣の末期に再三総理に懇望され乍ら『本の表紙を変えても、中身を変えなければだめだ!』と党総裁イコール総理のイスを蹴ったのは余りにも有名な話です。会津藩の出身で私利私欲のない頑固者でしたが、この人が総理にならなかったことで自民党の膿が如何に酷いものだったか分かるような気が致します。15年前80歳で黄泉の住民となられましたが、その後この人を超える政治家が出ないのは悲しいことであり、歴代総理が誰も彼も膿の塊のような奴ばかりなのに呆れ果てますが、“そのまんま東”変じて東国原知事の発言は遂に自民党の命運が断たれようとしていることを示唆しているのではないでしょうか。
最近の新聞記事『明日への話題』を読んでいたら “最悪のことが起こる公算が思いの外高い”と謂う経験則のことを“マーフィーの法則”と言うのだそうです。米連邦準備委員会の元副議長であったP教授が発見した経済政策に於けるマーフィーの法則は“経済学者の知見が最も不足しており、意見のばらつきが大きいとき経済学者の影響力は最大となる。そして複数個の競合する政策提言が与えられたとき、採択されるのは最悪のものである…”だそうですが、この分かったような分からない小難しい法則の中からは、経済学そのものが未だマルクス派、ケインズ派と正反対に別れてそれぞれ衰微もせずに生き残っていることが我々衆生には理解し難いことであり、突き詰めれば現在の経済学が考古学のように太古の理論をその儘踏襲して少しの進歩も見られず、経済学者は我々が現実に直面している経済情勢への対応に対し例えば2年前にアメリカ発で勃発した所謂21世紀型恐慌サブプライムローンに対しても、彼等は何らの解決策をも持ち合わせなかったと謂うことは、現在のエコノミストの知識がヘッジファンド資金の流入や流出、更には債券化された金融派生商品に対する対策などに対し基礎的な認識が欠落しているのではないかと思いました。我が国に当て填めれば嘗て小泉ブレーンとして怪しげな経済政策を実践し、挙げ句は失脚した竹中平蔵の持論の如きものが、“採択されるのは最悪のものである”ではなかったかと思ったものです(;;)。我が国の経済学者がアメリカの学者の言葉を受け売りすることで過去に犯した罪は少なくありません。倒産も当然であったGMの如く資本と労働の論理を逸脱し、労働者が筆頭株主である(社長より労働者の方が偉い!)ような会社が乱立するアメリカと我が国では同列に論ずることなど到底できず、我が国は似非経済学者の意見などに惑わされないで我が国自身の実体経済に即した政策は政治家達が庶民や中小零細企業の人々の生(なま)の提言を真面目に受け止める処から再スタートすべきではないでしょうか。実体社会の現実は経済学者の知識を遙かに超える次元に到達して居ると思われ“採択されるのは最悪のものである”この言葉は不勉強な世のエコノミストに対する痛烈な皮肉でありましたね。
竹中平蔵と謂えば20世紀の後半、年末に渡米しては年初に帰国し1月1日現在の住所地に課税する我が国住民税課税制度の盲点を突いて住民税を遁れていたことで一時国会喚問を受けるなどその姑息な手段が学者にあるまじき行為だと糺弾された胡散臭い男であることは皆様ご承知の通りです。
話は変わりますが、先週新聞の片隅に、我が国一流のエコノミストである東京都迷惑条例(ハレンチ罪)違反で起訴された植草一秀元早大大学院教授に対し、最高裁は一審二審の判決を支持し植草被告の上告を棄却して彼は懲役4ケ月の実刑が確定し間もなく収監される見通しとなりました(;;)。彼の事件は5年前に都内の駅構内で女子学生のスカートの中を手鏡で盗み見た罪で逮捕されてから、06年9月京浜電車内で女子学生のスカート内に手を入れて下腹部を触った罪に問われるまで都合3回ハレンチ罪で捕まりながら一貫して罪を認めず、彼自身のみならず家族までも彼の無罪を信じていたものですが、如何してこのような経緯になったのかとくと考えてみました。
世に一番に登場したのは冤罪捏造説でありました。初めて逮捕されたとき上草教授は民間TVの番組に出演され、竹中平蔵氏と反対の立場で経済分析をされていました。そして2回目の逮捕のときは矢張り民放の朝の番組にレギュラー出演されており、自民党が次の選挙で竹中平蔵氏を候補に選出しようとしていた最中でした。その頃小泉改革の成果によって日経平均が12000円に景気回復したとマスコミで宣伝していた際に、植草教授は”小泉首相が誕生したときに日経平均は14000円台だった。彼の政策の失敗で金融恐慌に突入しそうになった03年春に、公的資金を銀行に注入して救済した。これは小泉政権の失敗であるので政権交代すべきだ”と何度も繰り返し主張されて居り、景気回復というならば最低でも日経平均が14000円を超えていなければいけないと謂う持論を展開されて居ました。確かに竹中平蔵の唱えた理論はアメリカならいざ知らず日本では机上の空論に過ぎず植草教授の説は如何にも正鵠を得たものでありましたが、折りが折でもあり此等のことから植草教授(当時)に対する自民党の謀略によるものだとする植草冤罪説が芽生えてきたものです。然し国の経済政策に容喙するのは、多くの学者やメディアもすることで不思議でも何でもなく上記の事実を以て竹中隠謀説も的を射たものとは考え難いと思われますが竹中平蔵も日頃の出鱈目経済政策のお陰でとんだ濡れ衣となったようです(;;)
私が熟(つらつら)考える処、手鏡事件などで数回逮捕されたのは恐らく彼が生まれ付き完全なジキル氏とハイド型の二重人格者であって、犯行時の記憶が捕まったときには完全に消え去っており、目撃者の有無に関わらず完全否認の態度を貫いたものでありましょう。そうでないと迷惑条例違反で最高裁上告など聞いたこともなく、又本人に犯意があれば被害者に頭を下げて僅かな和解金で幾らでも告訴を取り下げて貰う機会があったでしょうが、本人に犯行の意識がないのでは行き着く処まで行くしかなかったようです。性の問題は個人差が大きくその無間地獄の恐ろしさは我々衆生には諮り知れぬ処ですが、或いは夢遊病者のようなものではなかったかと思われます。我が国有数のエコノミストがハレンチ罪如きで高い社会的地位を失うのは耐えられないことではありますが病とあらば仕方が無く我が国もあたら有為の人材を一人失うことになりましたから裁判所もその辺を何とか斟酌してやれなかったものでしょうか(;;)。
愈々東京都議選が始まりましたが、直前になって民主党鳩山氏に献金疑惑が勃発し清廉潔白なイメージを損ねて居ますから、自民党は負けは負けでも大敗を免れそうな雰囲気となって参りました(^^)。それにしても他人(ひと)から寄付を貰えば小沢さんのようにあらぬ疑惑を抱かれるのは当然でしょうが、自らが自分の政治資金団体に寄付をして何処がおかしいのでしょうか。その理由はある程度の寄付がないと民主党の重鎮として格好がつかぬ処からと察せられますが、政治資金規正法なんて我々国民には理解し難い怪しげな法律ですね?
今週は女子プロゴルフツアー初めてのお休みです。さくらちゃんも大いに鋭気を養って来週の札幌で優勝を狙って下さい。さもないと先週優勝した諸見里選手が好調で虎視眈々と賞金女王を狙っていますからご用心ご用心…

