木蓮が終わったと思ったら、長く花を誇っていた雪柳も青葉が目立つようになり、あちこちの土手で花ニラが白花や薄紫の花を付け始めました。蔓桔梗も顔を覗かせ鳴子百合まで咲き初めましたから愈々神戸にも春がやって参りました。無責任な小泉内閣による増税路線の影響か神戸の景気が回復しないのがイマイチ気掛かりですが…(;;)
うちのからまつ草の生育は相変わらずはかばかしくなく、今週も無念にもお得意先のからまつ草が主役を務めることになりました。緑花なんて珍しいですね。(^^)
先週の宿題となっていた『白黒つけます!』は “現代の若者が恋をしなくなったのは男のせい?女のせい?”でありましたね。大変重い問題でありましたが、M新聞のこの問いに対する各地からの回答は10代から70代まで2500名近くの男女から寄せられたそうですがその結果は圧倒的に“男のせいだ!”というものであり、男の頼りなさを露(あら)わにしたものでありました。その中では”真剣に恋をするに値する男が減った“とか”女は進歩しているが男は進歩していない“と辛辣極まりない酷いものまであり、私自身男の一人として、女一人では子も生めない癖して女にそこまで言われるか!と憤りを覚える反面、”自分は彼女が居ない歴27年なので多分男のせいです“など不甲斐ない男性の回答には正直がっくり致しました。
昔から男はアクティブ女はパッシブと決められていた不文律が明らかに逆転したようであり、男の言葉を待っていたら何時になるやら分からず身体だけ迫られたり、仕方なく女の方から求婚を迫ったら携帯の番号を変えて逃げられたりと、確かに男らしくない卑怯で優柔不断どうにも大和男児と言えない奴等が増えたのは事実でしょう。
然しおかしいですね、何時の間にそんな風に世の中変わったのでしょうか。昔から恋は盲目と言って、男女共に好きになったら命懸け、痘痕(あばた)も靨(えくぼ)であり、相手の家族や収入などまるで念頭になくこの世で夫婦(めおと)になれないならせめてあの世で…と山本周五郎の “松風の門”ではありませんが“夫婦(めおと)は二世と謂う、来世は夫婦(めおと)で仕合わせになろうぞ” 池藤八郎兵衛の言葉が聞こえてきそうではありませんか。一昨年10月のWEBにてご紹介させて頂きましたからご記憶の方もあろうかと思いますが、昔の男女は私も含めて誰もこんな風だったのです。
“来世は夫婦(めおと)で仕合わせになろうぞ”とても素晴らしい言葉ですね。私も一生に一度は言ってみたいセリフでありましたが、昔から恋にもメチャ不器用な男であり好きな女(ひと)には振られてばかりであり不幸にして今日までその機会に恵まれませんでした、然し未だ決して諦めた訳ではありません(笑うな!)
含蓄あるこの言葉は四国宇和島藩伊達宗利の家臣である池藤八郎兵衛が領内で勃発した百姓一揆を煽動する首謀の浪人達を討ち取り、農民達の怨嗟の眼を主君に向けさせないために自らは切腹する覚悟で出陣前に許婚(いいなずけ)“うめ”を招いて彼女の手を取り、理由(わけ)を説いて聞かせハラリと流した涙とともに洩らした一言(ひとこと)です。“初めて触れる我が未来の良人の手に“うめ”はこの瞬間を少しでも延ばすことが可能なら自分の七生を賭しても悔いはない、心の中でそう絶叫しながら突き上げてくる嗚咽を懸命に抑え続けていた…。周五郎の憎らしい程上手い筆遣いですが果たして今の若者に理解できるでしょうか。
こんな風にも大きな男女の格差を堅く信じきって生きてきた私でしたが、それらが私の儚く淡い感傷に過ぎず、戦後の男女同権とかで三食昼寝付き徐々に体力を付けてきた女性が男に追い付き遂に男が追い抜かれたことを知ったのは忘れもせぬ今から43年前、紆余曲折の末丁度妻と結婚した年のことであったのです(遅かったか!)(;;)
話は大昔に暗転します、多く鬼籍に入られましたがハナ肇とクレージーキャッツと謂えば覚えていられる方もおありでしょう。その一員トロンボーンの谷啓などは釣りバカ日誌などで今も活躍中ですが、そのクレージーキャッツの一人植木等の“スーダラ節”などが一世を風靡しましたよね。衝撃的だったのは何と言っても1962年に発売された“はいそれまでヨ”であり“無責任一代男”のB面スタートながら瞬く間に日本中を席捲しそれまでの男尊女卑の世界を180度引っ繰り返してくれました。
