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初恋への郷愁

春爛漫の候、ゴールデンウイークも愈々終盤に差し掛かりましたが、月曜火曜日の明日明後日共にと休みとなる珍しく長いGWとなりましたが幸いお天気に恵まれ、きっと皆様は旅行に行楽にと楽しまれただろうと思います。

 

今日の午前中は恒例のFACEBOOK更新に充てて居ます。私のブログなんか極く一部の方にしか見て頂けて居ないと思いますが、誰に見て貰わなくても更新は私の生活の一部であり、盆と正月同様変わらず何処にも行かない私にとっての日常であり日記(週記)のようなものです。

拙い私の筆力の基礎訓練となったのは、今は去る70年位前である学生時代にふとしたことで信州松本6時発1番電車の4人掛けボックスシートで知り合った長野県岡谷の長地小学校「音楽の教諭」として勤めていた今は亡き恋人と知り合って彼女との往復書簡が発端でありました。

当時は手紙が早く到着するように双方ともにその頃存在して居た鉄道郵便局を利用し、私は神戸駅9時40分の急行「さつま」の後部に連結されている郵便車に備えられているポストに投函して居ました。駅構内の郵便局の小父さんに到着が一日早くなると教えて貰っての投函だったのです^^。彼女にもその旨を伝えて双方の手紙の消印は私から出すのは「下関大阪間」私の受け取るのもは「塩尻小淵沢間」でしたから、二人の愛の便りは大阪と名古屋と塩尻でちゃんと載せ替えられて運ばれたものと思いました。便箋は切手10円が限度の7枚書きましたから今思えばパソコンなどない時代だし万年筆のブルーの字は下手だったけど、私の筆力と漢字力の殆どは二十歳前後に確実に育(はぐく)まれたものだと思って居ます^^。なにせ恋しい恋人への便りですから誤字など書くと軽蔑されるので漢字辞典と国語辞典は私の机の上でボロボロになるまで使われて居ましたよ(^0^)/。

この間私が培った国語力と漢字力は後年国家試験を初め仕事上の文章作成に大きく貢献し、今ではFACEBOOKの更新に用いられていますが、恋人によく思われたいと心の底から絞り出した知恵が現在の私を造って呉れたのでした。漢字検定准一級に苦労なく合格することができたことも70年前の恋愛の成果であったろうかと思って居ります。今思うにあの当時の恋に賭ける集中力を大学受験に用いていれば阪大位には合格できたのでは無かろうかと思って居ます(;;)。

 

昨日土曜日の昼下がりに一本の電話が掛かって来ました。最近では殆どの電話が携帯に直接掛かるような慣わしとなって、固定電話は私の知っている顧客からが殆どですが03…とか、知らない局番から掛かることが多くて受話器を取らずに放置して置くと長くても1分もすれば切れますが、当方は携帯から発信しますから多くの顧客からは通話履歴に残って居るため現在では事務所の固定電話を避けて私の携帯に掛かるのが常態となって居ます。そして固定電話の方は殆どが商品の売り込みやら怪しげな勧誘が圧倒的に多くなったので電話機に表示される相手番号が0120を初め変な局番が多いのでガチャ切りするか、放置していればその内に相手は諦めますから所員たちにもその旨を徹底させて居ます。

昨日の午後かってきた電話は明らかに私が知って居る電話番号だったと思われるため受話器を取ると懐かしや久し振りで旧友の「さんちゃん」ことMくんからでした、彼とは中学1年から3年まで同クラスの親友でありました^^。大人しくて感情の起伏の穏やかな少年であり、野球の好きな者は毎日早目に登校して運動場で野球をして楽しむのが日課だったのです^^、彼は敵チームの投手であって1年生の頃は私もよくホームランを打ったりできましたが、2年生になると彼の体力が増したせいでボールが早くなり私には全く打てなくなってしまいました(;;)。そんな時に馬小屋と謂われた電気も窓もなく、戦時中は軍の資材置き場じゃなかったかと思われる中学の校舎が解体され新しく舞子中学と合併して歌敷山に建設される歌敷山中学に合併新発足されることになったのです。そのため生徒たちは、全員新学舎の建設が完成するまで遥か西北に聳え立つ星稜高校(旧四中)の4階に寄留させられて、同じく歌中に参加する舞子中学のガラの悪い連中と同じ仲間として学ぶことになりましたが、字数が尽きましたので、私にとっての星稜高校四階での刮目すべき出来事については次週のお楽しみと致しましょう。