轢き逃げと飲酒運転


6月も最終週を迎え愈々憂鬱な夏本番を迎えることとなりました。先週は各地で豪雨に見舞われ、不幸にして水害に逢われた方々が数多居られた反面、香川県など県民の水甕がピンチで取水制限だとか…(;;)何故か今年の雨は局地的で男性的(今では女性的と謂うべきか…)な豪快なものに限られ、しとしと降る梅雨独特の雨は何処に行ったのでしょうか。此だってきっと地球温暖化のせいかも知れませんね。
先週『漢検』から検定料の取過ぎ分として500円が現金書留で返金されました(^^)。私は受験会場で問題と解答用紙(氏名印字済み)と引き換えに返して頂けるとでも思っていたのですが、実際には現金書留に500円玉一箇とお詫びの文書が入って送られて来たので、因みに郵便局で聞いて見たら返金額が、500円(1級~2級)が100円(8級~10級)であっても郵送料は書留料金の420円プラス封書代80円プラス現金封筒代20円であり、何十万通と大量に送る場合のバーコード割引などを最大限駆使しても半額までにはどうしてもならぬとのご見解でありました(;;)から硬貨の封入などの人件費を加算すると一体から検定料返却費用は幾らについたのでしょうか。500円なら兎も角100円返金するのに最低260円プラス人件費を要するとはこれ如何に?でありますが、この『漢検』の無駄遣いから判断して、『漢検』はもうすっかり親方日の丸となって官(文科省)の縄張りに入れられた如くであり、拘置所の大久保前理事長がこの事実を知らされたら恐らく血圧が急上昇し、脳卒中で倒れられることでありましょう(;;)
先々週の新聞に旧『漢検』とは別に新『漢検』が秋に発足するとありましたが、此方は完全な“民”であって教育者の方や漢字の有識者である専門家が発起人になられるとか…(^^)。受験の難易度は初級、中級、上級に別格と4種類に分類されるそうです。新旧漢検が並立して上手く競い合って呉れれば良いのですが、新『漢検』は官となった旧『漢検』に意地悪されてきっと押し潰されるのではないかと思われます(;;)が、潰されない内に一度検定を受けようと思って居ます(^^)。
先週コンビニ大手セブンイレブンが公正取引委員会から見切り販売(値引き販売)の不当制限について独禁法違反による排除命令を受けました。此は売れ残った食品を全て廃棄するよう本部から指示が出され、此に違反する店にはフランチャイズ契約の更新を認めないことを本部の指導員から仄(ほの)めかされていたものでありますが、公取委の調べによると無作為に抽出した加盟店1100店舗で1店辺りの年間廃棄量は仕入価額にして約530万円にも上ったそうです(;;)。
過去に資生堂が廉価販売をした廉(かど)で商品を卸して貰えなくなった小売店から提訴を受ける事件がありましたが、何れも大企業が自分達の業界を寡占し且つ自己の存在を誇示するために正価販売を強制するものであって、決して加盟店を助けようとしているものでなく、弱者(本部に貢献度の少ない加盟店)を淘汰しようとしているものであることは上記の廃棄損が物語って居ます。然も廃棄損については本部の負担は全くなく全額加盟店の負担とされる処から、今回の事件の提訴の発端となったものでありますが、私は廃棄損の加盟店負担の云々より資源不足が叫ばれて久しく、アフリカ等後進国に於いて1日数万人の餓死者が出る昨今、同じ地球の一部で斯くも異常な出来事は何としたことか…と全く以て地球環境に思いを馳せず私利私欲に走る彼等が心外でなりません。
セブンイレブンの加盟店は直営店を含めて全国12000店ありますから年間廃棄による損失は単純計算でナント!640億円(仕入価格)にも達する計算となり、大企業の経営者たる者は須(すべから)く自社の利益よりも地球規模で生きとし生ける者の利益を一義的に考えて行動すべきをセブンイレブンの態度は明らかに此に反するものであり、自分だけ損をしなければ廃棄物のことは関わりないとの態度は決して赦されるものではなく、我々は加盟店と違った立場から此を糺弾せねばならぬと考えました。公正取引委員会も単に加盟店の不利益を糾すだけでなく貴重な食糧の不法投棄に対し環境省と連携してセブンイレブンに峻厳たる態度で処分に臨まれることを切に願って止みません。
昨日の朝刊の記事ですが、昨年12月に富田林市で起こった轢き逃げ死亡が飲酒運転であることが明確でありながら、裁判官は飲酒運転が起訴理由に含まれて居ないからと加害者の建設作業員に執行猶予付きの寛刑を言い渡し、遺族の憤激を買っています。現在上告中の北九州市の三児死亡事故でも轢き逃げが飲酒運転の発覚を恐れてのものでありましたが今回も同様のケースであり、飲酒運転の有無は時間の経過と共に消滅して行きますから、捕まったときには酒気は消えており、轢き逃げは罪に問われても飲酒運転の方は霧の中となるためこんな馬鹿馬鹿しい判決になった模様です。
此では遺族が怒るのも無理はなく明らかに刑事訴訟法の欠陥であり、酒気帯び及び酒酔い運転の罰則を強化したことにより、結果的に轢き逃げの方が罪が軽くなった現行法に重大なミスがあると思われます。“逃げ得”などと俗に謂いますが、運悪く捕まってもそのときに素面(しらふ)に戻っていれば、飲酒運転で人身事故を起こしても直ちに警察や救急に通報するより取り敢えず逃げて酒気を去ってから捕まった方が罪が軽くなる現行法では誰だって逃げますよね。その結果直ぐに手当てすれば被害者が助かったケースだって出てくるでしょうからことは重大です。政府は臓器移植法などでもたもたする暇があれば、早速刑事訴訟法を改正して飲酒運転より轢き逃げの方の罪状を重くして下さい。
酒を飲んで車で他人(ひと)を轢き殺して逃げた結果が執行猶予だなんて何とも遣りきれぬ思いです。裁判官も飲酒運転が起訴内容に含まれて居なかったからと弁解などしないで職権で飲酒運転による極刑に処して欲しかったですね。判事は検事とグルか!
先週の6月24日は美空ひばりの祥月命日でした。彼女が亡くなってから早いものでもう20年が経ったそうです。“それがどうした”と言われると困るのですが、京都嵐山では当日没後20年の献花式が行われ平日なのに全国から2000人もの方が偲んで訪(おとな)わられたそうであり新聞の片隅に載っていました(^^)。
彼女の歌の上手さは天性のものでありそれは誰もが認める処であって国民栄誉賞受賞も当然ではなかったかと思いますが、私生活ではゴッドマザーの存在やら良き伴侶に巡り会えなかったことなど決して幸せな人生を送られたとは思えず、晩年は病魔に冒されて不遇な一生ではなかったでしょうか。世界的な指揮者であるあの岩城宏之さんによると“彼女が幼い頃にクラシック教育を受けていたらあのマリアカラスを凌ぐ世界の大歌手になって居ただろう”と語られて居たそうです。
私は美空ひばりが好きではありませんでしたが、私の思春期だった中学生当時、映画“悲しき口笛”でシルクハットを被りステッキを小脇に抱え燕尾服を着て妖精のようにスクリーンに登場したおませな美空ひばりが私達に与えた衝撃は大きく、美空ひばりは嫌いだが幼い頃の”ひばり“は好きだと思って居られる方は我々世代の方の中にはきっと多いと思います。私もその一人なのですが、正直言ってあの頃は戦後の荒廃期でもあり、食べるのが精一杯で娯楽など数える程しかなくその一つが活動写真でしたが、彼女の歌と燕尾服が食べることだけでなくあらゆることに空腹を味わっていた私達に藤浦洸の美しい作詞と共に、多くの夢と希望を与えて呉れました。あの時競演した津島恵子は綺麗でしたね、今でも此の曲を聴くと何故か甘酸っぱい郷愁に駆られます。然し、何もなかった貧しいあの当時の方が今よりずっと何もかも燦(きら)めいていたような気がするのはどうしてでしょうか?きっと今のほうが夢も希望もない穢い厭な世の中になったからでしょうね(;;)
マダムJGCで行われたプロミスレディースは兵庫県加東市(何時の間に市になったの?)で行われ我等が横峯さくら選手は初日二日目とイマイチ調子に乗れなかったのですが最終日67とスコアを延ばし12アンダー3位に終りました(;;)

女の“外向き”と男の“内ごもり”


泥縄ではありますがこの1週間、毎夜ネット碁も控えて漢字の勉強に打ち込みましたが、運悪く金曜日から風邪を引いて体調の良くない中を本日遙々学園都市まで『漢検』のテストに行って参りました。往路はバスの到着時間が読めず愚娘に無理を言って垂水警察経由の最短コースで送って貰いましたが、復路反対車線の渋滞振りが半端じゃなく、恐れをなして帰りは急がば回れの諺を噛みしめバスを諦め地下鉄経由で板宿まで出て山陽電鉄で帰りました。所要時間は約1時間でしたが、バスならもっと掛かったのではないかと思いました。
テストの結果は知らない言葉が幾つか出たせいもあり、余り良くなく自己採点で前回の点数とちょぼちょぼと思えますが、生来の悪筆が災いして10点位の減点は覚悟せねばなりませんから180点は所詮無理のようです。次回のテストは10月となりますが以前のように旧市内で垂水より東部の会場にして頂きたいと願って居ります。

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今週はブログの愛読者であるEさんから送って頂いた幻の花“笹百合”をご紹介しましょう。此の世のものと思えぬ清楚で美しい百合ですね(^^)上が蕾であり、下が翌日の開花です。名前の通り葉がまるで笹そっくりなのに愕きますね。その幻想的な美しさから数多の愛好者が栽培に挑戦しては挫折を繰り返している自然界の中でしか生きられない貴重な植物であり、レッドデータブック登載の百合科の花ですが、人里離れた林の中でひっそりと咲いている風情は、鄙びた草庵にて隠遁生活を送る妙齢の比丘尼さながらです。六甲山中ではありますが盗掘される恐れがあるために開花の場所をお教えできないことをお赦し下さい。
この花は環境の変化に敏感なため球根での移植は大変難しく、又この花は夜の内に球根を猪に食べられたり、又は心ない人によって盗掘されて減少の一途を辿って居ますが、植え替えて球根が容易に根付かないことで有名であり、まだしも種から生育する方が育て易いそうですが、それでも開花まで育てられる方は園芸のプロに近い方でしょう。世に“ささゆりの会”なんて会があり、広汎性発達障害、学習障害などの子供達を支援されているNPO法人ですが、此の名前からも“笹百合”が如何に気難しく栽培に根気の要る花であるかお分かりだと思います。
下世話な話ですが、若し“タキイ種苗”や“サカタのタネ”から“笹百合”の種が発売されたら、大変な人気となり一粒10万円でも売れることでしょうが、空気の汚れた都会では栽培が難しくおまけに開花まで7年以上掛かるそうであり、花を見ることができる可能性は1%以下と見ました。種苗屋さんは種苗代金以上の弁償はしないのが決まりですが、逆に10万円返金のリスクが種苗屋さんの頸を絞めて発売できないのに相違ありません。弁償は求めないと一筆書いて買って行く人だって居ると思いますがタキイ種苗さんどうですか?
“男は外へ出れば7人の敵が居る”とは昔からよく謂われる言葉です。我が国では古来から女子は“奥様”と云われる如くに家に居付く習慣であってのものでしたが、さすれば女子が外へ出ればどうなんだろうかとの疑問が生じます。先日の日経“プロムナード”にて平成の世になって少し宛男が外に出なくなった興味深い話に逢着しました。それは明治大学の国際日本学部の教授が書かれた子女の海外留学に端を発する評論でありましたが、この先生の感触では一般の常識とは異なって我が国の高校生大学生の大半は海外の情報の蒐集や外国人との接触について積極的なのが女子であって、男性は寧ろ消極的なのだそうです。又海外留学希望者も圧倒的に女子が多く、外交官試験など語学力だけで選ぶなら早晩合格者の殆どが女性によって占められてしまうことになるとか…(;;)
どうして男性が“内ごもり”で女性が“外向き”になるのか、此の先生の体験ではご自分の子女3名に海外留学を薦めた処、上二人の男子は拒否し、末っ子の女子が高校生対象の交換留学生になってチェコに1年間留学しチェコ語がペラペラになって帰国したそうであり、上の二人も社会人になった今留学しなかったことを盛んに後悔して居り、あれだけ薦めたのに何故だ?と問うと“怖かった”との答が返ってきたのに対し、末っ子は“並みの人が体験できない世界を覗いて見たかった”と答えたそうです。
それでは外部への脅えが男子にのみ顕著で女子に稀薄なのは何故か?の素朴な疑問に対して先生は、人類の殆どが古来外婚(女子が部落の外へ出て他の部族に嫁ぐ)と謂う風習(血が濃くならないため)のもとにあったことに由来して居り、女子は本能的に群れから離れるように条件付けられて居て、必要に迫られ他言語の習得能力や他者とのコミュニケーション能力に秀でて居り、外部の文化に対して柔軟に対応できるからだろうと結論されています。然らば如何して此まで女性の進出が少なかったのかの疑問について、我が国では男尊女卑を建前とする社会的な要因によって女子に教育機会を与えず、よって女子の社会への進出が拒まれていたものであり、他言語の習得能力や他者とのコミュニケーション能力に欠けている男性が “内ごもり”が赦されずに江戸時代以前は謂うに及ばず明治大正昭和も仕方なく“外向き”を余儀なくされたのでありましたが、此の背景には女子が一人前の人間として扱われることがなく男子の従属物として存在してきたことに起因していたのではなかったでしょうか。
処が昭和の後期に訪れた高度成長期になって人手不足が原因で、已むなく女子を登用せざるを得なくなり、使って見ると此が意外に重宝であることが判明し、男子を抑えて出世するケースが続出し、建前であった男女同権が本音である男女同権に変革期を迎えたのでありました。此の変革期を捉えて学歴社会に於いても男子が雄の本能である煩悩のせいで勉学に身が入らぬ間に、髪振り乱して学業に没頭する女子が男子を次々と追い抜いて有名校に合格して大企業に就職し、更には一種試験に合格後キャリア官僚の道を選ぶなど女性が男子に後して活躍する時代を迎えたのでした。この度身障者用郵便物事件で逮捕された村木厚子厚生労働省雇用均等.児童家庭局長(長い肩書きやなあ)も高知大学と謂うグレードの低い大学ながらも一種試験に合格後労働省に入省し04年に課長だったのが08年には部長を通り越して局長にまで登りつめましたからゴール直前二の足を使った有能な女性キャリア官僚の草分けとも謂うべき人だったのでしょう。彼女は逮捕後地検の取り調べに対し1週間にもなるのに頑強に容疑を否認し続けてていますから、実(げ)に女は逞しいですね。
平成に入ってからは目に見えて女子の社会進出が目覚ましく社会的な環境も一変して女子が本来の実力を発揮できる土壌が培われ女子が企業の総合職となって日本中を駆け巡り、更には海外へ闊歩するようになりました。然しその反面世相の話題を分析して見ると部族内部に留まることを運命付けられていた男子が、本能に目覚めて本来あるべき姿であった“内ごもり”が常態化してきたように思われます。
話は突然変わりますが先週水曜日に川鉄の西山記念館で行われた21年度改正税法の神戸地区説明会で1000人近い税理士を前にして資産税の改正を担当した国税局の審理官は過去にはなかったうら若い(と謂っても30歳と一寸?)女性であって説明は理路整然として明解であり、その前に所得税の改正を担当した男性審理官が、唯レジメを読むだけに終始したため退屈したせいもあって女性審理官の明晰振りが余計際立ちましたから、男社会の国税局にも二種試験を合格した準キャリア組女性の進出が顕著となったようです。TVドラマでも最近は上司の女性からのセクハラ擬きの場面まであり、マッチョな男子が少なくなってきたことと軟弱化してきたことは疑う余地がありません。ここ10数年来オタク人間と呼ばれる“内ごもり”人種が多くなったことは将にこの辺りを象徴し憂うべきことであって若者の世界が変貌しましが、熟(つらつら)考えてみるに此は愚かにも男子が同じ環境から同じ土俵に上がれば異性が優位であることに気付かず“女子と小人は養い難し”などと女性を小馬鹿にしてきた因果応報と謂うべきであったでしょう(;;)。齢(よわい)を重ね段々と男子の住み難い世になって来たようです。 その内“男三界に家なし”なんて俗諺が変わったりして…(;;)。
ニチレイPGMレディースは茨城県で行われ3日目の今日豪雨のため取り止めとなったラッキーで二日目8アンダーとトップに立った橫峯選手が優勝となり今期3勝目を挙げ、漢検テスト行きのせいでTV観賞できなかった無念が晴れて快哉を叫びました(^0^)/。

