昨日は久し振りの雨で良かったな、気象庁が月初め梅雨入りしたと言ったのにカンカン照りが続き稲など農作物への不安が出始めて居たから、これぞ「旱天の慈雨」だった^^。
最近見かけなくなって居たが、先日事務所横のトタンの塀を蓑虫が懸命に横に這って居た^^。どうやら何かの事情で裏の土手が住み難くなり転居のため玄関の紫陽花を目指して来たようだ。見付けたのは夕方だったからきっと朝から15m余りを時速0.3m位の速度で必死に移動してきたものらしい。近づくとピクッと首を引っ込めて隠れるところがメチャ可愛い^^。紫陽花まで未だ2時間以上掛かりそうなので抓んで紫陽花の花の上に放してやった。今頃は紫陽花の木陰で子育てでもしてるのかな?

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昨日6月15日はどんなことのあった日だったろう、人形作家である辻村寿三郎氏は26歳のこの日忘れられない出来事があったと或る書物で述べて居られた。今から50年以上も前のことだ、忘れもせぬ60年安保のデモ行進で東京大学の学生であった樺美智子が警官に撲殺された悲しい日だった:-)。あのとき彼女は警官の警棒を躱しながらも大声で警官に対して叫んだ「無知な山猿め!」の言葉を傍らでデモ行進に参加した辻村氏がはっきりと耳にされ、自身が中学しか出ていないためこの言葉が自分に対して言われているような物凄い衝撃を受けられたそうだ(;;)、樺美智子自身の矜持が言わせたのだと思うが、「無知な山猿め!」とは相手を貶めて自らを驕った言葉であり教養ある者が発する言葉では決してないと思うが出てしまった言葉はもう返らない。この言葉が警官達の耳に突き刺さり彼女が命を落とす原因を誘ったのではないかと考えた。大学卒の警官など当時は居なかったのだ:-)。私はこの言葉は彼女の「地」であったと考えた、両親は芦屋の住民で父親は大学の教授であり、彼女は神戸高校から東大に入った穎才だったが、既に彼女は20歳で日本共産党に入党しブントのメンバーとして羽田空港占拠事件では既に検挙され豚箱入りしたことのある筋金入りの党員だったのだ。彼女の死の波紋は大きくお陰で岸信介内閣は総辞職し、毛沢東は「樺美智子は全世界にその名を知られる日本の民族的英雄になった」と述べたから彼女は英雄視されたが、殺されたから英雄だなんて一寸怪訝しい、中学出の僻み根性を名指しで批難されたように感じられた辻村氏は遣り切れない思いだったろうな:-)。高学歴の人は何も感じないだろうが私のように下等な人間にはこんな言葉は凄く堪える(;;)。「国民の民の字はもともと目に針を刺すと謂う意味があるそうで、物事が見えない、判断できない状態に置かれている者を指す蔑称だった」と五木寛之は書いて居るから、彼女は東大に入って共産党員になり左傾したことでマルキシズムに毒されて変なエリート意識に浸り、こんな下賎な言葉を発するまでに自らの品性を貶めて居たのではなかろうか:-)。オーム真理教に高学歴者が多かったことが何となく分かるような気がする。でも現在我が国の状況からすればアメリカの奴隷となることになったあの安保条約のお陰で今も中国や北朝鮮の侵略から支えられて居る実情を考えると何とも皮肉だったな:-)。

09年に郵便不正事件を巡って起訴されたが、検察の連日執拗な訊問に最後まで屈せず頑として首を縦に振らず無罪を勝ち取った当時厚労省家庭児童局長の村木厚子が本月末で審議官を跳び越えて厚労省事務次官に就任することに決定した^^。安倍さんの人気取り選挙対策に違いない、女性の次官は旧労働省の松原亘子 (東大卒のキャリア官僚)以来二人目だ。松原亘子は男女雇用均等法の創設など抜群な能力の持主であり女性次官は松原亘子が最初で最後だったと謂われ、霞ヶ関では女性の次官はもう出ないと断言されたものだ。だから今回の村木厚子次官人事には誰もが驚愕した(゚ロ゚)、そして女は強いなとつくづく思った、彼女が男ならとっくに観念して罪を認め今頃はきっと塀の中だったろう:-)。彼女は僻地高知大学の出身だし一種試験合格者と言っても東大閥官僚の蚊帳の外であり、あの事件がなければ局長止まりが決定的だったのに「禍転じて福となす」の見本のようだな。人間とことん諦めてはならないことを彼女は教えてくれたんだ。
世の冤罪事件など多く再審請求が絶えないが、請求者は全員男性でありきっと取調室で苦しさから逃れ楽になりたいために自分を偽って安易にサインをした報いだろう。
江戸時代捕まった盗賊は膝に3寸の石を5枚抱かされ、生爪を全部剥がされても音を上げなかったそうだから昔の男は根性があったんだ。そして今の男は軟弱になったんだ:-)。何故だろう、きっと女が強くなったせいなんだろうな。

先週の誤字訂正の答え
最早秘密は万人の衆知の事実だ、(周知)でした

今週の誤字訂正の問題
早合点で失敗して苦渋を嘗める

今週のご教訓カレンダー
「父帰る」菊地寛→「父替える」 浮気性の母