 

皆様は大阪・関西万博へ行かれましたか?…聞くところに依れば一番安い食事が素うどんで650円もするそうです(゜o゜;/。会場外では380円ですから差額は売上家賃だと思います。何のための高い入場料や🤬/。会場内ではしっかりと財布のチャックを閉めましょうね。

先週の読めそうで読めない字  蹲(つくばい)#

今週の読めそうで読めない字  清拭

#茶室前の露地に設置された手水鉢 (ちょうずばち) のことです。

鉛筆なめなめ…

 

酷暑が続いて居ますが皆様お元気ですか?雑草に塗れた庭先では今年も夕化粧の赤花が満開となりました^^。蕾の特徴からこの花が月見草の仲間であることがお分かりでしょう。宿根草ですから毎年あちこちから生えてきて私の目を楽しませてくれます。でも私は明後日8日市民病院で目(黄斑変性症)の手術なので憂鬱です。手術の時刻も定かでなく前日の夕刻に私の携帯に告げられるとか…(;;)、その時間に合わせての病院行きとなりますが、昔なら前日に入院し斎戒沐浴を済ませてその後の手術だったのが日帰りの外来手術なんて世の中急からしくなリました。10月まで三ヶ月掛けて三回手術を行いますがそれでも、治癒する人とダメな人とあって現在はその原因が全く分かって居らず失明の確率もかなりあるようようです。そうなれば夕化粧も今年が見納めになるかも知れません(;;)。

半年にも垂(なんなん)と世間を騒がせた籠池事件も元理事長夫妻が漸く逮捕されました。此の二人は昭恵夫人を利用して8億円もの国の財産を詐取したリ、補助金を騙し取ったりした悪い奴ですが、此の夫婦が居なければ加計問題もきっと発覚しなかったと思われ、加計学園事件を世に知らしめるに至った二人の行為は結果的に政治家の腐敗を暴いた訳ですから瓢箪から駒であり我ら国民の功労者です。今後財務局にもメスが入ると思われますが、近畿財務局から栄転した国税庁長官は長官室の深々した椅子もきっとお尻が落ち着かないと思います^^。国民は長官にまで捜査の手が伸びることを願っていますが、きっとトカゲの尻尾切りで終わるでしょうね。

50年昔、税理士になりたての頃、お得意先には絶えず当時は当たり前だった無体な税務調査をされ「なんぼなら払えるんや」と調査係長に呼び付けられて故のない追徴課税を打診された税の暗黒時代を思い出しました(;;)。同じ財務省(大蔵省)だから50年経っても変わらないのです。会社を潰してしまうと元も子もないことを彼等は50年昔から今に至るまで良く知って居たのでしょう。無体な税務調査で思い出すのがお得意先のKさんで恒例の税務署ガサ入れが行われた折、税務署員が経理担当者の机の引き出しを開けるように命じ、女子社員が頑強に抵抗したため、裏帳簿が入っていると思われて強引に開けられましたが、入っていたのは裏帳簿ではなく彼女の大切なラブレターであり、社員は恥ずかしさで泣き崩れるし、税務署員は跋が悪くお陰でその後の税務調査も手加減にて終わり、会社は目出度し目出度しでしたが、全てはラブレターを読まれて泣き叫んだ彼女の屈辱のおかげでした。

籠池夫人が補助金詐欺に関して「鉛筆を舐め舐め書いたかも知れませんが、悪気はありません」と報道陣に述べた言葉がネットで炎上して居ます。「鉛筆舐め舐め」は一所懸命苦労したと謂う意味と都合の良い方に書き換える意味があるそうですが、夫人の言わんとしたところは悪気云々からきっと後者の方でしょう。でも私の経験では「鉛筆舐め舐め」は文章を推敲しながら書く意味だと思って居ます。だから後者は誤訳で、前者が正解ではないでしょうか。

生活の知恵コーナー(新設)

ドライクリーニングに出した衣類は30分位軒先の風に当てないと其の儘タンスに仕舞うと中の衣類全体が発ガン物質に覆われてしまうそうですよ。

先週の読めそうで読めない字  木々が色付く比(ころ)

今週の読めそうで読めない字  転んだ(機)に足を折った