愈々GWも今日で終わり、海外へ出掛けた方々の帰国ラッシュです。今年は円安のお陰で皆さん何時もより余計に散財されたことでしょう。
私のGWは全く何時もと変わらぬ仕事オンリーでありました。電話が掛からぬ分仕事が捗ったようですが、自由業とは名前ばかり不自由極まりない因果な商売にはクリントイーストウッド”じゃありませんが“泣けるぜ!”と言いたくなります。(;;)
免許制がなくなってこの方、時の流れは如何とも仕難く、郊外廉売店の乱立とスーパーやコンビニに客を奪われ、古くからある多くの酒屋さんが次々と廃業されたり転業されたりされて居ますが、うちの近くの池姫地蔵尊の傍で戦後間もなくお店を開かれ私の小学校時代から顔馴染みであった空田酒店もこの四月末日を以て廃業されました。(;;)

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旦那様に先立たれた奥様も独りで後継者がなく齢80歳では廃業は時間の問題であったと思いますが、私を始め道行く人達の誰もが心残りなのはこのお店で毎年孵化しては秋に旅立ち、翌春卵を産み雛を孵しに帰ってくる燕達がどうなるのかと謂う危惧でありました。燕の巣は通常軒先などに作られるものですが、ここの燕達は何故かお店の中に巣を作り写真では暗くて写っていませんが店の中に燕の巣が数個あり、燕達は自動販売機の上に設けられた丸い穴から出入りしているのです。60年も前に開けていた飾り窓から燕が入ってきて何時の間にか巣を作ったそうですが、商品に糞が掛かったりで奥さんは幾度も巣を潰そうかと思われたそうですが、亡くなったご主人に思い遣りがあって慈悲深い方で燕も安心して毎年実家?へ里帰りできるようになったとか…(^^)お店の前をサッシュの戸に変える際も燕の通路だけは特別に穴あき板にされていますから、この酒屋さんご一家の燕への思いが伝わってきて、まるで戦前にタイムスリップし向田邦子の世界を訪(おとな)った思いでありました。(^^)
昔は酒屋さんも夜の商売で9時や10時までも店が開いていましたから早起きの燕達も我慢して遅くまで虫取りに精を出していたそうですが、最近は商店街も早仕舞となり空田酒店も7時には店を閉めシャッターも閉まるためそうなれば店内が真っ暗になることをチャンと心得ていて燕たちも7時には巣に帰ってきて子供達とお睡みしているそうですよ。(^^)
廃業後は自販機撤去のあとに○穴を残しその下までの短いシャッターを付けられる予定だそうですが、お店が開いてないと店内は昼間も真暗なので果たして雛たちは無事巣立って行けるのか気掛かりでなりません。最近は周辺の宅地化により田圃がなくなったせいで雛の餌探しも大変でしょうし、何より泥が手に入らず、それまでは毎年新しい巣を作っていたのが近年文字通り古巣での産卵が続いていますからその内土の粘りがなくなり、震度1の地震でも倒壊するのではないかと案じられます。(;;)
店の前の花にも店仕舞いが察せられるのか、牡丹の花が泣きそうな顔で項垂れているのが印象的ですね。燕たちの運命を憂いていることでしょう(;;)
先月末に私の敬愛する一人のシスターが壮絶なる癌との戦いに矢折れ力尽き帰天されました(T_T)。彼女と私とは30年の長いお付き合いであり、始めての出会いは大阪箕面の病院へ行くために阪急北千里の駅で待ち合わせてお逢いしたのが初対面でした。私より7歳くらい年下であり物静かで思慮深いこのシスターは本職が看護婦でありましたが、当時経営不振で倒産が噂されていた大阪箕面の病院の救済を大阪大司教区から依頼されてうちの顧問先であった姫路の修道会が主宰する病院が巳むなく引き受ける羽目となり、助っ人として事務職のシスターが1名看護婦のシスターが2名姫路から派遣され、財務系数上の患部の洗い出しには外部から不肖私が任命されましたが、そのとき派遣された看護婦の一人が上述のシスターでありました。