愈々本格的な梅雨がやって参りました。今週一杯雨模様とか紫陽花も終わりを告げてうちの庭は憂鬱な初夏の佇まいを醸し出していますが、今年初めての“ひるがを”が雨の中花を付けました。根が何処から出ているのか分からず肥料の遣りようもなく、放置しているためか気難しい花であり一夏に数個咲くだけですがこの花が咲くと私は夏の到来を予感して何故かホッとします。

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可愛い花ですが余り見掛けないのは、この花が根伏せでしか増やせず、種を付けないので播種できないためです。一度タキイ種苗に“ひるがを”の種は?”聞いてみましたが、“ありません!”と何の説明もなく、けんもホロロのつれない返事でした(;;)“このド素人めが!”と思われたことでしょうがド素人が沢山いるからタキイさん商売になって居るんと違うのですか!営業農家ばかりが得意先と考えているからサカタ種苗に世界を席巻されたのと違うのか!(>_<)
先週20日の火曜日は日銀福井総裁の村上ファンド巨額運用益の発表、奈良で起こった母子焼殺事件の発生、そして99年秋山口県光市で起きた惨たらしい母子殺害事件の最高裁判決と大きな事件が重なりましたが、今日は紙面の都合で光市の事件を来週に回し、日銀総裁の利殖問題と奈良の母子焼殺事件について考えてみたいと思います。
福井日銀総裁のゼロ金利政策、高利回り運用と内と外がバラバラであったことが運の尽きであり、利息の番人が利殖に走るなど軽挙妄動も甚だしく味方である自民党内部からもその儲けぶりをやつかんで造反者が出ることでしょうから我々庶民感覚からして総裁の辞任は当然すぎる結末だと考えました。
…となるものと思っていたら何のことはないこの総裁は我々庶民の怒りが一団となった土俵際の渾身の寄りを投資資金の全額寄付や給与の30%半年間カットなどの申し出で徳俵一本懸命に堪えしぶとくも生き残って居ます。自らの地位に恋々とするなんて彼の本性が知られ恥知らずで余りにも往生際が悪いと思いますが、彼には子供がありませんからお金を残す必要はなく、逆に人間この辺まで上がると、どんなことがあっても勲一等の勲章が欲しいのでしょう。(>_<)
虎は死して皮残し、総裁死して勲章残すとなるのでしょうが、何れ甥っこ姪っこ達が勲章をコイン屋さんで金に換えて無駄遣いするシナリオとなることでしょうから総裁も所詮浮かばれませんよね(;;)総裁の存命の可否はスイスへの会議から帰国した25日以降の攻防に掛かってきましたが、彼は物事に飽きやすい日本人の習性を見越して、時の経過で批判の嵐が取り過ぎるのをじっと我慢して待ち続けることでしょう。福井さん、日本人の日本人たる所以は恥を知って腹を切ることにあるのです。まさかお忘れになったのではないでしょうね?
関西では灘に次ぐエリート進学校東大寺学園で起こった所謂“良い子”だった16歳少年の家族焼殺事件は医師である父親の子供への過度の期待感が誘発したものであり、世間の多くの教育パパママ達を震撼させ警鐘を乱打しました。
昨年今頃にも東京で16歳少年が両親を殺害しその後部屋を爆破する惨劇が起こりその原因は前夜父親から叱責されたことにあり、その他これに類する犯行は数知れずであり、昨今これら余りにも短絡的な犯行がどうして頻発するのかその背景について少し考えてみたいと思います。
事件は勿論父子のどちらにも非があったからでありましょうが、何れにせよ親と子の心の距離が大きく隔たっていたことが、お互いが打ち解けて話し合う機会を持てなかったために、親は子供の心の闇に思いを馳せることができず、子供は親の真意が察することができなかった処から事件が生まれたものと考えました。つまり簡単に言ってしまえば親子の意思疎通が欠けていたのです。そしてその背景には親は自分が子供であったときの“親の言うことには子は絶対服従”の親子関係が現在も持続できているものと信じて疑って居らず、子供は親の子供時代のことなどまるで知らず、幼児時代より劣悪な社会環境のためにゲームや漫画など平気で人を殺す場面を見ても、自分自身で培った倫理と謂う篩(ふるい)を持たぬために見た儘をストレートに消化していたことが悲劇を招いたのではないかと考えました。
人間の家族には昔から子供の躾けとして父性と母性がありますが、父親の子に対する厳しい態度を一般に父性と呼び、反面母親の持つ母性が厳しく扱(しご)かれた子供を優しく労り、子の避難所の役割を果たして子の教育に上手くバランスが取れているものですが、今回の事件の場合、余り報道されていませんが、不幸にして避難所の対象であるべき母親が自分の母親ではなくて父親の後妻であり、弟妹も後妻の子供であって年端が行かぬために父親の後継者にとして不適であったことがこの少年に過重な負担を背負わせたことも大きな要因となっていると考えました。その上継母は人情として我が子を可愛がっても先妻の子は邪険に扱うのが浄瑠璃の世界ではありませんが世の倣いとしたものです。此の母子の関係もご多分に漏れず先妻の継子いびりが夫への告げ口と謂う最悪のシナリオを通して行われたため、その義理の母が父親同様医師であったことも併せ、医者への目標を失いかけた子のシェルターとしての役割を果たせなかったことでありました。