素数ゼミの不思議


6月も半ばを迎え、あのインフルエンザ騒ぎは一体何だったのかと訝しげに紫陽花が咲き誇る中を『漢検』のテストが後一週間に迫りました。試験勉強にラストスパートを掛けて追込み体制に入ろうして居ますが、齢(よわい)70歳台にもなれば昨夜憶えたことも翌日には記憶が定かでなく、宛(さなが)ら賽の河原で小石を積み上げては鬼に崩される亡者にでもなった気分ですがそれでもめげずに懸命に頑張って居ります。(;;)
先週水曜日に漸く『漢検』から受験票が届きましたが、今年は昨年6月の山手短大、10月の村野工業でなく学園都市の神戸外大に会場が変更されていました(;;)神戸の街は横には交通網が巡らされている分、縦には充分とは謂えず垂水からは数少ない山陽バスを利用するしかなく学園都市は広くて会場を捜すにも手間が掛かりそうです。今回の会場の変更には曰わくがあり、あの漢検理事長親子の不祥事のため以前の会場から使用を断られたのではないかしらと思ったりして居ます。試験開始時刻は15時半ですが、電車と違ってバスは到着時刻が判然とせず日曜日とあっては相当早く出ないとバスのルートからして明石大橋1000円組の大渋滞に巻き込まれるのではないかと危惧して居ります(;;)。

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写真のカエルは何故かこの3匹(他に未だ数匹居ます)が妙に仲が良く、お昼寝用にと池に沈めた陶器の置物のお人形に乗っかってカメラを近づけても微動だにせぬ処は恰も宛然と座禅を組んで悟りを啓こうとする釈尊の風格です。それとも後ろの奴が大きいから太刀持ちと露払いを従えた蛙横綱の土俵入りのつもりでしょうか?
雌雄の別は定かでありませんが待望のオタマジャクシが生まれることを孫娘と共に期待して居りますが果たして私達の夢が叶えられるやら(^^)
辺りに白く見えるのは水草の花で毎年は数日に一回ちらほら咲く程度だったのが今年は何故か爆発的に咲いています。池の水が富裕化したせいでしょうね、棲息している魚達のためにも良くないので一度水替えをしたいところですが、結構な重労働であり誰も手伝ってくれそうもなく(;;)少々困って居ります。
全盲でありながらバン.クライバー国際ピアノコンクールで優勝した辻井伸行さん(20歳)は低迷していた我が国音楽界に措ける久し振りの快挙でしたね(^^)
盲目の辻井さんの優勝で思ったのですが、何時も著名なピアニストの演奏時には必ずピアノ奏者の左側に楽譜捲りの小綺麗な女性アシスタントがドレスアップして直立不動で立ち、曲の進展と共に楽譜のページをさっと捲って居られますが、楽譜を見なければピアノが弾けないのはホンの初心者でしょうから、あれってピアノ界の慣習であって一生ピアニストとして舞台に立てる希望の失われた下手なお弟子さんを舞台に立たせるための唯のジェスチャーに過ぎないのではないでしょうか?
辻井さんにもちゃんと楽譜捲りの女性が付いていたりして…(;;)
死神に取り憑かれたなどとよく謂われますが、先日大西洋で228人を乗せたエールフランス機が墜落して乗員乗客全員が死亡したと思われる大変な事故がありましたが、或るイタリア人女性が運悪く(良く?)同機に乗り遅れ、仕方なく翌日の便でドイツに着き、オーストリア国内を自動車で移動中に運悪くトラックと衝突して病院へ搬送されましたが甲斐なく死亡されたそうです。死神って本当に居るんですね(;;)。
先日の新聞紙上でしたが、北米で“素数ゼミ”が発生する謎解きに静岡大学の研究チーム(我が母校兵庫県立大学(旧神戸商大)もチームに参加しています(^^))が挑戦して見事此を解き明かしコンピュータによるシミュレーションで米科学アカデミー定期刊行物である電子版に発表し大変な評判となったそうです。何でも13や17など素数(1及びその数自身以外に約数を有しない数)の年数毎に大量発生する蝉の謎を追って仮説の証明を行ったもので、2004年に米東部で数十億匹の17年蝉が発生した処から研究が始まり『種の個体数が一定の数を割り込むと一気に絶滅に向かう』と謂う法則である所謂“アリー効果”をシミュレーションに導入した処、17、19、13年周期の順で個体数が多くなり、その他は途中で絶滅し、素数ゼミのみが生き残った過程の再現に成功したそうです。元々数学オンチでもある上私の耄碌した頭では仮説の内容について到底理解できるものではありません。然し蝉は7年に一度生まれ1週間でその命を終える位の知識は私でも持ち合わせて居ます。そして7年そのものも素数であり、自分達の種族を存続させるために素数でない合成数の寿命を有する蝉を淘汰させる知恵を持った蝉の存在など自然界と謂う処はナント不可思議な処であるワイ…と唯々感嘆したのでありました。
尚素数の不思議について興味がある方は数年前ベストセラーになり寺尾聡主演で映画化された小川洋子著“博士が愛した数式”をお読みになられたら如何でしょうか、とても面白いですよ(^^)。
此の記事の掲載された翌日には“ヒヨコに計算能力”なる記事まで掲載されました。(^^)ヒヨコは孵化後2-3日で小さい数字を足したり引いたりする能力を身につけていることをイタリアのトレント大学とパトバ大学の研究チームが突き止めその研究結果をロンドン王立協会の会報に発表したそうです。生後間もない動物に計算能力があるなんて想像もつきませんよね。
偶然ではあると思いますが、将亦(はたまた)その次の日には今度は魚が話題となって新聞に登場しました。自然科学研究機構の東島真一教授帥(ひき)いる研究グループが、人間を始めどんな動物でも外敵から突然攻撃を受けたとき脳が混乱して錯綜し、あらぬ命令を出すことで知られているそうですが魚の場合、脳が混乱しても脳に代わって脊髄が指令を発して魚が冷静な回避行動を取ることが突き止められ、今月アメリカの神経科学会誌に掲載されるそうです。
実(げ)に脳が錯乱しそうな話題の連続ですが、蝉にせよヒヨコにせよ魚にせよ、我々人間から見れば地球上に於いて取るに足らぬ存在である此等が或いは人間の及ばぬ神秘的な超能力を有して居るのではないかと思うと恐ろしくて背筋が冷たくなりますね。ひょっとしたら地球上生きとし生きるものの内一番知能の低いのが人間様なのかも知れません。ヒッチコックの映画“鳥”ではありませんが、又昔いなごの大群に襲われて農作物を全て食べ尽くされ全員が餓死した大規模村落のことなどを思い起こすと、自分達だけのものと信じて驕り高ぶり、したい放題の地球が実は虫や鳥達のためにあったことが判明し、取るに足らぬ存在が実は人間自身であることに気付かされ、何れ人類が滅亡する日が遠くないのではないでしょうか(;;)
遠い昔弘法大師や親鸞聖人は“山川草木悉皆成仏”を唱えられましたが、或いは人類はこの中に入れて貰ってないのかも知れず、さすれば世の衆生は”歎異抄“の第四章『善人なおもて、往生をとぐ、況んや、悪人をや…』のお言葉にお縋りせねば生きて居られないかも知れませんね(;;)
女子プロツアーのサントリーオープンは地元六甲国際で4日間のメジャーとして開催されましたが、橫峯さくら選手は予選を15位で通過したのが響き最終日68の追い上げも及ばず4位に終わりました。然し賞金は此の試合で約6000万円となり依然賞金女王トップを走って居ります(^^)。



