安曇野の山々」タグアーカイブ

故郷を古里と書くな!

寒暖を幾度となく繰り返した3月が漸く終わって花の4月を迎えて居ます。奥庭でひっそりと周囲の雑草に気兼ねしながら懸命に咲いているサルビア・ミクロフィアとは対象的に庭の道路際では春の到来を待ち望んでいた「ゆきやなぎ」が先週後半から満を持して咲き誇って居ます^^。僅か数日の命なんですが、彼女はその日のために一年間営々と根を張って今日に備えてきたのでした。偉いなあ^^。

 

埼玉県のさる高校が生徒達の学校の制服にユニクロを加えたそうです(@@)。此れまで学校の制服について男子は詰め襟で女子はブレザーにプリーツのスカートが定番だったのを見直す新しい試みだそうですが、制服は意外に高く5万円位もして、替着も要るので父兄の負担は半端ではなく、その辺りを見直すためにユニクロの案が出たそうです。でも制服って値段で決めるものなんかなあ…。その上ユニクロは中国の新疆ウイグル自治区で縫製された綿製品がウイグル人の強制労働により生産された疑いがあるとユニクロが国際的に批判されている中を日本の公立高校がユニクロ製品を制服に定めたことには各界から「無神経な行動だ」との批判が起こるのではないでしょうか?

 

「♪春は名のみの風の寒さよ♫」と誰もが口遊んだことがある小学校唱歌「早春賦」(そうしゅんふ)は、東京音楽学校の教授だった吉丸一昌が大正初期に信州の安曇野を訪れ、穂高辺りの雪解け風景の美しさに感銘を受け書かれた詩であったとされています。私はこの歌を聴く度に65年前を思い出します。当時私の好きな人は音楽の先生で岡谷の長地小学校勤務、家は当時南安曇郡三郷村にあって林檎栽培農家でした。丁度穂高山系の麓にあり大糸線の一日市場(ひといちば)夏休みに駅から徒歩で西へ4キロ余り右手に雄大な穂高山系を眺めながらの訪いはとても思い出深いもので脳裏を去ることはありません。今思うに南安曇郡三郷村は丁度飛騨の幼い工女たちが野麦峠を経て松本に出る街道口ではなかったでしょうか…、話が脱線したので引き戻しましょうね、春早々の話題は私の拘(こだわ)りである漢字の話です。「早春賦」と同じ時代の愛唱歌「故郷(ふるさと)」を皆様きっとご存じですね。私が国民学校で習ったこの歌は前の世代の方も後の方も誰も忘れずに何時でもソラで歌える数少ない愛唱歌であり、幾つになってもこの歌を聴くと童心に帰れるから不思議でなりません。

 

北朝鮮による日本人拉致問題の支援者団体が開催する集会では、集会の最後に日本人拉致被害者の早期帰国を願って、参加者全員で「故郷」を熱唱することが慣例となっていることは皆様御存知の通りであり聴く度に涙するこの「故郷」ですが、近年「故郷(ふるさと)」の漢字が当て字であると言い出したのは、あの不埒な国語審議委員会だと思いますが、彼らの企みに国語辞典を編集する辞典発行の各社が微妙に影響されて読みを優先した言葉を採択する傾向が強くなりました。つまり「故郷(こきょう)」を「ふるさと」と読ませない姿勢が強くなり「故郷(ふるさと)」の代替字「古里」が国語審議委員会の推奨する熟語となって参りました💢。不思議に思った私は2000年以降に発行された手持ち8冊の国語辞典を調べた処、「ふるさと」の漢字第一候補はナント!「古里」が7冊で「故郷」は三省堂の新明解国語辞典のみでありました(;;)。そして7冊の辞典にある「ふるさと」の漢字表記トップは「古里」で二番目が「故里」三番が「故郷」でした(;;)。同じ三省堂の辞書であっても三省堂国語辞典は一番目が「古里」であり、新明解国語辞典が「故郷」ですから同じ会社でも部門が変わると対立し金田一京助派の新明解チームが見坊豪紀派の三省堂国語辞典チームに真っ向から立ち向かっている姿勢が窺えます。私は「古里」は易しい漢字を単に優先させただけで情緒がまるでなく人気(ひとけ)のなくなって誰も行きたくない寂しい「古里」なんて書きたくありません。「郷」が画数が多い6年生の配当漢字ではありますが、国語審議委員会は唯々易しい漢字でさえあれば言葉の由来などどうでも良い姿勢を崩さないのは正しい日本語に対する冒涜ではないかと考えます。「故郷」は訓読みを採用しているので決して当て字ではなく「古里」が第一候補に居座り、公式文書や新聞に採用され跋扈しているのはどうにも合点が行かず腹立たしく思います。誰か文句を謂う学者は居ないのでしょうか?何れも常用漢字だし画数の多少で使用を制限するのはどう考えても無理筋だと考えます。

