川口真

先月日経夕刊「こころの玉手箱」は作曲家川口真の登場だった。私と近い世代の方であり、由紀さおりの「手紙」や山口百恵の「いい日旅立ち」弘田三枝子の「人形の家」などこの方の歌は何処か他の人と違うなと感じていたが学歴を見て魂消た。彼はピアニストで東京芸術大学現役入学で楽理科に学ばれた超エリートだったのだ。本来クラシック畑に身を置くべき方なのになにゆえ?と思ったら、何気にアルバイトで弾いたのが、越路吹雪さんのバックバンドであり、多忙で来られないピアニストのご主人の代わりに弾いたピアノが「愛の讃歌」、場所も新宿コマ劇場だったとか、越路吹雪さんの人柄に魅せられ、又売れっ子作曲家いずみたくさんの事務所でアルバイトをしたことなどがきっかけで辿らねばならぬ道を間違えて?しまったのだそうだ。芸大で和声法や対位法をみっちり勉強して居た基礎が大きな力となり、他の作曲家と一味違う作品になったのだろうがクラシックの道に歩まれたらプライドは保てても食ってゆくには大変だと思ったから、歌謡曲への転進は実利主義で正解だったと私は思う。大衆の中に溶け込んで愛されるのが「歌謡曲」であり、クラシックは一部の人の教養を満足させるためのものだと言ったら言い過ぎなのかな?

日経夕刊「明日への話題」で三井住友FG会長奥正之氏が70歳になって初めての運転免許高齢者講習を受講された感想を述べられた。土日も祭日もガードマンと運転手付き黒のベンツ600後部座席が決まりだと思っていたから、こんな偉い人でも自分で車を運転するんやと正直驚いた。感想の中で会長は講習のテストは全て上手くいったが次の関門は5年後の免許更新だと書かれていた。そんなことないよね、ゴールド免許でも70歳以上は3年更新が決まりだよね、私もずっとゴールドだが過去3回3年更新であり、未だ高齢者講習のない68歳の時でも4年更新になり驚いたことを覚えている。3年更新は我々貧乏人だけで偉いお人は5年更新の特別待遇が得られるんだろうか?と僻んだがそんなことないよね。
処で、警察庁や警視庁の偉い人だった人のOBなど6000円も払って高齢者講習を受けているか疑わしいと思う。ひょっとしたら警察関係者は全員免許センターすら行かなくても自動的に免許を更新できているのではないかと思ってしまう(>_<)。今度事件があって警察が防犯カメラを見に来たら聞いてみよう。でも「その通りです」なんて絶対に言わぬだろうから聞くだけ無駄だろうな(;;)。

