幾ら何でも三月となれば少しは寒い日が訪れると思いましたが、一向に暖冬の勢いは増すばかりであり庭の芍薬や牡丹が先月末より萌(めぐ)んで参りました。我々が子供の時は♪春は名のみの風の寒さや♪と歌っていましたが、今では♪冬は名のみの風の爽やか♪などと歌わねばなりませんね。{%warai_a%}地球温暖化のこともあり喜んでばかりも居られません。{%saiaku%}
月次処理の帳簿が放置した儘になっているため、確定申告を何とか無事進行させ今週中にも完了させたいと願っていますが、何せ確定申告は40数年間寒風との戦いでもありましたからこの暖かさでは気分がだらけて仕事に気合いが入らず些か困っております。更に幾人かどんなに催促してもギリギリまで証明書などを持参しない人が居ることも困ったものです。{%shiranai%}

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芽吹いた芍薬の向こうが苧環ですが、こいつも早や春が来たと勘違いしているようです。{%komaru%}
先週日興コーディアルの元常務が社長や会長に代わってお金で身を売って人身御供になったお陰で一財産稼いだ話について触れましたよね。我が国では会社での序列はトップが社長乃至は会長でありその次が専務であり更に常務となっていましたが、最近では肩書きがCEOとかCOOとか或いはエクゼクティブ…などローマ字やカタカナの役員が輩出し、オマケに登記簿謄本に記載されていない執行役員や責任役員まで登場しましたから、我々高齢者の既成概念では到底付いて行けなくなっています。特に外資系など名刺に社長と書いてあっても法的には代表権のない三等重役すら出てきたので民法上の表見代理の問題はどうなるのかと戸惑ってしまいますが会社の役員名簿の順序でも読まねば分からぬ時代となったようです。
然し現在の処、大多数の会社がCEO等は別称として基本序列が社長専務路線を蹈襲していますから、我々年寄りも判断に困らないのですが、最近の傾向として筆頭専務が社長にならずにずっと下位の者が社長に就任するケースが目立って参りました。公務員1種試験の合格順位が退官時まで付き纏う悪弊のぬるま湯に浸かった高級官僚と違ってとても良いことだと思いますが、先週シャープの次期社長に選ばれたのは意外にも弱冠49歳片山幹雄氏であり7人抜きの抜擢でしたから、最近では入社歴や学歴だけでなく頭の良さに経験に決断力等余程力が伴わないと年功序列では最早社長になれない時代が到来したようであり、或る意味で喜ばしい限りです。専務は次期社長と言う昔の常識が既に過去のものになってきて居り、最近社長と専務や常務の間に大きな落差ができていることに気付かされますね。
そんなことを考える切っ掛けとなったのは、うちのすぐ近くに資本金1800億円年商1兆円を誇る超一流会社の専務が退職後最近東京から帰神され、戦争中幼年時代私の遊び友達だった奥様の実家に二人で住んで居られます。私は旦那様のお顔を存じ上げませんが、この元専務さん家を出掛けられるとき決まってうちの家の前を通られるので、その際うちの愚妻が “お早う御座います”と声を掛けるそうですが、何時も見向きもされずに無視して行かれるとか{%gomenne%}この方は我等如き下賤な者には首肯すら応答することで己が矜恃に傷が付くとでも思っていられるのでしょう。“大会社の専務までなった人が!”と愚妻から愚痴を聞かされて、私は此の元専務が社長になれなかった理由が何となく分かったような気が致しました。{%akkanbe%}
前ばかり見てがむしゃらに突き進んだ人の中でもときには後ろを振り返り、足踏みをして後ろの者を待ってやるなど、絶えず弱者を労る心根を忘れぬ人は社長になれても、振り返る時間を惜しんで突き進んだ人は自己中心であり、“一将功なりて万骨枯る”の譬えもあり、前ばかり見て後の者を顧みないでは真に社長足るべき器でないことが判明しますよね。この元専務さんの会社の現社長も執行役員から関連子会社の社長を3年務めた上で昨年6月に社長に異例の抜擢をされましたから、謂わば子会社への出向は手腕次第で亜流の儘終わるか、或いは本社社長になれるかの試金石であったのではないでしょうか。反面そんな機会も与えられなかったこの元専務さんは論功褒賞功なり果てての専務であり、終着駅として予定されていたものであって経営能力はあっても社長としては恐らく部下からの信頼と人望が充分得られないであろうと、会社の元老達や社外重役達が考えたことは想像に難くありません。社長たるべき者に最も要求されることは、自身の経営能力もさることながら会社内での人事の和は保ち社内社外の誰からも敬慕される人であるべきが必須要件であります。そしてそれは必然的に私生活に於いても実践さるべきものであり社長たる者は“和光同塵”の格言にもあるように、自己の才知を隠して庶民と付き合う雅量がなくてはなりません。近隣の人と自然体のお付き合いもできずに大会社の社長が務まる道理がありませんよね。“穣る程頭(こうべ)の垂れる稲穂かな”と謂うではありませんか。この方が社長になれなかったのは畢竟人間の器が小さかった事に原因するのだろうと考えました。この方そのストレスからか、お気の毒に現在脳梗塞で倒れられて病院でリハビリの最中とか…{%gakkari%}
