今日は待ちに待った?漢字検定の試験日でした。理由になりませんが夏以来公私共に色んなことがあって予定の半分も勉強が出来ず、準一級配当漢字の書き読み共に未だ不十分でありましたから不合格は覚悟しておりましたが、点数が予想以上に悪く自己採点が161点でしたし、金釘流を咎められてのマイナス6点は覚悟せねば成りませんから無念の敗北は決定的となり次回に期待を繋ぐこととなりましたが次からは加齢と視力と謂う難敵も加わり更に苦戦を強いられそうです。(;;)
毎年種を採っては播種する空色の小さい朝顔が今年も永く咲いてくれて先週咲き終わったのですが、昨日瓢箪池の傍で咲いているのが見付かりました。恐らく早い時期に咲いた花の種が落ちて池を作るときに掘り起こした土に混じり芽を出したものと思われますが、一年に二度の開花は珍しく皆様にお見せすることにしました。この朝顔は数年前五色塚古墳に咲いているのを見付け種を採取したものですが、花が小さくて私好みです。採取場所から私は“昔朝顔”と名付けています。(^^)

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又々やってくれましたね。京都府長岡京市の三歳の幼児虐待死亡事件の間接的な加害者は児童相談所でありました。躾か虐待かの判断は第三者からは難しい処ではありますが、プライバシーの問題もあるので、各都道府県(政令都市では市)では児童相談所を設けて“こと”あるに備えているのです。皆様はご存じでしょうか、世に児童虐待防止法なる法律があって、虐待の事実があると思われる場合発見者はすぐさま児童相談所に通告する義務が課せられており、これを受けて児童相談所は速やかに児童の安全の確認を行うよう努めるよう法制化されています。更には本年9月には厚労省から警察官同道の上立入検査まで出来るように配慮が為されたのに関わらずこの相談所に何の伝達もされなかったのか或いは、伝達されたのに回覧されなかったものか消え失せたものか不明ですが、要するに相談所の彼等にはまるで“やる気”がなかったのでしょう。何処(いずく)も同じですが所員は府の役人が偶々人事異動で相談所勤務を命じられたに過ぎず、以前の職場では動物園で河馬に餌をやっていたかも知れませんから、相談所の使命も充分に理解していたとは思えず、9時から5時まで机の前で座っていれば高い俸給と年金が約束されて居り、出来るだけ浮世の波風に身を晒さないで次の勤務地への異動を待っているのでしょう。然し仕事もしないで机に座っていれば良いと謂うものではなく、受け取りようによれば5年間で8日しか出勤しなかった奈良市の職員の方が役所に居ない分だけ役所内での経費が掛からず孝行息子だったなどと言えば彼等は怒るでしょうね。それなら身のある仕事をどれだけしたか是非発表して頂きたいものです。
長岡京市の府児童相談所は地元の自治会からの再三(6回も)通告を受けながら、事なかれ主義で親に二回電話しただけで一件落着を決め込んでいたのです。規則では通報された事件の処置に付いて所内会議を開くことになっていますがそれすら一回も開かれず、6回目の通報など明らかに幼児虐待を告げたものであり丁度その日に幼児が哀れにも餓死したのでした。所長は明日父親に連絡する予定だったと弁明していますが、後からなら何とでも言えますよね。前回岸和田で同様な事件がありましたが2年も前の他所のことであり誰もが忘れ去っていたこともこの幼児にとって不運でありましたが、児童相談所から親への電話に対して“ハイ私が虐待しておりました”と誰が言いますか!一体から昔と違って近隣が疎遠となり隣の住民と挨拶をしたこともない手合いが多い昨今自治会が5回も6回も児童相談所に通告したこと自体が“ことの異常”を示す何よりのアラームではありませんか。その辺(あたり)に何らの配慮も働かさずにノー天気にも親への電話で“こと”を済まそうとした所長の行為は、通達まで出したのにシカトされた柳沢厚生労働相が怒るのも当然であり、到底許せるものではありません。
所長の日誌には恐らく“本日児童が虐待されているのではないかとの電話1件あり、親に電話して入念に聞き取ったが虐待の事実はなかった。以上”と書かれ以下余白であったことでありましょう。メディアからの質問に対し、相談所長黒川洋一は“判断に甘さがあった”と述べたそうですが、判断以前の問題であり、所長以下全員職務に対する熱意がまるで欠如していたために起こったものと考えます。そうでなかったら所員の誰か一人くらい“児童の様子を見に行ったらどうですか?”くらい言いそうなものですよね。言ったら”お前行け!“と言われそうで誰もが黙秘権だったのかも…(;;)
児童虐待防止法 第八条 (通告又は送致を受けた場合の措置)
