5月も半ばを迎え寒かったり暑かったりと気紛れお天気の1週間でした。
庭のピッピ豆(鴉豌豆)も寒さで生育が遅れ実が熟すのが連休前後と読んでいたのが大幅に遅れ漸く先週辺りから実が丸みを帯びてきたので毎日10ケ程孫娘に学校に持たせてやって居ますが、彼女も漸く鳴らすのが上手になり友達と競い合って鳴らしながら登校しています。でもお母さんに笛を作って貰っているため、未だ先生の前ではピッピ笛の製作ができないとか…(;;)
3年前に孫達がキャンプに行ったときに捉まえ持ち帰った小さい雨蛙を庭へ放してやったことがありましたが、数回垣根などに上ってキョトンとして日向ぼっこをしていたのを見掛けたきり、誰からも忘れ去られて(;;)居たのでしたが、先日突然庭の紫陽花の葉っぱに乗っかって居るのを見付けました。(^^)3年前とは随分身体が大きくなり逞しくなって居ましたが、住宅街のド真ん中に雨蛙がそうそう居る筈もなく間違いなく3年前の雨蛙だと思いました。風雪を凌ぎ環境や食べ物で苦労を重ねたことでしょう(;;)緑色の膚も色褪せていましたからもう老境に入ったのかも知れません。雨蛙に口がきけるなら何処でどのような歳月を過ごしていたのか聞いてみたいと思ったものです。紫陽花の葉の上では餌にありつけそうもなくメチャ痩せこけて居ましたのでヤブ蚊の多そうな蛇イチゴの葉っぱに乗せてやりました。(^^)
確認の術(すべ)もないようですが、死者5万人とか10万人以上とか…(;;)中国奥地の大地震は未曾有のものであり、阪神淡路大震災の32倍の規模だそうですから我々の想像を絶するものであり不運にして被害に遭われた方々には申し上げるお見舞いの言葉も見付かりません(;;)が、耐震構造に乏しい建造物の多い地域ですからその被害はミャンマーのサイクロンと変わらぬ凄まじいものであったでしょう、大地震の渦中となった地域は、中国政府軍に迫害され世界の心ある人達から憐憫の念で救済を待たれている少数民族であるチベット人の居住区周辺だそうです(;;)から中国政府はこれ幸いと放って置きたい処でしょうが、世界中が注目していることだし渋々救助部隊などを送るなどしているようですが、取り敢えず助かった住民達が直ちに必要としている水や食糧は二の次となって居り、救助活動は表面的なもので終わるのではないでしょうか(;;)温家宝首相が現地入りして被害対策本部とやら設けた様に報道されて居ますが、余震が断続する中をヘルメットも防御服や防塵マスクの着用もしないで人民服のスーツ姿での被害者慰問の映像は如何様にも訝しく、被害地域外でのTV撮影をさも被災地の現地で撮影した如く世界中に流している映像であり、彼等のやりそうな騙しのプロパガンダでなかろうかと考えて居ます。(;;)
北京オリンピックのための聖火リレーも中断しないそうで、中国政府の人命軽視の態度には中国人の中からも非難の声が溢れて居り呆れ果てるばかりですが、元々中国や北朝鮮の指導者になるには赤い血が流れていては成れないのでしょうね(;;)
明日は我が身と謂いますから同じユーラシアプレート上にある我が国も何時大地震に見舞われても不思議はありません。大阪直下型地震の到来で被害総額は74兆円とか、何処からこんな金額が出たのか分かりませんが、大切なのは被害金額より人命ではありませんか。一番恐ろしいのは火事ですから、此に備えて何は扨措き我々も中国の大地震を他山の石として真剣に地震対策に望む必要があると思われ例え亡羊補牢と云われようとも公園などの植林に励まねばなりませんが、聞けば中国では大地震の二日前に数万匹の蛙が大移動を始めたそうですから、地震研究者達も此からは鯰でなく蛙の動向に注意を向けて頂きたいと思いますね。及ばずながら私も庭に棲息する数匹の田蛙が引っ越しをしないか毎日見守ろうと思って居りますが草叢の何処にいるやも分からず、鳴き声だけが頼りですから骨が折れそうです(;;)
