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旭化成建材は被害者じゃないの?

大根2

秋も少し宛深まり紅葉の季節が近付いている。もう11月なんだ。歳月の経つのは思ったよりずっと早くあとたった10日で私は80歳を迎えることになるから万感迫る思いだ。
庭の大根も順調に育って三角バッタの好餌となり、モンシロチョウがせっせと葉に卵を産んでいる、卵は軈て青虫となって大根の葉を食べるのだが青虫は葉と同じ色だから見付けるのが殆ど不可能だ、でも青虫にしても蝶々になるために必死だし捕まえて金魚の餌にするのは人間のエゴだから見逃してしてやろうと思う。なんて…悟ったようなことを書いているが、実はもう私の視力では青虫と大根の葉との見分けができない(;;)。
今年の大根はなぜか昨年と違って発芽率が100%だった、そんなに発芽すると思ってなかったのでテキトーに蒔いたのがアダとなり数回間引く羽目になって現在に至っているが、半月もしたらもう一回くらい間引く必要がありそうだ。間引き大根の根っこは辛くて食べられたものでなかったが葉はメチャ柔らかく美味しかった、栄養価も満点らしい^^沢山の方に差し上げて喜んで頂いた^^。

先日近藤康太郎著「新しい民主主義」を読んでいたら、村上春樹が捉まっていた^^。彼、村上春樹は初期に「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を書いていた辺りまでは車嫌いで、この作品の主人公が死んでゆくのも国産のしょぼくれたレンタカーでボブ・ディランを聞きながらだった。その頃の村上春樹は「正月は車が居なくなるから、自分のような散歩者には静かで空気が良い」なんて清潔なエッセイを書いていたのに流行作家になってから急に「車はオープンカーに限る」とか言ってポルシェのオープンカーだって?恥を知れ!と彼近藤康太郎に叩かれている^^。
この人ノーベル賞候補になったせいかやっかみだろうが文筆家の間では評判悪いよね、いつだったか群ようこに「村上春樹の経営する飲食店に行ったら大きなゴキブリが壁に張り付いていた」と書かれたが、目の敵にされて居るのは面白いね^^。本当に立派な作家であれば同業者からこんなバッシングを受けない筈だから何処か彼に人間的な欠陥があるのかな?
村上春樹は翻訳物が出回ったせいで外国人には好評のようだが、わたし的には彼の作品に登場する主人公の性格が分かり易そうで実はとても晦渋だからよく理解できずあまり読みたくない。

先週日曜日午後漢検の検定に出かける少し前に近くで事件があったから防犯カメラを見せて欲しいと警察官が来たので招じ入れたら小柄で皰(にきび)ポチポチの可愛い女性警官だった。名刺も貰ったが名刺の肩書きは「兵庫県巡査」だ。「早く警部にならんとあかんね」と言ったら「絶対ムリ」と真顔で言われた。
事件が深夜でもあり防犯カメラがはっきりしないので上司に相談しUSBメモりーが必要なら私達は三交代なので三日後に来ますからお願いしますと頭を下げて帰って行ったが水曜日には来ず昨日になって「矢張りコピーが要ります」と訪ねてきた。丁度六日後だから休み明けの勤務だろう、でもうら若い女の子が24時間勤務だなんて厳しい職場だね。女性にとって体力勝負の世界だ。お嬢さん、警察は基本男社会だけど女性も頑張ってせめて警部補になって部下の男達を扱かんとあかんよ。

先週の漢字検定は女性警官の応対などで鼻を伸ばして遅刻しそうになり日新町の駅から必死に走って漸く開始3分前に駆け込んだが、動悸が治まるのに時間を要し、息継ぎが終わったら皆問題用紙をペリペリ捲って居て慌てた。80歳にして駆け足5分の体力消耗は当然に思考に影響し、30分経過を告げられたとき未だ8問の対義語、類義語を考慮中だった。9問解答できて「帝都」の類似語には「けいし」しか残らないがそんな熟語はまるで知らん(;;)、回答欄に空欄が目立つが取り敢えず10問全問の答えを書き終わったところで時間を見たら後20分、空欄一杯、ヤバ!
曾ての不祥事以来漢検も少し宛不人気となり参加者も激減しているが、その辺を考慮してか問題も10年前と比べて結構易しくなって居るのに何故か答えが思い出せず書けない字が多くなっているのは加齢のせいだが、その牴牾(もど)かしさには身を捩(よじ)れる(;;)。
その上最近では何故か見たことがない問題が幾つか出題されて戸惑うが此れは曾てなかったことだ、きっと問題が易しくなった結果、200点獲得者には合格証に加えて満点賞が交付されるが満点賞の乱発は漢検のブランドを下げる恐れがあり出したくないからだろうと思う。今回も先ず誰にも書けないと思える問題が帝都を含め2問あった(::)。
今回明石会場での準一級受験者は欠席者1名を除いて僅か15名だった。1部屋に4級と6級の数十名を詰め込んでお釣りがあった。10年前神戸の会場は山手短大の教室だったが、100人教室の3室びっしりと犇(ひし)めいて芋の子を洗うようだったから栄枯盛衰盛者必衰はこの世の倣いだが感無量の思いだ。
(注)帝都の類義語は「京師」だった(80年生きていて初めて見た熟語だ(;;))

