秋も愈々深まり紅葉の季節が到来しました。裏の土手では春に狂い咲きしたコスモスが再び咲き溢(こぼ)れて居ます。3年ほど前、気紛れに幾粒か種蒔したのが花の後、種を落として何時の間にか増えました。肥料をやったこともないのにこんなに沢山咲いてくれると何故か普段構ってやれなかったことが後ろめたい気持ちです。今年こそ花が終わったらお礼肥えを沢山与えてやりましょう^^。

一昨日文化の日は恒例の叙勲の発表でした。勲章の椀盤振舞で4103人とか皇居も満杯になることでしょう^^。天皇陛下と美智子様も大変でしょうね。叙勲は年齢的に政治家公務員が早く貰えてその他一般の団体役員などは5歳位遅れます。私のような一人狼には無縁の世界ですが、周囲には叙勲目当てに団体役員をされている方が多く、中には勲章に興味のない方も居て大変でした。どうしてなら前の人が貰わなかったら次代の会長さんは貰えない仕組みなんです。だから欲しくない人も後ろからせっつかれて貰って居ましたよ。今はそうでもありませんが一昔前は叙勲後の大きなパーティーをオリエンタルホテルなどで開くことが慣例でしたからその費用が大変で叙勲を躊躇(ためら)った方も多かったようです。叙勲は1年以上前に役所から打診があります。断る方も幾人かあるので先に聞いてくるのです。OKの返事をすると「違反切符に注意して下さい」などと念を押されます。そうです、交通違反のことです。駐禁でも叙勲がアウトになりますから内示があると叙勲まで車の運転を一切止める方が多いのです^^。国は叙勲者の犯歴を最も重視します。石原裕次郎が国民栄誉賞を貰えなかったのは10代のやんちゃな頃警察のご厄介になったからだと言われて居ますよね。私の父は会計士協会の常務理事などを務めていたことで60歳前に黄綬褒章を貰い、75歳で勲五等瑞宝章を貰いました。その時会計士協会への役所の持ち掛けが面白く、もう一年待てば勲四等が貰えるがどうするかと言ってきたのですが、名誉欲の権化である父は来年生きてるか分からんと勲五等を貰い、98歳まで生きて居ましたから父の判断は早計だったのです。私の母は目が悪いせいもあって昔から人前に出るのが大の苦手で皇居に行くことに精一杯抵抗したのですが、渋々赤坂御苑の園遊会に同伴させられて居ました。配偶者同伴は規則だし、明治生まれの母は父の言うことには逆らえず屠所に引かれる羊の如く出掛けて行ったことを思い出しました。目の悪い母には晴れやかな席は苦痛以外の何ものでもなかったのでしょう。人の前に出ることを嫌う母のその性癖は自ずと今の私に受け継がれています。母の悪い目もしっかりと私に遺伝して居ます(;;)。何時も叙勲の記事を読むと決まって母のことが思い出されます。母は15年前に亡くなりましたが、忘れもしませんがその日2月4日は奇しくも愚息が脳内出血で倒れた日でもあったのです。

知っておきたい生活の知恵

牛乳を飲むと骨折しなくなる、ウソだ!牛乳にはカルシュームが入っていますが、それより多く入っているのが蛋白質です。蛋白質を取りすぎると体内のカルシュームを排泄する作用があり骨折の原因となります。皆さん明日から牛乳を止めて豆乳にしましょうね。

先週の読めそうで読めない字   鬱蒼と草木が薄(せま)る

今週の読めそうで読めない字   (目紛)しい女心