「秋の日は釣瓶落とし」と謂うが10月も終盤を迎え夜の帳が随分と早くなった。この言葉は太陽の傾いて行く様を水汲みで井戸へ釣瓶を投げ入れ落ちて行くスピードに擬えたものだが、最近の若い人は井戸や釣瓶を知らない者も多いし、何れ死語になることだろう。とても良い言葉なんだがな:-)。それにしても先週末は気温が急激に下がり先日までの猛暑がウソのようだ。本当の秋が来たんだ^^。

武庫川女子大学と謂えば学生数7700人と女子大では日本一の数を誇る名門女子校だ。此の大学には附属中学と附属高校が併設されている、先日のNHK合唱コンクール近畿大会に於いて此処の附属高校と附属中学が共にそれぞれダントツの力で他校を圧倒し金賞を獲得全国大会に進んだ^^。指揮者の先生が中高共に同じだったから中高生が一緒に練習していると思われる。歌唱は課題曲と自由曲の2曲であり、最後に会場に集った参加校全員で課題曲を合唱するが、此の指揮者には金賞を獲得した学校が選ばれるから武庫女の先生は都合6回タクトを振ることになり、疲労困憊されたと思うが自分の教えた生徒達が中学も高校も金賞で嬉しかったろうな^^、きっと疲れも吹っ飛んだことだろう。然し乍ら先週の全国大会では流石に此の学校の歌唱力をもってしても届かず今年も金銀銅に及ばなかった。昨年今年と連覇を達成した千葉県幕張総合高校の勝因はメンバーの半数近くが男子であり、此の年齢層になると混成合唱に勝るものはなくバリトンやバスの存在が如何に合唱に不可欠であるかをつくづく痛感させられた:-)。武庫女の敗因は女子校だったことだろう。
歌唱前に紹介される各代表校の練習風景を見ておっ魂消た。どの学校も基礎体力作りが物凄く腹筋から始まり重たいペットボトルを持って坂道走りなど練習が運動部より余程ハードなのではないかと思ったがきっと躰が楽器だからなんだろうな、安定した発声には強靱な身体機能が不可欠であることをつくづくと思い知った。そう言えば近畿地区の予選で滋賀県代表の学校は合唱部がないため色んな運動部から選手を掻き集めて県代表に勝ち上がってきたと紹介されて居たが、躰各所の筋肉が鍛えられ運動機能が発達すると発声の音程が安定するのだろうな。何処の代表校の選手も真っ黒に日焼けしていたのには感動したよ、しっかり歌が唱えるのはアスリートやからなんや^^。

「百姓」が差別言葉なんて私は聞き始めだが灰谷先生が作品で書いて居られるので、国語辞典を繙(ひもと)くと「百姓」とは差別用語だと書いてあった:-)。
「百姓」=田舎者を罵って言う言葉、「百姓読み」=漢字の読み方を偏又は旁(つくり)によって我流に読むこと、以上広辞苑より…、我々の食べるお米をお百姓さんが作られることに感謝せよと小さい頃学校で習ったが、あれは何だったのか、前に「お」を後ろに「さん」を付いているから蔑称だなんて思えんが、「馬鹿」と「お馬鹿さん」も余り変わらないよな、きっと「どん百姓」なんて言葉からの連想だろうが、お百姓さんも気の毒だ。戦争前は収穫した米の70%を地主に取られ幼(いとけな)い娘を女衒に渡して家族の糊口を凌ぎ、農地改革の終戦後は今でも5反(1500坪=5000㎡)コメを造って年間100万円も現金収入がないことから、子どもに嫁の来てもなく街へ出稼ぎに行く羽目となって農村の休耕田が増加する一方だが、何時の世もお百姓は住み辛く、職業まで差別用語にされては堪らないな、一度休耕田にすると土壌の恢復にしっかり10年掛かるそうだが全てはアメリカから半強制的に米や小麦や大豆なんか買わされている政府がアホなんやろうな:-)。我が国も韓国のように徴兵?制度を作り、男女の差別なく若者に鉄砲の代わりに鍬を持たせて朝4時に起床させ2年間農作業を義務付けたらどうだろうか?里山の自然に接し、植物の生育を体感することから食べ物の有り難みが身に沁みて、食事を半分残して立ち去る不作法を恥じることを知り、且つモヤシのように軟弱な子女がこの世から消え去り、子どもをポコポコ生める健康な女性が巷に溢れるのではなかろうか:-)。
農業や漁業の一次産業を故意に切り捨てて次代の若者の育成を怠り、アメリカに諂い、商社を肥やすために輸入に頼ろうとする政府の遣り方は到底許せないと思う。食糧自給率の乏しい我が国が此の儘手を拱いていたら,我々の児孫にどんな悲惨な未来が待ち受けているのか誰もが分かっている筈なんだがな:-)。

先週の誤字訂正の答え
容疑者には黙否権が認められる (黙秘権でした)

今週の誤字訂正の問題
間違えて激薬を飲んでしまった

御教訓カレンダー 
「おーいお茶」→「おーい落ちた」 屋根修理の亭主
緑茶「おーいお茶」のラベルには、折々の伊藤園俳句大賞が掲載されている。先日目にした「いつの間に知らぬ顔ある焚火かな」
ちょっと季節は早いけど幼かった昔を思いだし心が和んだよ^^、