然し熟(つらつら)考えてみるに今回起こったミャンマーのサイクロンにしろ中国の大地震にしろ、その遠因は世の人々が地球温暖化への対策を口先ばかりで蔑ろにし、更には地球の各所を環境破壊のゴミ捨て場にして上辺だけ繕ってきたことに対する神の怒りではなかったでしょうか。{%怒りwebry%}
毎週毎週暗いニュースばかりで此の儘ではサブプラ問題で混乱して居るアメリカに引き摺られ、金融界の不安とガソリンや小麦粉を初めとする諸物価の高騰のために、漸く安定期に入ったと思われた日本経済が再び混乱の坩堝に転落する日が近いのではないかと気掛かりでなりません。
そんなとき先日ふと目に留まった日経新聞のコラム“明日への話題”でアメリカ人が“終戦後日本が必ず復興し立ち上がると信じていた”とのエピソードが紹介され久し振りに心暖まる思いがして昔を想い出し涙が滲む思いでありました。それは国際交流基金が日米各界の代表を集めての評議会の席上で隣り合わせたジョージ元ハワイ州知事が本稿コラムニストに選ばれた五十旗頭真防衛大学学長に語られたものでありましたが、終戦の昭和20年暮れ占領軍の将校であったジョージ氏が有楽町の街角で靴磨きをして貰った際、寒風の中を小柄な少年が一所懸命心を籠めて磨いてくれたのでお礼に進駐軍の食堂で白いパンを二つに割って中にバターとジャムをたっぷりと塗り込んで少年にプレゼントした処、少年はとても喜んでその儘ポケットにパンを大切にしまったそうです。“どうして食べないの?”氏の質問に少年は“家には妹が居るんです”年齢を聞くと“三歳です、まり子といいます”少年は七歳だったそうです。ジョージ氏は甚く感銘を憶えて吹き荒ぶ寒風の中を着のみ着の儘空腹の少年が、手にしたご馳走を自分で食べずに妹に与えようとする。靴磨きをして妹を育てようとするこれが七歳の少年のすることだろうか、世界の何処の少年がこんな風にできるだろうかと甚(いた)く感銘を憶えられて、富士山のよく見える焼け野原の東京はモノとしての日本は消滅したが日本人の精神は滅んで居ないのではないか、底辺の一隅の少年があんなに立派に振る舞えるのだ。日本はこれで終わらない必ずや甦るとジョージ氏は確信されたそうです。(^^)七歳といえば小学校一年生ですから、ものの理窟も充分に理解できない年齢ではありますが、家族を思う心だけは戦火で亡くなったであろう両親から立派に受け継いでいたものと思われ健気に妹を育てながら懸命に生きて行こうとしていたのでしょう。
ジョージ元ハワイ州知事が終戦当時に日本語を話せたとは到底思えず此の少年との会話は少し出来過ぎの感がありますが、そんな些細なことは別にしても感動に値する寓話でありました。(^^)
明治、大正、昭和初期と我が国は随分と貧しかった分、家族が寄り添って助け合いお互いが力を併せて生きてきましたから、親は子に飢もじい思いをさせぬために朝星夜星の下に懸命に働き、子供は製糸工場へ女工に行かされても、お店(たな)に丁稚奉公に行かされても給金で少しでも親や弟妹に楽をさせられたらと五年の年期が明けるまで歯を食いしばって努力したのが我々の少年期でありましたから、この靴磨き少年の心情もその当時の我々にとっては当たり前のことでありましたが、個人主義に徹した異国の方には奇異な感に打たれたのではなかったでしょうか。毎回言っていることですが、戦後朝鮮事変が勃発しての特需景気以来、何時とはなく私達も心より物中心の生活に変貌し、その後も家族を中心とする考えが少し宛失われ、今では日常茶飯事の如く子が親を殺し、親が子を殺す情けない国に成り果てましたから、ジョージ氏も若しご存命ならきっと呆れ果てて居られることでしょう。(;;)
昔から“衣食足りて礼節を知る”或いは”貧すれば鈍す”とも謂われてきましたから、物が豊富になることと心が豊かになることとは本来並立すべきが理(ことわり)であった考えますが、昨今の日本人はものが豊富(本当に豊富なの?)になるにつれて心が貧しくなり家族の絆が解(ほど)けてきたように思えてなりませんが、実の処はどうなんでしょうか?
