四月も半ばにして我が家の庭は早くも雑草が生い茂り早くも初夏の佇まいを見せています。何時もなら漸く芽を出したばかりの筈の鴉豌豆が今年は早くも花を咲かせ、豌豆の葉のてっぺんには此の草の特徴である蜜を求めてアブラムシが群がり、冬越しの七星紅娘(てんとうむし)が何処かから現れて大好物のアブラムシを食欲旺盛に平らげて居り、もう半月もしたら太った豌豆ができるので孫娘に沢山学校へ持たせて皆で笛吹きごっこをさせようと思っています。孫娘曰わく“ピッピ豆”の誕生と5月の連休とどちらが早いでしょうか? 昨年は前の日に収穫した“ピッピ豆”だったので学校では上手く吹けずきっと豆が乾燥して堅くなっていたせいでしょうから今年は早朝採ったものを持参させることにしましょう。(^^)

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然し、孫ももう4年生にもなったので“ピッピ豆”などには興味をなくしたかも知れませんね。(;;)いやいや、私はどの子供にも自然が与えて呉れる材料で自ら遊具を作ろうとする好奇心を何時までも持ち続けて欲しくと願って居ます。(^^)私の子供時代は肥後守を使って誰も竹とんぼなど作って飛ばしっこして競い合い、高く飛ぶ秘訣を考えたりしたものですがこの頃の子供はおもちゃは玩具屋さんで買うものと決めていて、自分の創意工夫が見られない時代となったのは偏に我が国が上辺だけ豊かになったせいであり理系人間が少なくなる原因を齎していますから悲しいことだと思います。最早日本は発明立国になれなくなったのか!
暖かくなったせいもあるでしょうが今月に入ってから灯油販売の“雪やこんこ、霰(あられ)やこんこ”の小学唱歌が聴かれなくなって少し寂しくなりましたね。私が子供の頃は冬には雪がしょっちゅう降っていましたから霜焼けの手も厭わずにそこらじゅうを走り回って雪合戦などに余念がありませんでしたが、何故か唱歌の歌詞で深く記憶に残っているのは“雪やコンコン、霰(あられ)やコンコン”であり決して“こんこ”ではなかったように思います。成る程小学唱歌では“雪やこんこ、霰(あられ)やこんこ”と歌われて居たのでしょうが、子供達には“狐がコンコン”の類(たぐい)であってコンコンの方が語呂が良く歌い易かったのではないでしょうか。地方でも秋田県では“霰やコンコン豆コンコン”宮城では“雪コンコン雨コンコン”福島では此が逆になって“雨コンコン雪コンコン”更に京都では“雪やコーンコン霰やコーンコン”と唱っていたと作家の林望先生が日経プロムナードで含蓄を披露して居られましたから、成る程と膝を叩いたものでありました。更に林先生はコンコンは“来う来う”と雪が降ることへの願望の囃し言葉であり、単なる児戯ではなく稲作農民の冬に雪が降れば秋には豊に稲が実ることの予兆への祈願が籠められていたと述べて居られます。雪は山野に芳醇な地下水を齎し、枯れ木ですら花を咲かせる力があったのでしょう。唱歌の最後に“枯れ木残らず花が咲く”とあるは奇蹟でも何でもなく農民の願望が籠められ謳われていたのではないでしょうか。
『おかあさんはどこもふわふわ ほっぺはぷにょぷにょ ふくらはぎはぽよぽよ うではもちもち…(中略)おかあさんはとってもやわらかい ぼくがさわったらあったかい気もちいい ベッドになってくれる』
『おかあさん』と云う題名のこんな可愛く素敵な詩を書いた小学4年生の少年西山拓海ちゃんがお母さんに絞殺されると謂う衝撃的な事件が今月初めに青森県八戸市の過疎地で起こりました。平仮名が多いのは此の少年が2年生の初めに綴った詩だからなのですが、他にも畑に蒔いた作物が大きくなった喜びを書いて文部科学大臣賞を受賞したり、土井晩翠を記念して小中学生から募集した詩で“晩翠わかば賞”を受賞するなど珠玉のような詩を作り、平成の三好達治、室尾犀星に大成するかと思える天才的な文学少年でしたが此の感性豊かな少年に如何様にしてこんなに悲しい事件が起こったのでしょうか、警察は母親が無理心中を図ったものと見ているようですが、食糧難で誰もが困っていた戦後まもなくお祖父さんお祖母さんが此の地に入植し荒れ地を切り開いて開墾してきた地域であり、農業の停滞に伴って離農者が相次ぎ少年の通っていた小学校は在校生僅か4名で、何れは廃校になる運命(さだめ)であったことでしょう。少年の不幸は岩手県へ出て結婚した母が夫の借金癖から5年前に離婚して少年を連れて実家に帰ってきた時から始まっており、衰頽する地域の一軒家で家族関係や親族間の借金問題に巻き込まれてお母さんが、生活苦から発作的に母子心中を図ろうとしたものと思われますが、どんな事情があるにせよ最近のお母さんって誰も我が身勝手ですね。毎日新聞の6段抜きの大きなタイトルは黒いバックに白抜きで『母はこの詩を読んだのか』でありましたが、この世知(せち)辛い世の中なのにこんなに子供に愛されて居てどうして殺さないとならなかったのか。自ら腹を痛めた子を子供に慕われながら縊り殺すなんて人間ではありません。此こそ夜叉と謂うのでしょう。{%怒りwebry%}
