玄関先の綻びかけているあけぼの風露草と木瓜の花をご覧下さい。雨続きで春になったら晴れた日に咲こうと待っているようです。

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確定申告も漸く終わり、遂に待っていた春がそこまでやって参りました。“春一番”なんて歌がありましたよね。
♪もうすぐ春ですねえ♪ちょっと気取って見ませんか♪
今から30年も前にヒットしたキャンディースの如何にも春らしい明るい歌でしたね。男子と違ってそれまで女子は決まってソロボーカルだったのが、この頃からデユエットやトリオが流行し、ピンクレディーなど凄い人気だったのを想い出しました。
お彼岸の入りで庭の草木も生き生きと躍動してきました。確定申告も済んだことだし気分転換に旅行にでも行きたい処ですが、因果な商売で生憎放ったらかしの仕事が山積して居り、お彼岸の休日も終日仕事となりそうです。(::)
日米関係についてアメリカの日本蔑視の姿勢は戦後60年にして未だ変わらず、それ処か益々酷くなっているようです。ジャップ叩きがついに野球にまで類が及ぶこととなりました。事件はワールドベースボールで米国に日本が犠飛で勝越点を得ながらタッチアップが早いとの相手チームの抗議に2塁塁審セーフのジャッジにも関わらず主審が判定を覆しアウトにしたものです。
これではまるで盗塁した選手に対し塁審セーフのコールに相手方の抗議で主審がアウトを宣言したに等しく、判定場所に一番近い審判の裁定が最終判断になると謂う原則が覆されました。2塁の塁審は走者に対して側面からタッチアップが正確に目測できますが、主審の位置からでは縦イチですから走者のベースタッチが充分確認できません。それを主審が覆した背景には審判団がマイナーリーグであり主審が大リーグの大監督の抗議に対し全く腰が引けていたことと、後一つは何が何でもアメリカが勝たねばならぬアメリカが主役の大会であったことと、更には根強いジャパンパッシングを主審と監督の両者が共有していたことでありましょう。アウトの判定にあの温厚な王監督も怒って抗議しましたが、不十分な英語では主審のペラペラペラに対し2塁塁審を指して“he is near”位しか言えなかったでしょうから、悔しかったでしょうね。主審と米監督は正に確信犯でしたから王さんもこんなときは “勝つためには手段を選ばぬこんなえぐいことをして監督も監督なら主審も主審や!お前らはそれでお天道様に恥ずかしくないのか!天罰が当たるぞ!”と日本語で言い放って全員を引き上げ放棄試合にしてやれば良かったのです。WBCなど所詮松井選手も参加せぬ多寡がお祭りではないですか!日本人の悪いところは語彙が乏しいばかりに何でもかんでも言い負けして外人に屈するところです。日本男児なら無茶を言って誑(たぶら)かそうとするアメリカ人に喧嘩位できないと舐められますよね。でも王さんは日本男児でないからダメか!(;;)
しかし天は我を見捨て給わず覿面の天罰が下り、メキシコのホ-ムランを2塁打と言った例のクソ審判ボブデビッドソンの援軍も敵わず、アメリカはまさかのメキシコに敗れ、決勝戦に残れませんでした。人間悪いことはできないものです。“天網恢々疎にして洩らさず”とはこのことでありました。(^^)
更に今日は日本軍が国を挙げて応援する韓国を打ち負かしこれまでの鬱憤を晴らしました。日本を見返す絶好のチャンスと身構えた韓国の人達はさぞ悔しかったことでしょう。悔し涙を流す女性も沢山いましたね。王監督も韓国を2回喜ばしておいて最後にどんでん返しですから千両役者でしたよね。(^^)
王さんアメリカと韓国をやっつければキューバなんかには勝っても負けてもどっちでもいいんですよ。
