愈々GWも終わりましたが皆様は如何お過ごしでしたか。最終日の今日は特別でしたが概ね爽やかな良い天気が多くて良かったですね。私の休暇は先週お知らせした通り70%の仕事と20%の漢字検定の勉強と10%の庭の手入れに終始しましたが、体調不良のせいもあり野草ウオッチングは残念ながらパスしました。

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永く咲かないで僻(ひが)んでいた“からまつ草”が開花しました。(^0^)/
今週は先ず一重(ひとえ)咲きをご覧頂きましょう。楚々として可憐さが“売り”でありますが、これで一ケ月以上咲くのですから驚きです。何時ぞや三宮高架下の山野草のお店で花が殆ど終り掛けた“からまつ草”を見付け値札1500円の処を1000円に負けてくれたら買うと持ち掛けたら、そのお店の小母さん曰く“うちが損するからあかん”と断られました。理由を糾(ただ)したら“花が済んでも持って帰って養生させたら来年は株が二つになって3000円に売れるから”とのこと、自前で花を育てる山野草屋さんならではの言葉であり敬服しました。その辺の園芸屋さんなら花の終わり掛けた鉢は半値処か只同然で処分されていますが、それらは何れも花の需要がその花期に限られ、花が終わればポット鉢毎捨てられる宿命(さだめ)が慣わしとなっているからであり、この小母さんのように売れなくても来年株を増やして…なんてことは正に小売業者と生産者の違いでありましょう。
宿根草は花が終わったら捨てるのではなく、お礼肥を与え秋には新しい用土に植え替えてやれば幾らでも増殖しますが、一番大切なことは花鉢を買ってきたときに直ぐさま用土を入れ替えてやることですが、殆どの方は買ってきた鉢の儘水や肥料だけ遣っているので段々花の数が減り、やがては消え去る運命を辿ります。これは園芸屋の商売上の作戦でもありますが、真の園芸ファンの花の楽しみ方は翌年もっと多くの花を付けさせることです。今だったらそろそろシクラメンが終わり掛けていますよね。来年もう一度咲かすために挑戦して見ませんか。一般的には水を切って涼しいところに9月の末まで保管し、その後新しい用土で水遣りを開始する方法と、水を切らずに木陰の涼しいところで夏越しさせる方法と二つありますが、どちらも一長一短ですあり、シクラメン栽培のポイントは芋(根茎部分)の表面を土の上に1cm位露出させて芋には直接水を掛けないことです。この花は水が好きなので底面給水式が流行っていますが、水道の水を遣る場合は必ず日向水にしないと鉢の表面が塩素でやられますから注意して下さい。今日は何故か何時の間にか園芸コーナーになりましたね。反省して本論に戻しましょう。<(_ _)>
“コンニチハー”
先週日経新聞夕刊巻頭の波音“挨拶の法則”に出ていた言葉です。クラス会に出席するために母校を訪れたら“コンニチハー”後輩の女子高生が見知らぬ記者さんに声を掛けた。との一文に疑問符が残りました。私は旧仮名遣い世代ではありますが、“コンニチハ”なら“こんにちは”と読めても“コンニチハー”では“こんにちわー”と読み難いのです。まさか吉本新喜劇末成由美さんのギャグではないでしょうから“コンニチワー”が正しいのではないでしょうか。
然し私の捻(ひね)くれた頭でよくよく考えてみるに、天下の日経記者ともあろうお方がこんな初歩的な誤った日本語を使う道理がありませんから、ひょっとして今の女子学生の言葉の乱れとモチモチした怪しい発音を普段から快く思っていなかった記者さんの憂いからのアイロニーであり、作為的に言葉をカタカナに変えて正しい平仮名では表現できないもどかしさを“ハ”に文法的には正しくない横棒まで付け日本語の透明化を図るため警告されたのではないかと深読みしてしまったのでした。
先週4日NHK衛星放送で42年前の映画“青い山脈”リバイバル編が放映されましたが、吉永小百合を初めあの当時の若い女性の言葉は今の女性の言葉の音程よりキーにして2つ位高く、然も早口でハキハキしていて会話のテンポがリズミカルでしたよね。56年前初代“青い山脈”原節子、杉葉子、若山セツ子の時代なんてもっと高いキーだったのを覚えています。あの当時の礼儀正しく敬語に溢れたあの若者達の歯切れの良い言葉は何処へ行ったのでしょうか。聞き取り難い低い声で“うぜーな!、チョーきもい”などとても気持ち悪くて聞いていられませんよね。(>_<)
こんな連中がお母さんになったら子供に対してどんな言葉で話すのか考えただけでもゾクゾク寒気がしそうです。赤ん坊から“うぜーな!”と言われてお母さん愕然としたりして…(;;)