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古池や蛙飛び込む水の音


先月の終りから今月に入って日中の暑さは孟夏のそれを急に通り越して真夏に近づいたようで、こんなに早く暑さが訪れるのでは先が案じられます。梅雨のせいもあって湿度が高く、暑さの増幅はエアコンの使用頻度が高くなり必然的にCO2の発生が増加し地球温暖化(熱帯化?)が進むことでしょう(;;)
梅雨が訪れてから庭の蛙達も途端に元気になって、雨の中を大合唱して居り、私など幼き頃の虫取り少年時代を思い出して感無量です。溜池も田圃も喪失した過密な住宅街では蛙の鳴き声を聴くなど全く以て希有なことですが、現代の都会の方々には蛙の鳴き声など何の感慨も湧かぬようで、大人に倣って子供達まで無関心なのには呆れ果てます。自然との共生なんて言葉は何処かへ消えてしまって死語になったのではないでしょうか(;;)
昨年は小指の先位に小さく可愛かった雨蛙も冬眠から目覚めて何処かから現れましたが何時の間にか今年はがっしりと大きくなって余り可愛気がなくなりました。(;;)雨蛙は青い葉っぱの蔭に、田蛙は土色の場所を選んで縄張りを作っていますから、きっと鳥を警戒してか保護色の場所を離れないようにしているようです。本能とは謂え生き物は賢いですね。我々が自然から見習わねばならぬことを彼等から多く学ばされます。
何時だったか何か動物の生体誌で読んだのですが、松尾芭蕉の有名な句“古池や蛙(かわず)飛び込む水の音”は想像の産物であって、蛙は水に飛び込むときは余程愕いたとき以外は決して音を立てずに平泳ぎの選手の飛び込みのように静かに入るとのことです。そう言えばうちの田蛙達も注意深く見ていると池に入るときは決して音を立てずに水平にすっと入ります。考えてみれば段差のある処では蛙は岸に上がれない筈であり水面と高低差の少ない処で虫などを食べて居り、危険が近づくと相手に分からぬようそっと水に潜り暫く潜水をしてからあらぬ処からポコッと顔を覗かして居ますが、此も天敵の鳥達を意識しての本能的な保身行動ではないかと思われます。池の傍に居る蛙を見付けると蛙は決して池に入らないで草叢に隠れますから、蛙も芭蕉から水泳の高飛び込みのように言われるのは心外でしょうね。静寂を際だたせた芭蕉の名句が想像の産物などと思いたくありませんが、300年以上も誰もが疑わずに信じていたと謂うことは、此の句の言わんとする処が水の音(Sound)ではなくて静寂(Silence)であったのでしょう。
先週医学博士になるのにお礼さえ用意すれば極く簡単だと申し上げましたが、調べてみるとその数は文学博士の100倍にも上るようであり、同じ博士であっても中身がまるで違うようです。嘗て東京大学、早稲田大学等で教鞭を執った夏目漱石が明治44年当時は国からの勅令であった文学博士を断ったことは余りにも有名な話です。
国からの謂わば命令である勅令を辞するには明治時代でもあり、職を剥奪され獄に繋がれても巳むを得ぬ程の勇気を必要としたと思いますが、彼漱石曰わく『博士制度は学問奨励の具として、政府から見れば有効に違いない。けれども一国の学者を挙げて悉く博士たらんがために学問をするというような気風を養成したり、または左様思われるほどにも極端な傾向を帯びて、学者が行動するのは、国家から見ても弊害が多いのは知れている。余は博士制度を破壊しなければならんとまでは考えない。然し博士でなければ学者でないように、世間を思わせるほど博士に価値を賦与したならば、学問は少数の博士の専有物となって、僅かな学者的貴族が、学権を掌握し尽くすに至ると共に、選に洩れたる他は全く一般から閑却されるのを結果として厭うべき弊害の続出せん事を余は切に憂うるものである』理路整然として将に成る程と頷ける正鵠な理論であり、現代数多の博士号願望者には是非とも聞かせてやりたい言葉です。片や国が授与しようとするに対し信念を貫いて辞退し、片や袖の下を持参して博士号を貰って金の蔓にしようとするなど此の大きな落差は明治の終わりから現在までの100年間に日本人の多くが志を失って俗物人間に堕落したことを意味するのでしょうか。夏目漱石も泉下で憂国の悲哀に涙されて居られることでしょう(;;)。
次期総理の座を狙っているのか鳩山邦夫総務相が一向に進展しない“かんぽの宿”の売却問題(凍結以来“かんぽの宿”の赤字が何十億円増えたことやら…(;;))を蒸し返し西川社長の首を差し出せと強面で迫って居ります。恐らく本音は仲の悪いお兄さんに総理の座を渡したくなくてこの際精一杯目立って置く人気取り作戦に出たものと思われますが、西川社長にも言い分があり民営化以前から決まっていたものを実行しようとして待ったが掛かったもので郵政省からの引き継ぎ事項なのに如何してこうなったのか腑に落ちぬ話やと思って頑強に抵抗の構えです。鳩山総務相もメディア相手に西川社長の再任を許さんなどと吼えてみても仕方ありません。西川氏が再任するなら自分は総務相を辞任するとか一度は言っておきながら翌日になって前言を翻す慌ただしさですが、卑しくも一国の大臣が軽々しく自己の進退について言及すべきではなく誰かに注意されての撤回であったものでしょう。最近村上ファンドの登場以来“物言う株主”が多くなりましたが、鳩山さんも文句があるのであれば株主総会で決着を付ければ済むこと(政府が全株保有)ではありませんか。
一方の西川社長も又住友銀行頭取時代から定評のあるド狸の寝業師であり、身分は総務相より下でも役者は此方が上と見ました。何せ此の社長はさくら銀行と合併後太陽神戸銀行、三井銀行出身者を殆ど関係子会社か僻地に飛ばして住友出身者ばかりが栄達した阿漕が浦は有名な話であり、穏和な神戸銀行や三井銀行が三井住友に変わってから、融資条件がメチャ厳しくなり、融資先の内財務内容に問題がある会社からは取れる処から取れるだけ取って搾る処がなくなれば後は潰してしまうサラキン顔負けのあくどい商法に豹変し、うちの得意先もその毒牙に掛かり彼等の管理下に置かれ乾いた雑巾を絞るが如き酷(むご)い仕打ちを受けている会社が少なくなく全ては西川路線の踏襲が招いた悪弊でありました(;;)。
今回斯うして“罷めろ!”“罷めない”と啀(いが)み合っている二人をよく比べてみると狐と狸の化かし合いでありきっと好勝負となることでしょう。今月の日本郵政株主総会が待たれますが…と謂っても株主はたった1名ですから与謝野財務大臣でも出て来てどんな結果になるのでしょうか?西川社長解任ともなれば後任も必要だし、それも相当の大物でないと務まりませんからそちらの人選もあることだし、どちらにしてもこれからが楽しみですね。
鳩山総務相は文化財として保護しろなど無理難題を持ち出した郵便局の改築問題にまで口を出して日本郵政の収益を減少させる遠因を作っていますが、総務相としては少々越権行為で遣り過ぎであり、かんぽの宿の問題と併せこれらは何れも麻生首相自身の直轄案件ではないのですか?
この総務相も鳩山家と謂う名門に生まれながらも、妾腹だったばかりに仮面ライダーでタレントをしていたハーフの高見エミリーと結婚するなど名門鳩山家としては凡そ考えられず誰が見ても名家の名を汚したことは事実ですから、この人何処か世を拗ねたアウトローな部分があるようですね。こんな男が総理になろうなんて、クワバラクワバラ(;;)
21年前4歳の女児殺害事件の犯人として無期懲役を科せられた菅家さんの再審請求が実を結んで無罪が確定し、彼は晴れて娑婆の土を踏むことになりましたが、17年半もの永かった入獄を解かれた菅家さんの心境は如何ばかりであったでしょうか。今となっては全てが霧の中となりましたが、当時のDNA鑑定が最新の技術に比べて遙かに劣っていたとは謂え、あの当時は物証として指紋の次に此に勝るものはなく警察当局が鬼の首を取ったと思い込んだことも当然だと思うし、又取り調べに当たった警察官達の直感も正鵠を得たものであったかも知れません、然し時代の推移と共に科学の進歩が著しくよもや当時のDNA鑑定が覆されるとは誰も思わなかったことでしょう。こんな冤罪事件が起こると死刑廃止論者が劣勢を覆して再びのさばって来るのではなかろうかと私は危惧を覚えると共に、菅家さんは果たして本当に冤罪であったのか疑問を感じます。菅家さんの家族が依頼した梅沢弁護士との接見3度目で“やったのかい?”に対し菅家さんは素直に“うん”と頷いたそうです。然し人の心と謂うものは複雑であり、現在進行中のTVドラマ木村拓哉主演のMR.BRAIN(脳みその意)では脳波の読み取りによる頭脳の解析で真犯人の嘘を暴(あば)く場面が出て来ますが、早急に脳波の科学的な解析による嘘真の解明が望まれる処であり、さもなくば現在のDNA鑑定が更に精度を増し、将来数十年後に再び今回の鑑定結果が誤りであったと謂うことが起こる可能性があるのではないかと私は憂えて居ります。(;;)
今週のリゾートトラスト橫峯さくら選手は連戦の上の先週優勝の疲れが出て11位タイと低迷しました。本当は来週のサントリーオープン(メジャー大会)のためお休みしたかったのでしょうが人気者の辛い処でスポンサーのお許しが頂けなかったものと思われます(;;)
人気者は辛いぞな(;;)

“向い”は“向かい”ではないのか?