 

お笑いタレントの松本人志が先月27日日曜日放送のフジテレビ「ワイドナショー」に出演、北朝鮮の弾道ミサイル発射に対し、メモを見ながらコメントする岸田文雄首相について苦言を呈しました、つまり「原稿棒読みを止め自分の心を直にマイクに伝えよ」という意味でした、この方お笑いやったのに何時の間にか政治評論家になったみたい…^^。誰も言いたくても言えなかったことだから「いいね」を付けたいけど司会が本業になった浜田はどうするのかな?二人共大物になりすぎて今更お笑いに戻れないみたい…(::)

 

昨日まで私は三日間白内障手術神戸アイセンター病院に缶詰にされて居ました。通常白内障は日帰り手術なんですが、私が両目ともに黄斑変性症であることを理由に前日入院当日手術翌日退院とされました(;;)。見えない方の目まで手術されて何か手術代を損をしたような気持ちでしたが掛かり付けの先生の言葉は絶対で断れば二度とアイセンターに行けなくなるので仕方なくお言葉に従いました。詳細は次週にて…。。

 

多勢に無勢なのにウクライナの人って挫けないで戦っています。女性戦士も多いとか…、強いなあ!偉いなあ!我々も彼らの爪の垢でも煎じて呑まないと…(::)。

 

先週の読めそうで読めない字     紺屋(こうや)の白袴

今週の読めそうで読めない字     花の(顔)

あゝ野麦峠 その3

春が来た気配は不幸にして目が痒くなり今年の花粉症を体感することになりました(;;)。色々あった令和3年度の確定申告も漸く無事終了することができて全員ホッとする反面、確定申告に感(かま)けて放置していた関与先法人の決算や月次帳簿処理など日常業務が一杯残って居ることを思い起こしもうひと踏ん張りせねばならぬと覚悟を新たにして居ります。

「あゝ野麦峠1&2」は多くの方の共感を呼びました。私が購入した令和3年版は再販に続く再販でナント!75版であったのには驚きました(@@)。読者からの投書や資料提供に基づいて著者が更にペンを取られた力作「続あゝ野麦峠」を読むと北アルプスの野麦峠を越えて岡谷に向かった工女の中には飛騨高山在の少女ばかりでなく越中富山の八尾(やつお)からの少女も多く野麦峠を越し、岡谷までの往還をして居た事実が新たに判明します(@@)。著者が実際に八尾を訪れてそれが真実であることを確認されたそうですが、「越中おわら節」で有名な富山県八尾町から飛騨高山まで直線で凡そ50km、野麦峠には及ばぬまでも冷たい高原を野に山にと高低に加えて、高山を経由し野麦峠を経ての強行軍は筆舌に尽くせぬものだったでしょう。昔の子供の逞しさより今の子供を始めとする多くの若者のメチャ軟弱な身体機能に腹立ちを禁じえませんが、我が国も韓国に倣って男子に兵役義務を課したらどうでしょうか!

