先週金曜日からグングン気温が下がり、昨日など久し振りに雪が見られましたね。本格的な冬の訪れですが、これとても昔の寒さとは比べものにならず子供達が校庭で雪合戦ができる迄には至りません。小さい頃家から炭団(たどん)の豆炭を持って行って雪達磨の目玉の代りをさせて居ましたが、今の子供は炭団など見たこともないのでしょう(;;)。
先週漸く終わった神戸ルミナリエは阪神淡路大震災の発生を契機に鎮魂と追悼、街の復興を祈念して震災で激減した神戸への観光客を呼び戻す目的で毎年12月に開催されていますが、震災後15年を経て事件も風化しつつあり、今年のルミナリエは神戸の景気が良くないこともあってイマイチ盛り上がらず、イルミネーションの明るさだけが目立ち人出も少なく単に電飾が地球温暖化に寄与したに留まった感があります(;;)。
地元の商店街も当初は大いに乗り気でしたが、雑踏が酷くて来客応対処ではなく、その内クリスマス商戦のため早めにルミナリエを切り上げるようにしましたが、売上は一向に戻る気配がなく却って雑踏警備に経費が掛かり、最近では福知山線事故以来JRも冥加金を出さなくなったりして存続が苦しくなっています(;;)。人混みの苦手な私は嘗て一度も行ったことがありませんが、単なるお祭りと化したルミナリエなど神戸の企業に経済的な負担ばかり掛けて見返り(お店の売上)が少しも増えないのでは早く止めた方が良いと考えます。
遂に政界の異端児亀井郵政担当相のごり押しで日本郵政の株式凍結法案が先々週の臨時国会で可決され成立しました(;;)。一体から4年前熱狂的な国民の支持で小泉内閣によって郵政民営化が実現しましたがあれは一体から何だったのでしょうね?民意を全く顧みない亀井静香の良識が疑われますが、郵政公社が株式会社に名前だけ変わっても株式の譲渡凍結では民営化は名ばかりであり、公社が株式会社となっただけでは中身に変化があろう筈もなく、会社となったばかりに郵便局で支払う3万円以上の料金に収入印紙を押捺される義務が生じたため代金の受領側の手数料に印紙税が加算され、郵便局に振込受領を依頼する民間企業は従来より過酷な手数料(税金)負担を強いられることになりました(;;)。
印紙税と謂えば実質的な取引より形式的な面により課税されるおかしな税金であり、今はもう時効となりましたが昔明石海峡大橋が開通したとき新設された各料金所の料金収受業務を本四公団からさる民間会社が委託されて行って居り、当時は通行料5万円のハイウエイカード(現在は廃止されています)は割引(20%近く)が多額なため売れ筋の人気商品でした。処が此の受託民間会社であるA社は5万円の領収書に料金の委託先である本四公団と正しい受領先を書かずに自社のPRを考慮したのか自社名を印刷したばかりに大阪国税局から高額な印紙の過怠税を課せられることになった事件がありました。A社にして見れば単なる預り金であっても、受領者が形式的であれA社と表現されている以上、どうあっても課税は免れないのが印紙税法の定めでありました(;;)。印紙税の罰金は本来納付すべき税金の3倍(誤って金額の少ない印紙を押捺した場合は1.1倍)と定められて居ますから、恐らくA社は1千万円を超える追徴金になったと思いますが、罰金は損金(経費として収入から控除して貰えない)にすらならず、広告宣伝費にしてはバカでかい支出でありました(;;)。
因みに領収書に押捺する収入印紙は法律上営業に関するものに課税されると定められていますが、然らば営業に関しないものとの区別は何処にあるのか定かでなく我々にも余りよく分かりませんが、印紙税法では営業に関しないものとして医師や病院や士(さむらい)仕事である弁護士や税理士などが列挙されており、これらは何れもボランティアで遣っている訳ではなくれっきとした商売なのに何故か不可思議な話です。恐らく遠い江戸や明治の古(いにしえ)では“医は仁術”とか謂って(現代では“医は算術”の時代です)士(さむらい)仕事は全て人助けのボランティアの趨りだったのではないでしょうか。將亦(はたまた)物品販売である“商い”との区別に措いて営業と非営業の区別がなされていたのかと思いました。30年位前までは確定申告書の所得の書き順に1番が事業で2番が農業3番にその他の事業とありましたから、これも非営業の名残りだったのでしょう。
何時だったか顧問先の歯医者さんの事務員から患者さんが自費診療の領収書に印紙が張ってないのは何故だ!とクレームが入ったと電話があり“営業に関しない領収書に該当するから非課税です”と伝えましたが、果たして患者さんは本当に納得されたか甚だ疑問であり(;;)再度税務署にでも問い合わされたのではないかと思って居ます。私自身“営業に関しない…”と言う表現は訂正されるべきだと考えていますが、お上(かみ)もそろそろ明治時代の言葉を見直して頂く時期が来たのではありませんか?