この間GWと思っていたらアホな政府の過剰反応とも思えるインフルエンザ騒ぎで日本中を震撼させ、円高や株安を初め多くの負の経済効果を残して風評が去って行こうとして居ますが、今日で五月の終りを迎えることとなりましたから明日から新たな気持ちで再出発しましょうか。愈々来月21日は漢字検定のテストです。漢検については財団を食い物にして居た理事長親子の逮捕やら色々ありましたがどうにか試験が実施されることとなりホッとして居ります。何せこの歳ですから半年も緊張が途切れたら全てが夢の中となり此までに培ってきた漢字の記憶を復元できる自信がありません。来月は仕事も少しは楽になりますから最後の猛特訓で190点を目標に前回の点数を少しでも上回り未だ惚けて居ないことを愚娘達に示してやりたいと思って居ります(^^)
日本語は何故か物の数を数え方が矢鱈と複雑であって、羊羹や長持の“一棹”や屏風の“一架”など言われてもへえ?と分からないものが多く、兎は何故一羽なのかも不思議ですよね。数の呼び方迄様々であって、我々は誰でもペンや鉛筆を数えるときには、考えることなく一本二本三本と数えますが、外人には此の手の読みが苦手で一個二個三個と数えるそうです。何故なら一本二本三本は何れも“本”の“読み”が異なっていて憶えにくいとか…(;;)
我々は物心付いたときから染みついた記憶のため間違えることがありませんが、成る程考えてみれば外人さんには大変でしょうね。四本は“しほん”と読みますが、我々が子供の頃は“よんほん”と言っていましたし、四十は“よんじゅう”でしたが恐らくその頃は誰もが算盤塾へ通って居た経験から先生が聞き違いのない“よん”を使われたことからそう呼ぶようになったと思います。“人”の数もひとり、ふたり、さんにん、よにんと日本語は難しいですね。四人(しにん)では“死人”と間違えるので“よにん”と読みますが“ごく最近まで我々関西人は“よったり”と読んでいましたが最近は余り使わなくなったようですね。
最近何かの本で読んだのですが、さる有名大学の先生が毎年生徒に対して三本を“サンポン”と半濁音で読むのはどんな場合か?と聞かれるそうですが、瞬時に答えられた学生は20年間でたった一人であったそうです。(^^)一体どんな場合に三本を“サンポン”と読むのでしょうね?(答は末尾にあります)
東北大学で29歳の大学院生が博士課程での論文を先生に提出することを拒否されて人生を儚み、自裁された事件が昨年8月に起こったそうですが、父親からの抗議を受けて調査した東北大学の調査委員会は“担当准教授に重大な過失があった”と判断し、今月になって自主退職した同准教授の退職金を減額するかどうかの処分を検討しているそうです。
博士論文を巡っては何処の学校も兎角背後に金銭が付き纏う悪習慣があって、所謂“免状推薦料”のような類(たぐい)の裏金が必要なことは誰もが知る処ですが、今回の事件では本人が自裁しているため証人が居ないにも関わらず、学校が担当准教授に重大な過失があったと判断した背後には担当准教授による院生に対する余程理不尽な苛めがあったと推察されます。新聞の記事では担当准教授はこの院生に対し博士課程3年目を迎えた06年論文提出の延期を申し渡し、翌07年12月に提出した論文は07年の提出予定者でなかったとして受理されなかったそうです。学内調査では此の院生の研究が充分博士授与の審査を受け得る状態であるにも関わらず、担当准教授は研究の進展状況の把握も具体的な改訂指導や研究指導を行って居たとは到底認め難いと結論づけていますから、当初からこの生徒が先生から完全にシカトされていたとしか思えません。博士称号がナンボのものかは知りませんが、たった一人の准教授に博士免状授与に関する全ての権限を委譲している学校側にも大きな問題があると思われます。此の生徒は恐らく准教授から推薦料の支払いを暗示されたにも関わらず、迂闊にも気付かなかったのか或いは支払う余裕がなかったのか、将亦(はたまた)准教授と研究上学説での意見の相違があったものか、彼が黄泉の国の住民となられた今となっては全てが蚊帳の外ですが、きっと推薦料か理論の相違を根に持ってのことではなかったかと思いました。
昨年何処かの大学で女子学生が論文の審査の代償として教授から身体で支払うように言われた事件までありましたから、論文の審査を一准教授の手に委ねないで学部の先生全員が関わるようにすればこんな悲劇が起こらなかったかも知れませんが、それには審査の土俵に上げる権限を担当准教授から剥奪する必要があり仲々容易ではありませんね。“白い巨塔”ではありませんが、学者の世界なんて処は我々衆生には分からぬことだらけでありきっと魑魅魍魎が隠れ住んで…じゃなかった堂々と棲息している世界だと思いますよ。
奇しくも一昨日の夕刊に獨協医科大学で08年3月までの7年間に医学博士の論文審査を担当した教授が大学院生から謝礼として判明している分だけで100人近くから一人1万円から10万円の相場で4100万円受領していたことが内部告発などでなく皮肉にも国税局の税務調査で明らかになったそうです。(;;)医学博士の学位取得に纏わる現金授受は既に横浜市大や東京医大で発覚しており、恐らく発覚したのは氷山の一角であり“何処(いずこ)も同じ秋の夕暮れ”であったことでしょうが、医学博士は他の博士などと性格を異(こと)にし、先生の論文を丸写しにでもしてお礼を渡せば誰にでもなれて開業時の肩書きを飾ることになるものと思われます(^^)。
医者なら開業すれば済むことですが、学者の世界は完全な徒弟制度であって先生の学説に反対する生徒はどんなに優秀であっても絶対に弟子にして貰えません。持論を主張したければその先生の門を離れ一匹狼になるほかありませんが、師匠のお墨付きがなければ何処の学校からも受け入れて貰えず、それ故誰も仕方なくその無能な教授のスポークスマンとして不本意な一生を終える運命にありますから、我が国の学者の世界が少しも透明化せず進歩もしないことが皆様良くお分かりでしょうね。
近い例では水俣病の病原菌の発見が遅れ “イタイイタイ”と叫びながら多くの方々が亡くなられたのは東京工業大学の清浦雷作教授が自分は飲みもしないで“水俣湾の水銀濃度は他地区の都市や工業地帯の海洋海水の濃度と大差がない”と切って捨て、懸命に調査を行って来た熊本大学の医学研究班の有機水銀説を排除したためであることは余りにも有名ですが、兎角大学の偉い先生はプライドを鼻先にぶら下げるばかりで患者の命より自己の名誉を何より優先し、机上の空論を振り回して患者をモノ扱いする傾向が強く、500人もの人々の尊い命を奪った帝京大学の安部英元副学長の非加熱血液製剤説など、学会での自分の権威の手前原因探求や人命などより、ことの善悪を無視しても自説を固執されるために起こった事件が後を絶たないのは悲しいことです。派閥とか人脈とかこんなどうでも良いことが我が国の将来を少し宛蝕んで居るのでしょう。(;;)
それにして最近になってできた准教授なる言葉は安っぽくて厭ですね。以前の助教授の方がずっと親しみがあって良かったなあ。

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皆様は此の写真を見て何処かおかしいな?と思われませんか、此は垂水区役所の3階にあった注意書きを私が撮影したものですが、置かれてから結構永いのに誰もこの注意書きの誤り(らしい?)のに気付かないのが不思議でなりません。そう言われれば誤りは“お尋ね”の字かな?などと考えますね、然し此の字は本来”訊ねる“が正しいのですが”訊”が常用漢字でないために書き換え語として“尋”が認められており正確には誤りではありません。さすれば残るは“向いの…”しかありませんが、実は此の漢字の送り仮名は“向かい”が正しいのです。小学校3年生で習う8級の配当漢字であり動詞の活用は“向か、き、く、く、け、け”と変化しますから“向い”が誤りなのは自明でありますが、昨今送り仮名も結構乱れてきて、“向い合う”や”向い合わせ“などの送り仮名を無視した熟語がつまらぬ辞典の上を跋扈して居ますし、この”向い“は動詞ではなく名詞形ですから送り仮名は不要なのかと思ったりもします。然し殆どの動詞の連用形が名詞として使われますし、名詞であることが連用形の根本だと主張される学者もあり何れが正しいのか浅学非才の私めは困惑して居ります。何方かご存じの方は無知な小生にご教示下さいませんか?はっきり誤りであることが確認できれば区役所へ行って“市民の模範となるべき高学歴高報酬の吏員が誤字を用いて恥じぬとは何事だ!”と取っちめてやろうと思っています。(^^)
“サンポン”の問題の答
 野球用語で走者が三塁とホームの間に挟まれたとき“さんぼん間”と言わずに“サンポン間”と謂いますね(^^)
廣済堂レディースは久し振りに橫峯さくら選手が堅実なゴルフで13アンダーで優勝し今期2勝目通算11勝致しました(^o^)/

“百姓読み”とは誰が言ったのか!


