今日は先週登載を予定していながら、うちのブログの不手際から“さくらちゃん”に先鞭を越され1週遅れとなりましたが、何時ものお得意先のNさんから3月27日に送られてきた“八重咲き梅花からまつ草”をお届けしましょう。実はこの花は私の大好きな花の一つであり、7年前のHPでご紹介したことを記憶力の良い方なら覚えていられるでしょうね。あれは確か7月でしたからこの花の命の長いことには驚かされますよね。この花は埼玉県の園芸屋さんへ昨秋注文し両家へ同時に送って頂いて育てていましたが、うちのは花どころか葉っぱも出てこない有様でこの写真を見てショックを受けています。(;;)

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からまつ草は嘗て戦前の日本女性の鑑(かがみ)とされた恰も山本周五郎“日本婦道記”の主人公を思わせる気品ある花であり、その細い茎は手弱女(たおやめ)と見えて実は毅然とした烈女の雰囲気を醸し出しております。
烈女と謂えば、日頃は奥に居て主人を立てて表面に出ることはありませんが、夫に万一のことが起こらば幼い子達を助けて孟母となる凜としたこの花のような女性も最近は少なくなりました。悲しいことですが内助の功という素晴らしい言葉は最早死語となったのでしょうか。男女と謂う位ですから神代の昔から男と女の序列は明確にされていましたが戦後は靴下と何とかは…とか謂われて女性が急速に鎌首を擡(もた)げ男の影が薄くなりました。女性も何も好き好んで男女間の主導権を取っている訳ではないでしょうが、或いは立てるべき男が居なくなったのか、女一人御(ぎょ)せない不甲斐ない世の男共の氾濫が現世の不幸を増幅させたものでしょう。(;;)
然し男女には父性、母性と自ずから予めその役割が定められていますから、男が不甲斐ないからと女が男の主導権を奪えばよいと謂うものではなく、マッチョな男が居なくなった結果、父性を失いつつある男達を見て、女達には女性に課せられた“子供を産んで育てる”と謂う母性本能が忘れられつつあるのではないでしょうか。少子化問題一つをとっても女だけが出産で痛い思いをするのは不公平だとか、折角の会社での昇進のチャンスを出産でフイにしたくないとか、更には男の従属物になりたくないなどと宣って家庭生活を家族のものではなく自分自身のものと考える単細胞な女性が増加してしたことです。これでは内助の功どころではありませんよね。そのとばっちりは当然に男性に及んでおり、結婚したくても相手が見つけられない男が若者から中年までゴマンと出て参りました。一つには世の中が結構すぎて女性が結婚しなくても食うに事欠かぬ世の中となり、30歳になって家にいても世間から後ろ指を指されることもなくなりましたから今後益々このような傾向は顕在化することでしょう。
家を護ると謂うことは頭で考えてできるものではなく男に与えられた本能ですから女性には逆立ちしても出来ることではありません。女は男に遵うことでその本分が尽くされることは、農家の庭先で餌を啄(ついば)んでいる鶏の親子を一度ご覧になれば皆様もきっと納得されることと思います。彼等は何の教育も施されていませんが、雌鳥やヒヨコたちが餌を食べている間雄鳥は、餌を食べないで猫など周囲から襲う外敵を警戒し、少しでも怪しい気配がすると鳴き声を発して雌鳥たちの注意を喚起します。するとヒヨコ達はすぐさま親鳥の羽の中に隠れますから一羽の鶏から8本や10本の足が出ているのは見ていて微笑ましいものですよ。(^^)それだけではなく雄鳥は土を掻いて餌を見つけると自分で食べることなく雌鳥やヒヨコを呼んで食べさせて、自分は家族の食事の後残り物を啄んでいます。此れが家族の長(おさ)たる者の当然為すべきことなのですが人間社会では本能だけで生きている鶏にも劣る男が多くなりましたから情けないですよね。
