愈々参議院選挙戦が始まった。維新の失脚で巷では自民党圧勝の声が充ち満ちている。1党独裁はフアッショ政治を招き必ず国民に弊害を齎らすから好ましくないが、此も全ては異質の人間の寄せ集め集団だった民主党のバカ共のせいだったな:-)。
Eさんから久し振りの便りで神戸森林植物園にある長谷池の樹上で誕生を待つモリアオガエル卵塊の写真を送って頂いた^^。モリアオガエルは普段森林で生活しているが、この時季産卵時だけ生まれ故郷である池の周囲に戻ってくるが、卵が孵るとその真下に池がある枝を選んで産卵するなんてなんて賢い蛙だなあ、そして幾匹が口を開けて待つイモリやヤゴから逃れて池に入り軈て成長して故郷の森林に帰り着くことだろう。

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古い話になるが高峰秀子と謂えばご存じだろうか、大正末期生まれの女優であり一昨年86歳で冥府に旅立たれた。歌手兼女優であった「湖畔の宿」の高峰三枝子とは別人であり此方は年長でも格下になる。鄙びた漁港だった小豆島を一大観光地に変貌させた壺井栄原作「二十四の瞳」の大石先生と言えば思い出される方も居るだろう。先週私は思う処あって高峰秀子の自叙伝と謂われ日本エッセイスト賞に選ばれた「私の渡世日記」上下巻を夜就寝時にたった二日で一気に読み終えた。30数年振りの再読だったが歳月の経過が読む者の印象を全く変えることにとても愕いた、私の処世観が変わってきたせいだろう。38年前昭和50年週刊朝日に連載された後単行本として出版されたこの本には多くの関係者が実名で登場する。「本当に本人が書いているのか」と言う問い合わせが朝日新聞に殺到したそうだが、この自伝は当時のベストセラーになった。5歳から子役を務めて以後縋り付く家族10数人をずっと養っていた彼女が小学校もロクに(たった20日足らず)行けなかったし、本来なら教師代わりを務める養母がカタカナしか読めぬ文盲だったから、彼女が漢字も書けず引き算や掛け算もできなかったことは誰もが知る事実であったし、30歳での結婚後字が読めずに何時も他の幾つもの本をめくって類語を捜して居るのを夫松山善三が気付き、彼の中学時代に使った国語辞典を与えられこんなに便利なものがあったのかと感動したそうだから、此の執筆がゴーストライターのものであるとは誰も同じ思いであったろう。然し私は書かれた内容からこの自叙伝は彼女の自身の筆によるものだと確信した。何故なら彼女が終戦後昭和21年東宝のプロジューサーだった平尾に騙されて情婦にされて居たことや、同年日劇の広い舞台でフラダンスを踊ることになった際、フラダンスが基本的にガニ股歩きであるために稽古の途中に内股が痛くて階段の昇降ができず、洋式トイレなど存在しない時代だったし、蹲踞ることができなくなったため、仕方なくずっと立ち小便をすることになったと書かれて居るが、ゴーストライターに高峰秀子がプロジューサーの情婦だったり、立ち小便をして居たなどと書ける訳がない。
立ち小便と謂えば、昔何時だったか社会党女性代議士が国会質問で「男は立ち小便するなど下品だ」と言った処、「女もする、する」と沢山のヤジが飛んできて、女性代議士が真っ赤になって絶句したことがあった^^。田舎の野良作業などでは日常見慣れた光景だったがお嬢さん育ちの代議士には未知の世界だったろう。ヤジの中に「高峰秀子もするぞ」なんてのがあればこの女性代議士きっと失神したのではあるまいか^^。

閑話休題、「子役出身に大女優、名優なし」と謂うジンクスは世界中に共通したものだが、我が国で超一流の名女優になった彼女が5歳から映画や舞台で子役を演じることができたのは他の子役と違って数段可愛かったり演技力が優れていた訳ではなく彼女が格段に優れた頭脳の持主であり比類なき聡明さを身に付けて居たからだと私は知った。明治座で公演された花柳章太郎「松風村雨」の舞台では必ず付けられる筈のプロンプター(舞台の陰に身を潜め役者に台詞を教える人)が居なかったのだ。何故なら子役である彼女が3時間に亘る大作の分厚い台本の中身を稽古中に隅から隅まで字でなく記憶の中で丸暗記して居たから、役者が助けを求めて彼女の目に縋ると美女役の花柳章太郎の膝にちょこんと抱かれて章太郎にある筈もない乳房をまさぐっている彼女は小声で必ずセリフを教えてくれたのだ^^、又舞台で「名月赤城山」を歌う東海林太郎の背に負ぶわれた彼女が東海林の胸が苦しくないように負ぶい紐を前に引っ張って緩めてくれたそうだし、名監督五所平之助が玄関に降りて下駄を履こうとすると5歳の彼女が三和土(たたき)に飛び下りて新品の下駄の鼻緒を履きやすいように小さい手で引き伸ばしてくれて居るのを見て感激し、養女に欲しいと食い下がったそうだから彼女は将に人の心を解する神の使いだったんだな。
その怜悧な彼女が戦後立派な女優になったのは、その稀有な彼女の才能に気付いた沢山の超一流の男達がファンになって呉れた環境のせいだろう。梅原龍三郎、谷崎潤一郎、川口松太郎、司馬遼太郎、藤田嗣治、大宅壮一、池島信平等々キラ星の如き我が国最上級の知識階級にある人々との20年から40年に亘る交流は彼女にとってホンマ者の男を知る絶好の機会であり彼女も又彼等から多くのものを吸い上げてホンマ物の女になったのだと思う。と言うよりホンマ者になる素質を有する女性を見付けることができるのはホンマ者の男だけだったんだろうな^^。
彼女は86歳の生涯の終盤である50歳で筆を執り「私の渡世日記」を筆頭に多くの作品を書き上げたが、どれを読んでも此が30歳から漢字に接した人のものとは到底思えない、高峰秀子の生涯から人間の教育と謂うものが与えられるものでなく自らが自身で身に付けるべきものであることについて深く考えさせられた。学校ってなんだろう、学歴なんて何だろう、本当に必要なのかな?

先週の誤字訂正の答え
彼の最後の言葉は「有難う」だった、(最期)でした、

今週の誤字訂正の問題
経済復興の機動力として働く

今週のご教訓カレンダー
「お爺さんは芝刈りに行きました」→「お爺さんはしばかれに行きました」可哀想…(;;)