さくら咲き春爛漫の季節を迎えたと謂うに悪夢の大震災とその後遺症のお陰で少しも心が晴れない。福島原発だが人間の持つ全ての叡智を傾け、あらゆる科学の尺度から精密に分析して計算された筈のトーチカのような要塞に、焼き芋の種火作りでもあるまいし今更大鋸屑(おがくず)と新聞紙の投入など誰が信じられるか!東京電力と原子力安全.保安院(不安院か?)が机上で計算したものは将に文字通り机上の空論であったことが発覚し、彼等が只の月給泥棒であったことが判明した(;;)。それが証拠に彼等はベント(格納容器の弁を開放して水蒸気を逃がし圧力を下げる作業)を要請する官邸の要求に対し全くその指示に従わなかったが、その理由は彼等には要求に応えるにも質問と答えに対する知識が全て欠落していたのではなかったか(;;)。とは謂え政府が縦割り行政の建前上東電や保安院を通り越して直接東芝が話もできなかったことは牴牾(もど)かしさを通り越して腹立たしい限りだ(;;)。
彼等への腹立たしさとは裏腹に被災地の方々の心情を思うと、私自身何もできない無力さから心潰れる思いだが、被災者の心も察せずに東電の幹部達は全漁連本部を訪れながら事故の経緯の説明だけで放射線汚染水放水については何ら言及せず(言える訳ないか!)会話での彼等の感触から“金で片が付くな”と確信し、日本国中に及ぼす影響を全く考慮せずして放水に踏み切ったものだと思う。然しよくよく考えれば放射線汚染水の放水は漁業関係者への補償金だけで済む問題ではなく、放射能を浴びた魚介類が三陸海岸近くに留まらずに、本能的に危険を察知し太平洋を南下してくる可能性も少なくなく、韓国政府や中国が逸速く”汚染水の海への放水を聞いていない“と不快感を露わにしているのが何よりの証拠だ。その内産地偽装した野菜類もきっと出てくるに違いないから我々は何れ、故なく放射能汚染された食品を口に入れねばならぬ運命にあるのだろう。近く農薬にどっぷりと浸かった中国産の食品が一番安全な食糧になるに相違ないことは皮肉な話だ(;;)。愈々以て日本人の全てが50数年前マーシャル諸島沖合で操業中に米の水爆実験により被爆した第五福竜丸乗組員23名の二の舞になる恐れがでてきた(;;)。
世に“Providence”なる言葉があるが、私は如何なる事態が訪れようともこの言葉を信じ自身の命運を信じて天を恨まず生きて行こうと思う(;;)。
『一燈を提げて暗夜を行く、暗夜を憂うこと勿れ、ただ一燈を頼め 』昌平黌の儒学者佐藤一齋“言志晩録”の一節を心に刻み乍ら…
先週末セキスイハイムの社員 I氏が、来月始まるうちの賃貸ハイツの防水塗装契約の件で来所されたとき、今回の震災による二次被害が話題となりその折聴いたのだが、現在建設関連の大手旭硝子にシステムキッチンのクリナップそして電気専業メーカーとして世界一であるパナソニックが建築関連製品の製造中止(部品の調達ができなくなったとか…)を発表し製品の出荷を全面的に停止したそうだ。恐らく各社共に部品の生産拠点を東京以北に設けていたためだと思われる。東北地方は牧歌の調べ流れる長閑な酪農地帯かと思っていたが、今回の震災で実際にはトヨタを初めとする日本の主要な産業の生産拠点が多くあったことに気付かされた(;;)。今回大手メーカーの出荷停止は普段大手の後塵を拝している中小メーカーにとっては千載一遇のチャンスであり大手に依存していた販売先を食い荒らしに掛かると思われるが、大手故に許された合理的なトヨタ流かんばん方式が今回裏目に出たのも皮肉だった。製品の品薄は必ず価格に反映されるのが世の倣いであるが、その内生活関連商品に加えてあらゆる建築資材が騰貴するものと思われ、私はセキスイハイムから震災前に契約金額の提示を受けていたことを僥倖だと考えている。
先日所用で近くの郵便局へ自転車で行ったらナント!郵便局の前の歩道に軽自動車が止めてあり見知らぬ小父さんが一人運転台に居た。仕方なく自転車をUターンさせて車の後ろに止め、“こら!歩道に車を止めたらあかんやないか!と言うと聞こえぬ振りをして居るのでもう一度反対側から怒鳴ってやると郵便局から60歳位の太った小母さんが出てきて” 、ええねん、ええねん、私障碍者やさかい “とほざき、さっさと車に乗り込んで行ってしまった:-)。確かに車の横には障碍者のマークが付いていたが、見る限りではこの小母さんの歩く姿や車に乗り込む処はまるで健常者であり、どうやら障害は頭の方の非常識さにあるようで身体能力には何等支障がなさそうなことが分かったから余計に腹立たしく、中に入って郵便局員に“客に車を歩道に止めさせたらアカンやないか!”と八つ当たりしたのだが、あの小母さんはどうやらATMへの用だったらしく局員さんは何も知らずにキョトンとして居り、私は振り上げた拳の下ろす場所を失い余計血圧を上昇させたのだった(T_T)。
幾ら障碍者優先とは言え、歩道のド真ん中に車を止めるとは非常識極まりなく特権の乱用であり、万一白い杖の方が歩いて来られたら惨事だ(;;)。障碍者のごく一部の方にはこの手の特権を当然のように拡大解釈して使う方が居て健常者の神経を苛立たせるが、以前JR垂水駅に未だエレベーターがないとき車椅子の太った若い男性を若い駅員さんが階段をガタンゴトンと渾身の力で車椅子を押して上げて居られるのを見たが、プラットフォームに上がりきって駅員さんが大息と共に汗を拭っているのに車椅子の青年は“有難う”も言わず素知らぬ顔をしているので私は礼儀知らずの車椅子の青年に甚だしい憤りを覚えたことを思い出した。そしてあの時あの青年に“駅員さんに礼くらい言えんのか!”と窘(たしな)める勇気がなかったことを今も忸怩たる思いだ(;;)。障碍者には特権を行使する権利が与えられているが、それはあくまで最小限に留めるべきであって権利の行使が相手に少しでも努力を費やさす場合は、当然に感謝の念を伝えるべきが、礼に始まり礼に終わる“人の倫”ではないかと思っている。
先週の常用漢字表外読みの答え
(強請集り) (ゆすりたかり)でした。
今週の常用漢字表外読みの問題
危急存亡の(秋)
勿論答は常用漢字の訓読みである(あき)ではない。