大分県中津市が市の処理場の工事に旭化成建材が関与していないと発表していたが先週此れを撤回した。旭化成建材が4次下請けに入っていたそうだ。普通孫請けなんて聞くことがあるが曾々(ひいひい)孫請けなんてのまであるんだ(´Д`)、下請けと孫請けに曾孫請け達は工事代金の鞘抜けをして居るんだろうが、建設業界の複雑さには唯々魂消るね。私は旭化成建材だけでなく他の同業者もきっと同じような杭打ちデータの改竄をしていると思う。旭化成建材が不運だったのは横浜のマンションの土壌が普通の土地より脆弱だったため2cm傾いたことだった。ひょっとしたら旭化成建材は被害者かも知れないと思う、施主の三井不動産が不当に安い建築金額と早い納期を契約条件に入れていたのが此の事件の発端であり結末ではなかったかと私は見た。真に責任を取るべきはマンションの購入者から多額のお金を受け取り暴利を貪った三井不動産ではないのか?曾孫請けから長さの短い杭を持ち込まれて「工期を守れや!」と言われたらああするより他なかったんだろうと思う(;;)。
横浜を契機に何処も彼処もがデータの改竄ラッシュの出来(しゅったい)だ、改竄などCADのキーボードをポンポンと叩くだけでできるから手間は要らない。「改ざん」と言う熟語が新聞にテレビに幾度も大きく出てくるが、とても読み辛い。杭打ちまで「くい打ち」だ、常用漢字でないからだが「改ざん」を「改竄」を漢字で書いてルビを振れば良いと思うのだが何故だろう、子供達が難しい漢字を覚えさせるのに良い機会だと思う。「お父さん、この字はなあに?」「あれはね、鼠が穴に入っている字で隠れている意味であり、鼠はこそこそと悪事をなす者の喩えがあるから改竄は悪い方に改めると解釈するんだな」「へえーお父さんって何でも知ってるね」と畏敬の眼差しを受けるだろう、最近とみに失墜している父親の権威を回復する絶好のチャンスをこの際生かそうね。
山本夏彦翁は小学生にして四書五経が読めるほど漢字に精通されて居たが、それは毎日ルビ付きの新聞を隅から隅まで読んでいたら自然にそうなったそうだ。因みに明治大正の時代、新聞の字には全てルビが振ってあり子供でも魑魅魍魎は疎か鑱諂面諛(ざんてんめんゆ)でも楽勝だったんだ^^。読み方が分かれば子供達は漢字に興味を抱いて読書に親しむだろう。どうして今の新聞はそうしないのかな?障害者なんて酷い字だよね、障碍者と書きルビをつけたらどうして悪いの?「書き替え字」なんて日本語への冒涜だ!

先週の書けないけど読みたい漢字
見ていないからと仕事を慢(おこた)るな

今週の書けないけど読みたい漢字
この家は百年は(堪)える

猪瀬直樹の嘘を見抜いた男

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年末調整の最終チェックにお得意先相続税財産評価の計算とお正月ボケなどして居られず、あっと言う間に10日間が過ぎていった。
自宅の畑で採れた1本3kgもある大根2本を痛い腰に我慢して必死で持ち挙げている愚生です。本年数えて81歳になりましたが、頭の毛が限りなく心細くなり透かして見ないと見えなくなっているのに我ながら仰天した(゚ロ゚)。散髪屋に行って整えてきたばかりなのに…(;;)

