早や霜月に入り暖かかった日が暗転し、先週一番木枯らしが訪れ気温が急激に下がり晩秋を実感するようになりました。私は明後日10日で齢(よわい)74歳を迎えることになりますが、碌に健康管理もせずによくこの歳まで生き存えたことかと感無量の想いと共に両親の深い愛情と戦前、戦中、戦後と10余年の間粗食に耐えてきたお陰ではないかと感謝して居ります。
本年秋の漢検テストは今日学園都市の神戸外大で前回同様行われました。気温は暖かくて良かったのですが、小生生憎先月からの風邪が治らずに体調不良の儘試験に臨みましたが、案の定集中力を欠いてミスが多く、念願の190点は無理でしたが何とか180点は採れたように思います(;;)。
先週朝顔の写真を入れるのを忘れていて申し訳ありません。直径僅か4cmの朝顔で未だ幾らか咲いていますが、寒くなったので好天の日でも開花は1時間位で直ぐ凋んでしまいますが、その1時間種の保存に残るエネルギーを燃え尽くして居るのだと思います。
岡田外務大臣が先日某所で天皇陛下の国会開会に際するお言葉が何時も同じなのは如何なものかと発言し、各所に波紋を投げ掛けました。私を始め余人は誰もあの『お言葉』が天皇陛下自身のお作りになったものとは思って居ず、宮内庁の侍従達が原稿を書かれたものを陛下が棒読みされるとばかり思って居ましたよね。そして毎国会文言が同じとは思っても居ませんでしたから、戦後60有余年の自民党政権から民主党に政権が移ったことでもあるし、少し位『お言葉』を変えて頂いても良いのでは…との期待も空しく今回も前回と同じもので第172回が第173回と一字置き換えられただけだったそうです(;;)。岡田外相の発言に意地になった宮内庁が頑張ったのかと思ったら豈(あに)図らんや、所謂『お言葉』なるものは宮内庁に依れば内閣官房で原案が作成され閣議決定されたものだとか…(;;)誰もそんなことは知りませんでしたよね(;;)、何時閣議決定されたのか昔の議事録でも辿らねば分からぬことですが、毎回一言一句違わぬ『お言葉』であったなど天皇陛下の個性を無視して認めない硬直的な遣り方ではなかったでしょうか。陛下は何時も同じだから原稿など見なくても諳んじて居られることでしょうが、原稿に目を通しながら読まれることまで閣議決定されていたのかも知れませんね。つまらぬことまで閣議決定するな!
政権交代したことだし、偶には陛下の思って居られるお考えを述べて頂きたかったと思います。“皆様には国民の雇用の問題と少子化の問題を一義的に考え、国家財政逼迫の折柄、離れですき焼きを食っている無用な天下り特殊法人を根絶されることを切に望みます”などと仰られたりして…(^^)
先週防災科学研究所なる処が大型震動台『E-デフェンス』を使って、3階建て木造住宅を震度6強で20分間揺らして耐震実験を試みた処、思惑とは異なり長期優良住宅の基準を満たした住宅が全壊し、直ぐに倒れるように柱の接合部分を弱めた所謂欠陥住宅は柱の接合部分のみ損傷し倒壊を免れたそうです(^^)。
そんなアホな!と言いたくなりますが、現実は上記の如くであり我々は一体から何を信用したらよいやら戸惑いますが、どうやら此の研究所は天下り官僚の充満した特殊法人らしく、建築価格を値切られた下請けか孫請けの建築業者の悪戯だったかも知れませんね。いやいや悪戯なら2度と使って貰えませんからそんなことは先ずないでしょう。実験を指揮した東京都市大学(そんな学校あった?)の大橋教授は“基準に問題はない”と強気な態度ですが倒壊したことは事実ですから馬脚を顕した如くです。今後建築業者との責任の擦り合いが続くものと思われますが、原因として考えられるのは長期優良住宅の基準は建物の強度が頑丈過ぎて揺れに対する吸収力であるゴムのようなゆとりを欠いていたのではと考えました。素人考えですから正鵠を得たものではないでしょうが、倒壊したことは事実ですから、或いは故意に弱められた柱の接合部分に耐震の鍵が隠されていたのではないでしょうか?