昔から“窮鼠噛猫”(きゅうそごうびょう)と謂いますが、心の逃げ場を失った子供がパニックとなりこの悲惨な事件のプロローグとなったのではないだろうかと考え、亡くなったお義母さんに“医者になりたくない”と子に縋(すが)られたらどんな態度を取られたか聞いてみたいと思いますが、継子の行動や態度を夫に告げ口する位の母親ですから、“窮鳥入懐(きゅうちょうにゅうかい)”の際の人の倫(みち)など忘れ去り、きっと義母からは父性を以て報いられ、それ処か父親に通報されて父親からの酷い折檻が待っていると考えたのでしょうね。子供の勘は鋭いですから恐らく私の推理は当たっていると思います。後妻とその子供達の間で疎外視されながらも絶えず良い子を振る舞わねばならず、父親が帰宅すれば勉強の結果を糾され、好きなサッカーのTVも遥か京都の他人の家でしか見ることの出来なかったこの少年の心情が哀れでなりません。この事件はある日突然の出来事ではなく”ある日当然の出来事“ではなかったでしょうか。この家には物理的な空間は沢山あってもこの少年の住まいする心の空間が全く存しなかったのでしょう。実母の居ない家庭で独りぽっちで良い子を演じなければならなかった子供の心情を察し、それに対処してやるのが実の父親の役目ではありませんか、親権者として子を引き取りながら、愚かにも再婚し更には子供まで設ける二重の過ちを犯した父親は何処の誰よりも自らの家庭に注意をし、少年の生活を快適と行かぬまでも細心の注意を以て心を配って遣らねばならぬものを少年の勉強部屋にICUとか勝手な名前を付けて勉強を強要していたそうですから何をか況んや、この少年にとっては言葉通り正にICUは生死の牢獄であったことでしょう。無神経にも能天気で子の学業成績ばかりを叱責し、後妻に気を遣って弟妹ばかり可愛がったこの父親をこの少年はどんな目で見ていたでしょうね。我々は倫理が若し法律であるならば、この事件の主犯者は間違いなく父親であり共犯者が継母で、少年は被害者であったことを知らねばなりません。
警察での少年は出されてハリーポッターを貪るように読み、時には笑顔を見せ取り乱した様子など微塵もなかったそうですから少年の心には久し振りに宿痾(しゅくあ)から解き放たれ平安が宿ったに違いありません。
独りぼっちになった47歳の父親は自業自得とは謂え、これから十字架を背負っての永い人生となりますが、我が子の気持ちも察せられずに罪(とが)人に仕立てた罪は軽くありません。これからは己が非を真摯に受け止めて子供の釈放を暖かく迎えて手を携えて、家族の冥福を祷る静かな生活に入られることを祈りたいと願いますが、この父親は医者にあり勝ちな自分中心で弱者への思い遣りなど欠片もない大馬鹿者に違いなく、ほとぼりが冷めると背負った十字架などかなぐり捨ててケロリと再度若い女を新しい妻を迎えて長男のことなど不肖の子と疎んじるようになるように思えてなりませんね。こんな悪い奴を咎める法律がないのが悔しいなあ(>_<)
無謀と笑われるでしょうが、ボケ防止に漢字検定準一級への遙かなる挑戦を志し、再び漢字辞典と対峙することとなりましたが、此までは同じ意味でも“嘆く”(四級配当漢字)を“歎く”(常用漢字外準一級配当漢字)と書けば×だったのが準一級から晴れてどちらを使っても良くなったことが嬉しく、漸く常用漢字ともお別れして旧字体の世界に入れると思いきや、さにあらず、“禍福は糾(あざな)える縄の如し”(仕合わせと災いは撚り合わせた縄のように交互にやってくる)と謂いますが、正にこの諺(ことわざ)通りであり、準一級のテストにはあの少しも面白くない部首が出題から省かれた代わりに常用漢字の表外音訓がしっかりと加わっており、2級までで覚えて居なかった常用漢字の読みが772字、数にして2000以上入って居り、再度常用漢字表外の読みを記憶する羽目となりました(;;)。“糾(あざな)える”などはその最たるもので2級では糾(きゅう)の音読みしか覚えていませんから、”ただす“や”あざなう“の訓読みは準一級の世界の話となります。(;;)何せ常用漢字辞典にない読みは昔はいざ知らず今では日常殆ど使わない言葉が多く半分以上が、え?なんで?と謂ったものばかりであり、訓読みはまだしも過去の読書の記憶から脳細胞の隅に偏在していますからどうやら納得できますが、音読みは実に難解であり、例えば“医”が”くすし“汽”が“ゆげ”ですから、何だか頭がおかしくなってしまいそうですが、丸暗記式は年齢的に最早無理であり急がば回れと言いますから、もう一度鴎外や鏡花の作品を読み直す必要を予感しています。
然し出足からこんなことで弱音を吐いていてはなりません。病や齢(よわい)のために志し半ばで挫折する可能性はないではありませんが、身の程知らずではあっても、それまではめげずに160点を目指して死力を尽くし頑張って行きたいと思って居ります。(^0^)/
プロミスレディースは兵庫県ウオーターヒルズGCで行われましたが、さくらちゃんは先週の優勝で疲れが出たのか10位タイと沈みました。
優勝したのはさくらちゃんと同じ20歳の藤田幸希選手でした。古閑美保選手にリードされながら18番のバーディーでプレーオフに持ち込みそのプレーオフをバーディーで締めて劇的な逆転初優勝でしたが、この優勝を誰に伝えたいですか?とのアナの問い掛けに対し、彼女は“両親と家族ですと”答えた後で、“私はお父さんとお母さんの子供に生まれて良かったと思います”と涙声で語りましたが、親子と謂うものはこうでなくてはなりませんよね。親は子を信頼し子は親を尊敬するこのごく当たり前のことが最近の風潮では守られていないように感じられてなりません。身勝手から我が子に妻子を焼死させられた奈良の医師さん聴いていますか?