先週から沖縄地方など梅雨入り宣言となりましたが、梅雨に入ったかどうか何が基準で決められて居られるのか、時々梅雨明け宣言など出ずに有耶無耶にされる年がありますが、ひょっとして気象庁の連中が交代で下駄を抛り投げたりして決めているのかも知れませんね(;;)
先日インフルエンザ騒ぎ酣(たけなわ)の頃仕事で三宮に出掛けたのですが、電車も街もガラガラでセンター街の人影少なく、お昼にセンタープラザの地下で昼食を食べたら小さいカレーショップは食事が終わるまで私一人しか客が居ず、客の私と店員さん共に寂しい一刻でありました。(;;)道行く若い人は皆マスクをしているのに年寄りは殆どマスクなしであり、お年寄りは免疫で罹らないとの間違った報道によるものでしょうか、帰りの電車内で前に座っているお母さんが1歳位の嬰児に一所懸命マスクを掛けようとされて居り、マスクが大き過ぎて耳まであり、紐を後頭部を一周りして反対の耳に掛けようと努力されて居ましたが、人間の耳は反対からは引っ掛からない仕組みのため已むなく外れないように手で押さえたりして居られました。赤ちゃん用のマスクなど作られて居ないからでしょうね。(;;)
九州福岡で3年前の8月に起こった福岡市吏員の泥酔による追突3児死亡事件の控訴審が先日福岡高裁であり、一審判決が覆され目出度く被告は危険運転致死傷罪で懲役20年が言い渡されたことは皆様ご存じの通りです。
然し、熟(つらつら)考えるに此の被告が時速100キロで被害者の車に追突するまでブレーキ一つ掛けて居なかったことや、事故後逃走して友人を呼び出し大量の水を呑んで酒気を払おうと試みたことは明らかに自らの酩酊運転を立証するものであり、更に被告は口先だけで謝罪しその実、被害者が急ブレーキを掛けたとか、居眠り運転をしていたなどと被害者に過失があったが如き発言の繰り返しは余りにも見苦しく、此の加害者の人格を疑われる処であり行政の役人とは斯くも非道なものかと憤りを禁じ得ず、公僕であるべき公務員であるが故に罪が更に加重さるべきものと考えました。危険運転致死傷罪とは最近できた法律で我々には耳新しいものですが、酩酊して時速100キロ走行による死亡事故は、謂わば“未必の故意”であり、こんなはっきりしない法律より殺人罪を適用できないものかと思慮し、さすれば3人も亡くなって居れば死刑にだってできたと思いますが、懲役20年は如何にも軽きに過ぎる判決であり、彼は10年余り経てば仮釈で娑婆の土が踏めますから、幼(いとけな)い3児が永遠に帰らぬ被害者大上さん夫妻には耐え難い判決であったであろうと無念に思いました。
加害者に僅かでも他人(ひと)の気持ちを思い遣る心根があれば、3児の霊前で潔く腹を切って自裁し罪を贖うべきが人の倫(みち)ではなかったでしょうか。然るに加害者は被害者の心情も顧みず量刑不服と上告するなど神をも恐れぬ行為です。最高裁の判事達には高裁を上回る量刑判決を期待して已みません。
私は生まれてからこの歳になるまで、兵庫県の中西部にある播磨地方で生まれ育ちましたが何故か播磨地方に限って“播州”と呼ばれて居り、古くは室町時代の節用集(当時の国語辞典)に既に“ばんしゅう”とあったそうですから古来播磨の国は播州と呼ばれることが多かったようです。JRでは同名の地名の駅名が存在する場合新しい駅名には旧国名を付ける不文律が有り、此の近辺でも摂津本山とか播磨高岡などが存在しますが、赤穂も長野県伊那地方に赤穂と謂う駅が既にあったため赤穂線が開通したとき播磨赤穂と付けるべき処、忠臣蔵に肖ってのものか、或いはゴロが悪かったのか例外的に“播州赤穂”と呼ばれるようになったこともあって播磨地方を播州と呼ばれることが多くなったようです。他の地方でも信濃の国の信州や長門の国の長州そして紀伊の紀州など別称の方が有名な処がありますが、何れもJRの駅名では“信濃…”“紀伊…”と決して“州”が付きませんから播州赤穂のみ例外的な扱いであったことが分かります。
皆様は“百姓読み”なる言葉をお聞きになられたことがありますか?私はこの歳になるまでこの言葉を知りませんでした(;;)。此の私が初めて耳にした”百姓読み“の由来でありますが、或る書物に拠れば播州の播の音読みは“ばん”ではなく正しくは播種(はしゅ)や伝播(でんぱ)の“は”であって決して“播(ばん)州”とは読めないと書いてありました。然らば“は”が何故“ばん”と呼ばれるようになったかの疑問に対して碩学者の説明は、昔から無学な者がその字の“旁(つくり)”の部分だけを読んだために“百姓読み”と謂ったとのことです。成る程手偏を除いた“番”の音読みは“ばん”としか読めませんよね。
然し、室町時代から明治時代に至る間無学な百姓は平仮名すら覚束なかったでしょうから漢字の旁が読めたと謂うことは将(はた)面妖な話であり、“百姓読み”は一体から誰が言い出したのか、単に高等教育を受けながら少しも進歩しない無学な者をバカにして付けられた言葉ではなかったでしょうか。私が小学校(正確には国民学校)に上がった頃最初に先生に教えられた言葉は“ご飯の前に私達にご飯を食べさせて下さる天皇陛下とお百姓さんにお礼を申しましょう“でしたから、食事の前には小さい手を合わせて目を瞑(つぶ)り”天皇陛下様お百姓様有難う御座います“と唱えたものです。百姓読みとの対比に於いてあれは一体から何だったのでしょうね?お百姓さんも喜んでよいのか、悲しんで良いのか複雑な心境でしょう。(;;)
“百姓読み”には他にも“垂涎”(すいぜん)や“絢爛”(けんらん)など“すいえん”や“じゅんらん”がその代表とされて居ますが現在では播州の“ばん”を含めて何れも全てが慣用読みとして認められ、漢検辞典には上記3つの“百姓読み”が音読みとして立派に記載されていますから、最早何れの熟語読みも立派に市民権を得たようですが、歴史のある”播州“は兎も角として垂涎や絢爛は明らかに誤りである読みを辞書に採用することを容認するなど言葉の乱れを助長する文科省も愚かです。現在”早急”(さっきゅう)を正しく読むのはNHKのアナウンサーでも半分位であり、国会議員が国会答弁で“さっきゅう”と読んだのを嘗て一度も聴いたことがありません。私は中高生の頃此の熟語の仮名付けで×点を貰ってから、“そうきゅう”と発音したことがありませんが、常用漢字が幅を利かす昨今慣用読みなる勝手な言葉を用いて変な“読み”がゾロゾロ出現しましたから故白川静先生も泉下で言葉の乱れを大いに嘆いて居られるでしょうね(;;)。
“百姓読み”で難解なものには“病い膏肓(こうこう)に入る”が“こうもう”と誤読されて有名ですが。流石に“肓”の字は漢検辞典でも“こう”の読みしかなかったには感心しました。皆様もRとLの発音もロクにできぬ英語などにかまけていないで、漢字の読み、それも漢音読みと呉音読みはしっかりと憶えましょうね。自分の通っている学校を関西学院(かんさいがくいん)と読んで恥を搔いた生徒が居たそうですよ。関西学院はクリスチャンの学校ですから、(かんせい)と読み、坊さん言葉と謂われる呉音の西(さい)とは死んでも読んではいけないのでした。
先週神戸へ仕事で出掛けたときのことですが、お得意先の社長に乗せて頂いてメリケン波止場の南向き信号で止まっていたら、前の国道2号線でピッピーと警笛が鳴って赤い旗が振られ、白いスポーツカーのカップルが哀れ交通取締り鼠取りの犠牲(いけにえ)となりました(;;)税関前からの西行きは直線で見通しも良く時差信号だし一気に神戸まで…と意気込んで前しか見ていなかった処を上手く警察に裏を搔かれたようです。“他人(ひと)の不幸は蜜の味”と昔からよく謂いますが30年前私自身がハーレーで格好良く走っていて、鼠取りに格好悪く捕まっていた頃を思い出し、久し振り他人の不幸に快哉を叫んだものでした。(^^)
中京TVブリジストンレディースで横峯さくら選手は初日から調子が出ず11位タイで惜しくも連続トップテンを逸し8試合のタイ記録に終わったのは無念でした(;;)

池上線に搖られながら…


玄関先では昼咲き月見草が先週一斉に開花し我が世の春とばかりに咲き誇っています。此までこんなに大きい花を咲かせたことはなかったのですが、きっと昨年ピーナッツを植えていた場所の後だったので土壌が肥沃だったものと思われます。昔から“豆の後は何でもよく育つ”と謂いますものね。(^^)
庭の雑草達も負けじと毎日のようにぐんぐん成長し、花カタバミが終わったと思ったら今度は蛇苺が咲き始めました。花は金色で美しいのですが苺の実は不味く何より繁殖力が強くて一週間で1m以上縄張りが広げますから手に負えません。抜いても抜いても翌朝にはちゃんと違う処から顔を出しており鼬ごっこです。今になって少しばかり可愛いからと道端から根っ子を持ち帰って植えたことを後悔して居ますが今更後の祭りでありました。(;;)