脚本家の久世光彦には先週触れさせて頂いたが、私は彼と向田邦子の大のファンだ、彼女の生前は勿論亡くなってからも毎年お正月にTBSから向田作品をお茶の間に送り続けてくれたTBSプロデューサー兼脚本家久世光彦との名コンビはとても有名で皆様もよくご存じだよね。古いことになるが昭和45年に始まった「時間ですよ」は下町の銭湯を扱った異色のドラマで当時は女性の裸体が写ることに抗議の電話が絶えなかったそうだが、番組は好評で第二編第三編と続けられ20年もの間再演されたから、恐らくドラマの日本記録ではないかと思う。偏(ひとえ)に久世さんのプロデュースと森光子さんの魅力と健康の賜物であったろう。
このドラマで松山英太郎が演じた長男にお嫁さん(松原智恵子)が初めて家に入った晩にお母さん役の森光子が「息子が嫁を貰うってことは家族が1人増えるんだと思っていたら、減るってことだったんだね」と嘆くシーンがあったが、この言葉に久世さんはほとほと感心されたそうだ。シナリオを書いた橋田壽賀子の名台詞だ、そっか、家族ってこんなに昔から核家族化が始まって居たんだ、同居の核家族化は別居よりもっと悲しいかもな(;;)。

上述の久世さんは東大文学部の出で文筆に長けシナリオだけでなく小説も沢山書いているが、彼の小説はどれを読んでも何故か自虐主義なのか何れも内容が暗くて少しも面白くない、然し彼のエッセイとなると途轍もなく歯切れが良く、レベルは恐らく山本夏彦翁に次ぐランクではなかったかと思う。
彼のエッセイを読むと向田邦子の思い出話などに思わず引き込まれてしまうよ。久世さんは私と同じ昭和10年生まれで9年前に急死されたが未だ未だ活躍して頂きたい惜しい人だった、佳人薄命だね、その彼が今から20年程前59歳のとき日本経済新聞に半年間連載され、更に中央公論社から上梓された「ひと恋しくて」は彼の周囲の文化人の人物像を彼独特の解釈で描かれたもので76人も登場するが、この中で彼の卓越した洞察力を示した一文を今日は皆様にご紹介したい。その文化人の一人は昔作家であってあの東京都知事だった猪瀬直樹だ、この人と久世さんは昭和天皇に関して同志であって対談会などされ知己となられたそうだが、猪瀬直樹の印象について久世さんの眼力の鋭さに驚嘆した、「彼は当初怨みがましく炯(ひか)る目だったのが、この頃幾らかあの当時の怨念が薄れてきて心配だ、日当りの良い表に出てきて気負って居るのが気になってならない、無双窓の蔭で目を炯らせて居るのが彼の真の情熱だと私は思っている」と評されていた。鋭い洞察力だね^^。人は自分の器に過ぎたことはすべきでないのだ。書かれた時期から恐らく猪瀬直樹が小泉内閣の行革断行評議会の道路公団事件の委員長として道路公団の藤井総裁を糾弾して居る頃だ、その彼を見て久世さんは「此の人は変わった、表へ出るなどとんでもない、こんな人じゃなかった」と危惧されたんだ、見る人は見ているんだなと私は膝を打った。批評家は役者にはなれないし、なってはいけないんだね、「評論家に小説書けぬ」とは古くからの言い習わしだ。猪瀬直樹は「ひと恋しくて」をしっかり読んで居た筈(久世さんから本を寄贈さられたと思う)だから、道路公団事件以後無双窓の向こうの作家生活に戻るべきだと久世さんは暗に仄(ほの)めかしたと思うが、猪瀬直樹が愚かにも気付かなかったんだろう (>_<)。処で彼を東京都副知事に据えた石原慎太郎は日本経済新聞を読んで居なかったんだろうか。
(注) 無双窓=格子があって中から外が覗ける窓(昔の櫺子窓)
久世さんの思いを借りると胡散臭い人には二通りあり良い方が向田邦子にあの胡散臭さが堪らなく好きと言わしめた久世さんの大師匠である森繁久弥であり、良くない方が猪瀬直樹ではなかったろうか、人間身の丈に合わせて生きて行かないと猪瀬直樹のようになるんだろうな。猪瀬都知事5000万円事件のとき久世さんはとっくにこの世の人ではなかったが、久世さんは此の事件を知らなくて良かったね。
因みに久世さんは「光る」と書かないで決まって「眼光炯々(けいけい)」に使われる炯(ひか)ると書かれる。恐らく自分の名前が光彦なので「光る」を用いることに烏滸(おこ)がましい思いがされたのではなかろうか。でもとても難しい字だから読む方は大変だね。

