三菱UFJモルガン・スタンレー証券」タグアーカイブ

蝋燭(ろうそく)売りの少年

くるま

早朝の散歩に快適なシーズンとなって、少し遠くまで足が延びるようになった。先日第二神明道路の近くまで歩いたら福田川の小さい橋の入り口にこんなものが貼り付けられていた。おそらく神戸市の土木のお役人の仕事であり、市内の河川の小さな橋を見付けてはこの看板を貼って回って居るものと考えたが、人間二人が体を躱し難いこの橋はどう見逆立ちしても四輪車の通行にはムリだ、分かっていても割当てられた看板を消化したかったんだろうな。トラックに積んだ看板を早くカラにするするため貼ったとしか思えない。自分の腹の痛まないお役人のしそうなことだな(;;)、税金泥棒や!

私は先週10日に齢(よわい)80歳を迎えた、小さい頃から50くらいで死ぬ心算で居たから愕いている。流石にそろそろあの世からお声が掛かる時期だろうと思うから今日は思い残すことのないよう70年前起こった身の周りのできごとを聞いて頂こうと思う。
先月終戦後すぐにあった父の選挙の話をしたがその少し前に半年足らずの短い期間だったけど日本中の電力が足りなくて家庭では何処も始終停電して居た時期があった。当時住んで居た姫路も例外でなく突然の停電が当たり前だった。急にプツンと切れ、又不規則にパッと付くのだ。懐中電灯や電池のない時代だし頼れるのは蝋燭だけだったから、蝋燭は町の雑貨屋での売れ筋商品だった。それに気付いた父は勉強もせずごろごろと怠惰な生活を送っていた私に「喝」を入れるべくお得意先のN商店から蝋燭を卸して貰って学校から帰宅すると私は夕方まで外回りの蝋燭売りを命じられた。当時父の命令は絶対だったし、言うことを聞かないと食事が与えられなかったから従わざるを得ない(;;)。父が仕入れた価額は1本10円で私に命じた販売価額は12円であり市価も確か同じ位だった。マッチ売りの少女ならぬ蝋燭売りの少年では絵にもならぬが、偶々戦時中から家にあった軍隊の背嚢に蝋燭を一杯詰め込んで釣り銭も用意して今日は駅前、明日は野里、明後日は東二階町と場所を変えて個人の住宅やお店屋さんの入り口を潜った。1日の歩く距離は1里半か2里(6キロ-8キロ)くらいだった。ピンポン♪などない時代だから初めはお店や玄関の入り口を開けて「こんにちは」と言うのに膝が震え声も震えたが少し宛馴れてきた。何処でどのように売るかは私の裁量に任されており、父は何も言わなかった。唯一本12円の値段だけが約束ごとだった。学友達が皆空き地で野球などしているのを横目に見ながら背嚢を背負って一人とぼとぼ出かけるのは辛かったが父の命令だから背けない、訪問先では個人家庭よりお店屋さんの方が良く買ってくれた。「僕、何年生や」「5年です」「えらいなあ、3本置いとき…」「36円です」「お金落としたらアカンで…」総じてお店屋さんの方が人数も多いし優しくよく買ってくれた。よく「11円なら全部買うたる」と言われたが父との約束ごとなので「嫌や」と断ると少しだけ買ってくれた。取り敢えず値切って見るのは商人の常道なのだ。個人の家の玄関では泥棒や浮浪児と間違えられることが結構あったから、傷つくことが多く経験則から大きい家には先ず行かぬことにした。9尺2間の長屋の小母ちゃん達は買ってくれなかったけど買ってくれそうな人を紹介してくれたり優しくしてくれて嬉しかったのを覚えている^^。帰宅するとお金の勘定をして計算書を作り売上金を父に渡すことでご飯を食べさせて貰えたのだ。
間もなく電気が付くようになり蝋燭の需要がなくなったので蝋燭売りに行けなくなりホッとしたが、今度は満員電車にしがみついて明石の駅前に行き、大きな闇市(今の魚の棚の辺りだが焼け野原だった)に座りこみ背負ってきた背嚢に入れたマルセル石鹸を並べて売ることになったが、此方は蝋燭売りより数段難しくショバ代の支払いやら何やら、あるときはやくざが来たりと到底5年生の子供の手に負えるものではなく経費が掛かって少しも儲からず、満員電車にぶら下がっての明石行きも大変で、ベソをかく私を見て父も諦めたらしく軈て行かなくて良くなった^^。
当時弟は生まれたての赤ん坊だから仕方なかったが3歳上の姉は勉強もせずに家でゴロゴロして飴ばかり食べて居たが、両親に取り入る術(すべ)が上手くて寵を得ていたからメチャ依怙贔屓だと思って当時は父を恨んでいたが、今思えば此れが父の深謀遠慮であり不甲斐ない息子を少しでもマシな人間に叩き直したかったのだろうと思う。
成人してから身の不始末が原因で父に勘当されミシンのセールスをしたとき八尾支店のトップセールスとなれたのはこの5年生での貴重な体験と経験が大きな武器となり私の力となってくれたからだと思っている。何気に知らぬ人の懐に深く入りこむ図々しさを少しだけ身に着けて居たみたいだ。貧乏人ほど気前が良くて人情深く、金持ちほど疑い深くケチであることを5年生にして知らされて居た。此の経験は5年生当時はとても辛かったが、12年後の同じ干支で私を支える命綱となってくれたから、できの悪い我が子を世間を渡れる一人前の人間に変えようとした父の配慮に対し心から感謝すべきだと思っている。お父さん有り難うm(_ _)m。
然し親子の関係なんて考えてみれば此の70年前で世間では天と地ほど異なってきた。現在の親子はお互いの目線が等しく、子どもが親に向かって「糞じじい、死ね!」なんて平気で言って憚らない時代だから、昔の縦の親子関係は良かったと思う。全ては家族が互いに支え合わなければ生きて行けなかったからだ。経済成長って皆のお金や財産は増えたが、その副作用は恐ろしく家族の心をバラバラにしたんだね。

