事務所の庭では漸く生育を始めた西瓜の苗の傍らでヒメウツギの咲き終わったのを見図ったように何処から飛来したのか分かりませんが 「ゆきのした」が一株芽生えて咲き出しました^^。お茶会にでも生けられそうな寂しげで可憐な日本の花です。此の花は日陰の庭などでひっそり咲くのが慣わしですから、日陰の場所なら何処にでもあるのに、どうして選りに選って日当たり抜群のこの場所を選んだのか謎ですが咲いたことは事実ですからそれはそれで喜ばしく早速スマホの餌食となりましたので皆様にご紹介しましょう。でも晴天続きでお日様が強くて曇り空も少なく僅か1週間で可哀想に萎れてしまいましたから梅雨が済んだら何処か日陰に植え替えてやろうと思って居ます。

 

 

経済が陰った韓国が昨年から我が国の在韓日本企業に対して昔話を持ち出しては嫌がらせの報復を試みています。戦時中の慰安婦徴用工問題に関しては1965年に我が国から1800億円(当時5億ドル)もの補償金を奪い取りました。それを今になって北朝鮮と手を結びアメリカとの仲をこじらせ自分たちの経済が立ちゆかなくなくなったからと言って、民事裁判として蒸し返すなど遣り方が全く酷いと思います。日本人を脅かせば幾らでも金を出すと思われているようです(;;)。

考えてみれば子供時代よく苛めが有りました。苛めた方は忘れていても苛められた方は決して忘れていないことを思い出しました(;;)。彼らは当時のことを決して忘れて居なかったのでしょう。土木建設労働者をしても被差別部落民と朝鮮人は給与が一般人の半分やったもんな(;;)、彼らは貧しくて畳の生活ができず土間に筵(むしろ)で生活して居ました。あの屈辱を彼らは今になっても決して忘れては居ず、子に孫に曾孫に「」の感情を伝えたものでしょう。
私が大阪で生活していた頃、多くの朝鮮人が貧困に明け暮れた生活苦からバラ色の天国だと嘘の情報に騙されて嬉々として北朝鮮に帰って行ったのは丁度60年前でした。窓のない筵の土間に親子6人が住み布施の喫茶店で働き、仕事のためミシンが買いたいと言っていた15歳の色白の可愛い少女朴さんも、OS囲碁センターで私の師匠であった関西棋院プロ1級19歳の金さんも望郷の念から家族全員が北朝鮮への帰還運動(日本と北朝鮮の赤十字社合同主催)の一環で帰って行きましたが、何れも我が国で酷い扱いが帰国の引き金であったものでしょう。あの二人今頃どうして居るかしら?こんな遠い昔のことはもう誰も何も知らんよね…💢。

思い起こせばあの時朴さんのお母さんから私は「カイコさん」と呼ばれていました。蛹(さなぎ)でもあるまいし何故なのか不思議で朝鮮語かしら?と思っていたのですが、後から考えるとあの国の人達は濁音が発音できないので「外交員」を意味する「外交さん」が「カイコさん」だったみたいです^^。

 

 

 

リゾートレディース女子プロゴルフは2日目まで滝川第二高等学校出身のアマチュア古江選手19歳が10アンダーで1打差のトップです。でも最終日トップでの発進の重圧は物凄いから今日の決勝ではプレッシャーに潰されてアカンやろね、昨夜は眠れなかったのと違うやろうか?せめて2位3位くらいに位置していたら可能性があったかも知れんと思うから残念だ!それより2位3位の河本結選手と原英莉花選手(写真)の方が遥かに強そうだ、中でも眼を見張るのは原英莉花であり173cm68キロそして腰の位置が高くて足が異様に長く、外人かと思える抜群のプロポーションでギャラリーの目を奪っているのが圧巻だ。

 

先週の読めそうで読めない字 頭を強(したた)かに打ち付ける

来週の読めそうで読めない字   名声が地に(堕)ちる