春麗ら一年で外出には一番良い季節を迎えましたが、世の中は新型コロナへの憂鬱と鬱屈を抱えた儘お花見もショッピングを含めた外出を自粛せよとの無粋なお達しで何とも楽しめない毎日の連続ですが、患者数の急増するEU諸国では70歳以上の発症者には治療も受けさせないことに決まったそうですが、何れ我が国もこの儘発症数が増加すれば病床とか人工呼吸器の数の関係で同じ扱いが為されると思います、私の歳では発症しても入院は許されず自宅治療となると思いますが、私は感染させる家族が可哀想でなりません。それともいっそ三人呉越同舟で三途の川を渡りましょうか?私だけ別の舟で地獄へ向かったりして…(;;)。

 

先々週ご紹介した小鬼田平子ですが、雑草如きが皆様に紹介されて有頂天になったのか、急にみるみる成長して逞しくなり立派な株に成長しました。褒めて育てるのは人間の子供ばかりではなかったようです^^。

コロナが蔓延する中を東日本大震災から足掛け10年東京電力は卑怯にも政府を懐柔して被爆した被災者達の支援を少し宛打ち切る方向に向かいました。除染が100年先まで掛かると政府が発表して区切りを付けに掛かったのです。100年先とは都合の良い勝手な理屈で本当はもう故郷には帰れないぞ!との通告です💢。寄る辺なき他郷で子どもたちは心無い同級生から放射能が伝染ると苛められ、大人たちは車の修理を頼んだらナンバープレートから出自が分かって汚染が伝染ると修理を断られるなど差別に耐えながらじっと我慢をして帰国を待ち望んできましたが、100年は自分達家族が子供の代になっても郷里の土を踏める希望を踏み躙った通告であり、10年前との様変わりは東電が政府の飼い犬に成り下がりました。被災地は100年先にはきっと雑草と雑木に覆われ被災当時が分からぬ程に変貌して居ますから、祖先の土地を見つけることも不可能で見つかっても開墾に大変な努力とお金が掛かるに相違なく、而も今回の死者に鞭打つ如くの避難民に対する賠償打ち切り通りの通告に涙される被災者の方々の無念さが偲ばれます(;;)。

先月末私は神戸アイセンター病院で11月以来の眼球手術と4日開けて検査結果の外来でした。処が何時もはごった返して待合室には座る隙間もないのに今回は何故か二度ともガラガラでした、隣の市民病院のコンビニに買い物に立ち寄っても矢張りガラガラであり、不思議に思って受付嬢に聞くとどうやら予約日のキャンセルをする患者さんが最近多いらしく被近距離で新型コロナの感染を恐れて病院忌避の通院キャンセルかと感じました。その一方で神戸大学医学部付属病院では外来での雑踏を避けるため愚息は月イチでの移植外来の定期検診を電話で日延され、ひと月ずらされましたから、市民病院やアイセンターとの落差は病院の通路などを併せての規模とスペースの大きさの違いを実感しました(;;)。特に大学病院での昼前一階料金支払コーナーでのフォーク並びの物凄い行列は新型コロナ伝播の温床となるに相違なく、その辺りを考慮しての通院延期だったと思ったのですがきっと思いの他ガラガラだったと思います。昔は県立病院と言われてその名声を恣(ほしいまま)にした神戸大学病院が阪神大震災当時のままで推移するのに、格下と見下していた市民病院が何時の間にか擡頭して新築を繰り返し「医療センター」と電車の駅名まで付くようになったことの格差の隔たりは途轍もなく大きく、医師や医療技術更に医療器械や先端技術にまで小さくない差を付けられたのではないかと私は感じました。

安倍総理も小池知事もカラオケや飲食店等を自粛するよう執拗に逍遥しますが何故かパチンコ屋はついぞ聞かない。菅官房長官とその後ろの警察庁がそれほど怖いのか!💢

先週の読めそうで読めない字    間(かん)髪(はつ)を容れず

この写真の言葉を見て可怪しいな?と思われた方は偉いですよ^^。 間髪と謂う言葉はなく「「間、髪を容れず」が一つの言葉です「間」で一呼吸してから「髪を入れず」と読みます。だから発音は(ぱつ)ではなく(はつ)なんです。

 

 

今週の読めそうで読めない字  彼の(一向)な態度は好感が持てる