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先日FMラジオを聴いていてとても懐かしい歌に再会しました。“池上線”と謂う大昔にヒットした曲で当時流行ったフォーク調の演歌なのに何故か私の大好きな歌でありましたが、久し振りに聴いて、私が未だ若く高度成長の真っ直中であったあの頃を懐かしく回顧致しました。何せ仕事だけワンサとあるのに従業員の確保に苦労(給与の廉い零細企業には誰も来ない求人難でありました)を重ねた時代であったことをほろ苦く思い出したものです。(;;)
確か当時流行った“私鉄沿線”などに触発されたものだと思いますが、皆様はこの歌をご存じでしょうか。池上線は五反田から蒲田まで約10kmを走るチッポケな私鉄路線だそうですが、30数年前に西島三重子さんが作曲し彼女自身によって歌われ、恋人との悲しい別れをしっとりと情感溢れる処が若者達の共感を呼んでヒットしました。多感な私など幾度か悲しい別れを経験しましたから、このような歌を聴くと更に若かった日々の想い出が走馬燈のように脳裏を巡り、この歳になっても胸がキュンと締め付けられて塞がった筈の傷口が痛みます。(;;)
当時はこの歌のお陰でこの小さい私鉄路線も一躍全国区となって、地方からこの電車に乗ろうと上京した若者や訳ありカップルが殺到し、日曜日には見知らぬ乗客で満員になったと云う話も今では昔の懐かしい想い出となりました。(^^)此の曲はメロディーもさることながら歌詞も素晴らしく良かったですよね。(^^)
処が、歌詞の中に“♪古い電車のドアの傍…♪や♪話す言葉を捜しながら、隙間風に震えて…♪”と別れ行く恋人同士の微妙な心理状態が池上線の車輌のオンボロなことや状態の悪さに譬えて歌われましたから、今だったら訴訟ものであったでしょうが、当時は未だ大らかな時代で池上線を所有する東急電鉄がそれを必死に否定するコメントを出したり(^^)して居ましたが、実際には戦前の40年以上使用した鉄製の車体が多く使われていたことは事実であり、その後平成元年に新性能のステンレス製の車輌のみの運行になりましたから、この歌の作曲家であり歌手であった西島三重子さんの功績は大きいと謂わねばなりません。その後平成7年に“池上線開通80周年”記念企画の一環として『池上線の名を全国に広めた』ということで特別列車”名曲池上線号“が運転され、この歌を歌った西島三重子さんも乗車されてイベントが行われましたが、幾ら乗客が増加したと謂っても76年当時の一時的なものであり、電車をボロカスに歌われ乍ら東急も懐の深い度量のある処を披露して呉れましたね。(^^)
記念企画開催時にはヒットした頃から30年以上経過しておりこの歌を歌った西島三重子さんは昭和25年生まれですからもう50歳より60歳に近い年齢になられて居り、栄枯盛衰世の倣い、殆どの方から歌手も歌も忘れられようとして居り、参加された方々はご年配の方ばかりであったでしょう。(;;)
【池上線開通80周年記念】
私は行ったことも乗ったこともありませんが、10kmは垂水から西明石位の距離であり、そんな短い路線でも事業として採算が取れるのは如何に東京の人口が多いかを物語っており愕いてしまいます。10年間東京で暮らした愚息に聞いたら朝晩は結構満員だったそうですよ。(^^)皆様も一度この悲しい恋の歌を聴かれ昔の良き時代の郷愁に浸られたら如何ですか?
それにしても“池上線”は其処が東京にあるからヒットするのであって、例えば阪急の宝塚線とか京都線では歌の題名にとして全く相応しくなく、30数年前は未だ日本の何処彼処に東京願望が立ち籠めていたからでしょう。(^^)
恋の歌を聴いて何時も思うのですが、過ぎ去った恋に対し女性は立ち直りが早く、男は何時までも未練を引き摺っているとよく謂われます。
今風に謂うと女性は過去の恋をover writeするが、男はsave as another fileすると何かで読みました。女性は新しい恋や新しい生活で過去の全てを上書きして清算してしまうが、男は保存したファイルを取り出して何時までも未練たらしく過去を振り返っているからでしょうか。
此のことは人類の生活に於いて女性の持てる資質が環境への適応度の圧倒的に高く逞しいことを意味しているのでしょう。(;;)男ってダメですね(;;)
先日の新聞記事ですが中二の少年が大阪市の児童相談所に入所した翌日相談所の指導員から顔や腹を蹴られる暴行を受け指導員は傷害罪で書類送検されたとか…(;;)児童相談所はまるでヤクザか警察ですね(;;)家では親に虐められ助けてくれる筈の相談所がこんなことではこの少年居る場所がありませんが、相談所に連れて来られるのはよくよくのことですから、殆どの児童が親にいびられ捻くれて人との付き合いが苦手で反抗的な子供だと思いましたが、親に折檻されて相談所に来る児童が捻くれているのは当然であり、その辺りを相談所が子供とじっくりと向かい合い、児童が心を開くように時間を掛けて子供の悩みを聞きながら心を解(ほぐ)して補導するのが彼等の本来の仕事であるのに、あろうことか指導員がたった一日でキレてどうしますか!お役所の悪いところは“不適材不適所”とでも言ったら良いのか、人事異動に於いて職員の能力や特性が全く考慮されることなく、場当たり的に配転されることにあります。2年前にも学校からの申し入れ全くを無視して放置し、そのため中三の少年を餓死寸前までに追い込んだ岸和田の児童相談所が社会問題になりましたが、あの時の図体ばかりでかい女性所長がその後懲戒されたなど聞いていませんから、児童相談所そのものが全く役立たずで本来の機能を果たさず、税金のムダ遣いであるように感じられます。体罰が目的なら児童相談所など解体して警察に任せたらどうですか?
兵庫県選出の鴻池祥肇官房副長官が政治家には久し振りである女性問題で職を辞しました。何でも政府がインフルエンザ騒ぎの渦中であるGW期間中に伊豆熱海方面へ女性同伴で旅行をし、然も切符は公務でもないのに国会議員の特権である無料JRパスが用いられたとか…(;;)情報源は週刊新潮ですが、以前にも此の女性を議員宿舎に泊めたことを同誌に暴露されて居ましたから、続けて監視されていたに違いなくそれにも気付かずウカウカ温泉旅行などされるとは鴻池先生も手抜かりでしたね。
此の先生は先年“お天道様は見てござる”なる本を書いて居られますが、ゴーストライターが書いたにせよ題名まで失念されるなんてこれ又皮肉な話でしたよね。(^^)この本が再版されるとは思いませんが、若し第二版を出されるのなら“週刊新潮は見てござる”に改題された方が良いでしょうか。(^^)
カナダで新型インフルに感染した大阪寝屋川高校の生徒が足止め解除で帰阪し、家族から“お帰り”と再会を喜び合った同じ日に神戸高校で渡航歴のない発病者3名のニュースには仰天しました。世の中って皮肉なものですね。此から少し宛伝播蔓延すると考えられますが、免疫力の問題ならもっと年少のものから発症するでしょうから一番頑健であるべき世代の発病が解せません。世界経済に暗雲が立ち籠めた折でもあり、明日からの株式市場が案じられますね(;;)
福岡県で行われたヴァーナルレディースはさくら選手初日68で3位発進と好スタートを切りましたが、最終日雨と風に調子を乱し6位タイとは不本意な成績でした。(;;)
来週は連続トップテンツアー新記録(9試合目)を目指して頑張って下さいね。(^^)

残して良いのは足跡だけ


新緑の5月酣(たけなわ)を迎えています。GWも無事終わり交通機関の熾烈な争いは1000円高速道路の勝利(数だけ…)に終わりましたが、高速道路の収入減は道路の補修費と併せて何れ我々の血税を貪ることとなることと思われます。漁父の利を得たのは高速道路のサービスエリアだけでありました(;;)無策な政府も国民の人気取りにこんな詰まらぬことばかり考えているようでは先が案じられますね(;;)
世はメキシコ発A型インフルエンザなどと厚労相を筆頭に騒いでいますが、インフルエンザは毎年流行し、我が国でも毎年100人乃至300人が命を奪われていますが、今回の奴は病原菌も弱くそんなに騒ぎ立てることもないと思われ、我が国政府の対応は余りにも異常です。病気が流行すれば死者も出ますが此は自然の摂理であって、今度のインフルエンザ事件は経済界にまで飛び火して世情不安を惹き起こして株安(製薬会社も下がった!)まで招きましたから、持ち株の評価額で自己資本を維持している銀行が潰れたら政府はどう責任を取るつもりなのか!又阿呆な医者達が我が身可愛さで診療を拒否された患者112名には呆れ果てますね。こんな不埒な医者は医師法違反で検挙して3年間無医村で無報酬で働かせて下さい。
先日の夜日経ビジネスを読んでいて目に止まったのですが巻頭の“有訓無訓”に於いて銀行マンからホテルマンに転じた異色の経営者であるロイヤルホテルの佃孝之会長が、好きな言葉として“You may leave your footprint, you may take your memory”を上げて居られたのを読みウイットに欠けた日本人の一人として目から鱗の思いに駆られ感心すると同時に己の貧弱な日本語の表現力をとても恥ずかしく思ったものでした。(;;)このフレーズを直訳すれば『残して良いのは足跡だけ、持ち帰って良いのは思い出のみ…』と言うことですが、アメリカの国立公園を訪れる方は公園でのこの注意書きを誰も見掛けられるそうです。此は単に“ゴミを捨てるな!”“公園の花や器物を持ち帰るな!”ということの諧謔的な表現なのですが、この珠玉のような言葉には含蓄があって此処まで婉曲にやんわりと書かれると思わず微笑んでしまいます。(^^)然し公園を訪れる日本人の内何%の方がこの言葉の意味を解されたでしょうか。そしてこの機知溢れたユーモアやジョークはアメリカ人やユーロの方々には日常茶飯事なのでしょうが、語彙と表現力に乏しい我々日本人には先ず考えも付かない発想なのに甚く感動させられますね。中国には古来此に似た先人の格言が多く存在しますが、我々も是非見習わねばなりません。佃孝之会長もその辺りから日本人と諸外国の人々との言葉に対する感性の落差の大きさに危惧を抱かれたものであったでしょう。
何時だったか或る病院を知人のお見舞いに訪れた折、病院内のあちこちにポスターが張られ『あなたには周りの人の健康を害する権利はない』と喫煙の絵と共に描かれて居ましたが、日本人はこと言葉に関しては、喜怒哀楽の表情同様こんな直截(ちょくせつ)的な表現しかできず、これでは喫煙者の反感を買うばかりで逆効果です。もう少しユーモアを含めて、例えば喫煙の写真の傍に小さく『あなたが僅かの時間、近くに居られる方に心遣いをされることで多くの方を病いから救えるかも知れません』(拙(つたな)い自作で申し訳ありません<(_ _)>)などと柔らかく表現されればきっと喫煙者の方にも分かって頂けるのではないでしょうか(^^)
対外的には国際社会に於いても日本人は自らの真意を相手に充分伝える知恵や説得力に欠ける嫌いがあり、外交面でODAなど結構損をしているように思いました(;;)
言葉など使い方一つで何の労力も要さぬものです。言葉と謂えば古来“咎めずに褒めよ”の諺がありますが、皆様も出勤される時奥さんにさりげなく“今朝の君の目は綺麗だね”などと然りげなく言葉を掛けてから玄関を出られたら、パジャマ姿で欠伸をしながらご亭主を送り出した奥様も翌朝からは早く起きて薄化粧を施して柔(にこ)やかに門の外で手を振って頂けることを知るでしょう。(^^)家庭ゴミを出すのは奥様の仕事となり、夜には晩酌まで付いて居たりして…(^^)え?全く効果がなかった?そんな無神経な女は即刻離婚しなさい!家を抛り出されるのは男の方だったりして…(;;)
其の昔麻酔の元祖であった華岡青洲のお母さんだった方は夫が起床するまでに化粧を済ませ、夫が就寝するまで決して乱れた姿を見せなかったと謂われますが、日本人も昔は誰もこのような風潮が自然でありましたが、何時の間にか上記の様に逆転したのは、女性が向上したわけでも堕落した訳でもなく偏に男が不甲斐なくなったからでしょうね(;;)
先日M新聞“みんなの広場”で興味深い投書にお目に掛かりました。それは先月の選抜高校野球に21世紀枠で出場し活躍した宮城県の利府高校のユニフォームには“RIFU”とあったそうです。RIFUは現在ローマ字表記で主流として用いられているヘボン式によるものでありますが、投書の主は外人がRIFUを発音したら全く違った発音になるから現在のローマ字表記を改めるべきではないかと主張され、日本語には舌を巻いて発音するRの発音はないからラリルレロにはLを用いるべきであり、下唇に前歯を当てるFの発音もないからハヒフヘホのフにもHを使うべきだと主張して居られます。学生時代英語は訳すことと書くことしか学ばず、RとL、更にはFとHの発音の違いなどまるで無縁の世界で過ごして来た我々英語の発音オンチには全く異次元の話ではありましたが、言われて見ればさもありなん成る程と納得したのでありました。(^^)
国が変われば発音も変わります。言葉の発音から謂えば日本人より韓国人の方が遙かに英語に近い発音を有しているため英語に馴染み易いようです。李(り)さんが韓国では李(い)さんと発音され韓国人はラ行の発音ができないと謂われて“ラクビー”が“オクビー”などと発音されますが、恐らく韓国人はラ行の発音を全て舌を巻いて発音するため日本人には“リ”が“イ”と聞こえるだけで本人は“リ”や“ラ”と発音しているつもりではないかと思います。
投書された方は49歳の女性で恐らく外国で生まれられたか、或いは外国での生活が長かった方と想像致しますが、現在英会話を習っている方や英語を喋っている日本人の何%の方がRとL、更にはFとHを正しく発音して居られるのか疑わしくてなりません。(;;)
私にはこの方の言われるRとFを発音しようと懸命に試みましたが如何様に努力しても声がくぐもったり、唇を噛むばかりでまるで発音できませんでした。(;;)若し日本人が発音できたとしたら幼児の頃より外人と一緒に生活をして育った環境の下でしか考えられません。話す言葉は幼児の頃初めて聞く言葉の模倣によって、記憶脳に留められますからその機会を逸すれば努力によってある程度近い音は出せても永遠に正しく発音することは不可能でしょう。
ローマ字の表記を変更することによって日本人の発音が変わることは先ず考えられませんが、当初ローマ字のヘボン式表記法がアメリカ人のジェームスヘボン氏によって作られたのは明治の初期である1867年でありましたが、150年も前のことだし、ヘボンさんの英語が如何に訛(なま)っていたか良く分かりますね。(^^)
話は変わりますが昭和30年位私が大学生の頃神戸の町並みを歩いていると、タクシーの運転手から乗客のアメリカ水兵達を指して“兄ちゃん、こいつら何処へ行きたいのか聞いてくれんか?”とよく聞かれました。現在と違って当時の大学生は詰め襟に学生帽を被る倣わしであり誰にも識別ができたからですが、私にはこの見知らぬ乗客の話す英語?がまるで理解できなかったのです。”Speak more slowly”と言うと分かるらしく、少しはゆっくりと喋るのですが、どうしてもさっぱり理解できず到底英語とは思われず未開のアフリカ辺りの言葉かと紛うばかりでありました。(;;)運転手には結局私がニセ学生とでも思われてか侮蔑の眼差しを受け走り去られた屈辱を今もよく憶えていますが、当時は英語と謂ってもスラングが多くキングイングリッシュなど話す人は一部の将校に限られていたことを後で知りました。(;;)
又、学生時代に東北地方を一人旅していたとき、秋田県の田沢湖付近で列車の乗客が話している言葉が如何に耳を傾けても一言も分からなかったことがありましたから、狭い日本であってこうなら広いアメリカなら当然のことであったでしょうね。(;;)
ローマ字表記の投書を読んで、50年昔を回顧することになりましたが、昔は時がゆっくりと過ぎて行く長閑で良き時代でありました。(^^)
“巨星墜つ!”タイトル獲得数23個、藤沢秀行名誉棋聖が一昨日8日83歳で帰天されました。此の先生は聖人君子の揃ったプロ棋士の中で“呑む、打つ、買う”の三拍子揃ったハチャメチャに変わった方で競輪に一回数百万円を投じたり、懐に金がある内は家に帰らないなど凡そダメ男の標本のような私生活を送られ、NHKでも数回ドラマ化された程の奇人でありましたが、囲碁の才能だけは他の追随を許さない独特の異常感覚の持主であって、死の直前まで多くのプロ棋士に慕われて秀行塾の門戸を開いて指導を続けられて居られました。然し此まで権威主義の権化のような日本棋院の顔を逆撫でするような言動が少なくなく、日本棋院の遺恨は深く、恐らく棋院葬はして貰えないと思われます。(;;)秀行先生安らかにお睡み下さい。合掌
女子プロメジャー本年度第一戦ワールドサロンパス杯は茨城で行われましたが我等がさくら選手は初日1オーバーと出遅れたのが祟り9アンダー6位に終わりメジャー2勝目はお預けとなりました(;;)