児童相談所が児童虐待を受けた児童について児童福祉法第二十五条の規定による通告又は同法第二十五条の二第一号の規定による送致を受けたときは、児童相談所長は、速やかに、当該児童の安全の確認を行うよう努めるとともに、必要に応じ同法第三十三条第一項の規定による一時保護を行うものとする。
この所長の取った行為は上記の法律違反が明白ですから、当然罪に問われるべきですが、せいぜい戒告と配置転換がくらいが関の山であり、児童相談所の体質は今後も旧態然でありましょう。(;;)然し3歳児を見殺しにしたこの所長は酒酔い運転を見逃した警察官より遙かに罪は深く、殺人幇助で懲戒免職にしてやれば他の相談所も少しはマジメに仕事をするのではないでしょうか。
先々週でしたか久し振りに毎日新聞の“白黒つけます!”を興味深く読ませて頂きました。深刻にして重いテーマ“セックスレス結婚はありか?なしか?”であり、答えは賛否両論でありましたが、相対的に受け身であるにも関わらず奥様の方に意外に“なし派”が多かったのには驚きでした。“あり派”の中には“セックスは子孫繁栄のためだけの行為であり、セックスレスは決して愛情レスではない”と謂うものから、40歳の女性“10年前からセックスレスですが何の不満もありません、夫は大切な家族です。皆様も父親や兄とセックスしたいとは思わないでしょう。楽しい毎日です”に至っては思わず絶句致しました。そして沢山の人が大きな勘違いをしていることに気付いたのです。例え奥さんに不満はなくてもこの方の夫が妻のセックスレスに不満を持って居られるとすれば他に好きな女性ができたりと将来破局を迎える可能性は少なくありません。夫は家庭に波風を立てたくないばかりに妻に求めることを憚っていることにも気付かずにノー天気に夫は家族だ!は勝手な言い分ではないでしょうか。ノンセックスが二人の間に少しずつ埋められない溝を作っていることに気付かぬこの奥さんは余りにも愚かです。気付いたときには既に遅いのですが、ある日奥さんが“何故なの!”と叫ぶ日がくるやも知れませんね。(;;)又世の中には家庭の長(おさ)は自分であり夫は働き蜂に過ぎぬと考えている妻が如何に多いかが分かります。セックスとはお互いの心を重ね労り合う場であり、決して性的欲求を満足させるためにだけ行うものであってはなりません。それなら不倫とか風俗とか幾らでも手段がある筈です。例え妻に欲求が乏しくても夫がそれを望んでいるのであれば、受け入れてあげることで夫の愛情に報いるのが妻の夫への愛情の表現ではないかと思います。長い人生をお互い助け合って苦楽を共にするに当たって、自分の好き勝手は相手への冒涜でありましょう。年金まで分割可能となり熟年離婚が流行ってきた昨今では有りますが、“人”という字の如く夫婦はお互いが支え合って行くためにはセックスは夫婦にとって不可欠だと考えます。私が現役男性をリタイアした70歳にもなってこんなことにムキになるのもおかしいですが、投書に余りに身勝手な発言が多く一言言わせて頂きました。それにしても男性側にも“あり派”が結構多かったのはどうしてでしょうか。以為(おもえらく)勤務先での熾烈にして過酷な勤労状況も原因の或る部分かも知れませんが、大きな原因は昨今の女性の父性化にあると考えます。男性は女王蜂の命ずる儘に働き蜂となり去勢されて、ことある毎に他人と比較されて“甲斐性なし!”と妻に罵られ更には小遣いまで削られては、他所の女性には目が向いても家ではその気にならぬのが当然です。“嬬”と謂う字は準一級の配当漢字であり音読みでは“じゅ”訓読みで“妻”と読み又“弱い”とも読むとありますが、国語審議会もそろそろ訓読みの“弱い”を“強い”に変えて頂かないとなりませんね。(^^)
今回の有効投票8621票の内男性の“あり派”が34.6%女性が47.8%でありましたが、年齢別で見ると60歳代で女性の“なし派”が“あり派”を逆転し54.2%と過半数を制して優勢になって居り、50歳代までの劣勢を一挙に覆しています。70歳代でも45.1%の高率には驚きでした。“灰になるまで”の女の性(さが)と謂うべきでしょうか、或いは無い物ねだりなのでしょうか、夫が加齢からEDとなり、或いは夫を亡くされて睦み合った遠い昔を懐かしんで居られるのかも知れませんね。使わない筋肉?は退化すると謂われますが、何時でもその気になれば与えられると思っていたものが与えられないと知った結果での数値だったとしたら何か心(うら)悲しいですね。
初日二日目とトップだった我等がさくらちゃんは、強敵藍ちゃんを振り切ったものの福島選手にプレーオフで敗れての二位は無念残念でした。(;;)
チクショー!今日は仏滅で三隣亡だ!