カード2

先月半ばにご紹介した三菱UFJモルガン・スタンレー証券平成4年生まれの女性社員からメロディー付きバースデイカードが印刷でなく直筆で届けられた^^。此の女性証券マンはわざわざ事務所に臨戸されて熱心に慫慂されたので日本郵政などの新規上場株をチョッピリと気持ちだけ購入したが、そんな僅かな株でもネット証券に移換されないため一所懸命なのが以心伝心で私の胸に伝わって来たのでこのバースデイカードを読んで移換するのを遂に諦めた。ネット証券は移換費用を肩代わりしてくれるそうだが、此の商売熱心なお嬢さんを裏切るわけにも行かんもんね。三菱UFJモルガン・スタンレー証券も今どき珍しい有為な人材を手に入れて幸運だったな^^。

ミャンマーではノーベル平和賞のアウン・サン・スーチーさんが今回の選挙で圧勝したと日本のメディア誰もが喜んでいるけどもっともっと喜んでいるのは中国と韓国だ(;;)、彼女って本当は根も葉もない従軍慰安婦に拘り中国や韓国の肩を持つ極端な反日派人間だってことを知っている日本人は多くない。政府は何れ彼女の掌上に載せられてODAとかお金だけ上手く巻き上げられそうだ(;;)。日本は孫悟空か!

先週の書けないけど読みたい漢字
傷の痛みを堪(こら)える

今週の書けないけど読みたい漢字
面白くて(堪)らない

傾いたマンションと相続税

荻

秋も愈々深まってきた、酷暑で弱っていた木々の葉も今月に入って一段と緑が濃くなり生き生きと耀いている。
Eさんから送って頂いた神戸港周辺の散策時撮影の一枚だが三宮元町間の大通り大丸横に咲く薄(すすき)の群生に目を見張った。薄は河原などに咲くから街中は可成り珍しい、花が白くて密で房状になっているから丁度満開なんだろうね。

愈々日本郵政グループ三社の新規公開株発売で中国問題や石油化学の下落で低迷している株式市場に灯りが点った^^。政府はこれから三回にわたってグループ三社の株式を売り出すが、初回の売り出しが失敗すると二回目三回目の買い手を失うから第一回は売り出し価格を抑えるためまず上がるに違いなく配当利回りも定期預金金利の100倍以上で決して悪くないし10万円余りから買えるからお勧めだと思う。
先週三菱UFJモルガン・スタンレー証券ととても長い名前の証券会社を名乗って若い女性から「日本郵政の株が公開されるので申し込まれませんか」と電話があって翌日の午後彼女がうちの事務所を訪れた。セールスマンのマニュアル通り約束の5分前にピンポンだった^^。丁度日本郵政の株式上場が「エコノミスト」で特集されているのを読んで興味を抱いて居たタイミングでの電話だったのでこの女性は全く幸運だった、だから「どうぞどうぞ」と入って貰った。
電話の際、彼女が不思議にも岡本会計事務所は知っていてもうちの事務所の所在地も私のフルネームも知らないでの電話だったので訝しんで尋ねたら、あちらの業界では「E電話帳」なるものが存在し、業種毎に有料で手に入り税理士と入力すれば全ての税理士の事務所名と電話番号が画面に登場し、岡本会計事務所と電話番号だけ検索できたそうだ。おそらくNTTの電話帳を何百冊も職業別から切り取ってアイウエオ順に並べ替えたようだが、世の中いろんな処にいろんな金儲けがあるもんだと感心した、彼女は「E電話帳」(いい電話をもじったか)から税理士業を担当して神戸にある市外局番を探しランダムに掛けてきたようだった、電話を掛け捲ってやっと一人カモが引っ掛かったんだ(;;)。「住所を教えてください」には参ったな、ネットで検索して…と言ったら岡本会計事務所が沢山あるので分からないと泣き言を言われ仕方なく下の名も教えてフルネームで検索するように言ったのだが、感心にも約束の時間にちゃんとやってきたので日本郵政の公開株を買うことにして申込書にサインした。
この株屋さんは大丸の東隣の三菱東京UFJ銀行の横にあるそうだが、聞けばこの名前になるまで30社位が合併したそうだ。「モルガン・スタンレーは付いてないほうが商売し易いと思うけどな…」と言ったら彼女も同感し頷いたが日本人には外資はメチャイメージが悪いもんね、モルガン・スタンレーの名前を付けないと合併のお金が貰えなかったからだろう、流石に「東京」まで入れると長すぎるので諦めたんだろうが、東京銀行出身者はモルガン・スタンレーの出現が屈辱極まりなかったろうな、誰か一人位「モルガン・スタンレー」の名を入れるとイメージ悪くて商売し難くなりますから止めてくださいとモルガンに諫言する武士(もののふ)は居なかったのか!
身分確認だと言って免許証のコピーを渡し、銀行の口座番号を書かされたので、お返しに身分証明書を見せてもらったら、私の孫世代である昭和を知らない平成4年生まれ学卒ホヤホヤだったが生き馬の目を抜く荒波の証券業界でこのお嬢さんが果たして怒涛に呑まれずに一人前に育って行くのかと帰って行く後ろ姿を眺め乍ら案じたものだ。