彼方此方で異物混入の大合唱だ、社長が参議院議員のため新聞報道はされないが、僅か二月間にワタミの宅配弁当に草の茎から毛髪にネジまで混入していたと内部告発があったと週刊誌が報じプラスのネジ写真入りの分析報告書まで添付されていたからビックリだ。先週大阪でマクドナルドのフライドポテトに「人の歯」が入って居たり、福島県でソフトクリームにプラスチック片が入って居て子どもが口に怪我をしたりと中国の工場で期限切れの鶏肉使用が昨夏発覚して業績が低迷しているマクドに追い打ちの暗雲が立ち籠めている。「廉かろう」は「悪かろう」だもんな。プラスチック片は兎も角「人の歯」は気持ち悪い(><)。一方ベビーフォードの大手和光堂で肉じゃがの袋に「コオロギ」が入って居たと通報があり調べているそうだが、ゴキブリじゃなくコオロギとは可愛いね^^。幼い頃コーロギを炒(い)って食べたことがある、食べたって良いんじゃないの?戦争中は少なかった蛋白源でイナゴより柔らかくて美味しかったね、あの頃は絶えず空腹で食べられそうなものは雑草でも食べたし、白粉花の花を抜いてチュッと蜜を吸うと甘かったな^^。話が飛んでゴメンm( _)m。

昨日の朝刊に朝日の元記者が週刊文春などを相手取って名誉毀損による賠償を求める訴訟を提起したと書かれた、でっち上げの慰安婦報道を否定されたことへの腹いせだが、彼曰く「憲法が保障する言論の自由」だそうだ(>_<)。盗っ人猛々しとはこのことだ。これを牽強付会と言わずして何を言うか!朝日新聞は亡国の徒の集団だな、国民の味方を装って居る分だけオーム真理教なんかより悪質なんではないの?

先週から書けないけど読みたい漢字のコーナーに変わりました。
先週の答え
檸檬(レモン)と薔薇(ばら)でした。
木へんで「ねいもう」と憶えておくと書き易い、薔薇は「しょうび」だ、草冠にけちんぼの嗇と微か(かすか)の「微」のπの上に一本棒を忘れないことだ。旧字体には「微」にも山の下に一本棒が付いて居たことを知る人も少なくなったね。

今週の書けないけど読みたい漢字
孑孒
「こんな字は知らん」なんて言わないで…

子ウシの入学式

大根の発芽
先月播いた大根がスクスクと生長している、そろそろ混み合ってくるので間引いて食材にしようと思って居る、大根の葉っぱはビタミンCなどが豊富で根なんかより圧倒的に栄養豊富だ、でもスーパーで買った大根の葉っぱの方は農薬たっぷりだし食べない方がいいよね。

「昔は運送手段として馬車が多く用いられていたので街は道の真ん中に馬糞がボタボタで大変だった。馬は場所を選ばないから、むき出しの馬糞だよ、物凄い迫力だった、今だったら飼い主の責任問題だよ」なんて小説の一節に書かれて居るのを読んでとても腹立たしかった。此を書いた人は昭和の半ば生まれの人だと思ったが、きっと都会の人で馬糞の行方など考えたこともないのだろう。私は一瞬「勿体ないな」との思いが脳裏を過(よ)ぎった。
5年生の頃姫路郊外の借家に住まって終戦直後の食糧難で50坪の畑の管理を父から私が任されて居た。隣接した草原を毎日少し宛畑に開墾し畝作りまで半年掛かって遣り終えたのだ、ホームセンターなどない時代だし、あっても肥料など買えるお金がある訳もなく一家4人分自宅の糞尿と飼っている4羽の鶏の敷床草と鶏糞だけでは到底畑の肥料には足りず、父の助言で放課後バケツを荷台に括り付け自転車の三角乗りで46部隊練兵場横の大通りまで行き、通り過ぎる馬車を根気よく追跡し脱糞チャンスを待った。踏まれてぺちゃんこになって居るけど通り去った馬車の落とし物にも遭遇するから1里(4キロ)位走っていると大体バケツは一杯になるが、私と同じ目的の奴も少なくなく必死だったね。馬糞はべちゃべちゃの牛糞と違ってホカホカした草団子のようで手摑みしても余り手が汚れず、草食動物のため少しも臭くなく軽いので殆ど苦にならなかった。
馬と言えば牛だ、父の実家はお百姓で納屋や牛小屋の壁が牛糞と土と混ぜられてできて居た。牛糞は馬糞と違って人間の下痢便のようで触り難いものだったが乾燥するのが早く繊維質ばかりだから堅く締まるため接着剤の効果もあり分厚い納屋の壁土には適して居たらしい^^。そうそう実家の牛小屋には鶏の一家も同居していた、牛はとても温和しく鶏を踏んだりせず鶏も牛に纏わって挙げ句は尻尾で叩き落とされたアブなんかを頂戴し牛のベッドである藁の中に棲んで居る虫などを丹念に食べて牛の睡眠の手助けをし、とても仲が良かった。昔は人間も動物も助け合って生きて居たんだね^^。牛も馬も鶏も昔は人間の家族だったんだ。今の人達には全く考えられないことだろうな。
先日のみやざき中央新聞の巻頭記事は「あの頃の生き方を忘れないで…」だったがとても感動したよ、40年ほど前のことだったが、新潟県の僻村で小学校の入学生が3人しか居なかったので校長先生が子ども達に申し訳ないと駆けずり回り、入学生として子ウシを3頭集めてきたそうだ^^。子ども達への約束は体重が400kgになったら家畜市場に出荷することだった、その後の悲しいことも子ども達にしっかり伝えたそうだ。子ども達は毎日子ウシを散歩に連れ出し日曜日も寝床の掃除や餌やりに登校し、その代わり子ウシも運動会等の学校行事に必ず参加した、一人だけ居た女の子は牛の尻尾を持って散歩するのが習慣だった、牛は尻尾を触られるのを嫌うが、この少女だけには例外だったようだ^^。この少女は軈(やが)て一念発起し、僻村の子どもには可成り難しいことだったが必死で勉強して国立大学の獣医学科に進み獣医師になった^^。20年前の中越大地震の時は置き去りにされた牛たちを救出に行くボランティアとしてヘリの中だったそうで、彼女のことは「夢は牛のお医者さん」として今年映画化され全国放映されたんだ^^。同級生の牛を育て見届けただけでなく牛の成長を生涯の仕事と定めたこの女性高橋知美さんは偉かったな、だけど本当に偉かったのは子ウシを同級生にすることを思い付いた校長先生だったね、世の中の色んな不条理に人間が関わって居ることを教えて呉れるこんな柔軟な心を持った校長先生が今も居て呉れたら、子ども達は自らの意思で自由に進路を求めて羽撃(はばた)たけたて仕合わせなんだがなあ^^。昔は良かったね。