私のように50年間同じペースでテクテク歩き満員電車を利用して仕事をしている人間には、この歳になってしんどく感じても慣れっこですからそれ程苦痛になりませんが、壮年期を長く運転手付き高級社用車で仕事だけでなく自宅会社間の送迎まで生活のリズムとなっていた人が、退職され只の人になった訳ですから、その生活環境の変化の段差は我々が想像できぬ程物凄く大きいものであったことでしょう。だからと言って近所の人の挨拶くらい受けられないようでは所詮大物だとは謂えず、お気の毒とは思いますが、脳梗塞の発作も生活の変化に順応できなかった不幸が招いた副産物だったのではないでしょうか。{%naku_a%}
一度拝顔して朝のご挨拶位したいと思っていますので、早く元気になられて帰宅されることを祈っております。愚妻同様挨拶が聞こえなかった振りをされたりして…{%saiaku%}
先週の答え
『惻隠(そくいん)の心は仁の端なり』
奥床しくてとても良い言葉ですね。
“惻隠”とは人の不幸を痛ましく思う心、仁は慈しみや思い遣りのこと。
人の不幸を哀れんで痛ましいと思う心が慈しみや思い遣りの心に繋がると謂う意味です。
古来から日本人の精神生活の底流を支えてきたこのような儒教の考え方が、何時とはなく功利的な自己中心主義に置き換わり、最近では人の不幸を悦ぶことはあっても傷ましく思うことなど誰もしなくなりましたから悲しい限りですね。
最近では小学校へ『給食費を払っているのに“頂きます”と言わすのはおかしい』と言ってくる保護者が居るそうですが、“頂きます”のこの言葉とて広い意味での”惻隠の心“であり、お金の問題ではありません。食事が摂れることに対して神への感謝の表現であることを知るべきです。
うちの愚妻など無学ではありますが食事の前には自宅であれ食堂であれ、必ず食事の前に箸を捧げて一礼する慣わしですから、昔の人は誰も食事に対する感謝の気持ちを持っていたのですが戦後の高度成長により、何時やら食べられることが当たり前になり、食べたくない子供は放っておけば腹が減って夜中に残飯でも食べるものを『もう一口食べたら玩具買ってやるからネ』などと子に阿(おもね)る愚かな親が激増してきたのも嘆かわしい限りです。
孟子曰く『無惻隠之心、非人也』
“惻隠”の心を持たない者は人としての資格がない、と喝破されたこの言葉を考えるにつけ、先々月うちののブログでお知らせしたと思いますが、10年前JAL名古屋行き便が三重県志摩半島上空で操縦ミスから機体が乱高下し、乗員乗客14名が負傷し、半年して乗員であった谷口敦子さんが癒えることなく亡くなられた事故を惹き起こし乍ら、彼女の見舞一つ行かずに先月の無罪判決を受けて”起訴は冤罪の温床になる“と批判して盗人猛々しく己が罪を認めなかったあの日航機の高本元機長が思い出されます。彼は日本で最高の教育を受けながら”惻隠“と謂う言葉を悲しいことに知らなかったこの元機長は将(まさ)に『無惻隠之心、非人也』ではなかったでしょうか。{%gakkari%}
現在の我が国の教育は人を蹴散らせて自分だけお山の大将になった者勝ちの偏狭教育であり、偉くなるほど“惻隠”の心の持ち合わせが乏しくなる仕組みとなっているのは情けない限りです。私など充分な教育を受けていなかったために“惻隠”の心の持ち合わせだけ存分にあり仕合わせだったと考えています。情けないことに自分だけが偉くて他の者は皆虫けらだと思っている奴って社会の上層部に行けば行くほど腐るほど居ますよね。{%shiranai%}
近所の元専務さんも或いは惻隠の心の持ち合わせがなかったかのかも知れませんね{%gomenne%}
今朝は東灘の青木付近で不発弾の撤去作業とかで、何も垂水まで走らせなくても良いと思うのですが早朝から広報車のマイクが大声で五月蝿く仕事の邪魔でした。{%ikari%}何でも対策本部長は神戸市長とか言っていましたが、実は名前を売るだけで自身は市役所15階で転た寝でもしていたことでしょう。広域に亘る広報車の出動で休日出勤手当に血税を幾ら費やしたことでしょうか。{%ikari%}
女子プロゴルフの開幕戦が沖縄で開催され我等が横峯さくら選手は、パットが不調で14位タイに終わりました。今月は来週の青島と2試合だけで4月6日より本格的にツアーが始まりますが、彼女の公約通り今年果たして4勝できるでしょうか{%uttori%}
恒例の故事諺篇の出題は女子プロゴルフの週のためお休みします。