この間GWと思っていたらアホな政府の過剰反応とも思えるインフルエンザ騒ぎで日本中を震撼させ、円高や株安を初め多くの負の経済効果を残して風評が去って行こうとして居ますが、今日で五月の終りを迎えることとなりましたから明日から新たな気持ちで再出発しましょうか。愈々来月21日は漢字検定のテストです。漢検については財団を食い物にして居た理事長親子の逮捕やら色々ありましたがどうにか試験が実施されることとなりホッとして居ります。何せこの歳ですから半年も緊張が途切れたら全てが夢の中となり此までに培ってきた漢字の記憶を復元できる自信がありません。来月は仕事も少しは楽になりますから最後の猛特訓で190点を目標に前回の点数を少しでも上回り未だ惚けて居ないことを愚娘達に示してやりたいと思って居ります(^^)
日本語は何故か物の数を数え方が矢鱈と複雑であって、羊羹や長持の“一棹”や屏風の“一架”など言われてもへえ?と分からないものが多く、兎は何故一羽なのかも不思議ですよね。数の呼び方迄様々であって、我々は誰でもペンや鉛筆を数えるときには、考えることなく一本二本三本と数えますが、外人には此の手の読みが苦手で一個二個三個と数えるそうです。何故なら一本二本三本は何れも“本”の“読み”が異なっていて憶えにくいとか…(;;)
我々は物心付いたときから染みついた記憶のため間違えることがありませんが、成る程考えてみれば外人さんには大変でしょうね。四本は“しほん”と読みますが、我々が子供の頃は“よんほん”と言っていましたし、四十は“よんじゅう”でしたが恐らくその頃は誰もが算盤塾へ通って居た経験から先生が聞き違いのない“よん”を使われたことからそう呼ぶようになったと思います。“人”の数もひとり、ふたり、さんにん、よにんと日本語は難しいですね。四人(しにん)では“死人”と間違えるので“よにん”と読みますが“ごく最近まで我々関西人は“よったり”と読んでいましたが最近は余り使わなくなったようですね。
最近何かの本で読んだのですが、さる有名大学の先生が毎年生徒に対して三本を“サンポン”と半濁音で読むのはどんな場合か?と聞かれるそうですが、瞬時に答えられた学生は20年間でたった一人であったそうです。(^^)一体どんな場合に三本を“サンポン”と読むのでしょうね?(答は末尾にあります)
東北大学で29歳の大学院生が博士課程での論文を先生に提出することを拒否されて人生を儚み、自裁された事件が昨年8月に起こったそうですが、父親からの抗議を受けて調査した東北大学の調査委員会は“担当准教授に重大な過失があった”と判断し、今月になって自主退職した同准教授の退職金を減額するかどうかの処分を検討しているそうです。
博士論文を巡っては何処の学校も兎角背後に金銭が付き纏う悪習慣があって、所謂“免状推薦料”のような類(たぐい)の裏金が必要なことは誰もが知る処ですが、今回の事件では本人が自裁しているため証人が居ないにも関わらず、学校が担当准教授に重大な過失があったと判断した背後には担当准教授による院生に対する余程理不尽な苛めがあったと推察されます。新聞の記事では担当准教授はこの院生に対し博士課程3年目を迎えた06年論文提出の延期を申し渡し、翌07年12月に提出した論文は07年の提出予定者でなかったとして受理されなかったそうです。学内調査では此の院生の研究が充分博士授与の審査を受け得る状態であるにも関わらず、担当准教授は研究の進展状況の把握も具体的な改訂指導や研究指導を行って居たとは到底認め難いと結論づけていますから、当初からこの生徒が先生から完全にシカトされていたとしか思えません。博士称号がナンボのものかは知りませんが、たった一人の准教授に博士免状授与に関する全ての権限を委譲している学校側にも大きな問題があると思われます。此の生徒は恐らく准教授から推薦料の支払いを暗示されたにも関わらず、迂闊にも気付かなかったのか或いは支払う余裕がなかったのか、将亦(はたまた)准教授と研究上学説での意見の相違があったものか、彼が黄泉の国の住民となられた今となっては全てが蚊帳の外ですが、きっと推薦料か理論の相違を根に持ってのことではなかったかと思いました。
昨年何処かの大学で女子学生が論文の審査の代償として教授から身体で支払うように言われた事件までありましたから、論文の審査を一准教授の手に委ねないで学部の先生全員が関わるようにすればこんな悲劇が起こらなかったかも知れませんが、それには審査の土俵に上げる権限を担当准教授から剥奪する必要があり仲々容易ではありませんね。“白い巨塔”ではありませんが、学者の世界なんて処は我々衆生には分からぬことだらけでありきっと魑魅魍魎が隠れ住んで…じゃなかった堂々と棲息している世界だと思いますよ。