九月の末に作家車谷長吉について触れさせて頂いたが、今日は彼の作品の特異性についてお伝えしようと思う。それは彼、車谷長吉が平成10年文藝春秋に上梓した作品「変」にて自らが芥川賞の受賞を逃した怨みをぶち上げられたことだ。彼の作品である「漂流物」は平成7年度芥川賞筆頭候補になり、第一回目の投票で賛成者が過半数を制したにも拘わらず、偶々その年に阪神大震災やオーム真理教事件が世の中を震撼させたため車谷の作品が殺人事件であったので授賞に相応しくないとの意見が出てきて授賞から落とされ、(車谷氏曰く)毒にも薬にもならない平穏な日常を書いた保坂和志の「この人の閾」が授賞したことだった。
彼の作品「変」には「彼が5寸釘を9本買って白紙を鋏で9枚の人形に切り抜き、人形にそれぞれ日野啓三、河野多恵子、黒井千次、三浦哲郎、大江健三郎、丸谷才一、大庭みな子、古井由吉、田久保英夫と当時の芥川賞銓衡委員9人の実名を書き、金槌と五寸釘を持って深夜旧駒込村の天祖神社へ丑の刻参りに行き銀杏の巨木に人形を突き立て「死ね!」と、人形の心臓に五寸釘を打ち込んだ」と書いてある、この八つ当たりは将に狂気の沙汰だが彼には理不尽な理由で芥川賞が授賞できなかった物凄い鬱屈が溜まっての行為に違いない。心で思うことは誰しもあるが彼のように実名を作品に登場させて糾弾することは誰もしない。其処が彼の異能作家である所以だろうが、誰も思っていても書けないことをズバリと書いた車谷長吉を私のような世の中を斜に見ている者には誠に痛快極まりない。その後平成10年に彼は「赤目四十八滝」で直木賞を受賞したが、授賞式には上記の9人はもとより寄りつかなかったろうし、色んな文壇の集いにも此の9人は出席を車谷の欠席を条件にしたことだろう。五寸釘の呪いが叶ったのか現在9人中6人が死亡しているから怖ろしい。生き残って居る三人(黒井、大江、古井)もきっと戦々恐々とし不機嫌な毎日を過ごして居るのではあるまいか。
車谷さんは芥川賞の選考委員はだれも凡庸で自分より小物だと思って居たと思われる、何せ彼は広辞苑約2000頁を1日1ページ宛7年掛かって読破するなど国語学者顔負けの知恵者であり逆に考えると選考委員達全員、車谷の才能が自分達より秀でていることを知って畏怖し落としたのかも知れない。私は此の9人の選考委員のなかで車谷と教養が同レベルの文学者は丸谷才一だけだと思って居る。
この怨み節を書いた車谷長吉本人は今年5月誤嚥による壮絶な窒息死を遂げた。彼の魂は未だ成仏できずに深淵の怨みはこの世に残されたに違いない。黒井、大江、古井の三人は内緒で懺悔に車谷の墓所へ訪れているのではないか^^。
「変」は彼の短編集「金輪際」に納められているから、興味のある方はどうぞ…、処で「金輪際」を英語でどう言うかご存じの方は居ますか?わからないよね、答は文末にあります。

最近子供を欲しい人達は沢山居るが作らない理由として、昔は主として自分の老後を見て貰うために子供を必要としたが今の子供にはそんなことは全く期待できないし、教育費など経済的な問題が大きく、投資が浪費となる可能性大であるため子作りに消極的になるのが原因だそうだ。
お店を経営して居る人に聞くと、アルバイトに来る連中には偏差値の高い学校の子ほど融通が利かず頭が悪いそうだ、面白いね^^、又人間としての頭が悪い奴が多いそうだ、偏差値と人間性が反比例するなんて怪訝しな話だが、現在の教育制度では良い学校に入るためには良い人間である努力を放棄せねばならぬのではとても恐ろしいことだと思う、
教育の目的は良い人間に育てることに尽きるのだが、其れを正しく理解しないで、良い学校に入ることと勘違いをしている手合いが多いのではないか?
「良い学校に入った人間」と「良い人間」では絶対的に後者が優先するが、前者の連中に限って注意すると「プライドを傷付けられた」と逆ギレするとか…、親が甘やかすばかりで子をチャンと怒らなかったせいもあると思うが、現在の文科省の教育指導が何故か根本的に誤って居る箇所があるとしかと思えてならないね。
「世の中にはあの人達は子供を作ったら拙いだろうと思える人達がボコボコと子供を産んでは子供達の正しい教育を放置して社会のお邪魔虫を排出して居る、子供のことに真剣に考える人達が却って出産に消極的になる傾向が強い。」此は何時だったか作家群ようこさんがエッセイに書かれたものだがズバリ言えてる、全く同感だ、考えさせられるよね。

先週の書けないけど読みたい漢字
履(くつ)を履(は)いて土を履(ふ)む

今週の書けないけど読みたい漢字
風船が(窄)む

「金輪際」を英語では「Never」と謂います。
「座布団一枚!」の一声が^^掛かりそうだね^^。