人生齡(よわい)70歳を過ぎると、一寸したことで子供返りして幼い頃の郷愁に胸が締め付けられる思いがすることが良くあります。先日の夜ネットの碁を打ちながらもラジオから流れてくる歌を聴いていると懐かしい菊池章子の“星の流れに”が聴こえてきました。昭和22年にヒットした唄ですが“♪泣けて泪も枯れ果てた、こんな女に誰がした♪”と此の歌を聴いていると、私は何時も遠い昔のできごとを想い出して心悲しくなります。
想い出を辿れば、60数年前終戦後間もなく疎開していた姫路の郊外から姫路の街中に戻ってきたときのことです。私は小学校5年生でしたが九尺二間のボロ長屋の端で丁度うちの隣だった家に住んで居た幼い子供を抱えた小母さんのお腹が急に大きくなりました。母の言うには生活に困って春を鬻(ひさ)いだ結果だとか(;;)、そのとき子供心には良く分かりませんでしたが、軈て米軍の捕虜となっていたご主人が復員されることが分かってこの小母さん子供と一緒に身投げをされ亡くなりました。子供と共にどんなにかご主人の帰りを待ち侘びて居られたことか(;;)、子供を道連れにした自裁は懊悩の末の決断だったと思いましたが、食べるものが何もなくひもじかった時代であり身体を売ることは生きて行くための最後の選択肢であったことを数年してから悟りましたが、そのときは子供心乍ら唯無性に切なくてなりませんでした。戦争の悲劇は弱者であるこんな市井の人達にも及んでいたのです。戦争はもう嫌だ!
今年も遂に年の瀬が迫りました。世の多くの中小零細企業が日銀と民主党政府の無策によるデフレ不況に喘ぎ、倒産や廃業に追い詰められて居ます。企業の倒産や廃業は必然的に雇用の破綻を招き、飽食時代に生を受けたために堪え性のなくなった今の世代の若者には何故に自分だけが…と自暴自棄となった人達も居るでしょうし、メディアの報道が犯罪や社会不安を煽り、貧しい家庭では親子心中まで懸念されるこの頃です。
皆様は36年前だった1974年150万枚を売り上げて大ヒットしたさくらと一郎の”昭和枯れすすき“をご存じでしょうか。人生の過酷にうち拉がれた男女二人の慟哭の唄でありましたが、あの当時は高度成長の萌芽期であって、青天の霹靂も良いとこであり何て暗い唄なんだ!何でこんな唄が流行るのか?と訝しく聴いて居ましたが、恐らく世の人達は自らの生活が安泰である優越感に快感を覚え此の唄を他人事として気楽に歌って居られたものでしょう(;;)。
処がまさか平成の世になってこの唄のような時代が来るとは思っても居ませんでした。将に此の歌は”平成枯れすすき“と言うべきであり、“♪貧しさに負けた、いいえ世間に負けた…花さえ咲かぬ、二人は枯れすすき♪”とさくらと一郎は平成のデフレを予言して痛烈に歌い上げたのでした。女性上位時代でもあり、恋人もできなくて“俺は独りで枯れすすき!”と思って居る方も少なくないと思います(;;)。
無理な注文ではありましょうが、鳩山首相以下閣僚の全員に此の唄を真摯に受け止め、雇用の回復と男性の復権を目指す政治を行って頂きたいと願って止みません。
今日の高校駅伝近畿代表の西脇工業健闘及ばず2位は無念でした(;;)。日本語もロクに喋れぬ留学生の参加など誰が認めたのか!世羅や青森山田は西脇工業の純血主義を見て恥ずかしくないのか!
今週の漢字書取の問題
タンタンたる生活 タンタンたる心境 虎視タンタンと狙う
先週の答え
産業を奨める 預金を勧める 会議を進める 会長に推し薦める
“産業を奨める”が少し難しかったでしょうか?