親子と謂うものは生まれてから死ぬまで慈しみあって生きて行くのが儒教の教えだが、何故か昨今親子の断絶が少なくない、先日の毎日新聞万能川柳に載せられた「本当の息子にだって振り込まぬ」と、もう一句「取りあった母、年老いて譲り合う」は核家族化した昨今の刺々(とげとげ)しい世相を詠んだ切ない投句であり、親子間に横たわった見えない硲(はざま)には深く考えさせられた。前者の振り込め詐欺に絡めた親子間の懸絶は面倒を見ようとせぬ子等への痛烈な皮肉だが、後者は我々年寄りにはとても悲しい句だ。幼い頃可愛がって貰った両親への郷愁も年月と共に冷めて今やお荷物だなんて生活環境次第で人間って勝手だね(>_<)、全ては経済的なゆとりができた反面、人々の心が貧しくなり育てて貰った親と寄り添って生きて行く忍耐が失われたせいだろうな。「勝手に生んだくせに」なんて良く聞くセリフだ、悲しいね。

昔小学校で死火山、休火山、活火山の別をしっかり習ったが確か富士山は休火山で御嶽山は死火山だった。その死火山である御嶽山が噴火して、日頃怠惰を貪り、勲章のことばかり気にしている学者達を狼狽えさせたのが35年前であり、よって今では過去1万年以内に噴火した山は全て活火山となるそうだ(;;)。紅葉の盛期に多くの登山者を地獄の業火に巻き込んだ今回の噴火は、不必要なダムなど国交省と土建業者が結託して自然破壊を進めて居るのを傍観し、滅び行く自然や里山を忘れようとして居る我々に対する自然界からの訴えではなかろうか。

合格率が5%を切る気象予報士試験に過去最年少15歳の少女が合格したと昨日の夕刊が報じた、男子は此までに12歳が最年少合格者だそうだが、予報士の試験には大学一般教養の科目がある筈だが合格者の平均年齢が36歳だそうだから12歳や15歳とは凄いね、15歳の少女はあの全国一の女子校桜蔭高校生だそうできっと東大医学部現役入学予定組なんだろうね。気象予報士は文字通り気象を予想する仕事だが、何故かどのチャンネルを見ても彼等は全く同じことしか言わないが只のアナウンサーなら資格は不要じゃないのかな?一人くらい「気象庁は晴れだと言って居ますが、私は雨だと思います」なんて独自の意見を吐露する反骨の予報士に巡り逢いたいけどダメかな。

先週の仮名付けの答え
畳の縁(へり) 縁(えにし)の糸

今週の仮名付けの問題
決して(疾しい)ことはない 彼は(疾っく)に逝った