奇しくも一昨日の夕刊に獨協医科大学で08年3月までの7年間に医学博士の論文審査を担当した教授が大学院生から謝礼として判明している分だけで100人近くから一人1万円から10万円の相場で4100万円受領していたことが内部告発などでなく皮肉にも国税局の税務調査で明らかになったそうです。(;;)医学博士の学位取得に纏わる現金授受は既に横浜市大や東京医大で発覚しており、恐らく発覚したのは氷山の一角であり“何処(いずこ)も同じ秋の夕暮れ”であったことでしょうが、医学博士は他の博士などと性格を異(こと)にし、先生の論文を丸写しにでもしてお礼を渡せば誰にでもなれて開業時の肩書きを飾ることになるものと思われます(^^)。
医者なら開業すれば済むことですが、学者の世界は完全な徒弟制度であって先生の学説に反対する生徒はどんなに優秀であっても絶対に弟子にして貰えません。持論を主張したければその先生の門を離れ一匹狼になるほかありませんが、師匠のお墨付きがなければ何処の学校からも受け入れて貰えず、それ故誰も仕方なくその無能な教授のスポークスマンとして不本意な一生を終える運命にありますから、我が国の学者の世界が少しも透明化せず進歩もしないことが皆様良くお分かりでしょうね。
近い例では水俣病の病原菌の発見が遅れ “イタイイタイ”と叫びながら多くの方々が亡くなられたのは東京工業大学の清浦雷作教授が自分は飲みもしないで“水俣湾の水銀濃度は他地区の都市や工業地帯の海洋海水の濃度と大差がない”と切って捨て、懸命に調査を行って来た熊本大学の医学研究班の有機水銀説を排除したためであることは余りにも有名ですが、兎角大学の偉い先生はプライドを鼻先にぶら下げるばかりで患者の命より自己の名誉を何より優先し、机上の空論を振り回して患者をモノ扱いする傾向が強く、500人もの人々の尊い命を奪った帝京大学の安部英元副学長の非加熱血液製剤説など、学会での自分の権威の手前原因探求や人命などより、ことの善悪を無視しても自説を固執されるために起こった事件が後を絶たないのは悲しいことです。派閥とか人脈とかこんなどうでも良いことが我が国の将来を少し宛蝕んで居るのでしょう。(;;)
それにして最近になってできた准教授なる言葉は安っぽくて厭ですね。以前の助教授の方がずっと親しみがあって良かったなあ。

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皆様は此の写真を見て何処かおかしいな?と思われませんか、此は垂水区役所の3階にあった注意書きを私が撮影したものですが、置かれてから結構永いのに誰もこの注意書きの誤り(らしい?)のに気付かないのが不思議でなりません。そう言われれば誤りは“お尋ね”の字かな?などと考えますね、然し此の字は本来”訊ねる“が正しいのですが”訊”が常用漢字でないために書き換え語として“尋”が認められており正確には誤りではありません。さすれば残るは“向いの…”しかありませんが、実は此の漢字の送り仮名は“向かい”が正しいのです。小学校3年生で習う8級の配当漢字であり動詞の活用は“向か、き、く、く、け、け”と変化しますから“向い”が誤りなのは自明でありますが、昨今送り仮名も結構乱れてきて、“向い合う”や”向い合わせ“などの送り仮名を無視した熟語がつまらぬ辞典の上を跋扈して居ますし、この”向い“は動詞ではなく名詞形ですから送り仮名は不要なのかと思ったりもします。然し殆どの動詞の連用形が名詞として使われますし、名詞であることが連用形の根本だと主張される学者もあり何れが正しいのか浅学非才の私めは困惑して居ります。何方かご存じの方は無知な小生にご教示下さいませんか?はっきり誤りであることが確認できれば区役所へ行って“市民の模範となるべき高学歴高報酬の吏員が誤字を用いて恥じぬとは何事だ!”と取っちめてやろうと思っています。(^^)
“サンポン”の問題の答
 野球用語で走者が三塁とホームの間に挟まれたとき“さんぼん間”と言わずに“サンポン間”と謂いますね(^^)
廣済堂レディースは久し振りに橫峯さくら選手が堅実なゴルフで13アンダーで優勝し今期2勝目通算11勝致しました(^o^)/