話は戻ります。富山の八尾(やつお)と謂えば誰もが越中おわらの祭の夜に互いに心を通わせながら、離ればなれに20年の歳月を生きた男と女が辿る危うい恋の旅路を八尾を舞台に美しく描き出した作家高橋治の直木賞受賞風の盆恋歌」が懐かしく思いだされます。此の唄は八尾で歌い継がれる民謡であり、毎年多くの観光客が訪れるおわら「風の盆」にてこの越中おわら節の旋律に載せて若い女性の踊りが披露されます。雪洞に灯(あかり)がともり、胡弓の音が流れるとき、風の盆の夜が更ける「風の盆恋歌」は石川さゆりが唄ってレコード大賞でしたからご存知の方も多いでしょう。八尾の少女達の旅は越中八尾から飛騨高山まで直線で15里(60km)であってもアップダウンがあり約2日を要したと思います。著者が実際に聞き取った八尾の少女(当時)高井すえの話「初めて糸引きに出たのは12歳だった、それまで4年子守に出ていた。」此の在所では飛騨高山と風習を異にして糸ひきのできない者は嫁に行けない仕来りで全員糸ひきに出て居ました。「それでわしは13年間糸ひきに通った。2月頃雪の野麦峠を越えて行ったときのことは今も忘れられん。出発のときオレも近道を行くと野麦を越えた。」飛騨の高山でそこの女子と一緒になり野麦峠まで5日も6日も掛かったが、ここまで来ると疲れ果てて動けなくなるものも出てきた。八尾から野麦峠を越えての岡谷までの往路は凡そ260kmにも達し少女たちの徒歩での強行軍は筆舌に尽くせぬ労苦であり想像を絶する過酷な道程であったと思われます。雪の野麦峠はあまりに過酷なので後には海岸線を直江津まで歩いて行くことになったが、距離は120km(約神戸岡山間)と長くても平坦であり直江津には既に岡谷へ行ける汽車が来ていました。昔の少女って逞しいなあと思ったものです。キカヤでは朝4時から夜10時まで働き詰めで休みはなかった。食事は4回でも少なく夜はおにぎりか芋が出たがひもじくて動けなくなり家からも豆や干し栗を送って貰ったとか…。

八尾からキカヤに行ってから仕事はずっと苦しかったが唯一楽しかったことは年に一度のお盆に他の工場の者も越中者ばかりを集めて「越中おわら」を一夜町を流して歩いたことだった。「あの岡谷のお盆の楽しさは今も忘れられない」辛い過酷な仕事の中での故郷を想う年一回の楽しい踊りは生涯の想い出として脳裏に深く刻まれたことでしょう。恐らく日常抑圧された青春のエネルギーが夏の夜の一夜爆発してのもので「♫ 越中で立山、加賀では白山、駿河の富士山、三国一だよ。キタノサー、ドッコイショ♪」哀調を帯びた北陸独特の旋律は一夜中岡谷の町並みに溢れたのでした。越中八尾の人達はその後10数年を経て故郷に帰って結婚し、貧しいながら死ぬまで糸を繰ることを生業(なりわい)としたそうです。

「あゝ野麦峠」には北アルプス安曇野の山々が再々出て参ります。私は初めて信州を訪れたのは囲碁部の主将となった大学3年生のとき先輩に招かれた夏の合宿でした。普段山と謂うものは目の前に見えるものですが、驚いたことには松本駅では頭の真上に山があることでした(@@)。

合宿で車座での晩餐時にはお酒が出て先輩が唄った安曇野に伝わる俗謡が今も忘れられません。                            「♫酒は焼岳、心は穂高♪、早く乗鞍、槍ヶ岳♫」                                  とお猪口(ちょこ)を片手に首を振って唄うのです。昔の方ってお米も碌に食べられない貧しい暮らしの中でこんなに諧謔心が旺盛だったのにとても驚いたものです^^。

ウクライナ情勢は予断を許さず原油欲しさに西欧はプーチンの専横を止めようとしない(;;)。多くのウクライナからの難民の訴えには身が詰まされ、遣リ切れない抵牾(もどか)しさに我が身を捩(よじ)って居ます。銃弾の中をキエフに留まって必死で国を護るウクライナの大統領は立派だと思いますm(_ _)m。

先週の読めそうで読めない字    深い縁(えにし)で結ばれる

今週の読めそうで読めない字   (雪洞)に灯をともす