長い連休も今日で終わり、新たな気持ちで東北の方々の心の平安を祈りつつ風薫り新緑に萌える五月の許を3月決算に臨みたいと思う。林檎の花が終わって、庭の牡丹が満開となったが毎朝散ってしまったのではないかと気になり、風が吹く度にハラハラする。“触れなば落ちん風情”とはこんなことを謂うのだろう。

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菅総理が中部電力浜岡原発の全面停止を要請したため、我が国の電力事情は一気に暗転し、オール電化が当たり前の我が国に文字通り暗黒が訪れようとしている。総理の発言は泥縄だが電気の過剰依存について我々も考えて見る良い機会ではないか。私は電化製品のない灯火管制の戦時中に育ったためきっと耐えられると思う。政府も子ども手当など廃止して午後9時からの電気代を5倍に引き上げる法律でも作れば我が国は少子化から一気に脱することができるだろう。
私が学校卒業当時は鍋底景気と言われ、私自身囲碁に感(かま)けて学業成績が最悪であったため就職の学内推薦すら受けられなかった。そのために就職試験を受ける機会を与えられず、個別面談で学生部長の鬼塚教授に“受かるか滑るかは運やけど土俵に上げて貰えぬのは納得行かぬ”と談判したが、“いや君の此の成績ではどうしても無理だなあ、君は君の好きな道を選んで呉れ給え”と突き放されて取り付く島がなく、何処へも就職できずに已むなく父の大阪事務所でお茶汲みをさせられて居た。そのときは唯々世の無常を逆恨みした苦労知らずの大きな子供であり、男一匹人生如何に生くべきかの大切な志をも忘れ果てた愚か者であった処、近くに当時日本一大きい碁会所ができた(^^)。シネラマのOS劇場の真前でその名もOS囲碁センターと言って阪急直営であり200人も入場できる明るい洋風の社交場で、対局は全て椅子席、受付には若い女性が居り、彼女からゲーム表を貰って名前と段級位を書いて置くと軈て受付嬢から近い段級位の相手を紹介されて好きな場所で対局できる斬新なシステムであり、それまで碁会所と謂えば場末のジメジメした薄暗い仕舞た屋の畳の間で裸電球の下を柄の悪い連中が血走った目で屯し、賭碁のイメージが強く新参者にはとても入れる雰囲気ではなかったから明るく健全なOS囲碁センターは多くの囲碁愛好家に受け入れられて遠方からの客も多く土日など満員の盛況であったが、それでも未だ未だ最近のように子供や女性など底辺の初心者が門を潜れる場所ではなく、入って行けるのは現在の段級位で言えば初段(当時なら8級位か?)がやっとであったろうか。私は当時4段でOSの主を名乗って居り、多くのギャラリーが見易いように入り口の角が私の指定席であった(^^)。
この囲碁センターは梅田のOSミュージックホールの4階にあって隣の部屋が同じ系列のレストランだった。何かの拍子に当時恋人だった女性からそのレストランで食事を奢って貰うことになり、私は何時ものように懲りずに囲碁センターで碁を打っていた。6時頃彼女がやって来て私からの“もうすぐ終わるから…”の言葉で“ご馳走を注文するよ”と言ってニコニコ隣のレストランへ行き私は終局を急いだ。間もなく彼女がやってきて“もうできるから早よ来て”と言って隣へ帰って行った。処が私たちの会話を聞いていたのか劣勢だった相手の着手が急に滞り勝ちとなり打たなくなってしまった。明らかに“モテモテ男”への嫌がらせだ!将棋なら王様を召し捕ってお仕舞いになるのだが囲碁の場合王様が居ないため終局に到る手順が複雑で面倒である。困っていたら再びやってきた彼女の顔付きが変わっており“お料理が冷めてしまうやんか、なにしとんのん”と周囲の誰もが振り向くほど顔を真っ赤にして大声で怒鳴り捲った(彼女は心優しいけど人一倍気が強く気短だった)、私が対局相手の顔を見詰めると相変わらず素知らぬ顔をしているので、此所は一番格好を付けねば折角結ばれかけた赤い糸が切れるわいと思い、相手に“あんた、負けとる碁を何時まで打つ気や、投げる気がないんか!儂は止める!”と喚いて相手を睨み付け碁盤の石を崩して彼女を隣に帰し、そのまま自分のゲーム表に×印(入場料200円一局負けたら10円)を付けて受付で清算してから慌ててレストランに行ったのだが、彼女の怒るのも当たり前で豪華な食事の前には彼女独りが泣きそうな顔をしてションボリと座って居り、数名のウエトレスと数少ない食事客がどんな白馬の騎士が登場するのかと好奇の眼を光らせて居るのだった(;;)。然し現れたのが痩せこけた風采の上がらぬ貧相な青年だったので皆は期待を裏切られ全員が失望の色をまるで隠そうとしなかったため私達は居たたまれぬ気持ちとなり、折角のご馳走も冷たくなっているし喉を通すのがやっとだったが、二人とも頭に血が上っていたのだろうか何を食べたのかどうして帰ったのか何も憶えて居らず、ほろ苦い思い出となったがあのときの強烈な印象が今も忘れられず夢にでてくる(;;)。
その頃二十歳(はたち)だった色白の彼女は一番の旬(しゅん)で美しく、歩くとき当時はカップルであることを他人(ひと)に知られたくない古い時代だったため彼女が腕を絡めて歩こうとして私に窘(たしな)められ頬っぺを膨らませ拗ねた顔が妖精のように可愛いく得(え)も言えぬ魅力だった。短躯ではあったが犀の角に聳(そばだ)つたEカップが道行く人の視線を止めたことをよく憶えている(^^)。
その後50年余が経過し、今では彼女も腰の曲がった皺の老婆となって嘗てのOS囲碁センターでの如く私をボロカスに貶すことを何よりの生き甲斐として傍(かたわら)に居るが、私が心を悔い改め己が目標に向かって邁進し漸く志を達成することができたのも彼女が居て辛酸を分かち合って呉れたお陰であり、その後も私の気儘と移り気から幾度も危機を迎え、何度も切れ掛かった運命の赤い糸であったが彼女の忍耐と努力に助けられてどうやら切れずに結び合った儘二人は今人生の終着駅へと向かって居る。無事辿り着くまでもう一息だ。
先週の常用漢字表外読みの答え
(禍々しい)出来事 (まがまがしい)
今週の常用漢字表外読みの問題
里芋が(滑る)