アジアンタム_ 溝のアジアンタム

秋晴れの日が続き暑い夏に草臥れて居た草木も元気を取り戻して生き生きしてきた^^。先月家の前の溝に地下水が流れ蟹が棲んで居るとお知らせしたが、実はこの溝には観葉植物のアジアンタムまで繁茂して居る^^。此の写真をご覧になって驚かれたと思うが、うちの事務所のアジアンタムの胞子が窓から飛んでいったものか溝で自生し更に又胞子が他の溝に飛んでいったようだ。地下水の温度が18度と一定なのも彼等の好感を得ているのだろう。居間の鉢植えを溝の観葉植物で間に合わされたらホ-ムセンターも商売あがったり迷惑だろうね。
垂水には地名からして瑞ヶ丘、瑞穂通等水に纏わるものが多いがそれは昔は池だらけだって湧き水の多い所だった。近隣にはマンション建設のため地上げした土地が湧き水が多くてどうにもならず建て売り住宅にせざるを得なかった処も少なくない。うちの事務所など崖下で水が押し寄せるとこだし、池の上に浮いているようなもので基礎にはビニールを敷き詰めて建てたから地震が来てもゆらゆらとボートのようなもので倒れ難いのではないかと思って居る^^。

三日前の10月8日は亡き父のの誕生日だった。先週お約束した我が家の選挙のことだが、68年も前になる終戦後初めての選挙が昭和22年に行われ、私の父は得意先である神姫自動車の推薦で国民協同党の公認候補として県会議員に打って出て敗北した。此は父が死ぬまで唯一後悔し続けたことであったが、その原因は直前に戦後初の姫路市会議員選挙が行われ、疎開先であった姫路市白国の村長が立候補し、父は弁論の原稿を作ったり応援演説などをして彼を当選させたことが、堅実をモットーにした父の人生行路を狂わせた。あのドン百姓が市会議員なら自分は県議に成れない筈がないと思い込んだのが大きな誤りで、選挙は教養でも知識でも品性でもなく、カネさえあれば良いことを承知しなかったことだ、金を使わない選挙であっても選挙に要した資金は父の財産の大半である18万円もの巨額であり、当時大型トラック1台の値段だったと聞いたが物資のないときだったし、サラリーマンの給与が500円もしなかった頃(大工さんが日当25円だと威張っていた)だから現在の価値にして5000万円位ではなかったかと思う。
選挙事務所の東呉服町は自宅の花影町から近かったので小学生の私など事務所の人達には邪魔者なのを気付かず何か役に立とうと学校帰りにずっと通って居た、其処でいろいろな社会勉強をした。
事務所は昼と夜二回米を大釜で炊いて塩味のオムスビを作るが幾ら作っても直ぐ無くなってしまう、見ていると知らない人が一杯来てオムスビを食べて居る。咎めると運動員の誰それの従兄弟だとか言ってしらばっくれるが貴重な一票だから怒りもできずに父は困って居た。追い返しても次の日にもきてチャンと食べて居る。当時は食糧難でヤミ米が買えずに誰も日なか飢えている時代だったからオムスビの値打ちは現在と全く異なる異次元での価値の高いものだったのだ。
選挙の看板は白くて分厚い布製だったが触るとトゲトゲした繊維が指に幾つも刺さって不快だったが今思うとあれが悪名高いアスベストだったんだと思う。又、事務所へ知らない人が来て入口で倒れて泡を噴いた、テンカンだと誰かが言って額に草履を裏返して載せたり、泡に触れるとテンカンが移るとか大騒ぎで一時事務所の人が居なくなってしまったこともあった。
国民協同党なんて知らない人が多いと思うが、此の党は中道政党として昭和22年に発足し後の首相三木武夫が書記長(のちに中央委員長)で同年4月の選挙で衆議院31名参議院10名を当選させて、民主自由党(当時は自由民主党とは言わなかった)及び社会党と連立内閣を組み片山哲内閣、芦田均内閣を続いて発足させそれぞれに二人の大臣を出し連立内閣の一翼を担ったのだが、今思うに終戦後の混乱当時の姫路市民は新聞など読まず政党意識など全くなく、地域の長(おさ)の言いなりだったから国民協同党の公認候補と言ってもお金が出るわけでも無し勿論組織票など一票も貰えなかったから父の思惑は外れ落選して当然だったんだ。68年前の出来事だったが、人間の名誉欲は麻疹(はしか)のようなものだから、名誉欲の権化だった父が財産の少ない早い時期に選挙と金について気が付いてくれて良かったと思う。

日経新聞「こころの玉手箱」で84年五輪金メダリスト山下泰裕が書かれて居た。彼は現役を引退したとき指導者としてゼロからのスタートだったが、一指導者としての山下を見て貰いたいとの思いは悉く裏切られ、常に彼には五輪優勝と国民栄誉賞が付きまとって離れず極めて不本意だったそうだ。そうだよね、若い頃に一度栄光に輝いた人はそれ以上の栄光を求めるのは無理なんだ。頂点に立てば後は下りしかないのが人生だ。何時まで経っても過去の有名人としてしか生きて行けないのは山下さんも辛いだろうがそれが世の倣いだ、99.9%の人が一度だって栄光に輝いたことがないんだから山下さんも我慢しないと…、世間では現在山下さんが東海大学の副学長になれたのは本人以外は誰もが五輪優勝と国民栄誉賞のお陰だと思って居るのではないだろうか。

川内原発再稼働については「トイレのないマンション」と謂われているそうだ(^^)。そうだよね、核廃棄物の処分地も決まっていないのに平然と稼働したんだもんな(>_<)。
地震学者は関東地方の地震については全く予知できないと謂っているが東京電力は「予知できる」と言い切った。東京電力は何時から地震学者になったの?

ノーベル賞を受賞された大村智さんって私と同じ歳だから同じ世代を生きてきた人だ、此までのノーベル賞受賞者と全く違って、通り過ぎて来たた時代のせいもあるけど世間に名もない地元の大学を出て夜間高校の先生をしながら私学である東京理科大の大学院生として勉強して研究者になられたなんて雑草のような逞しい人でメチャ偉いね^^。
我が国の受賞者の殆どが東京大学乃至京都大学或いは名古屋大学に属して居るから大村さんのような方は希有だ^^。
処でノーベル賞も基金が涸渇したとか聞くが、賞が二人三人と小分けされる賞金も一人当たり少なくなるようだが、ダイナマイトができて150年が経つがもうお金がないのと違うかしら?

南京大虐殺なんて荒唐無稽なでっち上げが中国の陰謀でユネスコの文化遺産に登録されるとか…(>_<)。ユネスコとはUnited Nations Educational, Scientific & Cultural Organization だがこれでは余りにも uncultural だ。南京大虐殺が載るのならヒロシマが載らない理由を言って見ろよ、どうなんだ!

先週の書けないけど読みたい漢字
湖畔の道を漫(そぞ)ろに歩く

今週の書けないけど読みたい漢字
貴重な時間を(漫)りに過ごすな