明日は春分の日を迎えますが、待ちに待った春の訪れで日一日と暖かく、庭では春を待ち焦がれていたいろんな花が咲き初め、毎朝「見て!見て!」と、私の起きるのを待っています。今日は久し振りに酢漿草に覆われた奥庭に咲いた紅白のサルヴィア・ミクロファイアを御覧ください。ドコモには未だ行けてないので写真添付は愚息を煩わせました。

 

三年前の東京医科大学の不正入試について調査をしていた第三者委員会(委員長=元最高裁裁判官那須弘平)から一次報告書が公表されました。それによると女子の受験生に対する不利益な得点操作をした結果、2017年度と18年度の一般入試では本来合格していた計55人の女子が何故か不合格にされて居ました💢。報告書は同大が追加合格の判定を行った上で結果を公表し、新たに合格者となった受験生には補償などの対応をするよう求めて居ますが、少女期から成年へ脱皮する貴重な三年間を償う方法など何処にも有りはせず、金銭になど到底換算できないものを東京医科大学は如何に収拾するのでしょうか。女子を合格させなかった理由が「女は仕事を休んで子供を生むから」など極限のセクハラでありましたが、本心は女性医師が増えることで男社会が脅かされることが彼等の気に入らなかったに相違ありません💢。

 

処で先日の報道では2021年度の各大学医学部試験合格者が男女逆転し女性が優位に立ったと正式に発表されました (@@)。2021年度の大学受験医学部の合格者率を全部曝けだすと驚くべきことに女子が13.60%、男子13.51%と僅かですが男女比が逆転して居ます(@@)。医学部志願者は高額な入学金や授業料など女子の受験機会が狭められている中での2021年度での合格者率逆転は若し男女平等の社会慣行への移行と周辺環境の理解更には家族の協力に依り受験機会が十分に与えられたならば女性の合格率は優に60%を超えて行くのではないでしょうか。「女性の方が勉強ができるんや!」2018年に東京医科大学で女性への不正採点が明るみに出たことで世間をアッと驚かせましたが、もともと女性は受験の年齢当時には男と違って青春の煩悩に悩まされることがなく勉学に集中できるため男性に優位であって当然です。先月ご紹介した高3で日本学生陸上競技対校選手権(インカレ)女子三段跳に出場し、翌春東大理科三類に現役合格した(@@)内山咲良さんのように女性が男性に勝るとも劣らぬことが実証されましたから愈々女性上位時代の到来となりました^^。学費の問題や社会環境に両親の財力と理解さえ得られれば今後女子が男子を上回ることに相違ありません。女子校である東京の桜蔭学院が85名と東大合格者の総数で男子校の嘗て東大合格日本一を誇った灘高校79名を上回ったのは確か一昨年でしたし、今年の前期入試でも桜蔭は理科三類にトップで13名を送り込み灘10名開成6名の男子校を見下ろして居ます^^。女性恐るべし!

 

お詫びm(_ _)m。「坊っちゃん」は2013年1月6日に既に発表済でした!ブログ文末にバックナンバーが何故か勝手に数個表示されますが、先月の「坊っちゃん」の文末参照欄にに旧「坊っちゃん」が掲げられました(@@)。此の表示は流動的なものでその時々に応じ変化し、現在は消滅して居ますが上梓して足掛け10年となっては嘗て並の人より記憶力を誇った私も耄碌してすっかり忘れて居ました、申し訳ありませんm(_ _)m。 前回の文章は凡そ今回と変わって居りませんから、10年間私の思考は全く進歩して居なかったようです(::)。念の為下記に10年前の「坊っちゃん」を再掲させて頂きましたのでお読みください、きっと皆様も私の進歩のなさに驚かれることでしょう(;;)。

正月休みのつれづれに十年振りかで漱石の「坊ちゃん」を読んだ。歯切れの良い文体のリズムが躍動し何度読んでも面白い、この小説がいつの時代になっても名作として読まれている原因はこの小説に流れている温もりだと思う。此は漱石の自叙伝だがこの小説の中で一貫して坊ちゃんの心を占めているのは学校でも赤シャツや山嵐やうらなりでもマドンナでもなく、先生になって田舎の松山へ出かけた坊ちゃんの帰りを東京でひたすら待ち侘びて居る女婢のお淸であることに誰もが気付かされる。「坊ちゃん」の真の主人公はお淸ではあるまいか。此の作品から暖かさを感じるのはお淸が存在するからだ。「坊ちゃん」の呼び名も淸の呼び掛けの言葉であり、他に誰も彼を「坊ちゃん」なんて呼びはしない。お淸は年寄りだが「坊ちゃん」には恋人以上の存在だったのだろう、其れが証拠に小説の終わりに至って俄に…俺は淸のことを書くのを忘れて居た…、…おれが東京に着いて下宿へも行かず革鞄を提げたまま「淸や帰ったよ、」と飛び込んだら、あら坊ちゃんよくまあ早く帰ってきて下さった、と涙をぽたぽたと落とした。おれも余り嬉しかったから、もう田舎には行かない東京で淸とうちを持つんだと云った。
恰も長く逢わなかった恋人との再会を彷彿(ほうふつ)させる章(チャプター)だが、漱石の淸への深い愛情があふれ出ている。……淸は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒なことに今年の2月肺炎で死んでしまった。死ぬ前日俺を呼んで「坊ちゃん後生だから淸が死んだら、坊ちゃんのお寺に埋めて下さい。お墓の中で坊ちゃんの来るのを楽しみに待って居ります」と云った。だから淸の墓は小日向の養源寺にある。……此処でこの小説は終わるが、最後「だから」の重い言葉に漱石のこの小説への全ての思いが籠められて居る。恐らく若い頃の彼にはお淸のような女婢が実際に存在し、その女性の死に直面した深い悲しみが心に染みついており、彼女への追慕の念が「坊ちゃん」の作品の背景になったのだと思う。或いは彼が結婚に踏み切ったのもお淸の死であったかも知れない。処で漱石の奥さん鏡子さんの旧姓はキヨであったし、未完の絶筆となった「明暗」の主人公の嘗ての恋人が矢張り清子であったが、漱石には「淸」には深い思い入れがあったのだと思います。漱石は大正5年49歳で早世しましたが、ひょっとしたらお淸が雲の向こうから「坊ちゃん、早くに来て下すった、お待ちして居ましたよ」とハラハラ涙を流したのではあるまいか。

 

先週の読めそうで読めない字       雪洞(ぼんぼり)に灯をともす

今週の読めそうで読めない字      (血脈)とは家の血筋を言います