♪貴方だけが生き甲斐なのよ♪と男を持ち上げてその気にさせて、一緒になったら♪炊事洗濯まるで駄目、食べることだけ三人前、♪一言文句を言ったなら、プイと出たきりはいそれまでヨ♪巫山戯(ふざけ)やがって、巫山戯やがって、此(こん)畜生!♪無責任男が実は数段も無責任な女にしてやられるホンにふざけた歌でありましたが、可弱き筈である女性の本性をいみじくも暴き、世の強そうで実は可弱き男の子(おのこ)共の共感を呼び大ヒットに繋がりましたが、オペラ歌手の平山美智子から本格的なクラシックの発声レッスンを受けていた植木等の歌唱力はギタリストであり乍ら流石に抜群でしたね。無責任男から無責任呼ばわりされるのですから、それまで猫を被っていた世の女性にとっても仮面を剥ぎ取る絶好のチャンスであり堪(こた)えられない“はいそれまでヨ”でありました。(^^)
その後世の男の子(おのこ)共も漸くことの事態の深刻さに気付き、何時とはなく打算が感情に優先するようになって女だけでなく男までも我々昔人間の純情可憐さを忘れ去り、恥ずかしげもなく食い逃げや乗り逃げなどが当たり前の時代となりましたから世も末であり情けない限りです。然し全ての原因は女性に帰するものであり男より女の罪が大きいのです。周到にも女性は恋をするにも調査期間を置いて身上調査などを充分にした上で男の収入の多寡から、年寄りとの同居はお断りなどを満たすことを条件として、恋をすべきかの選択決断を実行する時代となりましたから世の中随分変わりましたね。
然しよくよく考えてみると実は今の男女が恋をしなくなったのは男の進歩が止まった訳でも女が進化した訳でもなく団塊の世代以降誤った戦後教育により男女の本分を忘れた父母の日頃の生活を子供達が横目で見て、女の恐ろしさと男の愚かさを知ってしまったことが真の原因ではなかろうかと考えました。親の背を見て子は育つと世に謂いますが正にその通りであり、両親(ふたおや)の日常の言動が自分達の将来像への絶望を育(はぐく)んだ結果、人間の本能である恋への熱情を冷ませていったものに違いありません。
然し打算から腰が引けて恋ができない男女なんてとても悲しいことですよね。その上昨今の世の中男なのか女なのか、外見ばかりか中身も分からない連中が多くなりました。全ては女は男に遵い、男は命を懸けて妻子を護ると謂うお互いが思い遣り労(いたわ)り合う男女の本分である儒教の教えを忘れた戦後の誤った教育が齊らしたものであったでしょう。
“来世も夫婦(めおと)で仕合わせになろうぞ”
どんな不遇な環境になろうとも夢を抱いた男女がこの言葉を幾歳になっても生涯忘れないことが大切であり、そのためには人生には打算や計算を超えた、愛の…恋の…と謂う節目の苦しい道程が不可欠であることを肝に銘ずるべきではないかと考えました。
恋をしなくなったのは男のせい?女のせい?重い質問ではありましたが皆様はどう思われましたか?
今日の夕刻時ピンポンに出てみたら若いカップルが天理教会の紹介に来られました。私は特定の宗教を信じている訳ではありませんが、どの宗教でも馬鹿にせず良いところを採って自分の肥やしにしています。今日は久し振りに“お筆先”の中山みき親神様のお話などが聞けて楽しい一刻(ひととき)が過ごせました。物やお金が全ての今の世であり乍ら、若い人達の中にもこんなに純粋に一つの教えに縋って生きて居られる方々の存在を知ってとても嬉しく思い、日本の未来に払暁が到来したことを予感しました。(^0^)/
横田めぐみさんの夫が韓国人だったとか、現在軟禁中とか拉致事件に関わらぬよう背を向けていた韓国も日本と北の中挾みでの他人事ではなくなり来週には横田さんご夫妻が韓国を訪問されめぐみさんの夫の母親達と逢われることになったとか、事態が新たな局面を迎えようとしています。メディアは改めてめぐみさんのお嬢さんとされるキム.ヘギョンさんの嘗ての会見シーンなどを放映していますが、このお嬢さん誰かにそっくりだなあと考えてみると、話し方表情や笑い方などお祖母さんの佐紀江さんとそっくりではありませんか、傍で暮らしていて似てきた訳でもありませんからめぐみさんの子供であることがはっきりと分かります。横田めぐみさんは写真しか見ていませんから動作は知りませんが、世に隔世遺伝と謂いますから本当だったですね。一日も早く佐紀江さんとお孫さんが逢える日が近いことを祈りたいと思います。韓国政府もオタオタしないで拉致問題に対決せよ!
熊本県で行われたライフカードレディースは昨年さくら選手が初優勝した験(げん)の良いツアーでありましたが、地元不動選手が完勝して40勝目を勝ち取り、我等がさくらちゃんは4位まで追い上げ優勝を来週のサンケイレディースにと期待を繋げました。(^^)