年の瀬を目の前にして年末調整事務に逐われてんてこ舞いの毎日です。こんな時に明後日は天皇誕生日の祝日休みとは殺生であり、もう少し先のことでしょうが次代の皇太子の誕生日も不運にして2月21日ですから此また確定申告の真っ直中です。どうせならお盆の15日にでも生まれて頂きたかったですね。(;;)
今日は何時ものEさんから頂戴した神戸三宮のルミナリエをご覧頂きましょう。景気の低迷で協賛企業も減少し神戸市も費用の捻出に四苦八苦の様子ですから今年位で打ち止めになるのかも知れません。百貨店を始め周辺の商店街は恩恵を被る処か、集団での万引き事件の続出からトイレを借りに押し掛ける見知らぬ人達で大迷惑だそうです。初めてルミナリエが開催された際近鄕から車で見物に訪れた方が、大丸の駐車場(確か7Fか8Fあります)から路上に出るのに5時間掛かったとか聞いて怖気を震ったことが原因になったのか、雑踏嫌いの小生は神戸に住みながら未だルミナリエに訪れたことがありません。
皆様は日本製鋼所と謂う会社をご存じでしょうか。此の会社は戦前から鍛造を得意とした名前からしてとても歴史の古い会社であり、戦艦大和の建造で知られて居ますよね。現在では14000トンの世界最大級の熱間自由鍛造水圧プレスや超大型数値制御加工機械(旋盤・立旋盤等)を有し、更に又世界最大級のエレクトロスラグ再熔解装置迄保有しており、更に風力発電用風車のタワー(鉄塔)やブレードの生産を行っております。発電機を除く風車の大部分を一貫生産することができるのは日本では三菱重工と日本製鋼所のみです。先日の日経ビジネス誌によればこのような世界的技術を誇る会社が未だに拘(こだわ)っているのが所謂“刀鍛冶”であり、同社室蘭製作所ではちゃんと瑞泉鍛刀所なるものが存在して唯一刀鍛冶を行っており、日本では現在日本刀作りを行っている会社は日本製鋼所1社だけだそうです。(^^)
此の会社の刀作りは事業と謂うよりも近代兵器の台頭により衰頽して行く日本刀の製作技術を伝承して行こうと今から80年も前である1918年に日本刀の製作技術を護るために一念発起して刀匠を招いたのが始まりだそうであり、戦後60余年を経ても未だに延々と続いていますから偉いですよね。然も偶然か意図的であったか解りませんが真っ赤に熱した鋼(はがね)を叩いて延ばす鍛造工程は日本最古の製鉄法である刀作りと最新の原子力発電所で用いられる圧力容器であっても少しも変わらないことが驚異的です。きっと原子力発電所の圧力容器は刀作りが原点となったものであり、“温故知新”の格言を改めて噛みしめました。古くから伝わる“もの作り”の精神を護り伝えて行く此の会社の姿勢は他の会社も存分に学ぶべきであり世界中の企業が日本製鋼所の製品を奪い合う背景が我が国古来の刀作りに起因しているなんて誰が気付くでしょうか。(^^)
日本製鋼所の英語表記はThe Japan Steel Works, Ltd.であり、設立当初から用いられてきました。このため1970年富士鉄と八幡製鉄が合併して新日本製鐵設立の際新日鐵は上記の理由により英語名にJapan Steelを用いることができず、已むなくNippon Steel Corporationと和洋折衷にしたという経緯があります。鉄鋼日本一の新日鐵さんはさぞ屈辱だったことでしょう(;;)。会社の規模は小さくても、日本製鋼所の方が新日鐵より偉いんや!(^^)
先日の新聞記事で和歌山県の3市町村の公立中学校が受験志望高校に提出する3年生の書類に生徒が同和地区出身者かどうかの記入があったと暴露されました。一部の高校から県の教育委員会への報告文書に『地区出身』と記載されていたそうであり、県教育委員会は“事情を配慮するためであり合否判断への直接の影響はない”としていますが、此は明らかに教育委員会が中学校に指示し部落出身者の情報集めをしたに相違なく、絶対にあってはならない話であり、恐らく指示された3市町村には他の地区より比較的被差別部落が多かったものと思われました。
嘘か真か県は此の事実を知らなかったと言っているので、教育委員会の得意の勇み足かと考えられますが、明治4年に穢多非人身分廃止令が施行されて140年近いと謂うのに、未だに大企業では部落地区総鑑などの書物が重宝され、学校では生徒の内申書に賤民を特記されるなど高校に“合格させるな!”と言っているに等しく、此って明らかに人権侵害だと思います。今回は偶々和歌山県で表面化しましたが、恐らく大分県は勿論他の都道府県でも同じようなことが行われていることでしょう。
島崎藤村の“破戒”や住井すえの“橋のない川”を読まれた方は共感されると思いますが、被差別部落の人達がどんな思いで周囲の人達に気を遣い乍らそっと暮らして居られるのか、傲慢で賤民を蔑視することで自分達の矜恃とし、心に傷を持つ者への思い遣りなど持ち合わさない教育委員会の連中には“解ってやれ”と言ってもどだい無理なんでしょうね。(;;)
良く公共事業などで事件を起こしている連中はニセ同和が圧倒的に多く、被差別部落の殆どの方は静かにひっそりと暮らして居られることをこの際皆様に是非知って頂きたいと思います。
【手紙】