寺小屋とは何のことだ!


其所此所に石楠花の咲き誇るGWの真っ直中です。多くの方が海外旅行やETC1000円旅行に出掛けられて、この時期うちのブログなど訪れる方は居られないと思いますが、毎日曜日の更新は私自身が生きている証だと思って居ますので、訪問者の有無に関わらず性懲りもなくリリースしています。(^^)
午前中昼食などを買いに街に出掛けましたが、商店街はガラガラの閑小鳥で何時もなら押して通る商店街がチャリンコのフルスピードで走れましたし、午後ネットの碁を1局打ってと思いアクセスしましたが、此方も閑古鳥で誰も相手が居ませんでした(;;)
大久保一族及びファミリー企業の払拭が結論された30日の報告書により7月の漢検テストが無事実施されることを文科省が決定しました。“漢検”の登録商標がファミリー企業所属であることが今になって判明しゴタゴタしていますが、買取などせずにロゴを変えれば済むことでしょう。愈々漢検の実質支配が文科省のものになったことで熱(ほとぼり)の冷めた頃、理事長が文科省OBとなり、爾後漢検は大久保&ファミリー企業であったのが、やがては文科省&ファミリー企業になることでしょう(;;)
受験者が300万人になるまで懸命に努力したのに一寸した手抜かりで金の卵を産む愛娘を悪代官に連れ去られた大久保親子の心境は如何ばかりでしょうね。全ては“欲ボケ”が齎した報いでありました。(;;)大久保一族が1年間に3億円も取り込むなんて恥ずかしくなかったのでしょうか、公益法人ではなく私益法人でしたね。(;;)
ともあれ7月のテストも実施が決定し、私も今日からGWを心置きなく漢字検定の学習に打ち込めることとなりホッと安堵して居ります。(^^)
漢字なんかちっとも面白くないと仰る方が多いと結構思いますが、何でもその世界に足を踏み入れると結構興味深くてなかなか抜けなくなるものですよ。例えば4年生で習う7級の配当漢字で“芽”と謂う字がありますが、此の漢字は草冠に牙と云う字の構成でできており、字画は草冠が3で牙が5であり合計字画は8が正解です。処が草冠を除いた“牙”と謂う準一級の漢字は辞書では4画となっており一画足りません。その理由は正しい“牙”の字の2画目と3画目が連続して居り、左に出ている線は明朝体の修飾であって、筆順は縦棒を降ろしたまま素直に右に線を引くのが正解です。同じ“牙”でありながら如何してこんな生徒泣かせなことになったのかその原因は戦後文部省が作った常用漢字のせいなのです。元々牙の字は4画だったのに常用漢字を作るときに修飾部分(旧字体にはなかった)を入れて1画増やしたことが原因なのです。従って芽も旧字体は牙が4画なのですが草冠が+が二つになって4画にされているため合計では8画と変わらぬややこしさです。(;;)
同じような漢字に“卑”と謂う字がありますがこの字も常用漢字で画数は9画ですね。処がこの字の旧字体は“脾臓”の“脾”の旁のように良くご覧になれば田の縦棒が左に寄って下の“ノ”とドッキングしているのがお分かりでしょう。従って正解は“月”を除けば8画なのです。この字も常用漢字によって1画増やされたもので、常用漢字なら“寿”と7画と少ないのに旧字体“壽”と14画にも字画が増えるのが常識ですが字を簡易にした常用漢字になって字画が増えるなんて生徒いびりとしか考えられずおかしいですね。
皆様も一度周囲の方に“牙”が何画か聞いて見られたら如何でしょう。4画と答える方が10人に一人居られるでしょうか?え?“牙”と謂う字を知らない人の方が多いですって?
異色のロック歌手の忌(いまわ)野清志郎が58歳の若さで癌のため亡くなりました。この歌手は栗原と謂う立派な苗字を持ちながら如何してこんな忌み嫌われる字を芸名にしたのでしょうか。おまけに“忌”の正しい訓読みは“忌まわしい”ですから、この歌手のお陰でロックファンの方の中では国語のテストに“忌しい”と送りがなを振って罰点だった方が多かったことでしょうね。(^^)謹んでご冥福をお祈り致します。合掌
阪神淡路大震災で親を亡くした子供の心のケア施設、あしなが育英会神戸レインボウハウスが遺児達の学習を支援する子供達を募集する記事が新聞に掲載されていました。親が震災で後遺症を負ったり亡くなったりした小学生が対象ですが、名付けられた“虹の寺小屋”の名称に奇異な感を憶え、“寺子とは寺子屋に通って学ぶ子供を謂いますから寺小屋は誤りではありませんか?”とレインボウハウスに電話をして確かめたのですが出られた方は“うーん、良く分かりません”とのお返事でした。何も重箱の隅を穿(ほじ)ったり、人の揚げ足を取るつもりはありませんが、“寺子屋”と”寺小屋”は漢検の3級位の誤字訂正に出題された記憶がありますから、小学生を指導する者が誤字の学習塾では洒落にもなりません。早速看板を書き換えて頂くようにお願い致しましたが、一度育英会の会議に諮られるとか…(;;)果たしてどうなることやら…(;;)
オバマ大統領が地球温暖化防止のための京都議定書に復帰しない方針を最終的に決定しました。京都議定書は地球環境の悪化に歯止めを掛けるべく温室排出ガスの削減目標を定め2012年までに日本は△6%アメリカは△7%の目標を掲げていましたが、ブッシュ前政権がエネルギー産業の傀儡であったために同調せず、今回オバマ氏に期待されたものでありましたが、彼の復帰に関わる判断は、議案を上程しても上院での支持が見込めないからとの理由でありましたが米政府当局者が復帰しないことを認めたのは心外であり、勝敗は兎も角一度は土俵に上げるべきではなかったでしょうか。
今回の復帰撤回によってオバマ氏も又エネルギー産業の幇間であることを暴露しましたね。
“ブルータスお前もか!”でありました。(;;)
孫の通っている学校で文化祭が行われると聞いて昨日の午前中遙々住吉まで行って来ました。目当てはこの学校の囲碁部が過去に団体個人共に幾度も全国制覇を成し遂げたのを知っていたので、現在の囲碁部がどの程度の力があるのか試して見たくて行って来たのですが、予め聞いていた旧校舎の穢い部室を探し当てて、四段だと謂う少年に対局を申し込み向こう先で対局した処、簡単に打っ潰されると覚悟をしていたのですが、意外にも彼の碁には若者らしい覇気や奔放さが全くなく長考する割には所謂根性の入った“読み”がなく、私自身50数年の経験から察する処、自分で考えた手が打てない教科書を丸暗記した借り物の碁であり、従って棋力は小生の期待を全く裏切るもので全国レベルは疎か到底県代表にも届かないものでありました(;;)更に気になったのは4倍以上も年上の棺桶に凭り掛かった小生に惨敗しても少しも悔しさが見られなかったことでありました。(;;)

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会場はご覧のように部員も来場者も少なく、昔の場末の碁会所宛らであり(;;)、漫画“ヒカルの碁”がブームとなって子供達を席捲して早や10年が経ましたが、嘗ての囲碁名門校のこの惨状は“栄枯盛衰世の倣い”とは謂え、とても悲しく思ったものでした。(;;)
女子プロゴルフクリスタルガイザーレディースは千葉県京葉CCで行われましたが、初日68と好スタートを切ったさくら選手でしたが、2日目18番の池ポチャが祟って6アンダーの2位とは不本意でありました(;;)