彼女には恐らくそのときに余所者としての言葉に尽くせぬ辛酸を嘗められた(この病院は他の修道会のものであったので、周囲は全て小姑ばかりであり、女性ですから陰湿な苛めなど我々鈍な男には到底分からぬものであったことと思います)ことから、木を見て森を見ずの諺に嵌ることなく、一歩離れて病院を見ることができたものでしょう、箕面での数年間の貴重な経験から病院経営には経営コンサルタント100人来て貰うより医者の信頼と協力なくして病院経営はあり得ないと謂う二人三脚の経営哲学を学ばれたと思います。目出度くこの病院の再建に成功されたシスターは姫路に戻ってこられましたが、この姫路の修道会にも暗部があり支部である長崎の病院が10数億の赤字の垂れ流し続きであり、最早誰からも見放されていたのですが、当時の管区長の苦渋の決断でこのシスターが病院長として長崎へ派遣されることになりました。彼女は再度に亙る重い役目でありましたが箕面の病院を建て直された自信からそれまで諦めムードでぬるま湯に浸かっていた病院内の改革に手を付けられ、その結果医師や従業員の誰もが自分のした仕事が適確に院長に評価されることを知って遣る気になり驚異的にも僅か3年で黒字に転換したのでした(^^)。病院長は通常3年で交代が約束でしたが、赤字続きの穀潰し病院が孝行息子になったのは誰の目にもこのシスターの功績であることが評価され、他に適任者も居ずその後も弛まずに10年以上も病院長を続けて来られましたが、その間に少し宛病魔が忍び寄っていたのでしょう。突然の悲しいお別れとなってしまいました。(T_T)
姫路の修道院とは意見の食い違いから10年前に身を引く羽目となった後も、私は彼女のお人柄に惹かれて長崎の帳簿をずっと見て参りましたが、彼女の居なくなった病院には私の存在理由がなくなったので3月上半期の中間決算を最後のご縁にしようと決心致しました。
このシスターは外見と違って内実とてもユーモアに富んだ方であり、20年前私が椎間板の手術で姫路の病院のご厄介になっているとき、早朝6時頃巡回に来られたシスターと病院の窓から払暁を眺めて話をしていたら8時開場8時半診察開始の病院の玄関にもう訪れた10数人の患者さんを見て“あの患者さん達は皆健康なんですよ”と悪戯っぽい目をクルクルとさせながら真面目なお顔で仰った言葉を今もよく憶えております。ジョークとも知らずにそのときは笑いを堪えるのに必死でした(^^)。菊の一種であるデモルフォセカの好きなシスターで春になると机の傍の窓際が何時もデモルで占められていたこともよく憶えて居りますよ。(^^)
永い間ご苦労様でした。思えば本業とは畑違いの職場での30年間人には言えぬご苦労の連続であったことでしょう。どうか天国ではごゆっくりとお睡み下さい。合掌
それにしてもこの修道会では私の記憶だけでも10人近くのシスターが若くして癌で亡くなっています。医学的にはナンセンスな話なのでしょうが、ひょっとして私は男女共に異性との性的な接触がホルモンの関係で癌予防に資するのではないかと考えたりしています。独り身の男は自家発電できても女性は受け身であり、男のような訳には行きませんものね。(;;)
今週のワールドレディース横峯さくら選手は2日目トップタイとなったものの3日目に75と崩れたのが大きく最終日雨の中を1アンダーと踏ん張りましたが及ばず5位に沈み私の期待を裏切りました。優勝は又もや韓国のデブッチョであったことも余計私の憂鬱を助長させたのでありました。(;;)
先週の答え
“急がば回れ”の回る場所は琵琶湖のことです。琵琶湖近辺では京都に行くルートは2種類あり、ひとつは琵琶湖を横断していく船のルート(約6km)ともうひとつは、琵琶湖をぐるっと廻っていく陸路(約12km)です。勿論横断していく船のルートの方が早いのですが、比叡山から吹き降ろす予期せぬ突風(比叡おろし)で、舟が進まなくなったり、酷い時は舟が転覆するといった危険なことも多かったそうです。
このことを室町時代の連歌師宗長が『武士(もののふ)の やばせの舟は 早くとも 急がばまわれ 瀬田の長橋(唐橋)』と詠んだのが起こりだそうです。
【「急がば回れ」の語源】(注:音楽が鳴ります)