拓海ちゃん(開拓者のお祖父さんが名付けたのでしょう)は人懐っこくて元気で明るい子供だったと少年を知る人達は誰も愕いたそうですが、この詩は恐らく少年が2才か3才の幼年期の体験を綴ったものであり、私が思うに少年が此の詩を綴った2年生の時には生活苦などから既に母子の関係に深い亀裂のようなものができて居り、少年は幼い頃の母子関係を復元したい一心で幼年期一時期の体験を懐かしんで母の心を呼び戻すべく一所懸命この詩を詠ったものではないかと考えました。(;;)“親の心子知らず”とは昔からよく謂われた言葉ですが、どんな事情があったにせよ”子の心母知らず“では酷(むご)過ぎますよね。そして此からの一生を十字架を背負って生きていかねばならぬお母さんは自業自得とは謂え、そのときは塀の中でしょうがどんな思いで拓海ちゃんの祥月命日を迎えられることでしょうか(;;) 合掌
3月一杯与党が必死に頑張った甲斐もなく、野党の抵抗にあって40数年振りに揮発油税暫定税率の期限切れとなり、目出度く四月よりリットル当たり25円ガソリンが安くなり、スタンドでは高い値段の儘の在庫処分を巡って悲喜交々の様相を呈していましたが、先週始めから廉いガソリンがスタンドに入荷するようになり、何処も120円台の価格となって週末の行楽ドライブ客を喜ばせています。(^^)
一方社会保険庁の杜撰さが浮き彫りとなって“3月までには解決する!”と啖呵を切った舛添大臣の公約も敢えなく潰え、再度年金の確認作業が始まることとなりましたが、分からぬものを何年調べても分からぬものであり、作業に膨大な税金の無駄遣いに過ぎないことが分からぬ連中にも困ったものですが、ガソリンや年金問題のどさくさに隠れて本来昨年の国会で審議され立法化される予定であった厚生年金と公務員共済年金との一元化法案が3度の国会を跨いで一度も審議されることもなく店(たな)晒しとされ忘れられようとしています。(;;)
公務員の共済年金は公務員の給与が廉い(大昔のこと)ことを理由に国庫負担額が大きくされて居り、厚生年金と比較して割高な受給額となり国家財政を圧迫する原因を作って居ますが、厚生年金と同様にされれば国庫負担額が減少してこの4月より公務員OBの年金は大幅に削減される予定であった処が、それも叶わず従来どおりの支給額となり全国の公務員OB達をホッとさせていますが、此も基はと謂えば自民党に劣らずアホな民主党が年金一元化は国民年金が外されていると無理難題を吹っ掛けて法案に反対したためであり、枝葉に拘って本末を忘れた民主党の失態は赦すことができません。取り敢えず厚生年金と共済年金を一元化しておいて国庫負担を減らしておき然るべき時期を待って国民年金を合体する法案を考慮すべきであったでしょうに一体から民主党ノバカ共は何を考えて居ることやら…{%怒りwebry%}
実は自民党の此の法案は公務員を敵に回してまで昨年の参議院選挙の目玉として使う予定だったのが、社会保険庁の年金記録漏れの噴出事件で惨敗したために頓挫したものです。民主党がこの法案に国民年金まで参加させようとしたのは虫が良過ぎましたね。
新年度の国会でも先ず審議は望めそうもありませんから、今一番喜んでいるのは公務員と公務員OB達でしょう。民主党も政策理念なにもなく反対のための反対ばかりで偉そうなことばかり言っていないで偶には国民のことを考えたらどうじゃ!{%怒りwebry%}
今週の女子ゴルフスタジオアリスは兵庫県三木市花屋敷GCで行われましたが、先週の渡米疲れでさくらっちゃん欠場のためお休みとさせて頂きます。(;;)
ゴルフTV観戦の時間を漢字の勉強の時間に充てることができたので2日で3時間余分に勉強が捗りましたよ。処で、漢字の勉強をしていて少し引っ掛かる箇所に出会(くわ)しました。“可哀想な”と謂う意味で“不愍”とか“不憫”と謂う言葉がありますが、“愍”も“憫”も“不愍”も“不憫”も何れも憐れむという意味であることは何方もご存じですが、如何して此の二つの熟語だけ“不”と謂う打ち消しの助詞が付きながら“憐れでない”と打ち消して居ないことでした。(;;)種々辞書を紐解きましたが定かでなく完全主義の私には何処か吹っ切れません。御存知の方は是非お教え下さい。