上に掲げた岡林信康作詞作曲の”手紙“を聴かれて皆様はどんな感慨を持たれましたか?此の歌が永く(現在も…)放送禁止歌になっていることは数年前私のブログで“放送禁止歌”なるタイトルでお知らせしましたからご記憶の方も多いと思います。私も当時メディアが同和関係者からの抗議を恐れて口を閉ざし一切何も触れなかった此の歌を聴く機会に触れて驚愕したものでした。”♪若しも差別がなかったら好きな人と一緒になれた。♪部落に生まれたそのことの何処が悪い、何が違う?♪“と被差別部落出身の若い女性からストレートな問いを投げかけられたこの歌を聴いて強烈な衝撃を受けたものであり、京都地方で古くから悲しい伝承を綴った”竹田の子守歌“を竹田地方が被差別部落であったがために部落で発祥した歌であることだけの偏見から永く“放送禁止歌”にされてメディアから閉ざされていたことも含めて深く考えさせられたものでありました。
私の心の中で被差別部落に対する問題意識が鎌首を擡(もた)げたのはミシンの外交販売で糊口を凌いでいた今を去る50年も前、北朝鮮出身の貧しい家族のお家を訪れて以来のことなのですが、現実の問題に直面したのは、お得意先であった昔先代が村長まで務められた財産家である名家のご長男が30年位前に所謂部落出身の女性と恋愛関係となり、一緒にさせないと言い張る両親や親族の反対を無理矢理押し切ったことが契機でありました。
此の事件はご両親や親族が縁を切るとまで言って長男の翻意を促しましたが、当人の意思が堅いために長男は勘当され家を出られました。然し祖母に当たる人がとても頭が良くて情けの深い方で孫の勘当を解くために中に入って尽力され、そのお陰でご両親も母親には楯突けず何とか無事元の鞘に収まり、長男はお祖母さんと同居することでやがては勘当が有名無実となり日日(ひにち)薬で溶けて行ったのです。これで終われば全てが“目出度し目出度し”であったのですが、実は此には後日談があり、私は被差別部落との女性の結婚について決して賛成するに嗇(やぶさ)かではありませんが、丁度良い機会だし此の事件を千載一遇のチャンスとして見詰め、金持ちのボンボンは10年位勘当されて浮世の辛酸を嘗め、働いて得たお金の有り難みや、使われている身の辛さなど解ってから勘当を解かれた方が将来名家を継いで人を使って行くための試練となって良かったのではないかと当時危惧したものでしたが、現実は私の危惧が将に当たることになり、この長男は現在60歳にもなって定職も持たずに取り巻きに囲まれて浪費に明け暮れ、亡くなった父親の財産を売り尽くして残っているのは自宅と延納した相続税の借金位となっています。次に老齢のお母さんが亡くなられては遺産相続の確執で兄弟姉妹が分散する羽目に陥るのは必定であり、こと孫に対するお祖母さんの温い思い遣りが名家を没落させる岐路になったのは皮肉なことでありました。賢いこの方が“可愛い子には旅をさせよ”の教訓をご存じなかったとは思えませんが、所詮女性は如何に賢こくても私情に溺れては深慮遠謀の男には敵わないことを思い知ったのでした。(;;)
先週16日に高校、大学と囲碁を通じて7年間を共に過ごしたS君が帰天しました。退院した彼を見舞ったのが4月前であり、痩せては居ても未だ元気そうだったのが、11月後半に再入院して一月も経たずに儚くなりました(;;)
生来頑冥固陋な私には近づく者が少なく従って友人も殆ど居なく、何事か相談をするのは彼位でしたが、2年前に高校の同窓会に招かれ税金の話をした折、年中体調不全を訴えている私に、毎週鷹取山に登って身体を鍛えている頑強な彼から“人間70歳迄生きられたら80迄大丈夫と謂うそうやで…”と慰められたものでしたが、慰めた方が先に旅立つとは世の中なんて皮肉なものですね。ブログ上ではありますが謹んでS君のご冥福をお祈り致します。<(_ _)>
思えば彼は、囲碁部の予算獲得や他の大学との交流戦の日程調整など人の嫌う裏方の仕事を厭な顔も見せずに面倒見良く真摯に勤めてくれましたから囲碁部の皆から慕われとても頼り甲斐のある男だったので無念でなりません。佳人薄命とは彼のことを謂うのでしょう(;;)
凸版フォームズ元社長のF君始め神戸商大囲碁部のOBの方々はこのブログを読むことがあれば是非一度お参りに行ってやって下さい。
彼は某地方銀行に勤務しておりましたが、30数年前に住友銀行からの強引な吸収合併の持ち掛けに対し三井物産に吸収され離散した木下産商従業員の轍を踏まずと叛旗を翻し、馘首を覚悟の上0.1%の確率に賭けて同志僅か3名で天下の大阪商人住友銀行に闘いを挑み、苦戦の挙げ句、遂に住友銀行に合併を断念させた強者(つわもの)の一人であり、その壮烈な闘いの詳細については紙面の都合上次週にお知らせしたいと思います。
年末恒例の高校駅伝は本日全国47都道府県代表が京都都大路を疾風の如く駆け抜け、昨年同タイム乍ら仙台育英に2位と敗れた長野県代表佐久長聖が昨年の憾みを晴らし大差で初優勝し昨年の雪辱を果たしました。近年卑怯にも何処の高校もアフリカ勢を加えて優勝してきた中を、佐久長聖が純血主義を貫き選手全員が日本人であったことは日本人の誰もが快哉を叫ぶものでありました(^^)
先週の漢字の問題の答についても紙面の都合上来週に発表させて頂きますので悪しからずご了承下さい…<(_ _)>