アメリカ人も終戦後虫けらのように思っていた日本人が段々力を付けてきた挙句、あらゆる分野で精度の高い日本製品が溢れ、あの巨大なGMまでトヨタやホンダに駆逐されて倒産寸前となり大型リストラに始まり退職年金のカットや医療保険の減額等瀕死の状態である上、BSE事件でも他国より過酷な条件を譲らぬ日本に対し憤懣やるかたなしと日本を逆恨みしていますが、元はといえば彼等の作った製品がええ加減で均一性に乏しく、しょっちゅう故障する欠陥車などが多かったせいで、アメリカ人全員それが当たり前と思い込んで居り、それまでは昭和20年代ボブホープの喜劇“姫君と海賊”で海賊と戦っていたボブホープがフェンシングの折れたのを見て“oh made in japan!”などと両手を広げて首を竦め日本製の粗悪さをギャグにし嗤っていましたが、何時とはなく少しも故障しない日本車が上陸して驚いたアメリカ人が、口こみでファンを増やして行ったものですが、四半世紀前までにアメ車(イタ車などは現在も…(;;))やハーレーに乗られた方なら私の言っていることに思い当たる方がきっと多いと思います。
“金曜日と月曜日に作られたハーレーに当らぬことを祈れ”とは昔からよく謂われている有名な伝説であり、休日前と休日後は遊びへの期待と遊び疲れで仕事に身が入らず欠陥車が多いと謂うことでしたよね。(^^)
先日の名古屋国際マラソンで数え歳39歳(満37歳6ケ月)の弘山晴美選手が、誰もが優勝すると信じて疑わなかった三井住友海上渋井陽子を残り1キロで逆転し、1991年国士舘大学卒業以来15年目にしてマラソン初優勝を制し、適切な表現ではありませんが所謂“死に花”を咲かせました。マラソン10回目だそうですから矢張りマラソン2位の経験しかないご主人であるコーチの勉さん共々さぞかし嬉しかったことでしょう。
01年の大阪国際を制した10歳も若い渋井陽子の敗因は肩に重く圧(の)し掛かった優勝期待への重圧に耐え切れずにスタート直後から独走したことにあります。後半のスタミナ切れを恐れるより1分も離せば年齢差の大きい相手のオーバーペースが期待できるし、充分逃げ切れるとの判断であったものでしょうが、弘山晴美選手の執念は31キロ過ぎの上りで漸く渋井選手の姿が見えるとサングラスを投げ捨ててライバルを見据え、6年前シドニー5輪代表の座が懸った大阪国際で最後の水を取り損ねた結果が2秒差でルーマニアのシモンに敗れた屈辱を忘れずに40キロ過ぎの給水を無事終えると一気に勝負に出て余力を失った渋井選手を残る1キロで逆転しての会心の優勝でありました。
私が思うに、ひょっとして弘山晴美選手の勝因は31キロでサングラスを投げ捨てたことであり、渋井選手が残り1キロ弘山選手に抜かれるまでサングラスを外さなかったことではなかったでしょうか。どんな軽い眼鏡でも20g(私の眼鏡を計ったら50gでした)はあるでしょうから10キロの間20gのハンディキャップは少なくないと思いましたが私の思い過ごしでしょうか?(^^)
女子プロゴルフ第三戦は鹿児島で行われましたが、TV放映もなく(;;)さくら選手は7位タイと沈み残念至極でありました。優勝した飯島茜選手は22歳プロ入り2年目での初優勝でありましたが、少女アニメ主人公のようなほんわか美人ですから、これから女子プロゴルフも益々人気が出ることでしょう。
それにしても楽しみにしていた5時半からの8チャンネルのスポーツニュースで女子プロゴルフでは優勝した飯島選手も画面に写されることなく、さくらちゃんのシーンばかりでしたからてっきりさくらちゃんが優勝したものと錯覚し7位と聞いて落胆しました。飯島選手自身もお父さんお母さん達ご家族も期待してニュースを見ていられたと思いますが顔写真も写らないのでは悲しかったでしょうね。
今月31日はスカイマークスタジアムにてプロ野球オリックスの開幕戦ですが、ナント!さくらちゃんが始球式をすることに決定したそうです。(^0^)/
車で10分ですし、何が何でもカメラに望遠レンズ持参で観戦に出掛けます。勿論清原選手などは見ないで直ぐに帰ります。
上手く写っていたらブログを飾ることになるでしょうから皆様もご期待下さい。
さくらちゃんも慣れぬことだし、始球式で右腕の腱でも痛めないかと気掛かりですね。
ピッチャーズマウンドからサンドウエッジでストライクなんて始球式も悪くありませんよ。
(^^)