昭和の陽明学者安岡正篤先生の戒めの言葉『名を成すは毎(つね)に窮苦の日にあり、云々』では人間は畢竟弱い存在であり、自ら逆境に住みたくないからこそ、外部から否応なく厳しい環境が与えられることが必要ではないかと謂われるものでありましたが、日本が戦後高度成長を成し遂げることができたのが、我々の世代及びそれ以前の日本人が幼年期から青年期に掛けて窮苦の日々を送ったことが“艱難汝を珠にす”の格言通り我が国の高度成長期を支えてきた原動力ではなかったでしょうか。悲しいことに逆境に育った経験を持たない次世代の日本人が窮苦の日々を知らぬばかりに安寧を貪り身心の陶冶を忘れ我が子にまで裏切られるようになったのは自然の理(ことわり)であったものでしょう。現在我が国の少年少女の中であの靴磨きの少年の志の万分の一でも有した者が果たして幾人居るでしょうか、居なくて当然でしょうね。彼等は悲しいことに貴重な逆境を体験することなくぬくぬくと育った人達であり、皮肉な表現ではありますが“不運な環境を共有した境遇”の持ち主でありました。『名を成すは毎(つね)に窮苦の日にあり』将に名言であります。
13日に北海道で有名な夕張(破産して財政再建団体入りで一躍有名になった)メロンの初競りが札幌の中央卸売市場で行われ、ナント!二玉(3.9kg)が2500円ならぬ250万円で札幌市の卸売業に競り落とされ近くの直営店の店頭で一玉125万円で並んだそうです。昨年は200万円一昨年は80万円と高値が続いているそうですが、こんな高いメロンを誰が口にするのでしょうか。恐らく直ちに東京へ空輸され築地の高級料亭でデザートとして政治家や官僚の皆様がスポンサーの各企業からのお呼ばれで話題作りに貢献することでしょうが、125万円のメロンへの招待のお声掛かりはメロンの価額の問題ではなく、自らが1流人であることの証拠付けでありますから、誰もが万難を排して駆け付けて、爾後あちこちでメロンの話をしては自らのステータスを誇示されることでしょう。(^^)福田総理だけ呼ばれなかったりして…(;;)
先週の答え
『(巳)ミ、シは上、(已)ヤム、イはスデに半ばなり、(己)オノレ、ツチノト、コキ下に付く』
左の縦棒の位置を言ったものですが、普段は誰も適当に書いていますよね。
巳(準1級)已(1級)己(5級)の配当漢字でした。少し難しかったでしょうか。オノレ、ツチノトがヒントであり此で分からなければ先ず迷宮入りでしょうね。(;;)
実(げ)に旧制中学生の国語力に感心すべきですが、逆に現代の我々の無知を嘆くべきかも知れませんね。(;;)
今週の女子プロゴルフ福岡で行われたヴァーナルレディースは、我等がさくら選手今週位休むと思ったのに疲労も顧みず出場し、7位タイは残念でした。(;;)少し休養して身体を解(ほぐ)さないと、若いからと無理を重ねていると今年は1勝すら覚束ない気が致します。(;;)