昔から“柳に雪折れなし”と謂う俗諺がありますが、地震の揺れには耐えるより“任せる”方が良いのではないかと思ったものでした。
夜の関門海峡で海上自衛隊の護衛船と韓国のコンテナ船が衝突し、狭水道の危険性が改めて浮き彫りにされました。第7管区海上保安本部に所属する海上交通センターが交通整理のために韓国船に対して与えた助言に対し韓国側は“センターの指示に従ったら衝突した”と主張しています。韓国のコンテナ船は左側から貨物船を追い越そうとして左方向に飛び出して、海上自衛隊の護衛船と衝突したものですが、街中と違って防犯ビデオが在る訳じゃなくお互いの水掛け論となって居ますが、どちらも見張り体制は万全であったと主張する一方で警笛一つ鳴らさず、お互いが“相手が避けるやろ”と事態を甘く見ていたものと思われます。昨年の2月千葉県の沖で発生した海上自衛隊イージス艦(あたご)と漁船清徳丸の衝突事故はダンプカーが警告もせずに幼児の三輪車を引っ掛けた様な無謀なものであったに対し、今回は“くらま(5200噸)”に対し韓国船は9000噸もあり、決して前の事件と同一視はできません。一般的に交通事故は大きい方が悪いと言われますし、貨物船の左側面を追い抜こうとして左に曲がり過ぎて“くらま”の進路を妨碍したのは事実ですから、其の段で行くと韓国船に非があると思われますが、狷介な何時もの手口で韓国側は国内報道で卑怯にも“あたご”の事件などを牽強付会に持ち出して、全面的に日本側の非を唱えて居ます。
彼等半島の連中の対日感情と劣等感は我々が考えている以上に凄まじく、古くは我が国明治時代初代総理であった伊藤博文が明治37年初代朝鮮国統監であったばかりに朝鮮人”安重根(あんじゅうぐん)“に北京で暗殺され、ソウルでは現在も犯人である彼安重根(死刑に処せられた)の巨大な肖像がビルの壁面を覆っているのは周知の事実であり、彼等朝鮮人が日本人に対する劣等感を根底として祖父や両親から伝承して居る日本人に対する憎悪と嫌悪の念を決して忘れてはなりません。
伊藤博文は国際協調重視派であって大陸への膨張を企図して韓国の直轄植民地化を急ぐ山県有朋や桂太郎、寺内正毅ら陸軍軍閥としばしば対立し又日朝併合について、保護国化による実質的な統治で充分であるとの考えから当初は併合反対の立場を取り、1909年7月に朝鮮併合の基本方針が閣議決定されてもなお”本格併合は将来的な課題“として早期併合に反対していたのですが、斯くの如く朝鮮人の救世主となるべく努力を重ねられた伊藤博文が単に朝鮮国の統監であったことだけの理由で半島人の恨みを買うことになり、結果的に暗殺へと繋がることになったものです。
斯様な歴史的事実から見ても分かるように、今回も韓国側は日本の“指示”に従ったから事故になったと頑(かたくな)な態度を崩しませんが、日本側はあくまで“助言”であり回避責任は韓国側にあると主張して居ますから恐らく10年裁判となり拗(こじ)れるに違いありません。(;;)。然し、助言と指示は明らかに異なっており、助言か指示か命令かは法の定める処に依るもので、現在我が国では立法化されていませんから助言に過ぎないと思われますが、私が疑問に思うことは、関門海峡通過に際し、センターは通行船より料金を徴しているかどうかではなかろうかと考えます。通行料金を支払っているのであれば韓国側は幾許かの補償を求める権利がありますが、無料であれば日本のボランティアのようなものであって求償権は全く存在しないと思いますが、皆様はどうお考えでしょうか?
今日まで3日間伊勢志摩で行われたミズノクラシックはアメリカ女子プロツアーにも組み込まれた世界的なものであり、女子プロNo.1メキシコのロレーナ オチョアも参戦しましたが優勝は又もや韓国ブタに攫われ横峯選手は其の他大勢の一員となり無念でした(::)。