彼女達(男子も同様ですが)は家でも同じ言葉を使っているのでしょうか。若しそんな言葉を聞いたなら、戸塚さんも愈々6年の刑を終えてスクールに帰ってこられたことですし、親は直ちに子供を張り倒し、直ちに戸塚ヨットスクールへ放り込んでやればよいのです。
甘やかせたり子供に迎合するのは親の教育として決して正しくありません。ちゃんとしたまともな子供に教育したかったら子供が自分が悪かったと認めるまで子供を叱り、聞き入れなければ蹴飛ばしてでも親の意に従わさなければ、必ずや親が子にどつかれる日がやって来るでしょう。そのときになって気付いても最早手遅れであることを知って下さい。
それしてもリバイバル編の“青い山脈”は吉永小百合独りを除いては、小物ばかりで自然の描写も極く少なく初代作品の傍にも寄れぬ駄作でしたね。原節子の気高さ、池辺良の格好良さ、若山セツ子の可愛らしさ、杉葉子の乙女の潔癖さと前作の印象が余りに強かったせいもあるでしょうが、静と動、東宝と日活のカラーの違いは大きく前作が名作であったことが14年後のリバイバルによって証明されるなんて世の中皮肉ですね。(^^)
不肖私も嘗ての映画ファンの一人として一度は行って見たかったロケに使われた中津川を訪れて、川の畔を散策しながら遠く甲斐駒や恵那山を臨み感慨に耽ってから幾年が経過したことでしょう。かれこれ50年昔の懐かしい思い出でありました。(^^)
それから四半世紀を経てもう一度中津川を訪れる機会に恵まれましたが、当時の町の佇まいは殆ど失われており、恵那山に中央自動車道が敷設されていることも驚くばかりでありました。
先週の月曜日京都の女性(60歳)から“みんなの広場”への投書が掲載されました。新学期が始まり学校から“雑巾を持ってくるように”と先生から指示があり、お嬢さんである娘さんがミシンを掛けて孫に持って行かせたらクラスで二人だけが手作りであり、他の生徒の持参した雑巾は全てお店で売っている商品だったそうです。そして手作り雑巾持参の生徒に対し、“お前とこは貧乏なのか”が先生の発した言葉であったそうです。心ない先生も居るものですね。(>_<)
きっとこの二人の生徒は心を抉(えぐ)られ潰れんばかりの衝撃を受けたことと思います。子供は帰宅後“今度からは買ってきて持たせてね”とお母さんに言ったそうですから悲しい言葉ですね。お母さんはもっと悲しかったことでしょう。それを聞かされたお祖母さんの悲しみも一入(ひとしお)であったでしょう。私が親なら学校へ怒鳴り込み校長と教諭が謝罪するまで職員室に座り込んで動かなかったと思います。(>_<)
一体全体この先生の脳味噌の何処からそんな言葉が出てくるのか私にはどうしても理解できませんが、私はこの言葉から心貧しい先生ばかりで占められた現在の教育現場の有り姿を垣間見た思いで暗澹たる心持ちに陥りました。貧しいのは生徒の親でなくて、この先生の短絡的な心であり、母親の愛情の籠もった雑巾は決して金銭などで評価し得るものではありません。雑巾は中国で大量生産されていて5枚100円で買えますが、お母さんの手作りの雑巾はパートの時給に換算しても300円以上に相当するでしょう。それなら冒頭の言葉はお店で買った雑巾を持参した子供達に対し発せられるべきでありますが、親の愛情を金銭に換算するなどそんな見当違いことではなく、この世の中金が全てだと錯覚しているこの愚かな先生が、自分が何気なく吐いた心ない言葉が世界で最も大切な親子の愛情の絆を引き裂いたことにも気付かないなんておぞましく情けなくて涙が零れますよね。(>_<)
こんな非常識な先生は直ちに学校に辞表を出し、アイフルの債権取り立ての営業マンにでも転職すれば良いのです。
アイフルと謂えばあのチワワのタキシードのコマーシャルを思い出しますね。あのときチワワは震えていましたよね。今から思えば、スポンサーの疚(やま)しさが隠せなかったのは動物の本能だったでしょうか?
先週2日毎日新聞万柳川柳にアイフルに関する二つの投句が載っており笑ってしまいました。
“震えてたチワワの気持ちいま分かり” “チワワよりブルドッグだなコマーシャル”(^^)
賞金総額1億円のサントリーレディースは雨と風の悪コンディションが続き、さくら選手は健闘及ばず17位タイと潰えました。先週今週とパー5でのボギーはきざんで居れば楽にバーディーが奪えたものを、飛距離を過信してのイーグル狙いが目立ち若さを露呈しました。
コースマネージメントを任せられるちゃんとしたプロのキャディーを帯同すれば優勝に絡むゴルフができるものを肉親に拘っていては我(が)が出て何時までも現在の状態を脱せないと思います。猛省して下さい!さくらちゃん!