横浜の新築マンションが傾いてきて発覚した旭化成建材の杭打ち捏造って酷いよな、マンション3000棟とは法外な数だ、元請けである三井不動産や熊谷組などゼネコン各社はオタオタするばかりだが、旭化成建材は下請けでなく孫請けに当たるから抵牾(もど)かしいね、現在この会社は担当者のヒアリングを開始しているそうだが、生ぬるいよな、そんなことして居る間があったら担当者を杭打ちデータを捏造した罪で検察庁に告発したらどうなの?会社の方にも疚しいことが一杯ある構図が丸見えだ。
捏造と謂えば、10年前耐震強度を偽装したと一級建築士の姉歯氏が逮捕された。彼は「国の耐震基準が厳しく過ぎるからで、計算上震度7や8にも耐えられます」と懸命に主張したが要れられず、裁判で彼は懲役5年を言い渡され服役となり当然に建築士免許も取り消された、マスメディアは「姉歯はカツラだ」「愛人にマンションを買い与えた」「妻は高級ブランドを買い漁りホストクラブで豪遊」など言い募った結果、可哀想に奥さんは自殺した、実は彼女は病で事件前から神経科に通って居たのだがマスメディアはあることないことを書き立て世間の関心を煽って人一人を殺し後は知らぬ顔をした。
真実だったのは「カツラ」だけで後は全てマスメディアの創作だった(;;)。然し皮肉なもので4年前のあの東日本大震災で彼の設計したビルはどれもびくともしなかった。マスメディアは直ちにそれを知ったがそのことについては誰も素知らぬ顔をして触れなかった(>_<)。
旭化成建材だって本当は予算の関係でゼネコンの下請けから頼まれてしたのかも知れない。本当に悪い奴って舞台の後ろに居て絶対にバレないのが資本主義の世の中だ、小物が罪人にされトカゲの尻尾切りで収束するだろうと私は思う。
因みに建築の構造設計基準計算は6倍の安全率が掛かって居り、動いている自動車の安全率は3倍だ。安全率のわけは、建築の構造材料・施工精度・構造計算・構造設計などでの部分的なミスの発生と地震解析を含んだ総合的判断のミスをカバーして建物の住み手の安全と財産を守るためだそうだが比較し難いが震度7の地震の際に道路を走っても自動車が壊れるとも思えないから自動車の2倍もの安全率とは少し厳しいと思う。姉歯さんが言う筈だよね。
処でこの傾いたマンションや他の3000棟の所有者に相続が発生すれば国税当局は評価額をどうするんだろう?2cm傾いたマンションは建て替えが決定したからゼロだろうが土地は欠陥地でも一人前に相続税を取られるのかな。もう住めなくなったからと本来なら受けられる筈の小規模宅地80%減額の特例も受けられなくなって本来なら払わなくてよい相続税を毟られることにでもなるのだがそんなことをしたら税務署がうらまれて火を付けられる。そこまではしないと思うがどうなんだろう。そういえば阪神淡路大震災の直後お得意先に相続が発生した。そのご自宅は一部損壊で100万円補修費が掛かったが税務署に負けてくれと掛け合ったら 建物の評価を7掛けに下げてくれたことを覚えている^^。

先週の書けないけど読みたい漢字
貴重な時間を漫(みだ)りに過ごすな

今週の書けないけど読みたい漢字
中学卒だからと(慢)るな!