話は余談になりましたが、世の中男らしい男が居なくなった結果、当然に男の従属物たる女らしい女も居なくなったことで、先日M新聞に連載されることになった『白黒つけます!』第一回である今回の題名は“恋をしなくなったのは男のせいか?女のせいか?”でありましたが、どのようなアンケート結果が出たのか又その原因は何処にあるのか、風邪を癒してボケッとした頭を入れ替え次週までにじっくりと検証してみたいと思っております。
話はころころと変わりますが近年世の中を重宝な言葉が罷り通るようになりました。悪いことをした経営者や、お役人がメディアの前で頭を下げるとき、決まって“遺憾”と謂う言葉を使うようになりましたね。
つい先日3日の衆議院行政改革特別委員会で三井住友銀行が融資先へ金融派生商品の購入を強制し公正取引委員会から排除勧告を受けた事件に関し、新聞では『日本郵政の西川善文社長(前三住頭取)が質問した民社党の近藤洋介議員に対し“私の在任中に起きたことで、深刻に受け止めている。誠に遺憾に存じている”と陳謝した。』と書かれてありましたからメディアは“遺憾”を“陳謝”と同意義に捉えているのでしょう。然し“遺憾”のこの言葉の何処が陳謝しているのでしょうか。 “遺憾に存ずる”とは広辞苑最新第五版によれば“思い通り行かず心残りなこと。残念。気の毒。”と解釈が載せられていますが“申し訳ない”とか“済まなかった”とは何処にも書いてありませんよね。
“陳謝する”とはこれまた広辞苑に寄れば“訳を述べて謝ること”とされていますから、ホンにおかしいですよね。盗人にも3分の理と謂いますから彼等が己が罪を認めたくないのはよく分かりますが一見謝った如くに見せ掛けて実はちっとも謝っていないのは彼等の本音なのでしょう。誰か一人でも “遺憾”の意味を説明して“社長貴方それで謝ったつもりですか?議員達を馬鹿にしているのですか?”とでも言ってやったらどうですか(^^)民主党のアホな連中では到底無理な相談でしょうが、海千山千の西川社長もそれを聞いたらきっと慌てて広辞苑を紐解き冷汗三斗の思いをしたと思いますよ、八つ当たりは三井住友から岩波書店への融資打ち切りを通告させたりして…(;;)
お詫びと謂えば最近では民社の永田議員や前原前代表が浮かびますが、彼等二人に限らず談合事件などで摘発された会社の社長やお役人方のお詫びの際の手の位置が全ておかしいですね。彼等は学生の頃校庭で体操の時間や朝礼で基本的な姿勢について習った筈ですが、つい高い所に立ったので心が驕りそれを忘れてしまったのでしょう。テーブルから立ち上がって左右の人とのタイミングを計って45度頭を下げる際に一度“気を付け”の姿勢を取ることを忘れて頭を下げるためにテーブルの上にあった両手を足に付けずに只だらんと下げているだけのポーズになっています。これではまるで猿です。こんな敬礼の仕方は明らかに相手への礼儀を失したものであり、幾度もしていると報いを受けて腰椎への負担が重くその内間違いなく腰痛となることでしょう。(^^)そうです。人間は前傾姿勢になるときに腰椎に掛かる700kg(700gではありませんよ!)の負荷を両手を両足に密着させることで大部分逃がしているのです。
花屋敷吉川で行われたスタジオアリスレディースで期待された横峯さくら選手は強風と黄砂にスコアを乱され14位タイと無念にも“さくら散る”に終わりました。(;;)今回はお姉さんの横峯留衣プロがキャディーで初登場しましたがお姉さんも中々の美形であり、成績さえ良ければスポンサーの付くルックスと見ました。お姉さんにも是非頑張ってシード選手になって頂きたいですね。
このツアーのスポンサーはスタジオアリスと謂うキッズ向けの写真屋さんですが、モデルの女の子(幼稚園児か?)がめちゃブスなので幾らでも可愛い子が居るのにと何時も驚いています。然しつらつら考えてみるにブスの子でも背景のせいで仕上り写真がそこそこ見られるのでブスの子がモデルであの写真ならうちの子は…と世のバカ親共が殺到することを計算してのモデル起用と見ました。写真を眺めるお母さん役の一言“笑顔がお父さんにそっくりねえ”には笑ってしまいました。お父さん役は仕方なく後ろ姿しか写りませんでしたものね(^^)